Ⅲ 第一印象、最悪。……かと思いきや

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 向けられた敵意に体は即座に反応した。

「テイル、スターミー!」

 目は必要ない。これだけの戦意をぶつけられたら相手の居場所など目をつぶっていてもわかる。と同時に、少しだけ意外にも思った。
 これだけ重い戦意を持つものがこんな犯罪に手を染めているのか――と。

 思考の間も体は勝手に動いている。ボールを放つと同時に跳躍。空中で器用に体をひねり、背後に育て屋をかばう形で着地。次の瞬間、彼を守るように差し出されたテイルのしっぽと、迫った赤い閃光がぶつかり合った。



 *   *   *



(はっ……や!)

 シヴァが明確な戦意を抱いてから迎撃態勢を整えるまでの反応が尋常ではなく早い。手加減したらこっちが危ない。無意識に頭を切り替えた時、体がざっと総毛だった。

「っ、――!!」

 間一髪、飛びのいたシルフィをかすって水流が行き過ぎる。思わず向けた視線がスターミーをとらえる。体勢を整える間もなく前方から追撃!
 コンマ一秒以下の判断時間だった。神業的なスピードでボールを開き叫ぶ。

「守れ!」

 その言葉尻を奪うように、「ハイドロポンプ」と「竜の息吹」がシヴァたちを襲った。







「……やったか?」

 爆風に外套(がいとう)や髪を好き勝手にもてあそばれながら微動だにしなかった少年が低くささやく。しかしその語尾にははっきりとした疑問が浮かび、表情はいまだ険しい。

(やった、手ごたえが、ない)

 だがだとすればどこに? 鋭い視線が周囲を薙(な)ぐ。右か、左か、それとも――。

「――上かっ!!」

 はじけるように上がった顔が落ちてくる影をとらえる。反射的に下がろうとし、少年は不意に背後の老人たちのことを思い出した。
 迷ったのは一瞬。しかし、その一瞬が少年から逃げる時間も反撃する時間も奪った。

(やられる――)

 ウインディが牙をむく。中途半端にあげようとした手が胸のあたりをさまよい、死を覚悟した時。

 ――突然、ウインディが体をひねった。

 前足の鋭い爪が目と鼻の先を通り過ぎ、赤い体毛が温度さえ感じそうな近さを横切る。ウインディの巨体が着地した衝撃で地面が少し揺れ、間をおかずにさらに距離を取る。少年は半ば無意識に手を上げ、反撃しようとしたポケモンたちを止めた。
 十メートルほど間を置いたウインディも動かない。その背に乗った人間が、この距離でさえ自分のことを熱心に見ていると、少年は理屈抜きで感じた。

 果たして、ためらいがちな声がした。

「お前……ひょっとして、ケイガの息子なのか?」







 視界にはっきりとその顔――さっき、本当に今しがた書類の中に見た顔が飛び込んできたとき、冗談抜きで心臓が凍った。まず頭をよぎったのは「殺してしまう!!」という恐怖。そして。

『殺したら引き返せなくなるぞ』

 一年前の光景が脳裏をよぎり――。

 何がどうなったのか、正直なところよくわからなかった。ただ気が付いたらシルフィは着地しており、自分の視線が向く先にはまったく変わった様子もない少年が――そう、少年だったのだ――立っていた。彼も推し量る眼でシヴァを見ている。

 その雰囲気が記憶の中の男性とぴたりと一致した時、シヴァの口は勝手に動いていたのである。

「お前……ひょっとして、ケイガの息子なのか?」







 少しの間、息を殺しているような沈黙が続いた。
 両者とも張りつめた糸は切らさない。けれども決して息詰まるような重い沈黙ではない。どう行動すればいいのか、何を話せばいいのか戸惑っている――そんな表現がぴたりとあてはまる一時だった。

 先に緊張を解いたのは少年の方だった。

「……養子、だ。血はつながっていない。……俺も、父親だとは思っていない」

 どんな種類のものなのか、少年は小さく息を吐き、挑むようにシヴァをにらんだ。

「お前こそ、誰なんだ。あの裏エージェントたちの仲間じゃないのか」
「裏エージェント?」

 シヴァは条件反射的に顔をしかめた。ポケモン協会に認められていない、法も掟も暗黙の了解も無視する悪党どもの仲間か、だって?

「俺が? 冗談じゃない。俺は正規エージェントだ」
「正規? 所属は?」

 シヴァはさらに眉間に力を入れ、目を細めた。知らずのうちに相当動揺していた彼は、その不安定さを八つ当たり気味に放出した。

「先に所属を問う? それこそ裏の連中並みの礼儀知らずだな。聞くんなら先に名乗れ。それが当然だろう」

 怒りのこもる声に、何と負けじと少年が言い返してきた。

「それはエージェント間での礼儀だろう。俺はエージェントでなければ候補でもない」
「だから名乗る必要もない――か?」

 吐き捨てるように言うと、少年は口を閉ざした。

 なんだ? と怪訝に思っていると、じっと考える目つきをしていた彼は小さく首をかしげ、うなずいた。

 そして。

「そうだな。聞くのなら先に名乗るのが礼儀か」

 その聞き分けの良さに、思わずシヴァは目を点にした。

 その間も少年は何やらふむふむとうなずいている。先ほどまでの闘気はもはや跡形もなく、その闘気から想像していた人物像もシヴァの中できれいに崩れ去っていた。

 想像を超えたものの出現にあっけにとられているシヴァに、少年はまじめな顔を向けた。

「俺はトレンの森のオーラン。オーラン・グレイアだ」

 ――で、お前は? と言わんばかりの目を向けられた時、シヴァは唐突に悟った。

(そうか……こいつ)

 ……ものすごく、世間知らずなんだ。



 *   *   *



「……そんなこと思っていたのかお前は……!」
「だってそうだろ。エージェント同士の流儀だからって言った次の瞬間に『それもそうだな』だぜ? 今までそんなこと考えたこともなかったってのがミエミエ」
「見え見えで悪かったな! 実際俺は七つからバトル三昧(ざんまい)だったんだ、一般常識にどこで触れろというんだ!」
「ああ。だからケイガが悪い」

 あっさり矛先をそらされ、オーランは気勢をそがれた。うっかり追撃を繰り出すのをためらった彼にびしっと指を突き付けて。

「でもお前が一番悪い」
「なんでだっ!!」

 人里離れた山林の中、一般常識など身近な大人からしか学べない。だから一番責任があるのはケイガだろう! と主張するオーランの横で……。

 オーランの純粋少年期を知ったウィルゼは、腹を抱え、体をくの字に折って爆笑していたのであった。



 *   *   *



「トレンの森のオーラン、ねえ……」

 先ほど目を通しそこねた書類を片手、育て屋を襲った裏エージェントたちを無事警察に引き渡したシヴァは、オーランと名乗った少年を追う形で街道を歩いていた。

 トレンの森はヒマワキシティから南側の森の名称だ。トレーナーが名乗るとき、名とともに出身地を明かすのも慣例のうちだが。

「……出身地違うじゃん。なんで?」

 軽く書類を手で弾く。その言葉に前を行く少年――オーランが振り返った。

「知らないのか?」
「何を?」

 意外そうに口を開きかけ、ふと動きを止める。薄茶色の目がシヴァを上から下まで見。

「――お前、いつからディラに出入りしているんだ?」
「一年ぐらいだけど……それが?」

 それがどうしたと思いながら答えると、不意にオーランは表情を消し、前に向き直った。

「それならいい。俺にそのことは聞くな」
「はああ?」

 いきなり硬化したオーランの態度に戸惑う。何か聞いてはまずいことだったのだろうか。

(つーか、ディラのエージェントなら知ってて当然みたいな態度だったよな、今の。エージェント候補はたいがい十歳前後からだから、二~六年前に起こった何かか……?)

 二~六年前。そのころ目の前の少年は六~十歳だったはずだ。どんな事件があっただろう? シヴァは頭の中の書庫をひっくり返した。

(六~十歳の子供が絡んでいて? ディラが関わった事件……? そんなの)

 あったか? 首をかしげる寸前、シヴァの目が見開かれる。

(――あれか!)

 二年前のコールドケース。同盟剣星が挑み、失敗した一件。

 今なおその勢力を伸ばす秘密結社、マグマ団に潜入し、あるデータを奪うのが目的だった。しかし潜入後に別口の潜入がばれ、警戒が強まったためにレグルスの工作員は撤退を余儀なくされた。速やかな撤退のためにディラのエージェントがその支部を攻撃。逃走中、基地内に全く似つかわしくない当時十歳の少年を発見したため、保護した。

(その少年、確かジルコニウムに預けられた後ケイガが引き取ったんだったよな。間違いない、こいつのことじゃん……)

 ディラとレグルスの力をもってすれば身元を突き止めるのも容易かったはずなのに、ジルコニウムが引き取り、ついでケイガの養子となっている。ということはディラやレグルスは少年が再びマグマ団に奪い返される、あるいは口封じに殺されるのを恐れたということか。だから偽の戸籍をでっち上げ、二重戸籍が実現した。

 そして彼自身、「トレンの森のオーラン・グレイア」と名乗ったということは、その偽の戸籍の方を自分として受け入れているのだ。

(それなのに俺が「出身地が違う」なんて言ったら、そりゃいやな気がするよな……うわーっ、失敗したー!)

「……さっきからなに百面相しているんだ?」

 あまりの失態に頭を抱えているとオーランの方から話しかけてきた。一人で青くなったり驚いたりしているシヴァを不気味に思ったらしい。目が白い。

「いや……修行不足だなあって」
「ふうん?」

 さして興味のなさそうな声が返ってくる。それから、オーランはふと数度瞬きをし、「忘れてた」とシヴァを振り返った。

「お前、どうして俺のこと知っているんだ?」

 シヴァは撃沈されかけた。

(……い、今頃かよ……)

 どんなふうに育てたらこんなにみょうちきりんな少年が出来上がるのか。今ここにケイガがいたらぜひとも問い詰めてみたかった。




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