かくして、シヴァの「天才少年」捜しは始まったのである。
「――ったく、スズランは強引すぎるぜ……なあ?」
ウインディのシルフィに横座り、頬杖をついて同意を求める。求められたシルフィはどちらともとれる鳴き声を上げた。同意を得られなかったのが不満で、シヴァは拗(す)ねて前に――進路方向から見たら横に――顔を戻す。
彼らは今、キンセツシティとシダケタウンを結ぶ117番道路をトコトコとのんびり進んでいる。次に「天才少年」が姿を見せるのは、シダケタウンであるバトルテントのこけら落としであろうとミナトがアドバイスしてくれたからだ。
シヴァは頭の中に地図を描いた。
(シダケを抜けたら、バトルセンタービルがあるカナズミ。そっから北に上ったらチーム・クレインの本拠地ハジツゲと一か月後にボルケーノマッチを控えたフエン。そのあとはヒマワキに戻るのか、それとも……)
「カントー・ジョウトに行かれたらお手上げだよなあ……」
思わず独り言が漏れる。
もし「天才少年」がカントー・ジョウトに向かうのだとしたら、何としてもその前にキンセツで捕まえる必要がある。
「まー、いざとなったらスズラン一人でも大丈夫な気がするけど」
ただ問題は、その場合スズランの頭からは「天才少年」を叩きのめし、その師匠(?)であるケイガに一泡吹かせたいという思い以外の雑事が吹っ飛んでしまうであろうということである。
そうなったら困る。それはもう、とても困る。何が困るって下手をしたらキンセツシティに壊滅的なダメージを与えかねないところが困る。
「……なんでスズラン、ディラのリーダーなんだろ……」
一年前から数限りなく思い浮かべてきた疑問を、もう一度口にすると、シヴァはやれやれとリュックから資料を取り出した。ミナトがわずかな時間で手を尽くしてまとめてくれた対象のデータだ。
「登録名オルド・チェイスター・キサラヅ。当年とって十二歳、すでに三つの大会で優勝、滞在中にその町のチームに乗り込んでエージェントにバトルを吹っ掛ける……。これまた全勝。公式バトルで使用したポケモンはライボルト、ロコン、キルリア。ただ実際に所持しているボールは七つ、フルバトルに出場したこともあるため、まだ隠しているポケモンがいると見るべきである、か」
声に出して読みつつ、ぱらりと一枚めくる。次の用紙には写真が三枚、添付されていた。
茶髪に薄茶色の目のすっと整った顔かたちをした少年を真正面から撮った写真。おそらく大会参加登録時のものだろう。この年頃の子供にしては冷めた目が何の感慨も含まずにシヴァを見ている。
そしてもう二枚の写真は一か月前のヒマワキの大会とディラのカメラの映像を拡大し、解析をかけたものであった。茶髪の少年がロコン、そして黒髪の少年がストライクを従えている。まじまじと見入ったのは、あまりにも印象が違うからだった。
シヴァは、彼にしては珍しいことに、意識しないかすかな笑みを浮かべていた。
こいつは、本当に楽しんでバトルをしている。
相手との駆け引き、ポケモンとの一体感、フィールドに張り詰める緊張、一瞬でひっくり返る紙一重の攻防。そのすべてを心地よいと思い、自分の技量を試せることを心底楽しいと思っている。
そうでなければこんなにも印象が変わるはずがない。こんなにも輝く目をしているはずがない。
こうして写真越しでさえはっとするような生き生きとした表情。それがまた、この少年に抗いがたい魅力を与えている。功名心も見栄(みえ)もなく、純粋な思いだけが宿る瞳は力強く、妙に人を引き付ける頼りがいを感じさせ、逆にその光に似合わぬ年相応にかわいらしい容貌は憎めぬ愛嬌を醸(かも)し出している。
「こーゆーやつ、エージェントに向いてるんだよな」
身体能力も申し分ない。何よりこの少年は、間違いなくエージェントを意識して育てられている。しかしエージェント候補だとしたらこんな馬鹿な真似はまずさせないので。
「チェイスターか……アソック(ポケモン協会直属エージェント集団)にそんな名前の奴がいたっけな? んー、でもよくある名前だしなあ」
この少年の生い立ちはどのあたりだろうと、いつもの癖でついつい頭を悩ませる。無意識に一枚目に戻ったシヴァは下の方にぽつんと書かれた「追記」に気づいた。
「追記? 戸籍名……? は? なんで? エージェントじゃないんならペック(トレーナーカード)は戸籍登録のはずだろ? ……二重戸籍だあ?」
クエスチョンマークを連発し、思いっきり口をひん曲げる。
ぱちりと口を閉じ、肝心の戸籍名に目をやったその瞬間、シルフィが大きく身をゆすった。
「うわ? どうした?」
とっさに書類をリュックに突っ込み、あわててシルフィの背をまたいでしっかりとしがみつく。しかし比較的見通しの良い大きな道だ。前方に何もないことは一瞥(いちべつ)で見て取れる。
眉をひそめると同時に、シヴァの耳はかすかなエンジンの音をとらえた。視線が北に滑る。
「…………」
この奥には何があったかと、まばらな木々に瞬きをし。
「……まさかっ!」
思い至ったが早いか、シヴァはさっと顔色を変えると重心を移動させるだけでシルフィに方向を示した。
シルフィは間髪を入れずにそれに応え、猛烈なスピードで駆け出し、空気を揺るがす咆哮を上げる。周囲の木々から一斉に鳥ポケモンたちが飛び立った。
* * *
「……ん?」
ばさばさというたくさんの羽音と鳥ポケモンたちの鳴き声に男はふとそちらを見た。
森の向こう、ちょうど街道のあたりから飛び立つ鳥ポケモンが黒い点で見える。かなりの数だ。
「なんだあ……?」
「おいこら、さぼってんなよ!」
飛んできた罵声に舌を鳴らす。腹立ちまぎれに隅でぶるぶると震えていたウリムーのつがいを蹴飛ばした。ウリムーの悲鳴が上がる。
「うるっせえな!」
「や、やめてくれ……!」
さらに踏みつけると、白髪に白髭(しろひげ)のよぼよぼとした老人が懇願した。育て屋を襲った男たちは保管されていた卵を袋に詰め、鼻で笑う。
「へっ! どうせトレーナーに育てられもせずにここにいるのなら、俺たちの役に立つのが本望だろうぜ!」
「そうそう、使ってやろうっていうんだ、ありがたく思えよ!」
口々に言うと大口を開けて嘲笑する。行きがけの駄賃とばかりに老人にまで手を振り上げた、その時だった。
――――ドンッ!!
「うわああ!?」
何かが勢いよくぶつかった音がし、驚いてそちらに目を向けると、ぐらっと揺らいだ車が倒れたところだった。地面が小さく揺れる。
「な、なんだあ!?」
横倒しどころか、ひっくり返った車から這う這うの体で男が一人はいずりだしてくる。そのさらに奥からひょこっと顔をのぞかせた、クリーム色のポケモンは。
「マ……ッス、グマ?」
「痛い」と言わんばかりに鋭い爪のついた前肢で頭を押さえている。
マッスグマ。突進ポケモン。進化前はジグザグに歩くくせに、進化すると百キロもの猛スピードで一直線に突っ走る。人との接触事故多し。
と、どこかのポケモン辞典に載っているような文がさーっと頭の上を通りすぎ。
「――って、てめえ何しやがる!!」
我に返った男の一人が怒りもあらわにどすどすとマッスグマに近づく。マッスグマはさっと身をひるがえし、車の陰に消えた。
「まちゃあがれ! ただですむとでも……」
逃がすかと走り寄った男の前、車の陰からぬうっと壁が立ち上がった。
え? と男は瞬きをする。車より大きな壁が車の向こうから現れたのだ。固まった姿勢のままおそるおそる視線だけ上げていき。
――ずいっと目の前に突き出された鋼の顔に、「叫び」と題名がつきそうな顔をして、実際に叫んだ。
「――うっぎゃああああ――――!?」
どこに隠れてやがったこんなやつ――!?
「……テイル。一人残らず捕まえろ。――締め付けろ」
俊敏に動いたしっぽが男たちめがけ迫る。しかし彼らはかろうじてそれを避けた。命令する声がしたということが彼らに正気を取り戻させた。
「トレーナーか!?」
「どこにいやがるっ! ヤミラミ、見破る!」
「テイル、アイアンテール」
ヤミラミの「見破る」が上を映した瞬間、空気を焼く勢いで振られた尻尾がヤミラミを吹き飛ばした。男たちが思わずその行方を追うと、バサッと布が鳴る音がして、手を取り合って震えていた育て屋夫婦の前に人影が降り立った。殺気立っていた男たちが思わず目を点にする。
こげ茶色の外套をまとい、ぐいとフードを外した、その下から現れた顔は、どう見てもまだ十歳そこそこの少年のそれだった。
「裏エージェントか。タマゴを狙ったのか? ……運がないというか、ついているというか……」
変声期前の少年独特の高い声を響かせ、茶髪の少年は口だけで笑みを作る。それを見た瞬間、男たちは反射的に身構えていた。
違う。これは、違う。
何歳だろうが関係ない。綱渡りをするような裏世界を渡ってきた彼らにはわかる。
煙水晶の瞳に閃く鋭さも、高い声に秘められた落ち着きとすごみも、そしてその表情の酷薄ささえ。
間違っても普通に育った十数歳のトレーナーが手に入れているべきものではない。
幾度も修羅場をくぐってきた歴戦の戦士。それらだけが持ち得るもの。
この年でそれを会得しているということは、示す事実は一つだけ。
「エージェントか――!?」
驚きに隙ができた一瞬を見逃す少年ではなかった。
ピィッ!
素早く口に当てた指から思わず顔をしかめるほど大きな音がする。それを合図にすっ飛んできたマッスグマがどかどかどかっ! っと立ち並ぶ人間たちに激突し、なぎ倒し、さらに念入りに踏みつけた。これで半分ほどが片付いた。
それでも残りは四人ほどいる。しかもマッスグマはまっすぐに少年の方に突っ込んでくる。どうするのかと思いきや。
「テイル!」
呼ばれたハガネールが大きな尻尾を持ち上げ、ぶんと振った。
衝撃で体が浮かぶような風が起きる。男たちは必至で足を踏ん張った。
しかし。
どかどかどかぐしゃっ!
何が起こったのか、きっと男たちにはわからなかったはずである。
通り過ぎたはずのマッスグマに容赦なくぶつかられ、踏まれ、男たちは残らず地面に突っ伏した。
テイルの衝撃波を利用して急ブレーキ、反転して加速し、自分たちを轢いたマッスグマが、今度こそ勢いを殺せず立ち木に激突したことを彼らは結局知ることができなかった。
もし知れば多少は溜飲(りゅういん)が下がったであろうに。
哀れ(合掌)。
* * *
ちょうど木が途切れる場所まで来たとき、シヴァとシルフィを暴風が襲った。
「っ、わ――!?」
体を持って行かれそうになり、あわててぎゅっとシルフィにしがみつく。彼女もとっさに体勢を低くし、この突然の暴風をやり過ごした。
目が開けられないほどの風が弱まったと見るや、シヴァは舌打ちとともに木々の先に目を凝らした。彼は今の風が自然現象だとは考えていなかった。近づいてくる自分に気づいて放った攻撃だろうと思った。
ならばこちらからも向こうが見えてしかるべきと考え。
……一人立つ人影とハガネールと敵と認識したのは、当然すぎる思考結果であった。
「シルフィ、神速!」
そしてシヴァは反撃に転じたのである。
* * *
「え、ええ!? 攻撃したのか!?」
「したんだな、これが」
したり顔でうなずくシヴァ。机に突っ伏したまま、視線だけあげたオーランが恨みがましそうにうなる。
「あれはお前の早とちりだったぞ、絶対」
「否定はできないな。だけどあの突風がマッスグマの方向転換のためでした、なんて、あの瞬間誰が思いつくよ?」
賭けてもいい。百パーセント、誰も思いつかない。
若かりし頃の(しつこいようだが、現在十八歳)暴挙を得々と披露されるのは悶死(もんし)しそうなほど恥ずかしかったが、こうなったこいつらは止められない。そう、己の悲しい体験から学んでいたオーランは、せめてもの抵抗として再び机に落ちた。