調理学校生の俺がヒスイに転生して皆の胃袋と心を鷲掴みにする話

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作者:ぽうん
読了時間目安:38分
某地方、某所。
調理師専門学校の学生だった俺はポケモンに襲われて死んだ。……科学の力が発展した現代の世界で。

なんて情けない死に方だろう……大昔のヒスイ地方じゃあるまいし……手持ちのアローララッタが心配そうに鳴いているけど……きっと、今日のメシはどうしてくれるんだとのクレームだろう……

(最後に……おふくろの味噌汁が飲みたかったなあ……)

それを最後に、俺は意識を手放した……。

……そうやって死んだと思ったのだが、どうやら俺は大人気ゲーム『ポケモン伝説アルセウス』の主人公……を導く先輩・テルとして転生したらしい。十五になった俺は、シナリオ通りギンガ団の調査団員として働くことになった……のだが。

「来ない!!」

調査団に入ってしばらく経つのに、時空の裂け目から主人公が降ってくる気配は一向にない。先輩が男キャラということは、この世界の主人公は女キャラのはず。先輩を口実にお近づきになって「テル先輩すごーい!」なんて言われて、あわよくば付き合えるんじゃね!? ……なんて期待に胸を膨らませていた自分が恥ずかしい。しかも転生というステータスがありながらも、ポケモン捕獲の才能が無いとか、そのくせ手先は起用だとかの部分はしっかりと原作リスペクト。魂は未来から来たんだからポケモン捕獲は出来てもいいだろ!と思ったが、ポケモンに向き合うと前世の襲われた記憶が蘇って身体が固まってしまう。本来はチート要素になるはずの前世の記憶が、まさか足を引っ張る羽目になるなんて、本当に「トホホ」と言いたい気分だ。

そんな感じでモチベも湧かず、いつものようにシマボシ隊長にしごかれ、いつものように本部前を歩いていると、渡り売りの商人らが客寄せをしていた。

「イチョウ商会でーす! 今回の目玉商品はこれ! 海の向こうから来た『麹』でーす!」

(麹か……。)

日本食の基本と言っても過言ではない麹。その用途は幅広い。漬物、酒、醤油、味噌……。俺の頭に閃光のように一つの考えが走る。

(味噌汁が飲みたい!!)

俺は味噌汁が大好きだ。澄み渡った出汁の中をゆったりと揺らめく黄土色の味噌。手触りのよい漆塗りの椀を両手で包むと指先から温かさがじんわりと広がる。一口、ズズっと啜れば、まろやかな味噌が舌全体に広がり、その後から恥ずかしがるように、やわらかい出汁の香りがそっと鼻を抜けていく……思い出しただけでよだれが垂れてきた。しかし、このヒスイ地方に「味噌」のクラフトレシピはまだない。ということは……

(米麴から作るのか……)

調理師学校で作り方は習っていたが実践はしたことがなかった。その上、道具も現代と異なり、石鹸もなく衛生管理もなっていない時代。素人が麹菌を培養して味噌を作るなんて考えただけでひっくり返ってしまう。普通であれば「やめておこう」と踵を返すのだが、それを押しとどめたのは前世のおふくろが作ってくれた味噌汁だった。
おふくろはロクでもない親父と別れた後、女手一つで俺を育ててくれた。俺を育てるため、朝から夕方まで働いて、それから俺のメシを作っていた。本当に頭が上がらない。その中で、簡単に、少しでも安く、腹に溜まるものをとなると、作る内容は決まってくる。その定番の一つが味噌汁だった。調理師学校に入ったのも、おふくろの味噌汁が大好きだったからなんだ。だから…

「すみません。その麹、ください」

本来ならば俺は死んでるはず。やりたいことは、やれる間にしなくちゃ。ここに来てから足を引っ張るばかりだった前世の記憶が、初めて俺に一歩を踏み出させてくれた。
なけなしの貯金をはたいて、小瓶に詰められた乾燥麹を買った。一見、さらさらとした白い粉だが、コイツにはものすごい可能性が秘められている。

(さっそく計画を立てなきゃな)

食品衛生法もハサップも無く、法で守られていない、完全自己責任の世界。しかし俺には、食中毒や細菌、食品衛生に関する知識がある。できる限り安全で、かつ成功できる方法を探さなければ。
任務の合間を縫って、計画を書き起こす。色んな人のおかげで、どうにか作れるめどが立った。
さて、明日から味噌作り……のための麹作りだ。大変なのは承知している。でも俺は、俺のために味噌を、そして味噌汁を何としてでも作るんだ!

いきいきイナホ麹の作り方
【材料】
・いきいきイナホ
・水

まずは稲麹作り。脱穀したいきいきイナホ……つまり米を洗って水に漬けておく。
翌日。水をよく切り、せいろで米を蒸す。蒸し終えた米は布巾に広げて冷ます。あまり熱いと麹菌が死んでしまうからだ。人肌程度に冷めたら購入した種麹を振りかけ、手早く混ぜて全体に行き渡らせる。麹菌は熱いと死滅するが、寒くても増殖が遅れる。なるべく冷まさないようにするのが吉。麹を混ぜた蒸し米をサラシで包んだら大体30~40度程度の温かく湿った場所に置いておく。現代ならば一般家庭でも簡単にその状況を作れるが、ここはヒスイ地方。寒冷で、一般家庭には電気もガスも普及していない。しかし、俺は最適な場所を既に押さえていた。

「博士~!お邪魔しま〜す! 例のもの置かせてく~ださい!」
「おお! 前に言っていた『コウジ』ですね! どうぞどうぞ」

調査団本部は当時の最新技術である電気を導入している。そして、南国のアローラ出身のラベン博士は寒がりで、年がら年中コタツを出している。これが目的だった。不便をかけてしまうが、ラベン博士にお願いしたらあっさり協力してくれた。その代わり、コタツを使わせてもらっている間は助手として働く約束だ。
事前に医療隊から借りておいた体温計を米の中心部に刺し、湿ったサラシで床をぬらさないよう適当な容器に入れたものをコタツに入れさせてもらった。仕事の合間にサラシを取り替えて湿度を保つ。約2日、米の表面には麹が雪のようにびっしりと生えていた。そしてかすかな酒の香り。大成功だ。俺はホッと胸をなでおろす。

(とりあえず第一段階は計画通り、と……)

当然だが、麹ができなければ味噌は出来ない。決して安くなかった麹なだけに、これでも緊張してたんだよなあ。
さて明日からは味噌づくり。まだまだ気は抜けない。頑張るぞ。

いきいき米麹味噌
【材料】
・いきいき米麹
・ころころマメ
・ごりごりミネラル
・水

下ごしらえ。鞘から取り出したころころマメをたっぷりの水に一晩浸しておく。これは先日やっておいたので今日はここから。水を吸ってふっくらと膨らんだマメを、新しい水に替えて一刻半〜二刻(3~5時間)ほど茹でる。
茹でている間、米麹と、挽いたごりごりミネラルを木桶に広げてよく混ぜ合わせる。米麹は固まっていることがあるからしっかりほぐす。手のひらを擦り合わせるようにほぐすと、ぽろぽろと崩れ去って面白い。
マメが更にふわふわに膨らみ、軽くつまむだけで崩れるようになったら火を止め、煮汁を別の容器に少量とっておく。そしたらザルにあけて水を切り、熱いうちに米麹とは別の木桶に移し、すりこぎで潰す。熱いと麹菌が死んでしまうから必ず別の木桶で作業すること。しかし冷めるとマメが締まって潰しにくくなるので、手早く作業する。潰し終わったら粗熱を取る。麹と塩の仕込みが終わってない場合はこの待ち時間で作業する。
マメが冷めたら先ほど仕込んでおいた麹と塩を合わせ、均一に混ざるまでしっかり混ぜる。手応えの目安はハンバーグのたねくらい。少し固いようであれば取っておいた煮汁を足して柔らかくする。しっかり混ざったらハンバーグを作る時くらいの量を手に取り、ハンバーグのように両手でキャッチボールをするようにガスを抜いて、ハンバーグを焼く時みたいに味噌樽に並べる……基準がハンバーグばかりでゲシュタルト崩壊しそうだが、現代人のみんなに分かりやすい例えはハンバーグくらいしか思いつかなかった。しかし、ハンバーグを焼く時とは違い……いい加減ハンバーグやめよう……隙間なくしっかり詰めること。
詰め終わったら仕上げ。表面を平らにならして、樽の直径より一回り小さい落し蓋をする。その上に重石……今回は調査で捕獲したイシツブテを乗せておく。重石を載せる目的は大きく二つ。まずは空気に触れさせないため。触れてしまうとカビのもとになるからだ。二つ目は分離を防ぐため。密閉さえできていれば重石を乗せないでも味噌はできるが、熟成期間中に味噌内部に発生したガスが気泡となって固形物を押し上げてしまう。そうすると、上部に固形物・下部に水分と分離してしまい、発酵や味が偏ってしまう。簡単に言うとまずくなる。重石の重さも重要で(授業でも「重」の字が多くて字面が面白かった)、重すぎると今度は上部に水分、下部に固形物と上下が逆転して分離してしまう。丁度よい重さのイシツブテを捕まえるべく、任務を頑張ったものだ。
これで、あとは待つのみ。数ヶ月に1回混ぜておくと、麹が全体に混ざり、より美味しくなる、のだが……

(まだスタートラインにも立ってないのか……)

ここから数か月経って、ようやく味噌ができて、味噌汁が作れる。道のりの遠さにめまいがした。

(とりあえず道具は洗わないとな……)

使った道具を洗い終え、戸を開けると外は夕暮れ。一日中、湯気の立つ熱い豆を相手にしていたので、立秋の、湿気の少ないひんやりした風が心地よい。湯気でじめじめした部屋の換気もかねて、戸を開けっぱなしにして道具を干すことにした。ついでに土間に置いた味噌樽の上に居るイシツブテの様子も見えるしな。ウトウトと微睡んでいて、気に入ってくれているようで何より。彼を眺めながらソノオ通りに面したひさしの下に道具を並べていると、聞き覚えのある、しかし、緊張の走る相手の声がした。

「おい、お前」
「セ、セキさん!」

俺は急いで声の方向に体を向けて片膝をつき、目線を下げる。ギンガ団に入団して最初に教わった、目上の人に敬意を表す体勢だ。
セキ。誰もが知るコンゴウ団のリーダー。コンゴウ団は時間を司るシンオウさまを崇めているヒスイ地方の先住民族。紅蓮の湿地に集落を構えている。その長であるセキは、ヒスイ新参者のギンガ団としては頭の上がらない相手である。それにも関わらず、彼はギンガ団を対等に扱ってくれている。とにかく、とてもいい人だ。

(しかし、なんでこんな所に……?)

まさか、捕獲したイシツブテが特別な個体だったのだろうか。心臓をバクバクさせながら次の言葉を待っていると、セキが口を開いた。

「たル から はナれろ」
「!?」

思わず目線を上げてセキの顔を見た。セキは宙をぼんやりと見つめたまま、同じ言葉を繰り返している。まるで何者かに操られているかのようだ。おずおずと立ち上がって、言われた通りに樽から離れると、味噌樽がみるみるうちに劣化していく。まるで、樽だけ時間が進んでいるように。
一瞬の間に味噌樽から良い香りが漂ってきた。樽の劣化が止まり、セキが再び口を開く。

「ワレ うマい ミソしる ショもウすル。ワレ オトずレる そのとキまデ うで あげテおケ」
「は、はい!」

気を付けの姿勢で返事をすると、パチンとセキの目に光が宿った。

「あれ? オレ、どうしてこんなところに?」

セキはきょろきょろと辺りを見回した。それから、理解が追い付かずきょとんと突っ立っていた俺に声をかけてきた。

「よお、テルじゃねえか。なあ、オレ、何か言ってなかったか? どうしてここにいるのか、さっぱり思い出せねえのよ」

セキは何も覚えていないようだ。ということは、さっきまでのセキは何者かに操られていた……? 俺は一つの可能性に至る。

(もしかして、ディアルガ……?)

コンゴウ団の崇めるシンオウさま、ディアルガ。時間を司る神とされているポケモンと言われている。そいつならば時を進めることが出来ても不思議ではない。この世界の神様はどうやら随分と庶民的なものがお好みなようで。俺は軽く口角を上げた。

「……きっと、シンオウさまのお導きですよ」
「そうか……。ま、不思議なこともあるもんだな」

セキはスンスン、と鼻を鳴らして言った。

「ところで、さっきから何やらそそる匂いがするが……その樽か?」
「はい。『味噌』と言います。今日はもう遅いですし、よろしければ泊まっていかれませんか? この味噌を使った料理をご馳走します」
「そりゃ助かる。恩に着るぜ」

セキを家に上げて適当に座らせると、味噌樽の上のイシツブテにどいてもらった。味噌が熟成される間も、ずっと微動だにせず、重石としての役目を果たしてくれたイシツブテ。こころなしか逞しくなったように見える。あとで労ってあげないと。

(さて、と……)

落ち着いて構えているように見えるセキだが、見慣れない『味噌』の存在にソワソワしているのが手に取るようにわかる。俺自身も一刻も早く味噌の出来栄えを確かめたい。ならば、素材の味そのままに食ってしまおう。

スナハマダイコンスティック
【材料】
・スナハマダイコン
・味噌

スナハマダイコンをよく洗う。皮をむいたら長さ二寸(約6cm)程度の拍子木切りにする。味噌を小皿に盛る。……以上! 一族の長に出すにはあまりにも質素すぎる料理だが、味噌そのものの旨さを知ってもらうにはこれが一番だ。

「まずは味噌の味を知っていただこうと思います。この皮をむいたダイコンを、このように味噌につけて食べてください」

俺はそう言って、味噌をつけたダイコンスティックを口に放り込んでみせた。新鮮なダイコンはシャクっと良い音を立てて俺の口に吸い込まれる。ダイコンのぴりりとした辛みとたっぷりとした水分、その後のほのかな甘みが、塩辛い味噌とよく合う。ゴクリと飲み込むとみずみずしいダイコンが喉を潤し、豆の後味とコクがしっかりと主張してきてとにかく旨い。苦労して味噌を作った甲斐があったというものだ。

「旨っ! なんというか……。とんでもなく旨いな!」

セキも次々とダイコンスティックを口に放り込んでいる。やはり誰かのために作るというのは、やりがいがあるものだ。俺はスッと立ち上がり、セキに微笑んだ。

「お褒めにあずかり光栄です。では今度こそちゃんとしたものを作ります。どうぞ楽にして待っててください」
「いやいや。泊まらせてもらう上に、こんな旨いもの食わせてもらって、何もしない訳にはいかねえよ。オレにできることで何か手伝わせてくれや」

そう言ってセキも立ち上がり、腕まくりをした。やる気満々なセキを断るのも気が引ける。ありがたく手伝ってもらうことにした。

ラッキー卵の味噌雑炊
【材料】
麹味噌
冷やイナホ(炊いたもの)
ネコブのみ
ラッキーの卵

クスリソウ(お好みで)

ネコブのみの先端と根元を切り落とす。水とネコブを鍋に入れ、囲炉裏にかけて出汁を取る。出汁を取り終わった実は渋みが出るのですぐ取り除くこと。
出汁が沸騰したら、冷めた炊きイナホ……つまり冷や飯……を入れる。米は炊いた当日は美味しく食べられるのだが、翌日になると締まって固くなり、水分も飛んでしまうのは現代と同じだ。冷凍の概念がないこの時代、翌日の米は粥や茶漬けにするのが一般的だ。
この間にラッキーの卵を椀に割り入れて溶いておく。この時代、ラッキーの卵は貴重品だが、今回はお客がいるので奮発して入れてしまおう。
再度煮立ったら溶き卵を回し入れて軽くかき混ぜる。鍋を火から下げて、お玉を使って味噌を溶かす。沸騰させてしまうと味噌の風味が飛んでしまうので火から下げて作業する。
味噌が全体に馴染んだら、お好みで小口切りにしたクスリソウを薬味に乗せて完成。

「いただきまーす!」

囲炉裏を囲んで、それぞれの椀に雑炊をよそって、ぱちんと両手を合わせる。匙を使い、はふりと頬張ると穏やかなネコブの出汁とまろやかな味噌が、米の本来の甘みを引き出してくれる。卵もふんわりと全体を包み込んで調和を乱さない。シャキッとしたクスリソウも苦みが程よいアクセントになって食欲を引き立てる。立秋も過ぎ、朝晩は冷えるこの時期、雑炊の温かさが染み渡る。
俺もセキもしばらく無言で食べ続けた。残り一杯ずつとなった時、セキが口を開いた。

「すごいな。さすがクラフトの達人よ」
「いえ。セキさんの協力があったからですよ。とても助かりました」

セキには卵を溶いてもらったり、クスリソウを切ってもらったりしたのだが、手早く綺麗に作業してくれて予定よりかなり早く完成した。この人、笛以外だったら何でもできるんじゃないか?

翌朝。俺が目を覚ます前に、セキは居なくなっていた。セキに貸した掛け布団が自分に掛かっている。敷き布団は丁寧に畳まれ、その傍に「親切、痛み入る。粗品だが貰ってくれ」との書き置き。そしてリーフィアを思わせる唐草模様の風呂敷。中にはクチバニンジン(ヒスイでは滅多に採れない貴重品)が二本と、タマゼンマイの若芽(春先にしか採れない。今は秋口。つまり貴重品)を干したものが一束、包まれていた。大層な品すぎるが、返すにも返せないので頂くことにした。

出勤すると、デンボク団長が「セキ殿より『今後、コンゴウ団に対してかしこまる必要はない』との達しがあった」と仰った。前々から言われていたらしいが、今回、随分と強く言われたらしい。なるほど。セキは昨日、そのために来ていたのか。俺が気まずくならないよう『何の為に来たのか分からない』なんて嘘までついて、本当にキザな男だ。

思わぬ贈り物に思わぬ報せ。家では旨い味噌が待っている。空も雲ひとつない快晴。今日は良い日になりそうだ。俺は上機嫌で任務に出かけたが……

「あっづ……」

昼下がり。黒曜の原野での任務を終えた俺は炎天下のソノオ通りをヨロヨロと歩いていた。酷い暑さだ。風もなく、ジリジリと照りつける太陽は真夏のそれ。雲ひとつない空が恨めしい。隊服は汗でびしょびしょ。残暑が厳しいざんしょ……なんてダジャレで寒くなれたら良かったのだけど。後で井戸水で冷やした木の実を丸かじりにしよう。

(定番はモモンだけど……パイルに、ベリブもアリだな……)

甘くひんやりした新鮮な木の実が脳内をダンス。歯を立てればぷちっと弾ける薄皮と口いっぱいに広がる甘い果汁……。辛みのある木の実であれば、冷たくも辛い果汁が発汗を促し、水浴びが最高に気持ち良い。俺は全く集中していない状態で、医療隊室の扉を開けてしまった。

「すみませーん。調査隊のテルです。体温計を返しに来ましたー」
「しーッ!」

寝台の横に座っていたキネさんがキッと睨みを効かせて人差し指を口に当てる。俺は「しまった」と口を手で塞ぐ。キネはついたての裏にいる人物に声をかけると、こちらに来て小声で言った。

「……ごめんなさい。今、具合の悪い方がいて手が離せないの。体温計は引き出しに入れておいてくださる?」
「はい……。すみません」

そうだ、これだけ暑いのだから、体調を崩す者や怪我をする者がいてもおかしくない。迂闊だった。なるべく物音を立てないように引き出しを開け、体温計を返す。踵を返し、帰ろうとした時、ついたての裏にいる人物が見えてしまった。

「カイさん!?」
「ん……? ああ。調査隊の者か……」

キネに再びにらみつけられて俺は視線を逸らす。
ついたての裏にいたのはシンジュ団の団長、カイ。シンジュ団も、コンゴウ団と同じくヒスイの先住民族。カイはその長ということで、セキと同じく頭の上がらない相手である。
しかし、その彼女は血の気のない顔で医療隊の寝台に腰掛けている。その傍らでは彼女の相棒のグレイシアが心配そうに寄り添っている。俺はキネにそっと尋ね……たいが二度も機嫌を損ねたのでさすがに訊きにくい。キネとは視線を合わせないようにして、カイの足元に膝をついた。

「カイさん、大丈夫ですか……? ずいぶん顔色が悪いようですが……」
「大事ない。黒曜の原野で暑さにやられてしまって、ギンガ団に助けられたのだ。まったく、一団の長ともあろう者が、情けない話だ……」

カイが答えた。そして、カイは小さく呻いて頭を押さえた。グレイシアが短く鳴き、自身の冷気で冷やそうとした。本人は大したことないと言っているが、様子や症状、そして今日の気候から考えられるのは……

(熱中症……)

熱中症は適切な処置をしないと命に関わるのは現代人なら知っての通り。冷やすのももちろん大切だが、肝心なのはミネラルの補給である。ましてやシンジュ団は北方の純白の凍土に集落がある。日中は残暑の厳しいこの時期、日陰の少ない黒曜の原野で熱中症にかかってもおかしくない。
俺は顔を上げ、努めて明るい声色で言った。

「カイさん。今日の天候では、この辺に住まう者でも油断すれば暑さにやられてしまいます。ましてや、カイさんは慣れない土地での長旅でお疲れでしょう。今、楽になるお飲み物を作ります」

番外編。熱中症に効く飲み物を作ろう。

甘塩ノメル水
【材料】
・水
・きらきらミツ もしくは 各種アメ
・ごりごりミネラル
・ノメルのみの絞り汁

作り方は簡単。水筒にきらきらミツ(もしくはアメ類)、挽いたごりごりミネラル、ノメルの絞り汁、水を入れる。アメ類はあらかじめ砕いておくと溶けやすい。入れたら後はひたすら振る! 全部溶けたら完成だ。

湯のみに入れて味見。甘さは控えめで塩気が強いけど、前世のスポーツドリンクに似ていて美味しい。とは言え、かなり塩気が多く、がぶがぶとは飲みにくいが……

「カイさん。これを」

別の湯のみに作ったノメル水を注ぎ、カイに手渡す。俺の味見を見ていたので、毒が入っていないことも分かったのだろう。あっさりと受け取って、湯のみに口をつけてくれた。一口、ごくりと喉を鳴らして目を見開いた。

「これは……不思議な味だな。しかし、とても飲みやすい……」

通常時ならば塩気が強く飲みにくいそれを、カイはあっという間に飲み干してしまった。やはり熱中症にかかっていたとみて間違いなさそうだ。カイに促されるままお代わりを注ぎ続け、水筒が空になった頃、ちょうどカイも落ち着いたようだった。だいぶ顔色が良くなっている。
カイが湯のみをそっと置いて寝台から立ち上がろうとしたので、俺は膝をつこうと咄嗟に足を引いた。しかし、カイはしゃがもうとする俺を手で制し、軽くうなずいた。その口角は少し上がっているように見える。

「もう大丈夫だ。かなり楽になった。心から感謝する。どうか、これを貰ってくれ」

そう言ってカイが差し出したのは……オスのイダイトウ。それも丸々一尾。既に死んでいるものだが、鱗はぴかぴかで目も澄んでいる。

「本来は店に卸すつもりだった品だ。質は保証する。お前なら上手く使えるだろう」

それから、カイはキネを初めとする医療隊の隊員にも礼を言い、グレイシアを連れて颯爽と去っていった。
さて。とんでもないものを頂いてしまったぞ。冷蔵のない時代、しかも残暑の厳しいこの季節。丸々と太ったイダイトウ一尾なんて、俺一人じゃ食べきれない。

(相談しに行こう……)

ちなみにこれは後日談だが、この翌日、デンボク団長から「カイ殿からも『今後、シンジュ団に対してかしこまる必要はない』との達しがあった」と聞くことになる。こちらも前々から言われていたらしいが、今回、随分と強く言われたらしい。なるほど。カイも店に品物を卸すついでに、そのことを言いに来ていたのか。イダイトウ一尾を卸すためだけに来るなんて妙だと思っていたから納得だ。

……話は現在に戻して。
そう。今の問題はそのイダイトウ。俺は医療隊の部屋を出て、本部を出て、すぐ向かいにある建物に転がり込んだ。

「ムーベーさー--ん! これ、どうしましょう~~~!!」

イモヅル亭の店主、ムベさん。味噌作り計画の影の功労者。道具や作業場を貸してくれたり、助言をしてくれたり、作業中に飯を作ってくれたり、本当にお世話になった。俺はこの店以外のイモモチを食わないと心に決めている。
店の中に上がらせてもらい、俺が事の経緯を説明すると、ムベさんは愉快そうに笑った。

「は、は、は。まるでわらしべ長者のような話じゃな」
「笑い事じゃないですよ。今の時期、昼間は暑いです。腐ってしまいます!」

俺が眉をひそめると、ムベさんは訳ありげにうなずいた。

「まあまあ。わしも商売人のはしくれよ。任せておきなさい。お前さんは魚の下ごしらえでもしておくんじゃな。ただし、アラは残しておきなさい」

そう言うと、ムベさんは俺とイダイトウを残してどこかへ行ってしまった。この間にも刻一刻と鮮度は落ちている。仕方ない。台所を借りてイダイトウの処理だけでもしてしまおう。

魚の捌き方『イダイトウ』

まずは尾から頭の向きに包丁の刃先を滑らせ、鱗と魂部分をそぎ落とす。鱗はともかく、魂はポケモンの技で消しておくことにする……何かあったら怖いし。手持ちのピカチュウにやらせたが、上手くいかない。見るに見かねて手を出してきたムベさんのムウマージの方が綺麗に消してくれた。やはり霊体だけあって、ゴーストタイプの方が相性が良いのかもしれない。
次は腹を開いて内蔵と血合いを取り出す……のだが、ゴーストタイプを併せ持つイダイトウにはほとんど内蔵が無かった。血合いに至っては完全にゼロ。身の色からしてイダイトウには血がないようだ。それなのに生物として存在し、こうやって頂くことができるとは……。改めてポケモンの不思議さを思い知らされる。しかし、これは朗報だった。この程度なら後で自宅の裏に埋めてしまえばいい。現代であればダストダスやマルノームなど、細菌だらけの生ゴミも消化できるポケモンに頼むのだが、ヒスイにはそんなポケモンが……

「んずず?」

……いた。頑丈な消化器官を持つ大食らい、ゴンベ。というかこれ、ヨネさんのところのゴンベじゃないか? しかし、辺りにヨネさんの姿は見当たらない。飯の気配を察知して一匹で来たのだろうか。古紙に棄ててある内蔵を物欲しそうにじーっと見つめている。……ゴミなのになんだか捨てるのが忍びなくなってきた。根負けして古紙を持ち上げると、蓋付きゴミ箱のようにパカっと口を開けて生ゴミが放り込まれるのを待っている。おやつにもならない量の生ゴミはあっという間に胃袋に消えていった。そして名残惜しそうに俺を見つめてくる。しかし頭や中骨はムベさんの言いつけがあるので捨てられない。これ以上くれないと悟ると、ゴンベはどこかへ去っていった。判断が早い。そしてヨネさん、しっかり見張っててくれ。

さて、話を戻そう。内臓をとった腹の内側をよく洗い水気を拭き取る。頭を左向きにして胸ビレを立て、胸ビレが頭側につくように斜めに包丁を入れて、中骨を断ち切って頭を落とす。この時のコツはとにかく躊躇しないこと。少しでも躊躇うと切り口がギザギザになって身が崩れる元となる。
頭を落としたら力仕事は終わり。ここからは繊細さが求められる。と言っても、なるべく中骨に身が残らないよう慎重に身をおろすだけ。……色々あるんだけど俺にそれを説明する語彙力はない。現代のみんなは各自で解説動画でも見てくれ。

下処理を終え、外で凝った背中と腰を伸ばしていると、ムベさんがゆったりと戻ってきた。

「ほれ。これで人も来るじゃろう」
「ありがとうございます……。で、何を作れば……?」

ムベさんは居住まいを正して、コトブキムラの南方の門……の向こう、始まりの浜に視線をやった。コトブキの民が船でやって来て、最初に降り立ったとされる砂浜だ。

「コトブキムラは海が近い。海の向こうから来たばかりの我らは、魚を獲って暮らしていたものじゃ。……若いそなたは知らんじゃろうが」

初耳だった。ゲーム本編では触れられない、コトブキムラの些末な歴史。俺の反応を楽しむように、ムベさんはニヤリと笑って言った。

「その時のクラフトレシピ、ワシが教えちゃる」

黎明のコトブキ汁
【材料】
・味噌
・スナハマダイコン
・クチバニンジン
・ケムリイモ
・もちもちキノコ
・タマゼンマイの若芽
・ネコブのみ
・水
・イダイトウ
・ごりごりミネラル(分量外)

まずは下準備。お馴染みのネコブ出汁を取る。これはムベさんが済ませておいてくれた。次に三枚おろしにしたイダイトウの身に、挽いたごりごりミネラルを振っておく。こうすることで臭みが取れる。出汁を取ったものとは別の鍋に湯をわかしてアラ(頭や中骨)を入れ、サッと茹でたら、取り出して水に漬け、取り切れなかったウロコや血合いなどを取り除く。これも臭み取りの工程。これでようやく準備完了。
まず、ダイコンとニンジン、ケムリイモ、キノコを食べやすい大きさに切る。タマゼンマイも食べにくいと思えば料理ハサミで切る。
次に、ミネラルを振っておいた身の水気を拭き取り、一口大に切る。湯通ししたアラと切った身、ダイコン、ニンジンをネコブの出汁で煮る。身とアラから良い出汁が出て、それを根菜に吸い込ませるのだ。
煮立ったら、ケムリイモ、キノコ、タマゼンマイを入れて、アクを取りながらケムリイモが柔らかくなるまで煮る。
イモがやわらかくなったら、お玉を使って味噌を溶き入れて完成。

いつの間にかイモヅル亭の前は人波でごった返していた。見覚えのあるコンゴウ団やシンジュ団の顔ぶれもちらほら。偶然ムラを訪れており、噂を聞いてやって来たのだろう。その中には、ゴンベを連れたヨネもいた。

「まずはお前さんがお食べよ」

ムベさんは店の机で紙に何かを書きながら俺に言った。確かに。不味かったらムベさんの評判をも落としかねない。店の椀を借り、お玉1杯分の汁をよそって啜る。

(うまい!)

ネコブの出汁はもちろん、イダイトウの出汁がしっかりと出ている。身も臭みがなく、口に入れるとほろほろ崩れ、何より脂が乗っていて旨い。ゴロゴロ入っている具材も旨い。ダイコンは味が染みて、イモはほくほく、キノコはもちもちで噛むたびに汁がじゅわっと染み出てくる。頂き物のニンジンも柔らかく、そしてアメのように甘い。干したタマゼンマイの若芽も汁をたっぷりと吸って戻り、クセのない味が汁の旨味を邪魔しない。乾物特有のぎゅむぎゅむとした食感も良いアクセントだ。

俺が舌鼓を打っていると、ムベさんが書き終えた何かを店先に貼り付けていた。ちらりと見えたその紙にはこう書いてあった。

『早い者勝ち 売切れ御免
ムベ直伝 調査隊員が作ったコトブキ汁 一杯三百円
お椀をお持ちくださった方は一杯二百円で提供します』

それから俺の特等席である屋外席に、帳簿など会計に必要な道具一式を並べた。いよいよだと察したギャラリーは、それとなく列を作り、発売を今か今かと待っている。俺は急いで使った椀を洗って食器拭きで拭いた後、棚からありったけの椀を取り出して作業台に並べた。お盆の場所も確認済み。ムベさんに合図を送ると、てんてこ舞いの忙しさが始まった。この一番暑い時間帯によくもまあ人が来るものだ。ムベさんに感謝しなくちゃ。しかし、暑い中、洗い物やゴミの処理などの雑務に追われながら火を見つつ盛り付けをして接客対応……さすがにこたえてくる。ぼーっとしながら洗い物をしていると誰かにポンポンと肩を叩かれた。

「大繁盛だね。旨かったよ」

声をかけてきたのはコンゴウ団の一員、ヨネだった。完全に油断していたのと、疲れで言葉が出てこない。ヨネはさらに言葉を続けた。

「さっきはゴンベが世話になったみたいだね。ありがとう。その礼と言っちゃあなんだが、良かったら、洗い物とかゴミの処理とかの下働きは任せてくれないか」
「そんな……」

コンゴウ団の方にそんなことさせられません、と言いかけて思いだす。これからはコンゴウ団にもシンジュ団にも片膝ついてかしこまる必要はないのだ。ヨネはじっと待っている。俺は深呼吸した後、肩の力を抜いて顔を綻ばせた。

「めちゃくちゃ助かります!!」
「よしきた! みんなー! 仕事あるってさー!」

みんな……?と思う間に、どやどやとシンジュ団、コンゴウ団入り混じった女衆がやってきた。全体でざっと十人ほどか。ヨネを中心に、てきぱきと作業を分担していく。戸惑う俺に、ヨネがこっそり耳打ちしてきた。

「礼は要らないよ。みんな、旨いもん食わせてもらった礼と、長を助けてもらった礼だとさ」

俺は盛り付けと接客に専念させてもらえることになった。余裕が出てきたおかげでお客さんの笑顔が見えた。

(そうだ。俺は、俺の作ったもので、誰かが笑顔になってくれるのが好きなんだ)

この世界において『料理』は『クラフト』に内包されるものである。モンスターボールなどの必需品のクラフトも良いが、やはり誰かのために作るというのは張り合いがある。

夕方になり、汁は完売。お客さんもほとんど帰ってひと段落。助っ人の方々に終了の旨を伝えて回っていると、ヨネが川べりで何かの作業をしているのが見えた。ちょうどよかった。俺は小走りに駆け寄って声をかける。

「ヨネさん。作業中すみません。もう上がっていただいて結構ですよ」
「分かった。これが終わったらすぐ帰る」

ヨネはイダイトウのアラを洗っていた。……ダジャレじゃなくて本当に。洗い終わったホネはどれもピカピカで、夕陽を浴びてオレンジがかった乳白色に輝いている。何だろう。食べ終わった後のホネなんだから洗う必要ないのに。

「これは……何を?」
「骨を水送りにするのさ。そうすると、このポケモンはまた戻ってきて、私たちを生かしてくださる」

中学の歴史の授業で習った覚えがある。シンオウ昔ばなしの一つだ。

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ

勉強は苦手だったので正確な本文は覚えていないが「『命をいただく』という考えがあった」ということは先生がしつこく言っていた。

(命……)

俺を襲ったポケモンも、腹を空かせていたのだろうか。今ごろ、俺の命が、あのポケモンの命を繋いでいるのだろうか。……川の流れに送ったホネと帰路につくヨネを見送って、そう思った。



それから約半年。立春間近、時空の裂け目から雷が下り、一人の少女が落ちてきた。シナリオ通りにギンガ団に入団し、調査隊員として働くことになる。ゆるゆると月日が流れて、後輩もだいぶ頼もしくなってきたと思っていたある日の夜。翌日の調査に必要なクラフト材料の買い忘れに気づいて慌てて家を出た時だった。

家の前で、彼女が、泣いてるのを見てしまった。

無理もない。シマボシ隊長は十五と判断したが、俺と同じ時代から来たとしたら十歳かそこらだろう。家が恋しくなるのも仕方ない。でもさ、泣いてくれるなよ。見てるこっちがつらいじゃんか。

(あ、そうだ)

俺にはあるじゃないか。とっておきが。
この際、クラフト材料はどうでもいい。俺はそっと家に戻り、すっかり手慣れた作業を始めた。

始まりの味噌汁
【材料】
・味噌
・だし汁
(詳細な材料、調理工程は非公開)

小皿にとって味見。うん。同じ味だ。今までだったら、誰かにこの味噌汁を振舞うことはなかった。でも、思い出してしまったんだ。自分の作ったもので、誰かの笑顔を作る喜びを。
だから……。

「寝れないのか?」

俺はあえて大きな音を立てて戸を開け、何気ない調子でお隣さんに声をかけた。後輩は俺に気づいて腕で涙をぐしぐしと拭いて、不自然な作り笑顔を向けてきた。何かを言おうとしたが、声を発する前に俺が口を開く。

「いやー、クラフトに夢中になってて気づいたらこんな時間になっててさ。一緒にあったかい夜食でも食おうぜ。こんな夜ふけに外いたら風邪ひくぞ」

言ってから気づいた。初夏の夜って風邪を引くような気温じゃないよな。それにめちゃくちゃ早口だったし……。うるさいな。ヘタレとか言うんじゃねえ。前世はバイトと学校で忙しくてそれどころじゃなかったんだって。……今もだけど。

彼女を家に上げ、椀に味噌汁をよそり彼女に差し出す。ついでに、家にあったにばいづけと白米も。……なんか張り切りすぎって思われてるかな。い、いや、余りもの出しただけなんだし、大丈夫だって……。

「ごっ、ごめんな。余りものばかりで。多かったら、残していいからさ」
「いえ。……頂きます」

テンパる俺に対して、落ち着いて両手を合わせる後輩。……落ち着いてと言うより沈んでいると言った方が正しいのか。
待てよ。ここまで勢いで来てしまったが、そもそも彼女は味噌汁が好きなのか?好き嫌いとか無いよな?万人受けする具材しか入れてないけど、好みばかりは分からないし……。いや待て。俺の料理自体、口に合うのか?もしかしたら今までのも俺が一方的に料理上手いと思ってただけで、本当はさほど上手くなかったりして……。

「おいしい……! ほっとする味がします!」

後輩はタガが外れたように味噌汁と白米をかき込んだ。さっきまでの遠慮はどこへやら。後輩の輝く瞳を見て、思い出してよかったと心から思った。

「食べないんですか? 冷めちゃいますよ」
「あっ。ああ。食べるよ」

正直、目の前の笑顔だけで腹いっぱいだったが、明日も任務はある。しっかり食べなきゃ。椀に箸を突っ込んでかき込むが、あんなに大好きだった味噌汁の味がよく分からない。ふわふわした高揚感と胸の高鳴りで、どうにかなってしまいそうだ。
……なあ。しっかり食って、ちゃんと生きろよ。生き延びろよ。それで、全てが落ち着いたらさ……いや。やっぱり何でもないや。

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