冷たくて、温かい

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作者:あしゃまん
読了時間目安:29分
 キザリくん! キザリくんはいますか?
 あ、はい、僕ですけど。
 こ、こっちに来てください!
 なんですか……?

 レアムさんが……君のお母さんが、行方不明になりました。

*****

 その日はなんてことない一日だった。
「それじゃ、今日もお互い頑張ろうね、キザリ」
「うん」
 ジムへ向かう母を見送り、白い髪を整え、キザリは高校へと向かう。いつものように吹雪く街を、ひとりで。
 学校に到着して、席に着く。荷物を整理していると、現れたクラスメイトのバルディが隣の席にどかんと荷物を置いて、キザリに声をかける。
「よっす」
「ああ、どうも」
 バルディは「しっかし外と中で温度差エグイよなぁ」と愚痴りながらキザリの隣の席に座った。
「いい加減慣れろよ」
「お前は小さい頃から住んでるのかもしれないけど、俺はそうじゃないんだよ、うー暑い」
 三枚の上着を脱ぐと中から半袖が飛び出してくる。高校からこの街にやってきた彼なりの温度管理といったところだろう。
「そんなこと言ってたら、お前の相棒グレイシアだろ? バトルとかどうするんだよ」
 キザリのツッコミに、バルディはノリノリで返す。
「お、バトルに興味持ってくれた?」
「いや、別に……」
「相変わらずかぁ。ジムリーダーの息子がバトル部に入ってくれたら絶対強いんだけどなぁ」
「そんなことないよ、自分のポケモンも持ったことないんだぞ」
「まあいいや、俺ももうあきらめたからさ。で、グレイシアとの温度管理だけど……うちの部室は0度ぐらいに保ってる」
「外と比べれば、まああったかいな」
「でも温度差でカゼ引くってこともないぐらいの温度だ。まあ、寒いけど……」
「いつかはジム巡りしたいってんなら、うちのジムを突破するにはそれで寒いって弱音吐いてる場合じゃないぞ」
「わかってるさ。だから今から慣れてかないとな」
「あんまり寒さばかりに慣れてるとほのおタイプのジムで詰みそうだけど」
「うっ……」
 そんな会話をしているうちに、授業が始まる。それからありきたりな一日が始まった。昼ご飯を雑談しながら食べて、昼休みは図書室へ向かって本を読み、そして教室に戻る。そんなタイミングのことだった。

「母さんが……行方不明?」
 職員室に連れてこられたキザリを待っていたのは、意味不明な単語の羅列だった。混乱する頭に鞭打って、どうにか伝えられた情報を整理する。
 病院に、トレーナーを連れた母さんのサンドパンが現れた。それから遅れて、キュウコンだけが自分のモンスターボールを携えて帰ってきた。母さんはまだ、帰ってきていないらしい。警察やジムトレーナーが今必死に探している、らしい。脳内で、そうやって言語化する。
「……そのトレーナーを、助けたんですかね」
「ああ。ジムリーダーとしての責務を果たしたのだと思う」
 レアムの相棒ポケモンは、リージョンフォームのキュウコンとサンドパンの2匹だ。サンドパンが子どもを助けたのなら、自分はキュウコンと一緒に生還の道を探るはず。それを放棄してキュウコンを帰した……ということは。
「きっと、駄目ですね」
「そ、そんなことないよ、レアムさんは強いじゃないか」
「だからこそ、キュウコンを帰す訳がない。可能性が残っているのなら」
 キザリの言葉に先生は黙り込んでしまった。
「……覚悟はしておきます」

 それからどうなったのか、覚えていない。気づいた時には家でひとり、降りしきる雪を眺めていた。ドアのノックで現実に戻される。ドアを開くと、キュウコンとサンドパン、それからジムトレーナーで一番若い人がいた。
「えっと……」
「ジムトレーナーのユキです」
「ユキさん。それから……お帰り、2匹とも」
 2匹は悲しげな鳴き声を上げる。その声を聞いて、キザリは確信した。無事に母と再開できる可能性は、ほぼゼロに等しい、という事実を。
「……とりあえず、ご飯を食べよう。きっと疲れただろう? 何をするにしても、ご飯は食べろって、母さんなら言うはずだから」
 母さんがポケモン用に取り寄せてあるこおりポケモン向けのポケモンフーズを2匹に振る舞うと、キザリはジムトレーナーにお礼を言った。
「2匹を連れてきてくれてありがとうございます」
「ううん、あたし、何にもできなくて……」
 この寒いのにミニスカートの姿勢を崩さない彼女は、普段の明るい姿とは似ても似つかない表情をしていた。
「みんな、レアムさんを探しに行ってるのに、あたしは……」
 そう言いかけて、ハッとキザリの方を向く。
「ううん、なんでもないの。ごめんね。あの、料理とか作ろうか?」
「いや、僕ができるんで大丈夫です。あの、母から何か伝言とかないですか?」
「え?」
「ジムトレーナーの皆さんなら、もしかしたら私に何かあった時みたいな伝言を任されてないかなって」
「……その時は、息子のことをよろしくね、とは。でもまさか、こんなことになるなんて……」
「……ありがとうございます」
 気まずい沈黙の中で、ユキは言った。
「とりあえず、私はジムまで戻るね。キザリくんは……?」
「なんか、ご飯作って食べます。それからのことは……2匹と相談します」
 ユキは頷いて、気まずそうに家を立ち去っていった。後に残されたキザリと2匹のこおりポケモンは、互いに見合わせた。
「きっと、母さんはもう……」
 キュウコンに問いかけると、彼女はその青い目を伏せた。サンドパンが苛立ちの声をあげ爪を振り、キザリはごめんと謝る。
「そうだよね、僕よりも母さんとずっと一緒にいるんだもんね。辛いなんて、そんなこと言ってられないよ」
 僕は頬を張る。
「まずはゆっくり休もう。2匹は冷凍室だったよね」
 キュウコンは長い頭のひらひらをはためかせ、サンドパンは背中の氷を少し柔らかくして、頷いた。
「僕もしっかり休むよ」
 こおりポケモンが寝るための外気温がそのまま感じられる部屋、通称冷凍室に向かう2匹の背中にそうキザリは小さく呟いた。

 適当なご飯を作って食べていると、冷凍室から何かしらの戦いの音が聞こえた。
「キュウコン、サンドパン! どうしたの?!」
 慌てて冷凍室に向かうと、2匹が何やら言い争いをしていた。ポケモンの言葉を解さないキザリの言葉に、それでも2匹は気付いた。サンドパンが怒りの声をあげ、キュウコンが悲しそうな声をあげる。
「ねえ、サンドパン。どうして怒ってるの」
 そう問いかけてはみるけれど、今まであまりポケモンと接してこなかったのがたたって、まったく気持ちがわからない。
「とりあえず、一旦ボールに戻って頭を冷やして」
 キュウコンが持ってきてくれたという2匹のためのハイパーボール。どちらがどちらのボールであるかはボールに書き込んであった。
 サンドパンとキュウコンをボールに戻す。それから、スマホを取り出しバルディに連絡を取る。
「母さんのポケモン2匹がケンカして。気持ちがわからないんだけど、どうすればいいだろう」
 電話が帰ってきた。
「キザリ、大丈夫か?」
「うん、今のところ」
「そうか。……なんというか、だけど」
「とりあえず質問に答えてよ。ポケモンがケンカする原因に何か心当たりない?」
「それだけ聞いてもわからないな。なあ、今からその2匹連れて会えないか? グレイシアを間に挟めば、何かわかるかもしれない」
「グレイシアの言いたいことはわかるの?」
「ぼんやりぐらいだけどな。詳しい説明をしてくれてもわからないと思う」
「だったら意味ないんじゃ」
「でもさ……お前らだけで解決できそうにないから連絡してきたんだろ。ポケモンの扱いならお前よりは俺の方が慣れてる。グレイシアがいてくれれば、俺も何か閃けるかもしれない」
「……そういうもんなの?」
「ポケモントレーナーってのは、そういうもんだ。ポケモンといれば何かがなんとかなる! ってな。だから、とりあえず俺のとこに連れてきてくれよ」
「わかった」

 2匹のボールを携えて、キザリはバルディの家まで向かった。
「こんばんは」
「うっす。それじゃあ……サンドパンとキュウコン、どっちかを貸してくれ」
「え?」
「ケンカしてるんなら、バトルで気持ちをぶつければいいんじゃないかなって」
 グレイシアも元気よく声をあげた。
「ポケモントレーナーも、ポケモンも、バトルを通して分かり合うって部分があるんじゃないかなと思ってさ。グレイシアと一緒に考えたんだ」
「まあ、信じてみるよ」
「相性だけ見るとキュウコンが圧倒的に不利だから、2匹がそれでいいっていうなら、俺がキュウコンでバトルしようと思う。お前はビギナーだからな」
「わかった」
 2匹をボールから出して、キザリは問いかける。
「聞いてた? 2匹とも、それで大丈夫?」
 2匹は頷いた。
「決まり。どんな技を覚えてるんだ?」
「えっと……つららおとし、アイアンヘッド、いわなだれ、つるぎのまい……のまま変わってない?」
 サンドパンは頷く。キュウコンにも同じ確認をする。
「前はふぶき、オーロラベール、マジカルシャイン、あられ……だったよね」
 頷いた。
「オッケー。っていうかさすがジムリーダー、弱点タイプにも厳しいんだな……キュウコン先発でサンドパンだったよな?」
「基本的にはそうみたい」
「なかなか大変だぞこれ。壁貼ってからサンドパンが攻撃力をあげていろんな技で攻める……難関って言われてるだけあるな」
「さすがバトル部。でも今回は1対1だよ」
「別に今回は勝ち負けを付けることが目的じゃないからな。それでも、本気は出してもらうぜ、キュウコン。サンドパンも対戦よろしくな」
 2匹は頷いた。
「それじゃあ、ついてきてくれ」
 バルディの後ろに、ひとりと、グレイシアを交えた3匹はついて行く。そして、バトルもできる公園に辿り着いた。
「それじゃ、やるぜキザリ」
「わかった」
「アイアンヘッド!」
「ふぶきで雪に溶け込め!」
 キザリの指示を受けて、サンドパンはキュウコンの方へ向かう。しかし、その姿はキュウコンの起こした数多の雪に溶け込み、どこにも見えなくなってしまっていた。
「今のうちにオーロラベールだ! カチコチに守っていくぜ!」
「サンドパン、アイアンヘッドは4倍弱点だから見つければ勝てるはずだよ。頑張って!」
 サンドパンはイライラしたように雪をその爪でかき分ける。
「サンドパン、どうして怒ってたんだ? ぶつけてくれよ!」
 バルディがそう煽る。サンドパンは爪を振りかざして唸り声をあげた。
「キュウコン、マジカルシャインで牽制!」
 光が輝いた。
「右前方にいる! アイアンヘッド!」
 サンドパンは目を閉じながら、キザリの指示に従って突進する。キュウコンに直撃し、悲鳴が上がる。
「キュウコン、この怒りに触れても変えられない何かがあるんだろう? 耐えてみせるぞ!」
 怒りに触れても変えられない。そのフレーズで、少しのひらめきが下りてきそうだった。
「もう一度ふぶき! もっと姿をくらませ!」
「サンドパン、キュウコンの居場所は……ストップ! わかった!」
 キザリは大声をあげる。
「サンドパン、母さんの居場所を知りたいの?」
 サンドパンは頷いた。
「お、何かわかったか?」
 バルディと、姿を現したキュウコンがキザリの近くにやってくる。
「うん。でも、キュウコンは母さんの居場所を教えられない、教えたくない事情がある。そういうことじゃないかな」
 キュウコンは頷いた。
「知りたいサンドパンと、教えたくないキュウコン。だから、ケンカしたんだ」
 2匹は頷いた。そのままキザリの方を見据える。キザリは頭に小さく積もった雪を払い、そして言った。
「……今戦って、思ったよ。僕も、知りたい。母さんが、どこにいるのか。もし教えたくない理由が僕のためなら、キュウコン、教えて欲しい。そうじゃないなら、無理には聞かない」
 キュウコンは、小さく鳴き声をあげながら、キザリの袖を引っ張った。
「教えてくれるのか?」
 キュウコンは頷く。サンドパンはキザリの方を見て、小さく鳴いた。
「サンドパン、お前にお礼言ってんじゃね?」
「かもね」
 と、バルディが僕に2つの青いきのみを手渡す。
「これはオレンだ。2匹、今のバトルでちょっとダメージ受けてると思うからさ、回復してやれ」
「うん、何から何までありがとう」
「いいって。ジムリーダーのポケモンでバトルするなんて、普通絶対できない経験だから、俺も楽しかったしさ。でもやっぱ、俺にはグレイシアだな」
 バルディがグレイシアの頭を撫でると、グレイシアはニコリと笑った。
「それで、お前も探しに行くのか?」
「うん、そのつもり」
「なら、俺の上着1枚貸すよ。ちゃんと返してくれよ」
「ありがとう、バルディ」
 上着を手渡す。キザリはそれを着込んだ。
「それじゃ、頑張れよ、キザリ」
 そう言うと、うーさっむ、と愚痴りながらバルディは立ち去っていった。
「それじゃあキュウコン、僕たちを、母さんのところまで案内してくれないかな」
 キュウコンは頷いた。

*****

 大雪原。辺り一面雪しかない。近隣の街の住民、スキーヤー、ジムチャレンジャー以外の人間が入ることは基本的にないと言われているほどの険しい道。キザリは、ともすれば雪に隠れてしまいそうになるキュウコンの後ろを、ともすれば雪に隠れてしまいそうなサンドパンに雪を切り開いてもらいながら進んでいく。
「こんなところで、いつも修行してるのか」
 キザリが2匹に声をかけると、2匹は頷いた。
「凄いな、2匹も、母さんも」
 そう声を出しても、2匹とも別に喜んだりもしない。当たり前のことだからだろうか、とか考えながら、雪の道を進む。
「バトルの修行、か」
 キザリはそう呟いた。捜索隊の人にも出会わず、険しい雪の道を進んでいく。2匹のおかげで、キザリ自身はあまり労もなく。
 と、キュウコンが鳴き声を上げた。
「ここなの?」
 サンドパンが、取るものもとりあえず示した先をかき分けようとする。けれどキュウコンがそれを制した。唸り声に対して、事情を説明するかのように鳴き続ける。
 と、地響きが轟いた。キザリがうわっと悲鳴を上げるのに対し、ポケモン2匹はそれぞれの臨戦態勢を整える。雪の中から空気を震わす程の唸り声が響いた。
 キュウコンは、逃げようと言わんばかりにキザリの袖を引く。対して、サンドパンは今にも迎え撃たんとばかりに爪を鋭く研いでいる。キザリはと言えば、おろおろと震えるばかりだ。
 雪を粉砕して、大きな茶色のポケモンが姿を現した。
「ま、マンムー……にしてもでっかい……」
 サンドパンが指示も聞かずに突撃する。キュウコンはその背後からオーロラベールを展開する。サンドパンがアイアンヘッドでマンムーをひるませるものの、あまりダメージが入っているようには見えなかった。
「こうなるから……誰にも教えなかったんだ」
 キュウコンは頷いた。ここはきっと、この巨大なマンムーの縄張りだ。今まであまりポケモンに触れてこなかったキザリでも、背骨にしみいる程に感じていた。
 こいつは、桁違いだ。敵う訳がない。
 けれど、レアムを失い怒りに我を忘れたサンドパンには、そんな感覚はもう残っていなかった。キュウコンは苦しそうな表情を浮かべる。
「……かたき、打ちたいんだよね」
 キュウコンはハッとした表情を浮かべた。それから小さく頷く。
「なんでかな、キュウコンがそう思うの、わかったんだ。でも僕じゃ、何も……指示も、何も、出せない。2匹で協力しただけで、勝てると思う?」
 首を横に振る。じゃあ、どうすればいいだろう、とキザリは考える。母さんなら、もし母さんが、誰も庇わず、全力でぶつかれたなら。
 この巨大なマンムーを落ち着けるために、バトルを挑んだだろう、きっと。ジムリーダーとして、ひとりのトレーナーとして。
「僕の指示でも、ないよりマシかな」
 キュウコンは首を傾げる。今まで一度だって戦ったことのないキザリの指示が、どれだけ的確かはわからなかった。それでも、サンドパンは止まらない。なんとか攻撃をかわしてこそいるが、効果はバツグンであるはずのアイアンヘッドですら、あまり効いている気配がない。それでも、サンドパンは果敢に攻撃を続ける。トレーナーでもなんでもないキザリの撤退の指示など、聞き入れる訳がなかった。
「キュウコン。マンムーの攻撃力を下げよう。たぶん、物理技の方が強いはずだから、あまえるで攻撃力を下げられないかな」
 キュウコンは頷いた。
「キュウコン、あまえる!」
 キュウコンはマンムーに近寄ると、優しい声で見上げた。マンムーは少し戸惑ったような表情を浮かべる。その隙に。
「サンドパン、つるぎのまい!」
 サンドパンに、その指示は届いた。自身の攻撃力を高める舞を踊る。マンムーは、キュウコンを踏み潰そうと迫る。
「キュウコンは避けてオーロラベール! 守っていこう!」
 バルディがキュウコンに出していた指示。避けろ。守れ。キュウコンはきっと、防御のポケモンだ。そう推測して、大雑把に指示を出す。
「サンドパンはもっと、攻撃力を高めて!」
 逆に、サンドパンは攻撃役を担っていると言っていた。2匹がかりなら、こうやって分担すればいいはずだ。
「今だ、アイアンヘッド!」
 極限まで攻撃力を高めた一撃を食らわせる。さしものマンムーもこれにはたまらずフラつく。
「サンドパンはつららおとし! キュウコンはつららに向かってふぶき!」
 大きなポケモンには、大きな一撃で。そんなひらめきで、キザリはそうやって指示を出す。2匹の力が重なって、鋭い一撃がマンムーに直撃した。
「行ける……?」
 と、ポケットの中にあった小さなボールに気付く。バルディの上着の中に、モンスターボールの忘れ物が、何個か。倒すことは無理でも、もしかしたら。
 キザリは、ボールをマンムーに向けて投げつけた。ボールはマンムーを吸い込み、大地に落ちる。ぐらり、ぐらり。


 マンムーは……


 ボールから、飛び出してきた。

「ヤバい、怒ってる……」
 目に見えてわかる。先ほどよりもさらに、マンムーの勢いが増した。大地を踏み鳴らす。それだけで、周囲の雪が崩れ、キザリの周囲を雪で覆いつくし──

*****

「ブリザードガール」
 レアムの二つ名は、そういったものだった。そのガールがウーマンに変わる頃、彼女は子どもを授かった。その後、夫を失い、彼女は女手ひとつで息子を育て上げた。
 母をそう紹介する記事を見て、キザリはため息を吐いた。
「あらキザリ、どうしたの?」
「なんでもないよ。母さんは今日も修行?」
「ええそうよ。あなたを育てるためにも、みんなを守るためにも、強くならなくちゃだからね」
「わかった」
 レアムは去っていく。

*****

「お、かあさん……」
 うつろな声をあげる。生きているのか死んでいるのか、その境目で、キザリは母を呼ぶ。
「どうして、置いて行くの……ぼくは、もっと一緒にいたかった……」
「いつも、いなくなっちゃうんだ……」
「ぼくのことなんて、どうでもいいんだ……」
「おかあさん……」
「おかあさんなんて……」
「おかあさんなんて……だいきらいだ……」

*****

 冷たくて、温かい。矛盾する温度が混ざり合わないままキザリを包み込む。暖かな氷。決して解けることのない、優しい氷。
 キザリを守る、永久の氷。

*****

 雪から顔を出したサンドパンは、倒れたマンムーの姿を認めた。あれだけの攻撃を受けて、限界だったのだろう。
 大きな声をあげる。それに呼応したかのようにキュウコンが雪の中から光を放ち、それを頼りにキュウコンを掘り当てる。
 無事雪から顔を出した2匹だが、ひ弱な人間の姿が見つからない。どれだけ雪を掘っても切り裂いても。どこにも、キザリはいなかった。

*****

「……あれ」
 キザリは目を覚ます。真っ暗だったが、次第に目が慣れてきて、かすかな光を感じ取れるようになってきた。
「洞窟?」
 体を起こそうとするが、ちっとも動かない。体が冷え切ると、動けないものなのか。体に熱が通っている気がしない。
「……あれ」
 ぼんやりとした視界の中で、キザリは母の姿を認めた。
「母さんが……助けてくれたの?」
 そう問いかける。彼女は小さく頷くと、キザリに木の実を差し出した。凍り付いたオレンのみは、しゃくしゃくとした食感でおいしかった。冷凍オレンは、好物だった。その咀嚼で、少しだけ体に熱が通う。
「母さん……どうして、僕のことを、置いて行くの」
 彼女は動きを止めた。
「僕の話も、全然聞いてくれなくて、寂しかった」
「ねえ、母さん、お母さん、行かないでよ」
「僕の言葉を、聞いてよ」
「お母さん」
「僕、ずっと辛かったんだよ」
「バトルなんて、やりたくないよ」
「お母さんを持ってちゃう」
「僕、強くならなくちゃいけなかった」
「ねえ、お母さん」
「酷いよ、それなのに、僕を置いてくの?」
「お母さん」
「お母さん」
「お母さん」
「お母さん」

「ごめんなさい、あなたのこと、もっと見てあげられなくて」
「寂しい思いをさせちゃったのね」
「私ずっと、あなたに甘えてた」
「お母さん、まだまだね」
「ごめんなさい、キザリ……」
「こんな私でも、一緒にいていいかな……?」

「うん、もっと、一緒にいてくれる……?」
「もちろんよ、ありがとう……。ついてきて」

*****

 レアムの姿が、吹き飛んで行った。

*****

 凍り付いたキザリを、キュウコンが発見した。そして、隣にいたユキメノコも。
 サンドパンが、ユキメノコに出会い頭のアイアンヘッドをぶちかます。彼女がキザリに害意を持っているのは状況から明白だった。すべての服を剝がされて、人間にはあるまじき、生まれたままの姿で氷漬けにされていたのだから。
 サンドパンはキザリを担ぎ出す。キュウコンは倒れたユキメノコを見やる。しばらく起き上がることはできないであろう、強烈な一撃だった。キュウコンはふと思い立って、バルディの上着からモンスターボールを取り出すと、ユキメノコにぶつけた。
 2匹は凍り付いたキザリを担ぎ、街へと戻っていく。

*****

「ごめんね、キザリ」
「私はあなたを置き去りにしてしまう」
「だけど……キュウコンが、サンドパンが、ジムのみんながあなたのことを、これからもっと……」
「……でも、そんなことで許される訳ないわよね。許さなくていいよ」
「だけど、キザリ、あなたは……これからも、幸せに」
「私のことなんて忘れて、幸せに」
「生きてね」

*****

「あれ……」
 病室でキザリは目を覚ます。周りで看護師が快哉をあげた。
「お、起きました!」
「あの、僕一体……」
「バカキザリ!」
 バルディの鋭い声が響いた。
「なんでそんなことになるんだよ! 上着返せって言っただろ!!」
「……あの、何があったのかわからないんだけど……」
「俺が知りたいよ! 警察の人が事情を聴きにくるはずだぞ」
「わ、わかった……」
「……無事でよかった」
「……ありがとう」
 バルディの顔を見てみると、目に涙が溜まっていた。キザリはその景色をぼんやりと眺めながら、何があったのかを思い出していた。
 えっと、母さんのことを探して、巨大マンムーとバトルして、雪崩に埋もれて、母さんが助けに……。
 いや、そんなことない。母さんは、あのマンムーにやられたんだ。あそこに埋もれているとキュウコンも言っていた。そして、マンムーはまだ平気でいた。ってことはつまり、母さんは。
 じゃあ、あの時見た母さんは一体なんだったんだろうか。

*****

 事情聴取に来た警察にそういったことを話すと、彼はおそらく、という注釈付きで話し始めた。
「ポケモンたちがモンスターボールを使ってユキメノコというポケモンを捕まえてきたんだ。それがきっと、君が見たお母さんの正体だろう。美男子の魂を食べると言われているポケモンで、君のことを騙して食べようとしたのかもしれない」
「ああ……だから、僕のことを連れて行こうと」
「かもしれないな。よかったよ、無事に帰ってこられて」
「……はい」
「そして、あの巨大マンムーは君とレアムさんのポケモンが?」
「戦いました、けど……」
「そうか……。あのレアムさんですら勝てるかわからないと言ったポケモンを、君は……」
「……え、負けたんですよ、それで」
「ああ。そのことは聞いた。けど、後から捜索隊が見てみると、マンムーは倒れていたんだ。相打ちだった、ということだな」
「そうですか……」
 実感がない。
「レアムさんのポケモンたちのおかげだな。2匹をあそこまで鍛え上げたお母さんが、君を守ってくれたんだ」
「そうですね」
 母さんがあんなところに行かなければ、僕はあんなところに行かなかった。死にかけることも、なかった。
 そんなこと、キザリにはとても言えなかった。

*****

 事情聴取を終え、入院も終え、ジムトレーナーのリーズに付き添われては自宅に戻った。冷凍室からキュウコンとサンドパンの2匹が僕のことを出迎えた。
「ただいま、ありがとう。キュウコン、サンドパン」
 2匹は鳴き声を上げる。その後ろから、ユキメノコが姿を現した。
「君が、ユキメノコか」
 僕を殺しかけたこのポケモンが、どうして我が家にいるのだろう。その疑問についてキザリは考えを巡らせ、そしてひとつの結論に至る。2匹が捕まえたというのであれば、ポケモンの飼い主は我が家の主、つまり今は、キザリということになる。
「それじゃあ、ここまで送ってくれてありがとうございました。リーズさん」
「いいの。あなたのことを見守る、それもレアムさんの遺言だからね」
「……はい」

*****

 ジムトレーナーの中から何人かが試験を受けて、そのうちのひとりがこの街のジムリーダーになった。ジムリーダーを失ったこの街は、それでもまだ回っていく。
 バルディは一念発起し、ジムトレーナーに志願したそうだ。
「お前はチャンピオンを目指すんじゃないのかよ」
「……無茶言うなよ、ホントなら目指したいけど、俺にそこまでの才能はねえよ。でも、ジムリーダーなら、街のみんなを守る強さとか、単純なバトルの強さとかさ。あそこのジムトレーナーからなら俺でもいい線行けると思ってさ。な、グレイシア」
 こおりタイプのジムに、グレイシア使い。お似合いだった。
「お前はどうするんだ?」
「僕は……」
 バトルなんかしたくない。ずっと、そう思っていた。だって、バトルが僕から母さんを奪っていったから。
 だけど。
「僕は、この街を出ていくよ」
「そうか。でも、これからどうやって生きていくんだ?」
「どうせ、もう家族も誰もいないんだ。旅に出て、ジム巡りにでもチャレンジしてみる。母さんのポケモンたちと、ユキメノコもついてきてくれるって言ってるから」
「そうか。ポケモンの強さはあれど、あの巨大マンムーと相打ちしたって言うんだから、お前ならワンチャンあるかもよ」
「だといいな」
 キザリは軽く笑った。そこまで行くつもりはない。でも、ジムバッジを何個か集めれば、それで実績になる。将来バトルの道でそれなりに生きていけるだろう。そんな風に考えていた。
「じゃあ、バトル部秘伝のバトルのコツ、特別に教えてやるよ」
「お、それはありがたいかも」
 2人は、しばらく話し続けた。
「旅立ちの時は、見送りに行くよ」
「ありがとう、嬉しいよ。それじゃ今日は、とりあえず帰るよ」
「わかった。いつ行くんだ?」
「来週ぐらいには」
「……早いな」
「うん」
「ま、それじゃあまたな!」
「うん、また」

*****

「僕は母さんが嫌いだ」
 キザリはそう呟いた。
「そして、母さんのことが大好きだ」
 そう続ける。
「キュウコン、サンドパン。きっと母さんは僕のことをよろしくって言ってたんだと思う」
 2匹は頷いた。キザリは小さく笑った。
「母さんのことを許すつもりはない。だから……僕は幸せになってやる。母さんが残してくれた2匹の力も借りて、絶対に幸せになってやる。それが……母さんへの」
 復讐であり、感謝だ。僕を置き去りにした母さんに、母さんがいなくたって幸せだって舌を出してやる。僕のためにたくさんのものを残してくれた母さんへの感謝を込めて、僕はこの復讐を実行してやる。
「よろしくね、2匹とも。それから……」
 キザリはユキメノコの方を見た。
「ありがとうね、母さんの幻覚なんか見せてくれて。おかげでいろいろ吹っ切れたんだと思う。これから、僕の仲間として、一緒に幸せになってくれないかい?」
 ユキメノコは妖艶な微笑みを見せた。
「ありがとう」
 キザリは一息ついて、そして言った。
「3匹とも、よろしくね」
 覆面企画11、お疲れ様でした。後から覆面とか関係なしに読んでくださった方もありがとうございます。

 ユキメノコの正体だとかそういうことを作者がたらたら述べるのも野暮かなぁと思うので、主要キャラの名前の由来だけ掲載するに留めます。

 名前の由来一覧
キザリ:オキザリス 花言葉「輝く心、母親の優しさ、決してあなたを捨てません」
置き去りなのは偶然です、後から気付いて作中で拾いました。

バルディ:ブバルディア 花言葉「交流、親交、情熱」

レアム:アングレアム(本当はアングレカムというらしいです……どこでこの名前ヒットさせたんだろう) 花言葉「祈り、いつまでもあなたと一緒」

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