2-1.散策

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 そろそろ外の闇も深まって。
 道を行き交う人々も姿を消す頃。
 辺りは静寂に包まれる。
 それを待っていたかのように、小さな虫達が楽しげに合唱を始める。
 そんな虫達の声に耳を傾けながら、すばるは机に突っ伏して重い息を吐き出していた。
 どっと疲れが重くのしかかってきた気がする。

《何なのさ、情けない》

 少し低い落ち着いた声が、すばるの心に響き渡る。
 声ではない声。だが、確かに心に届く声を、すばるは「思念の声」と呼んでいる。
 軽く呻きながら億劫そうに顔を上げると。
 机の上で寝そべる、呆れた風情のエーフィのふうと目が合った。

《まだ慣れないの?》

 エーフィの問いかけに答えることなく、すばるは再び突っ伏す。
 答えない。それが肯定。
 まだ旅を始めて日が浅い。
 足腰は丈夫だと思っていた。わけだが、甘かった。
 こんなに疲れるものだとは思わなかった。
 エーフィの呆れ染みた、わざとらしいため息をついたのがわかった。
 うるさい、と反論する余力もなかった彼は、胸の内で毒づきながらも、ゆっくりとその思考は深い深い場所へと沈んでいった。



   *



 まだどこか夢心地で、思考がはっきりとしない。
 ゆっくりと瞼を持ち上げ、桔梗色の瞳が現れる。
 ぼんやりとした視界に現れたのは青。

「………………ああ、あるばか……」

 一瞬の間のあと。それが彼の手持ちポケモンである、ハクリューのあるばだと思い出す。
 寝ている間にどうやら懐に入り込んで来たらしい。
 それを寝ているうち、無意識下で抱き枕のように抱き寄せて眠っていたようだ。
 ハクリューを起こさないよう、そっと上体を起こし、何となく部屋を見渡す。
 部屋に置かれている家具は、彼が寝ていたシングルベッドを除けば、年期が感じられる古木で作られた一人分の小さな机と椅子のみで、至って質素な雰囲気の部屋だ。申し訳程度に、壁に絵画が飾られていたりする。
 まあ、こんなものだろうとすばるは思う。
 けして贅沢は出来ない旅。このあたりで一番安い宿、一番安い部屋を選んだのだ。
 そこでふと思い至る。
 そういえば、自分はいつの間にベッドに移動したのだろうか。
 今いる町にたどり着いたのは昨日の夕方。
 宿を探し歩き、やっとこの部屋を確保出来た頃には、すっかり日は沈み、夜の帳が降りていた。
 それから食事等を済ませた後、寝巻である軽装な格好に着替えて。
 机に突っ伏した瞬間、どっと疲れが重くのしかかってきたのだ。
 そこからの記憶が曖昧だ。
 エーフィに話しかけられたところまでは覚えているが、そこから先の記憶がない。
 どうやらそのまま眠りに就いてしまったらしい。
 ちらりと枕元に目をやれば、丸まって寝息をたてているエーフィの姿があった。
 彼女が“サイコキネシス”でベッドまで運んでくれたのかもしれない。
 先程よりも思考がはっきりとしてきたようで、そろそろ活動を始めようと動き始める。
 ベッドに収まりきらずに、体の半分以上がベッドから垂れ下がった形になっているハクリューを踏まないように。
 足元に注意を払いながらそっとベッドから離れる。
 平均的なハクリューの体長よりも小さいあるばだが、やはり部屋でモンスターボールから出すのは無理があるかと思わないでもない。
 だが、最近まで森の奥深くで暮らしていたこのハクリュー。
 あまり人間と接したことはなく、それ故か、極度の人見知りであった。
 そのため、普段はあまりボールから出さない。
 そのため、このような時にはボールから出して、彼女をのびのびさせてやりたいのが本音だ。
 ならば、少しくらいの狭さは仕方ない。
 窓辺に移動したすばるは、カーテンをあけ外を眺める。
 彼らの部屋は二階にあり、窓から町の様子が伺える。
 小さいけれど、けして寂れているわけではなく、小さいながらも発展し、栄えている町だ。
 独特の文化があり、この辺り一帯では放牧が盛んらしい。
 そこに興味を持ち、この町を訪れたというわけだ。
 宿周辺は他の宿屋や民家が密接しており、住宅街となっているけれども、少し遠くに目を向ければ、草原が広がっている。
 柵で仕切られた中を、日中はミルタンクやメリープ達が放牧されているという話だ。
 今はまだ早朝のため、ポケモン達の姿はないが、人々が仕事のため動き始めているようで、ちらほらと人の姿が確認できる。
 基本的にこの町の家屋は、レンガを用いて建てられている。
 道もレンガを用いて舗装されており、どこかのどかな雰囲気の町だ。

「………さてっ」

 自分の思考に一区切りつけたところですばるも動き始める。
 暫くはこの町に滞在するつもりだ。
 今日はまず、この町の散策と評して、先程眺めていた放牧地に足を運ぼうと考えている。
 もしかしたら、実際に働いている方の話も聞けるかもしれない。
 自分の見聞を広げる。
 外の世界を見てまわりたい。
 それがすばるの旅の第一目的だった。



   *



 軽装な格好から、普段着へと身を包む。
 首もとに黒色のバンダナを結べば、アクセントになるだろう。
 黒のボディバッグを肩にかけ、部屋の鍵を宿の主人に預けたのち、宿を後にする。
 暫くはここが活動拠点だ。
 ハクリューはモンスターボールに戻し、腰のベルトに収めてある。
 だが、エーフィはボールから出ており、先程から珍しそうな目であちらこちらを見渡している。
 基本的に彼女はボールには入らない。
 理由は特にないが、幼い頃から共に過ごしてきたので、この方が落ち着く。ただそれだけだ。

《ねえねえ、どこ行く?》

 真っ直ぐすばるを見上げ問うエーフィの瞳は、好奇心で煌めいていた。

「ん」

 すばるはすっと腕を持ち上げ、その指で行き先を示す。
 と、エーフィは業とらしく頬を膨らませ、不満そうな声音で告げた。

《すばる雑……。それじゃ、何か全然わからない》

「行けば分かる」

《だから、分からないっ!》

 もごもごと言いながらも、エーフィは音もなく跳躍し、すばるの肩に飛び乗った。
 エーフィは自身に技“サイコキネシス”を使い、彼に自身の体重を感じさせないという芸当を身に付けている。
 そのため、肩に飛び乗ってきても対して苦には感じないのである。
 肩に飛び乗ったエーフィは、すばるの顔を覗き込むと、途端ににやりと憎たらしい笑みを浮かべた。

《ふーん……。分かった》

 楽しげに弾む声音に、思わずすばるの眉間にしわが刻まれる。

《すばる、楽しみにしてたもんねっ。説明するのも億劫なくらい、早く行きたくて仕方ないんだよねっ》

 うんうんと一匹で頷くエーフィ。
 すばるの眉間のしわは、より深くなる。

《気持ち分かるよ、すばるん》

「すばるん言うな」

 エーフィの二股の尾が、先程からぴしぱしと背を叩いてくる。

《何か言った?すばるん?》

 業とらしくおどけた調子の明るい声音を聞いた瞬間。
 すばるは無言で肩のエーフィをはたき落とした。
 そのまますたすたと歩き始める。
 背後から抗議の声が追いかけてくるが、そんなものは振り返りもせず黙殺である。
 そもそも、すばるにはそんな余裕などなかった。
 胸中をエーフィに悟られぬよう、努めるので精一杯だ。
 何故、彼女は毎度毎度、自分の本心を的確に突いてくるのだろう。
 その証拠に、彼の頬は僅かに朱に染まっていた。



   ◇   ◆   ◇



 密集する民家を抜ければ、途端に視界を遮るものはなくなる。
 遠くまで見通せるこの辺りから、どうやらこの町の放牧地になっているらしい。
 何処までも広がる草原。すばるの腰くらいまでの高さがある白い柵。
 辺りを見渡せば、ミルタンクやメリープの群れが確認できる。
 群れの傍らには、ハーデリアが目を光らせていた。
 彼らが群れから離れないよう、見張っているのだろう。
 柵のすぐそばまで歩みより、すばるはデジタルカメラでその風景を写真に収めていた。
 撮った写真をその場ですぐに確認する。
 我ながらの出来の良さに満足し、僅かに口の端が持ち上がる。

《気持ち悪っ》

 足元のエーフィから発せられたその声に、思わず口をへの字にする。

「うっせーな。なんだよ、まだ怒ってんのかよ」

 先程のやり取りが脳裏を過る。
 エーフィが助走をつけることなく、柵の上へと飛び乗った。
 相変わらず音もなく飛び乗る様は、優雅で気品があり、流石だなと改めて思う。
 柵の上に移動したことにより、エーフィとの目線が近くなる。
 じっとこちらを見詰めてくる彼女の瞳は動かない。
 沈黙だけが周囲に降り積もる。
 呼吸を十ほど数えた頃、先にしびれを切らしたのすばるの方だった。
 一つ息を吐き出すと、くしゃりとその頭を撫でる。

「俺の負けだ。さっきは悪かった」

 勝利をおさめることに成功したエーフィは、得意気に微笑むと、自分の頭を更にすばるの手へと押し付ける。
 仕方ないなと苦笑をし、要求どうりに撫で続けていたが、ふとその手の動きを止める。
 そんなすばるを怪訝に思ったのか、エーフィは首を傾げた。

《どうかした?》

 エーフィの問いに答えることなく、無言でデジタルカメラを彼女へ向ける。
 だが、何か違う。
 暫く唸ったのち、あ、と思い付きその場に寝転がる。
 相変わらずすばるの意図が掴めないのか、エーフィは先程とは逆の方向へ小首を傾げている。
 彼女の二股の尾が、不思議そうにひょんひょんと揺れる。
 寝転がり、改めてデジタルカメラを彼女に向けたすばるは、今度はうっすらと笑みをうかべると、シャッターをきった。
 シャッター音が響き渡る。
 撮った写真を確認し、一つ頷くと、がばっと立ち上がる。
 すると、目を丸くしてこちらを凝視するエーフィと目が合った。
 その姿に、まるで悪戯を思い付いた子供のようににやりと笑うと。
 先程の写真を画面に表示させ、デジタルカメラを彼女に向ける。
 怪訝そうに眉をひそめ、おそるおそるエーフィは覗き込む。
 と、途端にぴしっと音をたてるように動きを止めた。
 画面には、雲一つない青い空を背に、白い柵に乗り首を傾げたエーフィの姿が表示されている。

「可愛く撮れてんだろ」

 にひひ、と得意気に笑ってみる。
 実際可愛いのだから、文句はない筈だ。
 が、当のエーフィは先程から微動だにしない。
 流石に怪訝に思ったすばるが、おいっ、と再度声をかけると、ゆっくりとエーフィは姿勢を正す。
 だが、少々俯き加減のため、その表情は分からなかった。
 再度声をかけようと口を開きかけたとき。
 か細い思念の声が聞こえてきた。

《ボ、ボクの写真なんか……撮らなくても……。そ、それに、か、か、可愛いとか……》

 思わず目を見張った。
 この反応は予想していなかった。
 へぇ、と小さく呟くと。すばるは嫌な笑みをうかべた。

「いんや、いつも思ってんけど、ふうっていろいろと可愛いやつだよな」

 今とか。
 その言葉を受け、弾かれるように顔をあげたエーフィの頬は朱に染まっていた。

《そんなこと、ないっ!》

「そんなことあるね。動きの一つ一つだって、優雅で、気品があって、流れるみたいで、流石だなって思う」

 からかうような軽い口調で告げてはいるが、どれもすばるが常々感じていることだ。
 つまり、褒めているのだ。
 だが、エーフィにとってはそうではないようで。
 先程よりも頬を朱に染め、涙で揺れる瞳には、はっきりと怒りの色がみえる。
 あ、流石にやりすぎたか。
 頬を冷や汗が伝う。
 と、刹那。きーんと高い音が聞こえた気がした。
 風が不気味に凪ぐ。
 音が遠ざかっていく錯覚に襲われる。
 エーフィを見やれば。
 その輪郭が、涙で揺れる瞳が、淡く青い光を発していた。
 “サイコキネシス”だ。
 彼は直感した。
 やべえ……。
 彼女は通常のエーフィよりもサイコパワーが幾分が強い。
 それを、感情に任せて放たれた“サイコキネシス”をくらってみろ。
 ひとたまりもないだろう。
 思わず引きつった笑みがこぼれる。

「…………ごめん」

 数秒ののちに発せられた小さな言。
 エーフィの耳がぴくりと動いた。
 風が吹きわたり、音が戻ってくる。
 そっと安堵の息をつき、ほっと胸を撫で下ろす。

「ごめん」

 再度呟く。
 それを受け、一瞬きっとすばるを睨むも、ぷいっと明後日の方向を向いてしまった。
 好意で褒めたのに。
 彼女にとってそれは。地雷だったようだ。



   *



 どのくらい経ったのだろうか。
 あれからずっとエーフィのご機嫌とりをしているのだが、こちらに背を向けたまま微動だにしない。
 今日は天気がいいね。
 風が気持ちいいね。
 宿の朝食は美味しかったね。
 など。数えればきりがないが、様々な話題を振ってみた。
 が、どれも効果なし。
 駄目だ。お手上げだな。
 諦めの嘆息がもれる。
 今までエーフィを撮影などしたことがなかったので。
 淡い興味で撮影してみただけなのだが、どうやら地雷だったらしい。
 そういえば、昔から自分が褒められるのを苦手としていた気がする。
 だがら面白いんだよな。この世界は。
 長年共にいる相棒のことですら、こうした新たな発見があるのだ。
 とその時。遠くから声が聞こえた。
 のだが、遠すぎて言葉までは聞き取れない。
 訝りながらも、声のする方へと顔を向ける。
 メリープの群れの間を、器用に避けながらこちらに駆けてくる小さな影が一つ。
 その影をよく見ようと、目を凝らせば。
 あれは、炎の鬣が印象的なギャロップだ。その背に人を乗せている。
 だんだんとその影が大きくなり、やがてすばる達の元へとやってくる。
 ギャロップの鞍に跨がり、手綱を握っている女性は、不思議そうな面持ちでこちら見ていた。

「君は、そこで何をやっているのかな?」

「え……?」

 思わず声がもれてしまったが、そこではたと気が付く。
 そうだ。エーフィは彼女自身が心を許した者にしか思念の声を送らない。
 自分は彼女の特性、シンクロで無条件で声が届く。
 だが、彼女にはそれ以外にも声を伝える術は持つ。
 彼女はエスパータイプであり、通常よりも念の力も強い。
 その念の力を駆使して伝える術もあるのだ。
 けるどもそれは、誰でもいいというわけではなくて。
 つまりだ。はたからみれば、すばるは一人で喋っていたことになる。
 そう気づいてから、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

「……ち、ちょっと、ここの風景を眺めていただけですっ!」

 動揺が隠しきれず、僅かに目が泳ぐ。
 心なしか僅かに頬が火照る。だが、嘘は言っていない。
 ちらりとエーフィに視線を向ければ、こちらに背を向けているのは変わらないが、僅かにその体が震えている。
 こいつ、笑ってやがる。
 すばるの顔に渋面の色がひろがる。

「……そう、風景」

 呟くような女性の声で、はっと我に返り、改めて女性の方に視線を向ける。
 頭には赤を基調としたチェック柄のバンダナを巻いて。
 少し赤を含んだ茶の髪は、肩に届くくらいの長さ。
 人懐っこそうな丸い狐色の瞳は、好印象をあたえる。
 白みを含んだ淡い黄色のつなぎと黒い長靴。それだけで、彼女がここに関わりを持っているだろうことを伺い知ることができる。

「うん。まあ、君にもいろいろ事情がありそうだし、ここはこれ以上言及するのはやめておくよ」

 可愛らしい笑顔をうかべながらそう告げる彼女に、内心ほっと安堵する。
 苦笑気味に、ありがとうございます、と返す。

「ところで、風景を眺めていたって言ってたけど、もしかしてこの町へはそれが目的だったりするのかな?」

 小首を傾げながらそう問いかける彼女に、何かまずいことがあっただろうかと不安に感じながらも、おそるおそるこくりと頷く。
 その様子からすばるの心中を察したのか、彼女は慌てた様子で手を横に振りながら早口で告げる。

「あ、それが問題とかじゃないから大丈夫っ!」

 その言葉に、すばるはほっと安堵する。

「この町はね、放牧。……つまり、牧場風景で有名なんだ。だから、君みたいな人がよくいるんだよ」

 先程とは変わって、落ち着いた調子で彼女は続ける。

「それでどうかな……?うちでは、乗馬体験というのをやってるけど。君、やってみるかい?」

 花が咲くような微笑みをうかべ問いかける彼女に、一瞬どきりと胸のときめきを感じてしまう。
 年上の女性に胸の高鳴りを感じてしまうのも。
 思春期の男の子ならば、仕方のないことだろう。
 そんなことを思っていれば。
 心の動きを感じたのか詠んだのか。

《つばさちゃんに言い付けちゃうよ》

 なんて、エーフィの声が聴こえた。
 金の髪に橙の瞳を持つ少女が、頬を膨らませて不機嫌になっている姿が見えた気がして。小さく笑った。
 そんなに怒らなくとも、この気持ちはずっと彼女に向いているのに。

「君、どうかしたのかい?」

 女性の声ではっとする。

「い、いえっ!何でもないですっ!」

 慌てて表情を取り繕う。
 惚けている場合ではなかった。
 年上の女性にときめいてしまうのは、思春期の男の子の性だ。

「そう?なら、いいけど」

 すばるの言動を訝しげにしながらも、女性はあまり気にしないことにしてくれたらしい。

「それで、どうするんだい?乗馬体験」

 再度の女性からの問いかけ。
 その答えは。

「ぜひっ!」

 桔梗色の瞳が好奇心で煌めいた。

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