1-3.竜と

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 ここは森の中心部に位置する湖畔。
 周辺は白い霧に包み込まれ、遠くまでは見通せない。
 岸まで歩み寄り、そっと覗き込めば。
 透き通った綺麗な湖だということら伺えた。
 何処か清浄な空気も感じる不思議な湖だなと思った。
 そう思ったら、妙な緊張が走って。
 思わず息を飲む。
 肩のエーフィも同じようで、息を飲んだのを気配で感じた。

「ふうが気になってたのはここか?」

 そちらには目をやらずにそっと尋ねる。
 僅かな間の後、小さく頷いた気配がした。
 恐らくエーフィも、こちらを向いてはいないだろうなと思った。
 目が離せなくなってしまう程に、すばる達の眼前に広がる光景は素晴らしかった。
 目を奪われたのだ。
 突如として輝き始めた水面。
 淡く、蒼白く輝くそれ。
 湖がその光を受け、白い霧もまた、淡く、仄白く輝き始める。
 それはもう、目を奪われる程に美しく。
 刹那。
 光が弾けた。弾けた光は、小さな光の粒となって中空を舞う。

「蛍火みてぇな…………」

 ため息のように、言葉がこぼれた。
 その言葉に答えるかのように、エーフィからも声がもれた。
 それは、いつもすばるに直接語りかける思念の声ではなくて。
 喉を震わせて発する、自身が持つ声だということに、エーフィは気付いていないようだった。
 それ程にまで、彼らは魅了されていた。
 すばるは自分に近寄る光の粒の一つに、そっと右手を伸ばしてみた。
 壊さないように、そっと。優しく人差し指で触れてみる。
 ぱっと弾けた。
 まるでそれが合図だったかのように、光の粒が一斉に弾ける。
 一陣の風が吹き抜け、散った光の欠片をさらっていく。
 その風の勢いに思わず、すばるとエーフィは目を瞑る。
 白い霧が風に流され、霞がかかっていた視界が鮮明なものへと変わる。
 風の勢いが弱まり、そっと瞼を持ち上げた彼らの瞳に映ったのは。
 暁色に染まる空を背景に、白い翼のような両耳を広げ飛翔する青い竜の姿。
 現在の時間帯は昼下がりのはず。
 空が暁色に染まるなんてことはあり得ない。
 だが、そんな理屈などは最早どうでもよかった。
 まるで水の中を泳ぐかのように。
 優雅に、そして美しく。
 その青い竜の飛翔する姿は、何かの舞にも見えた。
 気が付けば、肩にかけたボディバッグからデジタルカメラを取り出していた。
 暁色に染まった空。飛翔する一匹の青き竜。
 それに対してシャッターを切っていた。
 かしゃり。
 シャッター音が響き渡り、木霊する。
 瞬間。あたりを包み込んでいた静寂が壊れた。
 彼らに気付いた青い竜が、鋭い声を発し、湖の中へと姿を消す。
 再び湖から姿を現した青い竜の瞳には、はっきりと敵意と警戒の色が宿っていた。
 すばるははっと息を飲む。
 青い竜の視線は彼らを鋭く射抜いて。
 すばるは、ぴりぴりと刺すような、そんな張りつめたような空気を感じるとる。
 その場を離れようとゆっくりと後ずさるが、青い竜から目はそらさない。そらせない。
 相手に背を向けたら駄目だと、誰かが言っていたような気がする。
 逃げろ。
 確かに本能はそう告げている筈なのに。
 本能に反して、すばるは後ずさっていた足を止めてしまった。

《すばるっ、行くよっ!》

 焦燥感が滲み出ているエーフィの声音に、すばるは何も答えない。
 その背を急かすように、エーフィは尾で軽く叩く。
 いつ攻撃を仕掛けてくるか分からない。
 だからこの場を離れよう。
 エーフィが言いたいこともすばるには十分伝わっていた。
 この近距離で攻撃を仕掛けられたら、恐らくエーフィも自分も無事ではすまない。
 だったら、青い竜をこれ以上刺激しないうちに、この場を離れるのが賢明だ。
 だが、すばるは気付いてしまった。
 先程の光景をみた瞬間、すばるの世界に色が弾けた。
 弾けたなんて可笑しな言い方かもしれない。
 だが、確かに弾けたのだ。
 こんなに色鮮やかなに世界を感じたことなどなかった。
 それはすばるにとって衝撃だった。
 そして興味をもった。
 目の前にいる、先程から鋭い声を発している青い竜に。
 自然と思ってしまった。
 仲良くなってみたいと。
 もっと、この竜について知りたいと。
 不思議だ。これまで、ポケモンに興味など持ったことがなかったのに。
 友人から、仲間が、手持ちが増えたと話を聞くことは幾度もあった。
 それでも自分は、ずっとエーフィの一匹だけで。
 何故、と問われたこともある。
 理由は特にない。
 ただ単純に、仲良くなりたい、知りたいと思えるポケモンに出会わなかった。それだけなのだ。
 可愛いとか、格好いいとか思うだけで。
 それ以上に知りたいと思えるポケモンに出会わなかった。

《だから、今まで側にいるポケモンは。幼少期から共に過ごし、家族のような存在で、ふうだけだったのだ………か。へえー、嬉しいこと言ってくれちゃって……》

 このこの。と、エーフィは前足ですばるの頬を小突く。

「!?」

 突然のことに目を見開き、ぱっと横に顔を向ければ。
 そこにはにんまりと笑ったエーフィの姿があって。
 そして。エーフィの額を飾る赤い珠が、宝石のような輝きを放っていた。
 額の珠が輝きを放っているということは、サイコパワーを使っているということで。
 それは、つまり。
 そこまで考えが至ったとき、すばるの頬が朱に染まる。

《それはつまり、思考を読まれているということだ。嘘だろ》

 エーフィが、にへへと意地悪く笑う。

《だってすばる、なかなか動かないんだもんっ。だから不思議に思って、すばるの思考読んだんだよ》

 ボク、すごいでしょっ。
 と、心なしか自慢気で胸を張っているようにも思えた。
 だが。

《………………っ!》

 エーフィのまとう空気が、一瞬にして鋭いものに転じた。
 どうした、と問いかける前に、すばるの肩から飛び降りたエーフィ。
 地に足がついたと同時に、淡い緑の障壁を築く。
 彼女が障壁を築いたのと、白銀色の衝撃波が衝突したのはほぼ同時の様に思えた。
 いや、何とかして彼女が受け止めてくれたということは。
 紙一重の早さで彼女が勝ったのだ。
 衝撃波を何とかして受け止めた後。
 淡い緑の障壁に亀裂が走ったかと思えば、音を立てて崩れ去ってしまった。
 エーフィを見やれば、息も絶え絶えの様子だった。
 肩というのかは知らないが、小さく上下している。
 無理もない。サイコパワーを駆使して憔悴している時に、先程の衝撃波を“守る”で防いでくれたのだ。
 次にまた衝撃波が襲って来たとき、果たしてその体力で持ちこたえられるだろうか。
 ましてや、“守る”は連続で使用すると失敗しやすい。
 おそらく、次はない。
 ならば、その前に動き出さなければならない。

《すばる、動くなら今だよ》

 ちらり。視線だけをすばるに向ける。

《でも、次に“竜の波動”がきたら。多分、受け止めきれない》

 そう告げるエーフィの声音。
 いつもより覇気が幾分か足りない気がするのは、気のせいではないだろう。
 こちらの出方を伺っている様子の青い竜との距離を、すばるは一歩一歩ゆっくりと縮めていく。
 再び発し始めた鋭い声。
 だが、それに臆する気持ちはなかった。
 一歩一歩。だが確実にその距離を詰めていく。
 発される声が、刃の如くその鋭さを増す。
 きっとこの竜は。否。確か種族名は、ハクリューといったはずだ。
 ハクリューはきっと怖いだけなのだ。
 この森は立ち入り禁止区域。人間という存在と触れ合う機会もなかったはず。

この森の奥深くにある湖には、それはそれは清く尊い存在が住んでいる。湖に近付いた者、清浄な空気に触れることにより浄化されるだろう。

 確かに住んでいた。清く尊い存在が。
 恐れ多く、近寄りがたくすら感じるほどに。
 ハクリューが口を開き、そこにエネルギーの凝縮を始める。
 それでもすばるは歩みを止めない。
 じっとハクリューの目を見つめ続ける。
 脳裏に浮かぶ少女。
 今日は幾度も思い出す幼馴染の姿。
 その彼女が言っていた。
 ポケモンと仲良くなるには、まずはポケモンと同じ目線で接すること。
 残念ながら、ハクリューの目の高さはすばるの背丈よりも高く、同じ目線になることは難しい。
 ならば、せめて目は合わせようとした。
 すばるの歩みが止まる。
 流石に水面は歩けないため、湖の岸際で立ち止まる。
 それでもそこが、この場で一番ハクリューに近い場所だった。
 ハクリューの口に収集されたエネルギーは、白銀のエネルギー弾として凝縮されていた。
 いつ衝撃波を放たれてもおかしくなかった。

「大丈夫。俺、お前と友達になりてーだけなんだ。お前のこと、もっと知りてーんだよ」

 こんなこと、普段なら絶対言わないなと思った。
 そう思ったら、どこか気恥ずかしさを覚えた。
 何もしないよ、と。何も持ってないよ、と。
 ハクリューに見せるように、両手を前に広げてみた。
 今にも衝撃波を放とうと身構えていたハクリューが動きを止めた。
 エーフィが駆け出し、すばるを庇うように前へと立ちはだかる。
 その様子を瞳に映して、ハクリューは何を思ったのだろう。
 凝縮されていたエネルギーが霧散し、光の粒子となる。
 そしてゆっくりと、すばる達へと近付く。
 何かを確かめるかの様に見つめ続ける。
 すばる達はその間、微動だにしなかった。ただただ、待った。
 呼吸を二十程数えた頃。
 ハクリューが恐る恐る、すばる達に近付き始めた。



   ◇   ◆   ◇



 すばるは公園内を歩いていた。
 足元には並行して歩くエーフィの姿。
 そんなエーフィが、すばるを見上げて尋ねた。

《ねえ、今日伝えるの?》

「…………そうだな。今日伝えようと思ってんだけど……」

《思ってんだけど……?》

 少しの間をあけて答えたすばるの言葉を反復し、エーフィは彼の言葉の続きを待った。

「一緒に……」

 そう呟いてから、すばるは歩みを止めた。
 それに半瞬遅れ、エーフィも歩みを止める。
 すばるは唇をきゅっと結んで、真っ直ぐにエーフィを見つめると、再び口を開いた。

「一緒に、来てくれねーか……?」

 その言葉を待ち構えていたように、エーフィの顔がぱあっと輝いた。
 音もなく地を蹴りあげ、自身を“サイコキネシス”で浮き上がらせた彼女は、そのまますばるの肩へと乗りかかる。

《最初からそのつもりだよ。ボクは吹き抜ける風なんだから、すばるの行くところなら、何処へだって行くんだから》

 にへら、とだらしない笑顔でそう告げると、すばるの頬へ頬擦りをした。
 それに対してくすぐったそうに目を細めたすばるは、エーフィの首筋へと手を伸ばし、優しく撫でる。



   *



 ハクリューと出会って、すばるの中に変化が生まれた。
 普段見る日常の中にも、素晴らしいものはたくさんあった。
 雨上がりに外へ飛び出せば。
 雨粒で濡れた草木が、太陽の光を弾いて輝いていた。
 晴れた日に外へ飛び出せば。公園の噴水で水遊びをする、子供とポケモンの姿。飛び散る水飛沫。
 そして何より、眩しい笑顔がそこにあった。
 すばるは様々なものを見て回った。
 様々なものにシャッターをきった。
 空しかなかったすばるの写真フォルダには、空意外の写真で埋まっていった。
 世界はこんなにも色鮮やかだったのだ。
 そして気付く。
 これが、自分のしたかったことではないのか。
 この世界を見て回りたい。
 見て回って。出会って。
 自分が感じたこと。想ったこと。
 それを形に残していきたい。
 そう気付いたら、急に日常から飛び出したくなった。
 各地を巡り、もっと様々なものを見てみたいと思った。
 そして決心する。
 旅に出てみよう、と。
 両親に早速相談をしてみた。
 すばるが決めたことなら、それを思いっきりやってみなさい。
 そう息子に告げ、色々と準備も手伝ってくれた。
 おかげで、予定よりも早く準備は整った。
 あとは、あのハクリューに旅立つことを伝えなければ。
 折角友達になれたのに、ずっと会えなくなるわけではないのだけれども。
 それでも。暫く会えなくなるのが寂しくて、結局伝えるのがギリギリになってしまった。
 でもその前に、いつも隣に居てくれた相棒に尋ねてみたかった。
 自分の都合で振り回すのは申し訳ない。
 そう思ってエーフィに改めて尋ねてみた。
 だが、もし断られたら。
 そう思うと、ちょっぴり怖かった。



   *



 伸ばした手に頭を押し付けるエーフィに、優しい手つきで頭を撫で返すすばるは思った。
 そんな思いで聞いたなど、エーフィは気付いてはいないだろうな。
 外に飛び出すということは、未知の世界へ飛び込むのと同じなのでは、とすばるは考える。
 その時に、この長年の相棒が傍らに居るのと居ないのとでは、気持ち的にかなり違う。
 だから、先程の答えはすばるにとって、とても嬉しいものだったのだ。
 すると、撫でられるのに満足したエーフィが、にんまりと笑ってすばるの顔を覗きこんできた。

「な、なんだよ……」

 多少たじろぎながら呟くと、エーフィはすばるの肩から飛び降りた。
 二又の尾をひょんひょんと揺らしながら、べっつにー、と答える。
 もしかして、ばれてる。
 気恥ずかしさを感じ、すばるの頬が僅かに朱で染まる。

《そんなことより、早くあるばのところに行こうよ》

「……っ!ちょっと待てよ……!」

 駆け出したエーフィの後を慌てて追いながら、小さく拳を握った。
 あるば、というのは。
 すばるが名づけたハクリューの名だった。
 旅に出ると行ったら、ハクリューはどんな顔をするのだろう。
 少しは寂しいと思ってくれるだろうか。
 出会ってからまだ間もない。
 本音をいえば、もっとハクリューと時を共にし、もっとハクリューについて知りたい。
 だから、一つ賭けで尋ねてみてもいいだろうか。

 一緒に、旅をしてみないか。と。

 そうしたらハクリューは、何て答えてくれるだろうか。
 もしかしたら、困らせてしまうかもしれない。
 ハクリューは、あの湖から出たことがない。
 でも、それは自分も同じだ。
 この日常から外へ飛び出したことがない。
 だから、一緒に外へ飛び出してみないか。
 きっと、楽しいと思うのだ。
 知っているだろうか。
 あるば、というのは。
 暁。始まり。
 という意味も含まれているのを。



   *



 これが、俺達の始まり。
 あるばと出会ったきろく。

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