004 管楽器って難しいね

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 仕事初日から一夜明けても、魔法使いの朝は早い。
 毎朝8時には本部の広場に集合する決まりになっており、モモコも他の魔法使いに着いて行くように、眠い目をこすりながら集合場所に向かう。幸い宿舎に余っている個室があったため、そこが自動的にモモコの部屋となった。3階の海寄りの方角に位置するのだが、これがどういった巡り合わせかミツキの部屋が隣にある。モモコとしてはどうもまだ気まずかったため、上手い具合にミツキを避けるように部屋等を行き来していたのだが。
 ようやく魔法使い達が、大きく口を開けてあくびをしながらも全員集合する。モデラートとマナーレも姿を現しても、早起きが苦手なポケモンなんかは朝礼中にマナーレの目を上手く盗んで朝食をこっそり取ることもある。

「シオン。朝礼中に優雅にブレックファーストか?」

 口元だけは微笑んでいるマナーレだが、その眼光はいつも以上に鋭く、見つめられたポケモンを__シオンを萎縮させようとしたのだが、彼は何食わぬ顔でトーストを頬張りながら、マナーレの隣にいるモデラートを指して反抗する。

「だってマスターも食ってるじゃん」

 マナーレがそんなまさか、と言わんばかりにすかさず自分の左隣を向くと、透明な袋に詰め込まれた幾つものクリームパンを、もぐもぐとひとつひとつ、幸せそうに頬張るモデラートの姿があった。
 放つ言葉もないマナーレは全く、と溜息をひとつ吐くと、改めて魔法使い達に向き直る。

「では、連絡もないワケだ。8時半から合奏を行うから各自準備するように」

 マナーレの指示により、改めて魔法使い達は気を取り直して準備のために2階へと駆け上がって行った。何をどうすればいいのか分からず立ち往生しているモモコを、ライヤとコノハが真っ先にリードする。

「合奏はね、2階の階段登ったところから見て右側の部屋で毎日やってるのよ!」

 コノハに手を取られながら、モモコは一緒に階段を駆け上がる。ライヤも少し遅れて、後からついてきていた。
 階段から見て右側の部屋に入ると、既に魔法使い達が各々の楽器を準備し、その広い部屋の中で音出しを行っていた。自分の世界で言う電子ピアノとスピーカーが指揮台の前にセットされていたり、既に合奏体形に木の椅子がセットされている等、モモコはすっかりスタジオ気分を味わっていた。
 手馴れた様子で楽器を吹いている魔法使い達の様子に、モモコは人間だった時に通っていた学校のブラスバンド部を思い出した。始業式になると、必ずクラリネットだのサックスだの、高そうな楽器を構えて迫力ある演奏を披露していた友人達の様子は今でも覚えている。魔法使い達の姿は、自分の思い出の中の小さな楽器奏者達と重なって見えた。
 それでも自分にとっては馴染みのない景色に、モモコの胸にはワクワクした気持ちがつのる。

「どうだい、モモコ。これが魔法使いのもうひとつの姿なんだよ」

 そう言いながらモモコ達の後ろから神出鬼没の如く現れたのは、なんとモデラートだった。あまりに突然のことだったのか、3匹は思わず飛び上がりそうな程まで驚く。
 しかもモデラートは、大きなバイオリンのような楽器__コントラバスを傍にいつものニコニコ笑顔で佇んでいたものだから、壮大な雰囲気を強く感じさせる。焦げ茶色の艶やかなボディを持ったコントラバスは、ちょっとチョコレートケーキみたいで美味しそうにも見えるのだが。

「ま、マスター! どっから出てきたのよ」
「そもそもポケモン達に希望を与える手段として音楽を使ってきたのが、魔法使いの歴史の始まりだからね。音楽こそが魔法の原点にして頂点とも言われているんだ」

 コノハの質問にスルーしながらモデラートは答える。
 この世界において、音楽と魔法はほぼイコール。確かに、モモコが小さい頃に見た魔法少女アニメにも音楽を模したものは存在していたが、こうも密接というのもなかなか珍しいかもしれない。

「慣れるまでは、楽器を持って他の魔法使い達のを見ているといいよ。昨日魔法使いになったばかりで、いきなり楽器を吹けって言われるのも酷だもんね」

 モデラートはそう言うと、驚かせてすまなかったね、と一言添えて自分の音出しに戻った。

「アタシ達も音出ししないとね。せっかくだから金管にも関係あるものについても説明しちゃうわね」

 ライヤとコノハも自分の楽器を準備すると、まずはそれぞれ先端にある部分を取り外し、口元に当てる。

「フルートの場合は頭部管、他の楽器の場合はマウスピースって呼んでるんだけどね。これが管楽器を音を出すためのモト……みたいなものよ」  

 ライヤの持っている木管楽器のマウスピースは、黒い本体部分と木で作られたリードを金属でできたリガチャーで固定しており、それをくわえることで音が鳴るのだ。息の出し方によってはマウスピースだけで音を変えることができる。初心者からしてみれば高度なその技に、モモコは感心していた。

「で、リオンが使ってるあの丸いアイテムあるっしょ? アレがチューナーっていって、チューニング……音程を合わせる時の必需品なの」

 名前をふっと呼ばれて、リオンは「みぃっ!?」と目を丸くしてこちらを振り向く。片手にはしなやかな黒い木の管からなる縦笛__クラリネット、もう片手には手のひらサイズのベビーピンク色をした丸い装置を持っていた。

「詳しいことは、また後でちゃんと教えますね。ユーフォの席は……一般的にはホルンの隣ですから、合奏までにはトストの隣にいれば大丈夫です」
「うん。いろいろありがとう、2匹共」

 モモコはライヤとコノハに礼を言うと、少し早めに楽器を持って席に着くことにした。
 既に席には自分の何倍かは大きいトストが丸っこい形をした楽器、ホルンを慣らしており少しばかり緊張感を持つ。なんやかんやで、モモコはチームカルテットとモデラート、マナーレ、ディスペア以外のポケモンとまだちゃんと話していないというのもあったからだ。フィルからはほぼ一方的なアプローチを受けているだけであり、会話として成立していない。

「おっ、お前新入りだよな?」

 そんなモモコの心境に気が付いているのかどうかは分からないが、トストの方からにゅっと彼女を覗き込むように声をかける。大の厳つい男があまりにも顔を近づけてくるものだから、モモコはぎょっと言葉を失う他ない。

「もしかして緊張してんのか? なぁに気にすることねぇって!」

 やはりモモコの気持ちを察していたのか、トストはそれを吹き飛ばすかのようにカッカッと豪快に笑う。その厳つい見た目に反して気配りができるものだから、モモコも思わず緊張が解ける。

「俺はトスト、チームアースの所属でホルンやってんだ。お前は……えーと、スマン! モココだっけ?」
「あはは……よく間違えられるけど、モモコだよ。チームはまだ分からないけどユーフォやることになったんだ。よろしくねトスト」

 トストに促されるようにモモコは彼と握手を交わす。気前のいい兄貴分的な存在の彼の手は大きく、しかしその優しさに包み込まれてしまいそうだった。思えばトストは、昨日の自己紹介の時も快く受け入れてくれたポケモンだ。ミツキのことが引っ掛かりがちだが、この世界のポケモン達はほとんどが優しいことをよく表している。

「ここの金管はお前を含めて全部で5匹。ホルンの俺とトロンボーンのフィル、チューバのリリィ。そしてトランペットのミツキだ」

 ミツキ__その言葉に反応するように、思わずモモコは表情を引きつらせながらばっと後ろを振り向く。
 ミツキはというと、まだ席には着いておらず合奏体形とは少し離れたところで音出しをしていた。その代わり、開幕ナンパのキザニンフィア、フィルがモモコの真後ろに鎮座していたのだが。

「やぁ、おはようモモコ。早くキミとセッションできるのを__」
「時間だ、チューニングをする」

 いいタイミングでマナーレが指揮台の上に立ち、魔法使い達の視線を集める。がっくりと項垂れるフィルに、モモコもトストも苦笑いを浮かべるしかない。魔法使い達は先ほどの和気あいあいとした空気から、真面目そうな目になる。
 部屋の空気がピリッと張り詰める中、魔法使い達は楽器を構えて、いよいよ合奏に臨んだ。

「Aグループから」

 Aグループと呼ばれたのはチューバのリリィ、バリサクのライヤ、ファゴットのクレイ、コントラバスのモデラート。どれも低い音が出る大きな楽器だ。また、リリィはAグループでは唯一の金管楽器にあたる。

「Aグループはライヤに息のスピードを揃えろ、もう一回」

 息のスピードを揃えると言われても、モモコからすればピンとこなかったがライヤはすぐに理解できたらしく、次のチューニングではAグループがマナーレから特に注意を受けることはなかった。
 チューニングは次のBグループという集団へと移る。
 Bグループはここにいるメンバーではトロンボーン、ホルンの金管のみ。いわゆる大きすぎも小さすぎもない、やや低めの音が出る中低音楽器達でまるで包み込まれるような温かい音が部屋中に響き渡る。

「Bグループは楽器をもっと身体全体で鳴らせ。楽器も身体の一部だぞ」
「モモコも合奏に参加する時は、Bグループになるからな。俺やフィルの音、ちょっと聞いてみな」

 トストがそっと耳打ちをしてくれたこともあり、モモコは彼らの音色に耳を澄ませてみる。聴けば聴くほど今にも夢心地に浸ってしまいそうなこの音色に、自分も1日でも早くブレンドしたいと強く思ったのだ。
 かくして、Bグループの次のチューニングの音はマナーレの納得いく音になったようだ。
 次いでトランペットにクラリネット、アルトサックスが属するCグループのチューニング。高めの音が出る、知名度も高い華やかな楽器達で構成されている。

「クラリネットとサックスだけ」

 マナーレに捕まったシオンとフローラは、2匹でお互いにアイコンタクトを取りながら吹く。

「あまり音程が合わないな。お互いよく聞いてみるように」

 確かにマナーレの言うとおり、2匹の音程はいいとは言えなかった。フローラの音がみよみよみよ、と響いており音程が揺れている。これはモモコにも聴きわけることが出来るほど分かりやすかった。マナーレの「もう1回」でようやくCグループも先ほどよりまとまりが出てきた。マナーレもこれなら許容範囲だと判断したようだ。

「最後、Dグループ」

 Dグループはもう1匹のクラリネットパートのリオンとフルート、そしてバイオリンだ。小型の高音楽器からなっている。構成数が少ないこともあり、彼らのサウンドは聞いていて心地よい。他のグループと比較しても、ずば抜けた統一感があった。

「お前らはブレンドし合ってるな、全員で!」

 マナーレがいち、に、と合図をするとバッ、と魔法使い全員のチューニングの音がマナーレに向かってきた。隣から後ろから、前からもその音の圧力がぶわっと全身を駆け巡る。思わずモモコは心が震えそうになった。
 納得のいくチューニングが出来たようで、いよいよ本格的な基礎合奏が始まる。

「よし、こんなもんか。バランス練習!」

 マナーレの滑らかな4拍子の指揮に合わせて、魔法使い達が音を出す。
 まずはAグループの低音楽器が支えを作り、その上にBグループ、Cグループ、Dグループが乗っかるようだった。
 例えるなら、Aグループはケーキのスポンジ、B、Cグループはそのスポンジを包み込むような生クリームや目を惹かれるイチゴ、Dグループはより華やかなビジュアルにするのを手伝う金箔だ。
 しかしマナーレは怪訝な表情をして指揮棒を下ろす。どうもひっかかるところがあるようだ。

「うーん……。トランペット、もっと柔らかい音出ないのか? ユズネのオーボエのような……」

 マナーレがその時発せられたユズネ、という言葉に反応するかのように、ミツキは顔を強張らせて俯いていた。ミツキだけでなくライヤもコノハも。それどころか魔法使い全員が重い空気に包まれていた。
 あれ、あれ? とにモモコはこの空気に動揺しながら魔法使い達の表情を伺うも、「どうしたの?」の一言を発するには至らなかった。 今ここで聞いたら、余計空気を悪くしてしまいそうな気がした。

「__と、とにかく、もう少し口や肩の力を抜いてみろ! もう一度やるぞ」

 クールで飄々としているマナーレも、この時ばかりは珍しく焦っていた。不味いことを言ってしまったかのように。
 こうして合奏は続けられたが、何も知らないモモコの、ユズネという存在への疑問や好奇心は高まっていくばかりだった。



* * *



 合奏が終わり、魔法使い達は各々の持ち場にそれぞれ向かう。ライヤとコノハもモモコを連れてミツキと合流しようとしたのだが。

「ミツキ、あの__」
「悪ぃ、ちょっと楽器の手入れしてくるから先行っててくれ」

 ミツキはそう告げると、すたすたと早足で部屋から出て行ってしまった。基礎合奏で言われたことが余程心に響いているのだろう。モモコ達は顔を自分達に向けずに去って行くミツキを見送ることしかできず、ただその場に佇んでいた。ライヤとコノハに至っては、心配そうな気持ちの方が強い表情をしており、ミツキの気持ちを知っているようにも見える。

「仕方ありませんね。先にポスト部屋に向かいましょうか」
「そうね」

 ライヤとコノハに着いて行くように、モモコも依頼を見に行くことにした。
 2匹が切り替えている一方で、モモコはまだ『ユズネ』の言葉の意味が気になっている。気にしても仕方ないこととは分かっていても先程の合奏での出来事を引きずっていた。

(もしかして、今ここにはいない魔法使いとか? ミツキだけじゃなくて他のポケモン達もなんか空気重かったし……何か良くないことがあったのかも)

 そう考えるとここに来て2日しか経ってない今の自分は、この話に踏み込んでいけないような気がした。ユズネの話はマジカルベース内のタブーとして、モモコは受け止めることにし、無理やり気持ちを切り替えるように、ライヤとコノハとポスト部屋に向かった。



 しかし。



「今日も依頼ゼロのようですね……」

 ポストの前で、ライヤとコノハはがっくりと項垂れる。仕事が欲しいというのもあるが、モモコにも何かひとつ依頼を経験させたいという気持ちもあるのだろう。
 そういえば、とモモコは思い出したふりをするように口にした。

「ミツキ、なかなか来ないね」

 ポスト部屋の入り口を見つめるモモコに、コノハは酷く落ち着いた様子で語る。

「多分、今日は上がってこないかもしれないわね。相当落ち込んでたし、依頼が来てないのも分かってると思うわ」
「だったら、ちょっとモモコをボク達に貸してくれないかい?」

 優雅な足取りと共に、3匹の目の前に現れたのはフィルだった。めんどくさい奴が現れた、と言わんばかりにコノハは顔をしかめるが、すぐにその表情は柔らかいものとなった。

「うっわ、フィル……だけじゃない?」

 フィルが従えるように、トストとリリィも一緒になって登場していた。リリィはまだモモコに対しておどおどしているのか、がっしりと構えているトストの陰に隠れるようにチラチラと3匹の方を見つめている。
 フィル達一行のメンバーを見れば、トロンボーン担当のフィルとチューバのリリィ、ホルンのトストというミツキ以外の金管奏者という言葉にピンとくる。

「トストとリリィまで、金管メンバー勢揃いですね」
「都合が空いてる日はボク達で、モモコに楽器のことを少しでも教えてやろうと思ってね」

 マジカルベースの最高権力者であるモデラートとマナーレはそれぞれ、コントラバスと指揮者であり管楽器を吹く魔法使いではない。そうでないにしても、2匹は他の魔法使いと比べてもやらなければいけないことが多すぎて、声をかけていいのかどうかすらも定かではない。そうした事情もあり、魔法使い同士で助け合うという習慣が、このマジカルベースではついていた。

「確かに、1日でも早く合奏に入る準備をするに越したことはありませんからね」
「そしたら、そうしようかな」

 ライヤの後押しもあり、モモコは今日はフィル達について行くことを決めた。ライヤとコノハは木管楽器であるため、どうしても金管楽器と奏法に差が出てしまう。金管のことは同じ金管奏者に任せるのがベストだと判断したのだ。



* * *



 所変わって、クライシス3幹部の溜まり場と化しているクリスタルの洞窟改めアジト。
 テレビ代わりになるモニターでニュース番組を気難しい顔でチェックしているグラーヴェに、白いソファに座りながらオシャレ雑誌をスクラップしているソナタ。マジカルベースのようにちゃんとした建物ではなく、洞窟という自然の一部のハズのこの場所で、2匹はすっかり我が家のようにくつろいでいる。ポケモンとしては自然の中で暮らすことが当たり前かもしれないが、文明が組み込まれているこの光景はハタから見れば違和感の塊だ。

「何をしているのだ、ソナタ」
「新作コスメをスクラップしてるのよ。女の相棒なんだからね」

 年季の入ったオスのグラーヴェからすれば、まだまだ若い分類に入るソナタが、たかが化粧品に夢中になるのかが理解できなかった。元々、グラーヴェがドレンテを含めた3匹の中でも親玉や任務に対して非常に忠実で、ポケモンのミュルミュール化やモモコの捕獲に積極的であるというのもあるのだが。

「全く、女というものは何故こうもクダラナイ広告に現を抜かすのか。せっかくモモコを見つけたというのに……」
「ねぇソナタ。それよりももっと面白いモノがあるよ」

 ひょこっ、とドレンテが地面に突き刺さっているクリスタルから顔を出し、ソナタに微笑みを投げかけながら手招きする。その恐ろしい程に無邪気で、且つ不気味な笑顔を見てソナタは眉間にシワを寄せる。

「何よ」
「ユウリ様から頂いたこれさ」

 ドレンテがそう言いながらヒラヒラと1枚の紙切れをソナタに向けて見せる。その紙に何が綴られているのか把握したのか、ソナタはスクラップそっちのけで、ドレンテの持っている紙切れに食いつく。
 紙に綴られている内容を目で追うと、ソナタは興奮している様子でニヤリと口元を引きつらせた。

「ちょっと練習して、試してみない?」
「い、いいかもしれないわね……」



* * *



「ぱふぇー」

 朝に合奏が行われた練習部屋で、ミツキを除く金管奏者組はモモコに楽器のレクチャーを行っていた。まずは楽器を吹く感覚を知ってもらうために、ユーフォを試し吹きさせていたのだが、ユーフォはチューバやホルンに次いで管が長い楽器とされており、吹奏楽初心者のモモコには音を出すことだけでもなかなかハードなものだった。

「どうだ? ユーフォって菅長いから音出すだけでも大変だろ」
「見たところ、肺活量がもともとそこまでないみたいだから……毎日地道につけるしかなさそうだね」

 他のポケモン達が優雅に慣れた様子で楽器を吹いていたのが、まるでモモコには信じられなかった。自分もあんな風に音を鳴らすことができるのか__正直なところ、あまり自信がなかった。
 楽器を吹くことは、ミュルミュールにされたポケモン達を浄化する局面に限らない。つまり、楽器を扱えないことは魔法を使えないこととほぼ同義であるのだ。

「ちなみに、楽譜は読めるのかい?」
「うん、昔ピアノやってたことあるから、ある程度なら」
「ならあとは運指だけだな。リリィ、チューバとユーフォはピストン番号同じだから教えてやってくれ」

 トストに話を振られて、リリィは思わずびくっと体を震わせ、目を丸くさせる。この練習の最中も、モモコへの警戒心を解けていないリリィは極力彼女に関わらないようにしていたため、自分に役が回ってくると思わなかったのだ。

「えっ、わ、私が……?」
「お願いだよ、今のミツキじゃ務まりそうにないからね」

 フィルからもリリィに頭を下げていると、タイミングを狙っていたかのように噂のミツキが彼を背後から見下ろしていた。

「何が俺じゃ務まらないって?」
「げっ、ウワサをすれば何とやら」

 聞かれているとは思わず、珍しく顔を引きつらせるフィルをよそに、ミツキはモモコに向けて口調をさらに強めて告げる。

「フィルもトストもリリィも、本当なら優秀な魔法使いなんだぜ。お前みたいな足手まといの面倒なんか見てる暇なんてねーんだよ」
 
 今目の前にいるミツキが昨日、クライシスに捕まりそうになったところを助けてくれたポケモンと同一とはまるで思えない。言葉が出かかったモモコだが、ミツキが自分に冷たいのには何か理由があると踏んでおり、ここはひとつ堪えることとした。
 しかし、モモコの代わりにトストやフィルがあまりにも辛辣なミツキの態度に首を傾げ、彼に詰め寄る。リリィはというと、争いごとから敢えて逃れるように身を縮こませながら関わらないようにしていた。

「ミツキ、どうしてそんなにモモコに辛辣なんだい?」
「そうだぜ、昔までのお前だったら面倒見良く教えてやってたんじゃねーのか?」
「あーもううるせぇな、クライシスが今デカイ顔してるのお前らだって分かるだろ? 無知なポケモンの相手したって、時間の無駄になるって」

 質問攻めを受けて苛立ちを募らせたミツキはとうとう、フィルの逆鱗に触れてしまった。証拠に、フィルは首元からなびいている長いリボンでミツキの胸ぐらを掴み、まるで鬼のような形相で彼を見つめる。キザな性格でナンパは好きでも、彼が魔法使いのプライドを持っていることが伝わってくる。

「キミ、それでも魔法使いなのかい……!?」

 フィルが感情を高ぶらせ、今にも喧嘩になりそうな空気にモモコは唖然とし、リリィはとうとう目を瞑りながら顔を背ける。ミツキはというと、無言で何も答えず今フィルにできる精一杯の抵抗をしていた。

「フィル」

 トストがフィルを宥めるように静かに呼びかける。我に返ったフィルは、自分がしていることを情けなく思ったのか力無くミツキを解放した。
 地面に静かに下ろされたミツキは、睨みつけるようにフィルを見上げる。そして、ギリッと気にくわないように歯を食いしばり、スッと立ち上がり背を向けた。

「……もういい」

 ミツキはそれだけ言うと、早足で練習室から出て行ってしまった。
 モモコはただただ去っていくミツキを強張った顔で見送ることしか出来ずにいた。陰に隠れていたリリィは、ミツキがいなくなったことで緊張が解けたのか、深く大きな溜息を吐く。フィルはミツキの対応にまだ不愉快さを感じてはいたものの、自分や他の魔法使いではどうにもならないという開き直りの気持ちも芽生えていた。
 そんなフィルの気持ちを察しているトストは、彼の頭をポンポンと撫でてやった。もう子どもじゃない、と思ってはいても余裕と包容力のある大人に宥められると、フィルも自然と心が和らいだ。

「すまないね、モモコ。見苦しいところを見せてしまって」

 フィルはモモコに顔向け出来ず、俯いたまま謝罪の言葉を口にする。

「だ、大丈夫だよ! フィルは悪いことしてないし、気にしてないから!」

 そう返すモモコの優しさに、フィルが表情を和らげた時、偶然にも入れ違いという形でライヤとコノハの2匹が練習室に入ってきた。

「たっだいまー! 依頼終わったー!」
「あれ、皆さんどうしたんですか?」
「まぁ、ちょっといろいろあってな……」

 トストが真っ先にライヤに言葉を濁し、ミツキが来て喧嘩になりそうだったことを何とか誤魔化した。ライヤ達も深追いせず、話の矛先をモモコに向けた。

「モモコ、どうお? 楽器吹くの初めてだったっしょ?」
「か、管楽器って難しいね……」
「最初のうちはそんなもんよ。なんだか魔法使いになったばかりのこと思い出すなぁ」

 そう言いながら、コノハは遠くを見つめながら当時の自分の様子を思い出す。きっと今の自分と同じように、楽器に触れる新鮮さを味わっていたのだろうと、モモコは勝手ながら推測した。

「で、でも……。楽譜は読めてるし音も出てるから、後は慣れだと思うの」
「ありがとうございます、リリィ」
「そしたら、今日はこの辺にして晩ご飯にしましょ!」
「みんなみんな! 今日のご飯はビフテの実のシチューよ!」

 いいタイミングで、フローラが練習室に忙しない様子で飛び込み、声を張り上げる。フローラの声を聴き切った、その場にいた魔法使い達は飛び上がるように喜んだ。ビフテの実のシチューという料理は、ポケモン達の間でも人気のあるものであることが伺える。

「「やったぁ!」」



* * *



 魔法使い達の夕食は、居間で取ることが多いのだが決してそれは強制ではない。夜勤が入っている魔法使いなんかはおにぎりやパン、果物なんかを持って仕事に向かったりもし、日によっては外食しに行くという魔法使いもいる。その日の余った夕食は無駄にはならず、冷凍保存してまた再利用するという節約生活を送っているのだ。
 今日は偶然居間で夕食を取っているポケモンが多く、宿舎は比較的賑やかな雰囲気だが、ミツキの姿はそこにはない。本部から宿舎に戻る途中でモデラートとマナーレがミツキと何やら話しているのを、モモコは思い出した。以前、ミュルミュール退治の際に大通りの建物を破壊したとか何とか、と聞こえていたため、町で問題を起こしたことを叱られているものとみた。あまり深追いしてはいけない空気だったようにも思えたが、どうも気がかりだった。

「大盛りだ大盛りだ!」

 食事は基本的にセルフサービスとなっているが、シオンのように毎日大盛りで料理を盛る魔法使いもいる。そのため、比較的1回の食事は量に余裕を持って作っている。

「おかわりはいくらでもあるわよ」

 基本的に料理を作っているのは医者でもあるおネェのディスペアだ。ただのおネェという言葉では片付けられない、魔法使い達を見守るような母性が彼(彼女?)から溢れ出ていた。

「あー、美味しい幸せー」

 コノハが美味しそうにブラウンシチューのルーに絡んだビフテの実を頬張っている傍らで、モモコは毒味するかのように意を決してスプーンに乗せたビフテの実をコノハと同じようにして、恐る恐る口に入れる。モモコからすればこの世界の料理はまだ馴染みがない。せいぜい自分の世界にもあった木の実といえばオレンの実だのモモンの実だの、果物に酷似したものだった。
 珍味でも混じってるのかな、食べると笑い出すキノコとか入ってないかな__食生活も期待と不安の両方がのし掛かる要素のひとつだったが。

(す、ステーキ!?)

 ビフテの実はモモコのいた世界の食べ物に例えるならビフテキ。肉とほぼ同じような食感と味を感じることが出来ていた。そして絡まっているブラウンソースと、その中で泳いでいる野菜達。人間の頃と変わらない食事が出来ることにも驚いたが、もっと大袈裟に言えば元の世界に存在しているビーフシチュー以上に美味かもしれない。この時のモモコには感激以上の言葉が思いつかなかった。

「何これすっごい美味しい!」
「でしょー? ビフテの実自体、ご馳走で使われる木の実だからね。味わって食べなさい!」

 モモコはコノハに導かれるようにスプーンを動かしていると、ふとテーブルの上に乗っている真っ赤なビンに目が行く。

「あれ、これは?」
「げっ、それタバスコよ。アタシ唐辛子とか苦手だから使わないけど……」

 コノハが会話を続けている途中で、モモコは平然とした顔でシチューにタバスコを5、6滴ほど垂らしていた。今まで見た中で一番の笑顔で辛口シチューを味わう彼女の姿に、流石のコノハも目を点にしていた。
 ライヤが思い出したように話題を作ったのはその時だった。

「ところで、マスターに言えば書斎の鍵を貸してくれるんです」
「……書斎には大量の魔法や音楽に関する本もあるから、きっと役に立つと思う」

 ライヤの説明を補足するように、食器を持ったクレイがボソボソと小さな声で呟きながら、モモコ達の背後を通り過ぎて行った。

「あ、ありがとう……?」
「もしかして、クレイの態度が違くてビックリしてる?」
「本来のクレイは寡黙というかミステリアスというか……年相応の落ち着きがあるんです」
「ただお酒に弱いだけなのよ」
「そ、そうなんだ……」



* * *



 夕食後、すぐにモモコは鍵を借りるためにモデラートの部屋へと向かった。どういうワケか、マナーレの姿はもうなく、彼女は自分の部屋に戻ったものだと思われる。

「書斎の鍵?」
「うん。マスターに言えば貸してもらえるってみんなから聞いたから、よかったらーって思って」
「いいよ。これがその鍵さ」

 そう言うとモデラートは、自分の机の引き出しをガサゴソと漁り、中から取り出した金色の鍵をモモコに手渡す。先端には星型の装飾が施されており、シンプル且つファンシーさが漂っていた。

「使い終わったら返してね」
「ありがとう、マスター!」

 モモコは鍵を受け取ると、すぐにその場を立ち去ろうとした。
 が、せっかくモデラートと話す機会が今あるのだ。モデラートなら、他の魔法使い達に聞きづらいことでも話してくれるかもしれない。そう思ったモモコは足を止めると踵を返し、モデラートに再び目を合わせた。

「あっ、それとさマスター」
「ん?」
「ミツキってさ、どうして他の魔法使い達ともよく喧嘩してるの?」

 途端にモデラートの表情が僅かに歪む。モデラートにとってもあまりいい話題ではないとは分かっていただけに、モモコは質問したことを後悔する。

「どうして、それを聞くんだい?」
「あ、いや……。わたしだけに辛辣だったらまだしも、みんなの神経も逆撫でするようなことをなんでわざわざ言ってるんだろう、って」
「うーん、ちょっとそれは僕にも分からないな」

 モデラートの言葉には僅かに迷いがあったことを、モモコは聞き逃さなかった。彼はきっと何か知っている、もしかしたら自分が新米だからはぐらかされているのかもしれない。モモコにはそれが面白くなく感じた。

「ただひとつだけ言えることは、本来のミツキはもっと面倒見が良くて、思いやりのあるいい子なんだ」
「そっかぁ……」
「気持ちは分かるけど、今のモモコにはそれ以上にやらなければいけないこと、あるんじゃない?」

 はっ、とモモコは思い出したように気持ちを切り替える。ミツキや他のポケモンのことも気になるが、まずは自分のこともどうにかしなければ。忙しなくモモコはモデラートの部屋を後にした。

「そうだった、これから勉強しなきゃ! おやすみなさい!」

 モモコが部屋を後にしても、モデラートはただじっと彼女が立っていた場所を見つめるばかり。ふぅ、と深い溜息を吐くと、自分もまだまだやることがあるじゃないか、と机へと視線を移し、日中報告書に手をつけ始めた。



 所戻ってモモコの部屋。机にランタンを置きながら、まるで入試でも控えた受験生のようにモモコは本と格闘している。
『ナマケロでもわかる! ポリゴン2もビックリ! ユーフォニアムのすべて』と書かれたその本にはユーフォの基本的な奏法だけでなく、楽器の歴史まで書かれていた。
 ユーフォニアムの名前の由来は“良い響き”であること、元々はチューバから分離していることや、亜種とも呼べるバリトンという名前の楽器も存在しており、ユーフォとは音色が異なるということから、楽譜の読み方や共通音名まで書かれていた。
 そんな感じでモモコはユーフォに関する勉強に没頭していた。

 それから数時間後。
 何か飲み物でも飲んでから寝ようと思ったミツキは、廊下を1匹で歩いていた。居間でよく冷えたミルタンク印のミルクを飲み、自分の部屋に戻ろうとすると、ふと自分の隣の部屋から灯りが溢れていることに気が付いた。
「明かりつけっぱじゃねーか」

 ミツキが部屋のドアを開けると、そこには机に突っ伏していたモモコがいた。自分が入ってきたことにも反応がなく、何かの作業をしていてそのまま寝落ちしてしまったものだろうとミツキは推測する。

「……」

 仕方なさそうにミツキは溜息を吐きながら、モモコの側まで近づく。机の上には音楽に関する本が散乱していたり、各音階の楽譜のページが開きっぱなしになっており、モモコの頬に潰されている。

「ったく、仕方ねぇな。風邪引くっての」

 このまま放っておくワケにもいかず、且つモモコも気づいてなさそうだ。ミツキは静かにモモコを抱きかかえると、窓際に位置するベッドまで運び、布団も掛けてやった。
 ここで起きてしまったら、「セクハラ」だの言われかねないし、自分もカッとなって言い合いになってしまわないかという心配があったため、モモコが途中で目覚めなかったのはミツキにとって好都合だった。

「んん……」

 部屋を去ろうとした時、ベッドの中からモモコの声が聞こえ、ミツキはビクッとしながら後ろを振り返る。まさか起こしてしまったか、どう言い訳しようかと思っていたが。

「シのフラットは……ベー……。ユーフォは……ベー管……」
「なんだよ……紛らわしい」

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