3.不格好な始まり

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「…と、いうわけでやって参りました校長室ーヤッタネ」

一晩明けて早朝、坂に沿うように点々と建つ校舎の一室の前で、ウィズが感情のこもらない声でそう言った。

「棒読みだな。」
「うるせえ来たくなかった。」
「一度は諦めたろ、子供は学校に行くもんだ。」
「クソ・・・」

この世界にはドアらしいドアがない。すでにあちらの様子が見えていてこちらの会話も筒抜けだというのに律儀に待ってくれているのが見えている。
室内に入れば、ぼーっとしているようにも見える笑顔を向けられ、なんとなくそうしなければいけないような気品にウィズが会釈する。相手もふさのある頭を軽く下げると話し始めた。

「いらっしゃいウィズくん。私は校長のヒヤッキーです。お話は聞いていますよ、なんでも記憶がなくて困っていたところをコノハナさんに拾われたとか。」
「まあそんなとこ。」
「私が記憶の分野に明るければよかったのですがあいにくと…。でも学んでいくうちに取り戻せるものがあるかもしれません。まずはゆっくり、ここで落ち着いて自分を見つめ直してみてください。」
「自分を見つめなおす・・・ねえ。」

ウィズは目を細めた。見つめなおしたところで良いものは出て来ないだろうという思いが昨日の時点でまとわりついている。昨日見えた一面が一部分であろうと大部分であろうと、自分が悪事を繰り返していただろうという事実と真っ新な状態で向き合うのはなかなか堪えるものがあった。
それでもここは一度頷いておく。

「ここではどんなことを教えてるんだ?」
「大きく分ければ座学と実習ですね。」
「実習?」

ウィズが反芻して、校長は頷き話を続ける。

「主にダンジョンでの戦い方ですね。この世界からダンジョンを切り離しては語れません。私たちはポケモンですから自分の力を如何なく発揮できなければ。特に戦い方を知らないウィズくんはね。」
「へえ、そりゃありがたい。」

皮肉なしに素直な気持ちだった。学校と言えば国語や算数といったものだとばかり思っていたがどうやらポケモンの世界においてはそうではないらしい。あれだけ嫌がっていたのにも関わらずコロッと態度を変えたウィズに、前日に保護者となったばかりのコノハナのオーガスタは思わず苦笑いをした。
ウィズはオーガスタとの逃亡劇以外の戦闘を知らない。自分が「ひっかく」、「しっぽをふる」、「サイケこうせん」の3つの技が使えることはそこで初めて知ったし、道中苦戦したものの「ひのこ」も習得した。
だがほとんどサバイバルであるダンジョンでの動き方など全く知らない。効率的かどうかなどウィズにはわかりようがなかったのだ。

「この先情報がダンジョンに無いとも限らねえんだよな。馴れ合いは勘弁願いたいが、そういう勉強は嫌いじゃない…気がする。」
「馴れ合いもある意味では実習のうちですよ?」
「時と場合によってやるよ。」
「コノハナさんも大変そうですねえ。」
「はは、大丈夫だよ先生。こいつ生意気だけど案外飲み込みは早えんだ。バシバシやってくれ。」

困った子供に眉根を下げる校長先生に、オーガスタは笑ってウィズの背中をもふもふと叩く。
遠慮はいらないという言葉にニコリと校長先生は笑ってウィズは背筋の寒いものを感じた。

「そうします。」
「テメー覚えてろ!」
「じゃあウィズ、がんばれよ!」
「だから聞けよオーガスタァ!!」

ははは、と笑ってオーガスタは爽やかな笑顔で帰っていく。昨日の今日で既にウィズあしらい方を会得したようだ。
息巻いてその背に声を張るウィズの後ろでヒヤッキー先生が思い出したように言う。

「私たちもそろそろ生徒たちのところに行かなければ。久しぶりの新入生ですからね。」

これからクラスメイトに紹介されるらしい。椅子から立ち上がった先生に、ウィズは知識のあるポケモンに会ったら聞きたかったことをぶつけてみることにした。

「一つ聞きたいことがある。」
「なんでしょう?」
「………人間がポケモンになる、なんてあると思うか?」
「それは……、いえ、無いとは言い切れないとしか言えませんね。すみません。」
「いや、いいよ。…ありがとう。」

校長でも聞いたこともないなら、情報はあまりやすやすと手には入らないだろう。少なからず期待はしていただけに、ウィズの肩が落ちた。

「先は長そうだな…。」

とりあえずは校長の言うとおり、自分を知ることだ。ウィズにとってそれが第一歩で全てになるのだから。


「あ、昨日の草。」
「うげ、昨日のクズ。」

予想通りというのか、青空の下で地面に机を並べただけの教室の奥には見知った顔があった。

「ティー、言葉遣いが悪いですよ。」
「でも先生……」
「転入生を歓迎してあげてください。彼は色々と訳ありなんですよ。さあウィズ君、前に立って自己紹介をお願いします。」

たれ目を少し釣り上げてティーを戒めると、校長はウィズを教卓へと促す。そこからみたクラスメイトはわずか数匹。
ヤンチャム、チョボマキ、ニャスパー、ヌメラ、シキジカ。そしてツタージャ。それで全員だ。
全員の顔を見渡すとウィズは口を開いた。

「あー、俺はフォッコのウィズだ。実は昨日より前の記憶がなくて自分の歳も出身地も何も知らない。昨日からコノハナの家で世話になってる。お前らと仲良くする気は無いが別に敵対もしねえからほっといてくれ。終わり。」

やれやれという顔の校長と、転校生だとワクワクしていた生徒たちの口がぽかんと開いているのが教卓からはよく見える。
その横をするりと抜けて、ウィズは一番端の後ろの席へついた。遅れてやってきた何だそれー!という怒声のような声も知らん顔で。ヒヤッキー校長もすぐにはどうにもならないと諦めたのか、カモネギ先生に授業を始めるよう伝えていた。

その日の授業はダンジョンの気候についてだった。ウィズが初めて入ったジョバン峠はよく晴れて穏やかな気候だったが、ポケモンの技や位置する場所によっては砂嵐やあられといった動くだけで体力が減る場所もあるようだ。
もらった紙にふんふんと頷きながら書き込む間も、ウィズはあちこちから視線を感じていた。

「お前もふもふのくせに生意気だぞ!」
「可愛い見た目してるからって調子乗るなよな!」
「確かに俺は究極に愛らしいモフモフだけどそんなに褒めるなよ。」
「こいつ都合のいいとこしか聞いてねえぞ!?」

昼食の時間になり、教室には生徒だけが残される。先生の目がなくなった途端、ウィズはヤンチャムとチョボマキに早速取り囲まれた。
机にきのみを並べてかじりついていたウィズは、食べる手を止めずにそう返した。手応えのなさと舐め切ったふてぶてしい態度にヤンチャムが身を乗り出し睨みつけてくる。

「なあ、転校生?このクラスで一番怖いのが誰かわからないのか?」
「謝るなら今のうちだぜー?」

率直にマウント取りをかけてくるヤンチャムとチョボマキに、遠巻きに見ていたシキジカが慌てて止めに入ろうとする。

「ちょっとジャック、カイル!やめなさいよ」

シキジカとて初対面でウィズにあまりいい印象は抱いていなかったが、守ってくれる先生も友達もいないのに酷だと思ったのだ。
しかしそれはあくまでシキジカの良識的な判断の上での話だった。口の中のものを飲み込みながら教室を一度見渡したウィズは、何でもないことのように言い放つ。

「ティーだろ。それかニャスパー。」

空気がぴしりと固まって、我関せずと無視を決め込んでいたはずなのに話題に挙げられてしまった女子2匹が焦ったようにこちらを向いた。

「ワタシ今関係ないでしょ。」

ニャスパーの声は怒っているが表情の読み取りづらい大きな瞳はどうにもわかりづらい。しかしなんとなくウィズは危険な相手というものがわかるらしい。校長の時によくわかったが、大人たちは誰もが「教育」を修了しているだけあってか逆らってはいけない力を感じる。同年代のはずの彼女からも似たような威圧感があった。

「おー怖い。やっぱり俺間違ってないから無関係ではないな。でもまあ入ってこなくていいから。食事続けて。」
「何よ、話題に出しておいて。」

ぷんぷん怒って席へと向き直るが、やはりその姿は無表情にしか見えなかった。ニャスパーの威圧感に押し黙っていた2匹がようやく我に返る。

「て、てめーよくも!」
「そんなこと言えたなコラァ!!」

図星を差されて顔を真っ赤にして喚くがニャスパーに持って行かれた後では残念なほどに迫力不足だ。ウィズも飽きてきて騒音をBGMに食事を再開している。その間、ティーはずっと黙ってこちらを睨みつけていた。
最後に残った木の実に手を伸ばそうとしていた時だった。

「俺が話してる時に食うなっつーんだよ!!」

横から伸びてきたヤンチャムの手が先にモモンの実を奪った。
ウィズが反応する前にそれを口に放り込んでしまう。どうだ!と言わんばかりの表情に、周りはあーあ、と呆れていた。
中途半端に流して煽ったウィズに対して、威勢はいいがやったことと言えばデザートをひとつ取っただけ。子供らしい仕返しだろう。
だがウィズにとってはそうではなかった。

鈍い音がして、ヤンチャムの体が突然横へと倒れた。ウィズの前足に頭を殴られたヤンチャムは何が起こったのかわからず立ち上がろうとして、ヒィッと声を上げた。
目の前でウィズが息荒く今にも飛びかかりそうに身を低くしていた。何も言わない、ただただ牙をむき、毛を逆立てて親の仇かのような目でヤンチャムを睨めつけている。

「な、なんだよ…!?」
「・・・・・・。」
「なんとか言えよ…!」

裏返ったヤンチャムの声に数秒遅れで周りに動揺が伝染し、ヌメラが悲鳴を上げた。呆れていたクラスメイトもウィズの豹変ぶりにパニックを起こし、ヌメラの悲鳴ですぐに異変に気付いた先生達が教室の方へ坂を駆け下りてくる。

「何がありましたか!?」

ミルホッグ教頭の鋭い声がウィズの本能で占められていた頭に刺さってハッと意識を取り戻す。目の前で頬を押さえているヤンチャムの姿がウィズの視界で像を結ぶ。
その瞬間、今度はウィズの頭がパニックを起こした。

「わ、………えっ!?」

逃げ出そうとしているのか、及び腰になるウィズを、駆けつけたタブンネ先生が押さえつける。そのまま横を向くと、タブンネ先生はクラスメイトのシキジカに言う。

「アン、説明できる?」
「ジャ、ジャックがあの子のお弁当を取っちゃって、そうしたらいきなり……」
「そう……ウィズ君。先生と保健室に行きましょうか。」

シキジカのアンの説明を聞いてタブンネ先生はヒョイっとウィズの体を持ち上げてしまう。クラスメイトは驚いた顔をしている。なぜ殴られたヤンチャムではなく殴った側が保健室に連れていかれるのかという気持ちだろう。
抵抗らしい抵抗もしないまま、ウィズはタブンネ先生に抱えられて退場していった。

「ウィズ君、顔色が悪いわ。」

保健室へと入るとすぐに柔らかい干し草の上に下ろされ、タブンネ先生はその体を挟み込むようにふれた。
先程まで恐慌していたウィズの顔は自分自身がわからないことで混乱し、目をさまよわせている。

「何があったのか先生に言える?」
「ヤンチャムは……」
「あの子は大丈夫よ。見たところ口も切ってなかった。あなたの前足は横っ面を殴るには向いてないものね。」

ちょっと驚いただけよ、と優しく顔をなでられる。身に慣れない感覚にウィズがムズムズと顔を情けなく歪ませた。

「それよりあなただわ。私も色んなところで保険医をやってきたけど、あなたのさっきの顔色は尋常じゃなかった。まるで命を脅かされたみたいだったわ。アンはジャックがあなたのご飯を取ったからだって言っていたけれど、本当かしら?」

ウィズを怯えさせないように、タブンネ先生は優しく優しく声をかけた。彼女は田舎どころではない場所にいたことがあった。その中で見てきた光景からウィズの行動に心当たりがあったからこそウィズを優先させた。
ウィズが恐る恐る頷く。たった一つの果物で余裕も軽い口先も吹き飛ばされて、ただ恐怖に煽られた。その事実をウィズは理解出来なかった。

「ウィズ君は記憶がないのよね。それも一昨日までのすべて。それじゃあ説明はできないわよね……」
「……ヤンチャムが木の実を盗った時、『ヤバい』って思った。でも何が『ヤバい』のかわからなくて呆けてたら食われて、そしたらいつの間にか殴ってた。……後で謝るよ。たかが果物一つでくだらない。」

自嘲するウィズをタブンネ先生は心配そうな目で見ていた。記憶を失う前のあなたにとって果物一つは『たかが』じゃなかったんじゃないの、と、口にすべきか悩んで、

「謝るのは良いと思う。ここでは喧嘩は日常茶飯事だだから……きっとみんなもすぐに忘れてくれるわよ。」

代わりに口から出たのは初日から前途多難なウィズを励ます無難な言葉だった。それはウィズの心に残った疑問を何も解消しなかったが、誰にも答えることのできない疑問でもあった。

教室に帰ると全員いた。ウィズに殴られたヤンチャムが少しおとなしくなっていたが、後は大体いつもどおりの落ち着きを取り戻していたる。
そこに入って行くと全員の目がウィズを見た。ヌメラがシキジカの後ろにそっと身を引く。
シキジカも急に暴力を振るったウィズを怖がっているようだ。ニャスパーとティーは相変わらず我関せずを続けているらしい。しかしどこか見定められているような感覚を覚える。
ヤンチャムとチョボマキもまた 、引き金のわからないウィズに対して警戒しているようで、恨みがましい視線を送るだけで何かを言ってくることはなかった。
自分のせいで張り詰めた空気の中、ウィズは迷わずヤンチャムの近くへ寄っていく。やりづらいのが本音だが自分が捲いた種だ。仕方がない。

「ジャック、だっけか?……………さっきは悪かったよ。」

しっかりしていたが反省の色が見える声に、悪口の一つでも言ってくると思っていたヤンチャム、ジャックとチョボマキのカイルが拍子抜けしてポカンとウィズを見た。
ニャスパーがあら、と感心したような声を出し、ティーは意外だという顔を全く隠せていない。一触即発だと思っていたヌメラとシキジカが肩の力を抜いて安堵している。
各々の反応を受けながら「でも」とウィズが続ける。

「最初に言った通りだ。昨日より前の記憶がない。俺自身、なんであんなことになったのかわからないんだ。…あんまり関わって来ないでくれ。そっちから何もしてこなければ俺も何もしない…それは約束するよ。」

そう言ってウィズはとぼとぼと机に戻っていった。午後の授業が始まる。
席に着いたウィズの頭には言い訳のように疑問があふれかえっていた。自分の心と体がまるで別々に動いているような気分だった。

(そんなことするつもりじゃなかった…なら駄目だって思ってることをどうして…わからない、なにもかもがごちゃごちゃになってる気分だ…)



そんなスタートを切った数日後、ウィズの周りにポケモンの姿はない。
あれ以来のウィズといえば学校に来て早々陣取った机にかじりついて授業の予習復習に勤しむ至って真面目な生徒だ。生徒たちのおしゃべりも笑い声も素通りして図書館から借りてきた本を読みふけっていれば、誰に声をかけられなくとも当たり前のようにそこにいられた。
この学校にはノートというものはない。紙はあるが一枚一枚形の整っていないものを紐で括りつけて持ち運ぶので、まるで廃品回収中のように見える。
それでは復習しづらいので切りそろえて穴を開け厚手の紙で表紙をつけると簡易的なスクラップブックが完成した。授業に関連付けた新聞の切り抜きやらを貼り付けたそれは、同時に歴史資料も挟み込まれていて新入生にしては日に日に分厚くなってきている。そこそこ立派な本にも見えた。
するとニャスパーがそれを真似してもいいかと話しかけてきたのだ。

「別にいいけど…」

関わらないでくれって言っただろうが、という思いが透けた非難がましい声が出た。ニャスパーは首をすくめてみせる。

「気になってたのよ。随分綺麗にまとめてるみたいだし、次のテストいきなり負けちゃうかもしれないからね。」

ウィズのノートをパラパラとめくってニャスパーが驚きの声を上げる。ウィズとしては記憶を取り戻す道のりの進捗は思わしくないので少しばかり苛ついた声で言う。
人間に関した資料が一つも見つかっていないのだ。不機嫌にもなる。

「俺にとっての必要なことしか書いてないぞ。」
「すごい。授業でもやってないことまでしっかりまとめてる…へぇ、新聞の切り抜きに地理や歴史まで?ウィズってもしかして調査団員目指してる?」
「えー!?」

驚いた様子なのはティーだ。ウィズは調査団という聞き慣れない言葉に首を傾げている。

「こんな奴が調査団員になんてなれるわけないじゃん!」
「でもウィズは毎日一番遅くまで残って勉強してるし、すぐに帰っちゃうティーと比べるとやっぱりウィズの方が調査団員になるために必要なことをしていると思うけど…。」
「ぐっ……そ、それは私も冒険のためのトレーニングとか…それに!コイツは記憶がないから知識だって私のほうが上だよきっと!」

怒って反論するティーにニャスパーの悪気のない素朴な疑問が次々に突き刺さっているのを眺めてウィズは思った。
これ放っといたら巻き込まれるんじゃねえかな、と。

「おいニャスパー。」
「ヨルダでいいわよ。」
「調査団が何か知らねえがあんまりそいつ怒らせんなよ。面倒なんだ。」
「コ、コイツはまた………っ!それよりヨルダ!なんか随分ウィズに優しくない!?」
「あ、それ俺も思ってた。」

カイルが興味ありげに混ざろうとしてくるが、

「カイルは黙ってて!!」

ティーの勢いで一蹴された。ヨルダはあまり突っ込まれたことに対して気にしていないようだ。といってもウィズにはニャスパーの表情の変化を見抜くのは難しいのだが。

「そりゃ最初はどうかと思ったけど、授業は誰よりも真面目だしあれ以来悪いことはしてないでしょ?なんか一生懸命だし、構素直なとこもあるってわかったし、ワタシ今はウィズのこと嫌いじゃない。関わらないでくれって言われてるからそっとしてるだけ。」
「騙されてるよー!こいつクズだもん!」
「あの時の目見てないのかよ!?コイツ絶対マトモじゃないぜー!?」

話題の中心にされているがウィズはそれに対して何も言わないどころか遠巻きにしている。机に視線を落としたウィズはちょうどその先にあった目と視線があった。

「ヌメラか。」
「あ、えっと、ライリでいいよ。あ、あんなこと言われてるけど…その、」

オドオドとした態度は天性のものもあるだろうが、大半はまたウィズが怒り狂わないかの不安だ。
先程から盛り上がっているメンバーには入って行きづらいのでフォローしに来たということだろう。

「別に怒りゃしねえよ。どうでもいい。」
「そ、そっか。…ボクだったらすごく落ち込むけどなぁ。」
「関わるなって言われてるだろライリ。殴られるぜ?」
「ジャック…」

ライリの後ろから椅子に行儀悪く座ったジャックが野次を飛ばし、ライリが身を竦ませ、すごすごと席へと戻っていく。
一連の流れを通してウィズにはこのクラスの力関係が見えてきた。実力があるのは先日ウィズが言ったとおりティーとヨルダだろう。しかしクラス全体を牽引しているのはこのジョック気質のヤンチャム、ジャックだ。

ヨルダは場の流れに乗らず自分の思うように生きているし、ティーはリーダー気質ではあるものの自分の決めたことに無理やり周りを巻き込むから、この数日間ですら事あるごとにジャックと衝突していまいち浮いてしまっている。ヨルダが自分に好意的なのは立場が少しばかり似ているからだろう。評価に天と地の差があるがな、と独りごちてウィズは新聞の内容に意識を逸らした。

『調査団、新ダンジョン踏破!』
印刷という概念がないためひとつひとつ手書きの朝刊の大見出しはずいぶんとタイムリーな話題を発している。記事を読んだウィズはなるほど、と納得する。

「調査団って何を調査するんだと思ったらダンジョンや未開の土地か。はー、なるほど。」
「それだけじゃないよ!調査団は地図を作ってるの!まだ全然知られてない場所も全部示した地図が本部にあって、まだ未完成なそれを完成させる仕事なんだよ!」

ウィズのひとりごとにティーが割り込んだ。矢継ぎ早に語り出すその眼が輝いている。ウィズはいろいろと納得した。なりたいものに自分より自分の嫌いな奴が向いているなんて誰でも認めたくはないだろう。
それと同時にまだ未解明で交通の無い地域があることにウィズはげんなりした。自分のゴールがことさらに遠く感じる。もしかしたら全ポケモン未踏の地だってあって、自分の求めるものがそこにあるのかもしれないのだから。

「通りで探しても世界地図がないわけだよ。んで、お前が冒険だのなんだの言ってたのは調査団員になりたかったってわけか。」
「なに!悪いの!?」
「別にそうは言ってないだろ。なりたいならなればいいじゃん。」
「えっ…」

割り込んできたかと思えば熱く語りだしたティーがその一言で途端に静かになった。これまで全く取れることのなかったウィズへの嫌悪の視線も忘れるほどに驚いている。

「なんか拙いこと言ったか?」
「え…いや、これ言って笑われなかったことないから…つい」
「そうなの?」
「うーん、まあ…すぐには無理でしょうね。」

ヨルダに聞けば何ともあいまいな答えが返ってきて、ウィズは首を傾げた。



*
「やべえ遅くなっちまった!!」

その日の授業が終わり、薄暗いをとうに超えている校舎内でウィズは悲鳴じみた声を上げた。新聞をスクラップしていたら文字が読み辛く感じて外を見てみれば真っ暗だった。月もない新月の日だった。種族柄夜目が利くのは電気のない世界でありがたいことだが、ウィズの保護者はそうではない。草タイプは夜を得意としないので今頃は何も見えない道の先を覗きながらウィズを心配しているだろう。バタバタと慌ただしい音を立てて資料を鞄に詰めこみながら学校の坂を駆け下りる。閉店した商店街に相当時間が経っていることを自覚してウィズの腹がぐう、と鳴った。

「うっ…腹減った…。カクレオンの店ももう閉まってやがるし…っ!?」

覗き込んだ店内の様子にウィズの毛が逆立った。

(不っ用心…!)

普段路上にこぼれるほど置いている商品が店内に下げられている。しかしカクレオンの店には鍵などない。それどころか木製のカウンター一つ越えればウィズでも手が届くような位置に商品が置いたままになっているのだ。店主は今頃バーで飲んでいるのだろう。田舎ゆえの不用心さなのだろうか。ウィズは自分の鼓動が早くなっていくのを感じていた。この感情に名前を付けるなら、「不安」だ。

(どういう”不安”だよこれは…)

ジャックを殴ってしまった時もそうだった。意識というよりも体全部から感じる得体のしれないおそろしい感覚が再びウィズの頭を満たし始める。不安が体に「それを早く盗れ」と訴えかけていた。それはやったらバレないかなんて結果を考えてのものではないのは明白だ。

(盗らないと…人が来たら拙い。)

不安はじわじわとウィズの”正常な”思考を奪っていく。瞬間、ウィズは身を翻して家への道へと駆け抜けた。
自分の尻尾に柔らかい実が埋まっているのを感じる。走り去る直前、尻尾でかすめ取ったのは皮肉にもモモンの実だった。

家の傍まで全力疾走した。
坂を中腹まで駆け抜けると家に明かりがともっているのが見える。日光が好きで炎が苦手なオーガスタは夜は早く寝てしまう。あの光はウィズのためのものだ。出会ってたった数日の子供にそうまでしてくれるポケモンだということをウィズもまた理解していた。
優しい光を放つその家を坂の下から見上げた。心臓は未だ早鐘を打っている。尻尾からモモンの実を取り出して眺めた。やるかもしれないことは初日にわかっていたとはいえ、ついにやってしまった。逃げていた時には不思議なほどに背徳感はなかった。今も、むしろ手元にあることで安堵すらしている。
何が何だか分からなくなって、ウィズはその実にかじりついた。とても甘い。

”あれ以来悪いことはしてないでしょ?”

ふいに今日のヨルダの言葉が思い返されて、ウィズは気まずい気分になった。大体帰れば食事があって、その家までの距離は十数メートルもない。それなのに自分は何をしたいんだろう。せっかく得たヨルダからの信頼とオーガスタへの信頼をどちらも裏切るような真似をして…。口の中の甘みが急に彩度を失っていく。

「ばっかみてえ……」

モモンの実が空中で放物線を描いた。放られて地面に落ちた実は坂の傾斜に沿って転がり、草むらをかき分けて夜の帳へ姿を消していった。

「年相応に学校に通って、お利口に机に座って勉強して…一体これからどうなっていくかもわからないのにっ…!」

進む方向さえ合っているのかわからない。自分のこともこの世界のことも。触れるものすべてが新しいのは恐怖でしかない。仕方がないことだとはいえ、同年代を見ていても感じる出遅れていることへの劣等感もウィズを苛立たせていた。
わからないことだらけだ、と草の根を蹴り上げた。こうやってのうのうと過ごしているとポケモンになる自分のことなどどうでもいいような気がしてきてしまう。なんとなくわかってはいるのだ。人だった頃を思い出したとしてもいいことはないのだと。現状が自分であることを拒みたくても、受け入れるほかないのだと。

「なんだよ、現状もこれなら過去だってクソッタレだ…。俺にどうしろってんだよ…!」

それでもウィズは前に進むしかないことをわかっていた。望まれてここにいるわけではないから。オーガスタのもとで一生を過ごす自分など、想像もできなかった。
たとえその先で見つけた自分の本性がどんなに腐りきっていたとしても、進まなければ拾ってくれたオーガスタへの恩に報いることすらきっと出来やしないのだ。
それに、人間の頃を取り戻すことをやめてしまったらウィズはこの平凡な村で何をしたらいいのだろう。今は勉強があるが、それさえやめてしまったら…。
考えるだけで足元がぐらつく。地面を踏みなおして、ウィズはかぶりを振った。

「知るしか、ない。やるしかない…。今俺にできることは…」

乱雑に入れた背中の資料が危うげな音を立てた。ダンジョンでの戦い方、知識が詰まったスクラップブック。ウィズが新たに手にしたものはそれだけだ。
学んだことは次へと活かすものだ。やれるだけやってみるしかない。そう決めると、灯りの漏れる家から覗いた影に向かってウィズは走って行った。

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