第9話 “伝染する思想”

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 政府は別だが、ロケット団その他の悪の組織に属する軍隊に入るのに、必要となる特別な資格は無い。が、社会のはみ出し者が最後に行きつく先が悪の組織だったとしても、進んで軍隊に入る者はそういない。それでも軍隊に入ろうと思ったのは、決して表では語られざる理念に惚れ込んだからだった。
 世界を征服して自分たちの帝国を創ること。今となっては笑われるばかりのロケット団の理念も、エドウィンは、否、彼だけでなくロケット団の軍に属する全ての兵士達は、それぞれの解釈で理念に忠誠を誓っていた。乱れた世界を統一し、ひいては人間とポケモンの共存する唯一の平和国家のために。

 しかし彼らは同時に、忘れてはいなかった。時に、平和は流血が大好きであることも。

「右に3匹、左に2匹!」

 2列に並ぶポケモン像のひとつ、その裏側に背を預けながら、ライフルを抱えるエイハブが叫んだ。声を張り上げなければ近距離でも届かないほどに、その部屋は爆音に溢れかえっていた。
 エイハブが敵ポケモンのタイプを言わずに省いたのは、それが明白だったからだ。この部屋には、今は亡き四天王のドラゴンポケモン達がやりたい放題に暴れまわっていた。もちろん、それまで敬愛していた筈の彼ら自身のトレーナーを《竜の息吹》で焼き払った上で。
 反対側のポケモン像に身を隠していた、同じく貴重なライフルを抱えるエドウィンは、エイハブに「右は任せろ」と目配せする。そして床に黒くこびりついている故・四天王の燃えカスを知らずに踏みにじり、ポケモン像の裏から前転してドラゴンポケモン達の視界に躍り出た。

「こっちだ!」

 エドウィンが叫んだ途端、彼に注意を引かれたポケモン達の攻撃が、一瞬だけ止んだ。狙いを定めて引き金を引くには十分な時間だろう。膝をつき、銃身を上げて、カイリューの右足を、ボーマンダの左前足を、ガブリアスの右膝を、それぞれ正確に撃ち抜いた。
 それだけで死に至らないのは計算の上だったし、銃創を押さえて悶え苦しむ彼らに、より弾速が遅いものの安全に生きたまま石化できるポケモンハンター特製の光線銃をトドメにすれば十分だと考えていた。だがエドウィンが銃を下ろした瞬間、3匹はそれを待ってましたとばかりに、ポケモンバトル用に広く設計された部屋の中を高く跳躍し、それぞれの最大火力の遠距離攻撃を繰り出すべく口にエネルギーの光を溜めこんだ。
 しまった――!
 そう思ったのもつかの間である。3匹の側頭部を綺麗に銃弾が貫き、あっけなく3匹の亡骸がぼとぼとと地に落ちた。

「何をやってる!?」

 既に請け負っていた左側の2匹の死骸に片足を乗せながら、エイハブが叫んだ。

「今ので弾が3発無駄になった!」
「すまん」

 と、エドウィン。

「それで済ます気か!?」

 と、エイハブ。
 今にも胸倉を掴みにいきそうな勢いの彼の前に、僅かに煤をかぶった正装の男、ポケモンハンターが割って入る。

「目的は全員の脱出です、お二方ともそれをお忘れなく」

 2人が反論もせずに黙り込んだのを確かめてから、他の面子に安全を伝えるべく、ポケモンハンターの男は殿堂入りの部屋に引き返して行った。
 とはいえ、次に構える霊の間からポケモン達が入って来ないとも限らない。エドウィンとエイハブは万一に備えて、次の部屋へと続く扉に銃口を向けた。

「わしがお前に負けたのが、未だに信じられん」

 大して沈黙の間も挟まずに、並んで銃を構えたままエイハブは言った。

「正直期待外れだ。同盟を結ぶつもりなど毛頭無かったが、戦った相手と直に相見える機会などそうは無いからな、お前に会うのが楽しみだった。なのに、お前と来たら、何だその有様は。ポケモン1匹まともに殺せないのか」
「そんなお前がダークルギアを仲間と呼ぶのはどうなんだ?」

 ただの建前だろう。そう思っていた故の、嘲笑も込めた返しだったが。

「あれは仲間に違いない。わしはポケモンを兵器として愛している。敵の銃を折るのに抵抗は無いが、愛銃は折れん。敵に奪われるのもな」
「その考え方のお陰で、ポケモン達からの反逆に遭ってもか?」
「そうとも、だからポケモン達は死ぬ。あの死骸は当然の結果だ」

 言われて、エドウィンは5匹の亡骸に振り返った。未だ温かみを持っているその身体から、どくどくと赤い血を床に広げているのが見えた。
 その僅かな間の事である。
 次の部屋へと続く鉄の扉が、まるで紙のようにぐしゃりと破れて、その奥からボスゴドラが凄まじい勢いを保ったまま突進してきたのだ。真っ先にエイハブが発砲するも、ボスゴドラの鋼の表皮を貫通するには至らず、やや表面に傷をつけた程度で、凹んだ弾が情けなく床に落ちた。続く2発、3発と撃って、それでも効かないと知るや否や、2人は互いに正反対の方角に跳んだ。
 が、ボスゴドラも流石は四天王のポケモンだっただけあって、床を割る勢いで「ズドン!」と重低音を響かせ踏み止まり、くるりと向きをエイハブへと変えた。先の振動で思わず姿勢を崩して床に転んだエイハブになす術はなく、なかなかに厚い腹回りであるにも関わらず、ボスゴドラの片手でその身体を鷲掴みにされてしまった。

「よせーッ!!」

 当のエイハブでさえ、覚悟を決めて目を閉じた瞬間だった。ボスゴドラの背中に向かって叫んだエドウィンの言葉が通じたのか否か、それは定かではない。加えて言えば、その他にボスゴドラの気を引くようなものが特段あった訳でもない。
 だが、一瞬だけ躊躇うように、エイハブを握る手を緩めたのは事実だった。
 それはまるで十数秒、いやそれ以上の時間のように感じられたが、時間は急速に流れ始める。ボスゴドラが意を決したように、エイハブを握り潰そうと手に力を込めた途端、エドウィンの傍らをひとつの光弾が過ぎ、ボスゴドラの側頭部に直撃した。
 エドウィンが振り返れば、他の代表者達を連れたポケモンハンターの男が銃を構えて立っていた。石化銃だ。先の氷ポケモン達と同じように、このボスゴドラも文字通りの石像と化してしまった。

「危ないところでした。大丈夫ですか?」

 銃を下ろすポケモンハンターに訊ねられて、エドウィンは「問題ない」と答え、すぐにエイハブを見やった。
 幸いな事に彼も元気そうだった。石化したボスゴドラの腕を、自分の腕力だけで砕いて、やれやれといった様子で床に降り立つ。

「危うくミンチになるところだった。どうしてポケモンリーグの警備に、こんなひと昔前の実弾銃なんか採用してるのかねえ」

 エイハブは嫌味ったらしく、ポケモンハンターの後から続いてやってきたロナルドに冷ややかな視線を浴びせた。

「ポケモンが敵になる事など想定外だった。分かっていれば粒子銃を配っていただろうが、それは無理な話だ。四天王のポケモンが我々を裏切るなど、誰が想像できるか……」

 と、ロナルド。
 エイハブはすっかり呆れ返って。

「この無能をなんとかしろ。お前の方がまだマシだ」

 と、最後にエドウィンにトバッチリを与えて、ボスゴドラが破ったドアを潜っていった。

 エドウィンとポケモンハンターも一行を先導すべく、エイハブに続いてドアに服を引っ掛けないよう気をつけて潜った。
 先のボスゴドラが踏み荒らした振動からだろう、次の部屋へと続く通路の天井の明かりはことごとく割れて、床にそのガラス破片が散乱しているお陰で、歩くたびにジャリジャリと音が鳴っていた。幸い床の真ん中を這う非常用の赤いライトだけが生きていて、一方でそれが暗闇を不気味に照らしている。とはいえ、ここが洞窟の中で、天井にゴルバットでもいようものなら、赤いライトで照らさなくても彼らは真っ赤に染まっていたに違いない。

 やがて幽霊使いの四天王が居た部屋のドアまで辿り着いたものの、ドアは例によって破られ、部屋はポケモンリーグの演出以上に荒れ果てていた。
 仮に――おそらく必然的に――ゴーストポケモン達を相手にするとなれば、実弾は通じない。ポケモンハンターの石化銃だけが頼りだ。そして、それは3人の間でも暗黙の了解として互いに理解していた。
 わしとエドウィンが囮になる、お前は1匹残らずゴーストポケモンを撃て。エイハブの目配せを理解し、ポケモンハンターは頷いた。

 効果が無いとはいえ、銃は手放せなかった。意味が無いとはいえ、破れたドアをゆっくりと潜り抜けながら、エドウィンは自然と銃を握る手に力が入る。部屋の中も通路と同じく、赤い非常用のライトに照らされているだけだった。
 エイハブもそれに続く。残るポケモンハンターは静かに身を屈め、破れたドアの奥から銃を構えた。決して1匹たりとも見逃さないように目を凝らして、男は周りを見回す。
 ふと、男は怪訝そうに眉の間に皺を寄せた。ゆっくりと部屋の中を前進する2人も同様であった。
 ぼうっと明るい光の塊が、次の部屋へと続くドアの前に浮かんでいるのだ。ひょっとして視覚刺激の技、《怪しい光》ではないか――そう思って3人は互いを見やったが、どうも異常行動は認められない。
 それに奇妙な事に、光の塊はふわふわと浮くだけでなく、何度もドアに体当たりをかましていた。極め付けは、ドアに当たる度に「ドン!」と音を発していたことだ。もしも幽霊や技の類なら、あんな風に音は出さない筈だ。
 しかし人間業でない現象である以上、ポケモンならば戦う事になる。3人とも銃は下ろさず、しかし正体を確かめるために、エドウィンが先に光の塊へと歩み寄っていった。
 そして。

「ティニ!?」

 聞き慣れた可愛い鳴き声。そして甘えん坊みたくエドウィンの胸に飛び込んで、すりすりと身体を擦り寄せてきた。
 途端に、エドウィンの緊張の糸が一気に切れた。

「2人とも、銃を下ろせ。彼女は味方だ」

 ビクティニの頭にポンポンと手を置いて返すエドウィンに、2人は目を丸めてしまった。





 水の都アルトマーレ、その秘密の庭に、嫌に生暖かい風が吹き、秘密の庭のそこら中に設置されている風車のような仕掛けから高い音が鳴りだした。
 それはやや耳障りな音だったが、このゲノセクトが発した言葉よりはマシだろう。ミュウツーは「何を馬鹿げた事を」と言ってから、更に続ける。

「人間からの解放戦争だと? 確かに人間の中には傲慢な連中もいるが、それが全てではない」
「ポケモン達もそう思っていた。だから今までポケモンが虐げられてきた事実は明るみに出る事が無かったのだ」

 ゲノセクトは雄弁を続ける。

「ポケモンはもっと権利を持つ事ができる。支配されない権利、従属させられない権利……自由に生きる権利を。人間の為に働かなくても良い、人間の為に戦わなくても良い権利を。それらの権利を、人間は今まで当然のように奪い、そしてポケモン達は当然のように奪われてきた。我々はポケモンとして生まれたばかりに、不平等な扱いを受けてきたのだ」
「……否定はせん」

 頷きもせず首を横にも振らず、ミュウツーは思案顔で目を逸らした。
 一聞にして、それはもっともな意見だ。特に人間によって生命倫理の聖域を荒らされた結果生まれた俺にとっては。
 しかし――と、ミュウツーは頭の中で逆説を置いた。
 俺にとって生命倫理がどうの、人間が傲慢だの、神がどうだの、自然がどうだの、まるで机上の空論に過ぎん。暇な連中が暇な時間を持て余して哲学を語る分には、おそらく俺は議論のターゲットとして最適に違いない。だが既にどういう形であれ、自己を確立してしまった俺にとっては……。

「どうでも良い話だ。既存の価値観に喧嘩を売りたいならお前1匹でやっていろ」

 言ってから、ミュウツーの中で時空が停止してしまった。

 青天の霹靂。突然の閃き。木に実ったリンゴが地に落ちた瞬間。
 いずれの表現を取るにしても、ミュウツーの中で起こった出来事は同じだった。だが、問題はそれが一瞬の出来事に留まらず、頭の中で絶えず繰り返している事だった。しかもそれはミュウツーだけに起こった出来事ではなかったのだ。

「あ……あぁ……!?」
「クゥゥ……!」

 ミュウツーの遥か後方で見守っていた情報屋と、秘密の庭の主であるラティアスも、同じ衝撃に襲われていた。
 頭に雪崩れ込んで来る情報の波。それはテレパシーよりも遥かに暴力的で、己の価値観を根底から覆され、自分の思考の色を別の色に塗り潰されるような感覚だった。

 エスパー能力の類ではない。ミュウツーはそう直感し、どっと冷や汗を流して小刻みに震えながら、自分の身体を見下ろした。
 一見して異常は無かったものの、目を凝らしてようやく見つけた。一筋の白く輝く、人間の髪の毛のように細長い針。それを見つけた瞬間、ミュウツーは理解した。

 やられた!

「そう、俺は既存の価値観に喧嘩を売るつもりでいる。しかし1匹では無理だ、そこで仲間を増やさなければならなかった。幸いな事に、俺には人間の手によって仲間を増やす能力――交配ではないぞ、相手に自分の考えを直に伝達する能力を与えられていた」

 ゲノセクトは身動きが取れずに固まってしまったミュウツーの傍らを歩いて通り過ぎながら、語り続ける。

「人間の間では、この技術の事を『キャプチャー・スタイラー』と呼んでいる。ポケモンレンジャーという、これまた傲慢な連中がポケモンを利用する為に開発した技術らしいが……使ってみて分かる、これは便利だ。お前みたいな最強の階層に属するポケモンでさえ、簡単に意のままに操れるのだから」

 ふと、ゲノセクトは足を止めて、おどけたように「いやー、違うなあ」と零す。

「正確には意のままじゃない……俺と同じ記憶を共有し、考え方を共有し、思想を共有する、俺の全てをお前というハードウェアの中にダウンロードさせる。そうだ、適切な言い方をたった今思いついたぞ。お前は俺になるのだ」

 ミュウツーの意識は、その言葉を最後まで捉える事ができただろうか。ミュウツー自身でさえそれは明らかではなかった。
 その目はぎょろぎょろとせわしなく動き、脳は一瞬の間で1年生きて得られる情報を常に読み込み続けた。意識はもはや秘密の庭には存在しない。遠い遠い過去の世界から、まるで早回しのビデオを見ているような感覚で、膨大な情報の嵐の中を無抵抗なまま彷徨っていた。

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