第6話 “傾国の妖精” (8)

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「頼みます、チラチーノ!」

 月光が注ぐ夜の摩天楼、その一角のビルの屋上で、小気味良い「ポン!」という炸裂音と共に、赤と白のボールから灰色の獣が降り立った。一見して愛くるしいぬいぐるみのような、防塵ゴーグルを頭に巻いたチラチーノが、レノードの指示のもと、傍らで姿勢を低くして待っていたカイリューに飛び乗る。
 これから行う事について、一通りの作戦は聞いたものの、シュランは不満げに「やはり無理だ」と吐き捨てた。

「こんな雑魚に何ができる。カイリューがマッハで飛んだ途端に空気抵抗に引き裂かれてミンチになるのがオチだろう」
「チラチーノはそんなにヤワじゃありませんよ」

 今に見てろ、とも言いたげな反抗心が伺える口調で返しながら、レノードはセキチクの方角を見据える。
 高層ビルの天辺と言えども、とてもじゃないが此処からセキチクの光景を把握するのは難しい。だが、あそこにはミオとユキメノコがいる。それを再認識しながらレノードは腕の端末に触れ、通信アプリと地図アプリのホログラムを浮かび上がらせた。

「レノードよりダーシーへ、準備は?」
『ミオの端末に接続中。スタンバイ』

 通話先の彼女が諸々の用意をしている間に、レノードはチラチーノのゴーグルを装着し、少し仰け反ってチラチーノの全容を思案顔で眺める。そしてにっこりと口角を吊り上げ、「よく似合ってますよ」とチラチーノの頭にポンと手を乗せた。
 トレーナーとポケモンの仲睦まじい光景にうんざりした様子で肩を竦めるシュランだったが、ふと、チラチーノが一切の笑みさえ浮かべずに無表情のままでいることに気付いた。

「……嫌われてるのか?」
「僕が? まさか!」

 と、素っ頓狂に驚いて見せながら。

「彼女はただ感情表現が苦手なだけです、昔からね。僕と出会う前からの話ですよ」

 ふうむ、とシュランは顎を撫でながら改めてチラチーノを眺める。依然として無表情に変わりはないが、レノードを嫌がっている様子もない。そんなものか、と納得して頷いた後に、腕を組みながらカイリューの脇腹に背を預けて寄りかかった。

「俺様のカイリューがミニリュウだった頃、元々は例のサファリパークに住んでいた。それを俺様が奪い、ここまでに育て上げたんだ。最初は臆病で泣き虫だったが、今では忠誠心を持ち、屈強で勇敢な戦士になった」
「つまり……暴力で?」

 片眉を吊り上げ、怪訝そうに見てくるレノードに、シュランはあからさまに不機嫌そうな顔をして首を振った。

「最初の飼育担当はそれが好きだったらしいが、普段から虐待を繰り返してポケモンに無理強いしたところで、現場では使い物にならん。必要なのは……餌だ。そうだろ?」
「まあね」

 そう返すレノードは口を噤んで数回頷きながらも、内心では「そんな馬鹿な」と呟いていた。しかし得意げに語るシュランに嘘の色も見えず、まさか、とカイリューの顔を見上げたところで、待っていた通信が届く。

『ダーシーよりレノード、ミオの端末とリンクできた。今そっちに情報を送ってる』
「あぁ、来ました来ました!」

 待ってましたとばかりに輝く表情でレノードは爽やかな「ありがとう」を述べつつ、ホログラムのマップに次々浮かび上がる情報に夢中で噛り付いた。指をスライドさせ、拡大し、青白い光のマップの中に赤い直線を引いていく。

「それは?」

 とシュランが尋ねると、彼は作業を続けながら。

「ミオの端末をセンサーにして、周辺の生命反応をスキャンしたデータをサファリパーク管理センターの構造図に重ねたものです。この点がミオ、それがニンフィア、あれはユキメノコ、それから……弱々しい反応だ、おそらく怪我人がいますね。ガルーラもいる。ミオ以外の3匹を全員同時に倒すには、入射角が……」
「ガキも操られているんじゃないのか? 一緒に気絶させるべきだろ」
「いえ大丈夫です。ミオは少々特別で、フェロモンで簡単に操れる子じゃありませんから」

 と、さも当たり前のように語る彼に首を傾げながらも、邪魔はしないでおこうとシュランは身を引いて待った。
  そうして1分と経たないうちに、レノードはシュランに振り返り、「行きましょう」と言いたげな、自信に満ちた顔で頷いた。

「カイリュー、発進だ! 速度10分の1で飛翔、タマムシシティから出たら現在の高度を保ったまま全速で5時の方角に飛べ!」

 ポケモンは人の言語を100パーセント理解することは、おそらくできていない。しかし決まった命令を繰り返し、常日頃から何度も言い聞かせると、その命令がどんな行動を意味しているのかが伝わるようになる。ゆえに、ポケモントレーナーとポケモンのコンビネーションは文字通り、訓練の量に比例する。
 レノードとチラチーノも訓練の量では並ではない。そう自負する彼でさえ、シュランがまるで人間が人間に伝達する量、質と同程度の情報をカイリューに伝えた時、彼はシュランとカイリューに驚かされた。一体どれだけのパターンの命令を訓練したのか計り知れないほどの、ポケモントレーナーとしての努力がそこに垣間見えた。




 小さな獣を乗せ、竜は摩天楼から飛び立った。最初は緩やかな飛行を続けていたが、真下に広がる光景から人工の光が薄れてきた頃、カイリューは目一杯に翼を広げる。
 偶然空を見上げていた人は、気付いただろう。真っ黒な夜空の下を飛ぶ大きな何かが、一瞬で音速の壁をぶち破り、目に見えるほど濃密な円の形の衝撃波を生み出してセキチクの方角に一直線に飛んでいくところを。その何秒か後、まるで花火でも上がったのか疑うほどの爆音が、彼らの耳に届いた。

 カイリューが飛び立った後の突風が過ぎて、シュランは早くもひと息ついた。以降カイリューに命令することはできず、当のカイリューも最初の指示通りに動くのならば、これ以上やることもなかった。

 僅かに残っている不満を挙げるのならば、射撃の役目をチラチーノに譲らざるを得なかったぐらいだろう。「カイリューの破壊光線で吹き飛ばせば済むんじゃないのか」という主張も、「撃つ瞬間には速度を落とさなければならないでしょう」と一蹴された。
 《破壊光線》のようなエネルギーの推進速度は、光速どころか音速にも劣る。仮にカイリューが最高速度およそ700m/sを維持したまま撃ったとすれば、自分が撃った光線が逆流することにもなってしまうだろう。ゆえに、どんなに速く飛べても発射の瞬間だけは必ず止まるのである。
 ひとたびカイリューが攻撃態勢でサファリパークのポケモン達の前に現れれば、空中のカイリューは格好の的になるどころか、刺激を受けたポケモン達が暴れ出し、そこは一気に戦場と化してしまうだろう。

 そこでレノードは、気付かれずに狙撃する方法を考えた。幸いにも照明灯に照らされたサファリのポケモン達は、逆光のおかげで視覚の認識機能が落ちている。音速飛行に伴う爆音で「何かが近付いている」とバレるかもしれないが、それが脅威か否かはひとまず一度目視しなければ判断できない。

 唯一の問題は狙撃の手段だった。
 音速に移ってからすぐ、その問題をクリアーすべく音速の空気抵抗で身を引き裂かれそうな中、チラチーノはカイリューの背中に張り付くように身を屈めて、できるだけ正面からの空気圧を受けないようにしながら、長く白い体毛のひと束を握る。
 チラチーノが握った体毛は光を帯びて、銃身の長いスナイパーライフルの形へと変化していく。これは彼女流の、特性《テクニシャン》で《タネマシンガン》を応用変化させた技だ。

『チラチーノ、10秒前です』

 防塵ゴーグルに仕込んだ小型イヤホンから、彼女の大きな耳にレノードの声が届く。
 途端にチラチーノは強風の中でも構わず身を乗り出し、長いライフルを構えた。

『座標、223の3247−−』

 クチバの縁を過ぎた海の上を、潮の香りさえ鼻に届く間もなく飛んでいく。次第に目標の街が地平線の向こうから姿を現してくるが、ぼんやりと輝く街に見とれることなく、チラチーノはトリガーに手をかける。

『第二目標、3229−−』

 あっという間に海岸が迫り、ターゲットの建物も目視領域に入った。
 パトカーの赤い光や照明灯に囲まれて、ひときわ輝くそれは、決して難しい狙撃対象ではない。かつてもっと視界の悪いところで変色するカクレオンを撃ったことさえある。
 とはいえ、その時はこんなに高速で移動してはいなかったが。

『第3目標、3285!』

 射撃可能な範囲は、およそ0.01秒未満。人間では到底反応し得ないその僅かな領域に、機械でもなく足を踏み入れられる存在があるとすれば、このチラチーノを置いて他にはいないだろう。
 彼女の研ぎ澄まされた感覚は、既に熟練の域を通り越して「異常」と呼ばれていた。彼女自身でさえ、その異常な知覚能力に苦しめられてきた。太陽の光は異常に眩しく、音は異常に煩く、どんな些細な動きでも意識が捉えて気になってしまう。次第に彼女は「世界を意識しない」ことで、自分を守るようになっていった。

 そんな彼女がレノードと出会ったことはまた別の話である。しかし、ともかく、そんな彼女だからこそ刹那の際に発射された3発の淡い緑色の小さな光弾はターゲットに届く。
  音速飛行の爆音と重なって管理センターの窓を容易く突き破り、別々の場所に立っていたニンフィア、ガルーラ、ユキメノコの頭を正確に撃ち抜いた実感を、通り過ぎて遠のいていくセキチクの街を背に、チラチーノは味わっていた。

 ただ一人、管理センターの中で意識を保っているミオは驚愕の色さえ浮かばずに、目まぐるしく変化した現状の把握で手一杯だった。
 暫く静かになった部屋の中で、壁にもたれて放心状態になった。そして、ようやく息も落ち着いた頃になって。

「……こ、こちらミオです、えっと……あの」

 彼女がオペレーターと連絡を取ったことを皮切りに、事態は一気に収束へと向かっていった。




 翌日。
 まだあれだけの大きな事件から一夜しか明けていないにも関わらず、タマムシとセキチクは日常の落ち着きを取り戻していた。
  ただしニュースの上では未だ事件のことで賑やかだった。ニンフィアが起こした出来事は流行りの熱病が原因だったとして、サファリパークのポケモン達も熱に侵されたあまりの暴走だったとすり替えられていたが。それを抜いても、暴走したサファリパークのポケモン達を武装警官隊が次々と確保していく様子は、なかなか映像的に新鮮だったらしく、延々とどのチャンネルでも流され続けていた。
 影響を受けた人間、ポケモン、合わせて総勢300名以上。それらすべての治療に関して総括的に監督したシリカは、タマムシ病院のソファで昼間を過ぎてもぐったりと眠り込んでいる。その隣りでミオもまた、極度の緊張などの疲れからか、寄り添うようにスゥスゥと寝息をたてていた。

 一方、レノードとシュランは未だタマムシの街を歩いていた。ロケット団の拠点がある街だけあって、シュランが街中を歩いていても、せいぜい人混みの中で程よい隙間が常に生じるぐらいだった。
 そんなメリットも、もう役に立たない。レノードが路地裏に潜っていけば、それに気付いたシュランも慌ててそれについていく。

「こっちに何があると言うのだ」
「ロケット団の上層部も知っておくべき事がある……と、思っています」
「思うだと?」

 呆れ返る彼の言葉を背に受けてもなお、レノードは真剣な面持ちで、高いコンクリートの塀に囲まれた行き止まりの正面と腕の端末を見比べていた。

「昨日のニンフィアの目撃ポイントが正しければ、彼女の足取りはここで途絶えたことになる。何故だと思います?」

 突然問われても、シュランは「さあ」と肩をすくめるしかなかった。
 レノードは更に「あれを見てください」と続けて、塀を指差す。シュランが見上げても、それは3メートル近くもあろう高い塀でしかなかった。それでもレノードが言うのであれば何かあるのだろうと、じっくり目を凝らして見れば、日陰になっているせいで分かり辛かったが、渦を巻いたような黒ずんだ落書きらしい模様が見えた。
 それだけである。

「ただの落書きだろう、何だと言うんだ」
「通常のスキャンでは何も引っかかりません。しかし量子分析にかけてみると、僅かに変動の痕跡が見られるんです」
「……つまり?」
「詳しいことはもっと専用の機器で調べてみるしかありませんが、とにかくここで何かが起こったのは事実です。それも空間をねじ曲げるような、強力な何かが……」

 それまで欠伸さえ垂れ流していたシュランだったが、途端に目つきが鋭くなった。

「反転世界へのゲートが開いたのか? ここで?」
「いや、反転世界に出入りしたのではありません。反転世界の技術が確立して以降、政府は反転世界の各拠点に監視装置を設置しました。誰かに悪用されたりしないようにね。記録では、タマムシで反転世界へのゲートが開いた痕跡は無かった」
「何だ、取り越し苦労か。分からないなら分からないと、そう言え」

 せっかく鋭くなったシュランの目つきも、再びやる気の無さそうな鈍い目に戻ってしまった。
 しかしレノードは未だに真剣な表情を崩さない。生暖かい嫌な風が吹き抜けるのを感じながら、渦の落書きを睨みつけるように見据えていた。

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