クロスオーバー企画、第2弾です。
春さんの作品『出てきてください』より、キリをお借りしました。
キャラクターを貸してくださった春さん、ありがとうございました!
ポケモントレーナーは旅をする。
街から街へと世界を見て回る者、ポケモン達と苦難を乗り越えて成長する者、あるいはポケモントレーナーの頂点に立つために各地のジムを巡る者。目的は違えども、彼らは己の信じたポケモンを手に旅をする。
それは一種の文化的な習慣であり、またあるいは、あえて陰謀説を唱えるならば、国防のために子供達を鍛え上げる制度でもある。
いずれにせよ、ほとんどの子供達は旅をする。世界を識り、文化の異なる人々と出会い、ポケモンと良きパートナーになる為に。
おそらく、少年キリもその1人である。
まるで少女のような可愛らしい、女顔の彼が何を目指して旅をするのか、少なくともその明るい柑橘系の色彩が目立つ風貌から窺い知ることは、叶わない。
ただひとつ顔色から推測しうる事があるとすれば、彼は不機嫌な思いを抱えていた。
タマムシ・セキチク間水上大橋管理センター、またの名を、サイクリングロード用自転車貸し出し所。
お供のシャワーズを引き連れて、彼はその自動ドアをくぐった。ちょうど別の可愛らしい先客が、フロントの受付のお姉さんにお願いをしている最中だった。
「すいませーん、自転車貸してくださーい」
「あらあら可愛いお嬢ちゃんね、貸し出しならこの用紙にお名前を書いてくれる? それと、ここの欄のアンケートに答えてね」
にこにこ笑顔のお姉さんから受付用紙を受け取った、透き通るような長く白い髪の幼女の隣に、キリは肩を並べた。
僕にも貸し出しお願いします。そう言おうと口を開きかけた途端、湧いてきた違和感から思わず幼女を二度見してしまった。
背丈が、同じだ。どうして……。
視線を下ろした先には、少女を肩車して支えるユキメノコがいた。
「貴方も自転車?」
「は、はい」
受付お姉さんの声で我に返った。
カリカリカリ……。
2人と1匹が並んで用紙に書き込んでいく様を眺めて、受付お姉さんは思わずほっこりと、手を頬に当てて目を細める。
「それにしても偉いわねえ、お嬢ちゃんの歳でもう補助輪無しの自転車に乗れるなんて」
ミオの走らせていた鉛筆がピタリと止まる。
「うちの子供、お嬢ちゃんと同い年ぐらいになるんだけど、男の子なのにまだなのよ。この前も練習してたのに、終いには『もう乗れなくていい!』って癇癪起こしちゃって」
ちょうど自分の用紙を書き終えた辺りで、キリはぷるぷると震えるミオに気付いた。ペラペラと自分の息子について語る受付お姉さんとは対照的に、ミオはうつむいていたが、その表情の片鱗を覗くことができた。
やっべぇー、どうしよー……。
多分、そんな顔だ。
「すいません、これお願いします」
「あぁ、はいはい」
書けた用紙を早々に出して、キリは待った。
受付お姉さんが必要事項を確かめている間、真横から突き刺してくる幼女の視線が痛い。目尻に涙まで浮かべている。幼女だけではない、それを支えるユキメノコからは文字通り槍で突くような尖った視線がこれまた刺さる。
ここは窓の外を見て視線を逸らそうか。
「あら?」
幼女の泣き顔に受付お姉さんが気付く。
「どうしたの……あ、もしかして補助輪……」
「……うん」
幼女が気まずそうに頷いた。
受付お姉さんも困った顔を浮かべる。
「どうしようかしら、補助輪付き自転車は置いてないのよ……誰か保護者の人と一緒なら、二人用自転車があるんだけど」
まずい。
経験豊かなポケモントレーナー、キリは直感する。
「キリちゃん、だっけ? 二人用自転車でこの子も一緒に乗せていってあげてくれる?」
「お願いします! お金は、えっと、大丈夫だから……」
勢いよく頭を下げてから、少女は制服らしい黒い上着ポケットを探り、何かのメンバーズカードらしいものを取り出した。
割引券か何かだろうか、そう思った矢先に受付お姉さんが「えぇ!?」と驚いた声をあげる。
「これ……ポケモンGメン特別許可証!?」
「う、うん、これ見せたらレノードがお金いらないって……これ、使えますか?」
「驚いた、お嬢ちゃん凄いのねえ……ていうことは街で起きてる騒動に関係あるのね?」
途端に受付お姉さんの声がうきうきと高揚しだした。その様子は、いかに日々の仕事が退屈かを物語っているようにも見える。
「良かったわねぇキリちゃん、お代は要らないから、このミオちゃんをセキチクまで送ってあげて!」
「ちゃん……あ、はい」
言いたいことは色々あった。例えば、ちゃん付けやめろとか、こんな僕よりずっと小さい子が本当にポケモンGメンなのかとか、色々。
諸々をすっ飛ばして、僕は「はい」と言ってしまった。
言っちゃったんだ。
「シャワ〜ッ……くぁぁ」
諦めのため息を吐く傍、その足元ではシャワーズが大きく伸びや欠伸をしていた。
今日は間違いなくサイクリング日和である。
天気は良好、空は快晴、太陽の光を遮るものはタマムシから立ち昇る煙を除けば何も無い。ペダルを回して一直線、肌を掠める潮風が心地良い。海の上を走る大橋だけあって、宝石をちりばめたように輝く海の景色にも文句は無い。
にも関わらず、タンデム自転車、もとい二人用自転車を漕ぐキリの表情は堅い。
「はやーい!」
キリの後ろでキャッキャッとはしゃぐミオ。一方、彼女と共にいたユキメノコはポケモン用のカゴからひょっこり顔を覗かせているものの、その表情は暗い。多分、一緒に乗っているシャワーズのせいかもしれない。1匹用のカゴで窮屈な思いをさせないようにと、『溶ける』という技で自分を液状化させ、スライムのようにユキメノコの半身を覆っているからだろう。
なりゆきとはいえ、少女達と共にサイクリングロードを進むこともやぶさかではない。半ば押し付けられたようなものだが、誰かと旅路を共にするのは良いことだ。一人旅の寂しさも和らぐ。少なくとも、一般論としてだが。
溶けたシャワーズが、憂鬱に浸りながらペダルを漕ぐキリの様子を悟ってか、とろりと水面から顔を浮かべた。
「水みたい! ……水なの?」
後ろから身を乗り出して、ミオはやたらと楽しそうに訊ねる。
「水じゃない。水に似てるだけ、そんなに珍しいことじゃないだろ」
「へー、水に似てるんだあ……涼しそうでいいなあ、ユキと代わってもらえばよかった」
「お前の友達はそう思ってないみたいだけどな」
それでもミオは羨望の眼差しを自転車のカゴに注ぎ続けていた。おそらく、ユキメノコの様子など意図的に眼中から外しているのだろう。
ユキメノコに同情の祈りを捧げながら、キリは先ほどから片隅に刺さる疑念を切り出そうと決めた。
「ところで、セキチクが危ないって話は本当か?」
当然、そんな噂など出回ってはいない。久しいポケモンテロ事件と判明してから、レノード達と警察は厳しい情報規制を敷いている。現場で捜索する下っ端警官に与えられる情報も、危険なポケモンが南東に移動しているという旨だけであった。
自転車貸し出しのお姉さんは気付いていない。こんな経験の浅そうな子供なのだ、正義感の強い子供をただ単に現場から外すのでなく、念のためという形で安全圏で見回りをする為だろうと考えていた。
その考えも有りだが当たっていても5割だろう。キリはそう推察する。
証拠に、この今は一見して隙だらけのユキメノコ。乗る前もぼんやりしたようなポケモンに見えたが、視線や身のこなしの随所に凡庸らしからぬ機敏な仕草が見えた。たとえば退屈そうにキョロリと見回す動作さえ、自分の死角だけを効率的に見回している。ポケモンジムのエース級にも相当するだろう。
そんなポケモンの行く先が、何かしら捜査上の重要拠点となり得るのは確かだろう。キリの推察は、実際に当たっていた。
「う……うぅ〜……」
背中から聞こえる唸り声。
途端に、まるで幼気な少女を虐めたような罪悪感がチクリと刺さった。こころなしか、カゴの中のユキメノコとシャワーズの視線も刺さる。
「せっかく危ないから次の街に早く行こうと思ったのに、行く先でも危ないんなら意味ないだろ?」
ポケモンへの抗議がいささか無意味なのは分かっていた。カゴの2匹は我関せずと視線を逸らす。
「おい……ま、まぁ、危ないとしてもお前らが解決するんだろ?」
頼りないけど。そう言い出しそうな口を、キリはキュッと閉じた。
途端にミオは元気を取り戻す。えへんと自信満々に、「もちろんだよ!」と元気よく。
「虚勢か」
開いてしまったキリの口が、真を突いた。
再びミオはだらりと脱力して気を落としてしまった。言わなきゃ良かったと若干後悔しながら、それ以上何も言わずにキリはペダルを漕ぎ続ける。
「……悪いポケモンって、いるのかなぁ」
暫しの沈黙を経て、風が流れる音の中、ミオはそう呟いた。
機密の多い仕事の事情など、キリは知る由もない。少女の些細な疑問など構わず、黙ってセキチクまで運べば一番楽であろう。
もしかしたら自分はお人好しかもしれない。キリはため息と共に返す。
「さあね」
でも。
「放っておいて騒ぎを大きくするよりも、多少強引に捕まえてでも後からゆっくり諭すのが、今のお前の仕事だろ?」
「……うん」
「悪いポケモンだったら叱ればいい、良いポケモンだったら慰めてやればいい、そうだろ?」
「うん」
「じゃあもう僕の後ろでうじうじ悩むな、鬱陶しいから」
「うん!」
段階を経て、ミオの声に明るさが戻っていく。キリが前で漕ぎながら「僕は子供に何言ってんだろ」と僅かな自己嫌悪に苛まれる中、後ろのミオはようやく潮風を全身で堪能した。引っかかっていた重石が取れたように、心が軽く感じられた。
やがて長いサイクリングロードも終着点を迎える。
セキチク側の管理センターに続くゲートをくぐると、中年世代のおばさんが受付カウンターから身を乗り出し、待ってましたとばかりに口やかましく出迎えた。タマムシ側から連絡が回っていたのだろう。大した冒険をした訳でもないのに、「よく来たわね〜」と撫で回された。
早々に自転車を返却し、2人はそれぞれのポケモンを連れて管理センターから出て行った。
「それじゃ」
キリはぶっきらぼうに言い放ち、突っ立っているミオに背を向ける。傾きかけた陽が彼の背中を照らしている。まったく気疲れするばかりだったな、という不満を抱えて、キリは足早に立ち去ろうとしていた。
そんな朱色に染まった彼の背中に、ミオは叫んだ。
「乗せてくれてありがとー、お姉ちゃーん!」
キリに続くシャワーズがピクリと反応して振り返り、その瞳に満面の笑みを浮かべて大手を振り続けるミオと、「お前には二度と包まれたくねーな」と露骨に嫌そうな顔を浮かべるユキメノコを映した。
シャワーズはムフフと笑みを浮かべた。二重の意味で。
「僕はれっきとした男だ!!」
拳を握り締めて振り返り、叫んだその男に、ミオとユキメノコの目は点にならざるを得なかった。
呆然と立ち尽くすミオとユキメノコを置いて、「ふん!」と怒って立ち去るキリの口角が、最後には僅かにだが吊り上っていた。