第6話 “傾国の妖精” (4)

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 4階から3階へ、3階から2階へ、エスカレーターを駆け下りながら、階を素通りする際に大きな窓から外を見やる。流れる景色の中で、レノードとシュランは立ち昇る黒い煙を見た。外から聞こえるのは消防車の喧しいサイレンの音のみならず、オーケストラのようにパトカーや救急車も重なっていた。観客の悲鳴付きである。
 1階のロビーに降りたところで、大きい玄関自動ドアを前に、レノードはふと気付いたように足を止めた。その腕に制止され、シュランも急に立ち止まり、2、3歩よろけた。

「何だ!」
「失礼、通信です」

 断りを入れながら、レノードは腕に巻いた小さなウェアラブル端末に触れる。ホログラムの画面が端末から投影されて、赤毛で白衣の強気な女性、シリカが浮かび上がる。ひどく苛立った顔つきにも怯まず、レノードは笑顔で。

「こちらレノード、ご用件は?」
『やっと出た! ずっとかけてたのよ、今まで何してたの!』
「ロケット団員を尋問していたんです。何か分かったんですか?」

 尋問。つまるところ電波の届かないところに居た訳か。
 シリカはため息ひとつついて、気を鎮める。

『タマムシの人々やポケモン達を狂わせているものの正体が分かったの』
「あぁっと」

 唐突に発したレノードの声に、ホログラムのシリカが怪訝そうに片眉を吊り上げる。

「待ってください、ミオ達からも通信だ。繋ぎます」
「お好きにどうぞ」

 セリフを盗られた。シリカは傍らで腕組みしているシュランを一睨みした。
 ホログラムの画面がふたつに割れて、画面半分いっぱいにユキメノコの憤慨する冷たくも暑苦しい顔面が映し出された。

『あ、かかった! レノードてめー無視してんじゃねーぞー!』
「あぁ失礼、ちょっとね」
『……雑だけどまあ良いや。ロケット団の基地を調べてたらとんでもねー事が分かったぜ』
「基地を調べただと!?」

 と、シュラン。焦りやら怒りやらを露わにして、目の前にユキメノコがいれば殴りかかるような勢いだが、当の相手はそこに居ない。
 八つ当たりのようにレノードを睨めば、彼も肩を竦めた。

「あそこは今、政府の管理下ですよ? 現場検証中ですからね。……ロケット団本部にメッセージを送れたからって、彼らもすぐには対応できませんよ」
「チッ……まあいい」

 そっぽを向いたシュランを無視して、レノードは続ける。

「まずはドクターからお願いします」

 私からね。
 シリカは咳払いひとつして、順序を頭の中で整理する。

『凶暴化の原因は、女性フェロモンよ。強烈な女性フェロモンにさらされると、男性は攻撃的になって妄想まで起きてしまうの。自分が彼女の運命の人だ、周りが自分と彼女の仲を引き裂こうとしてる、とか何とか……ただ、女性の場合は防衛的に働くから無気力になってしまうの』
「いくら絶世の美女でもそこまでは行かないでしょうねぇ」
『もちろんポケモンの仕業だった、種族も特定できたわ。ニンフィアよ』

 聞き覚えのある名前に、シュランはピクリと反応する。

「ニンフィアだと? ……そうか、強化したのはメロメロの技か! 人間まで虜にしてしまうとは」
『古代では人間とポケモンの結婚は普通だったそうよ、人間がポケモンのフェロモンに影響されるのは大いにあり得るわ』

 シリカの追加解説の最中、ニヤリと笑みを浮かべるシュランを、レノードは見逃さない。

「倒す、殺すならいざ知らず、連れ戻そうと考えてます?」

 突かれて慌てて表情を取り繕うも、シュランは勝ち誇ったような笑みに溢れていた。既に彼の頭ではロケット団の敵への報復よりも、いかにニンフィアを連れ戻すかに傾いていることに、レノードは気付いた。

「あれはロケット団のポケモンだ、俺様が責任を持って連れて帰る。当然だろう」
『どーかなー』

 と、わざとらしく口を挟んだユキメノコに、シュランはジロリと睨む。

「何だ、文句でもあるのか」
『文句じゃねーけど、そりゃあロケット団の任務を邪魔する事になっちまうかもよ』
「……どういう事だ」
『ロケット団のコンピュータ端末を開いてみたら、見ちゃったんだよねー。セキチクシティ襲撃計画を、さ』

 シュランは「嘘をつけ」と吐き捨てながらも、神妙そうな顔を浮かべて。

「バカな、今そんな大規模な計画は無い。あったとしても、タマムシ基地は崩壊した。任務は中止だ」
『でもセキチクシティのサファリパークまでの道順を示した地図データがあったぜ? 目立たないように隠れて行くのか、森の中を通ってさ。ニンフィアを使ってサファリパークのポケモン達を暴走させるつもりだったんだろーな、そうすりゃケンタロスの群れが街を踏み荒らしちまう。ひとたまりもないぜ』
「一体いつの時代の話だ。もし本当にセキチクを襲うなら、ステルス戦艦とドラゴンポケモンで取り囲み、一気に爆撃する。どのみち街ひとつ潰すような計画だ、最初から国と全面戦争するつもりでなければならん」
「言えてますね。実践テストにしても、規模が大きすぎる」

 と、レノード。
 納得するように頷く彼に、ユキメノコはジト目を向ける。

『おい、どっちの味方だよ』
「シュラン。おかしいとは思いませんか? 君はニンフィアを駆除するよう命令を受けている。かたや、タマムシ基地にはセキチク襲撃計画があった。しかも君が調査に訪れた途端、ニンフィアが檻から脱走して基地にフェロモンをばら撒いた。まるで君に計画を悟られまいとするように、基地は破壊された」

 指で自分の顎を撫でながら、ふうむ、とシュランは考えた。
 しかしすぐに首を振って。

「……基地の誰かが匿名で手柄を立てるためだけに、本部に内緒で計画を練って、隠蔽工作のために基地を破壊したとは思えん」
「そうですとも、基地の人間には無理でしょうね」

 それはどういう。
 そうシュランが言いかけて、通信越しのシリカが『とにかく!』と遮った。

『いずれにせよ、迷子のニンフィアを探さないと。今頃、タマムシシティを彷徨いているハズよ。これ以上被害が広がる前に食い止めないと』

 確かに、とレノードは頷いた。

「このまま役割分担を続けましょう。ドクターは病院で治療を続けてください。僕はロケット団員と一緒にタマムシシティで捜索続行。ミオとユキメノコは念のためセキチクシティに向かってください、サイクリングロードを通るのが一番速いでしょう」
『何でだよ、私達もニンフィアを探すべきだろー?』

 メロメロ使いのニンフィアとバトルできるかも、という期待がユキメノコの頭を過ぎったばかりである。
 不満を漏らす彼女に、レノードは僅かに表情を顰めた。

「もしもニンフィアが命令を受けていて、それがまだ有効だとしたら、今頃はセキチクシティに向かっている頃です。万一のことが起きてからでは遅過ぎる」
『考え過ぎじゃねーかなー』
「とにかく頼みます。レノード、以上」

 ユキメノコの諦めたようなため息を最後に、ホログラム画面は閉じた。
 さて、と動き出そうとするレノードの背に、シュランはハッキリと言葉を投げる。

「協力するとは言ってない」

 腕を組み、ユキメノコにも相当するような不満げな顔を浮かべて、への字の口を更に曲げる。
 その不満がどこから来るものか、レノードには推測しかできない。振り返って、彼に向き直る。

「カイリューの移動速度は速い、仮にニンフィアがセキチクで見つかったとしても、君なら1分と経たずに到着できる。ミオとユキメノコだけでニンフィアを止められるか分かりませんからね」

 彼らの傍を、時折警官が駆け抜ける。外では未だ賑やかな悲鳴が聞こえてくる。
 1人か2人が足を止め、何故ここでロケット団員が警察職員ではないであろう格好のレノードと対峙しているのか、疑問に思った者もいた。しかし現場に急行すべく、彼らはすぐに離れていった。
 相対する2人が沈黙している間のことである。

「……気のせいか? 俺様を疑っているように聞こえるぞ」
「ロケット団ほど命令系統が整った組織は他にありません。命令の食い違いなど滅多に無い。もっとも、誰かがどこかで事実を偽っているなら話は別ですが?」

 睨み合い、というほどに鋭い目つきではない。しかしピリピリと張り詰めた緊迫感が辺りを包んでいた。例えるならば、ポケモンリーグ決勝戦で互いの全てを懸けて戦うべくして対峙する、2人のポケモントレーナーのように。

「貴様……良い度胸だな、だが長生きはできんぞ」

 シュランはレノードの目線から外れて、フッと僅かな笑みを浮かべつつ、腰のボールを手に取りながら外へと向かった。
 続いてレノードもモンスターボールを握りしめる。

「それはまた別の話です」

 シュランの背中に言った後、背後から襲って殺してしまいたいというムズムズとした欲求を抑えきれずに波線のような口を浮かべて、モンスターボールを放り投げた。



「そんじゃあセキチクに行くかー」

 崩壊したタマムシ基地、中央司令室。
 青白く太陽のように輝く情報スフィアを背に、ユキメノコは「よっしゃー」と両手を挙げて、全身でやる気を表現した。声と顔以外で。
 しかしミオは俯いたまま、黙り込んでいた。
 万歳姿勢のままで固まるユキメノコだったが、2、3秒で気怠そうに手を下げた。

「……お前、ずっと静かだったな」

 特に心配の素振りもなく、形式上言っただけのような声にも、ミオは小さく頷いた。

「誰もニンフィアの心配、してなかったね……レノードも」

 先ほどからこの調子が続いている。大好きな筈のレノードが通信に出た際も一言も発しなかった辺り、ユキメノコは彼女の心境を察していた。
 察していたからこそ、「まあなー」と適当に返して歩き出す。

「ひどいよ」

 ぽつりと言って、ミオもそれに続いた。



 付けっ放しのホログラム、情報スフィア。
 その表面、膨大なデータのひとつ。
 そこにはこう書かれていた。



《文書ファイル:ニンフィアの扱いに関して》
・革新的な遺伝子操作テクノロジーの実験に成功
・進化の際、ポケモンを構成する量子構造が不安定になる
・技術的に進化を強制させることは既に成功していた
・進化中の不安定な身体に干渉し、遺伝子操作が可能になれば、後天的なポケモンの能力開発は容易になる
・電波進化により、ニンフィアの放つ化学物質フェロモンの調整に成功
・管理には十分注意すること、最低でもレベル6以上のバリアーを要する

・尚、任務完了後速やかにニンフィアは殺処分とすること

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