第6話 “傾国の妖精” (3)

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読了時間目安:10分
 暗い夜道は怖かろう、だが夜道の方がまだマシかもしれない。ミオは震える手で懐中電灯をしっかりと握り締めながら、そう思った。
 廃墟と化したタマムシ地下のロケット団基地の崩れかかった通路を、灯りも持たずに先へ先へと進むユキメノコと、少し遅れて少女ミオが続く。
 環境制御装置が壊れているのか、あるいは緊張のせいか、少し肌寒い。しかし白のワンピースのような軽装でなく、エージェントの黒い制服を着用しているおかげで、体の芯は暖かかった。

「ちょっと怖い……」

 ギシ、ギシ、と音を立てて揺れる、剥げた天井からぶら下がるチューブ状のコンジットが、やたらと不気味に響く。まるで見えない誰かが悪戯に動かしているかのように錯覚させる。
 いちいち残骸の音に反応しては足を止めるミオに、ユキメノコは呆れ顔で振り返った。

「お化け屋敷じゃないんだぜ。第一私だって幽霊なのによ」
「ユキは怖くないもん。でもどこかに、まだ怖いポケモンが隠れてて、ミオ達に襲い掛かってくるかも……」
「パニック映画の見過ぎだっての」

 と一蹴して、ユキメノコはへらへらと笑いながら先へ進む。ミオもまた、こんな不気味な空間に置いていかれまいと、足早に歩いた。

 2人の目的物はすぐに見つかった。金属製とはいえ殆どひしゃげているドアを押し倒して、ミオは土煙を払いながら、懐中電灯で奥を照らす。
 円形の広いホールの中に波紋状に立ち並んでいるコンソール、壁に掛かっている操作用デバイス、中央の情報ホログラム投影装置。ロケット団基地の、中央司令室だ。

「ここだぜ、コンピュータ端末だ」

 早速近くのコンソールに着くと、ユキメノコは慣れた手つきで画面に触れる。表面の液晶が割れているとはいえ、まだ辛うじて起動することができた。

「使えるの?」

 横からミオが覗き込む。
 ユキメノコは「んー」と生返事を返した。途端に、表情を顰める。

「あれ、変だな……何だか知らないけど、勝手に何かのプログラムが進行してる」
「何かいじっちゃった?」
「さあなー。一旦閉じよう」

 落ち着いた素振りを示しているユキメノコだが、その内心は激しく動揺していた。
 よくある話なのだが、悪の組織の秘密基地には非常時に備えて自爆装置が設置されている。それは基地を乗っ取られたり、機密が暴かれる際に、あらゆる抵抗が無駄に終わってしまった時の最終手段として残されているものだ。

 よもや。
 よもや、もしかして、今、無許可のアクセスを試みたために、自爆装置が勝手に動き出してしまったのではないか。
 とすると多分、おそらく猶予は10秒かそこらだろう。
 ユキメノコは目を見開き、かつてない集中力を発揮して、システム強制終了に全精力を注いだ。
 しかし。

 ビーッ!

 耳障りな、エラー音。
 ユキメノコは「ふっ」と済ました笑みを浮かべた。

「ねえ、あれ……」

 手が止まり、今際の際に瞑想をするユキメノコの帯を、ミオはくいくい引っ張りながら声をかける。
 視線の先には、あまり気にならない低音を響かせて起動する、中央の情報ホログラム投影装置。淡い光が浮かび、真っ暗だった部屋を青白く照らし出す。
 いつまで経っても爆発しないので、ユキメノコもおそるおそる目を開く。ミオと同じように、彼女もまた口をぽかんと開けてしまった。

「……すっげえ」

 惑星のような球体ホログラムの表面に満遍なく散りばめられた、情報のプラネタリウム。2人は思わぬ光景に、思わず気を取られてしまった。
 本来の任務を思い出すまで、あと30秒はかかるだろう。



 彼女らが落ち着いた時間を過ごしている頃、タマムシ病院はまったく逆の慌ただしい時間を迎える。さらに一層加速しながら。

「離せ、俺は彼女に会いに行くんだァー!」
「ラァイ!!」
「僕と彼女の仲を裂こうとしてもそうは行かないぞ!」
「……」

 救急車やパトカー、あるいは現場から直に担架を担いで、次々と担ぎ込まれる人々。ポケモン達も例外ではない。
 診療室でモニターと睨めっこを続けていた白衣のシリカは、開きっぱなしのドアから通路を伺い、隔離棟に運ばれていく少年少女とライチュウを見遣った。
 続いて息を切らした看護師ジョーイが飛び込んでくる。

「ドクター・シリカ、また新たな患者が!」
「隔離棟に放り込んで、この際相部屋でも仕方ないわ。男性には鎮静剤を打つのを忘れずに!」

 わかりました、との返事を言うが早いか、ジョーイはすぐに診療室を飛び出していった。すぐにまた先ほどと同じような状態の人間やポケモンが担ぎ込まれていく。
 シリカは神妙な顔つきでモニターに視線を戻した。

「人間ポケモン問わずに男性は発狂して、女性は逆に無気力の症状……それもやたらと男性は1人の女性に狂信的な感情を抱いてる。まるで、そう、まるでこれは……恋?」

 自分で言ってても可笑しいが、感染症のように広がりを見せる以上、まったくもって笑えない。
 ため息をついたところで、ラッキーが電子パッドを抱えて、ぽて、ぽて、とやってきた。

「ラッキー」
「待ってたのよ、反応は?」
「ラキッ」

 鳴き声でなんとなく分かる。このシャキッと整った端的な鳴き声、肯定の意味だ。
 シリカはざっと電子パッドの表示に目を通すと、一層表情を曇らせる。

「思った通り、でもこんなバカな事ってある?」
「ラッキー?」
「……そうよね、あるんだからあるんでしょ。生物の宿命だわ」

 呆れ半分でそう言いながら、シリカは腕に巻いた小さな端末に触れた。



 タマムシ警察署の一角に、男の悲鳴が響く。想像を絶する苦痛が休むことなく続いていく。まだ10分が経たないことを知れば、男の心は壊れ、痛みと絶望に沈んでいく事だろう。
 そうなれば良かったものの、一歩手前でロケット団員のシュランはひとしきりの事実を語った。

「……それは本当か?」

 ガリガリとテーブルの柱で爪研ぎをするチョロネコを傍らに置いて、レノードは考え込んだ。
 疑うべき理由は無い。大した機密とも言い難い。
 シュランは残った水を一気に喉に流し込んで、潜水を終えて浮かび上がった時のように「ぷはぁ」と息を吸い込んだ。

「ほっ……本当だ、嘘は言わん。記録には残っていないが確かにニンフィアがチョウジ基地からタマムシ基地に移送された形跡があった。俺様は、その調査の為にトキワ本部から派遣されたんだ」

 その語る様子には最初ほどの余裕は影も形もなく、ぜえぜえと息を乱す疲弊した姿があった。

「強制進化電波をイーブイに使ったのか、石で進化するポケモンにも使えるようになったとは」
「実験的な電波で、特定の能力を極限まで強化する事もできる。その実験第1号がニンフィアだが、強化された能力が何なのかは俺様も知らん。ただ見つけたら駆除しろとだけ命令されていた。奴を外に出せば、被害は大きいと。だが俺様が着いたときには、もうタマムシ基地は壊滅的な被害を受けていた」

 レノードの表情に影がさす。

「被害が拡大する、何故すぐに言わなかったんです?」
「口外するなとの命令だ、貴様らにあのニンフィアは渡さん!」

 シュランが調子を取り戻したからか、声を荒げても、レノードは動じずに首を横に振った。

「事はもっと深刻だ、ッ!?」

 刹那、轟く爆発音。遠くではない、音だけでなく振動が伝わるぐらいに近い。
 レノードは俊敏に動いてドアを開けた。
 ちょうど通路に立っていた見張り番の警察官が無線機で指示を受けているところであった。

「了解!」

 男性警官が無線機を切ると、振り返ってドアを開けようと手を伸ばす。しかし、既にドアは開いていた。

「何が起きたんです!?」

 と、レノード。

「メインストリートで暴動が起きたようです!」
「この近くだ……彼の手錠を外してください」

 中の取調室を顎で示す。
 さっきまでは従順だった男性警官も、さすがにこればかりはとたじろぐ。

「そんな!?」
「暴徒抑制シーケンスが発動すれば、タマムシ一帯が封鎖されて、テレポートや転送装置は使えなくなる。先のロケット団基地事件と、この事態の原因に目星はつきましたが、解決するにはあの男の力が……厳密には彼のカイリューが必要です」
「し、しかし……」

 規則か裁量か、迷っている男性警官にレノードは畳み掛ける。

「彼が無実だという証拠はあります、しかし面倒な手続きを踏んでいては間に合わない」

 天秤は一気に傾いた。
 男性警官はシュランの元に駆け寄ると、ベルトに付けていたキーを外して、シュランの手錠をガチャリと外した。

「後で証拠の提出を!」
「えぇ約束します!」

 男性警官のエールを兼ねた言葉に同様に返しながら、落ち着き払っているチョロネコをボールに戻し、シュランを率いて走り出した。

「俺様の無実の証拠だと?」

 カイリューの囚われている拘束室に向かう途中、シュランは怪訝そうに訊ねた。
 レノードのさっき言ったことが事実なら、自分の無罪を知っててあの苦痛に満ちた拷問を実行したことになる。それも、わざと。
 対してレノードは振り返らずに答える。

「ちゃんとありますよ。こちらの言うことを聞いている限りはね」

 表情こそ伺えないが、どんなものかは容易に想像できる。そんな気がした。
 これだから政府の下で働くエージェントは嫌いなのだ。

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