第5話 “偽善と偽悪” (6)

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 クロバット・シーカー。
 シリカはその名に聞き覚えがあった。というより政府に属する者ならば、その名は一度は耳にする筈だ。
 正式には政府の中枢、内閣の特務を受けてのみ動く特務機関である。その活動記録はゼロに等しいものの、政府内部の組織で働いて、ある一定の地位を得たとき、必ず言われる台詞がある。「クロバット・シーカーには絶対に逆らうな」と。
 クロバットさながら、彼らは闇夜に紛れて動き出す。

 白衣を脱ぎ、落ち着いた色合いのカーディガンとスカートを着こなすシリカは、緊張した面持ちで赤い絨毯のエレベーターに乗り込んだ。
 手をべとべとに濡らす嫌な汗を、こっそりとスカートで拭う。少し恐怖さえ入り交じる緊張の理由は、そこが国家機関ポケモンGメンの中枢である事、そしておそらく面倒な手続きを踏まねば入れないと覚悟していたにも関わらず、すんなりと『とある部屋』への入室許可が下りた事が大きい。
 上階へと昇るエレベーターが止まり、シリカは誰もいない通路をカツカツと音を立てて歩いた。やがて、ひとつのドアの前に足を止める。ノックする為に手をドアの前に添えた、途端。

「お入りください」

 男の落ち着いた声が、ドアの奥からそう告げてきた。シリカは唾をごくりと呑み込み、覚悟を決めて、ドア横の操作パネルに手を置いた。

「ようこそ、ドクター・シリカ。お待ちしていました」

 ドアが開いた奥は、よくある個人のオフィスのようであった。絨毯が敷かれ、来客用のソファが並び、一番奥には書類の散らばる仕事用の大きなデスク。その向こうに、中年くらいの黒服の男がにこやかに座っていた。
 シリカにはその表情に見覚えがあった。まるでレノードがいつも浮かべているような、自信と余裕、それから虚構に満ちた笑みだ。

「どうも、ドレイクさん。早速ですが、貴方にお話があって——」
「まあまあ、まずは腰を下ろしてゆっくりしてください」

 と、ドレイクと呼ばれた男は、デスク向かいの簡素な椅子を手のひらで「どうぞ」と示す。

「今お飲物を用意させましょう、甘いミックスオレがお好きでしたよね?」
「えぇそうです、私の好物で……何故それを?」

 シリカは「お言葉に甘えて」と椅子に座りながら、緊張が解れたような笑みを一瞬で崩した。
 この男、政府機関の名簿上ではクロバット・シーカーの長官でもあるドレイクとは、初対面の筈である。話した事もなければ、互いを見る事さえ初めてなのに。
 ドレイクは表情が強張っているシリカに構わず、デスクのパネルに触れて、「ミックスオレとコーヒーを」と告げる。

「クロバット・シーカーは何でも知っています。今のレノードが危篤状態である事も」
「随分と情報集めがお得意なんですね」

 多少の皮肉も込めて言い放った言葉も、ドレイクには讃美に聞こえたらしく、にやにやとどこか嬉しそうに頷いた。

「それで、貴方の考える治療法に、何か必要なものがあるとか」
「レノードの神経繊維が酷く損傷していて、移植手術をしなければ助かりません。彼の神経繊維を複製しようにも、時間が無いんです」

 ドアが開いて、おそらく秘書ポケモンであろうゴチルゼルが、トレイにふたつのカップを乗せて運んでくる。その動作を視界の端に捉えて、シリカはミラージュ・システムにも似た冷たさを感じた。動きがいやに機械的で、顔に感情の色が無いのだ。
 ドレイクは自分のカップに口をつけて、ひとくち啜ってから、満足に浸りながら続ける。

「それで、私にどうしろと」
「時間操作ができるポケモンの手を借りて、細胞の培養速度を加速させて欲しいんです」

 ドレイクの表情から、嘲るような笑みがこぼれる。

「大それた事を仰る方だ。我々にそんな事ができるとお考えなんですか?」
「できないなら、彼は死にます」

 シリカはカップを握ったまま、ひとくちもつけずに淡々と返した。
 初めてドレイクの表情が曇る。

「ふむ。それは私としても見過ごせませんなぁ」

 どこかわざとらしい。シリカはカップを握る手に力を込める。
 ドレイクはおもむろにデスクの引き出しを開いて、小さなボタン状の装置をデスクの上に取り出した。シリカがその装置に視線を注ぐ中、彼は続ける。

「シーカーはディアルガと限定時間協定を結んでいて、非常に限定した状況に限り、時間を加速させたり、減速させたりすることができる。このビーコンを差し上げます」
「これは何です?」
「ディアルガに暗号メッセージを送信する装置です。加速ならプラス時間、減速ならマイナス時間を入力して作動させれば、ビーコンの周囲1メートルの時間を、その通りに変化させることができる」
「凄い……」

 と、驚いたように呟きながら、シリカは内心納得していた。
 やはりクロバット・シーカーなら万全の策を持っていた。しかも彼の落ち着いた様子からして、この対策も以前から準備していたに違いない。たとえどんな悲劇が起こっても、同じ神々のポケモンが原因でもない限り、決して人間の為には時間操作を許さないディアルガの首を縦に振らせた。
 彼らが敵でなくて、本当に良かった。そう安堵しながら、シリカはぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます」
「礼は必要ありません。これでレノードの苦しみを長引かせることができるのですから」

 神妙そうに見上げながら、シリカは顔を上げる。

「……レノードとあなた方は仲違いを? 怒った政府高官から左遷を命じられたと聞きましたけど」
「誰がそんな事を?」
「レノード本人からです」
「彼から? ……はは、ははは!」

 驚いた様子から一転して、ドレイクは腹を抱えて笑い出した。シリカが困惑の声をあげてもドレイクは笑い続け、ようやく落ち着いた頃になって、彼は「いや失礼」と置いて続けた。

「これは面白い。レノードはかつて非常に有能なうちの工作員でしてね、彼の騙くらかしは天性の才だ。一度でも嘘が通れば死んでも貫き通す。他人を欺くことにかけては、かのゾロアークでさえ足下にも及ぶまい」

 そう語るドレイクの様子は誇らしげであったが、過ぎ去った過去を思い浮かべているようでもあり、懐かしみのあまり目尻にシワを寄せていた。
 しかしシリカは見逃さなかった。その後、冷酷な表情を挟んでから笑みに変わっていった瞬間を。

「さあ、帰ったらレノードにお伝えください。早く元気になって、健康で惨めな一生を送るが良い、と」

 伝言というよりは、警告にも似たプレッシャーを感じる。
 これ以上探ることは叶わない。シリカはただ、頷いた。

「……伝えます」

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