第3話 “テレポート恐怖症” (3)

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 そこは、何だか懐かしい感じがした。
 真っ暗闇で何もなく、光が無ければ音も無い、独りぼっちの世界。かつてはそこが世界の全てだったのに、今はどうしようもなく心細い。
 ミオは、その世界の中心でうずくまっていた。夜が明けることを、ひたすらに信じて。

「……け、て」

 夜明けの兆しだろうか、ミオは確かに耳で聴いた。
 小さなか細い、男とも女ともとれる声、その主はこの闇の中に紛れているのだろうか。ミオはゆっくりと立ち上がり、おそるおそる呼びかける。

「レノード? ユキメノコちゃん?」
「たす……けて」

 返事の代わりに、声は同じ言葉を繰り返す。
 ミオは目の前に何か無いかと手探りしながら、足を一歩ずつ前に進める。不安はあったが、それでも心細さを解消できる何かを求めた。

「誰? なにも、なにも見えないよ」

 おそらく声の主に近付いているだろう、しかし声は何も語らなくなった。
 不信感が募る。あるいは、何かあったのだろうか。ミオは更に呼んだ。

「……ねえ」

 瞬間。

「助けて!!」

 地鳴りがするような野太く低い声、同時にミオの右腕が、丸太のような赤い手に掴まれた。ジューっと音を立て、ミオの鼻にツンと焦げ臭いにおいが届くと同時に、おぞましい苦痛が腕から這い上がってきた。

 熱い。
 熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!

 声にならない悲鳴をあげて、ミオは必死に腕を引っ込めようと引っ張るが、それが更に苦痛を強める。
 しまいには耐えられなくなって、喉さえ潰れるような悲鳴をあげ、意識を失った。



「いやー!!」

 叫び声を聞いて、医務室の白いベッドの傍の簡素なパイプ椅子に座ってうたた寝をしていたレノードはギョッとした。

「ミオ!」

 慌てて暴れる少女の身体を抑えつつ、その右腕に巻かれた分厚い包帯に注意を払う。たかが少女とはいえ、全身全霊で暴れるのを抑えるのは容易ではなかった。
 やがて飛んできた白衣のドクター、シリカがミオの顔を覗き込み、優しく、しかしハッキリとした口調で呼びかける。

「大丈夫落ち着いて、深呼吸して。ここはプロメテウスよ」
「ふぅー、ふぅー……」

 ミオの息はまだ荒かったが、傍で自分を抑えているレノードを見やり、ひとまず落ち着いた。シリカの言う通りに、深呼吸をする。

「そうよ良い調子、吸って、吐いてー」
「随分とうなされていたようでしたよ。悪夢でも見たんですか?」

 というレノードの問いかけに、ミオはもう一度深く呼吸を繰り返し、仰向けの姿勢で天井を見上げる。薄暗い無機質な天井を。
 ここはあの暗闇ではない。湧き上がる安心感、しかし僅かな不安が残る。

「……ゆめ、だったの?」

 そうだよ、と肯定するレノードとシリカの声が耳を素通りする。
 記憶を手繰り、掴みかかってきた手を思い出す。そして視線の先を、おもむろに自分の右腕へ。感覚は無い、麻酔が効いているのだろう。

「ちがう、夢じゃない」

 深刻そうな物言いに、シリカは黙り込んだ。代わりにハンディスキャナーのような検査機器を手に取り、少女の身体にかざした。
 レノードは身を乗り出し、ミオに訊ねる。

「転送してから何があったか、覚えていますか?」
「わからない……でも、何か居た。手を掴まれて、痛くて……怖かった」

 横になっている身体が、小刻みに震える。再び息が荒れ始め、手に嫌な汗が伝う。

「死んじゃうと思った」

 言葉にすると、ずしりと自らの心に伸し掛かる。
 レノードはそんな心境をすぐに察していた。ミオの肩に手を置き、更に続ける。

「それはどこで?」
「……真っ暗なところ。何も、見えなかった」

 こつん、と、レノードの腕に検査機器が当たった。

「レノード、質問なら後にして」
「でもこの転送事故の鍵を握るのはミオだけなんです」
「これ以上疲れさせる気? 明日にして」

 医療主任に睨まれてはしょうがない。レノードはしぶしぶミオの肩から手を引っ込めた。
 彼が立ち上がると、ミオは慌てて身体を起こそうとしたが、シリカの握る検査機器に平らな胸部を押さえつけられてしまう。

「大丈夫、ミオも手伝えるから」
「貴方の仕事はゆっくり寝て、傷を癒す事よ」
「……でも、レノードの役に立ちたい」
「彼なら別の方法で解決できるわ。……そうでしょ?」

 なかば強迫じみた声。
 レノードは口を開きかけて、思わず言い出したい事を渋々呑み込んだ。

「……その通りです」

 彼が折れては、ミオはそれ以上せがむ事ができなかった。
 酷く残念そうに目を閉じて、一言。

「わかった……」

 そんな様子に、思わず「ふぅ」と笑みが零れる。
 レノードは立ち上がりながら、最後に一度ミオの頭を撫でた。

「何かあったら、呼んでください」
「うん……頑張ってね」

 片目を開いてそう語る少女に、レノードは笑顔で頷いた。

「それじゃあ、また後で」
「待って。ちょっとあっちで話しましょ」

 検査機器を持ったまま、シリカは立ち去ろうとするレノードの肩に手を回す。
 そのまま彼を壁際へと引っ張って、ミオに声が届かないようボソボソと声のトーンを落として、困惑しているレノードに話を始めた。

「私が役に立てるかも……治療中にスキャンして気付いた事なんだけど、ミオの右腕に妙なものを見つけたの。何だと思う?」

 シリカは検査機器の小さな表示パネルをレノードの目の前に突きつける。
 その表示は、確かに彼の気を惹く内容が示されていた。

「……ポケモンのDNA」
「んー、それもブーバーのね。もしもミオの言う通り、何かに腕を掴まれたとして、それがブーバーだったとしたら、あの酷い火傷の説明がつくわ」
「つきませんよ。転送の前後にブーバーは居なかった」
「でもどこかに居る筈よ、よく探してみて」

 シリカは、こうと決めた事は絶対に曲げない。それはレノードのみならず、プロメテウスの誰もが知っていた。悪く言えば、頑固なのだ。
 彼女に命令権は無いが、今まで彼女の助言を聞いて、従わなかった人間やポケモンは居ない。その険しく頑固な姿勢に、逆らえる者はいなかった。
 もとより、レノードは言われずとも探すつもりだったのだが、まるで気迫で押し負けたように渋々と頷かざるを得なかった。
 直後、彼の視線がベッドのミオに向かう。

「……しかしやっぱり、傍について安心させた方が」
「行きなさい」
「はい、はい」

 ドスの効いた声に脅されてはたまったものではない。レノードはそそくさと医務室を後にした。
 残ったシリカは、腕組みをしてニヤニヤと物思いに耽る。

「……心配性なんて、良い事知っちゃった」

 るんっと振り返り、シリカはミオの診察に戻った。

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