第13話 「太陽に咲く」 (4)

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2014.9.21.投稿

◆8


 ここはどこだろう。
 あれからどれくらいたったのだろう。
 あれから、とは。いったいなにがあったんだっけ。

 ひどく意識がぼやけたようで。それでもゆっくり考え出すと、強いまどろみに引き戻される。
 眠ってしまったら楽なんだ。けれどなぜだか、それではいけないような気がする。

 暗い暗い、いつまでも明けきらないような夜。
 目覚めはそこまで来ているはずで、なのにどこまでも辿り着けない。
 
 だけど、きっと大丈夫なんだ。
 だって、すぐ近くに存在を感じる。

 愛想はいいけどきまぐれで。寝ることと食べることしか頭になくて。
 気付いたらいつでもそこにいて。わたしにはできないことができる。

 そんなあの子が、ちゃんと向かいにいてくれるから。

 だから、わたしも前を向けるんだ。



◇9


「それにしたってさ」

 と、少女は隣を歩くポケモンを見ながら呟いた。くるんと緩くカールした髪をポニーテールにし、はっきりとした目つきの少女。マルーノシティのカナミだった。

「あんた、ほんっと素で“おすましポケモン”やってんねー。もちっとこう、物怖じっての? 可愛げないよー」

 決して呑気というわけではないが、状況の変化などまるで気にも留めていないようにそのポケモンは澄まして歩く。その姿は凛としていて、媚も愛嬌も感じさせない。
 ほっそりとしたシルエットを持つそのポケモンは、野生では特定の棲み処を持たないことでも知られている。その習性通りの適応力で、この状況にも柔軟に対応しているのだろう。一方でその容姿には、種本来の紫とは異なる明るい赤の飾り毛が、異彩を放って輝いていた。
 それが、こんな場所に連れてこられた理由か。

「難儀だねー」

 一瞬ちらと目が合ったが、すぐにぷいとそっぽを向かれた。どうもいろいろ表に出したがらない性格らしい。今日街で出会った感情まるごとだだ漏れの少女と対照的で、思い出しながらカナミは少し可笑しくなった。
 彼女のことを聞いたのはミタキタウンに住む友人からだが、すごい子に出会ったという彼の話しぶりとは裏腹に、ぐずぐずと頼りない印象を抱いた。あんなのでよくミタキジムのバッジを勝ち得たものだ。

「ま、おんなじもんでも見出す価値は人それぞれだし、一秒後には誰もが別人。事情はいろいろ見え方もいろいろってね。あんたもそう思うっしょ」

 返事がないのはわかっていたが、その横顔に僅かばかりの変化をみつける。そういうものに苦しんだりもしてきているのだ。その心を十全に知ることはできずとも、開いた隙間を覗くことはできる。けれどカナミはそうしなかった。垣間見えただけで十分だ。

 それにしても気味が悪い。この赤い床と天井も趣味が悪いが、延々続く壁の赤いギザギサ模様にはうんざりしていた。よく考えたものだとは思うが、これでは全く落ち着かない。

「だからまあ、ここでこんなことしてるあたしのことも、とーぜん筒抜けって訳なんだよね」

 いつから待ち構えていたのだろう。警戒するだけ無駄だと割り切って堂々と歩いてきたが、それすらわかっていたかのように微動だにせず通路に陣取っていた女性。一目で染めたものとわかるバサバサの髪に、縁の厚いサングラスと風船ガムの眉無し女。その素顔も表情も紛れたようによくわからない。
 相手から何の言葉もないので、カナミは仕方なく肩を竦める。

「返せっつっても返さないかんね」

 それから直ぐに踵を返す。戦って負ける気もないが、今は役目が優先だ。自分が捕まっては元も子もない。すました同行者も迷うことなくついてきた。

 当然眉無しも追ってくる。待ての一声もなく無言のままで走ってくるのははっきり言ってただただ怖い。あれはどういう人間なんだとカナミは内心ぞっとして、同時に自然と確信する。ここの監視網を作っているのはこいつだ。

 眉無しの狙いは、カナミがポーチに忍ばせているカプセル型の装置だろう。外見はモンスターボールに似ているが、収納するのはポケモンではなく“どうぐ”の類いだ。他地方では広く用いられているもので、あらゆる道具を圧縮して持ち歩けるため旅人に重宝されている。一方であまりにコンパクトになるため落とし物が絶えず、旅人の通る場所には様々な道具の入ったカプセルが転がっていることが珍しくないという。
 カナミが持っているのはそのカプセルを改造し大容量にしたもので、今は大量のモンスターボールが収納されている。先程発見した保管庫からごっそり回収してきたものだ。

 本当ならこのすました同行者もそこに入っていてほしかったのだが、どうにも気の強い性分らしく嫌がられてしまった。かといって救出対象のポケモンを戦力としてあてにもできない。

 さて、ワープパネルを把握しきれているはずもなく、逃げ切るためには一計が要る。通じるかは賭けだが、ここは古典的な手でいくか。

「ププ、ちょっちごめんね」

 一言断り、カナミは“けむりだま”をひとつ落とす。本来野生ポケモンの視覚や嗅覚を遮って逃走するための道具だが、室内で使えばその煙はすぐには晴れず暫しの目眩ましとして使える。こんな状況を想定しておいたのが功を奏した。


 眉無しは全く怯まなかった。まるで意に介していないように煙に突っ込み走り抜ける。何か罠があるかも知れないが、この僅かな隙にできることなど知れている。何を企んでいるにせよ全て叩き潰せばいいだけのことだ。眉無しはそう考えていた。
 けれど煙の中には何もなく、そして抜けた先にも誰もいなかった。
 もしや見えないうちに何らかの高速移動で逃げおおせたか。構わない。この建造物内にいる限り逃げ場はないのだ。居場所もすぐに判明するだろう。眉無しは特に動じることなく、そのまま通路を走り抜けた。


 眉無しが去って行った後、煙が晴れて、通路の壁に変化があった。まるで風船がしぼむように、壁の一部がみるみる丸く縮んでいく。そしてそこには本来あった横道と、薄桃色のポケモンが残った。その白い腹部には、壁の模様と同じ赤いギザギザが描かれている。

「有名な手だと思ったけど、意外とうまくいっちゃったねー」

 こんな方法が通じるのは、いかにも前しか見ていなさそうなあの眉無しだからこそだろう。そこまで見越しての作戦ではあったが、こうも疑いすら持たれないとかえって驚く。そんな満足そうなカナミを横目に、自慢のきめ細かい体毛に落書きをされたプクリンが、ぷうっと頬を膨らませる。壁に擬態するためお腹を平らに見せるのにも苦労したのだ。労ってもらわねば割に合わない。

「あーあーはいはいごめんって。ありがとププ。後でちゃんと消したげるから」

 けれど今その暇はない。とりあえずはやり過ごしたが、監視網がある限りばれるのは時間の問題だ。急いで移動しなければ。

「面倒な役目押し付けてくれて、きっちり文句言ってやんなきゃ」

 戦うよりもこそこそする方がよほど疲れる。そう溜め息をつきながら、カナミはさらに通路を進む。



◆10


「さて」

 長髪を揺らす電話の男は、手元の端末を操作する手を止め、正面に向き直る。それでもどこか斜に構えたように見えるのは、男の目付きのせいだろうか。

「説明を頂きたいですね?」
「何のだろうな」

 わかっていてとぼけている、ということくらいは見通されているだろうか。長髪は僅かに肩を竦めて見せる。

「貴方を此処に招き入れてより、三組もの侵入者。無関係という方が無理があるでしょう?」
「そうだな」

 三組、という部分に疑問を抱くが、極力表情には出さないよう努める。どこの誰が紛れ込んだか知らないが、皆が皆当然のように捕捉されているとは。もう少し上手くやってもらいたいと嘆くべきか、ここの管理体制を誉めるべきなのか。

「残念ですよ。貴方には本当によく働いていただきましたから。実にお見事な徹底振りでした。事此処に至るまで気付かせていただけませんでしたよ」

 まるで他人事。長髪の物言いに、青年は眉を潜める。この状況すら、想定内ということなのか。

「外部の人間を此処に招く時、それは我々が最も警戒を大にする時です。万が一が起きたところで一々動揺するようではね」
「なるほど、もっともだ」

 とはいえ、それをこうも当然のように実行できるものなのか。これだけ用心深い連中だ、侵入者を招き入れることなどそうあることではないだろう。にもかかわらず、全く動じず淡々と対処する。これが「本物」ということだろうか。
 ならば。そこに今の自分は、どこまで通用するだろう?

「おや、楽しそうですね?」
「確かめておきたいと思ってたからさ」

 追い付くために。
 あいつのステージに立つために。
 自分がそこまで上れないことには、引きずり下ろすことも出来ないから。

「手順として、一応聞いておきましょうか。貴方はどちらの回し者でしょう」
「答えるとでも」
「思いませんね」

 それが開始の合図になったか。稲妻の筋を纏った光線が、一斉に青年に襲いかかった。その数六本。その全てを視界に収める前に、青年は大きく跳び退がる。一瞬前まで青年のいた地点で光線は交差し、絨毯の焼ける嫌な臭いを立ち込めて歪な焦げ跡を描き出す。

「あまり避け続けない方がよろしいかと」
「そうみたいだな」

 間もなく二射目が襲い来る。今度も六本。ただしそのうちの過半数が、先程よりも太く速い。青年は今度も素早く反応し横に跳ぶ。一部避けきれなかった光線がコートを掠め、ぶすぶすと焦げる。
 撃ち続けるほどに威力を上げて敵を追い詰める電気の攻撃。“チャージビーム”だ。
 ただし、この中で本物はおそらく半分。

「コフデ!」

 指示と同時に、青年自身も武器を構える。肩に背負った長銃型のものとは異なる、コートの内に隠した小銃。それを室内の三ヶ所に向けて、瞬く間に連射する。それとほぼ同時にドーブルが構えた尻尾の先端が輝いて、三発の水弾。合計六発の弾丸が室内の各所に命中する。青年の撃ち出した紅白のボールは対象をその内に吸い込んで捕獲し、ドーブルの水弾は金属部品の飛び散る音を響かせて三つの機械を破壊した。後には、原型のわからない機械部品と三つのボールの落ちる音だけが室内に響く。

「お見事」
「どうも」

 長髪の男が端末を構える。途端に全身が角張った奇妙なシルエットが空間を塗り潰すように出現し、稲妻を纏った光線を撃ち出す。青年はそれを体をずらすことで躱し、ドーブルは光線を潜り抜けるように姿勢を屈めて敵に迫る。一瞬で間合いを詰めたドーブルは、若草色の刃のように変化した尻尾を角張ったシルエットに叩き付けた。“リーフブレード”の直撃を受けたそれは弾かれるように宙を舞い、目を回した顔で落下する。ぐったりと歪に体を折ってへたり込む姿は、壊れた玩具を思わせた。

 ドーブルが倒したのは、バーチャルポケモン、ポリゴンだ。人工的に生み出されたポケモンであるとされ、体をプログラムに変換し電子空間に入り込むことができるという。おそらくその能力で男の持つ端末に身を潜めていたのだろう。
 青年のモンスターボールが捉えた三匹も同種だった。あちらは少し前に実体化して、自身の外観を張り替える技“テクスチャー”で部屋の風景に溶け込んでいた。
 そして、ドーブルが破壊した機械は。

「こんなものまであるとはな」
「さして驚いてもいない御様子で」

 ポケモンの技を解析し、機械で再現する装置。銃を改造してくれた知り合いに、青年も聞いたことがあった。
 ポリゴンは極めて稀少なポケモンだ。その体はプログラムとはいっても、プロテクトによりコピーで増やすことはできないという。その代わりに“チャージビーム”と“テクスチャー”を再現した見えない砲台を置くことで、警備の増強を図ったのだろう。

「よくお気付きに」
「ポリゴンが何体か隠れてたのはわかってた。あとは二発目の“チャージビーム”を参考にしたよ」

 “チャージビーム”の威力強化は、生身のポケモンが使う上では本来は多少不安定なものだ。実際に先程の六発のビームは、二射目で全てが均一に強化されてはいなかった。さらに言えば生物であるポケモンが、常に全く同じ威力で技を出すのも不可能だ。けれどそれを機械で再現するのなら、その不安定さをわざわざ残す意味はない。

「だから威力が同一に上昇した三発が、装置によるものと判断されたと?」
「半分くらいは勘だったけどな」

 ほう、と長髪は感心したように眉を上げる。だが、いつまでもお喋りに興じている暇はない。
 ドーブルが刃を男の喉元に突きつける。

「聞きたいことがある」
「ふむ」

 長髪は顎に右手を当て、わざとらしく考え込むような仕草をする。ドーブルが刃をさらに近付けるが、それさえ意に介していないかのようだ。
 追い詰めているのはこちらのはず。なのにこの気味の悪い余裕はなんだ。青年は眉を潜め、そして。

「っ! コフデ!」
「遅い」

 長髪はトレンチに忍ばせていた左腕を抜き放ち、手にした短銃をドーブルに突き付け、躊躇いなく引き金を引く。その間一秒にも満たなかったろう。ドーブルが収まったボールがころんと絨毯の床に落ちる。

「警戒を解くのが早過ぎましたね?」

 いつの間に掴んでいたのか、その右手には小型端末。その画面が光り、現れたのはポリゴンに似た、しかし丸みを帯びたシルエット。バーチャルポケモン、ポリゴン2。その嘴のような部位の先端が光を放ち、三色を束ねた螺旋の光線が放たれる。青年は咄嗟に身を捩って直撃は避けたが、躱しきることはできなかった。熱と冷気、痺れを伴う痛みが襲う。

「さて、動かないでいただきましょう。迂闊でしたね。貴方もお使いのスナッチシューターは、元々こちらが提供したもの。私が持っていない筈はないでしょう?」

 油断していた。右手の仕草は、銃を取る左手を悟られないための視線誘導。
 それだけではない。あのポリゴン2は、先にポリゴンを呼び出したのと同じ端末に潜んでいた。一度は見破り、それ以上の仕込みはないと無意識に思わされていたことで、意表を突かれた。

「騙し合いは、どうやら私の勝ちですね。さて、こちらとしても聞きたいことが多々御座います」

 ポリゴン2の嘴が再び淡い光を放ち始める。いつでも撃てるという威嚇だろう。この状況では、恐らくこちらがスナッチシューターを撃つより早い。ドーブルは自力でモンスターボールを出るコツを知ってはいるが、ここで使われているボールが特別製なのは青年もよく知るところだ。もはや大人しく両手を挙げる他にない。

「宜しい。では先ず先程の質問にお答え願います。貴方が此処に潜入したのは、何処の誰の御指示でしょう?」
「……意外と気付かれないもんなんだな」
「はい?」

 そう、青年は両手を挙げるしかなかった。即ち、いざという時のため決めていた奥の手の合図を。

 ひゅっ、と。突如舞い降りた影が、長髪の左手、その武器を襲う。高速で飛来した物体による風圧と交差する刃を受けた衝撃に、長髪はスナッチシューターを取り落とす。銃身にヒビの入ったそれは、落下の衝撃で真っ二つに折れた。

 咄嗟のことに、ポリゴン2の反応が遅れる。反射的に飛来物を目が追ってしまったことによる致命的な隙。青年はそれを逃さなかった。青年の小銃からボールが放たれ、ポリゴン2の姿が収まる。

「何が……ッ!」

 目を見開く長髪の喉元に、ぴたりと冷たいものが突き付けられる。肩に回り込んでいたこうもりポケモン、ズバットの翼だった。長髪が初めて苦味を含んで表情を歪める。

「一体どこから?」
「天井だよ。明かりが多いのに気付かなかったか?」

 実際に光ってはいなかったので、気付いていれば電球が切れたように見えていただろう。

「騙し合いは、どうやらこちらの勝ちみたいだな。内心はずっとヒヤヒヤしてたよ。こういうのはもうゴメンだね」

 言いつつも、青年は警戒を解いてはいない。ここは敵地だ。安易に底を判断はできない。
 ドーブルのボールを拾い上げ、男にまっすぐ向き直る。

「さあ、ようやく静かになったとこ悪いが、聞きたいことに答えてもらうぜ」

 見た限りでは、この組織はかなり少人数だ。ここでこの男を捕えられれば、形勢は一気にこちらに傾く。そうなれば自分の目的も。そこまで考え、直後やはり甘かったのだと知ることになる。

 長髪が爪先で床を叩く。それだけの動作で、長髪の全身がぐるりと歪む。

「勝負は貴方の勝ちですよ。ですが『貴方達』には勝たせない」

 それだけ言い残し、長髪の姿は一瞬で消えた。
 青年は急いで男の立っていた床を調べる。けれど床下に仕込まれたワープパネルは既にロックされているようで、何も反応しなかった。

「参ったな。これが本物か」

 戦う術しか鍛えてこなかった青年は、自分の力の及ばぬ領域に拳を握る。それでも。ここで立ち止まっている暇はない。
 先へ進むため。得られるものを掴もうと、青年は室内の端末に向かった。



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