森にかかった火は、シェーリたちからも見えていた。
この森に慣れたティアルは暗闇をものともせずにはるか先を行っている。彼がどんな無茶をやらかすか気が気でなく、シェーリは一つ舌を打ってウィルゼを残し、駆け出した。トトがいれば。ちらりと思考によぎるが、彼の気配はなぜかどこにもなかった。
残されたウィルゼは顔から血の気が引いている。彼の不安はワークスではなく、森そのものにあった。
「火をかけただって!? 冗談じゃないっ! 今は冬なんだぞ!」
この乾燥した状況で起こる悲劇を想像し、ウィルゼは二つのボールを空に放った。
「ステイ、ミナ、先に行け! 方法は問わない、ファウンスに燃え広がることだけは防ぐんだ!」
二匹が消える前にウィルゼは駆け出した。怪我の痛みなど、マグマ団への怒りがどこかに吹き飛ばしていた。
* * *
一方で、ウィルゼ以上に怒った人がマグマ団に相対した。
ティアルである。
彼は怒っていた。それはもう、激怒していた。ぶちぎれていた。
「ロータス、イーリー、リーフ! こいつらを、追い出せぇっ!!」
彼が投げた三つのボールから出てきたのは、ポニータ、キルリア、そしてチコリータ。
彼らはトレーナーの怒りを受け、大きな雄叫びを上げた。
猛然と突進する。頭に血が上って目の前のことしか見えていなかったティアルの後ろから、そろりとマグマッグが忍び寄る。
「――イヴ、シャドーボールッ」
黒球がそのマグマッグを弾いた。ティアルがはっと振り返ると同時に、ぐいと腕を引っ張られて「うわあ?」と声を上げる。その瞬間、今まで彼がいた場所にどこからか大きな岩がふってきて、ティアルは思わずごくりとつばを飲んだ。
「隙だらけだ、全く……」
ぼそりとした声に顔を上げると、ティアルの危機を救ったのはシェーリだった。苛烈な色の瞳を炎に向けている。
「あ、あの……ありがとうございます」
「ありがたいと思うなら下がれ。邪魔だ」
「じゃ、……僕だってエージェントです!」
「自滅しそうなやつの面倒をみられるほどトレーナーが出来ていない。下がれ」
「……! あの、ですねっ」
「来るぞイヴ! 神秘の守り!」
火の粉にまぎれて放たれた「鬼火」を、シェーリは正確に捉えていた。イヴの体を覆った輝きが炎をはじき返す。
「離れるな! クイン、その辺の炎に土をかけておけ! あ、……そこのポニータ伏せろっ、イヴ電光石火!」
ロータスに頭から噛みつこうとしていたハブネークが吹っ飛んだ。袖をつかまれたティアルは、その指示にただ呆然とする。
――こんな風に、フィールド全体を見れるなんて……!
バトルフィールドとは違う、360度の視点。それが必要なのがエージェントで、それをなしえるのが、一流の証。
「シェーリさん、あなたは一体……」
困惑したティアルがシェーリに問いかけようとしたとき、遠くから二発、水球が打ち込まれた。一発はシェーリたちの眼前で破裂し、もう一発は二人のはるか頭上をすり抜け、より村に近い位置に着弾する。土砂が巻き上がったと同時に、空気をつんざく甲高い音がした。数秒おいて、似た音がもう一度。
「口笛……? 音で、やりとりを?」
複雑かつでたらめな旋律にそう推測する。今の水球といい、果たして敵か、味方か?
素早く周囲に目を走らせた時、ふっと何かを感じた。ぴりっと肌を刺すような気配。何かに「自分」を認識された。ティアルをかばい、向き直ると同時にクインとイヴが足下に跳んでくる。
「……ターゲット、みーっけ。でもまさか“銀”と白夜のお目付とは。ほとんど伸されちまったじゃねーか」
聞こえた声に、心に火がつく。
それは決して赤くない、青く冷たい炎で。
「……マグマ団幹部、ホムラ……!」
飲み込まれる。
静かに凍てつく、氷の怒りに。
* * *
「ユキ、シント、戻れ。スイ、高速スピンしながら水鉄砲! ヨウ、風起こし、ウツリツ、ハイドロポンプ!」
どこからか飛んできた水球の助けも借り、ようやく目に見える範囲のマグマ団をたたきのめしたアスクルは休む間もなく森の消火に移った。ポケモンレンジャーならその辺の水タイプの助けも借りられるのに、ええい、調停者ってのは本当に中途半端だ!
「アスクル、雨乞いの方が」
「あっちでウィルゼが消火をやっているんだ。近すぎる、危険だ」
「……便利だな、お前たちの連絡方法は」
「褒めても何も出ん」
焦るアスクルはぞんざいな口調だ。三匹に場所を移動するように指示を出し、気がかりそうにティアルが駆けていった方向を見る。
ちょうどその時、猛々しい火柱が夜空を衝いて燃え上がった。
* * *
燃えさかる炎に、赤く照り輝くのは銀色の髪。
それよりもなお苛烈に光るのは、怒気をはらんだ翡翠の珠玉。
シェーリに突き飛ばされたティアルは呆然としていた。今、何が起こった。立とうとしたら轟音がして、顔を上げると目に飛び込んできたのは――緋。
のろのろと頭をめぐらす。緋、緋、火。あたりは一面、炎に包まれていた。「噴火」と「炎の渦」の合わせ技だと、ティアルには知るよしもない。
ただ彼に分かるのは――この美しい森が灰になっているという、この事実。
泣きそうに顔を歪める。震える喉が音を紡ぐ。
「どうして……!」
「火炎放射」で競り負け、ふーっとうなって飛び出そうとするクインを、シェーリはその首を抱えて止めていた。
ホムラをじっと見る。刹那の激情に荒れた心がゆっくりとながら、落ち着きを取り戻すのが目で見ているかのように分かる、妙な気持ちだった。すとんと納得する。
ああ、私はまだこいつにとどいていない。
瞳の内の炎が徐々におさまる。そんな自分を、シェーリは訝しく思った。私は、マグマ団を憎んでいるはずなのに。
「なぜ、火を付けた」
「目印だよ。これなら森中から見えるだろ? お前が隠れるからな、あぶり出すためさ」
あたかも悪いのは自分のように話すのにも、どうしてか憤る気持ちはわいてこなかった。逆に心はなぎ、じわじわと知らない気持ちが染み出でる。
切なさに似た、いや、涙を流すものを眼前にしているかのような。初めて感じる、感情。
「……そんなことのために、この森を焼くのか」
「森なんかどこにでもあるだろ」
違う。シェーリは心が反駁したのを感じた。
太古の昔からホウエン地方に恵みをもたらした森林地帯、ファウンス。この森が、二つとないこの森が、こんな理由のために燃やされていいはずがない……!
ゆらり、立ち上がる。クインはもう飛び出そうとしない。
相手はバクーダ。
急激に周囲の景色が鮮明になる。感覚が世界に向けて解放され、シェーリはやっと視認できるほどの岩山の上に、何かがいるのを「感じた」。敵ではない、助けてくれる――そんな気がした。
「……お前たちが何を言おうが……私には関係ない。だから、――かまわなかったんだ」
本来ならば。
「彼ら」が「自分」の世界に入ってこなければシェーリはどうでもよかった。彼らのせいで苦しむものがいるとも――思い至りもしなかったかもしれない。ましてや、対峙しようとも、壊滅させたいとも思わなかったはずだ。
だが彼らはウィルゼを傷つけた。オーランの、アスクルの、ユーリーの運命をねじ曲げた。人を傷つけ、なお平然とした顔をしている。そして何もしなければその被害は広がっていくだろう。
この世界で知り合った優しい人々を傷つけ、それでも平気なのだろう。
(そんなの、いやだ)
自分が傷つくより、人が傷つく方がはるかに痛い。
恨みはある。憎いとも思う。けれどそれより何よりも強い思いがある。
「――――これ以上、何も奪わせてなるものか――――!!」
空に手を突き上げる。
その合図を受け、遠く岩山の上にいたポケモンがバクーダを攻撃した。
あたりの炎がまとめて吹き飛ぶほどの水流だった。
* * *
翌日の昼までに、元気になって戻ってきたトトによって、全ての鎮火が確認された。どさくさ紛れで大勢のマグマ団が逃げ出し、ワークスのほとんどは焼け落ちてしまったが、連絡を受けたポケモン協会が責任を持って面倒を見るそうだ。ティアルとシヴァの説得を受け、住民たちもそれに賛同した。
炎と、ついでにシェーリたちも吹き飛ばした水流を放ったポケモンは、結局なんだったのか分からないまま、終わった。
そして、全ての準備が終わった日。ティアルがシェーリたちの元に訪れた。
「僕も連れて行ってください」
一世一代の告白の、その返答は。
「寝言は寝ていえ」
ばっさり切り捨てられたティアルは、感心にもめげずに食い下がった。
「僕は調停者で、通り名持ちです。きっと役に立ちます!」
「実力は並のエージェント以下だ」
「……シェーリさんたちのこと、助けましたよっ」
「それとこれとは話が別」
「強くなりたいんです!」
「お門違いだ。ディラにいけ」
「ディラじゃ意味がないんですっ。ディラは自分から動くことはしないから……“能動”じゃないと、意味がないんです!」
「おいこらなんだそのナマケモノみたいな言いぐさは」
「マグマ団の狙いは、調停者だ。自衛で手一杯なのに足手まといまで連れて行けるか」
「~~~~~~~~~~~~っ!!」
「……無視かよ」
自分と彼らに厳然とした実力の差があることなど、百も承知。でもティアルは強くなりたかった。この森を、故郷を踏みにじったあいつらに負けたくなかった。
もはや意地だ。目の前で涼しい顔をしているシェーリをきっと睨む。
「……断られても、自力でついていきますっ!!」
「……ッ」
初めてシェーリが言葉につまった。ティアルはきょとんとする。どうやら痛いところをついたらしいが、どの辺が?
分からないから、ティアルはとにかく攻めることにした。
「山の中のことは僕の方が詳しいですっ、一人でもちゃんと追えますよ!」
「……」
「町にだって行ったことありますっ、貯金だってあるし!」
「………………」
「まいてもいいですよ、絶対後を追って――」
「……それが問題なんだろっ」
「……え?」
思わずつっこんで、シェーリははっと我に返った。しまった、墓穴を掘った。進退窮まった彼女の前で、ティアルは首をかしげる。
「後を追うのが、問題……? あ、あああっ、分かった!」
ティアルはすごくうれしそうな顔で手を打った。
「僕をまいて、一人になった僕がマグマ団に捕まるのが問題なんだ! 太刀打ちできないですもんねっ!」
ティアルは、ものすごくうれしそうな顔でシェーリを見上げた。「その理由、情けなくならないのか?」と突っ込む声なんて聞こえない。調停者をマグマ団に渡したくないのがシェーリの痛いところならティアルが追ってもまくにまけない。つまり。
「シェーリさん、僕を連れて行かなきゃいけなくなっちゃいましたねっ」
満面の笑みに言葉を失ったシェーリの肩を、表情だけは殊勝を取り繕ったウィルゼが叩いた。
「お前の負けだよ、シェーリ」
口に出したい百万語を押し込め、シェーリはウィルゼの手をたたき落とした。
「……ウィルゼ。お前“再”骨折と言っていたな?」
ぎくり。
「……いつやったのか、詳しく聞かせてもらおうか」
ウィルゼは引きつった笑みを浮かべた。しまった、やぶへびだ。助けを求めようと視線をやった先、顧みられなかったシヴァは「がんばれよー」とそこから離れていこうとしていた。「薄情者!」とその背にぶつけ、それからなんとか弁解を試みる。が、果たしてうまくいくものか、本人も分からなかった。
そんな彼女たちを、遠くから見つめるポケモンたちがいた。
雷雲背負うしなやかな肢体、雷の化身ライコウ。貫禄あふれる朱金の体躯、火山の落とし子エンテイ。青く美しく透き通ったからだ、北風の生まれ変わりスイクン。
はるか離れたジョウト地方で、伝説と語り継がれるポケモンたちである。
彼らはしばらくシェーリたちを見ていた後、お互いにうなずきあう。
そして地面を蹴り、どこともしれぬ場所へと飛び去っていった。
* * *
「その歌声は護るためにこそ輝き
その力は戦うためにこそ目覚める。
それは決して己のためのものではなく
傷つけたくないと望む、仲間のために。」
~「ゼーナ 【泉】」天変の章より抜粋~
以上、「ファウンスの愛人」でした。
次からはまた別の話になります。題名は「シダケの擾乱」。でも彼は出てきませんよ、ゲームに出てきた彼は。