【第079話】負け犬同士 / ケシキ、迷霧
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
この日の鬼ごっこカリキュラムは終了。
マツリによる全体電話での終了通知と軽い演説を最後に、そのままこの日は解散となった。
「や……やっちまった……」
うなだれながら、帰路に着くチハヤ。
あと少しで嵐を撃破し、カードを手に入れられる……という所で、鬼ごっこのタイムアップ。
チハヤは手元にカードがないまま、この授業の点数を落とす結果となってしまったのである。
しかも驚くべきことにこの授業のリザルトを見ると……なんとチハヤ以外の他の13人は全員、誰かしらからカードを1枚奪っていたのである。
即ち、チハヤは正真正銘、唯一の落第者……となったわけだ。
ただでさえ、『最優秀でギリギリ落第回避』というチキンレースまっしぐらなのに、この大型授業まるごと失点となれば、その影響は計り知れない。
それはチハヤ本人だって分かっていた。
だからこそ、酷く落ち込んでいたのだ。
だがそうなっていたのは彼だけではない。
「……すまない、チハヤ。俺がカディラ先輩との戦いで足を引っ張ったから……」
チハヤがカードを失った原因となった一戦……カディラとの戦いで、隣りにいたケシキだ。
そのケシキは直後にキクからカードを奪い取って落第を免れたが……そのせいで余計に、今のチハヤに後ろめたさを感じていたのだ。
が、チハヤは首を横に振る。
「いや、あれお前のせいじゃねぇだろ。カディラ先輩の大逆転は俺も予想外だったわけだし……それより……」
彼にとっては、ケシキよりも気がかりなことがあったのだ。
それは……
「ふりりーー!」
「このヒラヒナをどうにかしてくれ!!さっきからコイツ俺の髪を毟ってくるんだ!!このままだと明日には坊主頭だーーーー痛だだだだだだだだだ!!!」
「俺が知るか!もうソイツはお前のポケモンなんだからお前が面倒見ろ!!!」
チハヤの嘆きを突っぱねつつ、ケシキは手元のスマホでヒラヒナの方へポケトーカーを向ける。
『チハヤーーー!元気出せーーー!アタシと遊べーーーー!』
「(……ふん、元気なこった。)」
最早元トレーナーの自分の事など、完全に眼中にない様子だ。
否……寧ろそのほうが、ケシキにとっても後腐れがなくて快適なのだろう。
「あぁ……そうだ。ヒラヒナで思い出したんだが……お前に用があったんだわ。」
「用……俺に、用だと?」
「あぁ。ちょっとこの場所に行ってほしいんだけど……お前になら任せられると思ってな。」
「……?」
ーーーーーGAIA南西エリア、迷霧の部屋。
「げほっ……げぇほっ……」
青ざめた顔で目を覚まし、ふらつく頭と共に起き上がる迷霧。
気づくと自室の布団に寝かされており、窓の外は日が沈んで暗くなっている。
状況の飲み込めていない彼は……直前までやっていたことを思い出す。
「(えっと確か、ノヴァ先輩に勝って、プールに落ちて、その後は……)」
「えるる!」
「りぶら!」
「うわッ!?ウェ、ウェルカモ……!?」
枕元から声を掛けてきたのは、見知ったポケモン。
シグレのウェルカモと、オリーニョだ。
そうして彼は、自分の置かれている状況を理解した。
「(うっわ……俺、またシグレさんに助けられたのか……)」
気恥ずかしさと、熱による酩酊が同時に襲ってくる。
その反動で、彼の内臓に圧迫感が戻ってきた。
「ッ……」
「えるる!」
怪しい挙動を察知したウェルカモは、足元に置いてあった紙袋を迷霧の口元に差し出す。
「う……おぇえ………」
「りぶら……」
胃に何もない嘔吐し続ける彼の背中を、オリーニョが優しく擦る。
どうやら彼の風邪は、過労とストレスが相まってかなりタチの悪い状態に陥っているようだ。
「ふぉ、迷霧君!?」
怪しげな気配を感じ取り、隣のキッチンからシグレが駆け寄ってくる。
迷霧が落ち着いたのを確認して、水の入ったコップを差し出す。
「だ、大丈夫ですか?喉に詰まったりしてませんか?」
「うぇ……だ、大丈夫……っす……」
そうして額から冷や汗を流しつつ、迷霧は軽く会釈。
そのまま立ち上がろうとした所で、シグレとウェルカモによって取り押さえられる。
「な……何すか……」
「……今、玄関に向かいましたよね?もしかして、黒衣の観測者のお仕事ですか?」
「まぁ……今日の報告というか、色々としなくてはいけないので……」
そうは言うものの、今の彼は38度以上の高熱。
おまけに人魚の状態も解けないままだ。
とてもじゃないが、外を出歩かせることは出来ない。
「……それなら心配いりません。先程長雨くんの電話に私から一報入れておきました。」
「あ、す……すんません……」
「テイラー所長からの命令です。1週間は安静にしていろ……と。今の迷霧くんは、休むのが仕事です。」
そうしてシグレは迷霧をベッドに寝かせると、毛布(防水加工済)を彼に被せた。
更に彼の額に、手をそっと乗せる。
「ほら、まだこんなに酷い熱なんですから。寝てなきゃ駄目ですよ。」
軽い小言を言いつつ、額から手を離すと……指から粘り気のある何かが糸を引く。
人魚の体表に現れる皮膚粘液だ。
予想以上の量のそれは、シグレのパーカーの袖をまとわりつくように濡らす。
それを目にした迷霧は、虚ろな目で平謝りを始めた。
「ッ……ご、ごめんなさい……俺、それ止まらなくて……」
ふっと湧いてくるトラウマ。
この姿を、嘗て同級生に嫌悪の目で見られた記憶。
シグレはそんな目では見てこないとはいえ、流石に触れさせてしまえば……と、恐怖心が戻ってきたのだ。
しかし彼女はその液を拭うでもなく、平然と。
「はい、謝らない。余計なこと考えてると治りませんよ。」
濡れた方とは逆の手で迷霧の頭を軽く撫でた。
ゆっくり……ゆっくりと。
「………。」
「大丈夫。迷霧くんは何も悪くないんですから。」
その優しい言葉は、朦朧とした意識の中でもはっきりと聞こえた。
恐らく、一生涯……この発言を、彼は忘れられない。
「今おかゆ作ってますけど、食べられそうですか?」
「……う、うす。」
「じゃあ準備してきます。無理はしないでくださいね。」
そうして彼女は軽く毛布を被せ直し、またキッチンの方へと戻っていく。
遠目に見えるその背中が……迷霧の視界の端から、ずっと消えずに居た。
「(……やっべ、熱、悪化したかも。)」
ーーーーーGAIA、西エリア。
外壁ギリギリの場所に所在するプレハブ。
此処はソテツの研究室がある場所だ。
その扉を軽くノックするチハヤ。
「はいはいチハヤくんね、どうぞ。」
「失礼しゃーす。」
軽い返事に、同じく軽い返事で返すチハヤ。
入ってくるなり大爆発している髪を見て、思わずソテツも吹き出してしまう。
「うぉおっふ!?ず、随分と毛先が暴れているようだねぇ!!」
「いや、ホントマジで困るアイツ……」
流石にお転婆が過ぎるので元凶はボールに戻したが、やはりその爆心地は惨憺たる様子になっていた。
「……って、そうじゃない!ソテツ先生、ケンタロスの事なんスけど……!」
「あぁ、もしかして……キミの後ろに居るその子が?」
ソテツが視線を向けた先……チハヤの背後に立っていた人物。
ケシキだ。
此処まで連れてこられて、状況をようやく理解したケシキ。
「……俺への用事ってまさか。」
「あぁそうだ、ケンタロスの件だ。コイツは俺が捕まえたポケモンだが……、もう俺の元にはいられない。さっきまでのお前とヒラヒナのようにな。」
「……で、俺に新しいトレーナーになれと?」
「まぁな。」
真剣な表情で頷くチハヤ。
どうやら、誰でも良いからと呼んできた訳ではないようだ。
「なるほどね……まぁ、オイラは何も言わないよ。肝心なのはポケモンとトレーナー……当人同士の意志だ。その点、ケシキくんはどう思っているんだい?」
「……俺は、受け取れない。奴のトレーナーにはなれない。」
「え……!?」
首を横に振るケシキ。
まさかの返答に、チハヤもソテツも驚いている様子であった。
「確かに……新しいポケモンが仲間になってくれることは、俺にとってはプラスだ。だが、俺はあのケンタロスにとんでもない失言をした過去がある。奴に、『死んでおけばよかった』などと、一番言ってはいけない事を言った。」
「で、でもその事は謝ったじゃないかよ……」
「それとこれとは別問題だ!謝罪というのは、許しを乞うためのものじゃない!俺の意志と、アイツが許すかどうかは別問題だ!」
どうやらケシキは、嘗ての自身の発言を引きずっているようだ。
実際、件の言葉にはチハヤだけでなく、ケシキのニャオハ(当時)すらも怒りの意志を示すほどだった。
今更あのケンタロスを仲間に引き入れる資格があるなど……彼には到底、思えなかったのだ。
しかしそこへ、口を挟む人物がいた。
「なるほどね。キミはケンタロスに酷いことを言ったから、彼のトレーナーになる資格はない……と、考えているわけだ。」
「……はい。」
「うんうん、実に理にかなっている考えだと思うぜ。」
頷きつつ、ケシキの考えを肯定するソテツ。
「だが、あの子は今は居場所を完全に無くしている状況だ。野生に戻すことも出来ないし、引き取り手もいない。いつまでもこの研究室で面倒を見続けるのも……まぁ、限度があるしね。」
「……。」
「だからケシキくん、こう考えるのはどうだい?俺はケンタロスに酷いことを言った。申し訳なく思っている。だから、その『償い』として彼の居場所を俺が作ってやる……ってね。」
「ッ……でも……」
「まぁ、キミがどう考えようが、まずはケンタロスの意志だ。ちょっと話してみたらどうだい?ほら、一旦外に出て。」
そう言ってソテツはケンタロスのボールを引き出しから取り出し、ケシキに投げ渡す。
「ッ……!」
「オイラとチハヤくんは此処で待ってるからさ。何かあったら助けてやるから……ゆっくり考えておいで。」
「……すみません。一旦失礼します。」
ケシキは頭を下げつつ、プレハブの外へと出ていった。
「……大丈夫ッスかね?ケシキの奴。」
「オイラは大丈夫だと思うぜ。うん、さっきそう確信した。」
「その心は?」
「だってアイツら、似た者同士だもん。」
「似た者……同士?」
ケシキがプレハブを出てから数歩……扉から遠ざかると、ボールを軽く投げる。
「ぶるーーーーーーッ!」
「……久しぶりだな、ケンタロス。俺だ、覚えているか?」
「……ぶるッ!!」
鼻を鳴らしつつ、頷くケンタロス。
チハヤと激しい喧嘩をしていたケシキのことは、彼もはっきりと覚えていたようだ。
ここぞとばかりに、ケシキはスマホにインストールされていたポケトーカーを起動する。
「……お前に話がある。ソテツ先生とチハヤから、お前のトレーナーにならないか、と提案があった。」
『フン、ボール越しに聞いとったわ。』
思った以上に威厳のある気難しそうな口調で、ケンタロスは返事をする。
どうやら此処までの出来事は、既に彼にとっては既知の事のようだ。
「……俺に、お前のトレーナーになる資格はあるのか?」
『フン、ワシに聞くな。別に貴様の言葉なぞ意中にない。それに……どのみちワシは、一度死んだ身だ。行き先にケチを付ける権利はとうに無くしたわ。』
そうして諦めたように……そして少し寂しげに。
ケンタロスは小さく唸った。
『それに、資格がないのはお互い様だ。ワシも、自分を助けたあの金髪小僧を散々痛めつけた。死にぞこないの上に、恩知らずのポケモンだ。そんなワシを……貴様は仲間に引き入れる覚悟はあるのか?』
「ッ……!」
一瞬、躊躇うケシキ。
今さっき、ヒラヒナに見限られたばかりの彼。
また面倒を見切れなくなって、手放してしまうのではないか……という懸念。
余計な妄想、雑念が……ケシキの脳を邪魔してくる。
が、それを一瞬……一瞬にして、総て振り払う。
「……あぁ、無論だ!俺はお前のトレーナーになれるッ!一度負けた者同士……お前と共に歩んでやるッ!!」
『フッ……口だけはいっちょ前だな。良いだろう、負け犬の勝ち方を……俺の目に見せてみろッ!!』
そうしてケンタロスは……久々に笑う。
そのままケシキの手に握られているボールへ、鼻息を荒らげて戻っていった。
「……あぁ。約束だ、ケンタロス。」