第五話:ロケット団の首領・サカキ

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください








 時計の針は夜七時を過ぎたところだった。高いヒールの踵をカツンカツンと鳴らしながら、アイビーはタマムシシティの歓楽街を歩く。

 タマムシシティ。カントー地方の中でヤマブキシティの次に発達した都市とされ、商業施設や娯楽施設が多く設置された街である。所詮“都会”と呼ばれるようなその街では、もうすっかり日が落ちたのにも関わらずビカビカとしたネオンが眩しい。

 アイビーは人が多く行き交う街の中、ある飲食店を目指して歩いていた。着ているのはフォーマルな黒のワンピースであり、寒さを凌ぐように桜色のストールを羽織っている。モンスターボールは両手を揃えて持っているハンドバッグの中に入れてあり、円形ポーチに収納しているディスクも同様だった。

 昼間、自分の後を尾けてきた人間を撒いてからメッソンと初対面し、トラブルこそあったものの最終的に笑い合えたアイビーの機嫌はとても良かった。若干視線を感じ茂みを見たが、追っ手を目視することは出来なかったので気にしなくて良いかと判断した。あとは荷物を持ちアイビーを迎えに来るメタモンを待っているだけでいいはずだったのだが、その時にスマホロトムが着信を告げたのである。

 電話先は非通知であった。アイビーは顔を顰めたが、通話を始めることにした。電話をかけて来た相手が誰かは、なんとなく分かったからだ。

《久しぶりだな、アイビー》

「……お久しぶりです、サカキさん」

 電話越しの声は、聞いたことのある男の声だった。アイビーは辟易とした気持ちでいたが、会話を続ける。

「なんの御用ですか? あの・・ロケット団の首領たるサカキ様が、こんな一般市民の小娘へ、わざわざお電話をかけてくるだなんて。余っ程のご用事で?」

《フッ、“一般市民”ねぇ……》

 電話越しに、愉快そうに男が笑う。アイビーは肩を竦め、見えないことを良いことにベェッと舌を出した。

《君が今日、フェニクスフィア学園へ入学したと風の噂で聞いたんだ》

「あらそう。それで?」

《ささやかだが私からの入学祝いをしようと思ってね。今晩、いつもの店に午後八時に来なさい。夕食をご馳走しよう》

「せっかくのお誘いですが、ご遠慮してもよろしいですか?」

《つれないことを言うなよ。君にとって、良い情報がある》

 アイビーはウゲェと顔を顰めた。こういう喰えない男との会話は嫌いだ。自分が無知で馬鹿であることを知らしめられるから、余計嫌いだ。メタモンが傍に居ればまだいいのに、今は一人である。頭脳担当ブレーンの居ない状況で敵と交渉するなんて愚の骨頂だ。アイビーは馬鹿だが、自分自身が馬鹿であると自覚することで他の真の馬鹿よりは馬鹿ではないと自負している。だからこそ、この場での返答が躊躇われた。

《午後八時だ。来なければ後悔するのは君だ》

 電話相手であるサカキは、それだけ言い残し一方的に電話を切った。アイビーは段々苛々としてきて、その苛立ちを逃がすように首を掻き毟る。だがすぐに、ネイルチップをした爪先で皮膚を引っ掻くことに違和感を覚えてそれもやめた。

「嫌な男」

 アイビーは吐き捨てた。そして丁度帰ってきたメタモンに事情を説明してからメッソンをボールに戻し、また彼と共に[テレポート]をして8番道路から脱した。

 それからはメタモンが予約したホテルにチェックインして、シャワーを浴びて服を着替え、一度仮眠を取り、化粧を整え直して現在夜の街を歩いているのである。メタモンは昼間のようにイヤリングに[へんしん]して、アイビーの耳元に居てくれる。

 サカキが指定したのは、接待などでよく利用される料亭だった。アイビー一人であったら絶対に利用しないその店に足を踏み入れるのは、初めてのことではない。サカキはアイビーと会う時、必ずこの店を指定する。決してこの店が、アイビーのような小娘でも利用することが出来る格式の低い店というわけではない。この店の元締をしているのがロケット団で、ひいてはその首領たるサカキであるから、この料亭内であれば何が起こっても警察に察知されることがないというのが、会食場としてサカキが此処を選ぶ理由であった。

 サカキという男は、このカントー地方と隣のジョウト地方両地方の深部、アングラな闇の世界で幅を利かせている悪の組織【ロケット団】のリーダーである。高いカリスマ性と確かな実力、冴え渡るバトルの腕で多くの信者を作るこの男。“ヤクザ”や“ギャング”、“マフィア”といった言葉で表すのが相応しいであろう反社会勢力を束ねている彼であるが、表向きには【ロケット・コンツェルン】という巨大財閥の会長であり、またトキワシティのジムリーダーでもある男であった。世間やメディアに、絵に書いたような“成功者”として持ち上げられている彼が、本当は世界でも通用するような軍隊を作るためにポケモン集めに奔走している悪の組織の親玉だなんて誰が信じるだろうか。きっと誰も信じないだろうなとアイビーは予想する。ゴシップ記者が予想を含め彼の裏側の記事を書いたとしても、“陰謀論”という三文字で片付けられてしまうほど、サカキの社会的な地位は高く他者からの信頼が厚かった。

 料亭に入ったアイビーは、女将さんによって奥の個室へと案内される。完全個室制のこの店は、他の客と顔を合わせる心配が無いからそこだけは有難い。

 アイビーが部屋に入れば、サカキは既に個室の座椅子に座っていた。彼の背後には赤髪の女性と青髪の男性が控えている。そして、それに向かい合うような位置には、黒髪の男が立っていて入室したアイビーを睨んでいた。

「久しぶりだな、アイビー」

「ええ、お久しぶりです、サカキさん」

 愛想笑いを浮かべるサカキに、アイビーも愛想笑いを返して、勧められるまま彼の対面の座椅子へと座った。見計らっていたように食事が運ばれてきて、座卓の上はあっという間に豪勢な食事で埋め尽くされる。それが終わると、女将達は仰々しいお辞儀をしてから部屋を出て行き、室内は四人だけになる。

「ムサシさんもコジロウさんもお久しぶりです。今日はニャースくんは一緒じゃないんですか?」

 アイビーが愛想良く声を掛けると、サカキの後ろに控えていた男女が僅かに顔を顰める。赤髪の女がムサシ、青髪の男がコジロウという名前であることを、アイビーは知っていた。地下闘技場で出場者グラディエーターとして闘っていた時に、幼い身で地下で闘うアイビーを心配して声をかけてきてくれたのが、この二人だった。その時はムサシもコジロウもアイビーが地下で闘う理由を表面上しか知らなかったし、アイビーも二人がロケット団の団員であり尚且つサカキの腹心であることを知らなかったが、その時に芽生えた情は温かいもので、アイビーは二人のことを“友人”だと思っている。

 ムサシとコジロウは顔を見合せたが、上司の手前上司の客人においそれと話しかけるわけにはいかないようで、口を閉ざしている。アイビーはそれに寂しさを感じたが、「まぁいいや」と自分を納得させることにした。

「それより、ボクの背後に立ってる人は誰? サカキさんの部下の人? 初めて見る顔だね。キミの腹心は皆把握してるつもりだったけど……新しい人?」

 アイビーは己の背後に立つ男の事を話題にした。サカキはニコリと笑うだけで答えない。アイビーは「そうなんだね」と頷いて、先に猪口を掲げたサカキに倣い猪口を掲げた。

「改めて、入学おめでとうアイビー」

「ありがとうございます。サカキさんにわざわざお祝いして頂けるなんて、ボクは幸せ者ですね」

 アイビーは猪口の中に注がれた純米酒を一口飲む。アルコール度数が高いのか喉が焼けるような感覚があった。その熱さを誤魔化すように、木製の舟盛りに並べられたコイキングの尾頭付きの刺身に手を伸ばし、醤油をつけて食べる。養殖されたコイキングらしく、泥臭さは全く無い。

 同じように食事を摂り始めたサカキと、アイビーは軽口を交わす。アイビーはサカキにどの学園に入学したのかもいつ入学式があったのかも、何一つ教えていない。教えるつもりも無かったし、教えるような間柄ではないのだ。つまり、仲良し・・・では無いのである。それを踏まえて、敢えてサカキが『入学おめでとう』なんて言葉を投げかけこの会食の場を用意したのは、アイビーへの釘刺しである。『お前のことなど此方は簡単に調べられる』『お前の行動は常に監視されている』『故に組織に不利益になるようなことをしたならば容赦はしない』。そんな副音声、考えずとも聞こえてきた。

 だからアイビーはニッコリと笑ってやるのだ。『そもそもキミになんて興味が無い』という意味を込めて。

 アイビーは正義感なんてものは無い。気まぐれで世論が言うところの“正義”側の行動を取ることもあるが、基本的には自分の欲に忠実で倫理観や正義感は二の次である。だから悪の組織の親玉が目の前に居ても警察に通報しようだなんて思わないし、今後サカキを逮捕する事への協力を警察から求められても当然拒否する。

 おそらく、出逢い方が悪かったのだろうなとアイビーは推理していた。サカキとアイビーの出逢いは件の地下闘技場でのことで、アイビーは表向きには“借金返済のため”として活動をしていたが、真の目的は“ロケット団の総帥サカキに接触すること”であった。そしてサカキと漸く相見えることの出来たアイビーは、その後の彼との会話でサカキへの用事は完了したので、その後ロケット団についてもサカキについても興味が一切無く記憶から忘れそうな程であった。しかしサカキの記憶の中には、“地下闘技場という危険な場に身を投じてその中で無敗を誇ることで実績を作り、自身の腹心の部下であるムサシとコジロウとのコネクションを経てから自分に接触してきたトレーナー”として強烈な印象を与えてしまったらしく、いまだに警戒されている。故にこうして度々釘を刺されるのだ。『己の領分を侵すな』と。

 アイビーがいくら『ロケット団という組織にもサカキという人間にも興味が無い』と言ったって、彼は信じないだろう。長年悪の組織の親玉なんてやってきているから、他人に対して疑心を抱くと一生掛けても払拭することが出来ないのだ。可哀想な人だなと同情して、アイビーは酒を飲み干した。疑心を抱えた彼は、アイビーのように心の底から他者を愛することなど出来ないのだろう。そうして他人を愛することの尊さも分からぬまま骸となり、後には何も残らない。可哀想な人。可哀想で、つまらない人。

「——ときにアイビー、君は【アルカディアーク団】という組織を知っているかい?」

 ふと、サカキがそう話題を切り出した。アイビーは、咀嚼していた刺身を飲み込んでから首を横に振る。同時に、居住まいを正す。サカキの纏う雰囲気が変わったからだ。

 先程までのサカキはたまに会う親戚のおじさんのような親しみがあったが——もっとも、アイビーには“親戚のおじさん”なんて居ないので実際のところは知らないが——今のサカキ犯罪組織の首領たる男のオーラを纏い怪しい笑みを浮かべている。

「聞いたことない。その組織がどうしたの?」

「最近、名を挙げ始めた組織だ」

「キミの同業者?」

「善悪で量るのならば、限りなく“悪”だろうな。それも、カルトを含んでいる」

「……シンオウ地方の、ギンガ団みたいな?」

 アイビーは言いながら、ギンガ団という組織を思い出した。“新世界の創立”を目指しているギンガ団は、世界に数多く存在する悪の組織の中でも宗教色が強く、組織に所属する者の殆どは首領たるアカギの信者である。その妄信ぶりは見ていて苦笑してしまう程だった。

 カルト的宗教団体は恐ろしい。自分達が正当だと信じて疑わず、不当だと思ったものを排除するのに躊躇いが無い。敵に回すと恐ろしく、味方になっても厄介なのがカルトであるとアイビーは考えている。しかし、アングラなカルト組織は世界に数多存在している。それこそ、掃いて捨てるほど存在するのだ。なのにわざわざサカキが場を設けてまで名前を出してきたというのに、引っ掛かりを覚える。同時に、昼間自分を尾行していた姿も知らぬ誰かのことを思い出してふむと考える。

「その組織が、ボクに関係あるの?」

「アルカディアーク団の下っ端が、聞き込みをしているらしい。『過去、地下闘技場で無敗のまま伝説となった【紫煙の女狐】について知らないか』と、わざわざ“地下”に赴いてまでな」

「……へぇ」

 懐かしい通り名を出され、アイビーは僅かに身体を強ばらせる。【紫煙の女狐】、狐面を被りいつも煙草を吸っていたからいつの間にかアイビーは地下闘技場でそう呼ばれるようになっていた。ファイトネームもそのまま“煙狐”だったので、狐の女という印象が強く残ったらしい。

「ボクのファンってこと?」

「ああ。君という女を、捜しているらしい」

 軽口を叩いたつもりだったのに肯定され、アイビーは小さく眉を顰める。口元を拭うフリをして隠した口を歪めたのは、仕方の無いことだった。

「……ボクの情報を、売ったの?」

「いいや? 君のことを教えてやる気は無い。君は信じていないだろうが、前にも言った通り、私は一人のトレーナーとして君に敬意を払っている。バトルフィールドに立ったその時、私の喉元を食い千切らんとばかりの殺気と戦意を持ち戦乙女の名の通り数多のバトルを勝ち抜いた君を、未来ある若者として認めているのだ」

「そりゃあ、どーもありがとう。それで? そのカルトの目的は? ボクを捜して何をさせたいの?」

「そこまでは分からない。下っ端は君の情報を集めろとしか指示を受けていなかった。真意を確かめるには、幹部クラスに接触するしかないだろう」

「……」

 アイビーは少し悩む。サカキがアイビーに対して敬意を持っているのは理解していた。彼は悪の組織の親玉であるが、ジムリーダーとしても仕事をしているだけあって未来のある者を目にかける性質がある。それこそ、組織に入らないかとヘッドハンティングをしてくるぐらいにはトレーナーとして認められていることは知っていた。だからこそ、今回も釘を刺すついでにアイビーにとって有益な情報を教えてくれたのだろう。下っ端がどこまで指示を受けていたかを知っているということは、わざわざそのカルトの下っ端を捕まえて尋問したのだろう。そのことからも、彼の紳士さが受け取れる。

「だがまぁ、アルカディアーク団も今は忙しいらしい」

「あらま、どうして?」

「【リバティーブレイズ】という集団と小競り合いが忙しいそうだ。この間も、イッシュ地方のライモンシティでそれぞれの組織の人間がぶつかり合い、付近の道路が半壊したとニュースになっていたな」

「そうなんだ……ボク、ニュース見ないから知らなかった。色んなところに色んな主義主張の人がいるんだね」

 アイビーはそう締め括ると、「ご馳走様でした」と両手を合わせる。

「面白い話を聴かせてくれてありがとう。ご飯もとっても美味しかったよ」

「楽しんでもらえたようでよかった。改めて、入学おめでとうアイビー。就職口に迷ったならロケット・コンツェルンも候補に入れておくと良い。君なら即採用の印を押してやろう」

「アハハッ、まんまコネ入社だね。どうしようもなくなったら頼るよ。それじゃあ、またね」

 アイビーは立ち上がり、ムサシとコジロウにも会釈をする。

「ケンタ、もう外は暗い。お前の車で送ってやれ」

 サカキの言葉に、アイビーの背後に控えて居た男が「はい」と返事をする。初めて彼の声を聞いたし、名前を知った。黒髪をワックスで撫でつけたその男に先導されるまま、アイビーは料亭の個室を退室する。

「……世の中ギブ・アンド・テイクだもんねぇ」

 アイビーの呟きに、サカキがニヤリと笑ったのを彼女は見逃すことはなかった。




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