其ノ壱
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
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時計の針は夜七時を過ぎたところだった。高いヒールの踵をカツンカツンと鳴らしながら、アイビーはタマムシシティの歓楽街を歩く。
タマムシシティ。カントー地方の中でヤマブキシティの次に発達した都市とされ、商業施設や娯楽施設が多く設置された街である。所詮“都会”と呼ばれるようなその街では、もうすっかり日が落ちたのにも関わらずビカビカとしたネオンが眩しい。
アイビーは人が多く行き交う街の中、ある飲食店を目指して歩いていた。着ているのはフォーマルな黒のワンピースであり、寒さを凌ぐように桜色のストールを羽織っている。モンスターボールは両手を揃えて持っているハンドバッグの中に入れてあり、円形ポーチに収納しているディスクも同様だった。
昼間、自分の後を尾けてきた人間を撒いてからメッソンと初対面し、トラブルこそあったものの最終的に笑い合えたアイビーの機嫌はとても良かった。若干視線を感じ茂みを見たが、追っ手を目視することは出来なかったので気にしなくて良いかと判断した。あとは荷物を持ちアイビーを迎えに来るメタモンを待っているだけでいいはずだったのだが、その時にスマホロトムが着信を告げたのである。
電話先は非通知であった。アイビーは顔を顰めたが、通話を始めることにした。電話をかけて来た相手が誰かは、なんとなく分かったからだ。
《久しぶりだな、アイビー》
「……お久しぶりです、サカキさん」
電話越しの声は、聞いたことのある男の声だった。アイビーは辟易とした気持ちでいたが、会話を続ける。
「なんの御用ですか? あのロケット団の首領たるサカキ様が、こんな一般市民の小娘へ、わざわざお電話をかけてくるだなんて。余っ程のご用事で?」
《フッ、“一般市民”ねぇ……》
電話越しに、愉快そうに男が笑う。アイビーは肩を竦め、見えないことを良いことにベェッと舌を出した。
《君が今日、フェニクスフィア学園へ入学したと風の噂で聞いたんだ》
「あらそう。それで?」
《ささやかだが私からの入学祝いをしようと思ってね。今晩、いつもの店に午後八時に来なさい。夕食をご馳走しよう》
「せっかくのお誘いですが、ご遠慮してもよろしいですか?」
《つれないことを言うなよ。君にとって、良い情報がある》
アイビーはウゲェと顔を顰めた。こういう喰えない男との会話は嫌いだ。自分が無知で馬鹿であることを知らしめられるから、余計嫌いだ。メタモンが傍に居ればまだいいのに、今は一人である。頭脳担当の居ない状況で敵と交渉するなんて愚の骨頂だ。アイビーは馬鹿だが、自分自身が馬鹿であると自覚することで他の真の馬鹿よりは馬鹿ではないと自負している。だからこそ、この場での返答が躊躇われた。
《午後八時だ。来なければ後悔するのは君だ》
電話相手であるサカキは、それだけ言い残し一方的に電話を切った。アイビーは段々苛々としてきて、その苛立ちを逃がすように首を掻き毟る。だがすぐに、ネイルチップをした爪先で皮膚を引っ掻くことに違和感を覚えてそれもやめた。
「嫌な男」
アイビーは吐き捨てた。そして丁度帰ってきたメタモンに事情を説明してからメッソンをボールに戻し、また彼と共に[テレポート]をして8番道路から脱した。
それからはメタモンが予約したホテルにチェックインして、シャワーを浴びて服を着替え、一度仮眠を取り、化粧を整え直して現在夜の街を歩いているのである。メタモンは昼間のようにイヤリングに[へんしん]して、アイビーの耳元に居てくれる。
サカキが指定したのは、接待などでよく利用される料亭だった。アイビー一人であったら絶対に利用しないその店に足を踏み入れるのは、初めてのことではない。サカキはアイビーと会う時、必ずこの店を指定する。決してこの店が、アイビーのような小娘でも利用することが出来る格式の低い店というわけではない。この店の元締をしているのがロケット団で、ひいてはその首領たるサカキであるから、この料亭内であれば何が起こっても警察に察知されることがないというのが、会食場としてサカキが此処を選ぶ理由であった。