第9話:カモネギ(今から国家を転覆させに行くヤツのすがた)

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 一般的に凶暴と言われているマスキッパは、人間の生息域に連れてくると穏やかな気質になる。

 マスキッパは虫取りポケモンという分類名の通り、虫グループ属をはじめとした生物を捕食して生きるポケモンである。彼らは主に湿地帯を生息域とし、1日の大部分を植物に擬態して過ごす。そして唾液の甘い香りに誘き寄せられたポケモンを強力な顎と櫛状の歯によって捕らえ、また1日かけて消化する。肉食の植物グループ属自体は複数存在するが、それらはノクタスやロズレイドのように動物的な“足”を持つ種族がほとんどであり、マスキッパのように植物的な構造を持ちながら捕食を行うポケモンはウツボット族を除いてほぼ存在しない。このウツボット族も甘い香りで獲物を誘き寄せる形式の狩りを得意としており、その特徴的な生態から2種は一般的な植物ポケモンより攻撃的な「食虫植物ポケモン」と称されている。
 光合成に適した身体には動物性の栄養など余分であろう。それにもかかわらず、なぜ食虫植物ポケモンは捕食を行うようになったのか。その理由は彼らの住処にある。彼らの生息域である多湿な土壌は、日光や水分は十分すぎるほどに供給される一方、その他光合成に必要とされる窒素やリンは不足している場合が多い。勿論彼らは好きで貧相な土地を選んだわけではない。単に彼らの先祖が太古の生息域競争に敗れ、肥沃な土地を追われてしまっただけのことである。置かれた場所で咲くためにはどうにかして窒素やリンを調達しなければならない。そのような極限状態の末に生まれたのが「他所で栄養を集めてきた生物から窒素やリンを奪う」という発想だ。身体から虫ポケモンが好む香りを敢えて放出し、自らを食べに来た者を逆に捕らえて必要な栄養だけを吸収する。そして残った外殻などは地面に落としてバクテリアに分解してもらい、土中の栄養に還元する。文字通り苦肉の策にしては出来すぎなほど食物連鎖に貢献しており、捕食数自体が少ないが故に環境への影響度も低い。彼らの食性は豊かな草地から追放された弱者による必要最低限の生存戦略であり、その“凶暴性”はむしろ肉食ポケモンの中ではかなり慎ましいものなのである。
 そのため、彼らは不要不急の捕食を行わない。土中に十分な窒素やリンが存在するならばわざわざ甘い唾液を過剰に分泌することもなく、ましてや消化という膨大な体力を要する行為に精を出すこともない。手入れの行き届いた花畑、逆に環境汚染が進んで窒素が増加している工業地帯、そういった場所へ連れて行かれれば、彼らは驚くほど穏やかな表情で根を張り始める。そうして平和な生育環境を手に入れた後は他の生物が近付いてもほとんど襲いかからなくなるのだ。役目を失った口を持て余してトレーナーに齧り付く個体もいるようだが、それとてあくまで甘噛みの範疇である。この「人間の飼育下に置かれると大人しくなる」という性質を「意外と人懐こくて可愛い」と解釈する人間は多かったようで、船や飛行機によって地方間の移動が容易になってから生息域が急激に広がったと言われている。

 それでは、たった今草木生い茂る森の中で遭遇した「お尋ね者」のマスキッパは、果たして凶暴か、そうでないのか。

 森林に生息しているのであれば、マスキッパが攻撃性を保つ必要はない。だが目の前の個体はエルフーンと共にチコリータを麻袋の中へ突っ込もうとしている。登場人物が全てポケモンであろうともこれを見て事件性を感じ取らずにいられる人間はそういまい、それほどに露骨な絵面だ。そもそも「お尋ね者」ということは既に何らかの犯罪を犯して治安維持組織に追われているということである。人間社会の基準で評価すれば明らかに危険な部類となる。しかし人間社会の基準で評価できる時点でそれは限りなく文化的である。鋭い歯を使わずに薄っぺらい葉で地道にチコリータを袋詰めしようと奮闘するマスキッパというのは、何というか、違う。野性は確実にない。でも不要不急の捕獲を行っているということはマスキッパにしては凶暴なのかもしれない。分からない。一体何を軸としてこの個体の危険性を判断すればいいのか全く分からない。

 そこまで考えて、ここまで考えていられるほどのロングトーンで相手に「化け物ぉーーーーーっ!!」と叫ばれていることを思い出し、真に危険性が未知数の生物は自分なのだという事実に気付いた。

 改めて状況を整理しよう。自分とセオは先程“不思議のダンジョン”と呼ばれる物理法則のとち狂った空間へ入り込み、出口を探し始めて早々にエルフーンとマスキッパが2匹がかりでチコリータを麻袋で捕獲しようとしている現場に遭遇した。あるいは、エルフーンとマスキッパがチコリータを麻袋で捕獲しようとしているところに、カモネギと“上半分が人間で下半分がペンドラーの生物”が乱入してきた。双方が双方にとって「どう見てもまずいもの」である。そのため双方が叫んだ。セオは「お尋ね者」と。相手方は「化け物」と。
 エルフーンとマスキッパは完全に被害者側の表情で身を寄せ合っており、何なら本物の被害者であるチコリータも一緒になって草団子3兄弟と化している。自分はまだ何もしていないのに、既に立場が最上位に置かれている。確かに武器など不要だった。その姿を見て襲おうと考える者などいないという村長の発言は的確だった。
 セオはあちらよりいくらか呼吸に余裕を持って絶叫を終わらせたものの、クキ代わりの枝を両羽で握り締めながら平たい足をばたつかせている様子を見れば微塵も冷静でないことは明白である。それでも視線の先は主にチコリータへ向けられており、もう少ししたら「お困りですか」などと抜かし始めるのではないかという雰囲気も感じる。

「ぇ、えぇえあ、あ、あああのぉ…………多分お困りですよね!?」

 当たってしまった。

「ひゃえーーーっ困った! 困った困った! 困ったから! もう十分困ったから見逃して! アタイ死ぬほどのことはしとらんのよ!」

 チコリータより先に返答したのはエルフーンである。明らかに「困った」を「参った」のニュアンスで連呼しながら地面に急速落下し、背中の綿で身体全体が見えなくなるほど深く頭を下げている。降伏と防御を兼ねた賢い体勢だ、と変な所に感心させられた。

「えっ! えぇと、その、君じゃなくて」
「あ!? こっちのマスキッパ!? いやコイツもそれはもう困ったから! 元々なんもせんでねっちゅうたらなんもせん子でのよ! アタイより無害なんよ! ホラアンタも謝んね!」

 僅かに頭をもたげてマスキッパの方を見遣りながら叫び続ける。上司役か姉貴分か、ともかくエルフーンがマスキッパより上の立場であるということは何となく分かった。
 しかし謝罪を促された当のマスキッパは動こうとしない。元々丸い目を尚更丸め、チコリータに引っ付かれたままそれこそ植物の如く固まっている。

「何しとんの! 謝らんとあの後ろの……なんか…………ヤツ! アレに根こそぎ食われるよ!」

 後ろのなんかヤツに聞こえる音量で言ってしまっているエルフーンに対し、マスキッパは草の根に似た脚部を泳がせて上擦った声を返す。

「い、いんや、あの……あれそもそも何だかですか!? あのカモネギ何しょってこんな森の中来とんだかですか!?」
「知らんよ最近輸入された最先端武器とかでないの!」
「武器だかですかねあれ!?」
「自分は武器を所持してないので落ち着いてほしい」
「武器めっちょ当たり前に喋ったですけども!?」
「知らんよ最先端武器はめっちょ当たり前に喋るんでないの!」

 丸腰であることを伝えて混乱を止めようとしたものの、効果はあまり得られなかった。自分としては当たり前のように「武器を輸入する」という概念が出てきたことに驚いているのだが、恐らく彼女達の抱える驚愕に比べれば大したものではない。この世界は不思議に満ちている。但しこの世界で最も不思議なものは自分の存在だ。つくづく困難な身の上である。

 お困りが加速した状況を見て、セオまで困ったように「えぇ……」と漏らす。エルフーン達に襲われていたチコリータを助けようとしたのにチコリータを差し置いてエルフーン達が助けを求め出したのだ、困惑もするだろう。

「あ、あのね、違うんだ。いや違くないカモしれないけど、僕はただチコリータが困ってるなって思って」
「ェあ!?!? ボク!?!?」

 今度はチコリータが叫ぶ番だった。半分裏返った声を出しながら頭部の葉を振り乱し、右半身をマスキッパの脚部にめり込ませる。

「なんよこのチコリータに用があったんね!? そんでならどうぞ持ってっとって! 全然もう! 好きに! それはもう煮るなり焼くなり!」

 エルフーンが起き上がって「どうぞどうぞ」の姿勢を取ると、チコリータの右半身がより一層マスキッパの脚部にめり込む。

「ンギャーヤダヤダヤダヤダヤダ! アレに食い殺されるくらいならオマエらに売り飛ばされて全身茶葉にされる方がマシだーッ!」
「わっちらそんな色んな意味でえぐ味の強そうなことせんですけども……」
「じゃあ尚更マシだーッ!」

 控え目にチコリータを押し返そうとするマスキッパと、それにケンタロスの如く頭部に体重を乗せて対抗するチコリータ。構図こそ麻袋に詰められようとしていたときと似ているが、攻守はすっかり逆転している。

「グイグイしとっても連れてかんよ! アレに追っかけられてまでアンタ運ぶ気はないわ!」
「ヴァーこの薄情者! それならこのマスキッパがどうなってもいいのかーッ!」
「えっ何だかですかわっちどうなるんだかですか!?」
「オマエらがその気なら…………ボクは蔓でコイツにしがみついて一緒に食い殺されるまで離さない!」
「シンプルに助けてください!」
「なんでいきなり死なば諸共の方向に身柄を預かるんね!? 自他共に命を大切にしんさいよ!」
「うるさーい! どうせ死ぬなら巻き添えにしてやるーッ!」

 善悪も逆転している。

「ちょ、ちょっとちょっと! 君を食べようとなんてしてないよ! なんにもしないからそのマスキッパから離れなって!」
「なんにもしないにしては後ろの武装が過剰すぎるじゃんか! っていうかこの国自体にとって過剰だよ! 何なんだ!? ソイツで今から国家を転覆させに行くのか!? 絶対許さないぞ! 大司教様に会ったら『いつか美味しい茶葉として貴方の元へ辿り着くことを願っています』って伝えといてくれない?」
「君なんかずっと発想の飛距離が長いね!? 伝言も絶妙に聞き手側の後味悪いし! …………しないし!! 茶葉に!! そもそも!!」

 ここでセオは一度嘴を閉じ、徐々に切れてきた息を整えた。それから大きく1歩を踏み出し、両羽で握り締めていた枝の先をそのまま真正面へ向ける。

「僕達は悪いポケモンじゃない! でもそっちのエルフーンとマスキッパはお尋ね者! 昨日のお尋ね者欄で見た! そして今僕が持ってるのは縛りの枝! もう正直めんどくさいからこれで2匹縛る! 一緒に縛られたくなかったら離れて!」

 この善良なカモネギにもちゃんと「正直めんどくさい」という感情があるのだな、と妙な安心感を覚える間にチコリータが勢い良く飛び退き、お尋ね者達がますます慌て出す。

「えっこわい、縛りの枝って救助隊も犯罪者もこぞってポケモンの拘束に使っとる道具ですよね、なんであのカモネギそんなん持ってんだかですか」
「知らんよ知り合いに救助隊か犯罪者がいるんでないの……何にしたってアタイらすぐ逃げんと死ぬでのよ!」
「いや死にはしないよ、なんで君達すぐ殺されるって思っちゃうの」
「縛りの枝持って化け物みたいな何かを背後に置いてるん見て殺されると思わん方が難しいわ! 自分を客観的に見てみね! 確かに今から国家を転覆させに行くヤツの風貌なんよ!」
「え、えぇー……そんなにかなぁ……」

 素直なセオは言われた通り自身の持つ枝を見て、それからこちらを振り返る。

 瞬間、エルフーンがふわりと飛び上がって短い両腕をセオへ向けた。彼女の行動の意味を考えるより先に、目の前で猛烈な速度の風が巻き起こる。
 それが技としての“ぼうふう”であると気付いたときには、セオの身体は自分の目線より3メートルほど高い地点へ吹き上げられていた。

「ぅぇぁばゎびゃぁー!」

 物凄い勢いで揉まれていることだけは分かる鳴き声が降る。マスキッパとチコリータもぽかんとした顔で彼を見上げる中、エルフーンはマスキッパの葉の部分に飛び付いて声を張り上げた。

「あの状況で『見てみね』って言われて素直に見るヤツおるんね!? 思ったんの5倍くらい隙あったわ! 逃げね逃げね、コレで逃げられんかったらアタイは布団でアンタは茶でのよ!」
「ひょえーっ隙があったにしては死が近すぎるです! そいで結局チコリータはどうすんだかですか!」
「袋にそん子の鞄だけ入ってるでね! もうソレ持っとったらええわ!」
「はいー!」

 エルフーンがこの空間の奥にある小道へ飛んで行き、マスキッパが麻袋を引きずりながら後を追う。

「……はッ!? ボクの鞄! 窃盗だけ済ませて本体を放り捨てるなんて1番ちゃっかりしてて許せないぞーッ!」

 チコリータが頭部の葉を逆立てて追いかけていく内に、暴風から解放されたセオが左羽で“縛りの枝”を握り締めたまま落ちてくる。勿論安全に着陸できそうには見えない。
 但し、自分にはそれに対応する程度の余裕があった。うっかり転ばぬよう気を付けながら足を動かし、上半分の両手を伸ばす。彼の身体を受け止めると同時に自身の上半分ごと落下しかねない重みを感じたが(カモネギの平均体重は15キログラムである)、何とか二次被害の発生は免れた。

「うぇぁあ……あ、ありがとう……」

 三半規管も混乱状態に陥るほどは狂わなかったらしく、セオはそのまま周囲を見渡す。あの2匹と1匹は既にこの空間内におらず、辛うじてチコリータの後足が通路の地面を蹴っていく様子が見えるのみである。
 自分は15キログラムなりに負担を減らすため、俵担ぎのようにセオを抱え直し、短く伝えた。

「追うなら走る」
「え!?」

 肩越しに素っ頓狂な声が上がる。

「へっ、えぇっ、なんで追いかけたいって分かったの」
「枝を手放して飛べば安全に降りることができたにもかかわらず、君は枝を握り続けることを優先した。そのことから君は現在も“縛りの枝を使用する”という行為を高い優先順位に置いていると推測できる」
「うわなに全然分かんないけど多分合ってる! い、いいの? 無理して走らなくてもいいっていうか、こう言ったら失礼だけど一緒に追いかけてくれるのは意外っていうか……」

 素っ頓狂な「え」はそこに対する驚きを表していたのか。納得も程々に留め、小道へ向かって走り出す。

「街で余計な騒動が発生することを防ぐべく村から出てきたのに、早速道中で余計な騒動を発生させてしまった。これ以上状況を悪化させないためには彼らが森を出る前に捕獲して徹底的に『説明して怖くないということを分かってもらう』他ない」
「あ、あぁ……なるほどね。チコリータの鞄を取り返してあげたいとかじゃなくてかぁ……」
「自分の存在が原因で君が国家転覆を目論む政治犯と勘違いされるのは忍びない、という方向性の良心ならある」
「それに関してはホントどういう偏見なんだろうね!? 結局僕の方が転覆させられたし!」

 話しながら足の回転速度を上げ続ける。前足、後足、前足、後足。一度下半分が流れに乗ってしまえば、後はスピードに乗った身体のバランスを保つだけでみるみる加速していく。これがペンドラーの素早さか。1歩ごとに揺れる腹部も昨日初めて走ったときよりいくらか安定している気がする。あの後分断された箇所を“回復”させたことで耐久性が増したのかもしれない。
 ほどなくしてまずチコリータの後ろ姿が大きく認識できるようになった。迫る足音に気付いたチコリータがこちらを振り向き、最早限りなく断末魔に近い悲鳴を上げる。

「ワビャーーーー!!!! 死ィーーーー!!!!」
「ぇちょっぶ、ぶぶぶつからない!? 大丈夫ニンさん!?」

 前方を向いていない分余計に不安なのだろう、足をばたつかせながら慌てるセオの身体を腕でしっかり固定する。速度は落とさない。むしろ上げた方がいい。元々前方に寄っている重心をさらに前へ移せば面白いほど速度が上がる。もしやこの下半分の特性は“かそく”なのではないか。惜しい上半分をなくしたものである。存在したかも定かでない上半分を追悼する余裕すら持ちながら、自分はチコリータにこう叫んだ。

「轢かれたくない場合は横向きに倒れてほしい!」
「ウギャーぁなぅぇ倒れぇアーーーー!!!!」

 チコリータは半狂乱ながらも即座に身体を横へ倒す。それを確認すると同時に前足を彼の手前で踏み込み、それとほぼ同じ箇所に後足を付け、一度関節を曲げてから勢いよく前方へ伸ばす。4つ足全てがチコリータを飛び越えたところで前足を降ろして着地し、間髪入れずに後足を追加することでバランスを取るついでにもう一段階加速する。1度大失敗に終わってからいきなり迎えた本番とは思えないほど完成度の高いジャンプだった。

「うぶぇっ、ぅえ何、今何が起こったの」
「チコリータを飛び越えた」
「嘘でしょ君そんなことできたの!?」

 昨日の醜態に散々付き合わされた者としては驚愕以外の何物でもないのだろう。自分でも驚きだ。
 そして我々よりさらに驚いたのが少し先を走る2匹である。

「ひょえーーーっめっちょ視覚的に死が迫ってきとるです!」
「あ!? なんでねあの赤いヤツ通常の3倍は速いんでないの!?」

 それぞれが振り向いて叫ぶ間にも距離は縮まっていく。そろそろポケモンバトルで言う“間合い”に入るであろうという地点で、セオを抱えていた腕を少し緩めて話しかける。

「その枝を使用するために必要な距離はどの程度?」
「相手がしっかり見えてて間に障害物がなければ大丈夫!」
「なら今使っても問題ないかもしれない」
「もうそんなに追いついたの!? ちょ、ちょっと待ってね、前向く準備するから……!」

 肩の後ろで羽と枝がもたもたと暴れる。もしかすると彼の準備が整う前に自分の足がお尋ね者達へ届いてしまうかもしれない。

「枝の使用が間に合わなければ最悪そのまま“とっしん”をしようと思う」
「“とっしん”!? 昨日あんなになっちゃったのに!?」
「マスキッパは平均140センチメートルある上に常時浮遊してる。昨日の岩とは高さが違う」
「あぁじゃああんなにはならない……のかなぁ!? 何でもいいけど真っ二つだけはやめてよ!?」

 セオが言った直後、お尋ね者達が同時にひっと短い悲鳴を上げる。恐らくだが、彼らはこの場合に『真っ二つ』となる対象を完全に勘違いした。まあそうだろう。ここまで追い上げてきた化け物の方が突然真っ二つになって勝手に死ぬとは思うまい。

「ひー、えー、もう怖すぎて遺言も思いつかんですさよなら」
「いんやまだ死なん死なん! ……ちゅうかアンタっ! そういやアレできるでないの! アレにアレやんね!」
「あ、あれって何だかです…………あぁあれ!」

 そう声を上げた直後、マスキッパが脚部の先を四方へ広げる。
 ここに来て何か仕掛けるつもりらしい。いや、問題ない、草タイプの技ならばペンドラー部分にもセオにも効果は今ひとつだし、噛みついてくるならばジャンプで急所をずらせばいい。速度は保ちつつ、目の前のマスキッパの動きを注視する。

 注視したが故に、まさに足元を掬われた。
 事が起こったのはマスキッパのいる地点ではなく、こちらの足元だったのだ。

 視界の下端から突如伸び上がる緑。複数の太い茎が互いに絡み合って半円状の輪を作り、地面を蹴ろうとしていた前足の関節部分を引っ掛ける。

「……“くさむすび”」

 反射的に口から答えが出る。
 植物を相手の足に絡ませて躓かせる罠。シンプルながら、背の高い相手ほど見えづらく、足の速い相手ほど急減速の衝撃が激しく、そして体の重い相手ほど転倒のダメージが大きい技。
 やられた。素直にそう思った。

 せめてセオを潰さないよう彼の身体を背中へ押しやる。咄嗟にできたことはそれだけだ。直後に前足からぐんと引っ張られるような力を感じ、速度を保持したままの上半分が昨日と同じく前へ投げ出される――。

 ――などということはなかった。

 上半分が完全に前方へ伸び切る前に、足元の“くさむすび”とは別の圧迫感を全身に覚える。それと同時に、自分の身体は頭から尾までまるで硬直でもしたかのようにぴたりと止まった。
 回らなくなった首の代わりに目を動かしてみれば、“縛りの枝”に付いていたものによく似た紫色の蔓が何重にもなって身体を縛り、テントロープの如く全体を引き止めている。
 
「あぁーもぉーっ危ない! ホントに危ない……!」

 背中に貼り付いていたセオが自力で肩までよじ登ってくる。そしてこちらに「ちょっとそのまま我慢してて」と言ってから両羽で縛りの枝を構え直し、お尋ね者達を見据えた。

「……は、はああ!? 味方に縛りの枝使うてアリなんね!?」
「やっぱりあの枝無敵すぎるですて!! 犯罪者の手に渡らせたらおしまいの物ですて!!」
「犯罪者はそっちでしょ!! もう逃さないからね!!」

 2匹は何かしらの技を繰り出そうとする動きを見せたが、セオが2度枝を振る方が早かった。
 彼女達はたちまち自分と同じく紫色の蔓に縛られ、文字通りお縄となる。どう見ても枝先の無の空間から蔓が射出されていたが、“くさむすび”に似たものだと思えば昨日の吹き飛ばしの枝よりは原理に納得がいった。

「ひゃえー!! ……あっコレ本当に抜け出せんヤツでないの、もうアタイの未来は布団で決定でね」
「…………え、あの、カモネギさんにお伝えしときたいんですけども、葬儀は土葬がええです、やっぱり草なんで……」
「いやしないよ!? 葬儀なんて!」
「あっ、そうですよね、葬儀する倫理観があったら茶葉になんてせんですよね……」
「違うよそもそも死なないよって言ってるんだよ! もう! なんにもしないから暫くそのまま反省して!」

 セオは溜息を吐いてから枝を嘴に咥え、軽く羽ばたいて自分の前に降り立つ。

「ふう、ふはあえうおへふあっへふえへあいあほう」
「…………なんて?」
「ん゛ん゛……」

 咥えたばかりの枝を嘴から左羽に戻し(こちらからそうさせたようで申し訳ない)、小さく呼吸を整えてから言い直す。

「えぇと、捕まえるの手伝ってくれてありがとうって言ったんだ。“とっしん”とか言い出した辺りからはだいぶ危なかったけど……それまでの追いかけっこはすごかったよ。……うん。すごかった。ホントにすごかった……!」

 何やら徐々にトーンを上げ、彼はきらきらとした顔でこちらを見上げ始めた。

「こんなに速いポケモン見たことない! ……あっポケモンじゃないや、でもポケモンじゃなくても見たことないよ! 逆に昨日の運動神経は何だったのってくらい! どうしちゃったの!?」
「昨日の今日で身体能力が劇的に向上したとは考えられないし、恐らく単に自分の脳が下半分を動かすことにいくらか慣れ始めただけだと思う」
「1日でこんなに慣れるのもびっくりだよ!? ダンジョン内を逃げ回ってるお尋ね者に追いつけるポケモンなんて救助隊でもそんなにいないし、こんな短い時間でできるようになったポケモンはもっといないと思う! やっぱりニンゲンってすごい生き物なのかな!」
「この場合においてすごいのは人間ではなくペンドラーの走行能力だと思われるけど」
「そのペンドラーを動かせるニンゲンもすごいって話!」

 人間でも動かせるように神経を適応させたペンドラーがすごいという話だと思うのだが、見ているこちらが眩しくなるほどの眼差しを向けられている間は何を言っても真っ直ぐな称賛を返されてしまうのだろう。同じ内容の尊敬と謙譲を繰り返すことほど不毛な言語合戦はない。話題を逸らしてしまおう。

「ところで自分に巻き付いてるこの蔓はどうすればいい?」
「あっ……ごごごめん、今ほどくね!」

 セオは慌ててこちらへ駆け寄り、まず前足に引っかかっている茎を嘴で切ってから、テントロープ状に張っている部分をつつく。するとあれほど強固だった蔓がいとも簡単に断たれ、腹や腕に巻き付いていたものを含めて一斉に地面へ落ちた。直後に先程まで引き止められていた上半分が前へ大きく傾くが、前足を自由にしてもらっていたおかげで転倒する前にバランスを取り戻すことができる。

「……かなり軽い力で蔓を切ったように見えたけど、もしかしてやろうと思えば自分で抜けられた? わざわざやってもらって申し訳ない」
「ううん、気にしないで、自力で切れるようなやつじゃないから。巻き付いてる物側からの力には強いけど、外側からの力には弱い! って感じの蔓なんだ」

 そういった性質を持つから善も悪も『こぞってポケモンの拘束に使っている』のか。ではそのような枝を所有しているセオの家は何なのだという話になるが、まあこのカモネギとあのサーナイトが犯罪のために入手したとは考えづらい。どちらかと言わずとも善だろう。恐らく。

「えぇと、後はチコリータの鞄を返してあげなきゃだね。マスキッパが持ってた袋に入ってるんだっけ?」
「エルフーンはそう言ってた。……自分はここで待機していていい? チコリータに近付くと再び叫ばせることになる予感がするので」
「そ、そうだね……じゃあ僕が返しに行ってる間はお尋ね者達のこと見ててほしいな」

 言いながらお尋ね者の前まで歩き、横に落ちている麻袋の中からリュックのような形状の鞄を取り出すと、セオはそれを頭の上に乗せて小走りで通路を戻って行った。
 残されたのは自由に動ける怪物と、自力では蔓から抜けられない2匹のポケモンである。

「……」
「……」
「……」

 目が合う。沈黙が続く。
 こうして黙って見つめ続けても怖がられるだけだ。何か緊張を解いてもらえるようなことを言おう。こう、当たり障りのない、平和的な、面白いことを。

「……その」

 当たり障りのない、平和的な、面白いことを、何か。

「……ま……マスキッパ、きょうもはらぺこ、すきっぱら……」

「……?」
「……?」

 脳の知識を掘り返した結果、出てきたのはオーキド博士のポケモン川柳だった。

「…………」
「…………?」
「…………?」

 終わりである。空気が終了している。
 駄目だ。やはり人間など微塵もすごくない。何も成し得ない。

「……ああ……あんね……ポケモンはね、顔を合わせたら『こんにちは』っちゅうんよ」

 人里に降りたばかりの怪物へ挨拶を教えるご婦人のような言葉に、自分はまさしく素直な怪物の如く「こんにちは」と返すことしかできなかった。

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