第79話:ポプリ

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 時は戻って、駆けつけた仲間たちがキズナのピンチを救った直後。場所も戻って、ミュウツーの研究所、2階。
 ジュプトル、ネロの“エナジーボール”で状況が激変し、しばし怯んだゼニガメのミズキとヒコザルのカガリ。キズナを次の階へ見送ると、ようやく状況を飲み込んだ。ミュウツーに与えてもらった役割を、遂行できなかった。認めてはならない現実を前に、ぐらりと世界が歪むような焦燥感。ミズキとカガリは飛び上がるように立ち上がった。

「邪魔を……するなっ!!」

 立ち上がりざまにネロに光線を放つが、ネロの“エナジーボール”が彼ら2人のエネルギーを上回り、攻撃をもみ消されてしまった。——不安定な姿勢からの、不完全な攻撃のせいだ。ミズキは心を落ち着かせるために深呼吸。ほんの僅かに取り戻した冷静さが手伝って、ネロの強さの源を察した。

「なるほど。貴様、ミュウの祝福を……」
「くっ……。オレたちの最後の役目が……」

 強く握りすぎて震えている拳、食いしばる歯、ぎらりと光る眼差し。全身から悔しさを放出しながら、カガリが言葉を絞り出している。

「落ち着けカガリ。僕らの役目はまだ終わっていない。ミュウツー様の敵をこれ以上増やさないことが——こいつらを止めることが、僕たちが今すべきことなんだ」

 ミズキが言い聞かせると、カガリの瞳に落ち着きが戻る。ここで初めて、ミズキとカガリはネロたちを敵として直視した。カメールのメルが口を開く。

「アンタたちのことは、ここに来るまでにスイクンたちから教えてもらったよ。セナとホノオのコピーなんだって? 良くできているじゃないか」

 ミズキとカガリの焦りにつけ込むように、ゆったりと余裕を見せて語る。ミズキも負けじと小さな身体でどっしりと構え、うなずいてみせた。
 ここで、メルの背後に隠れていたチコリータ、ポプリが前に出る。続いて、ミズゴロウのウォータとアチャモのスザクも。

「久しぶり……だね。キミたちのこと、ずっと探していたよ。あたしたちのこと、覚えてる? グリーンビレッジを、覚えてる?」

 メルを真似してゆったり話すポプリだが、興奮と緊張で声が震えている。もうすぐ、彼女らの目的が達成されるのだ。目の前でさらわれた村のポケモンたちを救い出すという目的が。
 彼らは、それを、信じていた。
 疑うはずが、なかった。

「グリーンビレッジ……ああ、あの小さくて、弱いポケモンたちが集まる村ね。あそこの生命エネルギーはしょぼかったなー。無駄足だったぜ」
「人から奪ったものにケチをつけるなんて、躾がなっていないのね。そんなに気に入らないのなら、元いた場所に返しなさいよ」

 カガリの言葉に厳しい言葉を投げつけるスザク。とうとう触れてしまった、真実。

「残念でした」

 合図もなく、ミズキとカガリの声がピタリと重なった。高低差のある声が寸分の狂いもなく。それは極めて不気味な響きを奏でた。
 残念。それだけでは、まだ、ポプリたちには意味が分からない。分かりたくもない。思考が動こうとしない。

「塵も積もれば山となる。しょぼいエネルギーも、きっちり無駄なく利用させてもらったよ」
「利用って……どういう意味だぁよ?」

 ミズキの言葉に、ウォータはやっとのことで怖々と聞き返す。カガリがその答えを突きつける。

「捕獲したポケモンたちの生命エネルギーは、全てミュウツー様が吸い上げたんだ。その力を使って、今ガイアを地球に衝突させようとしているんだよ。そうだな、もっと分かりやすく言うと……。
 捕獲したポケモンは、残らず死んだよ」

 あまりにも直接的な宣告。ピシッと、心にひびが入る音がした。ポプリは、スザクは、ウォータは、石のように立ち尽くす。敵の余裕が失せたのを感じると、ミズキが追い討ちをかける。

「一応言っておくけど、ミュウツー様はセナをこの研究所に呼んで、計画を阻止するチャンスを与えていたんだよ。せっかく、チャンスを与えられていたのにね。
 あーあ、残念だなぁ。セナにもっと力があれば、お前たちの村のポケモンも助かっただろうにね。恨むならミュウツー様だけでなく、セナも一緒にどうぞ」

 ミズキとカガリの高笑いが響く。が、それもすぐに、ぴたりとおさまった。
 その空間を支配したのは、混じり気のない殺気だった。ネロが、ミズキとカガリを見据える。ただそれだけで、誰も物言えぬ張り詰めた雰囲気が満ちる。悲しみも、動揺も、嘲笑すらも、入る隙間などなかった。
 無音が極まり、ざわざわとうるさい。

「俺が殺る。防御は任せた」

 背中でメルに語ると、ネロは静止状態から一瞬で加速し、ミズキとカガリの背後をとる。草の双剣、“リーフブレード”を鋭く光らせた。直後、それをミズキのしっぽとカガリの脇腹に突き刺した。

「あああ……ッ!!」

 急所に当たった。喉を潰すようなミズキとカガリの悲鳴を切り裂くように、ネロは剣を振り抜く。同時に、傷口に紫色の液体を刷り込んだ。“どくどく”。猛毒が2人の血潮と混じり合う。
 あっという間に負わせた生々しい傷。確実に敵を死に近づけてもなお、ネロの殺気に緩みはない。状況を飲み込めないまま、脳裏に染み付いた2つの悲鳴がポプリの中で何度も反復される。村を襲撃した犯人としてのミズキとカガリは、確かに冷酷で感情に乏しい印象だった。しかし、命の危機に瀕して発したその悲鳴が、あまりにも生々しい。造られた命とは言え、同じ生き物なのだと感じた。

「ぐっ……。“れいとうビーム”!」
「“火炎放射”!」

 ネロの弱点を突く属性で、ミズキとカガリは反撃。危機感に急かされたその攻撃は、狙いの精度が悪く大きくネロを外れる。そのまま凄まじい勢いを保ち、戦闘を見るメルたちに迫った。

「“守る”!」

 難なくネロの期待通りに、メルは防御する。無事を確かめようと、メルは背後の3人を振り返ると。きつく目を閉じて戦闘を見ないようにするスザク。遠い目をして震えているウォータ。表情は変えぬまま、大きな瞳を潤ませるポプリ。気持ちの整理に忙しい3人の姿が、そこにあった。

「メルさん……。あたし、怖いよ……」

 なぜ、何が、どう、怖いのか。彼女の言葉にはそれがない。伝えるための言葉ではなく、ただ溢れ出す感情としての音を、ポプリはポツリと呟いた。かける言葉は見つからないが、身体が動く。メルは精一杯に腕を伸ばすと、3人を抱きしめた。ポプリの涙、ウォータの震え、スザクの闇。それをゆっくりと吸い取るように。
 どんどんエスカレートする爆発音と斬撃。だんだん弱々しくなる悲鳴。生への執着を滲ませる喘ぎ。しばしの抱擁の後にそれに気がつくと、メルは決心した。やめさせなくては。取り返しがつかなくなる前に。
 振り返ると、ミズキとカガリは壁の前に倒れている。もくもくと漂う煙に雫が飛び散った床。部屋が暗くて良かったと、メルは微かに安堵した。雫の赤色が、目に突き刺さらなかったから。激闘を感じさせるその状況下で、傷ひとつないネロが倒れた敵に向かう。一歩一歩踏みしめるような足取りで、冷めきった瞳で、剣をぎらつかせて。とどめ。その3文字が、メルの頭に浮かんだ。

「もうよしな! さらわれたポケモンたちは、亡くなっちまった。つまり、ポプリたちの家族や友達だけでなく、アンタのお母さんも……。それは本当に悔しいことだし、許されないことだ。……でも、お願い。この2人を殺すことだけは、やめておくれ。生かして罪を償わせることが、一番の罰なんじゃないかい?」

 メルはネロの気持ちに寄り添って、精一杯に訴える。すると、ネロの全身から表出されていた殺気が、跡形もなく消え去った。拍子抜けするほどに、あっさりと。

「えっ」

 当然、メルは困惑する。無表情の裏に潜んだネロの感情が、まったく見えない。さらわれたポケモンたちの悲劇に、憤慨したのではなかったのか? それとも、悲しみにくれるポプリたちに、同情したのではなかったのか? さっきまでの殺気からそう想像していたが、その予想が唐突にフィットしなくなった。

「ん」

 ネロはポプリ、スザク、ウォータを見据え、手招きをする。恐る恐る、3人はネロの元へと駆けつける。

「ん」

 今度はネロは、足元に倒れるミズキとカガリを指差す。それを見ると、ポプリとウォータはヒッと悲鳴をあげた。スザクは息をつまらせる。小さな身体に、余すところなく深い傷がつけられている。その全てからすり込まれている“どくどく”によって、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。衰弱して意識がなく、ただただ本能に従って生命を維持している。そのようなミズキとカガリの姿を見せつけられた。

「どうする」

 ネロは、ポプリに目配せする。

「このまま放置しておけば死ぬ。毒さえ取り除けば、死にはしない」

 抑揚のない声だが、ネロは間を取って強調する。
 毒さえ取り除けば。それをポプリに向けて話したということは——。
 ポプリは、自分が握らされたものを、理解する。重い、重い、運命の鍵。
 両親の仇。故郷を失った恨み。やるせなさ。彼らが生存していることへの憤り。贖罪を求める気持ち。
 逡巡を言葉にまとめ上げることは難しい。直感による決断で、運命の扉を開いた。

「“アロマセラピー”」

 ポプリが頭上の葉をひと振りすると、爽やかな香りがあたりに広がる。その香りはミズキとカガリに作用し、毒を綺麗さっぱり消し去った。
 うんうんと頷くメル。ホッとした表情のスザクとウォータ。腕組みをしつつ「ほう……」と小さく呟いたネロ。彼らの反応を感じると、ポプリはようやく状況を実感した。脱力して、立てなくなる。
 ——あたし、助けちゃったんだ。村のポケモンを誘拐した、倒すべき敵を。彼らが生き続けることを、あたしが選択したんだ。

「ごめんね、スザク。ウォータ。相談するって頭が回らなくって、あたし、やっちゃった。これで……良かったのかな」

 安らかな呼吸。うつぶせに倒れる2人の表情は見えないが、空気が柔らかくなったのを感じた。ポプリがつぶやくと、ウォータがポプリの背中にポンと前足を置く。

「オラがポプリだったら、そうするだ。だって、このまま死んじまうなんて、かわいそうだぁよ」
「ウォータ、あんたって奴は。何の覚悟もしないで甘いままで、ここまで付いてきたのね。呆れたわ」

 ウォータに被せるようなスザクの声が、注意を引いた。

「こいつらには、自分たちがやったことを反省させなければならないの。だから、ここで安らかに死なれても困る。それだけのことよ。
 ポプリ、よくやったわ。……ありがとう」

 何年ぶりだっただろう。スザクの「ありがとう」を聞いたのは。いつだったろう。スザクが「ありがとう」を滅多に言わなくなったのは。
 ポプリとウォータの中に、とても懐かしい感情がうずを巻く。まだ幼く、何も知らなかった3人が、グリーンビレッジで遊んでいたときのことを。緑の村と夕焼けの赤が溶け合う瞬間に、心動かされた日々のことを。
 ——もう、あの日は戻らないんだ。
 村のポケモンたちが殺されたという情報が、ようやく感情に影響を与えた。ポプリとウォータの瞳が、涙で揺れる。それを見たスザクも、悲しげに目線を伏せた。

 彼らの感傷を止め、涙を引っ込めたのは、上の階からの“爆音”。そうだ。戦いはまだ終わっていないんだ。このままでは、ガイアは。

「……生きよう。あたしたちは、生きよう」

 ポプリは階段に向かって歩き出すと、背中で仲間を誘う。スザクとウォータは目を合わせて頷くと、ポプリの背中を追いかけた。それを見てふっと表情を緩め、一歩踏み出すネロ。その右手を、メルはとっさに掴んだ。驚いて目を見開く彼に、伏し目がちなメルが聞く。

「確認させておくれ。“さっきの”は、演技だったのかい?」
「ん。あいつらに処遇を決めさせたくてな」

 “感情”を……殺意を操って、迫真の演技でポプリたちを導く。そんなことをサラリとやってのけるネロに、メルは複雑な感情を抱く。凄い。かっこいい。分かりにくい。羨ましい。しかし何より。

「良かったよ。アンタが手を汚して、全て抱え込むつもりなのかと思った。心配したじゃないか……」

 殺意が偽りであったことを理解し、メルは安堵した。思わずネロの右手をぎゅっと握ってしまう。ネロはほんのりと頬を赤らめ、硬直した。言葉が出てこないし、身体も動かない。この決まりの悪い状況を、どう終わらせるべきか——。
 ネロのその悩みを読み取ったかのように、ちょうどいいタイミングで。

「ネロさん、メルさん、早く早く!」
「次の階に行くだよー!」

 ポプリとウォータが呼びかける。メルはハッとした。ゴツゴツと力強いネロの手の感触が、メルの頬を赤く染める。

「あっ、ごめんごめん、今行くよ!」

 パッと手を話し、メルはポプリたちの元へと向かう。その後ろ姿を眺めながら、ネロも足を進めた。

 こうして彼らは、ミズキとカガリの妨害を突破して、ミュウツーとキズナが対峙する3階へと向かう。キズナの善戦を信じて。凄惨な戦場が、そこに待ち受けているとも知らずに——。

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