第6話 燃えない灰が燃える時

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 前半はリードを譲ったカグラ、どのように切り返してくるのか。
 ロズレイドが十八番のムチを振るうも、驚きのバトルが展開される。
 ムチを足場に、剣の舞を踊る。これがカイリューに出来なくて、アブソルに出来る実力の違い。
「つばめがえし!」
 カグラの指示にも力が籠る。
 鋭く研ぎ澄ませた一撃。ダメージが蓄積されていたところにこの強打は余程効いた。
「お疲れ様。ゆっくり休んでね」
 ロズレイドを労うナルミ。
 撃墜数・三体……大金星だろう。厄介なワルビアル、レパルダス、シザリガーをも退ける活躍を果たしてくれた。残りのメンバーで勝利をもぎ取る。

 ナルミはシャンデラを繰り出す。「ちいさくなる」で、焦点をずらす。
 元々、アブソルは災いを察知出来るほど感覚に優れたポケモンだ。そんなポケモンの前で、秘剣の前で、小細工は通じなかった。霊力まではごまかせない。相手は、霊力ならば斬れる、とわかっていた。
「つばめがえし」
 痛みに思わずシャンデリアの蝋燭を揺らし、元のサイズに戻ってしまう。
「追い込まれてるのは向こうの方」
 言い聞かせるように呟く。取られた分を取り返そうと必死になるのは当然だ。
 しかし、勝ちを焦った煉獄は外れる。
「こちらの攻撃は必ず当たるぜ」
 シャンデラを真っ二つにしたのち、華麗に片足で降り立つ。一連のショーのように。ここまでのバトルが一瞬にして引っ繰り返された。
 そう、この強さがポケモントレーナー・カグラを支えるエースの所以だ。
「オレが見たいのは『ここから』だ。ガッカリさせんなよ」

 ニョロトノvsアブソル。ナルミは一か八かの選択に懸ける。
「いばる!」
 アブソルの感覚を狂わせるには充分な一手だ。繊細ゆえに、相手の喜怒哀楽にも影響されやすい。
「ハイドロポンプ!」
「……ふいうち」
 発射しようとしたニョロトノの前に、アブソルが瞬間移動。斬撃が叩き込まれる。
 技を出そうとすれば攻撃されるのは、不意討ちという技の性質である以上仕方ない。
 剣の舞を踊り、感覚を取り戻さんとする。やがてアブソルの混乱は解ける。そうなればクリティカルヒットは必至。
 カグラは舞を、攻撃の一部にも転じさせている。ならば、こちらも舞う隙を作らせない。
「なみのり!」
 スタジアムを水没させるような激流で動きを阻む。ところが。
「フィールドを突っ切れ!」
 救いの手を切り落とす無情な指示が下った。波が真っ二つに分かれていくなど、所詮神話上の出来事だと思っていたことが、眼前で繰り広げられている。
 以前までのナルミならば、ここで戦意を喪失しただろう。だが、彼女はもう知っている。一時の形勢不利に翻弄され、バトルの本質を見失うことほど愚かなことはないと。
 現状を変えなければ、敗北は時間の問題だろう。バトルを一旦リセットする。勝ち急いでいるからこそ、零点へ。
「『ほろびのうた』」
「つばめがえし」
 ニョロトノは滅びの歌を奏できれず、戦闘不能になってしまった。だが、カグラはその指示にこそナルミの成長を感じ取る。
 あくまでも冷静だ……。否、必死に取り繕っている、の間違いかもしれない。だが取り繕おうとする余裕さえ、前は無かったはずだ。
 ナルミは敗色濃厚になると、攻撃技に傾倒する癖がある。しかし今の滅びの歌には、アブソルを道連れにしてでも倒す、という強い決意が込められていた。
 ――まだまだ楽しめそうじゃないか。

 ジムリーダーの手持ちは残り、ミカルゲ・マニューラ・アブソル。カグラには余裕が生まれた。必ず入れ替えてくる。
「いいぞ。一旦退け」
 ナルミの目測通り、アブソルは引っ込む。カグラが繰り出すのは、ミカルゲだ。
 局面を打開するための方策を練る。勝機は、もう一度訪れる。そのチャンスを逃さなければいい。
 彼女は、最も自分が頼れるパートナーを今回のしんがりに置いた。
 ミカルゲの前に現れるデンリュウ。奇しくも最初のカードの再現である。
 膝が震えてくる。眼球が小刻みに揺れ動く。頬が硬直する。
 これがポケモンリーグまで上り詰めたトレーナー・カグラ。
 唇だけは自然に言葉を紡いでいた。
「勝つよデンリュウ。ここから」
 デンリュウは、あくまでも最後までおやの闘志に応えようとする。
「そうだ、それでいい。余計なことは考えるな」
 目の前の試合だけに集中し、勝ちを貪欲に求める姿勢が、おまえたちを必ず昇華させる。
 そして、それを手伝うのがジムリーダーの役目だ。カグラはようやく気付いた。

「エレキフィールド!!」
 上には雨雲、下には電流の罠。
 ミカルゲは瞑想を封じられる。
「バークアウト」
 カグラ側には不利の要素にならない。後続で弱らせることが出来れば、ナルミに後は無いからだ。
「かみな――」
 言いかけて、戸惑う。
 バークアウトを受けても、かみなりで潰せればいい? 
 冗談じゃない。
 自分たちが求めるのは、完璧なる勝利。
 ナルミは指示を変え、『コットンガード』を命じる。デンリュウを包む羽毛が、バークアウトの音を遮断する。
 そんな使い方があるのか。これにはカグラも一杯食わされた。
「かみなり!」
「いたみわけで搾り取ってやれ」
 しかし、カグラの意図した通りにミカルゲは動かなかった。電流に要石を絡め取られ、文字通り「急所」への直撃。加えて麻痺の追加効果で、竜の波動がミカルゲを食い破る。戦闘不能の声がスタジアム内にこだました。
 運を味方につける……それも一種の才能に他ならない。しかしこの急所は、ナルミの負けまいとする意地が引き寄せた天恵のように思われた。

 残り二体。しかし、焦ってはならない。深呼吸し、カチューシャの宝石に指を触れる。
 メガシンカ――トレーナーとポケモンが織り成す絆の証。
 メガシンカのカードを切れるのは、一試合に一度のみ。フルバトルが大詰めに近付いていることの証左だ。しかし、カグラはアブソルをまだメガシンカさせていない。
 つくづく、末恐ろしい相手だ。
「コットンガード!」
 安直な攻撃を仕掛けず、極限まで防御を高めていく判断は、冷静の一言に尽きる。
 つばめがえしの剣技も威力が鈍る。
 相手に合わせるかのように剣の舞を踊っていくアブソルだが、雷が雲海から撃ち抜かんと刃を立てる。
 ならば、ふいうち。ポケモンから発せられるエネルギーとはいえ元を辿れば自然現象、それを叩き伏せるかのような切れ味だが、アブソルも同時にかなりのダメージを負っていく。
 いつの間にかカグラも追い込まれている。
「思い出すな、タイヨクリーグを」
 母の戦ったというタイヨクリーグを、娘は知らない。しかし、母より貰い受けた遺伝子がその戦いをかつてあったもののように想起させる。
 アブソルとカグラの心がひとつになる。
 カグラの帽子に飾られたキーストーンが、アブソルの体毛に隠れていたメガストーンと呼応し、メガシンカを達成する。
 メガアブソル・見参。
 堕天使のような姿に圧倒されるナルミ。
 敵のつばめがえし、しかし勢いがこれまでと違う。闇雲に雷は打てない。コットンガードで、迎撃態勢を整える。
 かに思わせて、竜波の囮にした。アブソルは竜に喰われるが、壁を伝い跳躍し、ふいうちで無理矢理顎を引き裂く。
 コットンガードを積んだので、アブソルの攻撃はまだ耐えられる。が、向こうにも剣の舞はある。どちらか、或いは両方が極限まで能力を上昇させ、矛盾を破った者が勝者となる。
 強い。
 『エース』を実感する。こんなに強いポケモンと戦うのは、初めてだ。
 願わくばもっと戦いたい。最後まで。
 両者が動き出す。
 アブソルは剣の舞をしながら接近を図る。
 トレーナーはボールを叩き、目配せした。
 激しい武の踊りに、高揚するナルミたち。
「かみなり!」
「『バトンタッチ』」
 カグラは交代を指示した。
 ナルミはアブソルで真っ向勝負に来ると考えていた。いや、キョーコやセオトでさえ同じ発想だった。
 これが勝ちを見据える者の強さだ。

 バトンタッチで能力上昇を受け継いだマニューラが降臨する。つららおとしを足場に替えて距離を詰めるのは、エレキフィールドを避けるためだ。
「りゅうのはどう!」
 マニューラが振りまく冷気によって、フィールドは雷雨と氷雨が入り乱れ、混沌の様相を呈する。
 怒涛の氷柱をコットンガードでなんとか防ぎ切った。
「よしっ!」
 しかし喜ぶ間など与えられない。
「『おしおき』しろ!」
 相手が積み上げた能力に比例して技の威力を増す『おしおき』。デンリュウが使ったコットンガードの回数は、二回。攻撃を防ぐという点を見積もればもっとだ。
 マニューラからの罰を受けたデンリュウは、もはや虫の息に近い。
 それでもナルミは絶対に諦めない。
「フィールドありったけの電気、全部かき集めて!!」
 デンリュウの負担を削ぐため、エレキフィールドを自分の体に吸収させ、一条の雷撃に換える。それはまさしく。
「『はかいこうせん』かっつうの……!」
 カグラも思わず言葉にせずにはいられない。
「マニューラ戦闘不能ッ!」
 同時に、エレキフィールドはその役目を終えたかのように喪われていった。
「ありがとう……」
 ナルミは天を見上げ、思わず礼を述べる。勝ち筋を引き寄せたエレキフィールドに。そしてここまで戦い抜いたデンリュウに。
 対するアブソルも、バトンタッチで攻撃上昇を後続に引き継いだがそのマニューラが戦闘不能となってしまったため、能力は一旦リセットされる。
 防御を極限まで高めたが一撃を耐えられるかも怪しいデンリュウと、一発さえ当てれば勝てる可能性のあるアブソル。
 これは択だ。相手との心理戦を制し、全ての展開を読み切った方が勝つ。
 
 否が応でも気付かれているはずだ。
 先程が、最後の一発だった。
 もうデンリュウには、大技を撃てるエネルギーが残されていない。
 仮に無理矢理アブソルを倒したとしても、デンリュウが限界を迎えるだろう。先にジャッジをとられてしまえば、ナルミの敗北はその時点で決定済みとなる。
 カグラは、『ふいうち・つばめがえし・つるぎのまい』の、果たしてどれから動いてくるか。
 デンリュウの状態を加味するなら、攻撃が来ないことを読んで、剣の舞を選ぶのが安全策である。そのままアブソルが攻撃し、万が一耐えられてしまえば返しの一撃でアブソルが負けてしまうからだ。
 考えろ。
 今までと同じ技ではなく、デンリュウのエネルギー消費を少しでも削減し、それでいて一撃、たった一撃でいい……確実に当てる方法を。
「何か仕掛けてくる顔だ。気を付けろ」
 アブソルは頷き、『つるぎのまい』を踊る。
「『やっぱり』」
 ナルミはその瞬間、無意識に呟いていた。
 思考の境地。
 カグラの次元に、彼女は辿り着いたのだ。
 デンリュウの尻尾から、溢れんばかりの光が発せられる。
 異様な光量に怯み、思わずカグラは目を細めた。
「なんだ……?」
 光の正体をナルミだけが知っている。
 デンリュウの灯は、船乗りたちの道標として大切にされてきた。強すぎるが故に宇宙からでも観測出来るという尻尾の光は、普段は消したままだ。
 ナルミの意思に応えてのことだろうが、ここにきてポケモンの生態を駆使する真の狙いを、カグラはすぐさま悟る。
「アイツ、オレと同じ真似を――」
 最初のジム戦でやられた手を、今度は同じシチュエーションで向こうからやってきている。
 カグラはアブソルの五感をフルに刺激するような声量で叫ぶ。
「攪乱だ!!」
 一瞬。
 確実に、攻撃を命中させる、隙を作り出すための、単なる『時間稼ぎ』。
 視線の先、指の先から、微弱な電流を発する敵が。アブソルを電撃で包囲し、拘束にかかる。その頼りなくもこの局面で最も厄介な技は、もはや『かみなり』ですらない。
「――『エレキネット』」
 ナルミの答え。それは、かみなりよりも技そのものを変質させることにあった。
 つまり、技の出力を遥かにダウンさせることだった。かみなりが今後使えなくなったとしても、この試合に勝つためだけに手繰り寄せた最適解。
 次など無い。今ここで勝たなければカグラとは二度と戦えなくなる。勝ち逃げなどさせてたまるものか。
 後に悔やんでも、今を悔やまないための選択をしたつもりだ。
「つばめがえし!!」
 カグラは空気を根こそぎ裂くように絶叫と共に腕を振り、ノータイムで指示を送った。
 電撃を食い千切り、執念の女王が絶叫をあげる。
 デンリュウはその野性的な姿に美しさと高貴さすら覚えた。
 このアブソルはカグラを勝たせることしか頭にない。ナルミと戦う事情など彼女には何の関係もなく、ただカグラとバトル出来るのが嬉しいのだ……。
 なら、一層負けられない。

 カグラさんとのバトルに、勝ちたい。
 
 ジムリーダーなど肩書は忘れても構わん。心熱くさせるチャレンジャーがいるのだから。

 カグラに勝利を献上する。

 ナルミと一緒に、リーグに行く。

 それぞれの想いが入り乱れる。
 デンリュウの姿が、メガシンカの外殻が剥がれゆく、コットンガードもろとも。
 アブソルが悪魔の形相を浮かべ、瞳はだんだんと上を向いていき、頭部から体勢を崩し、動かなくなった。
 旗が揚がる。
「アブソル戦闘不能。ジムリーダー側のポケモンが六体戦闘不能になったことにより、フルバトルの勝敗を決定します。勝者……チャレンジャー、ナルミ!」





 一時であっても己のルーツに立ち返り、持てる全力でチャレンジャーを迎え撃てたのだ。そこに何の悔いも無い。
 いや、悔いが本当に無いかといえば、少し嘘になるだろうが。
 負けても清々しい気分になるだけじゃないのは、燃え切らない灰の残滓に気付いたからだ。
 カグラは未だ鼓動冷めやらない胸に手を当て、相棒に問いかける。
「悔しいか」
 涙を決して流すまいと堪えるように頷いてみせるアブソル。至らない主人のために、死力を振り絞り、よく戦い抜いてくれた。
「オレもだ。……まあ、今は休め」
 まずは挑戦者に対する義務を果たすのが先決だ。カグラはナルミのもとへ向かう。
「おめでとう。見事だ」
「カグラさん……」
「ふたつの意味で、オレはおまえと出会えてよかったと思っている」
 ジムリーダーとして、救われた。
 トレーナーとして、本気になれた。
 それは紛れもなく、ナルミのおかげだ。
「リーグを諦めてから、周りを冷めた目で見て、頑張る奴が理解出来なくなった。でも、そういうのも悪くないと思えた」
 ナルミはカグラの事情を詳しく知らない。シオラジムが閉鎖に至る訳も。
 ただ、彼らの間にあるチャレンジャーとジムリーダーという関係が、彼らを繋ぎ留めている。
「オレの勘だが、おまえはこれからもっと強くなる。将来でっかいトレーナーになるよ」
「なってみせますよ」
 いつもの強気をようやく本当の自信に変えて、ナルミは頼もしく告げる。
「その意気だ」
「私もカグラさんとのフルバトル、一生大事にします」
 カグラには幾分その物言いがストレートだった。受け止め方の分からないボールを不格好にキャッチしつつ、それから少々照れくさそうにする。
「ありがとよ」
「いやはや、年甲斐もなく興奮してしまいました。ナルミさん、これは紛れもなくあなたのバッジですよ」
 監察官から失格を言い渡されたあの日、カグラはチャレンジャーを微塵も見ていなかった。カグラは今、心からバッジを渡したいと思えるトレーナーに出会った。
「チャレンジャー・ナルミ。進呈しよう。これがシオラジムを勝ち抜いた証……グラファイトバッジだ」
 掌にのせられた激闘の証を、大事なメモリーへと蓄えるように、二本の指で丁寧に、丁寧につまみあげた。
「黒鉛のジムバッジ……」
 Graphite Brightness(グラファイト・ブライトネス)。
 バッジは、黒光りを称えている。

「ナルミ、おめでとう!」
「セオトくん」
「ええ、良いバトルだったわ」
「キョーコさんも……」
 ナルミにはウィンクを贈り、続いてようやく『お目覚め』のカグラにも視線を送る。
 何か言おうとしたところで、ナルミがワーッと声をあげたため、微妙なしこりは解消されず事は進むのだが。
「そうだ、サクラシティに急がないと!」
「まずは選手登録ね」
 リーグ開幕は三日後。すぐにでも会場入りしなければこれまでの過程とて水の泡である。彼女は今日にでもシオラを発つだろう。
 あわわ、と慌てるナルミや焦りを募らせる皆に比べれば、カグラはいたって落ち着いていた。
「ナルミ」
「はい!?」
「立場上、贔屓は出来んが……。おまえのことは、誰よりも応援してる」
「ありがとうございます!!」
 頭を思いっ切り下げたのち、跳ね起きるようにナルミは懸念をおそるおそる口にした。
「カグラさん。これからどうするんですか……?」
「ん。ああ、オレか」
 それは当然の疑問であり、この場の誰もが思っていても口には出せなかったことだ。勝者のナルミには聞く権利がある。
 カグラはシオラジムの地を踏みしめ、おのずと語り出す。
「オレは……『さいしょからはじめる』よ」
「ジムリーダーには、もうならないんですか」
 カグラは何も言わない。
「あの、余計なお世話かもしれませんけど……。カグラさんは、タイヨクに必要な人、だと、思います」
 言葉は拙いが、ナルミの想いは痛すぎる程伝わっている。
 カグラ最初のパートナーは、本気で戦う彼を愛していた。
 オレはもう一度、戦ってもいいのか?
 夢を見ても、許されるのか?
 相棒が答えをくれることはない。決めるのは自分、そして今いる仲間たちとだ。
 オレ自身は何処に行きたいのか。
 今、この胸に込み上げる感情に、今度こそ嘘をついてはならない。
 前を向いて、宣言する。


「……シオラジムは閉鎖するが、オレはいつか必ず、この世界に戻ってくる」


 よかった。
 今はその言葉が聞けるだけで良い。
「私も安心してリーグに行けますね」
「とんだ人騒がせジムリーダーね、まったく」
 キョーコが毒づくと、軽口で返す。
「うっせ」
 一同に笑いが戻ってきた。

 そうして、ナルミは旅立って行った。思えば嵐のような子だったと思う。
 サダノリとセオトは、それぞれの仕事があるため先に帰した。
 ジムに刻まれたポケモンリーグのエンブレムを見上げながら、カグラは内省する。
「オレはジムリーダーをやるうちに、いつの間にか驕るようになっていたんだな。こっちが教えてもらう立場なんだ。そんなことも分かっていなかったオレは、まだまだ半人前だ……」
 何のために、ジムリーダーというシステムが存在するのか。その理由を問い直す。
「挑戦者がその渦に飲まれてもやっていけるように手を差し伸べてやるのが、オレたちの役目じゃねえのか?」
 強さという名の巨大な渦は、迷い込んだトレーナーをいとも容易く飲み込んでしまう。だが、自分たちが壁となり、その壁を乗り越えさせることで、より大きなものに立ち向かっていけるのだ。
 それこそが、本質ではないかと思う。
 壁際で独白を聞いていたキョーコが、満足そうに腕組みをほどく。
「惚れ直した」
「よせよ……」
 帽子を深めに被る。
「嘘。ほんのちょっとだけ、ね」
 真に受けた自分が馬鹿らしい。ニヒルに微笑むと、相手も少し微笑んだ。
「じゃ、私も帰るから」
 用が済めばさっさとおさらばするのは、彼女の分かりやすい性格だ。
「キョーコ、世話になったな」
「本当よね。ホント、世話の焼ける人」
「その……」
 伝えたいことは山ほどある。しかし人間とはどうしても素直になり切れない生き物で、あれこれ言葉を巡らせている内に彼女の輪郭は遠ざかっていく。
 と思いきや、そうだ、と思い出したように立ち止まり、向こうから振り返る。
「その気になったらキョウナジムにおいで。今度は、挑戦者としてね」
「……ああ!」
 彼女との縁は、まだまだ切れそうにもない。だって、私たちは、オレたちは、どうしようもなくポケモントレーナーだから。

 世間がタイヨクリーグ開催を迎え、熱狂の渦に染まる中でも、シオラは相変わらず静かだ。
 シオラジム閉鎖の日。カグラはアブソルのお墓参りに向かった。手向けの花と、メッセージを書いた手紙を添えて。
 ジムに戻ると、例の監察官が待っていた。
「ジムリーダー・カグラ。予定通り、閉鎖の期日となりました。これまでの運営、ご苦労様でした」
 ご苦労様、か。その鼻につく物言いも今ならば聞き流せる。
「では、カードキーの返却を」
 この建物を管理する者の証であるカードキーを返却しパスを解除すれば、二度とジムに立ち入ることは出来ない。
 カグラが固まっていたため、監察官は自分の言葉が聴こえなかったのかと勘繰る。
「どうしました? 返却をお願いします」
 監察官は眼鏡の淵に手をやる。出来る限り迅速にこの手続きを終了させたい、という態度がありありと表れていた。
「悪い、一瞬だけ待ってくれ」
「……はい。はい?」
 カグラはエンブレムに向かって、深々と頭を下げる。
 監察官は特段驚きもせず、その綺麗に折り畳まれた背中を無表情で見つめていた。
「待たせたね」
 カグラはカードキーを渡し、建物を去っていこうとする。
「何か心境の変化でもありましたか」
「語ったらそれ返してくれるのかい」
 監察官は鼻で息をし、やや不服そうにするので、カグラは苦笑し語り出す。
「閉鎖を言い渡されてから、あるトレーナーの挑戦を受け付けた」
「聞いています。イリマのジムリーダー・シャクドウにバッジを作らせたそうですね」
 それをお願いしたのはオレじゃないんだけどな、と思いつつカグラは続ける。
「そいつとフルバトルをした。後悔をしないために……、それだけの話だ」
「……貴方に一つだけ、アドバイスを差し上げましょう」
 その台詞はカグラからすると思ってもみない展開だった。監察官は切り出す。
「ジムリーダーを辞任した者は、数年間の間、再受験資格を剥奪されます。一度システムに適さないとリーグ側が判断した人間の再登用を避けるための措置です。しかし、面接段階で、採用側を納得させるだけの理由、実績、そしてジムリーダーへの強い意思を見せ、再登用された人物が過去にもいます」
 カグラは目を見開く。
「しかし、一旦不適と判断した人材には、以前よりもハードルを上げて審査します。例えば、貴方は準優勝でジムリーダー入りしましたが、再登用には最低でも『タイヨクリーグ優勝経験』が必要となる」
「タイヨクリーグ優勝……」
 それは並大抵の道程ではない。
「貴方に、その渦に挑むだけの覚悟がありますか?」
 カグラは、再び人生の岐路に立たされた気分になる。
 ――オレはいつか必ず、この世界に戻ってくる。
 ナルミはリーグ優勝を目指している。リーグで上位成績を残せば、界隈に注目され、ジムリーダー推薦という選択肢も生まれてくる。ジムリーダーから四天王への声がかかる場合もあり、四天王は打倒チャンピオンを目指し日夜戦う。そしてチャンピオンになっても、いつかは新たなる挑戦者に敗れ、その座を明け渡す。
 この道に、終わりなど無いのだ。
 カグラはジムリーダーをそつなく続けることが終着点だと思っていた。しかし、その道はある日突然、閉ざされた。
「ジムリーダー職務に後悔を感じているのならば……挑戦してみるのも悪くないとは思いますがね。これは私個人の意見ですが」
 グラファイトバッジを手放したカグラが、全く異なる地で、挑戦者を迎え撃つ。そんな未来もあるのだ。自分が想像もしていなかった道が拓けてくる。
「今は決めないでおく。でも、タイヨクリーグには、オレが戦いたい奴がいる」
 なにせ、自分がバッジをあげたのだから。
「……その熱意に、もっと早くから目覚めていれば良かったのですがね」
 ありったけの皮肉を込めて、監察官は去っていった。
 

 カグラはシオラジムの外に出る。
 どこまでも、どこまでも広がるタイヨク地方――。
 以前と変わらない景色が、以前と全く変わって見えた。
 スカイロケットタワーに置いてきた手紙には、こう書いてある。

『もう一度、旅に出てみようと思う』
 
 カグラとアブソルは踏み出す。慣れ親しんだ建物に別れを告げて。彼らは再び、途方もない渦に、立ち向かっていく。



【  THE END  】

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