第96話 彩光と共に、願う
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
「......さて、そろそろか」
ロアに謝罪をした翌日。 太陽が段々その顔を上げてくるのを見つめながら、バドレックスは木の幹にゆっくりと寄りかかっていた。 待ち時間ぐらいは張り詰めた空気から離れ、自然の空気を吸うのもいいものかもしれない。
自分を鍛えてほしい──ロアのその要望に応えるべく、今日彼は集落の練習場にまで出向いていた。 ここはポケモン達が次なる戦いに備えて鍛錬をする場所で、今日も多くのポケモンがそこで汗を流していた。
「あ、バドレックス様!」
「おお、ロア──」
集合時間丁度5分前。 ポケ混みの中からロアがその姿を現す。 バドレックスはその声に釣られて振り向くが──
......その瞬間、彼は少し苦い表情を見せる。 その理由は単純明快。
(なんで、お前もいるんだ??)
そう、何故なら彼の隣にヒョウセツが何食わぬ顔で保護者然として立っていたからだ。 にこにこと、それが元々自然な流れであったかのように。
「おはようございます、今日はよろしくお願いします......!」
「ああ、よろしく頼む。 ......にしてもヒョウセツ。 何故お前がいる?」
「あら、いけませんか? わたくしも薙刀の鍛錬があるのと、ロアに道案内をしたかったので来たのですけど」
「いや、そういう訳ではないが......」
「......つまり、わたくしの付き添いがなくても2匹だけで問題ないということですか。 しっかり仲直り、出来たのですね」
バドレックスが口ごもっていると、ロアは「えへへ......」と少し恥ずかしそうに笑う。 これだけでもう彼女には十分理解できたようで、ヒョウセツが悪戯な目線をバドレックスに向けた。 その目線に刺された当ポケはため息を吐いた後に頷く。
「まあな。 お前の助言に従ったまでだ」
「ふふ。 別に助言ではありません。 わたくしの思ったことを正直に言っただけです」
「......どこまでも偉そうに言うものだな。 小娘が」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「......ねぇバドレックス様、お姉ちゃん、ボクはどうすればいい?」
少しばかり互いの間に火花が散りだした中、待ちきれないといった様子のロアがおずおずと1匹と1人に問う。 そこでバドレックスは意識を一旦彼の方に向け直し、1つ指示を与える。
「まあ待て。 まずは体力をつけるところからだ。 ......そうだな。 まずは今の状況を把握しよう。 あの木の周りを50周。 出来るか?」
「は、はい!」
そう言ってロアは素直に駆け出していく。 バドレックスが指さした木は、別に何の変哲も無い普通の木だ。 適度に細いし、そんなに走る距離自体は長くはない。
だが、小さなものの周りをぐるぐる回るというのは想像以上に小回りを利かせないといけない。 目が回らないようにもしないといけないし、それでいて周回頻度も多いのだから、周回数を把握しておくためにそれ相応の集中力も求められるだろう。 それを分かっているのかいないのか、彼はただ健気に木の周りを走り続ける。 端から見ると自分の尻尾を追いかけているようで、どこか可愛らしさもあった。 周りで鍛錬していたポケモンも、息抜きと言わんばかりに微笑ましげな表情でその姿を眺めていた。
しかし、それを真っ直ぐ見やる1匹と1人の目線は、その微笑ましさとは別のところに向いていた。
「......あの子供、きっと強くなるな」
「ええ」
1人と1匹は互いに同意する。
汗を流して、息を切らして、たまに足がもつれて。 でもめげずに走り続けて。 そこにあったのは、本当に小さな子供とは思えないぐらいの胆力だった。
見事なものだと、バドレックスは不思議と彼から目を離せなかった。
(明日すらも、黒い霧に閉ざされているような世界だというのに......)
そしてこれだけではない。今からしてみれば、バドレックスとヒョウセツの心が初めて通い合ったのは恐らくこの時だろう。
つい数日前までは全く縁のない1匹の子供だったはずなのに、いつの間にか相容れなかった両者を繋ぐ大事な楔となっている。
「はわぁ......つかれた......」
──まるで、惨憺たる世界に差す一筋の光のような。
「頑張りましたね、ロア。 はい、水です」
「ありがとう......」
「......」
「バドレックス、どうかしました?」
これは偶然か、はたまた運命か。
この子供の前には明るい「未来」が開けている。 バドレックスはそう信じてみることにした。 慎重な自分らしくないとは分かっていても。 このご時世故に、簡単に誰かを信頼することなんてできないと思っていても。
不思議と、信じてみたくなったのだ。 この不思議な子供と、その子を信じる人間のことを。
「なんでもない。 よしロア。 ひとまずお前の状況はわかった。 次は──」
またそれは、バドレックスにとっては大きな変化だった。 ザシアン達を信用していないわけではないが、それとはまた質が違う。 もっと濃くて、もっと堅くて......。
「ようし、がんばるぞ!」
「その意気です、ロア! よし、わたくしも鍛錬をしなければ......!」
......嗚呼、でも。
やはり、それだけでは。
ロアは今からでもみんなを守るために危ないものと戦いたい、と気合い十分な調子だった。 しかし、すぐにその気合いが発揮されるということはなかった。
なにせ、ヒョウセツが来てからというもの、集落のポケモン達の表情が少し明るくなったのだ。 我慢ばかりを強いていた前とは違い、今は少しの息抜きを挟みつつも「こんな時間をもっと長く過ごせるように」とバドレックス達が言葉をかけずとも集団は活気づくようになっていった。 その希望が絶望を遠ざけているのか、負の感情の塊の使者がこちらを襲う機会も減っていた。
だがしかし、一応全くゼロという訳ではない。 希望を見いだしたポケモンを殲滅しようと、虚無は時折影としてこの集落に迫り来る。 丁度、ロアの動きや技も精彩を放ち始めたタイミングだった。
「てやあっ! [かげうち]!!」
「はあっ!!」
進化前ということもあり、一撃必殺で相手を仕留める戦術はロアにはまだ難しい。 そのため、彼は素早い攻撃で相手の動きに隙を与え、そこをヒョウセツが流れるように仕留めていった。 だが忘れてはならないことがある。 この影は倒される度に分裂する。 薙刀で切り裂いただけではとどめを刺すには甚だ不完全だ。 そして、それは他のポケモンにおいても同じ事。
......そこで、バドレックス達伝説ポケモンの出番となる。
「[アストラルビット]!!」
「[メタルバースト]!!」
「[せいなるつるぎ]!!」
3匹の一斉攻撃が、残った虚無を跡形も残らずに消し去る。 こうしてしまえば終わりだ。 今回は幸いにも、誰ひとりとして被害者は出なかった。 戦いを終えたポケモン達が一同に集まり、一時の喜びを分かち合う。
「......がんばれた......」
そして、今回最も大きな喜びを感じていたのは紛れもなくロアだった。 前足が震えだしていたが、戦いの最中は全く怯える素振りもなく戦い抜いていた。
しかし決してそれだけではなく、ヒョウセツ以外の他のポケモンの補助に回れる程の機動力を発揮してくれたのだ。 影に呑み込まれる者がいなかったのは、このサポートによる恩恵が大きかったためだろう。 初陣としてはあまりに大きい成果をあげただけに、きっと疲れがこのタイミングで一気にきたのだ。
そんな勇敢な彼のことを、ヒョウセツはすかさず褒め称える。
「ロア、やりましたね!」
「うん......! お姉ちゃん、ボクやれたよ!」
「ええ、素晴らしいことです!」
ヒョウセツの言葉には一切の翳りもなかった。 それは今回彼が無事に戦い抜いたからでもあるし、相手が生身のポケモンではなかったのもある。 ロアが、まだ幼い子供が直接誰かの命を奪わなければならなくなることを彼女は心底危惧していたようで、それが起こらなかったことに安堵もしているようだった。
「あっ......バドレックス!」
その勢いそのままに、彼女は少女の面影を残した無邪気な声を発してバドレックスのところに駆け寄る。 だが。
「......」
バドレックスは反応を見せない。 無表情のまま、その場に静かに浮いている。
「バドレックス!」
「......」
もう一度。 これも反応なし。
「......バドレックス?」
「......」
反応なし。
これはおかしいと、ヒョウセツはついに彼の顔を覗き込んだ。 無理にでもこちらの姿を意識させないと、多分「戻ってこない」だろう。
「あの、バドレックス」
「......あっ、ああ済まない。 どうした?」
ヒョウセツのその声からは、先程までの興奮はとうに消え失せていた。 そしてやっと彼も気づいたようで、声に反応したその目は不自然に見開かれる。 その後浮かべられた笑みは、ヒョウセツやロアがしていたような自然な笑みとは、あまりに対極なものだった。
「......すいません、何か思考の途中でしたか? ロアが無事に戦えたという喜びを、誰かに分かち合いたいと思ったのですが......邪魔だったようですね」
「いや、大丈夫だ。 すぐに反応できず済まないな。 ロアのこともよかった。 初陣ということで心配してはいたが、無事ならば何よりだ。 ......ふぅ」
バドレックスは静かに息を吐いた。 ロアに関する言葉も事務的な雰囲気が漂っていて、どこか心ここにあらずといった調子だ。 ......でも、それもそのはず。
彼の中には1つの疑念が芽生えていたのだ。
「......やはり、妙だな」
「え?」
ぽろりと漏れた疑問に、ヒョウセツは素直に首を傾げた。 しかしバドレックスはそれには気も留めず、もう一度思考を深淵へと沈めていく。
出現の頻度が減ったのは、負の感情の塊の使者だけに限った話ではない。 寧ろ、もう1つの方が話題として挙げるには鮮烈さがあるだろう。
──あの集落の崩壊以降、魔狼は姿を現さなくなった。 この集落の近辺だけではない。 どの地域においても、魔狼による被害の報告は途絶えた。 今まではここまで期間が空くことはなかったのに、と不安を隠せないポケモンもいる。
勿論、被害が出ないのは喜ばしいことだ。 襲い来る虚無の対策だけに時間を割けるのであれば是非ともそうしたいところではある。 しかし、それをただ良いことと捉えて片付けてしまって良いのか。 答えは否である。
仮初めの平和を味わわされているようで、その差し出された甘くも重苦しい味に吐き気がした。
「バドレックス様?」
「っ!」
ヒョウセツより一回り小さい、そして若い声によって、バドレックスの思考はまた引き戻される。 見下ろすとそこにはロアがいた。 ヒョウセツと同じように、心配げにこちらを見つめている。
......これはまずい。 浮かんだひとつの「危機感」のせいで、言葉が彼の口を衝いて出た。
「......済まない、少々疲れているようだな。 お前達は先に戻るといい。 ザシアン達にもそう伝えてくれ」
「えっでも、疲れてるならバドレックス様も──」
「......ならぬ」
ロアの申し出を、バドレックスは強く否定した。 尖った声に、ロアの白い毛皮が一瞬不規則に震える。
「少し、考え事があるのだ。 大丈夫、余もすぐに後を追う。 そしてロア、今日はよく頑張ったな。 夜は思い切り羽を伸ばすと良い」
「は、はい」
そして一転、その尖りはなりを潜め、諭すような言葉がかけられる。子供に恥ずかしい姿を見せることは出来ない──その矜持が、一瞬にして彼の弱みを覆い隠していた。 そう言って去って行くバドレックスの背中を、ロア達は静かに見送るばかり。
......しかし、彼の後ろ姿が見えなくなったところで、ロアはぼそりと呟いた。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「どうしました?」
「お姉ちゃんって、いないはずの誰かの声が聞こえる事ってある?」
「えっ......ない、ですけど」
急に突拍子もない質問を投げつけられ、ヒョウセツは少し困り顔。 だが、ロアの表情はこの上なく真剣だった。
「ボクにはあるよ。 本当にたまになんだけど、喉の辺りがうーってするんだ。 自分じゃない何かが、助けてって言ってるみたいな。 苦しいよって、言ってるみたいな」
「自分じゃない......? そういえば、ロアは霊の力を持つポケモンですよね。 だからでしょうか」
「わかんない。 でも、多分そうじゃないかな......。 それで、思ったんだけど」
冷たい風が、ロアの頬を通り過ぎた。 丁度、バドレックスの去って行った方向に。
「今のバドレックス様の声、ちょっとその声に似てたの」
ロアが見ていたのは、それが隙間風として吹き抜ける、矜持だけでは隠しきれなかった部分だった。
罪なくして配所の月を見る──。
もし彼が今この言葉を知っていたならば、どれだけ強く共感していただろうか。
「......ふぅ、今日は一段と冷えるな」
冬の晩。 バドレックスはザシアン達や愛馬すらも供としてつけず、集落の辺りをうろついていた。 見回りというのも目的としてはあるが、単にこの夜の静けさが彼は好きだったのだ。
夜はいい。 数々の星が点描のように黒い夜空を彩り、絵画のような、でも現実でなければ決して表せないような美しい光景を見せてくれる。 その中にぽつんと漂う月も、また綺麗なものだ。 丁度今日は満月だった。 優しくも確かな光に、バドレックスの抱える不安も少し解けていく。
「......暖かい......ヒョウセツ......」
月の光は、元々太陽のもの。 ふと浮かんだ知識に、彼は昼に共に戦った人間の姿を浮かべずにはいられなかった。 そして、この前交わした会話を思い出す。
(皆の心を照らし導く、唯一無二の輝き。 それがわたくしの目指すものです。 例え過去は変わらずとも、未来はどのようにでも描ける。 わたくしは皆の太陽となって、全員の未来を出来うる限り輝かせたいのです)
(不思議ですね。 最初魔狼がこの世界で生まれたと知った時は、少し怒りすらも感じたのに。 今は、ロアや貴方のことを知って......どちらの世界も、照らしたいと思っている)
彼女の語った言葉は、バドレックスにとってあまりに眩しすぎるものだった。 光に溢れていて、だからこそ自分の影が浮き彫りになって、怖さすらも脳裏に浮かんだ。
......それでも強く感銘を受けたのは、かつては自分の心の底にもそんな熱があったからだろう。
王として民を守ろうと強く思って。 そのために、出来る事全てをしようとして。
......そして。
「......はぁ、馬鹿らしいな」
深く、溜息を吐く。 そして彼は「情けない」自分に向けて呟いた。
何も解決していない現状を嘆いて。
また、彼女の本当の姿を曝け出されても尚、自分自身は彼女と同じ舞台にはまだ立てそうにないこと──重大な「隠し事」を、自分の「罪」を、「汚点」を打ち明けられていないことを強く悔いて。
あの時は本心が拒んでしまったからこそ、強く、より強く。
「......済まない」
罪悪感は、心の闇の源泉から絶え間なく噴き出していく。
今日の昼のことだってそうだ。 考え事をしていたとはいえ、少しぶっきらぼうな対応になってしまったことを、申し訳なくも思った。 そして、それはロアに対しても。 どちらも心配そうな目をこちらに向けてくれていたのに。
彼女が喜びを分かち合いにこちらに走ってくるなんて、今までそうなかったことなのに。
──いや。 そもそも。
元々、そんな喜びを分け合える資格など無いのか。
「済まない、本当に済まない」
その声は徐々に大きくなっていく。 それは、抑えられない彼の悲しみを表しているようだった。 王としての面影はそこにはなく、そこにいたのはただ何かを心から悔いるポケモンだった。
例えあのふたりを信頼していたとしても、この苦しみは孤独なのだ。 誰かを心から信頼したところで、それだけで心の闇が拭えるわけではない。
これは自分が背負う闇だ。
自分が打ち破らなければならない驚異だ。
自分でしか越えられない壁だ。
そんな強迫観念にも似た感情が、また彼を追い詰めていく。
「......余は」
だが、やはり怖い時はある。 伝説のポケモンとて、王とて、無敵ではないのだから。 恐怖というのは、単純でありかつ強いのだ。 そして、理性を一時的に、もしくは永遠にどこまでも蝕んでいく。
自らの震える手を見つめ、自分が生きていることすらも恨めしいと思った、その時だった。
「何が済まないのですか?」
「っ!?」
聞き慣れた声に、バドレックスは思わず振り向く。 すると、そこには今や見慣れた大小2つの影が。
「......ヒョウセツ、ロア? 何故ここに」
「......ご、ごめんなさい。 ボク達、あの」
「ふふふ。 ロアのお陰です。 元気がないからと、心配していて」
そう、そこにはヒョウセツとロアが立っていたのだ。 どうしてこんな夜更けに、と聞く心の余裕などはどこにもない。 何が何だか分かっていないバドレックスの手を、ヒョウセツが突如握った。
「はっ......な、何をする!?」
「バドレックス。 少し遠出しませんか? とはいっても、大分近場ですけどね」
「遠出?」
ヒョウセツとロアが息ぴったりに頷き、そして彼女はバドレックスの手を勢いよく引いた。
「なに、気分転換ですよ!」
その彼女の声には、またあの少女のような無邪気さが宿っていた。
森を歩いて暫く経った。
先導しているのはロアで、彼は迷いの無い足取りで、その後に続くヒョウセツと彼女に引っ張られているバドレックスを導いている。
一体何処まで行くのだろう、とバドレックスが思ったところで、ロアが「あった!」と叫びおもむろに走り出した。 確かに、遠出ではあるが割と近場だ。
「ほら、ここですよ!」
「わあ......!!」
「......ほう」
森を抜けたその時。 ヒョウセツの目には確かな喜び、バドレックスの目には小さな驚きが浮かんだ。
そこにあったのは、白い花で覆い尽くされた小さな花畑。 5枚の花弁を持つ小さな大勢の花達が可憐に揺れていた。 めいっぱい開かれた花達が月の光を求め夜空を見上げ、時に風はそんな花弁を更に上へとさらっていく。 その一連の流れはやけにゆっくりで、まるでここだけ時間の流れが遅くなっているようだった。
しかしこれだけと思う勿れ。 これは、ただの白い花というわけではないらしい。
「......綺麗ですね。 微かに虹色がかっている」
「うんうん、そうなんだよ! 不思議でしょ?」
「何?」
バドレックスはヒョウセツ達に続き、まじまじとその白い花に目を凝らした。 確かにそうだ。 白い花弁は、微かにではあるが虹色に艶めいていた。 風で花弁が動く度、艶めく部分も刻一刻と変化する。 「これは見ていて飽きませんね」と、ヒョウセツは嬉しそうに言った。 バドレックスもそれに頷き、「確かに綺麗だ」と続く。
「にしてもロア、こんな穴場よく知っていましたね」
「へへへ、昔から探検が趣味で......これも、お昼に散歩した時に見つけたんだ。 その時もお花が虹色にきらきら輝いてて、綺麗だったんだよ」
「へぇ......。 バドレックスは、ここを知っていたんですか?」
「いや、初めてだ。 何せ、色々と......」
手一杯でな。 そう言おうとして、彼は言葉を呑み込んだ。 また弱みを見せるところだったと、ひやひやした感情が心を覆う。
さて、それはさておき、彼にとってもこんな場所が近場にあることは驚くべき事だった。 この近辺にも知らないことが多くあるのだと改めて実感するし、そして興味深くもあった。 この花の光り方。 恐らく、太陽の光に起因したものだろう。 となると、似ているもので浮かぶのは1つしかない。
「......虹色水晶、みたいだな」
「え?」
「何ですか、その虹色水晶とやらは?」
「うっ......それはだな」
ヒョウセツとロアは、その何気ない言葉に目ざとく反応する。 どうやら、この花が1人と1匹の知的探究心を加速させたらしい。 年齢関係なく目を輝かせて顔を詰め寄らせる彼らに、バドレックスは一瞬狼狽しながらも説明を始めた。
「丁度、この花に似た性質を持つ水晶があるのだよ。 別に必ずしも太陽だけに限った話ではないが、光を浴びると虹色に輝くのだ。 ──ほら、あっちに山があるだろう?」
バドレックスが近くにそびえる大きな山を指さす。 1人と1匹もそちらを見上げた。 山頂辺りにだけ雲がかかっていて、上部の様子は読み取れない。
「......そういえば、ありますね。 あまり普段は気に留めていませんでしたが」
「まあ、話す気も無かったからな。 あれは虹色聖山。 あそこの頂上に虹色水晶はあるのだ」
「へぇ......行ってみたいなぁ」
興味津々なロアに対して、バドレックスは少し残念そうに首を振る。
「残念だが、それは駄目だ。 というか、元々余所者にあの山について教えるつもりはなかったのだ。 虹色水晶はとても神聖なもの。 よって、それを守るあの山には簡単に立ち入るべきではないのだ」
「なるほど、だから聖山なのですね......こればかりは仕方ないですね、ロア。 この場所のポケモンにとっての宝物ですもの」
「うん......」
ロアは少し悲しそうでもあったが、でも納得したのか未練は無さそうだった。 そしてそこで、ヒョウセツがバドレックスに問う。
「バドレックス」
「どうした?」
「元々、わたくし達に教えるつもりはなかったと言いましたよね。 ......それなのに、どうして教えてくれたのですか?」
「その場の流れ......と言っても、お前達は納得しないよな」
「はい」
「そんなはっきり返さずとも......」
バドレックスは1つ息を吐いて、空を見上げた。 そういえば、とふと思う。
......思えば、こうやって誰かと自然に語らうのはいつぶりだっただろうか?
魔狼のことも負の感情の塊のことも、全部抜きにして。 この世界の美しいものに目を凝らして。 いつからだろうか? 自分が、まともに笑えなくなったのは。
──自分の犯した「罪」と立ち向かう中で、自身がそれに呑まれそうになってしまったのは?
「そうだな、言うとすれば」
自分の周りにいるのは、決してヒョウセツ達だけじゃない。 慕ってくれるポケモンは沢山いる。 でも何故だろうか。 今隣にいる1人と1匹が、バドレックスにとって最早主従関係や共に戦う相手なんてお堅い言葉では片付けられない「特別」なものに感じられた。
彼らの隣でなら、今ならば、自分の「王」としての姿を少しだけ隅に置いておける。 そんな風に、思えた。
「礼のようなものだ。 余の知らない場所を、教えてくれたお前達へのな」
そこにあったのは、罪悪感も苦しさも抜け落ちたような優しい笑顔。
......信頼できる者と共に「罪」と向き合う力を貯める。 自分には無かった何かを得た彼は、夜空に浮かぶ太陽の恵みを見つめた。
前は自分でその光を掬って取り込んだが、今はその必要すらなかった。
......勝手に、飛び込んでくるようになったのだから。
「バドレックス、もう少し眺めていきませんか? こんな時間、中々取れないでしょうし」
「......そうだな」
バドレックスは静かに頷いた。
そしてその後、彼らは暫くその花畑で時間を過ごした。 ただ話すだけでは飽き足らず、ヒョウセツが心がうずき出したと言ってバドレックスやロアを花畑の中に引き込む。 特にバドレックスは最初は戸惑うばかりだったが、自然に踊り出していた1人と1匹に釣られ、仕方ないという形でその輪に加わる。 踊りといってもその道のプロから見ればあまりに不格好なものだが、その時間はどんな舞踏会にも勝るとも劣らない輝きを放っていた。
そして、誰からともなくこう言った。
──今度もまた、ここにみんなで来られたらそれほど幸せなことはない。
今回ばかりは、誰もがこの言葉に素直に頷いた。 理由は単純で、全員がこの時間を等しく噛みしめていたから。
明日からは、また戦いの日々が戻ってくるだろう。 2匹と1人は、今ある幸せを噛みしめ、そして今だけは不安を忘れ、花の海の中で柔らかに舞った。
どうか、どうか。
こんな最高な日をまた、この手で。
そう願った。 ......ただ、願っていたのだ。
ロアに謝罪をした翌日。 太陽が段々その顔を上げてくるのを見つめながら、バドレックスは木の幹にゆっくりと寄りかかっていた。 待ち時間ぐらいは張り詰めた空気から離れ、自然の空気を吸うのもいいものかもしれない。
自分を鍛えてほしい──ロアのその要望に応えるべく、今日彼は集落の練習場にまで出向いていた。 ここはポケモン達が次なる戦いに備えて鍛錬をする場所で、今日も多くのポケモンがそこで汗を流していた。
「あ、バドレックス様!」
「おお、ロア──」
集合時間丁度5分前。 ポケ混みの中からロアがその姿を現す。 バドレックスはその声に釣られて振り向くが──
......その瞬間、彼は少し苦い表情を見せる。 その理由は単純明快。
(なんで、お前もいるんだ??)
そう、何故なら彼の隣にヒョウセツが何食わぬ顔で保護者然として立っていたからだ。 にこにこと、それが元々自然な流れであったかのように。
「おはようございます、今日はよろしくお願いします......!」
「ああ、よろしく頼む。 ......にしてもヒョウセツ。 何故お前がいる?」
「あら、いけませんか? わたくしも薙刀の鍛錬があるのと、ロアに道案内をしたかったので来たのですけど」
「いや、そういう訳ではないが......」
「......つまり、わたくしの付き添いがなくても2匹だけで問題ないということですか。 しっかり仲直り、出来たのですね」
バドレックスが口ごもっていると、ロアは「えへへ......」と少し恥ずかしそうに笑う。 これだけでもう彼女には十分理解できたようで、ヒョウセツが悪戯な目線をバドレックスに向けた。 その目線に刺された当ポケはため息を吐いた後に頷く。
「まあな。 お前の助言に従ったまでだ」
「ふふ。 別に助言ではありません。 わたくしの思ったことを正直に言っただけです」
「......どこまでも偉そうに言うものだな。 小娘が」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「......ねぇバドレックス様、お姉ちゃん、ボクはどうすればいい?」
少しばかり互いの間に火花が散りだした中、待ちきれないといった様子のロアがおずおずと1匹と1人に問う。 そこでバドレックスは意識を一旦彼の方に向け直し、1つ指示を与える。
「まあ待て。 まずは体力をつけるところからだ。 ......そうだな。 まずは今の状況を把握しよう。 あの木の周りを50周。 出来るか?」
「は、はい!」
そう言ってロアは素直に駆け出していく。 バドレックスが指さした木は、別に何の変哲も無い普通の木だ。 適度に細いし、そんなに走る距離自体は長くはない。
だが、小さなものの周りをぐるぐる回るというのは想像以上に小回りを利かせないといけない。 目が回らないようにもしないといけないし、それでいて周回頻度も多いのだから、周回数を把握しておくためにそれ相応の集中力も求められるだろう。 それを分かっているのかいないのか、彼はただ健気に木の周りを走り続ける。 端から見ると自分の尻尾を追いかけているようで、どこか可愛らしさもあった。 周りで鍛錬していたポケモンも、息抜きと言わんばかりに微笑ましげな表情でその姿を眺めていた。
しかし、それを真っ直ぐ見やる1匹と1人の目線は、その微笑ましさとは別のところに向いていた。
「......あの子供、きっと強くなるな」
「ええ」
1人と1匹は互いに同意する。
汗を流して、息を切らして、たまに足がもつれて。 でもめげずに走り続けて。 そこにあったのは、本当に小さな子供とは思えないぐらいの胆力だった。
見事なものだと、バドレックスは不思議と彼から目を離せなかった。
(明日すらも、黒い霧に閉ざされているような世界だというのに......)
そしてこれだけではない。今からしてみれば、バドレックスとヒョウセツの心が初めて通い合ったのは恐らくこの時だろう。
つい数日前までは全く縁のない1匹の子供だったはずなのに、いつの間にか相容れなかった両者を繋ぐ大事な楔となっている。
「はわぁ......つかれた......」
──まるで、惨憺たる世界に差す一筋の光のような。
「頑張りましたね、ロア。 はい、水です」
「ありがとう......」
「......」
「バドレックス、どうかしました?」
これは偶然か、はたまた運命か。
この子供の前には明るい「未来」が開けている。 バドレックスはそう信じてみることにした。 慎重な自分らしくないとは分かっていても。 このご時世故に、簡単に誰かを信頼することなんてできないと思っていても。
不思議と、信じてみたくなったのだ。 この不思議な子供と、その子を信じる人間のことを。
「なんでもない。 よしロア。 ひとまずお前の状況はわかった。 次は──」
またそれは、バドレックスにとっては大きな変化だった。 ザシアン達を信用していないわけではないが、それとはまた質が違う。 もっと濃くて、もっと堅くて......。
「ようし、がんばるぞ!」
「その意気です、ロア! よし、わたくしも鍛錬をしなければ......!」
......嗚呼、でも。
やはり、それだけでは。
ロアは今からでもみんなを守るために危ないものと戦いたい、と気合い十分な調子だった。 しかし、すぐにその気合いが発揮されるということはなかった。
なにせ、ヒョウセツが来てからというもの、集落のポケモン達の表情が少し明るくなったのだ。 我慢ばかりを強いていた前とは違い、今は少しの息抜きを挟みつつも「こんな時間をもっと長く過ごせるように」とバドレックス達が言葉をかけずとも集団は活気づくようになっていった。 その希望が絶望を遠ざけているのか、負の感情の塊の使者がこちらを襲う機会も減っていた。
だがしかし、一応全くゼロという訳ではない。 希望を見いだしたポケモンを殲滅しようと、虚無は時折影としてこの集落に迫り来る。 丁度、ロアの動きや技も精彩を放ち始めたタイミングだった。
「てやあっ! [かげうち]!!」
「はあっ!!」
進化前ということもあり、一撃必殺で相手を仕留める戦術はロアにはまだ難しい。 そのため、彼は素早い攻撃で相手の動きに隙を与え、そこをヒョウセツが流れるように仕留めていった。 だが忘れてはならないことがある。 この影は倒される度に分裂する。 薙刀で切り裂いただけではとどめを刺すには甚だ不完全だ。 そして、それは他のポケモンにおいても同じ事。
......そこで、バドレックス達伝説ポケモンの出番となる。
「[アストラルビット]!!」
「[メタルバースト]!!」
「[せいなるつるぎ]!!」
3匹の一斉攻撃が、残った虚無を跡形も残らずに消し去る。 こうしてしまえば終わりだ。 今回は幸いにも、誰ひとりとして被害者は出なかった。 戦いを終えたポケモン達が一同に集まり、一時の喜びを分かち合う。
「......がんばれた......」
そして、今回最も大きな喜びを感じていたのは紛れもなくロアだった。 前足が震えだしていたが、戦いの最中は全く怯える素振りもなく戦い抜いていた。
しかし決してそれだけではなく、ヒョウセツ以外の他のポケモンの補助に回れる程の機動力を発揮してくれたのだ。 影に呑み込まれる者がいなかったのは、このサポートによる恩恵が大きかったためだろう。 初陣としてはあまりに大きい成果をあげただけに、きっと疲れがこのタイミングで一気にきたのだ。
そんな勇敢な彼のことを、ヒョウセツはすかさず褒め称える。
「ロア、やりましたね!」
「うん......! お姉ちゃん、ボクやれたよ!」
「ええ、素晴らしいことです!」
ヒョウセツの言葉には一切の翳りもなかった。 それは今回彼が無事に戦い抜いたからでもあるし、相手が生身のポケモンではなかったのもある。 ロアが、まだ幼い子供が直接誰かの命を奪わなければならなくなることを彼女は心底危惧していたようで、それが起こらなかったことに安堵もしているようだった。
「あっ......バドレックス!」
その勢いそのままに、彼女は少女の面影を残した無邪気な声を発してバドレックスのところに駆け寄る。 だが。
「......」
バドレックスは反応を見せない。 無表情のまま、その場に静かに浮いている。
「バドレックス!」
「......」
もう一度。 これも反応なし。
「......バドレックス?」
「......」
反応なし。
これはおかしいと、ヒョウセツはついに彼の顔を覗き込んだ。 無理にでもこちらの姿を意識させないと、多分「戻ってこない」だろう。
「あの、バドレックス」
「......あっ、ああ済まない。 どうした?」
ヒョウセツのその声からは、先程までの興奮はとうに消え失せていた。 そしてやっと彼も気づいたようで、声に反応したその目は不自然に見開かれる。 その後浮かべられた笑みは、ヒョウセツやロアがしていたような自然な笑みとは、あまりに対極なものだった。
「......すいません、何か思考の途中でしたか? ロアが無事に戦えたという喜びを、誰かに分かち合いたいと思ったのですが......邪魔だったようですね」
「いや、大丈夫だ。 すぐに反応できず済まないな。 ロアのこともよかった。 初陣ということで心配してはいたが、無事ならば何よりだ。 ......ふぅ」
バドレックスは静かに息を吐いた。 ロアに関する言葉も事務的な雰囲気が漂っていて、どこか心ここにあらずといった調子だ。 ......でも、それもそのはず。
彼の中には1つの疑念が芽生えていたのだ。
「......やはり、妙だな」
「え?」
ぽろりと漏れた疑問に、ヒョウセツは素直に首を傾げた。 しかしバドレックスはそれには気も留めず、もう一度思考を深淵へと沈めていく。
出現の頻度が減ったのは、負の感情の塊の使者だけに限った話ではない。 寧ろ、もう1つの方が話題として挙げるには鮮烈さがあるだろう。
──あの集落の崩壊以降、魔狼は姿を現さなくなった。 この集落の近辺だけではない。 どの地域においても、魔狼による被害の報告は途絶えた。 今まではここまで期間が空くことはなかったのに、と不安を隠せないポケモンもいる。
勿論、被害が出ないのは喜ばしいことだ。 襲い来る虚無の対策だけに時間を割けるのであれば是非ともそうしたいところではある。 しかし、それをただ良いことと捉えて片付けてしまって良いのか。 答えは否である。
仮初めの平和を味わわされているようで、その差し出された甘くも重苦しい味に吐き気がした。
「バドレックス様?」
「っ!」
ヒョウセツより一回り小さい、そして若い声によって、バドレックスの思考はまた引き戻される。 見下ろすとそこにはロアがいた。 ヒョウセツと同じように、心配げにこちらを見つめている。
......これはまずい。 浮かんだひとつの「危機感」のせいで、言葉が彼の口を衝いて出た。
「......済まない、少々疲れているようだな。 お前達は先に戻るといい。 ザシアン達にもそう伝えてくれ」
「えっでも、疲れてるならバドレックス様も──」
「......ならぬ」
ロアの申し出を、バドレックスは強く否定した。 尖った声に、ロアの白い毛皮が一瞬不規則に震える。
「少し、考え事があるのだ。 大丈夫、余もすぐに後を追う。 そしてロア、今日はよく頑張ったな。 夜は思い切り羽を伸ばすと良い」
「は、はい」
そして一転、その尖りはなりを潜め、諭すような言葉がかけられる。子供に恥ずかしい姿を見せることは出来ない──その矜持が、一瞬にして彼の弱みを覆い隠していた。 そう言って去って行くバドレックスの背中を、ロア達は静かに見送るばかり。
......しかし、彼の後ろ姿が見えなくなったところで、ロアはぼそりと呟いた。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「どうしました?」
「お姉ちゃんって、いないはずの誰かの声が聞こえる事ってある?」
「えっ......ない、ですけど」
急に突拍子もない質問を投げつけられ、ヒョウセツは少し困り顔。 だが、ロアの表情はこの上なく真剣だった。
「ボクにはあるよ。 本当にたまになんだけど、喉の辺りがうーってするんだ。 自分じゃない何かが、助けてって言ってるみたいな。 苦しいよって、言ってるみたいな」
「自分じゃない......? そういえば、ロアは霊の力を持つポケモンですよね。 だからでしょうか」
「わかんない。 でも、多分そうじゃないかな......。 それで、思ったんだけど」
冷たい風が、ロアの頬を通り過ぎた。 丁度、バドレックスの去って行った方向に。
「今のバドレックス様の声、ちょっとその声に似てたの」
ロアが見ていたのは、それが隙間風として吹き抜ける、矜持だけでは隠しきれなかった部分だった。
罪なくして配所の月を見る──。
もし彼が今この言葉を知っていたならば、どれだけ強く共感していただろうか。
「......ふぅ、今日は一段と冷えるな」
冬の晩。 バドレックスはザシアン達や愛馬すらも供としてつけず、集落の辺りをうろついていた。 見回りというのも目的としてはあるが、単にこの夜の静けさが彼は好きだったのだ。
夜はいい。 数々の星が点描のように黒い夜空を彩り、絵画のような、でも現実でなければ決して表せないような美しい光景を見せてくれる。 その中にぽつんと漂う月も、また綺麗なものだ。 丁度今日は満月だった。 優しくも確かな光に、バドレックスの抱える不安も少し解けていく。
「......暖かい......ヒョウセツ......」
月の光は、元々太陽のもの。 ふと浮かんだ知識に、彼は昼に共に戦った人間の姿を浮かべずにはいられなかった。 そして、この前交わした会話を思い出す。
(皆の心を照らし導く、唯一無二の輝き。 それがわたくしの目指すものです。 例え過去は変わらずとも、未来はどのようにでも描ける。 わたくしは皆の太陽となって、全員の未来を出来うる限り輝かせたいのです)
(不思議ですね。 最初魔狼がこの世界で生まれたと知った時は、少し怒りすらも感じたのに。 今は、ロアや貴方のことを知って......どちらの世界も、照らしたいと思っている)
彼女の語った言葉は、バドレックスにとってあまりに眩しすぎるものだった。 光に溢れていて、だからこそ自分の影が浮き彫りになって、怖さすらも脳裏に浮かんだ。
......それでも強く感銘を受けたのは、かつては自分の心の底にもそんな熱があったからだろう。
王として民を守ろうと強く思って。 そのために、出来る事全てをしようとして。
......そして。
「......はぁ、馬鹿らしいな」
深く、溜息を吐く。 そして彼は「情けない」自分に向けて呟いた。
何も解決していない現状を嘆いて。
また、彼女の本当の姿を曝け出されても尚、自分自身は彼女と同じ舞台にはまだ立てそうにないこと──重大な「隠し事」を、自分の「罪」を、「汚点」を打ち明けられていないことを強く悔いて。
あの時は本心が拒んでしまったからこそ、強く、より強く。
「......済まない」
罪悪感は、心の闇の源泉から絶え間なく噴き出していく。
今日の昼のことだってそうだ。 考え事をしていたとはいえ、少しぶっきらぼうな対応になってしまったことを、申し訳なくも思った。 そして、それはロアに対しても。 どちらも心配そうな目をこちらに向けてくれていたのに。
彼女が喜びを分かち合いにこちらに走ってくるなんて、今までそうなかったことなのに。
──いや。 そもそも。
元々、そんな喜びを分け合える資格など無いのか。
「済まない、本当に済まない」
その声は徐々に大きくなっていく。 それは、抑えられない彼の悲しみを表しているようだった。 王としての面影はそこにはなく、そこにいたのはただ何かを心から悔いるポケモンだった。
例えあのふたりを信頼していたとしても、この苦しみは孤独なのだ。 誰かを心から信頼したところで、それだけで心の闇が拭えるわけではない。
これは自分が背負う闇だ。
自分が打ち破らなければならない驚異だ。
自分でしか越えられない壁だ。
そんな強迫観念にも似た感情が、また彼を追い詰めていく。
「......余は」
だが、やはり怖い時はある。 伝説のポケモンとて、王とて、無敵ではないのだから。 恐怖というのは、単純でありかつ強いのだ。 そして、理性を一時的に、もしくは永遠にどこまでも蝕んでいく。
自らの震える手を見つめ、自分が生きていることすらも恨めしいと思った、その時だった。
「何が済まないのですか?」
「っ!?」
聞き慣れた声に、バドレックスは思わず振り向く。 すると、そこには今や見慣れた大小2つの影が。
「......ヒョウセツ、ロア? 何故ここに」
「......ご、ごめんなさい。 ボク達、あの」
「ふふふ。 ロアのお陰です。 元気がないからと、心配していて」
そう、そこにはヒョウセツとロアが立っていたのだ。 どうしてこんな夜更けに、と聞く心の余裕などはどこにもない。 何が何だか分かっていないバドレックスの手を、ヒョウセツが突如握った。
「はっ......な、何をする!?」
「バドレックス。 少し遠出しませんか? とはいっても、大分近場ですけどね」
「遠出?」
ヒョウセツとロアが息ぴったりに頷き、そして彼女はバドレックスの手を勢いよく引いた。
「なに、気分転換ですよ!」
その彼女の声には、またあの少女のような無邪気さが宿っていた。
森を歩いて暫く経った。
先導しているのはロアで、彼は迷いの無い足取りで、その後に続くヒョウセツと彼女に引っ張られているバドレックスを導いている。
一体何処まで行くのだろう、とバドレックスが思ったところで、ロアが「あった!」と叫びおもむろに走り出した。 確かに、遠出ではあるが割と近場だ。
「ほら、ここですよ!」
「わあ......!!」
「......ほう」
森を抜けたその時。 ヒョウセツの目には確かな喜び、バドレックスの目には小さな驚きが浮かんだ。
そこにあったのは、白い花で覆い尽くされた小さな花畑。 5枚の花弁を持つ小さな大勢の花達が可憐に揺れていた。 めいっぱい開かれた花達が月の光を求め夜空を見上げ、時に風はそんな花弁を更に上へとさらっていく。 その一連の流れはやけにゆっくりで、まるでここだけ時間の流れが遅くなっているようだった。
しかしこれだけと思う勿れ。 これは、ただの白い花というわけではないらしい。
「......綺麗ですね。 微かに虹色がかっている」
「うんうん、そうなんだよ! 不思議でしょ?」
「何?」
バドレックスはヒョウセツ達に続き、まじまじとその白い花に目を凝らした。 確かにそうだ。 白い花弁は、微かにではあるが虹色に艶めいていた。 風で花弁が動く度、艶めく部分も刻一刻と変化する。 「これは見ていて飽きませんね」と、ヒョウセツは嬉しそうに言った。 バドレックスもそれに頷き、「確かに綺麗だ」と続く。
「にしてもロア、こんな穴場よく知っていましたね」
「へへへ、昔から探検が趣味で......これも、お昼に散歩した時に見つけたんだ。 その時もお花が虹色にきらきら輝いてて、綺麗だったんだよ」
「へぇ......。 バドレックスは、ここを知っていたんですか?」
「いや、初めてだ。 何せ、色々と......」
手一杯でな。 そう言おうとして、彼は言葉を呑み込んだ。 また弱みを見せるところだったと、ひやひやした感情が心を覆う。
さて、それはさておき、彼にとってもこんな場所が近場にあることは驚くべき事だった。 この近辺にも知らないことが多くあるのだと改めて実感するし、そして興味深くもあった。 この花の光り方。 恐らく、太陽の光に起因したものだろう。 となると、似ているもので浮かぶのは1つしかない。
「......虹色水晶、みたいだな」
「え?」
「何ですか、その虹色水晶とやらは?」
「うっ......それはだな」
ヒョウセツとロアは、その何気ない言葉に目ざとく反応する。 どうやら、この花が1人と1匹の知的探究心を加速させたらしい。 年齢関係なく目を輝かせて顔を詰め寄らせる彼らに、バドレックスは一瞬狼狽しながらも説明を始めた。
「丁度、この花に似た性質を持つ水晶があるのだよ。 別に必ずしも太陽だけに限った話ではないが、光を浴びると虹色に輝くのだ。 ──ほら、あっちに山があるだろう?」
バドレックスが近くにそびえる大きな山を指さす。 1人と1匹もそちらを見上げた。 山頂辺りにだけ雲がかかっていて、上部の様子は読み取れない。
「......そういえば、ありますね。 あまり普段は気に留めていませんでしたが」
「まあ、話す気も無かったからな。 あれは虹色聖山。 あそこの頂上に虹色水晶はあるのだ」
「へぇ......行ってみたいなぁ」
興味津々なロアに対して、バドレックスは少し残念そうに首を振る。
「残念だが、それは駄目だ。 というか、元々余所者にあの山について教えるつもりはなかったのだ。 虹色水晶はとても神聖なもの。 よって、それを守るあの山には簡単に立ち入るべきではないのだ」
「なるほど、だから聖山なのですね......こればかりは仕方ないですね、ロア。 この場所のポケモンにとっての宝物ですもの」
「うん......」
ロアは少し悲しそうでもあったが、でも納得したのか未練は無さそうだった。 そしてそこで、ヒョウセツがバドレックスに問う。
「バドレックス」
「どうした?」
「元々、わたくし達に教えるつもりはなかったと言いましたよね。 ......それなのに、どうして教えてくれたのですか?」
「その場の流れ......と言っても、お前達は納得しないよな」
「はい」
「そんなはっきり返さずとも......」
バドレックスは1つ息を吐いて、空を見上げた。 そういえば、とふと思う。
......思えば、こうやって誰かと自然に語らうのはいつぶりだっただろうか?
魔狼のことも負の感情の塊のことも、全部抜きにして。 この世界の美しいものに目を凝らして。 いつからだろうか? 自分が、まともに笑えなくなったのは。
──自分の犯した「罪」と立ち向かう中で、自身がそれに呑まれそうになってしまったのは?
「そうだな、言うとすれば」
自分の周りにいるのは、決してヒョウセツ達だけじゃない。 慕ってくれるポケモンは沢山いる。 でも何故だろうか。 今隣にいる1人と1匹が、バドレックスにとって最早主従関係や共に戦う相手なんてお堅い言葉では片付けられない「特別」なものに感じられた。
彼らの隣でなら、今ならば、自分の「王」としての姿を少しだけ隅に置いておける。 そんな風に、思えた。
「礼のようなものだ。 余の知らない場所を、教えてくれたお前達へのな」
そこにあったのは、罪悪感も苦しさも抜け落ちたような優しい笑顔。
......信頼できる者と共に「罪」と向き合う力を貯める。 自分には無かった何かを得た彼は、夜空に浮かぶ太陽の恵みを見つめた。
前は自分でその光を掬って取り込んだが、今はその必要すらなかった。
......勝手に、飛び込んでくるようになったのだから。
「バドレックス、もう少し眺めていきませんか? こんな時間、中々取れないでしょうし」
「......そうだな」
バドレックスは静かに頷いた。
そしてその後、彼らは暫くその花畑で時間を過ごした。 ただ話すだけでは飽き足らず、ヒョウセツが心がうずき出したと言ってバドレックスやロアを花畑の中に引き込む。 特にバドレックスは最初は戸惑うばかりだったが、自然に踊り出していた1人と1匹に釣られ、仕方ないという形でその輪に加わる。 踊りといってもその道のプロから見ればあまりに不格好なものだが、その時間はどんな舞踏会にも勝るとも劣らない輝きを放っていた。
そして、誰からともなくこう言った。
──今度もまた、ここにみんなで来られたらそれほど幸せなことはない。
今回ばかりは、誰もがこの言葉に素直に頷いた。 理由は単純で、全員がこの時間を等しく噛みしめていたから。
明日からは、また戦いの日々が戻ってくるだろう。 2匹と1人は、今ある幸せを噛みしめ、そして今だけは不安を忘れ、花の海の中で柔らかに舞った。
どうか、どうか。
こんな最高な日をまた、この手で。
そう願った。 ......ただ、願っていたのだ。