第5話 再戦
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指定された決戦日時は、リーグ登録受付締切の……三日前。
リーグを捨てているのではないかと、他のトレーナーは一笑に付す話だろうが、当人同士で交わされた重大な約束には他言を挟ませない事情がある。
閉鎖を控えたジムで、公式戦フルバトルの実施。
協会の黙認を逆手に取った行為にどれだけの意味があるのか。もはやバトルフィールドに立つふたりにしか分からない。
「……来た」
ベンチに腰掛けるカグラの一言が、まばらな視線を揃える。
「おはよう。よく眠れたか」
「準備万端、体力満タンです」
シオラジムを見渡すと、いくつかの変化が目に入る。
まず、雑然とした荷物類が消え去っている。観客席には、カグラの終着点を見届けに来たかつてのジムリーダーがふたり。
改めて、広大なバトルフィールドを見つめる。
照明の投げかける光に呼応して星々に似た瞬きを返す砂礫が、隙間を埋め尽くすように敷き詰められている。コーナーを隔てる中央線、奥はジムリーダーポジション、手前はチャレンジャーポジションだ。
「ジム、前よりすっきりしましたね」
そう言うナルミ自身もすっきりした調子だ。スタジアムを俯瞰するだけの余裕が身に付いている。
「だろ?」
ナルミから連絡を受けたのち、カグラはジムを全面清掃した。隅から隅までモップをはたき、ペリッパー型のチリトリにゴミを食わせ、窓ガラスの輝きが均一になるよう磨き、事務室に散らばっていたレシートを処分した。
どうせ壊されてしまう定めならば、何も残さない。
白線を踏み越えた者の闘争本能を掻き立て、由緒ある伝統に則り相手の実力を計るためだけに存在する場という、元来の価値を取り戻した。
カグラとナルミがそれぞれ位置につき、確認したサダノリが審判を全うする。
彼とは前日の間に、同僚としての挨拶を交わしておいた。今日は良くも悪くも、情に浸る間など無くなるだろうから。
「始めてくれ」
サダノリが小型のリモコンを操作すると、壁の奥に眠っていた遺物が起動する。観客席側からは、ナルミとカグラの証明写真及び彼らを囲む6つのボールが表示される。フルバトル専用のモニターだ。
「これより、チャレンジャー・ナルミとジムリーダー・カグラによる、ジムバッジを懸けた公式戦を行います。なお、ルールはタイヨクリーグのレギュレーションに準じるものとします。使用ポケモンは六体、どちらかのポケモンが三体戦闘不能になった時点で、十五分のインターバルを取ります。ポケモンの交代はジムリーダー、チャレンジャー双方に認められます。どちらかの六体全てのポケモンが戦闘不能になった時点で試合終了です」
ルールは合意の上、しかしフルバトルならではの要素『交代』が勝敗を分ける。
三体同士のバトルならそれほど交代は影響力を持たないが、六体が行き交う総力戦では有利・不利局面を一気に覆せる。
「ナルミとカグラさんではリーグ経験の差がある」
「そうね。最初のリードはきっとあいつが獲るわ。そこからどれだけ食らいつけるか」
漆黒のシートに腰を据えたセオトとキョーコは、早速予想を立てていた。
カグラとナルミはお互いの構えを確かめ合うように、ボールを投げる。伏せられていたメンバーが双方モニターの明るみに出る。すぐさま挑戦者は目を見開き、敏感に反応した。
「来たわね、……シザリガー」
先発切り込み隊長を務めるのは、ナルミに公式戦初黒星をつけさせたポケモンである。顎を引き、口を一層強く引き結ぶ。
対して、ジムリーダーは夜空よりもどす黒く際限のない天井にも届きそうなほど首の長いポケモンを見定め、ひとりごちる。
「アマルルガか」
カグラは、革靴を叩く霰に目をやる。フィールドには雪が積もり始めた。
「試合開始!」
旗が振り降ろされるのと同時、腕を落としながら気障に指を鳴らす。
「小手調べだ。アクアジェット」
撃ち出された水流に身を翻す。鋏を交差させ、竜巻を纏った爆発力で推進。下腹部に潜り込み、頂点の星から叩きつける。仰け反ったアマルルガはなんとか後足の踏ん張りを利かせて持ち堪え、首を振り降ろし前傾する。たなびく極光の鰭が鱗粉をばらまくように美しい余韻を散らす。
一撃目を許すのは技の性質上、致し方ない。問われるのは次の応手だ。
「アマルルガ、お願い!」
アマルルガはシザリガーを引きつけたまま、菱形の水晶から冷気を吹き出す。白煙はたちまち黒景色を塗り替える。
アマルルガの性質を戦いに応用したのだ。即効性ある氷の壁は、自らを急襲から守る。
鋏が殴りかかるも、大結晶はそう簡単に割れやしない。辺りに冷たく研ぎ澄まされた音が反響し、無力を物語る。勢いに乗ったナルミは片手を振り降ろす。
「でんじは!」
「あなをほる」
額の結晶から紡がれる紫電から判断し、即座にカグラがサインを出す。
指示を受けたシザリガーは鋏で穴を掘り進め、麻痺から逃れた。しかし、いつまでも隠れていては堂々巡りだ。膠着は相手に思考のチャンスを与え、バトルのテンポを削ぐ。逃げる気はない、その証明に次の指示を送り込む。
「クラブハンマーを利用して跳躍」
「もう一度でんじは!」
出現時の隙を狙い撃ちする寸法だろう。
間欠泉さながら打ち上げられるシザリガーは、クラブハンマーによる水圧を生かし、そのままアクアジェットの体勢に移行する。淀みないスムーズな技と技の連結に、ナルミは思わず目を見張り、盾の貫通を許してしまう。
「大丈夫アマルルガ!?」
「りゅうのまい」
「それを待ってた。……アンコール!」
アクアジェットの反動を利用し、竜舞の姿勢を取る。ここでシザリガーのパワーアップを見過ごしてしまえば、バトルの雲行きは怪しくなる。
しかし、ナルミは牽制に成功した。
りゅうのまいは、強化から無双に入る点で優秀な技といえる。対して、アンコールを求められた相手は、期待に応えるべく同じ技を再演する。シザリガーが延々と舞を踊る間、アマルルガは電磁波で動きを固め、吹雪で氷像を模るだろう。
カグラは迷いなくモンスターボールの赤い光線にシザリガーを戻す。普段の公式戦でジムリーダーが交代を駆使することはまず無い。だからこそ即決も映える。
さすがだ、というナルミの感想。
アマルルガは姿に見合った壁となる。ナルミの指示は、前回よりクオリティを上げてきている。
「なるほど、少しは応えてくれそうだ」
モンスターボールを期待で握り締めた。
「行きなっ、マニューラ!」
赤耳を垂らし、頭部で立派な扇を開く。氷柱のように透き通る鉤爪を構えた。
「カグラさんは意図の無いことはしない。気を引き締めて行こうね」
アマルルガは主人の慎重さを言葉尻から感じ、頷く。
しかし、ベテラントレーナーの一手は彼らの想像を覆すほど愚直で、かえって判断を狂わせる。
「マニューラ、突っ走れ!」
冷気溢れる手足をスケート代わりに、疾駆する。影を帯びた残像が走り抜け、今にも肉迫しようとしている。
「で、でんじは!」
それ以外にマニューラのスピードを殺す術が思い浮かばず、焦燥も露わに指示を出した。司令塔の不安はポケモンにも伝播する。バトルを有利に運ぶ決意を新たにしたカグラの方が、優勢なはずのナルミよりも勢いづいていた。
「おまえはひとつの技に頼りすぎだ」
ジムリーダーらしく厳しい叱咤を飛ばし、再び指を打ち鳴らす。
「つららおとしを足場に換えろ!」
冷気を掻き回し、自らの冷気と打ち付けることで氷柱を生成する。予期出来なかったこととはいえ、アマルルガのもたらした天候がマニューラにも好作用を及ぼしてしまった。
紫電が飛び交う地盤を楽々放棄し、次々と氷柱に飛び移るマニューラ。脚力と着地に耐えられず沈んでいく足場になど目も暮れず、ただ標的だけを狙い、射竦める。
アマルルガの鈍重だが冷静な戦法に対し、カグラはスピードアタッカーで脅しをかけ、心理的なリードを奪おうと試みた。策は功を奏し、流れが傾きつつある。
「ふくろだたきを叩き込め」
アマルルガは依然取り巻きの盾に身を任せるが、マニューラに向かってモンスターボールから六匹分のエネルギーが迸り、邪悪な鞭が唸る。結晶は容易く飛散を迎えた。
「ふぶき!!」
直感的に、マニューラをこれ以上見過ごせないとするナルミの焦りは、激情溢れる指示に替わる。
「おまえなら受け切れる。腕を交差させ、顔面を守れ!」
対して、カグラはポケモンを思いやる様子まで指示に浮かばせてみせた。
セオトとキョーコの目には、目まぐるしく、そして掌を返すように呆気なく移り行く戦況こそが、フルバトルの醍醐味であると理解されるだろう。
四方八方から降り注ぐ礫や氷柱の応酬が、マニューラを針の筵に閉じ込める。激痛を耐え凌ぐ中で募る感情は、境遇への憎しみだ。
「マニューラ……痛いか? なら、その技を『うらめ』!」
激しく目を見開き、解放と共に怒りの在処を探す。
アマルルガは一挙にふぶきを繰り出すエネルギーを失った。それもそのはず、一度恨みを受けた技は発動のための気力を削がれるのだ。
「アンコールッ!」
負けじと歯向かうナルミ。しかし、カグラの選択肢では真っ先に除外される指示だ。
「失策だ」
アンコールもまた、うらみによって削り取られてしまう。
技ではない別の指示を出し、マニューラの怒りを鎮静化させるべきだった。
相手を叩き潰す闘志と残忍性を覗かせる今のポケモンに、アマルルガで太刀打ちする術はない。カグラのマジックが逆転劇を呼び覚ます。
「つららおとし、そしてふくろただき!」
氷柱がお返しとばかりに全身へと降り注ぐ。アマルルガは苦渋の表情を浮かべたが、図体の大きさが仇となって回避のしようがない。
なすがまま、されるがまま。
一度不利に立たされると、慌てる癖は抜けていない。まだ「同じ」なのか。
「っ、ステルスロック!」
散り際に不可視の罠を解き放ち、アマルルガは果てた。
今回のフルバトル、一匹目の軍配はマニューラに上がる。
「アマルルガ、戻って。ありがとう」
ナルミは優しくモンスターボールを包み込み、慈愛を込めて礼を述べる。
やはり相手は最強のジムリーダーに違いない。判断・対処速度は一流、挑戦者を翻弄し、時に意外な策を正確な根拠の下に立てる。トレーナースキルと積み上げた歴史の違いが滲み出ていることは無理もなかった。
「凄いな……まだわたしには、あんなバトル出来ないや」
ふと、この先の展開を考え、ぞくりと背筋に嫌なものが走る。
もしも負ければ、リーグは……。
雑念を打ち消そうと、頭を振る。カグラは不審そうに彼女を見ていた。
試合は始まったばかりだ。このバトルを楽しまなければ、申し出を引き受けてくれたカグラに申し訳が立たない。
自分なりのバトルスタイルで。自分なりの思考で。カグラに、打ち勝ってみせる。
そう言い聞かせると、ふっと肩の力みがとれた気がした。
「それでいい」
葛藤を自分で乗り越えようとするナルミに自分を映しながらも、カグラはジムリーダーの本分を意識する。
ナルミを自分のレベルまで引き上げる。シャクドウに言われたジムリーダーの責務を、バトルの中で実行する。カグラが倒したいと思えるトレーナーに、カグラ自身が引っ張り上げる。ここまでこい、と。
「シャンデラ、行くよ!」
「マニューラ、交代だ」
ここは退く。迷いなくカグラがボールを差し向けた、その瞬間……。
「ちいさくなる!」
カグラのボールを握る手が、わずかにぶれた。
「っ、レパルダス、行きな」
気品ある所作でフィールドに降り立つまだら模様のポケモンは、以前ナルミを翻弄した。が、今回は登場早々、ステルスロックによる洗礼を浴びる。
シャンデラの輪郭がみるみる縮小し、視界に写らないほど小さくなる。
カグラはレパルダスにつじぎりを指示。その選択は正しい。何故なら、初撃を当てることで一気に追い詰めなければ、敵の独壇場になってしまうからだ。しかし、一瞬の隙をついたサイズ変動はレパルダスの狙いを逸らさせる。
「クリアスモッグ!」
近付いてきたレパルダスに噴射をお見舞い。雄叫びをあげたレパルダスは一戦目と打って変わって弄ばれる状況だ。
「いいよ! そのままれんごく!」
「ねこのて」
カグラが空気を裂くように右腕を薙ぐ。
ここは、運に懸ける。
手持ちの技どれかをランダムに繰り出す「ねこのて」で相殺を図るが、期待したリターンは得られなかった。レパルダスは業火に包まれ、煤けた体毛に火傷を負う。
初めて作戦が成就したのではないか。ナルミは確かな手ごたえを感じる。
「交代だ。シザリガー、行きな」
ステルスロックの爆風に、カグラはチッ、と舌を鳴らした。
ナルミはシャンデラの前に現れたならずものポケモンを目にして、続投させるか否かを迷う。
ここで考慮すべきは、交代させなかった場合の展開だ。
『ちいさくなる』は、100%の回避を約束する技ではない。たとえ1%でも、攻撃が当たる確率は残される。その中でシザリガーの攻撃力で効果抜群のクラブハンマーをもらえば、シャンデラは呆気なく倒されてしまうだろう。ならば――。
「にほんばれ!」
シャンデラが最後の花火を打ち上げるように、フィールドを照らす。
グラファイトスタジアムには不釣り合いなほど、日照りが温度を上昇させる。カグラは思わず額の汗をぬぐった。
「シャンデラ戻って。ロズレイド行くよ!」
「りゅうのまい」
交代の隙に際して技を使ってきた。ナルミがさっき使った手をそっくりそのまま返される。速度を上げたシザリガーは地中に潜り込む。
「ロズレイド落ち着いて。相手の動きをよく見て」
ロズレイドはブーケを抱えたまま、静止する。仮面の眼を忙しなく動かし、その視線はシザリガーの潜伏を捉える。
「ギガドレイン!」
ロズレイドのマントが拡張し、獲物から養分を吸い尽くす触手が伸びる。スタジアムに四方八方に広がりを見せたそれは、穴ぐらに隠れるシザリガーにもヒットした。
触手に取り込まれ、締め上げられるシザリガーに、カグラは指示を出さない。
その様子を訝しみながらも、ロズレイドは攻撃の手を緩めなかった。
結果、ジャッジが下る。
「シザリガー戦闘不能。ロズレイドの勝ち!」
「やったぁ!!」
ナルミがガッツポーズと共に叫ぶ。
お互いに一体ずつ失った局面は、気が遠くなるほどの先を連想させる。しかし、シザリガーをここで倒したことは、単なるイーブン以上の意味をナルミにとって与える。
カグラはシザリガーを戻し、軽く労いの声をかけた。
「安心しろ、まだプランは崩れちゃいない」
不穏な響きをはらんで。
「レパルダス、行きな」
ナルミは喜びも束の間、すぐ現実に引き戻される。次なる刺客はレパルダス、しかし手負いの身だ。冷静に展開すればリードをとれる。
しかし、レパルダスはまるでやる気を見せずにその場であくびをする。
「やっぱり……」
ナルミは今度こそ警戒を怠らなかった。
レパルダスの『いたずらごころ』から来る変化技の応酬。
「でも、それはもう対策済み。ロズレイド、自分に向かって『なやみのタネ』!」
「ほう」
カグラが声を漏らす。
ロズレイドはなんと、ブーケからタネを自身に植え付ける。
「これでロズレイドの特性は『ふみん』に変わる。あくびは効かない!」
人差し指を突き付け宣言するナルミに呼応するがごとく、ロズレイドは眼をしっかりと開いている。時間差で効いてくる『あくび』も、元々の不眠体質には効果を為さない。うまい抜け道を潜り抜け、カグラの策略を凌いだ。
「だが、レパルダスに撃つ前にそれを見せたのは甘かったな。ちょうはつしてやれ」
手を明かせば当然、カグラも対処してくる。レパルダスの特性を『いたずらごころ』から『ふみん』に変えることも出来たが、レパルダスに撃たなかった以上、もうその選択は潰えた。
例にもれず、ロズレイドも挑発の餌食となる。
「ギガドレイン!」
「つじぎりで触手を刈り取れ」
接近戦にも秀でるレパルダスだが、火傷を喰らったことにより、切れ味が鈍っている。
「防ぎ切れないか……。なら、ねこのてだ」
レパルダスは『ねこのて』により、仲間の有する特殊攻撃のひとつ・バークアウトを繰り出す。これならば、火傷による攻撃力の低下、爪の鈍化も影響を受けない。レパルダスの咆哮は、触手を粉砕する。
ロズレイドとレパルダスが息を切らし、両者ともに睨み合う。
「もう、しぶとい……ッ!」
「しぶとくて結構。それこそが悪の真骨頂だ」
カグラは腕時計に目配せをする。
その瞬間、ナルミがカッと目を見開いた。
「今よ、『ウェザーボール』!」
「レパルダス、かわせ!」
ロズレイドが自身の身を削りながら、巨大な火球を生み出す。
火球の肥大化に伴い、フィールドを照らす太陽は消滅を迎えた。
レパルダスは身軽な痩身を操りこれをかわすかに見えたが――。
回避先から襲い来る、ムチ。
スタジアム一帯を薙ぎ払うような勢いある一撃がレパルダスの腹部に命中し、火球に打ち込まれ、成す術も無く燃やし尽くされる。
「レパルダス戦闘不能。ロズレイドの勝ち!」
バトルが動き出した。
「おまえ、オレの『視線』を読んだな?」
カグラが眼を剥き、詰問する。
「……はい」
ウェザーボール搭載は想定の範囲内だった。それはシャンデラがわざとフィールドを晴れ状態にしてきた辺りから勘付いたことだ。だから搦め手で時間を稼いだが、ナルミはカグラというトレーナーの性質を理解していたからこそ、目線にまで気を配った。あともう少し 反応が遅れていたら、一勝はカグラとレパルダスに傾いていただろう。最初のバトルのテーマであった『時間』への解答は、これで返したことになる。
「カグラさんが一番嫌った展開は、シャンデラに『ちいさくなる』を積まれて手がつけられない状況になること。ですよね?」
カグラはパチリ、と腕時計のロックを外す。まるでもう使う必要がない、と言わんばかりに。そしてポケットに仕舞い込む。
雰囲気が変わった。ナルミは息を呑む。
「正解だ。シャンデラを流すため、一旦シザリガーを差し向けた」
カグラの狙い通り、ロズレイドは【なやみのタネ/ギガドレイン/ウェザーボール】と3つまで技が割れた。
「フルバトルが普通のバトルと違うのは、チームで一勝を勝ち取る必要があるってことだ。時には捨てる決断も問われる」
リアリストのカグラらしい意見である。
確かに、フルバトルで全てのポケモンに平等な勝ち星を与えることは不可能に近い。撃墜数では差が生じるし、中には活躍出来ず一瞬で退場してしまうポケモンもいる。だが、それでも構わない。バトンを次に繋ぐことが出来たのなら、それは立派な戦果を挙げた、と言えるから。
その発言こそが、ポケモンリーグにまで勝ち上がったカグラというトレーナーの実力を証明していた。勝ったのはナルミ側なのに、未だ底の知れない空気をひしひしと感じさせる。
カグラはまだ、本気を出していない。撃墜2は、ボーナスと思った方がいい。
「行きな、ミカルゲ」
次なる刺客を差し向けるや否や、耳にするだけであらゆる不安を喚起するような歌声が建物内に反響する。
「ほろびのうた」が炸裂した。互いのポケモンは数分後に力尽きてしまう。
カグラの脳内では、いくつかの選択肢が瞬時にせめぎ合う。
マニューラはステルスロックがあるから出したくない。アイツはまだとっておきたい。ならワルビアルだ。
「ステルスロックが邪魔だな」
登場早々、カグラの命により、サイドに潜伏する罠(ステルスロック)を砂嵐で粉々に打ち砕く。これにはナルミも度肝を抜かれた。
「カグラさんは、こっちが考えもしないような手を使ってくる……」
「ふー、これで邪魔はなくなった」
口笛のようにヒュッとか細い息を吐く。獰猛な目つきを浮かべて。
今、両者を阻むのは砂嵐の壁。ならば、接近戦は不利だ。空中戦に持ち込めるカイリューに交代すべき、と判断を下す。
ドラゴンタイプの皮膚は聖なる鱗で覆われており、中でもカイリューという種族特有の鱗は、弱点の攻撃さえ寄せ付けない。
砂嵐を掻い潜り、急降下。ドラゴンダイブの体勢に入り、飛翔は鋭角を描く。
「その挙動、頂くぜ」
パチン、と指を鳴らす。咄嗟にワルビアルはカイリューと同じ構えをとった。あの技は紛れもなく。
「ドラゴンダイブ!?」
ドラゴンダイブ返し、効果は抜群だ。マルチスケイルが衝撃を弱めなかったら、危なかった。
「続けざまにじしん」
カグラたちは追撃の手を緩めない。
抉り取られるスタジアム。砂嵐が残骸という残骸を巻き上げ、攻撃を畳みかける。その様は、疑似ストーンエッジと称しても何ら違和感が無い。
「かわらわりで全部撃ち落として!」
エッジに引き裂かれるマルチスケイル。ドラゴンの鎧を、少しずつだが着実に剥がしていく。
カグラはここで一旦、ナルミの挙動に注意を払う。右手の不穏な動きを見逃すまい。視線はモンスターボールをとらえた。
「くろいまなざし」
ワルビアルのサングラスに隠れた双眸が一層黒みを帯びた気がした。カイリューは射竦められ、正面の敵を倒すまで逃げられなくなる。
「だったら受けて立とうじゃない」
砂嵐に巻き込まれながら、しかし、その回転に反発が加わる。内部から引き起こされる逆回転の暴風は、砂嵐を消し去った。竜巻はワルビアルを巻き込み肥大化し、スタジアムへと叩きつける。
勝負ありか。審判が旗を揚げるか迷う。
しかし、起き上がったワルビアルの眼は、審議の根拠を根本から瓦解させた。
赤く血走った眼光。カグラの笑み。そこから導き出される答え。
「ワルビアルのいかりのつぼを刺激しちまったようだな。撃ち落とせ!」
カイリューは岩石の投擲を受けて翼を強制的に畳まれ、落下の一路を辿る。
「これでドラゴンダイブは封じた」
ワルビアルの破滅的で無秩序な攻撃に対し、朦朧とした意識のもと、かわらわりで応戦する、が……。さきどりを叩きこまれ、今度こそ戦闘不能に陥る。
――対処出来なかった。
いや、正確に言えば、対処させなかったのだ。
フィールドでカイリューが舞える状況を一度も作らせなかった。常に攻撃を続け、ナルミに対処させるよう仕向けたことに気付き、背筋が凍る。
怒りのツボを触発されたことで、全神経が戦闘に特化し、鬼神のごとく全抜きを試みる。
犠牲者に選ばれたロズレイドは、宿木の種を仕込んだムチを振るう。軽やかに足元を払い除け、技を撃たせる隙を与えない。
「撃ち落とせ!」
四つん這いで岩石を吐き出す。しかし、ムチによって絡め取られた岩には宿木が寄生する。ラリーさながら相手コートに打ち返された それは、ワルビアルの口内をこじ開け、丁度顎の形に収まる。
「怯むな、さきどりだ」
ワルビアルがさきどり、つまり盗み取る技の対象に選んだのは、レパルダスを追い詰めたウェザーボールだった。
口内でエネルギーを充填することにより、岩石ごと破壊してしまう。身体中に宿木を絡めながらも襲い掛かるその様は常軌を逸する戦いぶりだった。
そんな鬼を、仮面の貴公子は、華麗に刺し返す。
茨の先端が突き刺さり、悲鳴をあげる。何が何でもここで倒し切るという覚悟は、挑戦側のポケモンもとっくに備えている。
「ワルビアル、戦闘不能」
バトルを荒らした鬼神は、事切れたように制止し、動かなくなった。
タイミング良く、審判からインターバルが告げられる。
チャレンジャー・ナルミの残りポケモンは四体(デンリュウ・ニョロトノ・ロズレイド・シャンデラ)。対して、ジムリーダー・カグラは三体(マニューラ・ミカルゲ・?)。ルールに則り、片方のポケモンが半分になった時点で、バトルは後半戦のための準備に移る。
この結果は、キョーコやセオトもさすがにイメージに無かったようで、モニターを見つめたまま言葉を発さない。
もう、素直に認めざるを得ないだろう。カグラはナルミと本気で向かい合っている。その上で、最強に食らいついていると。
カグラを倒すため、彼女とて限られた時間で出来ることを行い、雪辱を果たすために心血を注いできた。
カグラはスタジアム上のトレーナーと会話する。
「チャレンジャー。ここまでのバトル、見事だ。これが3vs3ならバッジを進呈している」
それはこれまでのカグラならば到底贈らなかったであろう賛辞だ。
バトルを介して、ふたりのすれ違っていた想いが重なりつつあるのを、ふたりは感じ取っていただろう。
「オレは、まだまだ戦い足りねえ! そうだろ!?」
ジムリーダーを退く前にまだやり残したことがあると、彼女のおかげで気付いた。たったひとつの我儘を通させてくれ。
願わくば、この想いにもっともっと応えて欲しい。
「……わたしも、もっとバトルしたいです! 本気のカグラさんに勝ちたい!」
その言葉をこそ、待っていた。
顔面があくタイプの使い手に遜色ない不敵な笑みで吊り上がる。
カグラは「傍観者」に告げた。
「出番だ」
ようやく、か。待ちわびたぞ。
出陣の声がかかるなど、何時ぶりだろう。
「腕は鈍ってねぇだろうな?」
白き悪魔が傍らをゆっくり通り過ぎる。
減らず口が。磨き抜いた技を見てからものを言えと、そう告げているようだった。
リーグを捨てているのではないかと、他のトレーナーは一笑に付す話だろうが、当人同士で交わされた重大な約束には他言を挟ませない事情がある。
閉鎖を控えたジムで、公式戦フルバトルの実施。
協会の黙認を逆手に取った行為にどれだけの意味があるのか。もはやバトルフィールドに立つふたりにしか分からない。
「……来た」
ベンチに腰掛けるカグラの一言が、まばらな視線を揃える。
「おはよう。よく眠れたか」
「準備万端、体力満タンです」
シオラジムを見渡すと、いくつかの変化が目に入る。
まず、雑然とした荷物類が消え去っている。観客席には、カグラの終着点を見届けに来たかつてのジムリーダーがふたり。
改めて、広大なバトルフィールドを見つめる。
照明の投げかける光に呼応して星々に似た瞬きを返す砂礫が、隙間を埋め尽くすように敷き詰められている。コーナーを隔てる中央線、奥はジムリーダーポジション、手前はチャレンジャーポジションだ。
「ジム、前よりすっきりしましたね」
そう言うナルミ自身もすっきりした調子だ。スタジアムを俯瞰するだけの余裕が身に付いている。
「だろ?」
ナルミから連絡を受けたのち、カグラはジムを全面清掃した。隅から隅までモップをはたき、ペリッパー型のチリトリにゴミを食わせ、窓ガラスの輝きが均一になるよう磨き、事務室に散らばっていたレシートを処分した。
どうせ壊されてしまう定めならば、何も残さない。
白線を踏み越えた者の闘争本能を掻き立て、由緒ある伝統に則り相手の実力を計るためだけに存在する場という、元来の価値を取り戻した。
カグラとナルミがそれぞれ位置につき、確認したサダノリが審判を全うする。
彼とは前日の間に、同僚としての挨拶を交わしておいた。今日は良くも悪くも、情に浸る間など無くなるだろうから。
「始めてくれ」
サダノリが小型のリモコンを操作すると、壁の奥に眠っていた遺物が起動する。観客席側からは、ナルミとカグラの証明写真及び彼らを囲む6つのボールが表示される。フルバトル専用のモニターだ。
「これより、チャレンジャー・ナルミとジムリーダー・カグラによる、ジムバッジを懸けた公式戦を行います。なお、ルールはタイヨクリーグのレギュレーションに準じるものとします。使用ポケモンは六体、どちらかのポケモンが三体戦闘不能になった時点で、十五分のインターバルを取ります。ポケモンの交代はジムリーダー、チャレンジャー双方に認められます。どちらかの六体全てのポケモンが戦闘不能になった時点で試合終了です」
ルールは合意の上、しかしフルバトルならではの要素『交代』が勝敗を分ける。
三体同士のバトルならそれほど交代は影響力を持たないが、六体が行き交う総力戦では有利・不利局面を一気に覆せる。
「ナルミとカグラさんではリーグ経験の差がある」
「そうね。最初のリードはきっとあいつが獲るわ。そこからどれだけ食らいつけるか」
漆黒のシートに腰を据えたセオトとキョーコは、早速予想を立てていた。
カグラとナルミはお互いの構えを確かめ合うように、ボールを投げる。伏せられていたメンバーが双方モニターの明るみに出る。すぐさま挑戦者は目を見開き、敏感に反応した。
「来たわね、……シザリガー」
先発切り込み隊長を務めるのは、ナルミに公式戦初黒星をつけさせたポケモンである。顎を引き、口を一層強く引き結ぶ。
対して、ジムリーダーは夜空よりもどす黒く際限のない天井にも届きそうなほど首の長いポケモンを見定め、ひとりごちる。
「アマルルガか」
カグラは、革靴を叩く霰に目をやる。フィールドには雪が積もり始めた。
「試合開始!」
旗が振り降ろされるのと同時、腕を落としながら気障に指を鳴らす。
「小手調べだ。アクアジェット」
撃ち出された水流に身を翻す。鋏を交差させ、竜巻を纏った爆発力で推進。下腹部に潜り込み、頂点の星から叩きつける。仰け反ったアマルルガはなんとか後足の踏ん張りを利かせて持ち堪え、首を振り降ろし前傾する。たなびく極光の鰭が鱗粉をばらまくように美しい余韻を散らす。
一撃目を許すのは技の性質上、致し方ない。問われるのは次の応手だ。
「アマルルガ、お願い!」
アマルルガはシザリガーを引きつけたまま、菱形の水晶から冷気を吹き出す。白煙はたちまち黒景色を塗り替える。
アマルルガの性質を戦いに応用したのだ。即効性ある氷の壁は、自らを急襲から守る。
鋏が殴りかかるも、大結晶はそう簡単に割れやしない。辺りに冷たく研ぎ澄まされた音が反響し、無力を物語る。勢いに乗ったナルミは片手を振り降ろす。
「でんじは!」
「あなをほる」
額の結晶から紡がれる紫電から判断し、即座にカグラがサインを出す。
指示を受けたシザリガーは鋏で穴を掘り進め、麻痺から逃れた。しかし、いつまでも隠れていては堂々巡りだ。膠着は相手に思考のチャンスを与え、バトルのテンポを削ぐ。逃げる気はない、その証明に次の指示を送り込む。
「クラブハンマーを利用して跳躍」
「もう一度でんじは!」
出現時の隙を狙い撃ちする寸法だろう。
間欠泉さながら打ち上げられるシザリガーは、クラブハンマーによる水圧を生かし、そのままアクアジェットの体勢に移行する。淀みないスムーズな技と技の連結に、ナルミは思わず目を見張り、盾の貫通を許してしまう。
「大丈夫アマルルガ!?」
「りゅうのまい」
「それを待ってた。……アンコール!」
アクアジェットの反動を利用し、竜舞の姿勢を取る。ここでシザリガーのパワーアップを見過ごしてしまえば、バトルの雲行きは怪しくなる。
しかし、ナルミは牽制に成功した。
りゅうのまいは、強化から無双に入る点で優秀な技といえる。対して、アンコールを求められた相手は、期待に応えるべく同じ技を再演する。シザリガーが延々と舞を踊る間、アマルルガは電磁波で動きを固め、吹雪で氷像を模るだろう。
カグラは迷いなくモンスターボールの赤い光線にシザリガーを戻す。普段の公式戦でジムリーダーが交代を駆使することはまず無い。だからこそ即決も映える。
さすがだ、というナルミの感想。
アマルルガは姿に見合った壁となる。ナルミの指示は、前回よりクオリティを上げてきている。
「なるほど、少しは応えてくれそうだ」
モンスターボールを期待で握り締めた。
「行きなっ、マニューラ!」
赤耳を垂らし、頭部で立派な扇を開く。氷柱のように透き通る鉤爪を構えた。
「カグラさんは意図の無いことはしない。気を引き締めて行こうね」
アマルルガは主人の慎重さを言葉尻から感じ、頷く。
しかし、ベテラントレーナーの一手は彼らの想像を覆すほど愚直で、かえって判断を狂わせる。
「マニューラ、突っ走れ!」
冷気溢れる手足をスケート代わりに、疾駆する。影を帯びた残像が走り抜け、今にも肉迫しようとしている。
「で、でんじは!」
それ以外にマニューラのスピードを殺す術が思い浮かばず、焦燥も露わに指示を出した。司令塔の不安はポケモンにも伝播する。バトルを有利に運ぶ決意を新たにしたカグラの方が、優勢なはずのナルミよりも勢いづいていた。
「おまえはひとつの技に頼りすぎだ」
ジムリーダーらしく厳しい叱咤を飛ばし、再び指を打ち鳴らす。
「つららおとしを足場に換えろ!」
冷気を掻き回し、自らの冷気と打ち付けることで氷柱を生成する。予期出来なかったこととはいえ、アマルルガのもたらした天候がマニューラにも好作用を及ぼしてしまった。
紫電が飛び交う地盤を楽々放棄し、次々と氷柱に飛び移るマニューラ。脚力と着地に耐えられず沈んでいく足場になど目も暮れず、ただ標的だけを狙い、射竦める。
アマルルガの鈍重だが冷静な戦法に対し、カグラはスピードアタッカーで脅しをかけ、心理的なリードを奪おうと試みた。策は功を奏し、流れが傾きつつある。
「ふくろだたきを叩き込め」
アマルルガは依然取り巻きの盾に身を任せるが、マニューラに向かってモンスターボールから六匹分のエネルギーが迸り、邪悪な鞭が唸る。結晶は容易く飛散を迎えた。
「ふぶき!!」
直感的に、マニューラをこれ以上見過ごせないとするナルミの焦りは、激情溢れる指示に替わる。
「おまえなら受け切れる。腕を交差させ、顔面を守れ!」
対して、カグラはポケモンを思いやる様子まで指示に浮かばせてみせた。
セオトとキョーコの目には、目まぐるしく、そして掌を返すように呆気なく移り行く戦況こそが、フルバトルの醍醐味であると理解されるだろう。
四方八方から降り注ぐ礫や氷柱の応酬が、マニューラを針の筵に閉じ込める。激痛を耐え凌ぐ中で募る感情は、境遇への憎しみだ。
「マニューラ……痛いか? なら、その技を『うらめ』!」
激しく目を見開き、解放と共に怒りの在処を探す。
アマルルガは一挙にふぶきを繰り出すエネルギーを失った。それもそのはず、一度恨みを受けた技は発動のための気力を削がれるのだ。
「アンコールッ!」
負けじと歯向かうナルミ。しかし、カグラの選択肢では真っ先に除外される指示だ。
「失策だ」
アンコールもまた、うらみによって削り取られてしまう。
技ではない別の指示を出し、マニューラの怒りを鎮静化させるべきだった。
相手を叩き潰す闘志と残忍性を覗かせる今のポケモンに、アマルルガで太刀打ちする術はない。カグラのマジックが逆転劇を呼び覚ます。
「つららおとし、そしてふくろただき!」
氷柱がお返しとばかりに全身へと降り注ぐ。アマルルガは苦渋の表情を浮かべたが、図体の大きさが仇となって回避のしようがない。
なすがまま、されるがまま。
一度不利に立たされると、慌てる癖は抜けていない。まだ「同じ」なのか。
「っ、ステルスロック!」
散り際に不可視の罠を解き放ち、アマルルガは果てた。
今回のフルバトル、一匹目の軍配はマニューラに上がる。
「アマルルガ、戻って。ありがとう」
ナルミは優しくモンスターボールを包み込み、慈愛を込めて礼を述べる。
やはり相手は最強のジムリーダーに違いない。判断・対処速度は一流、挑戦者を翻弄し、時に意外な策を正確な根拠の下に立てる。トレーナースキルと積み上げた歴史の違いが滲み出ていることは無理もなかった。
「凄いな……まだわたしには、あんなバトル出来ないや」
ふと、この先の展開を考え、ぞくりと背筋に嫌なものが走る。
もしも負ければ、リーグは……。
雑念を打ち消そうと、頭を振る。カグラは不審そうに彼女を見ていた。
試合は始まったばかりだ。このバトルを楽しまなければ、申し出を引き受けてくれたカグラに申し訳が立たない。
自分なりのバトルスタイルで。自分なりの思考で。カグラに、打ち勝ってみせる。
そう言い聞かせると、ふっと肩の力みがとれた気がした。
「それでいい」
葛藤を自分で乗り越えようとするナルミに自分を映しながらも、カグラはジムリーダーの本分を意識する。
ナルミを自分のレベルまで引き上げる。シャクドウに言われたジムリーダーの責務を、バトルの中で実行する。カグラが倒したいと思えるトレーナーに、カグラ自身が引っ張り上げる。ここまでこい、と。
「シャンデラ、行くよ!」
「マニューラ、交代だ」
ここは退く。迷いなくカグラがボールを差し向けた、その瞬間……。
「ちいさくなる!」
カグラのボールを握る手が、わずかにぶれた。
「っ、レパルダス、行きな」
気品ある所作でフィールドに降り立つまだら模様のポケモンは、以前ナルミを翻弄した。が、今回は登場早々、ステルスロックによる洗礼を浴びる。
シャンデラの輪郭がみるみる縮小し、視界に写らないほど小さくなる。
カグラはレパルダスにつじぎりを指示。その選択は正しい。何故なら、初撃を当てることで一気に追い詰めなければ、敵の独壇場になってしまうからだ。しかし、一瞬の隙をついたサイズ変動はレパルダスの狙いを逸らさせる。
「クリアスモッグ!」
近付いてきたレパルダスに噴射をお見舞い。雄叫びをあげたレパルダスは一戦目と打って変わって弄ばれる状況だ。
「いいよ! そのままれんごく!」
「ねこのて」
カグラが空気を裂くように右腕を薙ぐ。
ここは、運に懸ける。
手持ちの技どれかをランダムに繰り出す「ねこのて」で相殺を図るが、期待したリターンは得られなかった。レパルダスは業火に包まれ、煤けた体毛に火傷を負う。
初めて作戦が成就したのではないか。ナルミは確かな手ごたえを感じる。
「交代だ。シザリガー、行きな」
ステルスロックの爆風に、カグラはチッ、と舌を鳴らした。
ナルミはシャンデラの前に現れたならずものポケモンを目にして、続投させるか否かを迷う。
ここで考慮すべきは、交代させなかった場合の展開だ。
『ちいさくなる』は、100%の回避を約束する技ではない。たとえ1%でも、攻撃が当たる確率は残される。その中でシザリガーの攻撃力で効果抜群のクラブハンマーをもらえば、シャンデラは呆気なく倒されてしまうだろう。ならば――。
「にほんばれ!」
シャンデラが最後の花火を打ち上げるように、フィールドを照らす。
グラファイトスタジアムには不釣り合いなほど、日照りが温度を上昇させる。カグラは思わず額の汗をぬぐった。
「シャンデラ戻って。ロズレイド行くよ!」
「りゅうのまい」
交代の隙に際して技を使ってきた。ナルミがさっき使った手をそっくりそのまま返される。速度を上げたシザリガーは地中に潜り込む。
「ロズレイド落ち着いて。相手の動きをよく見て」
ロズレイドはブーケを抱えたまま、静止する。仮面の眼を忙しなく動かし、その視線はシザリガーの潜伏を捉える。
「ギガドレイン!」
ロズレイドのマントが拡張し、獲物から養分を吸い尽くす触手が伸びる。スタジアムに四方八方に広がりを見せたそれは、穴ぐらに隠れるシザリガーにもヒットした。
触手に取り込まれ、締め上げられるシザリガーに、カグラは指示を出さない。
その様子を訝しみながらも、ロズレイドは攻撃の手を緩めなかった。
結果、ジャッジが下る。
「シザリガー戦闘不能。ロズレイドの勝ち!」
「やったぁ!!」
ナルミがガッツポーズと共に叫ぶ。
お互いに一体ずつ失った局面は、気が遠くなるほどの先を連想させる。しかし、シザリガーをここで倒したことは、単なるイーブン以上の意味をナルミにとって与える。
カグラはシザリガーを戻し、軽く労いの声をかけた。
「安心しろ、まだプランは崩れちゃいない」
不穏な響きをはらんで。
「レパルダス、行きな」
ナルミは喜びも束の間、すぐ現実に引き戻される。次なる刺客はレパルダス、しかし手負いの身だ。冷静に展開すればリードをとれる。
しかし、レパルダスはまるでやる気を見せずにその場であくびをする。
「やっぱり……」
ナルミは今度こそ警戒を怠らなかった。
レパルダスの『いたずらごころ』から来る変化技の応酬。
「でも、それはもう対策済み。ロズレイド、自分に向かって『なやみのタネ』!」
「ほう」
カグラが声を漏らす。
ロズレイドはなんと、ブーケからタネを自身に植え付ける。
「これでロズレイドの特性は『ふみん』に変わる。あくびは効かない!」
人差し指を突き付け宣言するナルミに呼応するがごとく、ロズレイドは眼をしっかりと開いている。時間差で効いてくる『あくび』も、元々の不眠体質には効果を為さない。うまい抜け道を潜り抜け、カグラの策略を凌いだ。
「だが、レパルダスに撃つ前にそれを見せたのは甘かったな。ちょうはつしてやれ」
手を明かせば当然、カグラも対処してくる。レパルダスの特性を『いたずらごころ』から『ふみん』に変えることも出来たが、レパルダスに撃たなかった以上、もうその選択は潰えた。
例にもれず、ロズレイドも挑発の餌食となる。
「ギガドレイン!」
「つじぎりで触手を刈り取れ」
接近戦にも秀でるレパルダスだが、火傷を喰らったことにより、切れ味が鈍っている。
「防ぎ切れないか……。なら、ねこのてだ」
レパルダスは『ねこのて』により、仲間の有する特殊攻撃のひとつ・バークアウトを繰り出す。これならば、火傷による攻撃力の低下、爪の鈍化も影響を受けない。レパルダスの咆哮は、触手を粉砕する。
ロズレイドとレパルダスが息を切らし、両者ともに睨み合う。
「もう、しぶとい……ッ!」
「しぶとくて結構。それこそが悪の真骨頂だ」
カグラは腕時計に目配せをする。
その瞬間、ナルミがカッと目を見開いた。
「今よ、『ウェザーボール』!」
「レパルダス、かわせ!」
ロズレイドが自身の身を削りながら、巨大な火球を生み出す。
火球の肥大化に伴い、フィールドを照らす太陽は消滅を迎えた。
レパルダスは身軽な痩身を操りこれをかわすかに見えたが――。
回避先から襲い来る、ムチ。
スタジアム一帯を薙ぎ払うような勢いある一撃がレパルダスの腹部に命中し、火球に打ち込まれ、成す術も無く燃やし尽くされる。
「レパルダス戦闘不能。ロズレイドの勝ち!」
バトルが動き出した。
「おまえ、オレの『視線』を読んだな?」
カグラが眼を剥き、詰問する。
「……はい」
ウェザーボール搭載は想定の範囲内だった。それはシャンデラがわざとフィールドを晴れ状態にしてきた辺りから勘付いたことだ。だから搦め手で時間を稼いだが、ナルミはカグラというトレーナーの性質を理解していたからこそ、目線にまで気を配った。あともう少し 反応が遅れていたら、一勝はカグラとレパルダスに傾いていただろう。最初のバトルのテーマであった『時間』への解答は、これで返したことになる。
「カグラさんが一番嫌った展開は、シャンデラに『ちいさくなる』を積まれて手がつけられない状況になること。ですよね?」
カグラはパチリ、と腕時計のロックを外す。まるでもう使う必要がない、と言わんばかりに。そしてポケットに仕舞い込む。
雰囲気が変わった。ナルミは息を呑む。
「正解だ。シャンデラを流すため、一旦シザリガーを差し向けた」
カグラの狙い通り、ロズレイドは【なやみのタネ/ギガドレイン/ウェザーボール】と3つまで技が割れた。
「フルバトルが普通のバトルと違うのは、チームで一勝を勝ち取る必要があるってことだ。時には捨てる決断も問われる」
リアリストのカグラらしい意見である。
確かに、フルバトルで全てのポケモンに平等な勝ち星を与えることは不可能に近い。撃墜数では差が生じるし、中には活躍出来ず一瞬で退場してしまうポケモンもいる。だが、それでも構わない。バトンを次に繋ぐことが出来たのなら、それは立派な戦果を挙げた、と言えるから。
その発言こそが、ポケモンリーグにまで勝ち上がったカグラというトレーナーの実力を証明していた。勝ったのはナルミ側なのに、未だ底の知れない空気をひしひしと感じさせる。
カグラはまだ、本気を出していない。撃墜2は、ボーナスと思った方がいい。
「行きな、ミカルゲ」
次なる刺客を差し向けるや否や、耳にするだけであらゆる不安を喚起するような歌声が建物内に反響する。
「ほろびのうた」が炸裂した。互いのポケモンは数分後に力尽きてしまう。
カグラの脳内では、いくつかの選択肢が瞬時にせめぎ合う。
マニューラはステルスロックがあるから出したくない。アイツはまだとっておきたい。ならワルビアルだ。
「ステルスロックが邪魔だな」
登場早々、カグラの命により、サイドに潜伏する罠(ステルスロック)を砂嵐で粉々に打ち砕く。これにはナルミも度肝を抜かれた。
「カグラさんは、こっちが考えもしないような手を使ってくる……」
「ふー、これで邪魔はなくなった」
口笛のようにヒュッとか細い息を吐く。獰猛な目つきを浮かべて。
今、両者を阻むのは砂嵐の壁。ならば、接近戦は不利だ。空中戦に持ち込めるカイリューに交代すべき、と判断を下す。
ドラゴンタイプの皮膚は聖なる鱗で覆われており、中でもカイリューという種族特有の鱗は、弱点の攻撃さえ寄せ付けない。
砂嵐を掻い潜り、急降下。ドラゴンダイブの体勢に入り、飛翔は鋭角を描く。
「その挙動、頂くぜ」
パチン、と指を鳴らす。咄嗟にワルビアルはカイリューと同じ構えをとった。あの技は紛れもなく。
「ドラゴンダイブ!?」
ドラゴンダイブ返し、効果は抜群だ。マルチスケイルが衝撃を弱めなかったら、危なかった。
「続けざまにじしん」
カグラたちは追撃の手を緩めない。
抉り取られるスタジアム。砂嵐が残骸という残骸を巻き上げ、攻撃を畳みかける。その様は、疑似ストーンエッジと称しても何ら違和感が無い。
「かわらわりで全部撃ち落として!」
エッジに引き裂かれるマルチスケイル。ドラゴンの鎧を、少しずつだが着実に剥がしていく。
カグラはここで一旦、ナルミの挙動に注意を払う。右手の不穏な動きを見逃すまい。視線はモンスターボールをとらえた。
「くろいまなざし」
ワルビアルのサングラスに隠れた双眸が一層黒みを帯びた気がした。カイリューは射竦められ、正面の敵を倒すまで逃げられなくなる。
「だったら受けて立とうじゃない」
砂嵐に巻き込まれながら、しかし、その回転に反発が加わる。内部から引き起こされる逆回転の暴風は、砂嵐を消し去った。竜巻はワルビアルを巻き込み肥大化し、スタジアムへと叩きつける。
勝負ありか。審判が旗を揚げるか迷う。
しかし、起き上がったワルビアルの眼は、審議の根拠を根本から瓦解させた。
赤く血走った眼光。カグラの笑み。そこから導き出される答え。
「ワルビアルのいかりのつぼを刺激しちまったようだな。撃ち落とせ!」
カイリューは岩石の投擲を受けて翼を強制的に畳まれ、落下の一路を辿る。
「これでドラゴンダイブは封じた」
ワルビアルの破滅的で無秩序な攻撃に対し、朦朧とした意識のもと、かわらわりで応戦する、が……。さきどりを叩きこまれ、今度こそ戦闘不能に陥る。
――対処出来なかった。
いや、正確に言えば、対処させなかったのだ。
フィールドでカイリューが舞える状況を一度も作らせなかった。常に攻撃を続け、ナルミに対処させるよう仕向けたことに気付き、背筋が凍る。
怒りのツボを触発されたことで、全神経が戦闘に特化し、鬼神のごとく全抜きを試みる。
犠牲者に選ばれたロズレイドは、宿木の種を仕込んだムチを振るう。軽やかに足元を払い除け、技を撃たせる隙を与えない。
「撃ち落とせ!」
四つん這いで岩石を吐き出す。しかし、ムチによって絡め取られた岩には宿木が寄生する。ラリーさながら相手コートに打ち返された それは、ワルビアルの口内をこじ開け、丁度顎の形に収まる。
「怯むな、さきどりだ」
ワルビアルがさきどり、つまり盗み取る技の対象に選んだのは、レパルダスを追い詰めたウェザーボールだった。
口内でエネルギーを充填することにより、岩石ごと破壊してしまう。身体中に宿木を絡めながらも襲い掛かるその様は常軌を逸する戦いぶりだった。
そんな鬼を、仮面の貴公子は、華麗に刺し返す。
茨の先端が突き刺さり、悲鳴をあげる。何が何でもここで倒し切るという覚悟は、挑戦側のポケモンもとっくに備えている。
「ワルビアル、戦闘不能」
バトルを荒らした鬼神は、事切れたように制止し、動かなくなった。
タイミング良く、審判からインターバルが告げられる。
チャレンジャー・ナルミの残りポケモンは四体(デンリュウ・ニョロトノ・ロズレイド・シャンデラ)。対して、ジムリーダー・カグラは三体(マニューラ・ミカルゲ・?)。ルールに則り、片方のポケモンが半分になった時点で、バトルは後半戦のための準備に移る。
この結果は、キョーコやセオトもさすがにイメージに無かったようで、モニターを見つめたまま言葉を発さない。
もう、素直に認めざるを得ないだろう。カグラはナルミと本気で向かい合っている。その上で、最強に食らいついていると。
カグラを倒すため、彼女とて限られた時間で出来ることを行い、雪辱を果たすために心血を注いできた。
カグラはスタジアム上のトレーナーと会話する。
「チャレンジャー。ここまでのバトル、見事だ。これが3vs3ならバッジを進呈している」
それはこれまでのカグラならば到底贈らなかったであろう賛辞だ。
バトルを介して、ふたりのすれ違っていた想いが重なりつつあるのを、ふたりは感じ取っていただろう。
「オレは、まだまだ戦い足りねえ! そうだろ!?」
ジムリーダーを退く前にまだやり残したことがあると、彼女のおかげで気付いた。たったひとつの我儘を通させてくれ。
願わくば、この想いにもっともっと応えて欲しい。
「……わたしも、もっとバトルしたいです! 本気のカグラさんに勝ちたい!」
その言葉をこそ、待っていた。
顔面があくタイプの使い手に遜色ない不敵な笑みで吊り上がる。
カグラは「傍観者」に告げた。
「出番だ」
ようやく、か。待ちわびたぞ。
出陣の声がかかるなど、何時ぶりだろう。
「腕は鈍ってねぇだろうな?」
白き悪魔が傍らをゆっくり通り過ぎる。
減らず口が。磨き抜いた技を見てからものを言えと、そう告げているようだった。