第73話:心の迷宮――その2
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
再度、目の前にセナが現れる。穴を通り抜けたヴァイスは気を引き締める。このセナは本物か? それともまた偽物で、さっきのように消えてしまうのか? 正確な判断を下すため、セナをしっかりと見つめた。ヴァイスと目が合うと、セナはすぐに目を伏せる。その悲しげな表情に、ヴァイスの嫌な予感が煽られた。
「みんな。本当にごめんな。オイラの問題に、みんなを巻き込んでしまって……」
消え入りそうな声でそう呟く。ヴァイスたちが言葉を発する前に、さらにセナは続けた。
「ミュウツーがこの世界に、望まずに生まれてしまったのは、オイラのせいなんだ。だから、できればオイラだけで、この問題を解決したかった。でも、オイラにはそんな力も、心の強さもなかった。オイラが弱かったから、結局、すごく危険なことにお前たちを巻き込んでしまった」
しゅんとして頭を下げるセナは、今にも泣き出しそうだった。このセナにも、見覚えがあった。自分が無力であることに打ちひしがれ、自信の欠片もなくなってしまったセナ。弱音を隠して強がることに無理が出て、疲れ果ててしまったセナ。今まで何度も見てきたが、何度見ても、ヴァイスは心を痛めた。
「そんなことないよ、セナ。弱虫なボクを強くしてくれたセナは、すごく強くて優しくて、ボクにとっては羨ましいよ」
「……百歩譲って、オイラが強くて優しい奴だったとする。でも、目的を果たせない中途半端な強さには、意味なんてない」
「セナ。ミュウツーに負けたことが悔しいんだネ」
「もちろん、そうだけど。……でも、ミュウツーに負けたことよりも、結局オイラは弱いまんまで、無力なまんまで。自分なりに頑張って強くなったと思っていたことが、全て無駄だったのが……なんか、虚しくなったって言うか。水輝の命を踏み台にして生きているってのに、オイラは何も守れない。誰の役にも立たない」
止まらないセナの弱音。止まらない砂時計。シアンの右手におさめられたそれは、いよいよ半分以上の砂を落としきっていた。セナの言葉を聞くたびに胸が痛み、耐えられなくなってくる。ヴァイスは必死にセナの言葉を否定する。それが本当にセナのためなのか、それとも自分のための言葉なのか、彼は考える余裕をなくしていた。
「でも、セナ。今ガイアでミュウツーを止められるのは、“心の力”を持ったキミだけなんだよ。キミが一番適任なんだって、ホウオウやスイクンたちにも言われたじゃない。だから、自信持って。キミは世界を守れる力を持っているし、みんなの役に立てるよ」
言葉を口にしながら、心のどこかで、押し付けがましいのは分かっていた。――いつもいつも、そうやってオイラに指図するのやめてくれる? ズキンと胸を駆ける、さっきの“偽物”セナの言葉。思い返すと、ヴァイスはセナの反応が恐ろしくなってしまう。案の定。
「自信を持ったら強くなれるの? 違うだろ。そんなの、オイラが一番良く分かってるんだよ。自信なんて要らない。誰にも迷惑をかけずに戦い抜ける力があれば、それでいいんだ」
「ねえセナ。シアンは、セナと一緒にいるのが楽しいヨ。だから、セナと一緒に戦うことは、迷惑じゃないヨ」
シアンが歩み寄るが、セナはそれを遠ざけるように厳しい言葉を選んだ。
「そんなことが言えるのは、たまたま運良くオイラたちが死ななかったからだろ。これまで何度も、オイラもお前たちも死にかけて、たまたま色んなものに守られて、今生きている。自分がどれだけ危険なことに巻き込まれているのか、お前は理解が足りないんだ。そんなのうてんきな奴に励まされても、嬉しくねぇよ。ただ惨めになるだけだ」
「ご、ごめんネ……」
セナの言葉の余韻が消え、しんと静寂が空間を包む。ホノオは何か言おうと口を開けたが、何も言葉が出てこない。自分はセナをどのように助けたいのか、分からない。だから、この場で使いたい言葉が見つからない。
すっかり縮こまったシアンから目を伏せて逸らしながら、セナはさらに続けた。
「前から時々悩んでいたんだけど、最近になって強く思うようになったんだ。ひょっとしたら、お前たちはオイラに出逢わない方が幸せだったんじゃないかなって。オイラがいなければ、もっと楽しく、平和に暮らしていただろうにって」
「何度も言ったでしょ! ボクはセナに会うまでずっと寂しかったんだ。セナと出逢えたから、一人ぼっちじゃなくなったんだよ! そんなこと言わないで!」
字面だけ見れば、暖かいようにも聞こえる言葉。しかしヴァイスはそれを、投げつけるようにセナに放った。早くしないと。早く……。
「でもオイラに逢わなければ、お前が父さんを探すことはなかったかも知れない。そしたら、父さんが死んだことも知らなくて済んだし、ずっと希望を持ち続けていられたんだぞ。ヴァイスの希望を壊したのも、オイラだ」
「……セナの、嘘つき」
ヴァイスはしっぽの炎を轟々と燃やし、両手を握り締めてセナを睨みつけた。
「もう自分を責めるようなことを言わないって、ボクと約束したじゃない。どうしてセナは、そんな簡単な約束も守れないの? ボクたちが何度もセナを励ましてるのに、どうしてボクらの気持ちを無駄にするの?」
一瞬、ホノオの衝動が煮えたぎる。左手を掲げ一歩ヴァイスに踏み出したところで、遅れて彼の理性が立ち上がり、フッと全身の力が抜けた。ヴァイスの言葉選びは、明らかにセナの心の毒になる。それが腹立たしいが、ヴァイスは今のセナと向き合っている。自分が見捨てる選択を検討している、この6度目の世界のセナと。上手ではなくても、ヴァイスはセナと向き合おうとしている。それに対して、オレは――。
時間がないんだ。きつい言葉をぶつけてしまったが、もしもセナがこれで消えたら、それまでのことだ。このセナも、偽物だったんだ。ヴァイスはそのように、自分の言葉を正当化し始めた。
直後、ヴァイスの想定通り、セナは再び消えた。再び空間に穴が出現した。「偽物か」とつぶやくと、ヴァイスは穴へ向かう。その時。シアンがヴァイスの手を引き、行動を止めた。
「ちょっと待ってヨ、ヴァイス。今日のヴァイス、すごく怖いヨ……」
「えっ?」
自覚がなかっただけに、ヴァイスは戸惑う。必死で自分を客観視する余裕がなかったが、そんなに自分は怖かったのか。確かに多少口調がきつい自覚はあったが、ヴァイスは最低限の配慮の上でセナに言葉を投げかけていたつもりだった。少なくとも、シアンに恐れられることは想定外だった。
「シアンがもしも本物のセナでも、ヴァイスにそんな顔で見られたら怖くて消えたくなっちゃう。いつものセナを取り戻したいなら、いつものヴァイスでいるのが一番なんじゃないカナ?」
この非常事態に、いつもの自分でいること。その難しさを理解すると、ヴァイスは不機嫌そうに頬を膨らませる。シアンじゃないんだから、そんなに単純になれないよ。そんな思いがふつふつと心に巣食う。
しかし。シアンが何か重要そうなことを言っていることは、直感的に理解できる。そもそも、何度も失敗した方法に固執しても、このまま砂が尽きるだけなのかもしれない。そう考えると、ダメもとでも、セナに優しく接してみても良いのかもしれない。
「うーん。分かったよ、シアン。なるべく、セナに優しく話しかけてみるよ」
とにかく、もっと優しくセナに話しかけてみよう。そう心に刻み込んで、ヴァイスはシアンに微笑んでみせた。優しさの意味や必要性を理解する余裕は彼にはない。ただ、作戦の変更が必要であることだけを理解しただけだ。応急処置的な言葉ではあったが、ヴァイスの瞳がやわらかくなった。それを理解すると、シアンはヴァイスの背中を押して穴に飛び込んだ。
後を追う前に、ホノオは立ち止まった。ヴァイスもシアンも、精一杯セナの苦しみを取り除こうと親身になっている。都合の良い優等生として大人にも友達にも頼られてばかりだった瀬那に、対等に向き合ってくれる友達が、この世界にいる。ガイアでセナが負ってしまった罪悪感と、得た友情のかけがえのなさ。秤にかけて、ぐらぐらと揺れて。
セナの幸せはどこにあるのか。
オレは、セナのために、どうしたいのか。
「セナ。ボクたちは、キミが大切な友達だから、ここから戻ってきてそばにいてほしいんだ。強くなくても、役に立とうとか考えなくても、大丈夫だよ」
「そうだヨ。シアンもセナと一緒にいたいだけナノ」
ヴァイスとシアンは、また現れたセナと必死に向き合う。心からの暖かい言葉を彼に伝えるが。
「オイラも、みんなと一緒にいたい気持ちはある。でも、無償で幸せに生きることは、許されない命だから。罪を帳消しにするほどの報いを受けたり、功績を残したりしないといけないんだ。それができる確証がないなら、このまま“生きるのをやめる”べきなんだと思う」
心の迷宮は、逃げ場のない闇に彼の心を幽閉する。セナの思考を暗く誘導する記憶――手痛い失敗や罪の意識が生まれた瞬間だけを、彼の心に流し込む。
「例えキミが納得しなくても、ボクたちは――」
「もう帰ってくれ!!」
目をつむり耳を塞ぎながら、セナは声を荒らげた。強く説得しても、優しく迎え入れようとしても、ダメなのか。セナはもう、戻ってこないのか。また、大切なものを失ってしまうのか……。――どうせいつも通り。これは、ボクのいつも通り。
手放したくないと願って追いかけることが、ヴァイスはどうしようもなく空虚で恐ろしいものと感じてしまった。身体も、心も、力が抜けてしまう。
ヴァイスに最後の一押しをするように、セナは小さな声で語りかけた。
「ありがとう。今まで、こんなオイラに優しくしてくれて。嬉しい時もあった。でも。オイラはみんなの優しさを有意義に使えない。いつも、無駄にしてしまう。だから……痛いだけなんだ、優しくしてもらっても。
今まで何度も、呆れるくらい何度も、みんなに助けてもらった。オイラは弱い自分が大嫌いだったけど、嫌いな自分を少しずつ直して、強くなれたと思ってた。 でも、それも愚かな勘違いだった。オイラは弱いまんまで、みんなに迷惑をかけて、自分のことが大嫌いなまんまなんだ。……何も、進歩していない。
ホウオウたちの期待も無駄にしてしまった。ミュウツーに負けて、多くのポケモンを殺してしまった。そんなオイラに、これ以上の価値を見いだせないんだ。
……この場所は寂しいし、暗い気持ちが晴れなくて、苦しい。でも落ち着くんだ。オイラみたいな奴には、この場所がふさわしいんだ。ずっとここにいて自分を責め続けることが……きっとそれが、オイラが受けるべき罰なんだと思う」
言い切ると、セナはシアンが持つ砂時計に視線を合わせる。
「ガイアに帰りなよ、みんな。ここから出られなくなっちまうだろ。このままじゃ、オイラは途方もない迷惑をみんなにかけることになる。そんなの、絶対に嫌だから」
「ごめん、セナ、みんな! オレ、もう迷わないから!」
「ホノオ!」
力無い声だけが溶け込む無音の空間に、騒々しい声が響く。ホノオが自分なりの結論を見つけて、追いかけてきたのだ。嬉しそうに歓声をあげてシアンが近寄る。その様子に、ヴァイスは乾いた笑いを漏らした。
「遅いよ、今更。もう、手遅れだ」
ヴァイスの視線の先に、ホノオも目を向ける。サッと血の気がひいた。
「あっ……」
一言だけ声が漏れる。砂時計に残された砂が、今にも最後の時を知らせようとしていた。
間に合わなかった。ホノオの視界が一気に真っ暗になった。
「みんな。本当にごめんな。オイラの問題に、みんなを巻き込んでしまって……」
消え入りそうな声でそう呟く。ヴァイスたちが言葉を発する前に、さらにセナは続けた。
「ミュウツーがこの世界に、望まずに生まれてしまったのは、オイラのせいなんだ。だから、できればオイラだけで、この問題を解決したかった。でも、オイラにはそんな力も、心の強さもなかった。オイラが弱かったから、結局、すごく危険なことにお前たちを巻き込んでしまった」
しゅんとして頭を下げるセナは、今にも泣き出しそうだった。このセナにも、見覚えがあった。自分が無力であることに打ちひしがれ、自信の欠片もなくなってしまったセナ。弱音を隠して強がることに無理が出て、疲れ果ててしまったセナ。今まで何度も見てきたが、何度見ても、ヴァイスは心を痛めた。
「そんなことないよ、セナ。弱虫なボクを強くしてくれたセナは、すごく強くて優しくて、ボクにとっては羨ましいよ」
「……百歩譲って、オイラが強くて優しい奴だったとする。でも、目的を果たせない中途半端な強さには、意味なんてない」
「セナ。ミュウツーに負けたことが悔しいんだネ」
「もちろん、そうだけど。……でも、ミュウツーに負けたことよりも、結局オイラは弱いまんまで、無力なまんまで。自分なりに頑張って強くなったと思っていたことが、全て無駄だったのが……なんか、虚しくなったって言うか。水輝の命を踏み台にして生きているってのに、オイラは何も守れない。誰の役にも立たない」
止まらないセナの弱音。止まらない砂時計。シアンの右手におさめられたそれは、いよいよ半分以上の砂を落としきっていた。セナの言葉を聞くたびに胸が痛み、耐えられなくなってくる。ヴァイスは必死にセナの言葉を否定する。それが本当にセナのためなのか、それとも自分のための言葉なのか、彼は考える余裕をなくしていた。
「でも、セナ。今ガイアでミュウツーを止められるのは、“心の力”を持ったキミだけなんだよ。キミが一番適任なんだって、ホウオウやスイクンたちにも言われたじゃない。だから、自信持って。キミは世界を守れる力を持っているし、みんなの役に立てるよ」
言葉を口にしながら、心のどこかで、押し付けがましいのは分かっていた。――いつもいつも、そうやってオイラに指図するのやめてくれる? ズキンと胸を駆ける、さっきの“偽物”セナの言葉。思い返すと、ヴァイスはセナの反応が恐ろしくなってしまう。案の定。
「自信を持ったら強くなれるの? 違うだろ。そんなの、オイラが一番良く分かってるんだよ。自信なんて要らない。誰にも迷惑をかけずに戦い抜ける力があれば、それでいいんだ」
「ねえセナ。シアンは、セナと一緒にいるのが楽しいヨ。だから、セナと一緒に戦うことは、迷惑じゃないヨ」
シアンが歩み寄るが、セナはそれを遠ざけるように厳しい言葉を選んだ。
「そんなことが言えるのは、たまたま運良くオイラたちが死ななかったからだろ。これまで何度も、オイラもお前たちも死にかけて、たまたま色んなものに守られて、今生きている。自分がどれだけ危険なことに巻き込まれているのか、お前は理解が足りないんだ。そんなのうてんきな奴に励まされても、嬉しくねぇよ。ただ惨めになるだけだ」
「ご、ごめんネ……」
セナの言葉の余韻が消え、しんと静寂が空間を包む。ホノオは何か言おうと口を開けたが、何も言葉が出てこない。自分はセナをどのように助けたいのか、分からない。だから、この場で使いたい言葉が見つからない。
すっかり縮こまったシアンから目を伏せて逸らしながら、セナはさらに続けた。
「前から時々悩んでいたんだけど、最近になって強く思うようになったんだ。ひょっとしたら、お前たちはオイラに出逢わない方が幸せだったんじゃないかなって。オイラがいなければ、もっと楽しく、平和に暮らしていただろうにって」
「何度も言ったでしょ! ボクはセナに会うまでずっと寂しかったんだ。セナと出逢えたから、一人ぼっちじゃなくなったんだよ! そんなこと言わないで!」
字面だけ見れば、暖かいようにも聞こえる言葉。しかしヴァイスはそれを、投げつけるようにセナに放った。早くしないと。早く……。
「でもオイラに逢わなければ、お前が父さんを探すことはなかったかも知れない。そしたら、父さんが死んだことも知らなくて済んだし、ずっと希望を持ち続けていられたんだぞ。ヴァイスの希望を壊したのも、オイラだ」
「……セナの、嘘つき」
ヴァイスはしっぽの炎を轟々と燃やし、両手を握り締めてセナを睨みつけた。
「もう自分を責めるようなことを言わないって、ボクと約束したじゃない。どうしてセナは、そんな簡単な約束も守れないの? ボクたちが何度もセナを励ましてるのに、どうしてボクらの気持ちを無駄にするの?」
一瞬、ホノオの衝動が煮えたぎる。左手を掲げ一歩ヴァイスに踏み出したところで、遅れて彼の理性が立ち上がり、フッと全身の力が抜けた。ヴァイスの言葉選びは、明らかにセナの心の毒になる。それが腹立たしいが、ヴァイスは今のセナと向き合っている。自分が見捨てる選択を検討している、この6度目の世界のセナと。上手ではなくても、ヴァイスはセナと向き合おうとしている。それに対して、オレは――。
時間がないんだ。きつい言葉をぶつけてしまったが、もしもセナがこれで消えたら、それまでのことだ。このセナも、偽物だったんだ。ヴァイスはそのように、自分の言葉を正当化し始めた。
直後、ヴァイスの想定通り、セナは再び消えた。再び空間に穴が出現した。「偽物か」とつぶやくと、ヴァイスは穴へ向かう。その時。シアンがヴァイスの手を引き、行動を止めた。
「ちょっと待ってヨ、ヴァイス。今日のヴァイス、すごく怖いヨ……」
「えっ?」
自覚がなかっただけに、ヴァイスは戸惑う。必死で自分を客観視する余裕がなかったが、そんなに自分は怖かったのか。確かに多少口調がきつい自覚はあったが、ヴァイスは最低限の配慮の上でセナに言葉を投げかけていたつもりだった。少なくとも、シアンに恐れられることは想定外だった。
「シアンがもしも本物のセナでも、ヴァイスにそんな顔で見られたら怖くて消えたくなっちゃう。いつものセナを取り戻したいなら、いつものヴァイスでいるのが一番なんじゃないカナ?」
この非常事態に、いつもの自分でいること。その難しさを理解すると、ヴァイスは不機嫌そうに頬を膨らませる。シアンじゃないんだから、そんなに単純になれないよ。そんな思いがふつふつと心に巣食う。
しかし。シアンが何か重要そうなことを言っていることは、直感的に理解できる。そもそも、何度も失敗した方法に固執しても、このまま砂が尽きるだけなのかもしれない。そう考えると、ダメもとでも、セナに優しく接してみても良いのかもしれない。
「うーん。分かったよ、シアン。なるべく、セナに優しく話しかけてみるよ」
とにかく、もっと優しくセナに話しかけてみよう。そう心に刻み込んで、ヴァイスはシアンに微笑んでみせた。優しさの意味や必要性を理解する余裕は彼にはない。ただ、作戦の変更が必要であることだけを理解しただけだ。応急処置的な言葉ではあったが、ヴァイスの瞳がやわらかくなった。それを理解すると、シアンはヴァイスの背中を押して穴に飛び込んだ。
後を追う前に、ホノオは立ち止まった。ヴァイスもシアンも、精一杯セナの苦しみを取り除こうと親身になっている。都合の良い優等生として大人にも友達にも頼られてばかりだった瀬那に、対等に向き合ってくれる友達が、この世界にいる。ガイアでセナが負ってしまった罪悪感と、得た友情のかけがえのなさ。秤にかけて、ぐらぐらと揺れて。
セナの幸せはどこにあるのか。
オレは、セナのために、どうしたいのか。
「セナ。ボクたちは、キミが大切な友達だから、ここから戻ってきてそばにいてほしいんだ。強くなくても、役に立とうとか考えなくても、大丈夫だよ」
「そうだヨ。シアンもセナと一緒にいたいだけナノ」
ヴァイスとシアンは、また現れたセナと必死に向き合う。心からの暖かい言葉を彼に伝えるが。
「オイラも、みんなと一緒にいたい気持ちはある。でも、無償で幸せに生きることは、許されない命だから。罪を帳消しにするほどの報いを受けたり、功績を残したりしないといけないんだ。それができる確証がないなら、このまま“生きるのをやめる”べきなんだと思う」
心の迷宮は、逃げ場のない闇に彼の心を幽閉する。セナの思考を暗く誘導する記憶――手痛い失敗や罪の意識が生まれた瞬間だけを、彼の心に流し込む。
「例えキミが納得しなくても、ボクたちは――」
「もう帰ってくれ!!」
目をつむり耳を塞ぎながら、セナは声を荒らげた。強く説得しても、優しく迎え入れようとしても、ダメなのか。セナはもう、戻ってこないのか。また、大切なものを失ってしまうのか……。――どうせいつも通り。これは、ボクのいつも通り。
手放したくないと願って追いかけることが、ヴァイスはどうしようもなく空虚で恐ろしいものと感じてしまった。身体も、心も、力が抜けてしまう。
ヴァイスに最後の一押しをするように、セナは小さな声で語りかけた。
「ありがとう。今まで、こんなオイラに優しくしてくれて。嬉しい時もあった。でも。オイラはみんなの優しさを有意義に使えない。いつも、無駄にしてしまう。だから……痛いだけなんだ、優しくしてもらっても。
今まで何度も、呆れるくらい何度も、みんなに助けてもらった。オイラは弱い自分が大嫌いだったけど、嫌いな自分を少しずつ直して、強くなれたと思ってた。 でも、それも愚かな勘違いだった。オイラは弱いまんまで、みんなに迷惑をかけて、自分のことが大嫌いなまんまなんだ。……何も、進歩していない。
ホウオウたちの期待も無駄にしてしまった。ミュウツーに負けて、多くのポケモンを殺してしまった。そんなオイラに、これ以上の価値を見いだせないんだ。
……この場所は寂しいし、暗い気持ちが晴れなくて、苦しい。でも落ち着くんだ。オイラみたいな奴には、この場所がふさわしいんだ。ずっとここにいて自分を責め続けることが……きっとそれが、オイラが受けるべき罰なんだと思う」
言い切ると、セナはシアンが持つ砂時計に視線を合わせる。
「ガイアに帰りなよ、みんな。ここから出られなくなっちまうだろ。このままじゃ、オイラは途方もない迷惑をみんなにかけることになる。そんなの、絶対に嫌だから」
「ごめん、セナ、みんな! オレ、もう迷わないから!」
「ホノオ!」
力無い声だけが溶け込む無音の空間に、騒々しい声が響く。ホノオが自分なりの結論を見つけて、追いかけてきたのだ。嬉しそうに歓声をあげてシアンが近寄る。その様子に、ヴァイスは乾いた笑いを漏らした。
「遅いよ、今更。もう、手遅れだ」
ヴァイスの視線の先に、ホノオも目を向ける。サッと血の気がひいた。
「あっ……」
一言だけ声が漏れる。砂時計に残された砂が、今にも最後の時を知らせようとしていた。
間に合わなかった。ホノオの視界が一気に真っ暗になった。