第4話 そのバッジは黒光りするか

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 アパートの垢抜けない雰囲気を少しでも自分流にアレンジしようとお洒落に飾った電気の傘をぼうっと眺め、帰り際の会話を思い出す。照明と重なるように握りこぶしを作った。
 果たして、ジムリーダーとは何か。何のためにこんなシステムが存在するのか。ジムリーダーの根拠を支える強さの在り方は正しいのか。
 実は、考えてみたこともなかった。
 彼はトレーナー上がりで無心に経営を続ける内、ルーチンワークをこなすのがいつの間にか日課となっていた。挑戦者に問いを与えても、自分を問い直しはしなかった。
 まさか、リーダー歴数年ほどのベテランが今更登竜門を潜れるか否かという状態にあるとは、誰もが思うまい。と片意地張ったところで得るものはない。虚無の日々を過ごしてきたが故の資格剥奪だ。己の未熟さを認める、すべてはそこから始まるのだった。

 脳内で時間旅行し、記憶の限り正確な復元を試みる。
 帰途だ――螺旋階段を降りながら、傘と傘が交互に揺れる。
「ちょっと思ったんだけどさ」
「おう」
「挑戦者に厳しいジムリーダーは、それはそれで当たり前だし、良いと思うんだけど」
 セオトは多様なジムリーダー像を否定しない。キョーコの求める理想とカグラの求める現実が食い違ったのがそもそもの発端である。元々就任時期が近いふたりは自然と惹かれ合う仲になり、一時は深い領域まで踏み込んだものだが、この相違は思ったよりもふたりの隔絶となって現れた。
「だけど?」
 カグラは末尾の続きを促す。
「強さにものを言わせてくる人は、あまり好きになれない」
「おまえに嫌われちゃ、ショックで寝込んじゃうな」
 冗談半分本気半分で言うと、セオトはからからと笑いながらこちらを振り向いた。
「カグラさんは特別。ボクも経験あってこそ言えるけど、強すぎるってことは時に相手を怖気づかせちゃうから。挑戦者に合わせてレベルを調整出来る、これもジムリーダーの強みでしょう?」
 確かに、バトルの結果としてはナルミの旅を否定する形になってしまった。試合後に叱咤のつもりでかけた言葉が苦々しく後味の悪い記憶として蘇る。
 では、オレの強さは、求めてきたものは、間違っていたのか。
 セオトもそれ以上は上手く答えられないらしく、沈黙がふたりを包んだ。


 再戦の約束を取り付けるには、ナルミとの再会は避けて通れない。
 あれだけ強く言ってしまったことが尾を引いて、前と同じ調子で話せる気がしなかった。朝飯を食べるときもそわそわしていたし、気持ちが勝手に膨れ上がって不安を増長させたような感じになっていた。もうリーグを諦め、シオラから去ってしまったとしたら、どう顔向けすればいいのか分からない。四年に一度のリーグ出場権はトレーナーの夢だ。ジムリーダーでありながら職務を放棄した、怠慢で許されることもなく、それは罪に値する。
 色々の不安は、杞憂として吹っ飛ぶ羽目になった。
 早朝、ジムへ向かったカグラの目に入って来たもの、それは――眠りこけているナルミだった。
 瞬間的にあらゆる雑念や考え事が消え去り、安堵というよりも理解不能・予想不可能の事態を前に、ただひとつの疑問しか起きなかった。
「なんだこいつ」
 この一言に集約されたのである。
 苦労なく、何の感慨も湧かない再会に成功したカグラは、寝起きの酷い顔をよりくしゃくしゃにした。


「はっ」
 首が折れるのではないかという勢いで俯いたナルミは、衝撃で起床する。
「さ、さむい……」
 身体を震わせていた。
「あたりめーだ、真冬だぞ。馬鹿かおめーは」
 虚ろな両目を開こうと格闘する小娘に現実を知らしめた。
 すると、ナルミはここから先は通さないと言わんばかりに両手を広げ、入口前に立ちはだかる。
「バ、バトルしてくれるまでどきません!」
 形相は必死そのもの。
 カグラは溜息をつく。それだけ頑固に引き下がらないというなら僥倖だ。
 戦いに飢えたトレーナーは時として常軌を逸する行動に出ることがある。ナルミの状況はある種、それだけ切羽詰まったものである。リーグ出場のためならば閉鎖の事情もなんのそのだ。恥も外聞も捨てて文字通り足元に食らいつく。カグラが決意を新たにしていなければ門前払いだった。
 瞳だけは揺るがない。寝起きの割には冴えており、以前よりも澄んで見える。
「思ったより元気そうで良かったよ」
 ナルミの手をやんわりと除けつつ、カードキーを差し込んだ。
「とにかく中入れ。身体壊すぞ」

 普段は挑戦者を事務室に入れることなどないのだが、例外中の例外だ。
 毛布にくるまったナルミのためにコーヒーを入れてやる。とはいえ、ポットのような本格ティータイム用アイテムはなく、雑多に物が散らばる空間に似つかわしい即席コーヒーだ。
「コーヒーはミルク、ブラック?」
「ミルクが良いです……」
「はいよ」
 冷蔵庫から新鮮なモーモーミルクを取り出し、開けた日付をパックに書き記しておく。そして牛乳を混ぜ、レンジで温めたものを差し出した。
「ありがとうございます」
 おずおずと受け取るナルミに、カグラは本題を切り出す。
「何故負けたのか分かっているのか? 言ったはずだぜ、それが分からなければ何度やっても同じだと」
 もうちょい優しく言えないのか!
 自分で自分を殴りたい気持ちに駆られる。今までの猛省はどこへ行ったのか。
 いくらなんでも単刀直入すぎる。しかし、愚かなまでの実直さがストレートに物を言わせる点で、飾る必要のない相手だ。
 ナルミは、ホットミルクコーヒーを手元で大事そうに抱える。吐かれた息は重く、白の実態を伴いそうだった。
「カグラさん、凄いですね」
「は?」
「一度バトルしただけなのに、心を見透かされているみたいで怖かったです」
 怖かった、か。返す言葉もない。
「でもトレーナーのことしっかり見てるんだなって思いました」
「……そんな立派なもんじゃねえ」
 半ば毒づくように、矛先は自分自身へ。
「トレーナーを追い払おうとして説教並べてるだけだ」
「でも、的外れじゃない」
 コーヒーを口元に運び、ゆっくりと啜る。
 カグラが目線を逸らしていると、次にコップを置くまで無言の間があった。
「わたし、あんまり悔しいから泣いて出て行っちゃったけど……。後から当たってるって思ったら、余計に泣いちゃって。もしもあのままリーグに行ってたら、満足なバトルは出来なかったかもしれない。だから今では感謝してます」
 笑顔に無理して取り繕った様子は見られない。大方、本心だろう。
 それでいいのか、と尋ねたくなった。結果論をなんとか正当化しようと、カグラを庇おうとしているのではないのか。ナルミは本当に納得しているのか。
 何か言わねばと口を開きかけたところで、彼女は疑問をある程度解消してくれた。
「すっごくすっごくすぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっごく悔しいけどぉっ!!」
 その言葉が聴きたかった。カグラは思わず微笑んでいた。
 相手を寄せ付けない強さは、トレーナーの必要条件、褒められて然るべきもの。だが、カグラは強者を希求するあまり、ナルミの心を折るバトルをしてしまった。
 一回のバトルが恐怖の引き金となり、競技世界から引退するトレーナーは少なくない。何せカグラも渦に飲まれた人間のひとりだ。ナルミは谷底に突き落とされても、自力で這い上がって来た。カグラという獅子に立ち向かうため。余計な言い訳は、かえってナルミの闘志に申し訳が立たない。彼女はまだシオラジム攻略を、タイヨクリーグ出場を諦めていない。何よりも、目上の人物に苦言を呈されたからといって引き下がろうとせず、少年少女だからこそ叶う理不尽への叫びを臆することなく口にしてくれたことに、お門違いながらも感謝した。
「その悔しさ、もう一度オレにぶつけてみる気はないか?」
「えっ。でもジムは閉鎖……」
「まあな。だが、その気になれば予定を遅らせることも出来る」
「悪いです」
 ここで挑戦者を逃してはならない。彼女は芽だ。カグラは強気で押す。
「身体冷やしてまで待ち構えてたんだろ」
「正直、今は勝てる自信がありません」
 カグラは目を光らせる。
「本当か」
「本当です」
「なら、自信をつけろ」
「えっ?」
「おまえがオレに勝てるようになるまで、どのくらい必要だ」
 今度こそ、ナルミは顔を上げて、目を丸くする。悪い驚き方ではなかった。トンネルの闇に差し込む一条の光を見出したときのようなエネルギーが湧きあがる。
「何日、あるいは何週間あれば、おまえはオレを倒せるようになるかと聞いている。今までの経験、知識、それらを踏まえて、今度はおまえが決めろ。オレは何月何日何時何分、スタジアムに立てばいい?」
 ナルミの瞳をまっすぐ見据える。硬直していたかと思えば、今度は潤み始めた。
「カグラさん……」
「このままだと、お互い胸糞悪いだろ」
 いつになく熱い自分がなんとなく決まり悪く思われて、声のボリュームを下げた。
「その、酷いことも言っちまったしな」
「ありがとうございます」
 涙声はジムリーダーの胸にもしっかりと届いたし、響くだけの威力を持っていた。
「バトルでちゃんと返せよ。あれがおまえの全力だとは思いたくない。一ヶ月でバッジ七つを集めたトレーナー……そんな奴はそうそういるもんじゃない」
 気付けば、腰が椅子から離れていた。右手に拳をつくり、ずっとこれが言いたかったのだと、溢れる期待を勢いにのせて告白する。
「見せてくれよ。ポケモントレーナー・ナルミの本気を!」
 ナルミも立ち上がり、カグラと同じポーズを取る。
「なら、フルバトルにしましょうよ」
「フルバトル?」
「最強のカグラさんと戦いたいんです。フルバトルなら、それが出来る」
 フルバトルは、文字通り互いのポケモン全体を総動員するチームバトルだ。フルバトルを正式レギュレーションに採用しているのは、タイヨクリーグ準々決勝以降から――。
 ナルミの意味するところが分かって、全盛期の血が沸騰する。
 リーグ準優勝者・カグラに勝負を仕掛けてきた。ジムバトルという枠を超えた、正真正銘の挑戦だ。承諾しない手はない。
 それまでのカグラならば一笑に付したに違いない。だが、今のカグラは今と向き合うことから逃げない。ナルミもまた、何かが変わった。
 両者の意地とプライドを懸けたフルバトル、終幕にこれほどふさわしい一戦はないだろう。
「そのバトルを見せたい奴らがいるんだけど……オレの同僚だけどな。良いかな。一対一でやりたいなら、無理にとは言わんが」
「大丈夫ですよ。どうせリーグは観客で満員なんですから」
「……もう勝つ気でいやがる」
 にっこりと口角を上げるナルミは、既に挑戦者の貫禄を取り戻していた。
 油断すれば今度やられるのは自分だ。

 
 久しぶりにポケモン同士を軽く戦わせる程度のスパーリングを行い、汗をかいた。次の勤務先と契約を交わす都合上か、サダノリは見かけなかった。彼もナルミ戦がシオラでは最後の審判となるだろう。
 自分とポケモンたちだけだとアパートと何ら変わりないから、今までなら寂しかったかもしれないが、好敵手が待っているという未来はカグラをすっかり高揚させていた。
「よーし、そこまで!」
 ベンチに腰掛け監督よろしく手を叩き、ポケモンたちはその場に倒れ込んだ。
 ナルミを迎え撃つメンバーは、かつてタイヨクリーグの苦楽を共にしたポケモンたちに決めた。
 アブソルは爪で毛を梳きながら、周りの特訓を見学していた。カグラはベンチ越しに伝える。
「明日からは、おまえも入れ」
 動きを止めるアブソルに、カグラは帽子を被せた。ツノに引っかかるので、ちょっと頭に乗っけるだけだが。もう何年もずっと帽子に装着しているキーストーンが微かにきらめきを見せたような気がした。
「バッジを渡してやるつもりはない。だが、いざというときは……頼りにしてる」
 前を見据えて語るカグラにつられ、アブソルもまた前を見た。
 戦わせなくなってから、どれだけの期間が経っただろう。
 帽子のキーストーンは飾りなの? と尋ねたそうな表情をしていた。思えば相棒にも歯痒い想いをさせてきた。フィールドで繰り広げられるバトルは他人事に見えただろう。
「あの試合」以来、カグラは本気という二文字を記憶の深部に封じ込めた。天の彼方に召されていったアブソルが何を思って最期まで戦ったかは未だに分からない。でも、もう一度本気になったカグラを見たら、きっと喜んでくれるはずだ。
 アブソルは首をくるりと回すと帽子を外し、口元で鍔を摘む。そして、カグラに返した。彼がそれを受け取るとき顔を綻ばせたのは、久々にアブソルの他意なき笑顔を見たからだ。
「集合!」
 声をかけるカグラの下に、ポケモンたちが集まり出した。アブソルも輪に入っていく。

 ところで、カグラがフルバトルを見せたい同僚とは、他ならぬキョーコとセオトのふたりである。セオトは二つ返事で了承してくれた。だが、キョーコは通話の機会に恵まれず、すれ違いの日々が続いていた。そこでポケフォンに留守電を残しておくも、なかなかどうして返事が来ない。
 カグラは半ば諦めかけていた。いよいよ縁の切れ目かもしれないと思っていた矢先、突然机の上のポケフォンが振動しだす。風呂上がりで拭いても止まらない汗に手間取る頃合だった。
「留守電、聴いたよ」
 もしもしという前置きもなく、いきなり切り出す。感情が籠っていないわけでもなく、過度に熱くなっているわけでもない。平淡だが、それとなく彼女らしいトーンだ。
「ありがとよ」
「その様子だと、薬にはなったようね」
 相変わらず手厳しい物言いに、思わず苦笑を禁じ得ない。
「明日シャクドウさんの所でバッジ作ってもらうんだけど、来る?」
 てっきり観戦云々の返事だと思っていたため、呆気に取られる。
 シャクドウといえば、イリマタウンのジムリーダーにして、はがねタイプのエキスパート。ジムリーダー会議では一癖も二癖もある個性派のまとめ役もとい苦労人筆頭だ。プライベートで会ったことはないが、彼なくしてジムリ業界は回らないだろう。思わぬ誘いに戸惑うが、次には迷いを振り切っていた。
「ああ、行くよ」
「じゃあ朝九時、キョウナジム集合ね」
 観戦の是非は分からないまま、電話が終了する。唐突な誘いは恋人時代では日常茶飯事だった。

 さすがはみずタイプのジムリーダーだけあって、海の交通手段は船ではなくポケモンだ。エンペルトの背中に膝を曲げて座り、泳ぎの勢いに流されることなくバランスを保っている。先端の鋭い嘴は蒼海の絨毯を割るように進み、鋼の翼が纏う波で野生ポケモンを一切寄せ付けない。カグラは貸してもらったサクラビスに跨り、並走していた。
 水平線に休火山の街が煙の如く浮かび上がり、海岸に乗り付ける。
 キョーコはエンペルトとサクラビスに礼を述べた後ボールに戻し、てきぱきとした足取りでシャクドウの待つジムへと向かっていく。互いに景色を見ている風に誤魔化し、なんとなく言葉を交わすタイミングを逃していた。
 シャクドウはバッジ製造を兼業していることでも有名である。カグラもグラファイトバッジを製造してもらうときは世話になったが、現場には出向いたことがない。
 町中に出来た洞窟かと見間違えるジムに通されると、早速フィールドのお出迎えだ。鋼鉄のスタジアムを見ていると、こちらがチャレンジャーと化した気分になる。
 岩石の特等席に、シャクドウは鎮座していた。彼自身が鋼鉄のボディなのではと思わせるほどに鍛えられた身体は、腕組みしているだけで迫力満点だ。
「おう。ふたりともよく来たな」
「こんにちは。シャクドウさん、これが注文書ね」
 キョーコは注文書を手渡しする。シャクドウはさっとオーダーに目を通した。
 紙を折り畳み、腰を上げ、通路の奥にあるエレベーターへと向かおうとする。
「じゃあ、私たちは外でぶらぶらしてるから」
 キョーコとカグラはジムを出ようとするが、シャクドウは気を利かせた。
「まあ、見て行けよ」
「仕事の邪魔じゃないのか?」
「取材じゃあるまいし。積もる話もあるだろ」
 意味ありげにカグラを見やる。
 エレベーターで下の階に降りる。機械と蒸気から熱意溢れる職人気質の世界が広がっていた。いわば地下に設けられた工場である。雑多なシオラジムとは大違いで、一から十まで規律正しい。現在はリーグ開催前で挑戦者不在ということもあり、バッジ職人にとっては忙しい時期に差し掛かる。

 シャクドウは弟子たちにバッジ作りの指示を出すと、彼専用の作業場へと案内した。中にはポニーテールの小柄な少女がおり、ヤヤコマと共にちょこちょこ作業している。火の粉が服の焦げ跡になっていて可愛らしい。
「こんにちは」
 話に聞く一番弟子のジムリーダー志望者だろうか。カグラとキョーコを見るや、ぺこりとお辞儀した。
 本来の製造は、デザインを練るところから始まるのだが、ジムバッジの発注は定期的に行われている。故にキョーコのオリエンタルバッジは既に本製作のモデルが完成済みだ。ひとつひとつ、職人が丁寧に心をこめて作ることは間違いないが、初期段階よりも時間と労力は遥かに削減される。
「そこに座って、楽にしてくれ」
 促されるまま、カグラたちは席に着く。
「さて、おれたちもいっちょやるか」
「はい!」
 愛弟子の返事を受けて、腕まくりをする。大層な気合の入れっぷりだが、ふと何をやるつもりなのだろうと疑問符が浮かんだ。機械の数々に彼らが隠れてしまい真相は闇の中だ。
「おまえのジムバッジか」
 隣のキョーコに尋ねた瞬間、初めて今日まともに言葉を交わした気になる。
「今お弟子さんたちが作ってくれてるじゃない」
「確かに」
 会話は発展せず、結局作業の正体も誰ひとり教えてくれず、このテーマは尻切れヤンヤンマと化す。なんとなくまだ気まずい空気にあてられ、追究の意思も失せる。
 すると、シャクドウが助け舟を出す。
「おまえフルバトルするんだってな」
 原版を彫刻機にセットすると、鋼に掘り込みを開始する。慣れない金属質な音が環境の違いを報せた。機械に負けないよう声を張る。
「もう広まってんのか」
「ジムリーダーの情報網知ってるだろ。近所付き合いと変わらないぞ」
「一度閉鎖を決めたのに蒸し返したことは申し訳ないと思ってる。だが、これだけはどうしてもやっておかなきゃいけないんだ。オレがジムリーダーとして出来る最後の仕事だ」
「それに関しては、御上以外は大して怒っちゃいないよ」
 ジムリーダーの責任感に覚醒した男の熱弁を傾聴しながらも、シャクドウは淀みなく流麗な動作でバッジ作りに勤しむ。弟子が出来上がった金型をプレス機にセットする。ついつい目線の流れるままに職人技を追うばかりで、会話の糸をまたしても切ってしまう。
「なんでまた、そんなに心変わりしたんだ?」
 声がかけられたのは、一回目のプレスが終わってからだ。弟子が再び地金を受け取り、傍らで羽を休めていたヤヤコマに声をかける。
「ヤヤコマ、ねっぷう頼む」
 ちゅんちゅんと鳴き、一所懸命まだ幼い両翼をはばたかせると、むんと唸る熱気が注がれる。プレスによる地金の硬化を防ぎ、柔らかくするための措置だという。
「会議の時は倦怠感に満ちてたけど、今のおまえはなんだかいきいきしてるし楽しそうに見えるな」
 自分でもナルミに惹かれた理由を正確に説明出来るか確信が持てないでいた。くどくど述べていれば作業のBGM代わりにはなるだろうかと、口火を切る。
「強いチャレンジャーに会ったんだ。久々に見所のある奴でな。でもそいつはオレじゃない奴ばかり見ていて、必死になりすぎてた。変だよな、最初は小手調べのつもりで軽くいなしてやろうと思ってたのに、気付いたらそいつの必死さにオレも飲まれちまってよ。まあ、それで……その、先輩面して偉そうなことをのたまって、傷つけちゃったんだよな。おまえは誰と戦ってるんだ、リーグは見送ることだな、って」
 そこまで流暢に述べていたにもかかわらず、カグラは口先を燻らせる。心変わりのきっかけを与えた本人の前で痴話喧嘩の件を語るのは、どうにも気が進まない。
 すると、キョーコは急な無言を不審に思ったのか、若干拗ねたように語調を尖らせる。
「良いんじゃない? 話したら」
「すまん」
「別に」
「おまえらまた喧嘩したのか。飽きないな」
「喧嘩するほど仲が良いんだな」
 シャクドウのみならず、ヤヤコマに向かって囁く弟子に続けざまでからかわれるというコンボを受け、ふたりは恥ずかしさで火が出る勢いになった。
「……こいつに、叱られてさ。あんたはその子の夢を潰した……って。オレが正しいと思ってアドバイスしたことも、本人からすれば否定に変わりなかったんだ。相手の気持ちを考えてなかった」
「前、監査官にも言われたんだ。挑戦者を見ていないって。あんときは暖簾に腕押しだったが、今思うと言い得て妙だな」
「オレはあくまで強いジムリーダーとしてあろうと思っていた。でも、やって来るチャレンジャーは有象無象ばかりだ。そう思ったことはないか? オレはいつの間にかバトルが重荷になって、打ち込めなくなっていた。だからジムリーダーなんて、どうせ強くなれねえなら、やめちまおうって。これ以上やっても、続かねえから……。続かねえから、ふっ、そうやってく内に、どんどん駄目になっちまった」
 赤裸々な独白を笑う者はいない。それぞれが胸に手を当て、再考する余地を孕んでいるからだ。
 懺悔の世界に没頭していたカグラが時間を忘れている内にも作業は進行していた。彼は竹べらで慎重に色を塗り上げていく。そしてカグラの不平不満を以下のように総括した。
「カグラはチャレンジャーに多くを求めすぎだな。まあ、求めることはあっても、否定しちゃいかん。……おまえも聴いておけよ」
「はいっ」
 初めてシャクドウは手を休め、カグラと視線を合わせる。弟子は自分よりも何十年と人生を歩んできた父の如き貫禄に、思わず背筋を正す。
「カグラ。おれが思うジムリーダーの役目とは、挑戦者をおれたちのレベルまで引き上げ、超えさせることだ」
「引き上げる?」
「ああ。おれたちはどんなトレーナーも望む望まないにかかわらず、相手しなきゃならない。でも、やるべきことはいつもひとつだ。挑戦者を本気にさせるバトル」
 シャクドウの金言は、ジムリーダーとポケモントレーナーというふたつの立場に挟まれ、どちらへも行くことの出来なかったカグラの思想を根底から引っ繰り返すものであった。言われてみればたったそれだけのことも、視野の昏い内は狭められてしまう。
 目から鱗が取れたように、驚きを発話する。
「オレは手を抜くことが正しいと思っていた……。挑戦者のレベルに合わせなければ、誰も勝てない。そうする内に物足りなさが襲ってくる。だから、少し力を出したら」
「それは、叩きのめすためのバトルだ」
「叩きのめす……。オレは、あいつを叩きのめしていたのか」
 胸を鷲掴みにされたような気持ちになる。
「カグラ。おまえの望むチャレンジャーを、おまえが育てろ。バトルの中で。出来るかどうか分からなくても、やってみるんだ。そういう挑戦者と会えたジムリーダーは。……伸びるぞ」
「分かった」
 袋小路を突破する道を、ようやく見つけられた気がした。
 カグラの反応に満足したのか、それからシャクドウは作業に専念し、一度も声をかけることもなかった。沈黙――だが先程とは異なる心地良い、眠りに就くような沈黙――が、辺りを包んだ。

「ほら、バッジだ」
 本当に眠ってしまったようで、鼻っ面に突き出されたバッジは見覚えのある輪郭だが、一瞬何なのか認識出来なかった。半円をずらしたような形状、妙に黒い光沢。
 これは、グラファイトバッジ。シオラジム公認のジムバッジだ。一気に虚ろな気怠さが吹き飛び、椅子から跳ね起きる。
「オレは頼んでないぞ!?」
 シャクドウと弟子が秘密を守っていた訳がようやく分かった。しかし、何の目的で、誰が用意したのか、凝視しても答えは出ない。
「注文書を見せてやれ」
「ほら、ここに【グラファイトバッジ】って書いてありますよ」
「んな馬鹿な」
 差し出された注文書をなぞる弟子の小粒な指先は、確かに注文の筆跡を示す。オリエンタルバッジを記したものと変わらない字形を照合し、確信に行き着く。
 背後で頬杖を突き、未だ胡乱げな目つきでサプライズを仕掛けた女性を見やる。シャクドウと弟子はしてやったりと顔を見合わせた。
「ジムリーダーとしてのあんたを認めるかどうかは、フルバトルで決めるわ」
「それは試合を観に来るってことで良いんだな」
「ええ。でも渡すバッジがないとね」
 彼女はずっと、彼女なりにカグラを思いやり、心配し続けたのだろう。
 もしかすると、カグラを一番ジムリーダーの座に引き止めたくて、必死に打てる手の限りを尽くそうとしたのは、他でもない彼女かもしれない。
 愛情の表し方は自分と似て、とっても不器用だけれど。
「……すまねえ」
 感慨に浸るところ、シャクドウがバッジを差し出す。
「チャレンジャーが勝てた時には、進呈してやりな」
 大きく開かれた掌に、そっと、熱を持つジムの魂が宿る。
「新品の、黒光りだ」
「グラファイトバッジ、か」
 カグラは二度と離さないとばかり、シオラジムのシンボルを握り締める。
 バッジを光らせるも黒ずませるも、自分次第だ。競えば競い合うほど、勝利の価値は高められていく。


 バッジを受け取り、キョーコ・カグラ共に挑戦者を迎え撃つ準備は完了した。特にカグラは収穫の多い一日を過ごせたことだろう。電話一本繋ぐだけで気軽に話せるにもかかわらず、必要以上に近寄らなかった者同士の化学反応は納得の行く昇華を引き起こした。
「あんたと話せて良かったよ」
「これでも古参のつもりだからな」
 シャクドウは歯を見せて心地良く豪快に笑ってみせるも、一転して、曇り顔になった。
「本心を言うと、おまえには辞めて欲しくない」
「どうかな……」
 あくまでも、グラファイトバッジを貰い受けたのは、ナルミ戦に備えるためだ。先のことは、カグラ自身でも決めかねていた。結論を急くべきではない。
「名残惜しいけど、行きましょうか」
「ああ、そうだな」
 キョーコと目配せし、出発の意を伝える。イリマは孤島、本土からは離れており、別れ際特有の寂寥感はどことなく黄昏にも映り込む。
「じゃあ、行くよ。愛弟子ちゃんも、元気でな」
 カグラは腕ごと、キョーコは手だけを動かし、対照的な様子でさよならを告げる。
 ジムリーダー志望の子にはいきなり弱みを見せてしまったが、本音を聴けて彼女にとっても勉強になったと信じたい。カグラの希望的観測は、しっかりと届いていた。
 弟子は一歩踏み出すと、眉を明るくし、晴れやかに叫ぶ。
「もし、旅先で会えたらー! 今度はあたしとバトルしてください!」
「もちろん!」
「おう、そのときは……バトルしようぜ!」
 何の気兼ねもなく言えたのは、イリマの温かさに触れたおかげだ。
 そして、ジムリーダー・カグラは因縁の地へと舞い戻る。相手はポケモントレーナー・ナルミ――これまでにない、最強の挑戦者だ。すべてを出し尽くした上で、勝つ。

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