第6話:ニンゲン(防犯されるすがた)

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 玄関の扉は、圧倒的に家の内側へ開くタイプが多い。

 家の外側に動く扉、つまり外開きの玄関は、カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウなどの極東地域に多く存在する。逆に言えばそれ以外の地域では滅多に見られず、アローラからポナヤツングスカに至るまでほとんどの玄関が内開きになっている。理由は「内開きの方が安全だから」だ。
 人体の構造上、扉は引くよりも押す方が体重を乗せやすく、力も入れやすい。その点で言えば内開きの扉は家の中から扉を閉めることが比較的容易である。望まぬ来客が無理やり玄関を開けようとしてきた場合などに有利に働くわけだ。そんな物騒な来客が存在しないアローラにおいても大型の野生ポケモンによる被害は起こりうるし、そういった相手も内開きであれば扉の前に重い家具を置くだけで侵入を阻止することができる。だから建築士の多くは内開きの玄関を採用するのである。
 ならばなぜ極東地域は内開きの玄関が少ないのかというと、単純に「玄関に靴を置く文化との相性が悪いから」である。扉の軌道と靴の置き場を十分に確保できるような玄関を作るとなるとその分の土地と費用を要するし、土地と費用があるならその分は居間や台所に割いた方がいい。防犯性は多少失われるが、代わりに玄関の壁と扉を繋ぐ短いチェーンを設置することで扉を無理やり開けられる可能性を下げることはできる。そのようにして何とか居住者の安全が保たれているのである。

 今いるこの世界の“住民”は靴など履いていないのだから、当然玄関は内開き型となるはずだ。外開き型になる理由はない。そうであるべきではないのか。違うのか。一体どういうつもりなのだ、この玄関は。またしてもこうなのか、この身体は。何もかもいちいち躓かねばならないというのか、ええいいい加減にしろ。

 ――どういうわけか外開きの設計になっている玄関の前で、自分は「引かなければ開かないドアノブの位置に対して自分の“手”の位置が高すぎる」という状況に分別を失いかけていた。

「ち、ちょ、あの……あ、開けられないなら開けられないでいいんだよ? そんなその……強盗に入るくらいの勢いでドア引っ掻かなくても……」

 外開き型にすら防犯される不審者と化した自分へ、カモネギの控えめな声がかけられる。多少我に返って足元を見れば、握るためのクキを失っているためか落ち着きなく両羽を泳がせている彼の姿が目に入る。

「『開けられる?』って聞いたのは僕だけどさ、無理そうなら出入りのときは僕が代わりに開ければいいかなって思ってたし、そんなあの、バタバタやるとその、中のお父さん怖が……何事かと思ってそうっていうか……」

 「怖がってそう」を言い直したのはこちらへの気遣いか、父君の名誉のためか。どちらにせよこの家の居住者に大型危険生物として認識されると今後が困難を極めるので、素直に腕を引っ込めた。

「……ごめん。扉も開けられない身体になった事実を受け止めるのに時間がかかった」
「そ、そんな落ち込まないで……階段も昇れないんだからドアが開けられなくてもおかしくないよぉ」

 慰めのつもりで言ったであろう言葉に追い打ちをかけられながら、静かに扉の前を譲る。
 カモネギもまた大人しい足音で玄関前まで移動し、自身の目線ほどの高さにあるドアノブを右羽の先で押し下げる。ノブも扉自体も軽いのか、鳥ポケモンの羽でも簡単に引くことができるようだった。

「お父さんだいじょ」
「(内容の聞き取りが極めて困難な絶叫)」

 カモネギが扉の隙間から中を覗き込もうとした瞬間、大声と共に家の中から凄まじい突風が吹き抜け、その風圧により扉がとんでもない速度で開く。
 カモネギはドアノブにしがみついて吹き飛ばされないよう堪え、自分はカモネギ付属外開き玄関扉の裏に勢い良く挟まれた。扉が自分の身長より小さいため肩から下を潰されるのみで済んだが、顔の部分まで直撃していたら相当に痛覚を刺激されたと思われる(勿論肩から下だけでも十分に痛覚を刺激された)。

 風が止むと同時に、全開となった玄関から居住者が顔を出す。カモネギの父かつ今の風を起こせるということは恐らく飛行タイプだろうと予想していたのだが、実際の彼はタイプどころかタマゴグループすらも異なっていた。ラムの実に似た黄緑色の丸い頭部、その隙間から覗く白い顔、オクタンウィンナーの如く広がる真っ白な脚部、胸部を貫くかのように前後へ突き出た心臓色の器官。鳥ポケモンとは似ても似つかない、そもそも通常ならば親子関係になることはない生物。サーナイトである。
 サーナイトは明るい青色をした奇妙な木の枝を右手で握り、正面へ突き出すように構えている。しかしドアノブからずり落ちて転がっているカモネギを見つけた途端その枝を放り出し、「ぉどわぁー」などと妙な鳴き声を発しながら彼の前まで駆け寄った。
 同時にカモネギもわさわさと羽をばたつかせて飛び上がる。

「え、えぇ、なっ……何なの急に!? 何してんのお父さん!?」
「何してんのはこっちの台詞だっての! 何今のバタバタ!? 何があったわけ!?」
「なんもないよ! むしろお父さんが事を起こしたよ!」
「なんもないこたぁないでしょうよ玄関バタバタしてんだから! ニンゲンの奴結局揉めたの!?」
「違うよ! さっきのはニンゲンが1匹で出した音! 広場行ったら丁度お話が終わったとこだったから連れてきたの!」
「ニンゲンが直接揉めに来たってこと!?!?」
「違うよ!!!!」

 かなり何事かと思っていそうな様子を受けてか、カモネギは先程放り投げられた木の枝を拾い上げ、落ち着けと言わんばかりに父君の胸部の器官をつつく。父君は「ちょぉいちょいちょいちょいやめやめやめぃ」と鳴きながらも息子から枝を奪還し、多少は平静を取り戻した様子で短く溜息を吐いた。

「……揉めてねぇんならさっきの音は何だってな話になるでしょうがよ」
「ニンゲンの背が高すぎてドアノブに手が届かなかったんだよ! それでちょっとバタバタしただけ!」
「あ……あぁー……。そもそも玄関潜れるかどうかがギリギリってんならドアノブもそうに決まってらぁな…………えっ、ぇどうしよ、お父さん間違えてふっ飛ばしちまったんだけど」
「あっ、やっぱりそれ吹き飛ばしの枝なんだ……。でも飛んでってないよ、ニンゲン」
「はぇー、んじゃどこにいんのよ」
「そこ」
「(内容の聞き取りが極めて困難な絶叫)」

 父君はまず扉の上から出ている人間の頭部を見て飛び上がり、次に扉の横から出ているペンドラーの脚部を見て転倒した。2度見をされて2度とも驚かれたわけだが、2回見て1回ずつ驚かなければならない造形をしているこちらに非があるので仕方ない。

「ぇ、お、ぉどぇ、えっぇはさっ、ぉお父さんニンゲンとペンドラー挟ん、ぁいや違うニンゲンとペンドラーのニンゲンを挟んで、ぇ何? どゆこと? お父さん自分でも何言ってっか分かんなくなってる、何?」
「命に別条はないから落ち着いてほしい」
「何なに何なに何なに上から首はみ出して横からペンドラーはみ出しながら喋るテンションじゃねぇって、何? なん……何?」
「申し遅れた。自分は今晩そちらの家に泊めてもらうことになった上半分が人間で下半分がペンドラーの生物だ」
「いや全然申し遅れてねぇよ、申す前に把握したいこともっとあるよ、申し早まりすぎよ」

 地面に転がったまま動揺し続ける父君をよそに、カモネギが玄関扉を閉じて自分を救出してくれる。予告なく全身を見せて大丈夫だろうかと思ったが、既に予告なくまあまあを見せていることに気付いたので止めなかった。

「う、うちのお父さんが色々ごめんね……。これでもそんなに怖がってない方なんだよ。ちょっといちいち喋りすぎるだけで……」
「逆に他の奴らは広場の会議で喋りすぎなかったわけ? こんなん普通喋りすぎるでしょうよ、チョークくん辺りとか特にさぁ……全員村長に口縫われた?」
「縫うわけないでしょ……皆最初から最後まで静かに村長の話聞いてたみたいだったよ」
「『縫われた』以外の何物でもねぇなぁ……」

 半分苦笑のような、半分純粋な笑いのような声を漏らしつつ、父君がゆっくりと立ち上がる。そして「吹き飛ばしの枝」と言うらしい木の枝を軽く振り、原理不明の風でオクタンウィンナー部分に付いた砂を払った後(あまりに自然に枝の先から風が出たので言及するタイミングを逃してしまった)、彼はようやくこちらを見上げた。

「えー……のっけから色々お騒がせしてごめんな。特に扉については、そのぉー、わりと本気で申し訳ありませんでした」
「いや……負傷したわけじゃないし、最初にお宅の扉で妙な音を立てたのは自分だから、そこまで謝る必要はないと思う」
「うわ言動マっトモぉ……逆に怖……これほどまでに見た目で判断しちゃいけないことある……?」
「お父さん」
「あっあぁ、ごめんごめん、何でもないです。……えぇーっとぉーあれだな? 色々ゴチャゴチャしたけど、うちの息子が急に拾ってきたニンゲンってのがあんたで、広場の会議も一応無事に終わって、今から家に邪魔しますよーってな所だったわけだ?」
「その認識で合ってる」
「うぅーんうんうん、事情自体はメチャンコシンプル」

 何度か1匹で頷いた後、改めてこちらを見上げて、一言。

「……中入ってからお喋りすっか!」

 結果から言えば、自分は父君にペンドラー部分の腹筋を支えてもらい、その状態で人間部分を前に倒すことで、何とか玄関を潜ることができた。「お父さんがいないときはどうやって出入りするの」というカモネギの疑問も「地面に身体を倒し、マルヤクデのように全身で這って通る」という最悪の回答で解決された。父君には「天から来たのがもう地に伏しちまった」とぼやかれたが、とにかく1晩は無事に屋根の下で寝られることが保証されたのである。

「わぁ、ほんと無理やり片付けたねぇ……」

 10秒ほど掛けて身体を起こしている間にカモネギが家の中を見て回り、感想を零す。
 部屋を照らしているのは壁に取り付けられた小さな暖炉のみ。手前に食卓がぽつんと置かれ、他の家具は暖炉と反対側の壁へ纏めて追いやられている。奥には何やら様々な物を急いで詰め込んだのであろう、扉の閉まりきっていないチェストが2個。その前に藁の塊が3つ、大中小の山のように並べられていた。それぞれ父、母、子の寝床なのかもしれない。全体的に自分の知る“現代”の文化水準には及ばないが、“中世”よりは清潔で財産も多い。そんな印象を受けた。
 カモネギによる部屋の点検も無事に終わり、とりあえず腰を落ち着けて話をするために食卓まで案内される。しかし食卓用の椅子にペンドラーの下半分が座れるはずもなく、そもそも食卓自体に手が届かない。棒立ちで腕を振り回す自分の姿を見て、父君はうぅんと唸りながら未だに握っている枝の先で頭を掻く。

「背がカイリュー並ってな話は聞いてたけど、自力じゃ屈めないカイリューとは聞いてねぇのよなぁ……」
「上半分が人間で下半分がペンドラーの自力じゃ屈めないカイリューで申し訳ない」
「いや違うごめんそんな自己見失ってる謝罪をさせたいわけじゃなくてな? でもさぁ、村で1番背ぇ高けぇのおじさんだからさぁ、つまりおじさんの使ってる家具がちっこかったらもぉーどぉーしょーもねぇわけよ」
「……テーブルの上にその辺の平らな家具を乗せれば食事はできるんじゃない? 僕が飛んで運べばお皿上げ下げできるし」
「あー……行儀悪りぃけどそうしてもらうかぁ」

 カモネギの提案に頷きつつ、父君は「でも今はテーブルにつくんじゃなくて椅子に座ってもらうのが主目的だからなぁ」と藁の積まれている方へ歩き、持っていた枝を半開きのチェストの隙間にぐりぐりと突っ込みながら手招きをしてきた。
 そこ座んな、と指されるがままに、1番大きな藁の上へ乗る。流石は虫ポケモンの身体と言うべきか、足を伸ばして直に腹を付けてみてもちくちくとした痛みは感じない。むしろこれまでこの身体を支えてきた(何度か支えているとは言えない状態になったが)脚部がやっと己の体重から解放され、急激な安楽感と疲労感に包まれる。目を閉じて静かに長く息を吐き、再び目を開ける頃には、残った藁の上へ腰を落ち着けたカモネギ達に同情の交じった笑みを浮かべられていた。
 中の藁に父君、小の藁にご子息。サーナイトの身体が丁度良く収まっている様子を見るに、彼が普段使用している寝床は大ではなく中の藁なのかもしれない。『村で1番背が高い』父君の寝床が中の藁であるのなら、この大の藁ははじめから自分のために用意された物だと考えるのが妥当である。つまり、この家には“母親の寝床”というものが存在しない。何かしらのわけがあることは確かだろう。

 などと邪推している内に生じた間を誤魔化すべく、多少背筋を伸ばして座り直すと、父君もつられたようにオクタンウィンナー部分の裾の広がりを均等に整え直し、それから腕との境目がよく分からない緑色の手をぱんと叩く。

「ンーーーよし、今なら丁度いい感じに申し遅れてるよな」

 まずは自己紹介から行くか。父君はそう言って右手を胸部の器官の上に添えた。

「えぇーっとだな…………ニンゲンに分かりやすいよう名乗ると、おじさんは“サーナイトのアイエン”って言います。ご存知? サーナイト。アイエンは普通におじさんの名前なんだけど」

 サーナイトのアイエン。確かにこちらにとっては非常に分かりやすい名乗り方である。カモネギ曰く彼は過去に人間と会っているそうだが、“人間に分かりやすい名乗り”を即座に行えるということは「会った」どころでなくかなり深く接した経験があるということではなかろうか。それほど村の中で飛び抜けて人間の扱いに詳しい者であるのならば、村長が彼のみ会議を省略して直接話をつけたのも案外妥当な対応だ、と思った。

「サーナイトの知識はある。名前の法則もさっき村長に聞いて覚えたから普通に名乗ってもらって問題ない」
「あ、そぉ? んじゃまぁ、アイエン・サーナイトでよろしく」
「……父方の種族名は?」
「んなもん省略省略! 父族名なんざ何も天使様生活初日で覚えなくたっていいやつよ。村長は全部名乗ったのかもしんねぇけど、それもノドカナ代表として一応丁寧に名乗っといただけだから、多分」

 言いながらカモネギへ視線を移し、「お前はもう自己紹介済んだ?」と聞く。カモネギはふるふると首を横に振り、羽先で頭部の3本房を軽く整えてからこちらを見上げた。
「えっと、なんか色々ありすぎて名乗るタイミング逃し続けてたんだけど……僕はセオ・ネギガナイト=サーナイトって言います」
「うぉおい父族名は省略していいっつったばっかでしょうがよ」
「え、や、でも目の前にお父さんいるのに父族名言わないのもおかしくない……?」
「ウーーーン、それはそう」

 セオ・ネギガナイト=サーナイト。名前の法則に則れば、彼の母親はネギガナイトで、父親はサーナイトということになる。
 ネギガナイトは主にガラル地方で生息が確認されているカモネギ種の進化系だ。目の前の彼はどう見ても普遍的なカモネギ種だが、これは別に不自然なことではない。リージョンフォームの発生は遺伝ではなく環境によって起こるものなので、単純にガラル地方に近い環境で生まれた母親が別の環境で息子を孵化させたのだと推測できる。
 問題は父親の方である。ネギガナイトのタマゴグループは飛行と陸上。対してサーナイトのタマゴグループは人型と不定形。掠りもしない。というか、逆に何度食パン咥えて曲がり角で衝突したとしてもネギガナイトとサーナイトの間にタマゴが産まれることはない。ならば彼は実父ではなく育ての親といったところか。父族名とやらは生みの親より育ての親の種族名が優先的に採用されるのだろうか。そうなると父母ともに養親である場合は本人の種族と名字がまるでちぐはぐになってしまうのではなかろうか。名字は別に本人の種族と遺伝子を識別するためのものではないということなのか。その辺の法則がどうであれこの家庭は何だかわりと複雑なのでは――。連鎖的に様々な疑問が浮かぶが、実際に尋ねることはしない。このポケモン達を“人間と同等の知的生命体”として扱うのであれば、初対面で親子の事情に踏み込むことは得策でないからだ。

「……ま、初めの紹介はそんなもんでいいか。んでそっちはあれだもんな、自分の名前も分かりませんってんでしょ?」

 頷きを返すと、アイエンは腕を組みながら大きな目で困ったようにこちらを見つめる。

「息子が家に連れてきた子だし、『くん』か『ちゃん』を付けて呼ぶつもりでいたんだけどさぁ……実際会うとこう、予想以上になんか……ニンゲンってか、ニン……だし…………あのぉー失礼ですが、ご性別は」
「不明」
「不明!?」
「不明」
「不明なんてことある!? ニンゲンでしょうよ!? そうでなくともペンドラーでしょうよ!?」
「元の性別を覚えてないし、思い出したとしても下半分の種族が変化してるなら性別も元のものとは異なる可能性がある」

 なんて? と言うような顔をしたアイエンに、セオが「元々は下半分もニンゲンだったらしいんだ」と補足を入れる。元からこの見た目よりはマシ……かどうかもよく分かんねぇなぁ、などと首を傾げながらも、アイエンはひとまず話を飲み込んだ様子だった。

「まぁ、分かった、元が分かんねぇのは分かった。……んで? 今の性別は?」
「今確認すれば判明するはずだけど、自分でペンドラー部分を観察することが困難なのでそっちの方で腹の下を見てもらうことになる」
「確認してメスだったときの気まずさを考えるとパスした方がいいなこりゃ。……あ、勘違いしてるかもしんねぇから言っとくとおじさんオスです、見た目超キュートだけど」
「何言ってるのお父さん、性別間違う余地なかったでしょ。僕最初から『お父さん』って呼んでるし、お父さんも最初から『おじさん』を自称してるし」
「確かにそうだわ初手からオス確定だったわ。んじゃ普通に超キュートなおじさんです。でも村では2番手です。1番手はうちの息子なので……」
「ごめんねめんどくさいよね、お父さんのこういうの基本全部聞き流していいからね」

 苦笑すらせずセオが言い捨てる。それを聞いたアイエンが「この微弱な反抗期もキュート得点高いと思いません?」と片手の先を息子へ向け、息子はもう一度「聞き流していいからね」と言い捨てた。
 今までの会話を聞く限り、反抗期にしては父と子の関係は良好なのだと予想される。さらに言えば父と子“だけで”良好な関係が成立しているように見える。村のキュートだか何だかの番付に母親が入ってこないことからも(よく分からないが自分の知識に「子持ちの男は大抵“2番目に可愛い存在”に妻を置きにくる」というものがあった)、母親がこの村にいないことはほぼ明らかだ。母親についてはこちらから触れないようにしよう、と密かに決めた。

「……んにしてもどぉーすっかな、なんて呼びゃいいか……」
「普通にニンゲン様じゃ駄目なの? それなら性別関係ないでしょ」
「いやぁー……駄目ってんでもねぇけどさぁ、右も左も分かんねぇ内からニンゲン様ニンゲン様って有難がられんのも無駄に精神疲れそうなモンでしょ? お父さん的にはどうせ泊まってもらうんならあんま気ぃ張らなくていい家主になってやりたいわけよ」

 受け入れ態勢の表現か、両腕を広げて笑いかけてくる。
 顔を合わせたときから一貫してくだけている態度といい、こちらに対する配慮の仕方といい、アイエンは人間を宗教的に重要な存在というよりは単なる生物の一種として扱っているように感じる。セオが人間に敬称を付けないのも彼の影響なのだろう。ノドカナ村に入る際は宗教的に重要な存在であることに救われたようなものだが、こうして個々と対話する分には単なる生物の一種である方が精神的疲労を抑えられることは確かだ。何せ自分は今のところ“ニンゲン様”らしい振る舞いというものを全く知らないし、そもそも人間らしい振る舞いの時点でまあまあ不可能な身体になっている。「“ニンゲン様”なのか否か」をさほど気にせずにいてくれるのはかなりありがたいことかもしれない、と思った。……どちらかと言えば人間でありたいという意見に変わりはないが。

「うぅん……じゃぁニンゲンさんでいいんじゃないかなぁ。それか、えっと……ニンさんか」
「えぇー、なんか余所余所しくねぇかぁ? 息子が連れてきた子にさん付けってさぁ」
「そんなことないでしょ。僕が連れてきた子って言っても僕と同年代とは限らないし、逆にくんちゃん付けだと失礼カモしれないよ」
「あっ……そうか、同年代とは限んねぇのか! ナチュラルにお前のダチくらいのノリで話しちまってたな……」

 しまったと言うような目を向けられるが、勿論自分は年齢を覚えていない。ただ、もし反抗期と呼ばれる年代の人間であるのならば、自分の下半分がペンドラーになっているのを見た時点で素直に泣き喚いている気はする。

「これはあくまで予想だけど、自分は少なくとも大人と呼べる年齢に達してると考えられる」
「確かに銀行家の会話とかでしか聞かねぇ喋り方な気がしてきたな」
「でも今現在の能力やこの世界に関する知識量は幼児同然だし、逆に自立した大人として扱われるとかなりの問題が生じると思われるので、対応の仕方はそのままにしてくれる方が助かる」
「マジで銀行家だなこれ。……ま、今更物腰丁寧にしたらそれこそ余所余所しいし、おじさんと比べりゃそこそこの確率でそこそこに年下だろうからなぁ。親しみも込めてニンさんで行くかぁ」

 よし、と両手で腿の辺りを叩き、軽くサイコパワーでも使ったのだろうか、ふわりと音もなく立ち上がる。

「んじゃまぁ、そんな感じでよろしく、ニンさん」

 アイエンは笑って右手を差し出してきた。ある程度の身長を持つサーナイトと現在腰を下ろしている自分による握手は特に何の支障もなく執り行われ、それを見たセオが「すごい」と何も凄くない行為に称賛を送る。
 彼はこちらの握力を確かめるかのように右手を軽く振り、「確かに元からペンドラーって感じではねぇな……」と恐らく悪口を零した後、夕食を用意すると宣言して暖炉の方へ歩いて行った。
 
 そして彼が離れて少ししたところで、先程握られていた手から波紋のように温かな感覚が広がりつつあることに気付く。
 “いやしのはどう”に関する知識がなければ気付かなかったであろうあまりにも自然な心遣いに、彼は間違いなく目の前の親切なカモネギを育てた「父」なのだろう、という印象が強く植え付けられた。

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