第73話:心の迷宮――その1

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ――ここでセナさんを助け出すことに失敗して、6度目の世界が滅びてしまったその先は……ホノオさんやセナさんは、もうガイアに関わる必要はなくなるということです。
 ――あなたたち2人はガイアの危機など知らず、平和に暮らせるでしょう。
 クリスタの言葉がホノオの頭の中をぐるぐると回り続ける。言葉を直視して、言葉にまみれて、セナにとっての最善の未来を探して。ホノオは自分の思考に没頭し、気がついた時には“心の迷宮”らしき場所へと到着していた。

 ヴァイス、ホノオ、シアンの目の前に虚無が広がる。無限の灰色が、心を少しずつ薄暗く誘導していく。限りなく広いのに、とてつもない閉塞感がある。寂しいのに、重苦しい。決しておどろおどろしい闇が広がっている訳ではないのだが、ここに永遠に閉じ込められて、心が永遠に暗く沈み続けるとしたら。そんな場所にセナが捕われていることが、ヴァイスには耐え難い恐怖に感じられた。
 一刻も早く、ここから脱出しなければならない。セナのためにも、今この瞬間に破滅に向かっているガイアのためにも。

「シアン。砂時計、ひっくり返そうか」
「ウン。よいしょっと」

 寂しさを紛らわせるようにおどけた一言を付け加えて、シアンは持たされた砂時計をひっくり返す。音のないその空間で、青い砂がサラサラと落ちる微かな音だけが聞こえる。カウントダウン、スタート。セナが、世界の運命が、この砂の重さにかかっている。落ちた砂の重さと比例するように、ヴァイスの心も重くなってゆく。
 薄暗い空間が広がるだけで、肝心のセナが見当たらない。そうこうしているうちに、時間が落ちてゆく。心の底がちりちりと焦げ付くような焦燥感がヴァイスを煽った。

 突然のことだった。彼らの目の前の空間に大きな“穴”があいた。穴の先には何も見えないが、穴には色があった。あらゆる色の絵の具をパレットに取り出し、ぐちゃぐちゃにかき回したような、混沌としたな色だった。おそらくこの穴をくぐれば、どこか別の場所にワープできるのだろう。彼らがそう理解するのに時間はかからなかった。

「行ってみようか」
「ウン!」

 ヴァイスとシアンの呼びかけで、ホノオはようやくハッと視線を上げた。ここは謎の空間。砂時計が動き出している。答えを出す時間の猶予が失われていることに気が付き、ホノオは硬直する。硬直したホノオを抜かりなく観察して、ヴァイスは高い目線から声をかける。

「ホノオ。この大切な時に、何をぼーっとしているのさ」
「ご、ごめん」
「ホノオは、セナを助けたくないの? セナが望むなら危険を承知って、真っ先に言ったのはホノオじゃない」
「助けたいよ。助けるための選択肢が、お前らより多いだけ。7度目の世界で何も知らずに生きる瀬那が、オレにだけは想像できるんだ。だから迷っているんだろ」
「そっか。ボク“たち”は、キミと一緒に迷ってあげられないんだ。行こう、シアン」
「う、ウン」

 ヴァイスはホノオに背を向け、颯爽と穴をくぐって先に進んでしまった。ホノオから足を動かす気配を感じられないことに、シアンは寂しい気持ちになった。ぐいっと、ホノオの右手を引く。

「ホノオも、迷いながらでいいからおいでヨ。心の迷宮、よくわからない場所だから、ひとりで取り残されちゃうかもしれないヨ」
「……うん。お前がそう言ってくれるなら、オレも行こうかな。シアン、ありがと」

 やけに素直なホノオに痛々しさすら感じてしまう。シアンはホノオの右腕にぎゅっとしがみつきながら、一緒に穴をくぐった。
 暗く不気味なその色に反して、穴は一瞬で通り抜けられるようなものだった。拍子抜け。目の前に広がるのは、また同じような灰色の部屋。しかしそれだけではなかった。

「あ、みんな……」

 穴をくぐると、そこにはセナがいた。ヴァイスたちを見るなり、少し掠れた声を絞り出す。

「セナ!」

 ヴァイスもシアンもホノオも、驚きの声を上げた。探していたセナが、こんなにも早く見つかった。余裕がある。皆がそう思った途端、砂時計の余りの砂がたっぷりあるように思えてきた。
 何を話せば良いのだろう。そんな戸惑いも確かにあった。しかしそれ以上に、ヴァイスは高揚した。想定外に順調に進む事態に、幸運の予感さえ感じてしまう。せっかくセナを早く見つけられたのだから、ガイアのためにも、もっと早く、早く……。

「迎えに来てくれたんだな。ありがとう。ちょっと怖くなって逃げ出したくなっちまったけど、やっぱりガイアのために、頑張らなくちゃな。それがオイラの使命だもんな。みんな、先に帰っててくれ。オイラも後を追って、この迷宮から出るからさ」
「ウン、わかったヨ!」

 セナの言葉を素直に受け止めて背を向けるシアンを、ヴァイスは止めた。綺麗すぎるほどに素直なセナを、信じることは危険だ。今まで何度騙されてきたことか。

「ボク、セナと一緒に帰りたいんだけど。それじゃ、だめかな?」
「そうだヨ、一緒に帰ろうヨ!」

 目の前のセナには見覚えがあった。迷惑をかけないために、仲間に嘘をつく。そうやってセナは、ミュウツーの研究所に単身で乗り込んだのだ。自分たちを帰したあとでセナが後をついてくる保証などない。セナの下手くそな嘘を、ヴァイスは簡単に見破った。シアンも驚異的な切り替え速度でもってヴァイスに賛同する。セナはうつ向き言葉を探す。

「えーと、その……」
「ボクたちがいると、困るの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、ボクたちと一緒に帰ろうよ。ガイアと地球を守るために、頑張ろう!」

 早く、早く……。ヴァイスの焦りが言葉に変わる。シアンが持っている砂時計を見た。少しだが、確実に残りの砂は減っている。それがヴァイスには大きな痛手に思えた。思うように動かないセナに、モヤモヤした気持ちを抱く。少しずつ言葉を強化してゆく。

「ねえセナ。ボクたちが今こうして心の迷宮にいる間にも、ガイアはどんどん地球に近づいているんだよ。災害もどんどん酷くなって、傷ついているポケモンたちもたくさんいるんだ。死んじゃうポケモンだって、いるんだ。どうせ帰るなら、早ければ早いほどいいよ。だから、ボクたちと一緒に――」
「もうやめてくれッ!!」

 セナは悲鳴のように怒鳴ると、ヴァイスに“水鉄砲”をぶつけた。ヴァイスは想定外の一撃をまともに受け、セナとの距離を引き離された。

「な、何するのさ!」
「もう、帰ってくれ。オイラに構わず、そっとしといてくれ」
「でも――」
「いい加減にしろ! いくら友達だからって、心の中にまでズケズケ入られるのは嫌なんだよ!」

 滅多に声を荒げないセナが、悲痛な叫びをあげて苦しんでいる。ヴァイスの頭が真っ白になる。まずい。状況はますます悪化している。このまま元の世界に帰れなければ、ボクたちはセナを失ってしまう……。失っちゃいけない。追いかけなきゃ。もっと早く。サラサラと砂を落とし続ける砂時計が、ヴァイスを追い込んだ。

「ずっとこんなところにいちゃダメだよ! ボクたち、セナをこんな寂しい場所から出してあげたいんだ。お願い、一緒に来てよ」
「あのさ。いつもいつも、そうやってオイラに指図するのやめてくれる?」
「……え?」
「“仲間を信じて”とか“抱え込まずに”とかさ。確かにお前が言っていることは、いつも正論だよ。オイラがここでウジウジしてるから、今もガイアのポケモンたちが死んでいるってのも、正しいこと、なんだろ。それでもオイラは、“正しく”なりたくてもなれないから、苦しいんだよ。みんなの望むオイラになれないことが……苦しいんだ。でも、どう頑張っても変われないんだ。
 お前は、できないことを他人に突きつけて楽しいの? オイラを叱って見下して、優越感に浸りたいの?」

 痛烈な言葉の刃がヴァイスに突きつけられた。何かが壊れてゆく。

「セナもヴァイスも、喧嘩はやめてヨ!」

 友達が一緒にいるのに、こんなにも険悪な雰囲気。シアンにはそれが耐えられず、甲高い声で仲裁しようとした。しかし。

「……もう、いいよ」

 顔は真っ赤、目には涙。感情が高ぶったヴァイスは止められなかった。

「ボクはセナのことを大事に思って言ってたのに、セナは、ボクがキミを見下しているとか、そんな風に思っていたんだね。じゃあ、もういい。一生誰にも頼らずに、一人で悩みを抱え込んで生きてなよ!!」

 ヴァイスがそう言い放った瞬間だった。「分かったよ」と呟いたセナが、文字通り姿を消した。光となって散るわけでもなく、それまでの彼が幻かと思えるほどに、あっけなく。

「えっ?」

 3人の声が綺麗に重なる。ヴァイスとシアンだけではない。まだ見ぬ未来に心を飛ばしていたホノオでさえも、思わず言葉を漏らした。“涙が引っ込む”感覚を、ヴァイスは初めて実感した。セナが突然消えるなんて、どういうことだろう。心が消えたのか。いや、そんな、まさか。
 皆が考え、しばしの沈黙。ヴァイスはまた、ちらりと砂時計を目に映す。まずい、と思った瞬間。
 この上なく都合がよく、自分では納得できる仮説を、見つけてしまった。

「そうか。きっと、こういうことだよ。今出てきた、消えちゃったセナは、きっと偽物なんだ。ホーリークリスタが変身していたセナのように、そっくりな、でも偽物のセナなんだ。だって、本物のセナがあんな酷いことを言うはずがないもんね」

 ヴァイスが推測を断言した直後だった。シアンの返答を遮るように、また“穴”が出現する。先ほどと同様に、綺麗な色とはとても言えない。しかしヴァイスは、穴に向かって微笑みかけた。――ボクには、セナの全てが分かったのだから。

「行こう。ボクたちの使命は、この迷宮から本物のセナを見つけ出すことなんだ。消えることもなく、明るくて優しい、いつものセナをね。さあ、時間がないよ。シアン、行こう!」

 そう言うと、ヴァイスはすぐに穴に飛び込んだ。まるで、あえてシアンやホノオの返答から逃げるように。
 ――ボクは迷わず進むんだ。だって、セナにどんな酷いことを言われても、偽物と分かれば悲しくなんてないから。消えてしまったんだもの、あれは幻だ。幻の言うことなんかに、負けてはいけない。きっとこれは、ボクたちの友情を試す試練なのだ。負けるもんか。
 希望と現実の境目が複雑に絡み合って、いよいよわからなくなってくる。それでもヴァイスは、自分の出した結論に必死にしがみついた。まだ余裕があるが着々と終わりが近づく砂時計が、ふと心をよぎる。シアンが持つ砂時計を直視することが怖い。想像上の砂時計だけが、ヴァイスの脳に刻み込まれてゆく。
 穴を抜ける一瞬に、ヴァイスの思考はめぐりめぐる。やっと穴を抜けると。
 また、彼がいた。

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