【第041話】誇るべき英断 / ケシキ、イサナ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
「でぃ、災獄界の門じゃないか……これは……!!」
イロハが走行していったと思わしき谷底を、ケシキとイサナは覗きこむ。
広がっていたのは謎の異世界……災獄界の風景そのものである。
そしてこの谷に続くバイクのタイヤ痕……この状況証拠から、導かれる結論はひとつしかない。
「もしかしなくても、イロハちゃんはこの谷底から落ちて……そのまま災獄界に飛び込んだんだろう。」
「そ、そんな……!」
あの世界の恐ろしさは、ケシキも自分自身の身で体験済みだ。
そんな場所に単身で飛び込んでしまえばひとたまりも無いことは、重々承知している。
「は、早く救出しないと……あの世界は、長時間居たら不味いことになる!」
「そうだね……ちょっと待ってて。確か黒衣の観測者の番号は……」
イサナは冷静にスマホを取り出しつつ、学園に公開されている黒衣の電話番号に繋ぐ。
こうした事故が起こった時の対処法は多くの学生……特に前年度に養成プログラムを履修していた学生らには広く周知されているのだ。
『……はい、もしもし。こちら黒衣の観測者。』
電話越しには、やや不機嫌そうな男子学生の声が聞こえてくる。
敬語で応対しない辺り、相手は長雨で間違いないだろう。
「あ、もしもし?南西エリア外れの谷川なんですけど、門が……」
そこまでイサナが言いかけた……ちょうどその時。
ぐらり……と、彼の視界が倒れる。
かと思いきや、今度は地平線が視界の外へとフェードアウトしていく。
加えてその首には、きつく締まるような圧迫感が走っていた。
「ぐ……あっ……!?」
何が起こっているのか、イサナ自身には理解が出来ない。
「こ、ここ、コイツは……!!」
そして一方、彼に何が起こっているのか……その全貌を目にしているケシキは、驚愕のあまり後退りしていた。
彼の視界のど真ん中、そこには……
「キェーーーーーーーーーーッ!!」
大きな白色の鳥ポケモン……オトシドリの姿があった。
おとしものポケモンのオトシドリ……上空から様々な物や人を落として楽しむという、なんとも性悪なポケモンである。
無論、標的にされたら無事で済まないのは言うまでもない。
そのオトシドリはイサナの首を胸元の羽毛で締め上げ、上空に飛び上がってしまっていたのだ。
「あ゛……がっ……ぐ、ぐるじ………!!」
あまりの出来事に焦った彼は、思わずスマホを手放して落としてしまう。
『ど、どうしたッ……ザザッ……おい返事を……ザザッ……!!』
電話越しに長雨が呼びかけるも……それに答える者は誰もいない。
「(嘘だろ……!?オトシドリなんてGAIAに生息しているはずが無いのに……!否、それよりも……)」
慌てていたケシキだが、この状況が芳しくない事は火を見るより明らかだ。
「ああクソッ……おいニャオハッ、『ソーラービーム』でオトシドリを狙撃しろッ!」
「みゃみゃっ!」
ニャオハは光を吸収しつつ、オトシドリの方を目掛けて焦点を定める。
が、しかし……
「キェッキェッキェーーーーッ!!」
その事を理解しているのか、オトシドリはゆらゆらと揺れつつ照準を定めさせないようにしてくる。
「みゃ……みゃお……!?」
光をチャージしつつ、首を左右に動かすニャオハ……まともな射撃など出来るわけもない。
更にその不安定な動きは、ニャオハだけでなくケシキの精神までをも揺らがせる。
そして遂に痺れを切らした彼は……
「え……えぇいニャオハ迷うなッ……撃てッ……!!」
攻撃の指示を焦ってしまった。
「みゃ……みゃーーーーーーーッ!!」
その指示に合わせ、ニャオハも『ソーラービーム』を発射する。
が、しかし……
「キェエエーーーーーーッ!!」
オトシドリはそれをあざ笑うように、ひらりと避けてしまう。
掠ることすら無く、ニャオハの放った光線は夕空の彼方へと消えてしまったのであった。
更にそのついで、と言わんばかりに……オトシドリは羽毛の拘束を解く。
そしてその両足でイサナを蹴り飛ばす。
「う……うわーーーーーーーーーッ!!」
斜めに角度をつけて落下していくイサナ。
その着弾先は……最悪なことに、近くの谷川だった。
彼は底しれぬ谷底……災獄界へと続く場所へ、真っ逆さまに落ちていく。
「い、イサナさんッ……!!」
ケシキがそう呼びかけるも、既に彼は未知の世界の向こう側。
返事など返ってくるわけもない。
「あ……あぁ………」
眼の前で起こった現実に、ケシキは再び震え上がってしまう。
自分の不手際で……より最悪な状況を生み出してしまった。
人体がまともに維持できないような異世界に、イサナを突き落としてしまった。
その失敗は……遂にケシキを正気の淵からドロップアウトさせる。
「う……うわああああああああああッ!!」
「みゃッ!!?」
ケシキはイサナの後を追い、谷底へ……自らダイブしていったのだ。
「みゃ……みゃみゃーーッ!!」
更に続き、驚いた様子のニャオハもその四肢を投げ出す。
こうして3人は……瞬く間に、災獄界の奥底へと落ちていったのだ。
「キェーーーーッキェッキェッ!!」
錯乱したケシキらの姿が、余程滑稽に映ったのだろう。
オトシドリは上空から一部始終を見届け、気色の悪い笑い声を上げる。
「……おいオトシドリ。あまり昂ぶるな。」
そんな彼の元へ、何者かが声をかける。
「キェエエエエエエッ!!」
木陰から現れたその人物の元へと、オトシドリは降り立っていった。
「ハハハ、最近遊ばせていなかったからな。ちょうどいい運動になったか?」
「キェエエエエッ!!」
謎の人物の呼びかけに、オトシドリは嬉しそうに答えた。
「落ちたのは一体誰だ……否、別にどうでもいいか。」
そんなこんなで、彼女はオトシドリの顎を摩りつつ独り言を呟く。
その時……謎の人物のポケットに入っていたスマホに着信が入った。
「……もしもし。こちらMis.W。」
謎の人物……改め、Mis.Wは相槌を打ちつつ変動する。
「……なるほど。アイツがそんなマネを……ふむ、私には関係ないな。では切るぞ……何?それとは別でもう一件?………ふむ、分かった。リベルの奴が機嫌を損ねると不味い。今すぐ向かおう。」
そしてMis.Wは、電話を切る。
少しばかり気だるそうに、肩を捻って歩みだした。
「……さて、忙しくなるぞ。精々踊れ、私の手駒共。」
ーーーーー此処は災獄界。
ビル群が立ち並ぶ大都会の一角のような場所に……ケシキとイサナは投げ出されていた。
「痛てて……う、うわケシキ!?」
「ッ……!」
両者は痛む腰を摩りつつ、ゆっくりと立ち上がる。
そして否が応でも目に飛び込んでくる異常な光景に……両者は驚愕する。
「わわっ……うわっ!?何ここ……これが災獄界!?」
特にこの風景を始めて見るイサナには、その異様さは際立って映っていたのだろう。
ビルが曲がり、道路が電柱みたいに聳えている……訳が分からないその光景に、唖然とするばかりであった。
そんな立ち往生する彼の姿を見て、ケシキは強く自覚してしまう。
この異世界に、自分の不手際で……イサナを巻き込んだことを。
「……イサナさん。すみません、俺の……俺のせ……」
彼は悔恨のあまり、そう溢そうとする。
が、そんな彼の口をイサナが人差し指で塞いだ。
「おいおい、さっき言ったこともう忘れたのか?そうやって自分を蔑む癖、良くないぜ?」
「で、でも……」
「寧ろ君は、迷わずに行動をしたんだ。そこはまず誇っていいと思うよ、僕は。」
イサナはそう言って、笑いかけた。
きっとその笑顔の下に、多くの不安を隠しているだろうに……一切そんな様子は見せない。
「それに……君が来てくれたお陰で、僕もパニクらずに済んでいるんだ。寧ろ感謝しているくらいだ。」
「………。」
「だから、そんな気にしないで?ね?」
「………ッ!!」
その懐の深さが、今のケシキには痛いほど染みていた。
そう……本当に、痛いほど。
「……さて、そうは言ってもどうしたものか。出口の場所とか全然わからないんだけど。」
周囲を見渡し、使えそうなものを探すイサナ。
しかし見渡せど、あるのは不可解で異質な人工物もどきばかりである。
「こういう時は、何か目印があると便利だと……チハヤから聞いたことがあります。ほのおタイプかでんきタイプのポケモンがいると楽なのですが、」
「あ、ごめん……僕みずポケモンしか持ってない。」
以前長雨が使っていた発煙筒式を試そうとしたが、残念ながらそれが出来るポケモンは現在のところ居ない。
加えてケシキのポケモンは、ニャオハ以外全員戦闘不能状態だ。
戦力はほぼほぼイサナ頼りで、その彼のポケモンも先の方法は使えないと来た。
「うーん、他には……あれ?」
そんな時……イサナの視界の先に、何かが見える。
この空間の上空にて……謎の裂け目が出現したのだ。
「あ、あれは……確か……!」
ケシキはその裂け目に、見覚えがあった。
以前災獄界に訪れた時に見た……忌刹が現れる時のものだ。
雷使いの忌刹・ホーンに襲撃される直前に見たそれと……全く同じ形状をしていた。
間もなく、その裂け目からは大量の岩石や砂が零れ落ちる。
そこから現れたのは、橙色のトラ姿のポケモン……ランドロスと酷似した姿の存在であった。
ランドロスのようなソレは、現れるとすぐに高度を落として街のどこかに降下していく。
「……何かヒントが得られるかもしれない。行ってみよう。」
「で、でも……」
「ここにこのまま居ても、消滅する危険があるんだろ?だったら、まずは一か八かだ!」
そう言うとイサナは、足音を立てずにスタスタと早歩きをする。
そしてビル群の隙間を縫いつつ、ランドロスの降り立った場所へと向かっていった。
「みゃみゃ……!」
そこへ続くように、ニャオハが歩みだし……
「あぁ……クソッ、仕方ない!」
ケシキもまた、釣られるように続いていった。
2人と1匹はやがて、広い交差点のような場所に出る。
その場所に居たのはランドロス……
「……ではないな。誰だろ、アレ。」
それは橙色のレザージャケットに身を包んだ、長身の男……そう、クロウである。
その外見から放たれる禍々しさやミステリアスさは、以前ケシキが見ていたホーンと酷く似ているものがあった。
言うまでもなく、先のランドロスとは同一人物である。
その存在を確認したイサナとケシキは、近くの植え込みに身を隠す。
身体を低く伏せ、目立たないように立ち回る。
「(アイツは……迂闊に刺激しないで下さい。下手すれば、一捻りで殺されます。)」
「(あら、経験済み?)」
「(……まぁ、間違ってないです。)」
息を殺しつつ、両者は会話を交わす。
以前出会っていた忌刹の特徴などを、ケシキは掻い摘んでイサナに伝えたのだ。
「(わーお……ソイツは不味いねぇ。でも、どうしてそんな異世界の生き物がこんな場所に?)」
「(さぁ……ただ、あの様子を見るに、何かを探しているようですね。)」
ケシキの考察通り、クロウは交差点の真ん中でキョロキョロと首を動かしている。
まるで何かを探しているような……あるいは、何かを待ち合わせているような。
「……む、なんか近づいてくる?」
そして更にそこへ……交差点の真ん中を、何者かが突っ切ってくる。
遠くから徐々に迫ってきていたのは……
ブロロロロロロ………
……というエンジン音だ。
そう、なんと近づいていたのは、イロハのバイクである。
「(あ、アイツ……やっぱりこの世界にッ!!)」
イロハは臆すること無く、交差点に立つクロウの元へとバイクを走らせる。
そして彼のすぐ目の前で急ブレーキをかけると、激しいドリフトと共に停車をしたのであった。
そしてヘルメットを外した彼女の元へ、クロウは数歩近づく。
「気配を感じたので迎えに来たぞ、イロハ。……今日は随分と急だな。イロハ。」
「チッ……ホントはアタシだってこんな場所来たかねぇよ。」
舌打ち混じりに、イロハは悪態をつきつつ応対する。
「げぇ……。」
「ホゲータは息災か。それは何よりだ。」
サイドカーに搭乗していたホゲータも、クロウに間の抜けた返事をする。
「(な……忌刹と対等に喋っている……だとッ!?)」
ケシキは目の前の光景を疑った。
彼が以前遭遇したホーンとは、あまりにも相違点がありすぎる。
少なくとも、あの時の彼相手ではこんな会話は成立しないだろう。
「それよりもだ……いつも通り、道案内頼むぜ。今度はイッシュ地方だ。」
「心得た。また試薬の密輸か?」
「ケッ……まぁな。ペチュニアの奴、人使いが荒いったらありゃしねぇ。」
「ふむ……大変だな。」
至って普通に……自然に会話をしていくふたり。
その様子を見るに、かなり長い付き合いのようだ。
「(忌刹とあそこまでの関係を築いているとは……というか、どうして災獄界の中で正気でいられる……?イロハ・クレナイ、一体何者だ……!?)」
ケシキはその謎めいた関係性に、頭を悩ませる。
だがそうこうしているうちに、イロハは再度ヘルメットを被ってバイクへと搭乗しようとしていた。
「ま、まずいッ……!」
その様子を見たイサナは、すぐに植え込みから飛び出した。
そして交差点の真ん中に居るクロウ達の元へと、一直線に駆けていったのだ。
「ちょ、イサナさん……!?」
「おーーーーーい!!ちょっとそこの君たちーーーーーッ!!」
せっかく掴みかけたチャンスを逃すまい……と、イサナは彼らに声をかける。
危害は加えてこないだろう……と踏んでの判断だ。
「ッ……て、テメェ、戴冠者の!?」
「……誰だ、お前は。」
「いやいや、こっちの世界に迷い込んじゃったんだけどさー。出口とか教えてくれないかなー……なんて。」
イサナは笑顔と共に交渉を試みる……が、しかし。
クロウはきょとんとした様子であり、イロハの方は苦虫を潰したような顔をしている。
「イロハ、コイツはお前の敵か?」
「……別にそうじゃねぇ。が、このやりとりを見られたんなら……生かして返すわけには行かねぇ。」
「え……。」
「そうか……お前が言うなら、仕方あるまい。」
「え、ちょ……。」
イサナの予想に反し、状況は一気に悪化した。
クロウはイロハの返事を聞き届けると、その右腕を空高く掲げる。
すると瞬く間に周囲には砂嵐が巻き起こる。
「う、うわッ……!」
あまりの勢いに、イサナは腕で顔を塞ぐ。
彼の視界が猛烈な砂塵によって遮られているうちに……
「ずらかるぞッ……あとはテメェの災獣に足止めさせとけッ!!」
「心得た。」
イロハとクロウはバイクに乗り、エンジンをかける。
そしてそのまま、その場を走り去ってしまったのだ。
「あ、ま……待っ……!」
やがて残留した砂嵐が、具体的な輪郭を形成していく。
巨大な鼻とキバを持ったその姿……
「こ……これは……ポケモン……!?」
『ファーーーーーアアアンドッ!!』
ポケモンのような姿の使い魔……災獣と呼ばれたソレはけたたましい咆哮を上げる。
「な、何これッ!?ドンファン!?デカッ!?」
確かにその姿は、ドンファンと大きく酷似している。
しかし身体に爬虫類のような鱗があったり、象牙が歪んでいたりと……相違点も数多くある。
「アレは『イダイナキバ』……!!パルデア地方の奥底に居ると言われている、遥か古代のポケモンッ……!」
ケシキの言う通り、これはイダイナキバというポケモンだ。
パルデア地方という場所の生態系に悪影響を与えている、厄介で強力なポケモンである。
「こ、古代のポケモン!?えぇッ!?どうしてこんな場所に!?」
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
未知のポケモンの登場に、驚き慌てるイサナ。
しかし相手の敵意は最大級……今にも、彼に襲いかかっている寸前だ。
「ちょ、ちょっと一人じゃ無理だコレッ!ケシキーーーッ!!」
「ッ……!!」
イサナの判断通り、このイダイナキバはあまりにも強力。
トレーナーひとりの力で太刀打ちできる相手ではない。
少なくとも数人のチーム連携が必要……だが。
「(俺の力で、こんな相手に勝てるわけが……!!)」
先までの連戦連敗で、後ろ向きになっていたケシキ。
チハヤに負け、オトシドリから救えず……そんな自分に、この眼の前の強敵が倒せるとは思えなかったのだ。
が、しかし……
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
そうして迷っている間にも、イダイナキバはケシキに襲いかかろうとしてきている。
「みゃ!みゃお!」
「……行けるのか?ニャオハ。」
「ふしーーーーッ!!」
ニャオハは全身の毛を逆立て、イサナとイダイナキバの間に果敢に突っ込んでいく。
『行けるのか?』ではない……『行くのだ』と言わんばかりに。
「……えぇいやむを得んッ!行くぞニャオハッ!!」
「みゃーーーーッ!」
「ッ……そう来なくっちゃ!んじゃ、僕らも行くぞ……キングドラッ!!」
「むるーーーーッ!!」
戦意に火を灯したケシキを見届け、イサナも自身のポケモンを呼び出す。
呼び出されたのはキングドラ……海底から巨大な渦潮を起こすと言われている、ドラゴンポケモンだ。
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
「さて……負ければ終わりッ、気合い入れてこうぜ、ケシキッ!!」
「無論ですッ……行くぞニャオハッ!!」
イロハが走行していったと思わしき谷底を、ケシキとイサナは覗きこむ。
広がっていたのは謎の異世界……災獄界の風景そのものである。
そしてこの谷に続くバイクのタイヤ痕……この状況証拠から、導かれる結論はひとつしかない。
「もしかしなくても、イロハちゃんはこの谷底から落ちて……そのまま災獄界に飛び込んだんだろう。」
「そ、そんな……!」
あの世界の恐ろしさは、ケシキも自分自身の身で体験済みだ。
そんな場所に単身で飛び込んでしまえばひとたまりも無いことは、重々承知している。
「は、早く救出しないと……あの世界は、長時間居たら不味いことになる!」
「そうだね……ちょっと待ってて。確か黒衣の観測者の番号は……」
イサナは冷静にスマホを取り出しつつ、学園に公開されている黒衣の電話番号に繋ぐ。
こうした事故が起こった時の対処法は多くの学生……特に前年度に養成プログラムを履修していた学生らには広く周知されているのだ。
『……はい、もしもし。こちら黒衣の観測者。』
電話越しには、やや不機嫌そうな男子学生の声が聞こえてくる。
敬語で応対しない辺り、相手は長雨で間違いないだろう。
「あ、もしもし?南西エリア外れの谷川なんですけど、門が……」
そこまでイサナが言いかけた……ちょうどその時。
ぐらり……と、彼の視界が倒れる。
かと思いきや、今度は地平線が視界の外へとフェードアウトしていく。
加えてその首には、きつく締まるような圧迫感が走っていた。
「ぐ……あっ……!?」
何が起こっているのか、イサナ自身には理解が出来ない。
「こ、ここ、コイツは……!!」
そして一方、彼に何が起こっているのか……その全貌を目にしているケシキは、驚愕のあまり後退りしていた。
彼の視界のど真ん中、そこには……
「キェーーーーーーーーーーッ!!」
大きな白色の鳥ポケモン……オトシドリの姿があった。
おとしものポケモンのオトシドリ……上空から様々な物や人を落として楽しむという、なんとも性悪なポケモンである。
無論、標的にされたら無事で済まないのは言うまでもない。
そのオトシドリはイサナの首を胸元の羽毛で締め上げ、上空に飛び上がってしまっていたのだ。
「あ゛……がっ……ぐ、ぐるじ………!!」
あまりの出来事に焦った彼は、思わずスマホを手放して落としてしまう。
『ど、どうしたッ……ザザッ……おい返事を……ザザッ……!!』
電話越しに長雨が呼びかけるも……それに答える者は誰もいない。
「(嘘だろ……!?オトシドリなんてGAIAに生息しているはずが無いのに……!否、それよりも……)」
慌てていたケシキだが、この状況が芳しくない事は火を見るより明らかだ。
「ああクソッ……おいニャオハッ、『ソーラービーム』でオトシドリを狙撃しろッ!」
「みゃみゃっ!」
ニャオハは光を吸収しつつ、オトシドリの方を目掛けて焦点を定める。
が、しかし……
「キェッキェッキェーーーーッ!!」
その事を理解しているのか、オトシドリはゆらゆらと揺れつつ照準を定めさせないようにしてくる。
「みゃ……みゃお……!?」
光をチャージしつつ、首を左右に動かすニャオハ……まともな射撃など出来るわけもない。
更にその不安定な動きは、ニャオハだけでなくケシキの精神までをも揺らがせる。
そして遂に痺れを切らした彼は……
「え……えぇいニャオハ迷うなッ……撃てッ……!!」
攻撃の指示を焦ってしまった。
「みゃ……みゃーーーーーーーッ!!」
その指示に合わせ、ニャオハも『ソーラービーム』を発射する。
が、しかし……
「キェエエーーーーーーッ!!」
オトシドリはそれをあざ笑うように、ひらりと避けてしまう。
掠ることすら無く、ニャオハの放った光線は夕空の彼方へと消えてしまったのであった。
更にそのついで、と言わんばかりに……オトシドリは羽毛の拘束を解く。
そしてその両足でイサナを蹴り飛ばす。
「う……うわーーーーーーーーーッ!!」
斜めに角度をつけて落下していくイサナ。
その着弾先は……最悪なことに、近くの谷川だった。
彼は底しれぬ谷底……災獄界へと続く場所へ、真っ逆さまに落ちていく。
「い、イサナさんッ……!!」
ケシキがそう呼びかけるも、既に彼は未知の世界の向こう側。
返事など返ってくるわけもない。
「あ……あぁ………」
眼の前で起こった現実に、ケシキは再び震え上がってしまう。
自分の不手際で……より最悪な状況を生み出してしまった。
人体がまともに維持できないような異世界に、イサナを突き落としてしまった。
その失敗は……遂にケシキを正気の淵からドロップアウトさせる。
「う……うわああああああああああッ!!」
「みゃッ!!?」
ケシキはイサナの後を追い、谷底へ……自らダイブしていったのだ。
「みゃ……みゃみゃーーッ!!」
更に続き、驚いた様子のニャオハもその四肢を投げ出す。
こうして3人は……瞬く間に、災獄界の奥底へと落ちていったのだ。
「キェーーーーッキェッキェッ!!」
錯乱したケシキらの姿が、余程滑稽に映ったのだろう。
オトシドリは上空から一部始終を見届け、気色の悪い笑い声を上げる。
「……おいオトシドリ。あまり昂ぶるな。」
そんな彼の元へ、何者かが声をかける。
「キェエエエエエエッ!!」
木陰から現れたその人物の元へと、オトシドリは降り立っていった。
「ハハハ、最近遊ばせていなかったからな。ちょうどいい運動になったか?」
「キェエエエエッ!!」
謎の人物の呼びかけに、オトシドリは嬉しそうに答えた。
「落ちたのは一体誰だ……否、別にどうでもいいか。」
そんなこんなで、彼女はオトシドリの顎を摩りつつ独り言を呟く。
その時……謎の人物のポケットに入っていたスマホに着信が入った。
「……もしもし。こちらMis.W。」
謎の人物……改め、Mis.Wは相槌を打ちつつ変動する。
「……なるほど。アイツがそんなマネを……ふむ、私には関係ないな。では切るぞ……何?それとは別でもう一件?………ふむ、分かった。リベルの奴が機嫌を損ねると不味い。今すぐ向かおう。」
そしてMis.Wは、電話を切る。
少しばかり気だるそうに、肩を捻って歩みだした。
「……さて、忙しくなるぞ。精々踊れ、私の手駒共。」
ーーーーー此処は災獄界。
ビル群が立ち並ぶ大都会の一角のような場所に……ケシキとイサナは投げ出されていた。
「痛てて……う、うわケシキ!?」
「ッ……!」
両者は痛む腰を摩りつつ、ゆっくりと立ち上がる。
そして否が応でも目に飛び込んでくる異常な光景に……両者は驚愕する。
「わわっ……うわっ!?何ここ……これが災獄界!?」
特にこの風景を始めて見るイサナには、その異様さは際立って映っていたのだろう。
ビルが曲がり、道路が電柱みたいに聳えている……訳が分からないその光景に、唖然とするばかりであった。
そんな立ち往生する彼の姿を見て、ケシキは強く自覚してしまう。
この異世界に、自分の不手際で……イサナを巻き込んだことを。
「……イサナさん。すみません、俺の……俺のせ……」
彼は悔恨のあまり、そう溢そうとする。
が、そんな彼の口をイサナが人差し指で塞いだ。
「おいおい、さっき言ったこともう忘れたのか?そうやって自分を蔑む癖、良くないぜ?」
「で、でも……」
「寧ろ君は、迷わずに行動をしたんだ。そこはまず誇っていいと思うよ、僕は。」
イサナはそう言って、笑いかけた。
きっとその笑顔の下に、多くの不安を隠しているだろうに……一切そんな様子は見せない。
「それに……君が来てくれたお陰で、僕もパニクらずに済んでいるんだ。寧ろ感謝しているくらいだ。」
「………。」
「だから、そんな気にしないで?ね?」
「………ッ!!」
その懐の深さが、今のケシキには痛いほど染みていた。
そう……本当に、痛いほど。
「……さて、そうは言ってもどうしたものか。出口の場所とか全然わからないんだけど。」
周囲を見渡し、使えそうなものを探すイサナ。
しかし見渡せど、あるのは不可解で異質な人工物もどきばかりである。
「こういう時は、何か目印があると便利だと……チハヤから聞いたことがあります。ほのおタイプかでんきタイプのポケモンがいると楽なのですが、」
「あ、ごめん……僕みずポケモンしか持ってない。」
以前長雨が使っていた発煙筒式を試そうとしたが、残念ながらそれが出来るポケモンは現在のところ居ない。
加えてケシキのポケモンは、ニャオハ以外全員戦闘不能状態だ。
戦力はほぼほぼイサナ頼りで、その彼のポケモンも先の方法は使えないと来た。
「うーん、他には……あれ?」
そんな時……イサナの視界の先に、何かが見える。
この空間の上空にて……謎の裂け目が出現したのだ。
「あ、あれは……確か……!」
ケシキはその裂け目に、見覚えがあった。
以前災獄界に訪れた時に見た……忌刹が現れる時のものだ。
雷使いの忌刹・ホーンに襲撃される直前に見たそれと……全く同じ形状をしていた。
間もなく、その裂け目からは大量の岩石や砂が零れ落ちる。
そこから現れたのは、橙色のトラ姿のポケモン……ランドロスと酷似した姿の存在であった。
ランドロスのようなソレは、現れるとすぐに高度を落として街のどこかに降下していく。
「……何かヒントが得られるかもしれない。行ってみよう。」
「で、でも……」
「ここにこのまま居ても、消滅する危険があるんだろ?だったら、まずは一か八かだ!」
そう言うとイサナは、足音を立てずにスタスタと早歩きをする。
そしてビル群の隙間を縫いつつ、ランドロスの降り立った場所へと向かっていった。
「みゃみゃ……!」
そこへ続くように、ニャオハが歩みだし……
「あぁ……クソッ、仕方ない!」
ケシキもまた、釣られるように続いていった。
2人と1匹はやがて、広い交差点のような場所に出る。
その場所に居たのはランドロス……
「……ではないな。誰だろ、アレ。」
それは橙色のレザージャケットに身を包んだ、長身の男……そう、クロウである。
その外見から放たれる禍々しさやミステリアスさは、以前ケシキが見ていたホーンと酷く似ているものがあった。
言うまでもなく、先のランドロスとは同一人物である。
その存在を確認したイサナとケシキは、近くの植え込みに身を隠す。
身体を低く伏せ、目立たないように立ち回る。
「(アイツは……迂闊に刺激しないで下さい。下手すれば、一捻りで殺されます。)」
「(あら、経験済み?)」
「(……まぁ、間違ってないです。)」
息を殺しつつ、両者は会話を交わす。
以前出会っていた忌刹の特徴などを、ケシキは掻い摘んでイサナに伝えたのだ。
「(わーお……ソイツは不味いねぇ。でも、どうしてそんな異世界の生き物がこんな場所に?)」
「(さぁ……ただ、あの様子を見るに、何かを探しているようですね。)」
ケシキの考察通り、クロウは交差点の真ん中でキョロキョロと首を動かしている。
まるで何かを探しているような……あるいは、何かを待ち合わせているような。
「……む、なんか近づいてくる?」
そして更にそこへ……交差点の真ん中を、何者かが突っ切ってくる。
遠くから徐々に迫ってきていたのは……
ブロロロロロロ………
……というエンジン音だ。
そう、なんと近づいていたのは、イロハのバイクである。
「(あ、アイツ……やっぱりこの世界にッ!!)」
イロハは臆すること無く、交差点に立つクロウの元へとバイクを走らせる。
そして彼のすぐ目の前で急ブレーキをかけると、激しいドリフトと共に停車をしたのであった。
そしてヘルメットを外した彼女の元へ、クロウは数歩近づく。
「気配を感じたので迎えに来たぞ、イロハ。……今日は随分と急だな。イロハ。」
「チッ……ホントはアタシだってこんな場所来たかねぇよ。」
舌打ち混じりに、イロハは悪態をつきつつ応対する。
「げぇ……。」
「ホゲータは息災か。それは何よりだ。」
サイドカーに搭乗していたホゲータも、クロウに間の抜けた返事をする。
「(な……忌刹と対等に喋っている……だとッ!?)」
ケシキは目の前の光景を疑った。
彼が以前遭遇したホーンとは、あまりにも相違点がありすぎる。
少なくとも、あの時の彼相手ではこんな会話は成立しないだろう。
「それよりもだ……いつも通り、道案内頼むぜ。今度はイッシュ地方だ。」
「心得た。また試薬の密輸か?」
「ケッ……まぁな。ペチュニアの奴、人使いが荒いったらありゃしねぇ。」
「ふむ……大変だな。」
至って普通に……自然に会話をしていくふたり。
その様子を見るに、かなり長い付き合いのようだ。
「(忌刹とあそこまでの関係を築いているとは……というか、どうして災獄界の中で正気でいられる……?イロハ・クレナイ、一体何者だ……!?)」
ケシキはその謎めいた関係性に、頭を悩ませる。
だがそうこうしているうちに、イロハは再度ヘルメットを被ってバイクへと搭乗しようとしていた。
「ま、まずいッ……!」
その様子を見たイサナは、すぐに植え込みから飛び出した。
そして交差点の真ん中に居るクロウ達の元へと、一直線に駆けていったのだ。
「ちょ、イサナさん……!?」
「おーーーーーい!!ちょっとそこの君たちーーーーーッ!!」
せっかく掴みかけたチャンスを逃すまい……と、イサナは彼らに声をかける。
危害は加えてこないだろう……と踏んでの判断だ。
「ッ……て、テメェ、戴冠者の!?」
「……誰だ、お前は。」
「いやいや、こっちの世界に迷い込んじゃったんだけどさー。出口とか教えてくれないかなー……なんて。」
イサナは笑顔と共に交渉を試みる……が、しかし。
クロウはきょとんとした様子であり、イロハの方は苦虫を潰したような顔をしている。
「イロハ、コイツはお前の敵か?」
「……別にそうじゃねぇ。が、このやりとりを見られたんなら……生かして返すわけには行かねぇ。」
「え……。」
「そうか……お前が言うなら、仕方あるまい。」
「え、ちょ……。」
イサナの予想に反し、状況は一気に悪化した。
クロウはイロハの返事を聞き届けると、その右腕を空高く掲げる。
すると瞬く間に周囲には砂嵐が巻き起こる。
「う、うわッ……!」
あまりの勢いに、イサナは腕で顔を塞ぐ。
彼の視界が猛烈な砂塵によって遮られているうちに……
「ずらかるぞッ……あとはテメェの災獣に足止めさせとけッ!!」
「心得た。」
イロハとクロウはバイクに乗り、エンジンをかける。
そしてそのまま、その場を走り去ってしまったのだ。
「あ、ま……待っ……!」
やがて残留した砂嵐が、具体的な輪郭を形成していく。
巨大な鼻とキバを持ったその姿……
「こ……これは……ポケモン……!?」
『ファーーーーーアアアンドッ!!』
ポケモンのような姿の使い魔……災獣と呼ばれたソレはけたたましい咆哮を上げる。
「な、何これッ!?ドンファン!?デカッ!?」
確かにその姿は、ドンファンと大きく酷似している。
しかし身体に爬虫類のような鱗があったり、象牙が歪んでいたりと……相違点も数多くある。
「アレは『イダイナキバ』……!!パルデア地方の奥底に居ると言われている、遥か古代のポケモンッ……!」
ケシキの言う通り、これはイダイナキバというポケモンだ。
パルデア地方という場所の生態系に悪影響を与えている、厄介で強力なポケモンである。
「こ、古代のポケモン!?えぇッ!?どうしてこんな場所に!?」
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
未知のポケモンの登場に、驚き慌てるイサナ。
しかし相手の敵意は最大級……今にも、彼に襲いかかっている寸前だ。
「ちょ、ちょっと一人じゃ無理だコレッ!ケシキーーーッ!!」
「ッ……!!」
イサナの判断通り、このイダイナキバはあまりにも強力。
トレーナーひとりの力で太刀打ちできる相手ではない。
少なくとも数人のチーム連携が必要……だが。
「(俺の力で、こんな相手に勝てるわけが……!!)」
先までの連戦連敗で、後ろ向きになっていたケシキ。
チハヤに負け、オトシドリから救えず……そんな自分に、この眼の前の強敵が倒せるとは思えなかったのだ。
が、しかし……
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
そうして迷っている間にも、イダイナキバはケシキに襲いかかろうとしてきている。
「みゃ!みゃお!」
「……行けるのか?ニャオハ。」
「ふしーーーーッ!!」
ニャオハは全身の毛を逆立て、イサナとイダイナキバの間に果敢に突っ込んでいく。
『行けるのか?』ではない……『行くのだ』と言わんばかりに。
「……えぇいやむを得んッ!行くぞニャオハッ!!」
「みゃーーーーッ!」
「ッ……そう来なくっちゃ!んじゃ、僕らも行くぞ……キングドラッ!!」
「むるーーーーッ!!」
戦意に火を灯したケシキを見届け、イサナも自身のポケモンを呼び出す。
呼び出されたのはキングドラ……海底から巨大な渦潮を起こすと言われている、ドラゴンポケモンだ。
『ファーーーーアアアアアンドッ!!』
「さて……負ければ終わりッ、気合い入れてこうぜ、ケシキッ!!」
「無論ですッ……行くぞニャオハッ!!」
[ポケモンファイル]
☆キングドラ(♂)
☆親:イサナ
☆詳細:イサナのエースにして最初のポケモン。昨年度授業を履修するにあたって、タッツーをアゼンド湾で素手で生け捕りにしてきたらしい。肺活量どーなってんだ。
☆キングドラ(♂)
☆親:イサナ
☆詳細:イサナのエースにして最初のポケモン。昨年度授業を履修するにあたって、タッツーをアゼンド湾で素手で生け捕りにしてきたらしい。肺活量どーなってんだ。