アクア団のゆううつ

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読了時間目安:47分
「たまには船旅ってのもいいもんだな!」
「ミュウー!」

 定期船の甲板、心地良い潮風を浴びながらユウイチは遥か遠くの地方へと向かっていた。
 現状ユウイチの中にあった自身が指名手配されているのではないかという疑問は結局思い過ごしであったことが分かったため、これ以上居を移す必要はなかったのだが、目的は何も移住のためではない。

「コンテスト?」
「そう。ポケモンの強さじゃなくて色々な魅力を評価する品評会みたいなのが他の地方だとあるらしいんだ」

 というトオルの情報を元に遠路はるばる移動していた。
 ポケモントレーナーに専念しているトオルはあまり詳しい情報を持っていなかったが、聞く所によればポケモンはバトルをするのではなく、ステージでパフォーマンスを披露するのだという。
 詳細が分かっていないのではっきりとは言えないが、もしそうならばユウイチの生きる道が見つかるかも知れない。
 というふんわりとした情報を元にそのポケモンの魅力を競うコンテストとやらの詳しい内容を調べに来ていた。
 本来ならば躊躇するところだが、現状ユウイチは根無し草であるためフットワークの軽さが取り柄だ。
 もしそのコンテストがユウイチの性分に合うのであれば、今連れているヘルガーとバンギラスとももしかすると上手く別の生き方で付き合っていくことができるかも知れない。
 というのも、トオルと別れてから既にかなりの期間が空いていた。
 トオルにも言っていた通り、本当はヘルガーとバンギラスは野生に返す為に毎日世話をし、少しずつ恐怖心を解きほぐしていっていたのだが、ユウイチの目論見通りには行かず、随分と懐かれてしまっていた。
 一度は無理矢理逃がして野生に返したのだが、手元を離れてもユウイチの元を離れようとしないほどベッタリになってしまったため、仕方なくまた手持ちのポケモンとして連れている。
 ミューのように自由についてこれるのなら放置でも良かったのだが、この二匹に関しては自由に空を飛べるわけではない上に大きいためそうもいかず、形式上トレーナーとなっていた。
 名前も付けてやったのだがこれまた安直で、バンギラスの方はバギューバギューとよく鳴くからギュー、ヘルガーの方もガルルとよく唸るのでガルと名付けられた。
 随分と安直な名前だが当のポケモン達は相当に気に入っているらしく、呼ばれれば嬉しそうに寄ってくるほどだ。
 そんなこんなで随分と久し振りの長距離移動だが、暫くキャンプ生活を続けていたおかげで今までよりも随分と体力も付き、これまで苦手としていた大きなポケモンとの生活も長くなったことで前よりは多少はポケモン嫌いが緩和されていた。
 その甲斐もあって今回の船旅を決行出来たという側面も強いだろう。
 船を降りて真っ先に向かうのは港町……ではなく、すぐ近くの森の中。
 周囲にトレーナーの姿が無いのを確認すると、ギューとガルをボールから出してやり、すぐに食事の準備を始めた。

「悪いな、ミュー。船旅に突き合わせて」
「ミュミュ」

 人も多く移動速度も早い船旅だと流石にミューもついてくる事を諦めると思っていたため、一先ずミューを労うための場としてすぐにでもキャンプをしたかった。
 ミューは念動力で細かい動作もできるため、テントの設営は任せ、その間にユウイチが食材の下準備を行い、ギューとガルが枯れ枝を集めてくる。
 最早慣れた手つきであっという間に準備ができ、野菜と木の実のポトフを囲ってささやかなお祝いとなった。

「美味いか?」
「ミュ」
「バギュ」
「ガウ」

 ユウイチの問いかけに三匹ともいつもの味だとでも言うように食べながら頷く。
 これまではあまり誰かに食べさせる為に料理を作ることが無かったため、料理の味や見た目を気にしたことは無かったが、美味しそうに食べる誰かがいると思わず作るのが楽しくなってしまう。
 とはいえ、料理の機会と量が増えたということは、それだけ食料も持ち歩かなければならないということ。
 木の実や山菜等はその場で手に入るが、肉や魚はそうはいかない。
 そのため基本的には保存の利く缶詰やパウチを常備するようにしているが、もう一つ大きな問題があるとすれば飲み水だろう。
 水ばかりは食料と違い、切れると生命に関わる。
 川があれば水の補充はできるが、木の実や山菜と違い必ずあるとも言い切れない。
 そう考えるとあまり町から離れて行動するのは難しいだろう。
 町の近くで行動するようになると一番困るのはミューだ。
 確かにユウイチも手持ちの三匹に関しては慣れたが、町中のポケモンに慣れたわけではないため、あまり用がなければ近寄りたくはないが、ミューの場合は姿を晒すのは死活問題となる。

「とりあえずコンテストとやらがどんな感じなのか把握したいけれど……ミューには負担を掛けたくないしなぁ。どうしたもんかね……」
「ミュ!」
「ん?」

 一人でぼやきながら考え事をしていると、不意にミューの声が聞こえてきた。
 しかしそちらを見ても姿はなく、何処に行ったのかと周囲を見回すと手に何かが触れた感覚があった。
 だがやはりそこにも何もない。

「ん? もしかしてこの感触……ミューか?」
「ミュミュー」

 触り慣れた柔らかい感触に気付き、ユウイチがそう口にすると何もないと思っていた空間の景色が歪み、代わりにミューが現れた。
 驚かそう、というよりは自分にはこういう能力があるんだ。と言いたげな様子だった。

「あーなるほど! てっきり何処か遠い所に行ってるのかと思ってたけど、単に見えないだけだったのか」
「ミュー」

 ユウイチが納得したのを見るとミューは自慢気に宙で身体をくるりと一回転させてから反らした。
 とりあえずこれでユウイチが抱えていた問題は解決したため、今一度街の方へと戻る。
 自身が不可視になれる事を教えたからか、ミューはそれまで遠慮していたのか透明なままでも定位置であるユウイチの頭の上に張り付き、感触だけを伝えたまま街を散策する。
 最初にユウイチが住んでいた町のようにとても大きな建物が立ち並んでおり、道行く人々皆ポケモンを連れて歩いているのがよく分かる。
 が、やはりトオルが言っていたようにこの地方のポケモン達は少し違った。
 これまでポケモンをまじまじと眺めたことなど殆ど無かったユウイチでさえ、目を奪われるほど美しい金色の毛並みをたなびかせるキュウコンや、愛らしい表情で周囲の人間を虜にしているタマザラシ等の明らかに周囲のポケモンと一線を画す容姿を持つポケモンがいる。
 食料の買い足しを済ませつつ、早速その一際目立つポケモン達を連れた人間に話を聞き、コンテスト会場へと足を運んだ。
 聞いた所この街にはジムは存在しないらしく、その分ポケモンバトルを語り合いたい人々はポケモントレーナーファンクラブへと通いつめて様々な議論を繰り広げており、そうでない者達は専らコンテストに夢中だった。
 とりあえずコンテストの観覧席へと向かったが、生まれてこの方ポケモンバトルの観戦すらしたことがないユウイチからすれば周囲の人間の連れているポケモンを警戒しっぱなしの状況だ。
 席に着いてコンテストの開始を静かに待っていると会場内の電気が一斉に消え、それと同時に会場のざわざわも静まり返った。

「レディース&ジェントルメーン! 大変長らくお待たせ致しました! それでは本日のポケモンコンテスト、美しさ部門、ノーマルランクの部を開始致します!!」

 司会がスポットライトに照らし出され、その声に応じる様にその場にいた観客達から拍手と共に歓声が上がる。
 ユウイチもつられて拍手をしているとステージ上がライトアップされた。
 傍目に見てもそのポケモン達は美しく、毛艶もライトアップによってより際立っている。
 一人目二人目……とただポケモンとそのトレーナーがライトアップされてゆくだけだが、確かにそこでスポットライトを浴びるポケモン達はユウイチの目から見ても美しく、惹かれるものがあった。
 そのまま一人ずつポケモンの技を繰り出してのアピールタイムへと突入したが、それは正にユウイチの知らない世界だった。
 敵は居らず、ただ一人と一匹が舞台の上で技と共に舞い踊る。
 自信に満ちたポケモンが自らの美しさを誇示するように、トレーナーの指示によって艶やかに技を振るう。
 確かにその瞬間、ユウイチは目の前の光景に魅了されていたのだろう。
 心の中でトオルに感謝しながら、ユウイチはそのコンテストが終わるまでただ静かに眺めていた。


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 コンテスト後、ユウイチはすぐさま参加していたトレーナーを探して会場外をウロウロとしていたが、当然ながら出会えたところで取り合ってもらえない。
 仕方なくコンテスト会場のロビーに戻ると、そこには少し前に町中で見かけた美しいキュウコンを連れたトレーナーが周囲の人間の注目を集めていた。

「はいは~い! 押さないで~。どんな質問でも答えるから一人ずつね~。サインは後でね~」

 見るからに有名人だと分かるが、ファンサービス中も表情は極めて優しかった。
 キュウコンの方も普段からそういった反応に慣れているのか、スマホロトムを向けられると写真として映えるようなポーズをとって大人しくしている。
 そんな集団の後ろにユウイチはポケモンを避けつつ並び、静かに話を聞いていたが、どうにもそこの人だかりはユウイチとは目的が違うらしく、次の大会への意気込みや好きなお店等のファンらしい質問ばかりが飛び交っていた。
 結局その質問時間の間にユウイチが声を発することはできず、一人ずつサインを貰ってその場を去ってゆく中、ユウイチはただ静かに話しかけるチャンスを待ち続けた。

「君は何にサインを書いて欲しいのかな?」
「あ、いえ、実は……」

 遂にその場にいた人間も全て帰り、ユウイチだけが残された。
 そこでユウイチは意を決し、口にした。

「俺もポケモンをコンテストに出場させてやりたいんです! ただ、何も分からないので不躾だとは分かってるんですけど、色々と教えて貰えないでしょうか!?」

 ユウイチの言葉を聞いてから数刻沈黙が続いたが、彼は決して渋い表情を浮かべてはいなかった。
 寧ろ少し驚いた表情を浮かべたままだったが、すぐに口角を上げた。

「弟子入りってやつかな? 今時そんな人がいるとは思わなかったよ」
「す、すみません……」
「ああ、勘違いさせたなら謝るよ。別に君の事が迷惑だと言っている訳じゃなくてね、今時そんな気概のある人間もいるんだなぁって思っただけだよ」

 そう言ってその男性は口元を軽く押えて笑ってみせた。
 キュウコンを引き連れる彼は上品な白のスーツを身に纏い、薄い青のレースのマフラーとウェーブのかかった片方に流されたオシャレな髪型が特徴的な人物だったが、同時にとても親しみやすい雰囲気も醸し出している。

「一応聞いておくけど、ボクの事は知ってるかな?」
「すみません……。知らないです」

 ユウイチが正直に答えると彼は愉快そうに笑ってみせた。

「じゃあ自己紹介からだね。ボクはコーディ。ポケモンコーディネーター兼『人間にもポケモンにも使える良い物を』がキャッチコピーのブランド、カミナギの経営者だよ」
「えっ……。もしかして、ものすごく有名な人だったりします?」
「自慢じゃないけどあのミクリさんにも認められる実力は備えてるよ。まあ、その様子だとミクリさんも知らなさそうだけどね。まあマスターランクの常連だと思ってくれればいいかな?」
「本当にすみません……」

 ユウイチが深々と頭を下げながら謝ると、コーディは声に出して笑った。

「いいよいいよ。怒ってるわけじゃないから。それよりも気になるのは……逆になんでそれほどまでに疎いポケモンコーディネーターという世界に急に飛び込もうと思ったのか。って所かな?」
「何処から話すべきか……」
「かなり訳あり? 大丈夫だよ。時間はあるから」

 コーディにそう言われ、ユウイチは静かにこれまでの事を語った。
 ポケモンをけしかけられた過去が原因でポケモンが苦手な事。
 トレーナーとしての知識が不十分な上、できればポケモンバトルでポケモンが傷付く所も見たくない事。
 その折、ポケモンを戦わせずに競い合うポケモンコンテストが存在すると知人から教えてもらい、藁にも縋る気持ちではるばるこの地方までやってきた事……。

「君はポケモンは好きかい?」

 一通りユウイチの話を聞いて、コーディは暫く考え込んだ後、ユウイチに改めてそう聞いた。
 少しだけ悩みはしたが、ユウイチの答えは変わらない。

「苦手ですね」
「それは君が連れているポケモンに対しても同じかい?」

 帰ってくる答えが分かっていたからか、コーディは付け加えるように質問を重ねる。
 思わぬ問いかけにユウイチは少しだけ言葉に詰まった。
 はっきりと口にしてしまえば、未だに恐ろしくて仕方がない。
 ユウイチを慕ってくれているとは理解しているが、それでもギューもガルも不意に近くに寄られると今でも思わず硬直してしまうほどだ。
 二匹ともそれを理解してくれているからこそ、ユウイチに何かしら用がある場合、必ず見える位置から一声鳴いてから近寄るようにしている。
 そういった気遣いを思えばギューとして、ガルとして、はお互いを思いやれる関係であるため好きだが、指示があったとはいえ一度はユウイチと直接戦った間柄でもある。
 過去にも似たような犬系のポケモンに襲われた経験が有るため、特にヘルガーは恐ろしく、バンギラスもミューが助けてくれはしたものの、一度は死を覚悟するほどの攻撃をされていることもあって心情としてはとても好きとは言えない。

「……すみません。正直分からないです」
「まだ色々と心の整理がついてないのはよく分かった。でも、本当に君がポケモンの事を嫌いなら、そんな嫌いな存在のためにわざわざ遠路はるばるやって来て、赤の他人に頭を下げることが出来るのかな?」
「その通りだとは分かってます。でも、その気持ちとポケモンが好きだという気持ちはどうしても別の物で……」
「よし! ならまずは君の手持ちのポケモンだけでもいい。心の底から好きになったならボクに連絡して」
「えっ?」
「ボクに直々にレッスンを受けるための一次試験って所かな? 期待して待ってるよ」

 そう言ってコーディは薄く笑い、手をヒラヒラと振ってユウイチの元から去ってしまった。
 それはある意味ではコーディがユウイチの申し入れを受けたという意味でもあり、同時にユウイチがその課題を乗り越えなければその先は無いという事でもある。
 コーディの姿が見えなくなった後も暫くユウイチはその場で考え込んでいた。
 突然突きつけられた難題にではなく、薄々感じながらも考えないようにしていた『きっと自分は死ぬまでポケモンと関わらずに生きていくんだろう』と漠然と意識していた自分の心と向き合わなければならないという事に。

「ポケモンを好きになる……って何なんだろうな……」

 吐き出される深い溜息と共にぽつりと言葉が口から滑り落ちてゆく。
 何もかもが急激に変わったからこそ、ユウイチはこれまで深く物事を考えないようにし続けていたが、こればかりは避けて通ることができない。
 このまま適当にギューとガルと付き合い続け、なあなあの関係を続けることはユウイチ自身にとっても二匹にとってもいいことではない。

「考えるだけ無駄だ! なるようになる!」

 結局ユウイチは髪をひとしきり掻き毟った後、そう言ってすぐに立ち上がった。
 不思議とミューとは気が合ったということもあって、うじうじと出ない答えを探すよりは同じようにまずは慣れることから始めるべきだとユウイチは考え、一旦コンテストの事は頭から除外することにした。
 とはいえ、あまり知らない土地でフラフラとできる程旅にも慣れていないため、ユウイチは一先ずその町を活動の拠点にすることに決めた。
 というのもこの船旅やトレーナーとしての必需品を買い揃えた事もあって、懐にそれほど余裕が無くなってきていたためだ。
 今ならばポケモンを連れているので、多少は仕事の幅が広がっているため居を構えてこの先必要になるであろうお金を稼ぐことが出来る。
 ユウイチのように旅すがらに日銭を稼ぐ者も多いため、トレーナーの協力を有り難がる店はかなり多い。
 そうしてポケモンと共に仕事をすればお金も稼げるし、関わり方もこれまでのようにただただ優しくするだけではなく、様々な指示を出す必要性が出てくるため、主従関係を学びつつ適切なポケモンとの距離という物を学べるだろうという算段だ。
 一先ず今一度街の中をぐるりと散策しながら、働き手もとい働きポケを探している場所が無いか探して回る。
 だが近場で済む仕事は案外少なく、きのみや山菜のような特に資格を必要としない食材などを納品して欲しいという依頼が多いため、飛行ポケモンを持っていないユウイチとは縁遠いものばかりだった。
 他はやはり海が近いということもあって、漁獲資格が必要なものか真珠のような海に由来する物品を集めるものが多く、こちらも同じように泳げるポケモンを持っていないユウイチではどうしようもない。

「ポケモンがいれば仕事なんて引く手数多……ってわけでもねぇんだなぁ……世知辛いぜ」

 そんなことを呟きながら港近くを歩いていると、海辺近くの建物から困っている様子の人物が何人か見えた。

「参ったなぁ……これじゃ仕事になんねぇぞ」
「だから事前にメンテナンスなりした方がいいんじゃないの? って言ったのよ」

 海の家、といった出で立ちの建物の軒先で男女一組が言葉を交わしていた。
 仕事がないかと声を掛けたいが、どうもそういった様子ではないためユウイチはそのまま通り過ぎようとしたが、その時男性の方と少しだけ目が合った。

「おーい! そこの兄ちゃん! 修理できる道具とか持ってないか?」
「え? 俺っすか?」

 ユウイチが声を掛けるまでもなく、その男性の方から声を掛けてきた。
 声を掛けられた以上は無視するわけにもいかないため、ユウイチはとりあえずその二人の元へと近寄る。
 二人の視線の先にあるものを確認すると、それはかなりしっかりとした作りの調理場だった。

「火が付かなくなっちまってなぁ。直せそうなら直してくれても嬉しいし、もし炎タイプのポケモン持ってたらちょっと修理が終わるまで手伝ってもらえたりしないか?」
「あ、それなら是非お願いします。丁度俺も働ける場所を探してた所だったので」
「お! 渡りにラプラスとは正にこのことだな! 助かるぜ! 俺はクロシオだ!」
「ユウイチです」
「あんまりこの人のペースに呑まれない方がいいわよ~。単純だから。あ、私はイリエよ」

 出会って間もないがイリエと名乗った女性の言った通り、完全にクロシオと名乗った男のペースに呑まれていたが当のユウイチは丁度仕事を探していたということもあってあまり気にしていなかったようだ。
 そのままユウイチも調理場の様子を見せてもらったが、残念ながら業務用の物であるためユウイチではちっとも故障の原因が分からなかった。
 とりあえずガスは出ているとの事だったため、着火だけガルの火を借りて行い、一先ず修理が完了するまでは同じ点火方法を頼りたいとの事だったため、それで一旦故障の件は保留となった。

「そういやお前は料理は得意か?」
「人並みにはできるかと思います」
「お! じゃあ調理を任せてもいいか? レシピとかはこっちにあるからよ」
「え!? 今からですか!?」
「大丈夫だよ! 俺が作るよりはまともになるはずだからな! 先に少し練習してからで大丈夫だぞ」

 クロシオは豪快に笑ってみせたが、その様子を見てイリエは呆れていた。
 なんでもかなり料理が下手らしく、安定して同じ物を提供できないほどだそうだ。

「私も他にやることがあるから、君が調理を覚えてくれたら助かるわね。ま、この人が今まで調理してたからそんなにお客さんも来ないだろうし、なんなら練習で作ったのをそのままお昼ご飯にして大丈夫よ」
「流石にそういうわけには……」
「いいのよ。急にお願いしたのはこっちだし。無駄になるぐらいならその方がまだ有意義だもの」

 戸惑うユウイチにイリエは笑いながらそう言った。
 とりあえず色々と思う所があったが、ユウイチとしても条件そのものは悪くなかったためそのまま期間やその他の事を話し合うこととなった。
 暫くの間はここで働きたいことと遠方から来たこともあって固定した住居が無い事を説明すると、近くに殆ど誰も使っていない社宅があるとのことだったため、暫くはそこを仮住まいとして貸してもらうこととなった。
 ただし、仕事に関しては見ての通り夏の営業が殆どであるため、それ以外の期間はユウイチでもできる仕事がある場合は呼び出すという方向でまとまった。
 ユウイチとしても定住できる場所と収入が得られる事、更にコーディの出した条件を満たすためにも早くポケモンへの恐怖心を払拭したいため、そのための期間が確保できるのは好都合だ。
 その日は一通りレシピを試しながら覚え、日が落ちる頃には営業が終了し、そのまま社宅へと案内された。

「誰も使ってなかったから多少ボロいが、まあ自由に使ってくれ。制服はまた今度落ち着いたら準備しよう」
「ありがとうございます」

 クロシオに案内された社宅は言葉通りあまり綺麗な状態ではなかったが、かと言って人が住めないほどに荒れているわけでもなかったため、ユウイチとしても十分満足のいくものだった。
 その日はそのまま部屋の掃除を行ってから就寝した。
 基本的にユウイチが仕事をしている間はミューはここで休み、ガルとギューは仕事の手伝いの為にユウイチと共に行動することとなった。
 初めの内はイリエの言っていた通り、クロシオの料理が相当酷かったのかユウイチが作る機会もほとんどなかったが、逆に一度ユウイチの作った料理を食べるようになってからは味が良くなったとでも広まったのか、少しずつ売れ行きも良くなったようだ。
 夏のシーズンの間は仕事に集中し、その過程でギューとガルには荷物の運搬などの仕事を任せることで指示を出す訓練も兼ねる。
 そうこうする内にあっという間に最初の夏が終わった。

「いやーユウイチが来てくれて助かったわ! こんなに料理の売上がいいのは始まって以来よ!」
「ありがとうございます」
「クロシオ! アンタこの子が辞めるまでにちゃんと料理のコツ教わっとくのよ!」
「ひー! 適わねぇなぁ……」

 そんな会話をしながら営業最後の日はユウイチの作った料理で打ち上げを行い、クロシオ達と楽しく談笑した。
 社宅は誰も使っていなかったためそのまま使っていいとの事だったため、それからはクロシオ達に駆り出されない限りはユウイチなりのコーディネーターへの第一歩としてのトレーニングの日々となった。
 日のある時間帯は近くのよくトレーナーやポケモン達が集まる場所へと出向き、他のトレーナー達と同じようにポケモンと戯れる。
 ボールを使って遊んだり、他のトレーナーと単純な交流を深めたり……といったありきたりな内容だが、これでもユウイチにしてみればかなりの進歩だった。
 少し前のユウイチならばすぐにでも逃げ出すか周囲を常に警戒し続けていたことだろう。
 しかし今はギューとガルが傍におり、ユウイチに負担を掛けないようにユウイチの方にポケモンが駆け寄ってくるとどちらかが優しく止めてくれるおかげで随分と心の平穏が保てるようになっていた。
 だがその一方で本当ならば楽しく交流したいであろうギューとガルに負担を掛けてしまっているようで申し訳なくも感じていた。
 日が沈んでからは食事と座学。
 これまで疎かにし続けていたポケモンの基礎的な知識を頭に叩き込んでゆく。
 各タイプのポケモンにしてはいけない行動や、各種族の好むことや嫌うこと、そして適切なスキンシップ。
 そしてここでポケモンへの躾として、叩いたりしてはいけないというのを見て少しだけやりきれない気持ちとなった。
 いくら自衛のためとはいえ、昔はポケモンに対してかなり乱暴な事をしていたため、改めて直接殴った事をガルに謝ったが特に気にしていないという風だった。
 そうして改めてポケモンの知識を増やしてゆく内、ユウイチとミューも含めた三匹との付き合い方は決して消極的でポケモンに負担を掛けたものではないのだという事を理解し始めた。
 ポケモンは知能が高いが、同時にトレーナーに合わせるのが習性であるという事も理解し、同時にユウイチの事をトレーナーとして不十分であると判断しているのであれば、決してユウイチに今のような態度を取っていない事を知った。
 改めて三匹ともユウイチに気を遣って行動しているのではなく、ユウイチの事を慕っているからこそユウイチが望む形での関係を維持しようとしてくれているのだと理解し、そこでようやく三匹の事をミュー、ギュー、ガルとしてではなく、ミュウとバンギラスとヘルガーとして好きになれたような気がした。


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「焼きそば三人前上がりまーす!」
「追加で二人前入るよ! その後塩焼きそばが三人前!」
「焼き二、塩三了解!」

 既にユウイチの料理も板に付き、味が評判を呼んで忙しくなっても問題なく対応できる程になった頃、ユウイチは一先ず自分でポケモンコーディネーターとしての基礎を学び始めていた。
 この街で長く過ごす内にポケモンコーディネーターという世界の深さと、そして自らが不躾なお願いをしたコーディという人物が如何に凄い人物だったかを知った事で、流石に弟子入りするにしてもかなり長い期間が空いてしまった事で少しは何かしらの学びを得ている必要があるだろうと考え到っていた。
 またそれとは違うが、クロシオとの会話の中でちょっとしたことがあった。

「そういやお前、水タイプのポケモンを持ってないんだろ?」
「え? あ、まあ……」
「もしお前さえよければこいつ育ててみないか?」

 ある日の仕事終わりにクロシオが唐突にそう切り出し、一つのダイブボールを取り出した。
 手持ちのポケモンに関してはユウイチとしても随分慣れている自信はあったが、かと言ってこのタイミングでそんな提案をされた事には非常に困っていた。
 あくまで慣れたのは手持ちのポケモン三匹のみ。
 ここで更に別のポケモンが追加になったら更に期間が空きそうな気がしていたため、その時のユウイチの顔は何とも言えないものになっていたことだろう。

「え~……っと、俺は正直ポケモンを育てるのが得意じゃないんで……」
「何謙遜してんだよ! お前とお前のポケモン見てりゃあ十分に育てるのが上手いことぐらい分かるよ!」
「謙遜とかじゃなくて本当に苦手で……」
「馬鹿言うな! 何処の世界にそんなにベタ慣れしたバンギラスを連れてるのにポケモンを育てるのが苦手な奴がいるかよ!」
「これは単にコイツが俺の事を気に入ってくれただけで……」
「だからだよ」
「え?」
「ポケモンに好かれるってのは、それでもう一つの才能だよ」

 明らかに最初は勧めていた程度だったのに、もう渡す事前提で話していることに気付き、ユウイチもやんわりと断っていたが、その言葉はユウイチにとって少しばかり衝撃的だった。
 才能というのはポケモンの育て方や指揮官としての能力の事だとばかり思っていたユウイチは思わず言葉を忘れてしまうほど驚いたが、すぐに我に帰る。

「そういうお世辞なら十分なんで」
「俺がお世辞を言うようなガラに見えるか?」

 きっとクロシオは自分に押し付けるためにお世辞を言っているのだ。と解釈しようとしたが、それは普段の彼の言動をよく知っているため簡単に否定された。
 そのままうんとすんとも言えないままだったためクロシオの方が痺れを切らし、呆然とするユウイチの手にそのボールを渡してさっさと帰ってしまった。

『自分にポケモンに関する才能がある』

 そうはっきりと言われたという事実の方が衝撃的で、手元のボールも何もかもがどうでもよくなっていた。
 きっと自分は何者にもなれず、世界の隅でひっそりと暮らし、ひっそりと死んでゆくものだと漠然と考えていた。
 それがどうだ。
 ひょんなトラブルに巻き込まれ、仕方なく旅に出て、これからどのようにして生きていくべきか悩んでいた矢先、まさか自分にそんなチャンスが舞い込んでくるとは思っていなかったこともあり、その日は家に帰ってからも何も手に付かなかった。
 だが才能といってもポケモンに好かれる才能しか分かっていない。
 これからどうするべきかも、それが何に使えるのかも未だ分かっていない状況。
 だからこそユウイチは決心してそのボールを開けた。

『このポケモンとも仲良くなれたのなら、自分がこのポケモンを好きになれたのなら……本気で自分がなれるものを見つけてみよう』と……。

 何度か深く深く深呼吸を繰り返し、そしてボールの中にいるポケモンを部屋へと出した。
 茶色っぽいポケモンが出てくるとそれはそのまま地面に落ち、ピチピチと跳ね始めた。

「ちょっ!? 魚ポケモンじゃねぇか!! ヤバいヤバいヤバい!!」

 一瞬だけパニックになったがすぐにそのポケモンをボールへと戻し、浴槽に水を張ってから改めてそこにそのポケモンを出してやると、やはりそのポケモンは水の中を泳いだ後、スッと水面から顔を出し、ユウイチの方を見つめてきた。

「よ、よう……。さっきは驚かせて悪かったな。お前が水棲のポケモンだって知らなかったんだ」
「ンボー」

 そのポケモンに先程の騒動を謝ったが、別段気にしてないのか、それとも単に表情が読み取れないだけなのか、どちらにしろ怒っているような様子ではなかった。
 そのまま浴槽で泳がせる間に漸く購入したスマホの図鑑アプリでそのポケモンを撮影すると、『ヒンバス』というポケモンの名前が挙がった。
 図鑑の画像と見比べても同じであるため、一先ずヒンバスについて詳しく知る必要があるため図鑑の内容を読み進めていたが、その説明はなかなかに酷いものだった。

「お前……散々な言われようだな……えっと、食性は雑食で海水、真水どちらでも問題なし……。ならこのままで大丈夫そうだな」
「ボ」

 ユウイチが調べながらそう口にしていると、ヒンバスは浴槽を楽しそうに泳いではユウイチの様子を伺っている。
 いまいち何を考えているのか分かりにくいが、そもそもユウイチはこれまで魚ポケモンは加工されたものしか見たことがないため、分からなくても当然だろうと自分を納得させた。

「まあ、これからは俺がお前のパートナーになるから……。その……よろしくな?」
「ボー」

 分かっているのか分かっていないのか判断できないが、それを分かっていくのはこれからの事だろう。
 そんなこんなで新たに加わったヒンバスだが、ユウイチとしては珍しく名前を決めあぐねていた。
 というのも鳴き声にあまり特徴がないため、最初はそのままボーにしようかとも考えたがあまり合っている気がしなかったようだ。
 基本はミューと共に自宅で待機だったが、そこで別の問題が浮上する。

「ミュ!」

 一つ強めに鳴いたミューが出勤前のユウイチの頭に張り付いたのだ。

「お? どうした?」
「ミュー!!」
「あたたた……人の頭で駄々をこねるな!」

 仕事をやり始めた最初の頃は多かったのだが、ここに来て久し振りにミューがユウイチと一緒に仕事に行きたいと主張してきたようだ。
 珍しいポケモンであるため人前にあまり姿を晒したくないはずなのだが、それと同じぐらいここ最近ずっとユウイチがあまりミューに構わなくなったことが嫌だったらしい。

「お前なぁ……。だから言っただろ? 俺と一緒にいてもお前にとっていいことになるとは限らないぞ。って」
「ミュー! ミュー!」
「悪いけどワガママには付き合えないんだよ。俺は人間で、仕事しなけりゃ生きてけないの」
「ミュー……」

 ユウイチについていきたそうにした時は大体こういうやり取りの後、しょんぼりとしたミューが定位置であるユウイチの布団に戻っていく。
 その度にユウイチが考えるのは、本当にこのままの関係でいいのか? ということだ。
 ミューは間違いなくユウイチの事を慕ってくれているが、かと言って未だユウイチの中で踏ん切りがついていないということもあってミューを本当に自分の手持ちのポケモンとして迎えるべきか悩んでいた。
 手持ちとして連れまわれば、ミューも心置きなく世界を楽しめるかもしれないが、それは同時にミューが珍しいポケモンを狙うような悪い輩の目に触れてしまう可能性にもなる。
 そうなった際、全くと言っていいほどポケモンバトルの知識のないユウイチでは太刀打ちできないだろう。

『……まあ、守ってやらないと、って考えるようになっただけでも一歩前進かな?』

 出勤途中でそんなことを考えながら歩いていたが、実際随分とユウイチとミューの関係性も変わったことだろう。
 初めはミューに巻き込まれる形で住居を離れ、きっといつかいなくなると考えながら次に働ける場所がないか探し求めるつもりだった。
 旅立ちの日に無理矢理持たされたキャンプ用品で少しだけミューと共にポケモントレーナーの真似事をしながら旅をしようと考え、結果過去のトラウマの原因と出会い、多少のトラブルを起こしながらも前向きに向き合うことができた。
 そして遂に、なんとなくずっと心の中にあった『真剣にポケモンと向き合いたくない』という引っ掛かりのような感情と向き合っている。
 ポケモンは危険な生物ではあっても、悪意ある生物ではないというのはこの長いようで短い付き合いの中でなんとなく理解した。
 生態をより詳しく学び、コーディネーターとしての基礎を学ぶ内に、ただポケモンを鍛え戦い合わせるだけが世界の全てではないことも理解した。
 だからこそ向き合おうとする度に起こるもっと深い部分の心が拒絶するような感覚が今は煩わしい。
 仕事の期間中は帰宅するとミューに挨拶をし、風呂に入った後にヒンバスを水に出してやる。
 この頃には随分とヒンバスとも仲良くなれたような気がしていた事もあったことと、定期的にクロシオからヒンバスの事について聞かれていた事もあって基本的に連れ回すようになっていた。
 その後は随分と腕の上がった料理で皆の腹を満たし、色々と試行錯誤をしながらきのみブレンダーで色々とポロックを作ってはポケモン達に与える。
 仕事の無い期間になれば昼の間はポケモンの技を少しずつ覚えながら実際に技を出させる訓練を続ける。
 単にそういった暴漢を撃退するための手段としてポケモンを戦わせられるようにしたいという理由もあるが、ポケモンコーディネーターとなったとしてもどちらにしろポケモンの技を理解しておかなければアピールすることが難しい。
 そうして少しずつポケモンへの理解度を深め、三度目の夏が訪れたある日。
 その日は予報では間違いなく晴れだったが、急に雨足が強まり始めた。
 急激に空の色が変わり、屋根を叩きつける激しい雨が降り注いだのはそれこそ瞬きをする間のことだっただろう。

「な……なんだ!? この雨!?」
「この雨、もしや……。遂にリーダーが悲願を達成したのか!」

 ユウイチが不安そうに空を見上げていると、クロシオはそんな空模様を見てユウイチとは対照的に喜びに打ち震えている。
 その様子はあまりにも不気味だったが、ユウイチが気になったのはそれ以上にこの急激に降り出した雨によって賑わっていた海岸は少しばかりパニックになっていた。

「すみません! 俺、急いで皆を避難させます!」

 言うが早いかユウイチはすぐに浜辺へと駆け出し、混乱している人々を岸の方へと誘導した。
 その間にも叩きつけるような雨が波を高め、目に見えて水面が上がり始めている事にユウイチは恐怖を覚えた。

『明らかに普通じゃねぇ……! 急がないと俺も巻き込まれる!』

 流石にこれ以上浜辺にいるのは得策ではないと感じ、ユウイチは視界さえも確保できないような雨の中急いで陸の方へと戻っていたが、その時子供の叫び声のようなものが聞こえた気がした。
 振り返ると恐怖から身動きがとれなくなった子供がおり、このままでは間違いなく波に攫われてしまうだろう。

「おい! こっちだ! 急いで移動するぞ!」

 泣きじゃくる子供を抱き上げ、急いで陸の方に向かおうとしたがほんの一瞬遅かった。
 勢いを増した高波がユウイチと子供を巻き込み、水の中へと引きずり込んだ。

『流石に……これはやべぇ……!』

 正に絶体絶命。
 だったが、ここ最近しっかりと手持ちのポケモンだけでも理解度を深めていたおかげでユウイチはすぐにヒンバスを繰り出した。
 急いで海面に顔を出したが、海は既に荒れ狂い、人間の力では海面に顔を出したままにするだけでも不可能なほどだ。

「ヒ、ヒンバス……! 俺とこの子を陸地まで引っ張れるか……!?」
「ンバ!」

 すぐに状況を理解したヒンバスは力強く答え、空いたユウイチの脇の下に入り込んで陸地の方へと運ぶ。
 流石のポケモンの身体能力だが、それでも荒れ狂う海に自分の身体以上の人間二人を連れて運ぶにはあまりにも身体が小さすぎる。

「……仕方ない! ヒンバス! 一旦この子だけ急いで岸に連れて行ってくれ! それが済んだら俺だ!」
「ンバッ!?」
「時間がない! 俺なら多少は息が持つ! 子供の命が優先だ!」

 それは苦渋の選択だっただろう。
 それでもユウイチは子供の命を優先し、ヒンバスにそう命令した。
 子供一人ならばヒンバスでもかなりの高速で運ぶことが出来るため、ヒンバスはユウイチの為にも全速力で子供を岸まで運び、身体ごと持ち上げられるほどの跳躍で浜辺だった水辺から陸地まで飛び上がり、子供を起き、ビチビチと身体を跳ねさせてすぐに水の中へと戻る。
 ヒンバスはそのまま元々ユウイチがいた場所まで泳いで戻ったが、既にユウイチの姿は無く、ヒンバスはユウイチの姿を探してがむしゃらに探し回った。


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「……ここは? ……というか俺、生きてるのか……」

 意識を取り戻したユウイチは目を覚ますと同時に目の前に空が広がっていたことに驚いた。
 あの後ユウイチは波に揉まれて溺れた所までは覚えていたが、運良く何処かの陸地まで流れ着いたようだ。
 寒さと痛みでうまく動かない身体を動かそうとしたが、どうも別の何かが原因で身動きがとれない。
 そこで自分の身体を見ようとしたが、身体には何かが巻き付いており、それが原因で一切の身動きが取れなくなっていたようだ。

「なんだ……? これ」
「フォーウ……」

 ユウイチがその身体に巻き付いているものに意識を向けると、太陽の光を遮るように何かがこちらを見下ろしてきていた。
 すると身体に巻き付いていた何かが動き出し、拘束が解除された。

「なんだ……このポケモン……?」
「フォウ」

 身体を拘束していたそのポケモンは全体的にクリーム色の体色をしており、顔は桃色、そして体の後ろ半分は桃と水色のステンドグラスのような綺麗な体色となっていた。
 つい先程までユウイチの身体を拘束していたとは思えないほど敵対心は見えず、寧ろユウイチの事を心配しているようにも感じる。

「……てっきり食われるもんかと思ってたが、もしかしてお前が助けてくれたのか?」
「フォーウ」

 ユウイチの問いかけに対しそのポケモンは一声鳴くと、そっと頭をユウイチの胸に預け、長い耳のような部分でユウイチの身体を優しく抱きしめた。
 なんとなく優しさを感じたユウイチはそのポケモンの頭を優しく抱きしめ返し、何度も撫でた。
 その後、現状を把握するために周囲を見回したが、当然ながら見覚えのない景色が広がっている。
 海岸には流木がいくつも流れ着いており、見た限り人間の手入れが入っているようには見えない。
 海水に長時間浸かっていた事でスマホも死んでおり、救助を呼ぶ方法もない。
 仕事で出てきていたから食料や道具も持ち歩いていなかったため、とりあえず食料を集めるためにギューとガルも出し、いつもの要領で枯れ枝ときのみを集めてきてもらう。
 いつもなら自らも動く余裕があるが、流石に体力が残っていなかったため大人しくポケモン達が帰ってくるのを待っていた。
 その間に謎のポケモンを観察してみたが、どうにもその場を離れる様子もなく、ただただ心配そうにユウイチの様子を伺っている。

「お前さん、なんで俺の事を助けてくれたり、今も俺の事を心配してくれてるんだ?」
「フォウ? フォーウフォーウ」

 何かを伝えようとしているようだが、驚いているような様子は伝わって来るが流石に何を訴えかけているのかは理解できない。
 どうするか悩んでいる内にギューとガルが戻ってきたため、きのみを皆で食べながら一先ず火で暖を取り、ある程度体力が回復してから島の探索を行った。
 見事なまでに無人島らしく、雑木林と草原以外には何もない。

「参ったな……空を飛べるようなポケモンなんて持ってないし、このままじゃ一生ここで暮らすしかないのか?」

 ぐるりと巡ってみたが、簡単に島中を探索できてしまうほど島は小さく、とてもではないが救助は期待できない。
 この時ばかりは仕事の時と違い、ひこうタイプのポケモンを持っていない事を流石に悔やんだほどだ。
 とはいえ現状ではどうすることもできない。

「ヒュア?」

 打つ手無しでただ呆然と空を眺めるしかできなかったが、そんな様子のユウイチの後ろから聞き慣れない鳴き声が聞こえてきた。
 謎のポケモンのものかと思って振り返ると、そこには追加で一匹知らないポケモンが混ざり込んでいた。

「え? どちら様?」
「ヒュアーン!」

 赤と白のカラーリングが特徴的なポケモンはユウイチの疑問に一つ嬉しそうに鳴いて答え、くるくると宙を舞ってみせた。
 急に知らないポケモンが二匹も増えたことでユウイチとしては脳の処理能力を超えそうになっていたが、一旦落ち着くことにした。
 ギューとガルをモンスターボールに戻し、その見慣れぬポケモン二匹と向かい合う。

「悪いけど俺はあんまりポケモンの知識はないんだ。それにトレーナーでもないから何か期待してるなら無駄だぞ?」
「フォウ!」

 ユウイチの言葉を聞くと、クリーム色の方のポケモンが何かを思いついたかのように一瞬表情を明るくした後、ユウイチの腰の辺りに頭を寄せた。
 すると次の瞬間にそのポケモンが消えた。

「え!? は!?」

 何が起こったのか理解ができず、折角心を落ち着かせようとしたのにまた頭が真っ白になったのだが、今一度そのポケモンはダイブボールから飛び出してみせた。

「フォウ!」
「……え? もしかして……お前あのヒンバスなのか!?」
「フォウフォーウ!」

 正解とでも言うようにとても嬉しそうに身体をくねらせていたが、進化前と進化後とで見た目が全く違うせいで理解が追い付かない。
 だがモンスターボールは登録されたポケモン以外が利用することができない事は理解していたため、それが元ヒンバスのポケモンなのだとその一連の行動で理解した。
 これで一先ず謎のポケモンの片方の正体は判明したが、今現在目の前で不思議そうにこちらを見ている赤いポケモンの方は全く見当がつかない。
 それに関してはそのポケモンの方も同じらしく、興味津々でユウイチを見つめている以上、知らない生き物に好奇心を示しているだけだろう。

「ヒュアーン?」
「ん? ああ、モンスターボールが気になるのか? まあ正体が分かったし、皆をまた出すか」

 目の前でポケモン達がモンスターボールに出たり入ったりしていたためか、その様子を見るだけでそのポケモンはマジックでも見せられた子供のようにとても楽しそうな反応を見せる。
 ポケモン同士で何か会話を始めたらしく、流石に内容の分からないユウイチはただただその光景を眺めるしかできなかったが、そんな折にユウイチは別の事を考えていた。

『そういえば……見た事のないポケモンだったけど、昔ほど驚かなくなったな』

 いくら片方はヒンバスの進化したポケモンだと分かっても、最初はその正体に気付いていなかった。
 単に体力を消耗しすぎて反応する余裕がなかったといえばそこまでだが、こちらの赤いポケモンの方は違う。
 本当に唐突に背後に現れたが、別段敵意が感じられなかったということもあっていきなり現れたことへの驚きと戸惑いはあったが、恐怖は感じなかった。

「ポケモン。好きになれた……ってことなのかねぇ……?」

 なんとなく眺めている光景を見て、ユウイチは少しだけ微笑みながらそう呟いた。

「ヒュア!」

 どうやらポケモン同士の話し合いは終わったらしく、赤いポケモンの鳴き声を聞くと何故か三匹は勝手にボールの中へと戻っていった。

「お? どうしたんだお前ら」
「ヒュアーン」

 ボールに戻ったことを不思議に思っていたが、目の前の赤いポケモンは何故か背中をユウイチの方に向けて自らの背を指差している。
 皆が引っ込んだ理由とでも言うように見せつけられているが、理由はよく分からないままだ。

「どうした? 背中でも痒いのか?」

 そう言ってユウイチが手を伸ばして背を掻いてやろうとしたが、背に伸ばした手を押しのけるように身体をユウイチの方へとぐいと押し込み、掬い上げるように自らの背に乗せた。

「ちょ、ちょちょちょちょちょ!?」

 ユウイチが何かを言うよりも早くその赤いポケモンはユウイチごと空へと浮かび上がったため、流石に慌ててそのポケモンの首の辺りに手を回す。
 落ちないようにしっかりとしがみつくと、その赤いポケモンは一声鳴くとあっという間に空をかなりの速度で飛び始めた。
 島があっという間に小さくなり、海面の上を滑るように飛んでゆく。
 が、まさかユウイチよりも小さなポケモンがユウイチを乗せたままそんな速度を出せると思っていなかった事もあって、落とされないようにしがみつくことだけでいっぱいいっぱいになっていた。
 それからものの数分もしない内に見覚えのある陸地が見えてくると、その赤いポケモンはゆっくりと速度と高度を落としてゆき、浜辺にユウイチをそっと下ろした。

「ヒュアーン!」
「あ、ああ……送ってくれたのね……ありがとう……」

 既に情報が大渋滞を起こしていたユウイチは、漠然とそのポケモンにここまで送り届けてもらうようにギュー達が伝えてくれたのだろうと理解したが、流石にそれ以上は理解を放棄した。
 軽くお礼を言いながら手を振ると、その赤いポケモンは楽しかったとでも言うように満面の笑みを見せて手を振り、何度か宙を舞った後、来た方向へユウイチを載せていた時の数倍の速度ですっ飛んで行った。

「あ、あの速度で全然本気じゃなかったのかよ……」

 せっかく温めた身体も風に吹かれ続けた事ですっかりと冷え切ってしまっていたが、恐らく頭が回らないのはそれだけではないだろう。
 ものの一瞬の出来事だったが、壮絶な経験を圧縮して一生分味わわされたような気分のまま、ユウイチはただただ呆然としながら、社宅へと戻っていった。

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