第90話 氷の刺突

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 
 ──その日の夜、ユズとキラリは考えた。 ユイに似ているというあの声について、藁布団に転がりながら考えた。 でも、納得のいく答えは出なかった。 眠気が増してきてまともな思考が出来なくなったところで、2匹は1度諦めて寝ることにした。 「これはもう考えるより動いた方がいい、今は早寝してしっかり山に行こう」とだけ結論づけて。
 そしてその早寝のかいもあってか、朝の2匹の動きは少ししゃきしゃきしていた。

 「藁布団」 
 「片付けた!」
 「荷物」
 「持った!」
 「あと体調」
 「すこぶる元気! ......これユズ用のチェックじゃない?」
 「......それもそうか。 今のところは一応大丈夫」
 「ならよし! 行こう!」
 「うん!」

 スカーフを巻いて、首飾りをつけて、もこもこの外套も着て、そして荷物を整えて。 朝支度を終えたユズとキラリがリビングに向かったところ──

 「......えっ」
 
 思わずキラリが声を漏らす。 そこには既に他の5匹が準備万端で待ち構えていたのだ。 別に遅れてはいないのに、寧ろ気合い満々で少し早く来たのにと2匹の心はどきりと震える。 案の定というべきか、イリータが彼女らに向かって少し嫌そうな顔を見せた。

 「はぁ......貴方達遅いわよ、みんなもう来てる」
 「うっごめん、でも予定より5分早いのになんで!?」
 「本当だよ、イリータは時間に極端に厳しいんだから......」
 
 聞けば1番早くここに来たのはイリータとオロルらしく、次に来た大人組をどん引きさせたとか。 なんなら30分前から待っていたとか。 ここまで来ると時間に正確だと褒め称えてもいいものか分からなくなってくる。
 キラリが頬をむぅと膨らませていると、後ろから静かに戸を開く音がした。

 「......あっ」

 振り向いたキラリの前に現れたのはツンベアー。 彼は荷物を持ったユズ達を見るや否や、その顔に苦笑を浮かべた。

 「おはよう。 ──もう、行くのだな」
 
 その声色は、彼らのせっかちぶりに呆れているようで。 ......でもそこには、若干希望のようなスパイスも混ざっていた。
 ユズ達は1つ頷き、キラリが笑顔で高らかに宣言する。

 「はい! 真実つかんで、絶対戻ってきます!」
 「そうか。 ......まあそれ程元気なら、心配は要らないか。 行ってくるといい。 ただ......」
 「ただ?」
 
 ユズは聞き返す。 キラリへの賞賛も、ツンベアーの放つその2文字が全て塗り潰しているように思えた。 その言葉通り、彼は一瞬目を伏せる。

 「......君達はこれから私も知らない闇に踏み込む。 闇を知ることは本来危険なことだ。 暴かれる側は勿論、暴く側も何かしらの心の傷を負うだろう。 お前達が知ろうとしているのはそういうものだ。
 私は実際に昔起きたことをこの目で見たわけではない。 でも、伝説のポケモン達の顔を見ていると、どうしようもなく報われないように思えるのだ。 その目の底に、深い闇が見えるのだ。 ......思えば、彼らは一体、過去にいくつの命を失ったのだろうな」

 その言葉に、ユズの胸がきゅっと痛む。 糸が切れたように動かないユイを抱いたあの瞬間が、鮮明に蘇る。 彼らも、もしかしたらそんな経験をしたのだろうか。 もしかしたら、何度も。
 ──この世界を救った、人間も。

 「だからこれは、個人的な警告だ。 真実に真摯に向き合え。 でも、勝手にそれに呑まれるな。 自分と闇の間に境界線を引け。
 ......そして、もう1つ。 これは直接は関係ないかもしれないが......お前達には、言っておいた方がいい気がするんだ」
 「......え」

 ......間違いない。これはユズに、キラリに、レオンに、イリータに、オロルに、ジュリに、アカガネに、「全員に」向けた願い事のようだった。
 その言葉は未来で起こる「何か」を予感させるような、どこか氷柱にも似た響きをもって。


 「......気をつけるといい。 闇への呑まれ方というのは、けして1つではないのだ」


 ──胸深くに、突き刺さる。













 「ううっ、さむっ.......」

 家を出て、昨日訪れた針葉樹林を越えて。 所々雪の残る山の入口にたどり着いたところで、青白い顔をしたキラリがスカーフに口を隠して寒気を訴える。 彼女自身は至って真面目なのだが、そこにレオンが突然茶々を入れてきた。

 「寒い? もうか? 言っとくけど、まだ一切登ってなんかいないからな? 登ればどんどん寒くなる」
 「どのくらい?」
 「1000m毎に大体6℃ずつ。 学校でそんぐらいやったろ? いくら真夏でも、高い山を半袖なんかで登ったら低体温症まっしぐらって。 そんな弱音吐いてちゃ、頂上に着いた時には氷漬けかもなぁ」
 「むっ......!?」

 彼は子供を見る目でキラリのことを笑う。 その顔を見て、キラリの割とソフトな方の堪忍袋は結構簡単にぷっつりと切れてしまった。 何さ、最近は結構対等な目線で見てくれていると思ったのに──。

 「......なにさなにさ、おじさんのばかばかーー!! ぽかすか尻尾叩いてやるーー!!」
 「あでっ!? 叩く理由どこにあるんだよ!? 俺はただ正論を言っただけ!!」
 「おだまりー!!」
 「あはは......体力無くなっても知らないよ〜」

 オロルが苦笑しながら遅れる2匹を置いていく。 当事者以外の5匹は、さらーっと和やかな流水のようにその謎の会話を受け流していた。
 だが、この何気ないやりとりが暖かい陽だまりのような残り滓を残してくれることに変わりは無い。 キラリも身体を動かしてほんのりと頬が赤くなっているのだ。 みんなの心と身体を暖めんとするレオンの小さな思惑を察し、アカガネは相棒としてにんまりと微笑まずにはいられなかった。

 「いやー、やっぱキラリちゃんはいちいち反応がかわいいねぇ。 面白いや」
 「......そうですか? 私は甚だ不安ですけど。 もしはっちゃけ過ぎてクレバスに落ちても私は知らないわよ」
 「えっイリータそれは勘弁!!」

 後ろから聞こえるあまりにも元気のいい反応に、イリータから「聞こえてたの......」と呆れにも近いため息が漏れる。 キラリの怒りの犠牲になったレオンの尻尾を見てみると、早くも結構ぼろぼろになっていた。 これは少なくとも彼女についての心配は無用だろう。
 ......というより、寒さを不安視すべきなのはあの2匹なのでは。
 
 「ユズちゃんとジュリちゃんは平気? 草タイプコンビ」
 「ある程度は。 ......どっちかというと、私はジュリさんの方が心配なんだけど」
 「俺が? 何故」

 フードを深く被った暗い顔が、訝しげに歪む。 ユズは自分の中の記憶を呼び起こした。

 「ジュナイパーって、私の世界だと常夏の地方に住んでるから。 だから寒さとか私以上に苦手なんじゃないかなって」
 「えっ常夏!? 大丈夫!?」
 「......貴様の知る世界を全部当てはめようとするな。 言っておくが、村には四季はあるぞ? 心配されるいわれはない」
 「あはは......まあ、それもそうか」

 ジュリの目に映るのは、茶目っ気のある笑顔。 何か思うところがあるのか、彼の呆れ顔は少し柔らかみも帯びていた。 すぐ目線を前に戻したから、フードのせいで見えなくなってしまったけれど。

 「まあ何かあったら言ってよ〜。 これからもっと寒くなるだろうし、外套だってあたしの貸せるからさ。それにイリータちゃんとオロルちゃんも! 寒いとかあったら頼ってよ?」
 「大丈夫です。 私の種族、割と寒さには強いみたい」
 「あれ、でもエスパータイプ......」

 キラリが疑問を漏らす中、イリータは首を少しだけ縦に振る。

 「そうよ。 でも、ポニータには複数の姿があるの。 1つは私のように虹色のたてがみを持つ姿。 そしてもう1つが、赤い炎のたてがみを持つ姿よ。 オニユリタウンの辺りだと見かけないけど、一応あちらの方が多数派みたい」
 「ということは、イリータって炎タイプかもしれなかったの?」
 「両親はどちらも違うからそれはない。 けれど種族自体は同じだから、何かしらの特徴を受け継いでいてもおかしくはないわ。 ......そういえば、オロルも似たようなものよね」
 「そうだね。 確かキラリには話したんじゃない? 結構前、合同依頼の時」
 「あっ......」

 ──僕は氷タイプ。だけど、普通ロコンは炎タイプらしいんだ。 氷タイプのロコンは、ここではとても珍しい。
 星空の下でオロルが自分の過去を話してくれた時、確かに彼はそう言っていた。

 「言ってた! あったかい南国に住んでたんだよね?」
 「ああ。 そういえば、ユズの世界には僕のようなロコンっているの? 少し気になる」
 「うーん、私そんなポケモン詳しくないんだけど......」

 ユズが困った、でも満更でもないような表情をしていると。

 「......っくし」

 どこからか、小さなくしゃみの音が。










 「......おや~~?」

 レオンが嫌味な笑顔を浮かべながらじーっとそちらの方を見る。 その目線の先にいたのは、少ししまったというように口元を押さえるジュリだった。

 「......お前なぁ、心配無用って言った矢先に」
 「......五月蠅い」
 「別に頼ったっていいのに。 減るものじゃないし、仲間でしょー?」
 「勘違いするな。 利害が一致したから行動を共にしているまで。 魔狼の真実さえつかめれば、あの裏切り者への対抗策も掴めるだろう......それだけのことだ」

 ユズの葉っぱがぴくりと跳ねる。 その言葉には棘があった。 裏切り者......ヒサメの──いや、ケイジュのことか。 思えば、彼もジュリのことを捻くれ者とは呼んでいたっけか。
 彼は自分の胸に手を当てる。 時折感じる握り潰されるかのような謎の痛みから、なんとか自分の身を守ろうとするみたいに。
 
 「奴にチャンスを与えてしまったのは、村全体の責任だ。 ひいては俺の責任でもある。 だから、なんとしてでも......奴だけは、倒さないといけないんだ」
 「......っ」

 「倒す」。 一際鋭い言葉やいばが、ユズの心をぐさりと刺した。

 「なるほどねぇ。 ......でもきついとかないか?」
 「余計なお世話だ」
 「怪しいな~、ジュリちゃん我慢強いから......」

 レオンとアカガネがジュリに詰め寄る中、ユズの歩みは少し遅れだす。
 葛藤が宿るその目は、行き場もなく揺れていた。

 (......倒す、か)

 のらりくらりと躱してきた問いが、突然目の前に突きつけられる。
 ずっと、「止める」という思いだけで彼と向き合おうとしてきた。 しかし彼を本当に止めたいのであれば、そんな考えでは甘いのではないのではないか。 交渉が1度決裂したことも踏まえれば。
 「私は貴方を殺すことになる」。 その言葉も、踏まえれば。

 (これが終わったら、もしかしたら......兄さんを、倒さなきゃ......)

 ユズはぼんやりと想像する。
 世界を壊そうとする彼の前に毅然と立って。
 彼の胸に草の剣を突き立てて。

 ──そして。

 (......いや)

 思わずぶるぶると首を振る。 あまり考えたくない。 単純に彼と縁が深いのもあるけれど。 でも、それだけではないような。 「倒す」という言葉自体に、得体の知れない恐怖を感じるような。 まるで、首元に刃があてられているみたいに。 どうしてだろう?
 そうユズが悶々と考え出した時。 彼女の鼻の辺りに、なにやらふわりと白いものが。

 「......?」

 すぐに溶けて消えていったあまりにも小さな白色。 思わず空を見上げてみると、空は既に灰色に染まっていて、そこからふわふわと綿雪が舞ってきていた。

 「......雪だ」
 「うーん、やっぱ降るのか......少し急ごう、ツンベアーが体験したような状況になるのはきついだろ」
 「そうだね......」

 そこからは、暫く黙って進んでいた。 進んで行くにつれ、段々と風も強まっていく。 顔に向かってきては消えていく雪を見ながら、白い息を吐く。 そんな、他愛のない時間。
 ──しかし、予想していた事態はあまりに唐突にやってきた。















 「......うおっ!?」
 「うあっ......風つよっ!?」

 雪の量は徐々に増えてはきていた。 だが、ここにきてリミッターが外れたのか猛烈に吹雪が吹き荒れ始めた。それこそ、すぐ隣のポケモン以外のものがまともに見えなくなるぐらい。
 これは氷タイプであるはずのツンベアーが絶望するのも納得だった。 ここまで何も見えないと、真っ白な虚無に取り残されたような気持ちになる。 こうなるとまともに進むことも出来ず、遂に7匹はその場から動けなくなってしまった。 暴風の轟音の中、なんとか意思疎通を図ろうと各々が必死に叫ぶ。

 「ねぇ、みんないるよね!!」
 「いるよ! ......にしても、これはやばくないっ!?」
 「どうしよう......この感じ的にダンジョンじゃないから、天候技も効かないし」

 オロルが歯を食いしばる中、キラリのほぼ真っ白な視界から微かに薄緑の葉っぱが消える。 ......いや、下に移動したというべきか。

 「......ユズ!?」

 よく目を凝らしてみると、彼女は震えながらしゃがみ込んでいた。 当然、キラリがそれを無視出来るはずがない。

 「ユズ!? 大丈夫!?」
 「......ごめん、きっつい......」
 「寒い!? 待って、今アカガネさんに──」
 「そっちじゃ、なくて。 ......何か、変だ」
 「え?」
 「変っていうか、違うっていうか......」
 「違うって......」

 主語も目的語も分からないのでは、予想しようもない。 ユズが必死に言語化しようとする中、キラリはせめてもとその身体を支える。

 「......これ、は」

 最早うわ言のように呟く。 ユズは、自分の中に宿る違和感に名前を付けられずにいた。 側にいるキラリの存在をよすがに意識を保つのが精一杯だった。 でも、理由は分からずとも明らかにおかしいのは分かる。
 この苦しさは魔狼じゃない。 魔狼のそれはもっと暴力的なのだ。 こちらの自我を残さず剥ぎ取ろうとする凶暴性があるのだ。 ......でも、今のはもっと、悲しくて、心が痛くて、だから身体が強張って、動かなくなって──

 (あれ)

 悲しみ。 心の痛み。 その2つの言葉から、ユズは1つの閃きを得た。 辛い。 動けない。 うずくまる......
 昨日見たあの夢に出た、泣いていたあの子そのものじゃないか。

 ──でも、だとしてもなぜ? なぜ、ここであの子が心に過ぎる? もっといえば、本当になぜ自分は全く顔も知らない子供の夢なんて見る?
 あたかも、自分の中にその子の魂があるみたいだ。

 「......一体、何が──」

 














 ──誰だッ!!
















 「わわっ!!」
 「......今度は何!?」

 イリータが、怒り混じりに聞き返す。 テレパシーか何かだろうか。 吹雪に煽られながらでも、その見知らぬ声はしっかりと聞き取れた。

 ──ここは我らの縄張りだ。 余所者だな、疾くこの山から去るがいい!
 ──今すぐ出て行けばよし、さもなくば......
 
 キラリの全身の毛が逆立つ。 言葉自体が刃物みたいだ。 そして襲い来るこの威圧感は、かつて夏の遠征でも感じたものと似ている。 あの時は足がすくんで動けなかったが......でも、今は違う。
 ぐったりとしたユズを支えたまま、キラリが声を張り上げた。

 「待って!! 友達が、ユズが具合悪いの! こんな状態で下りるなんてだめだよ! それに、私達やることがあるの! 伝説のポケモンに、会いに来たの!!」

 ......暫しの沈黙。 その後に頭の中に響いたのは、怪しむような声。

 ──まさか、その者は魔狼の?

 その声に、キラリの眉が揺れる。 少しずつ動いて、ユズを庇う体勢に入る。 なにせ、未知のものが潜んでいるのだ。 それはずっと遠くかもしれないし、もしかしたらもっと近くにいるかもしれない。 そう思うと、警戒せずにはいられなかった。
 そして、レオンも同じ事を思っているようだった。 威嚇の姿勢をとって、低い声で返す。
 
 「だったら何だ!」

 その威嚇に、謎の声はあくまで冷静に答える。

 ──魔狼をこちらに渡せ、といったら?

 しかし当然、その言葉には全員の目尻がつり上がった。

 「そんなことしないに決まってるでしょ!」

 真っ先に怒りを示したのはアカガネだ。 それに追随して、キラリやレオンもこくこくと頷く。

 ──なんだと。

 ふつふつと煮滾るような声。 しかしアカガネは怯むことなく声をあげた。

 「大体、顔も見せずに何様のつもり!? 声だけで偉さをアピールしてるとかそういうやつ!? 自分は暖かい場所で悠々自適に過ごしてるとか!? そんな奴らがここまで頑張ってきたユズちゃんを急によこせとか、あまりに馬鹿馬鹿しい。 来るなら正々堂々来なさいよ!!」

 彼女はびしっと虚空に向かって人差し指を立てる。 ここまでくどくどとされると最早説教の類だ。 大丈夫だろうかとレオンは少しはらはらしていたが、謎の声の反応は危惧していたようなものではなかった。 寧ろ。

 ──なるほど。 これだけで退くことはないか。

 寧ろとても素直で、清々しかった。

 ──ならば、自ら叩きのめすまでッ!!













 その時。 ぶわっと音を立て、ユズ達をその場に捕らえていた吹雪が一気に晴れた。
 ......いや、切り裂かれたというべきだろうか。

 「なんだ......!?」

 レオンが、全員の動揺を代弁してくれた。 金属音と共に、7匹の目の前に忽然と何かの影が現れる。

 「あっ......!?」

 キラリ達は目を見開きながら、そしてユズのみはうっすら開けた目をしながら、現れた存在の姿を驚愕をもって見つめた。



 風を切り裂き7匹の前に現れたのは。

 片や、鋭い金色の剣を咥えた。
 片や、堅牢な金色の盾を備えた。

 「我は精霊王、ザシアン!!」
 「我は格闘王、ザマゼンタ!!」

  ──2匹の、狼のようなポケモンだった。
 

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