第88話 湿原の向こう側
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
──成る程、そんなことが。
──予兆、とも取れうるな。 果たしてこれが正しいかどうか......。
──簡単なことだ。 そちらから本当に来たのならば、乗るまでであろう。
──伝えろ。 我々は、ここで待っていると。
──予兆、とも取れうるな。 果たしてこれが正しいかどうか......。
──簡単なことだ。 そちらから本当に来たのならば、乗るまでであろう。
──伝えろ。 我々は、ここで待っていると。
──スタッという音が響く、勢いのある着地。 タクシーから降り立った大地は、オニユリタウンのものよりしっとりと冷たかった。 息を大きく吸ってみれば、鼻を掠めるのは街では掻き消されがちな心地よい自然の香り。
灰色の尻尾が風を浴びてぶるぶると震える。 もしかしたら、武者震いかもしれない。
「来たよ......」
五感に響く沢山の刺激。 キラリはその場で飛び跳ね、思い切りその溢れんばかりのわくわくをさらけ出した。
「リンレツ湿原っ!!」
......目の前にある、雄大な景色を前にして。
辺りに何度もこだまする大声。 後ろで気合いの叫びを聞いていたイリータが顔をしかめ、キラキラ目のチラーミィに悪態をつく。
「キラリうるさい。 迷惑よ」
「ううっ......ごめん。 でもなんかわくわくしない? そりゃ目的至って真面目だけどさ! 冒険だよ冒険!! 未知への誘い!! それでいて雪山!!」
「まあ、探険隊としてその気持ちは分からんでもないけど......勝手にどっかうろちょろしない方がいいよ。 だだっ広いとはいえ結構迷うから」
「迷わないよう。 なにさ私そんな信頼ないの?」
「その油断が危険の元だろうが......」
オロルは苦笑い、ジュリはため息というなんとも微妙な雰囲気。 その間にレオン達もゆっくりタクシーから降りてきて、全員が円状に集まる形となった。 これからの行程について、ざっとおさらいを始める。
「えーっと、まずはイリータ達が先導する形でいいよな」
「ええ。 といっても、ここはそんなに階数が多いダンジョンじゃない。 遠征の時は、どちらかというと周回して生態系を調べる感じだったから......今の私達なら、1日経たずに踏破できると思います」
「だな。 で、宿泊は確か......世話になったポケモンがいるんだったか?」
その問いにはオロルが頷いた。
「はい。 『泊まりたい』っていう手紙を送ったんですけど、一応OKは貰ったので、泊めて貰えると思います。 結構彼の家広かったし、7匹が泊まるには多分十分じゃないかなと。 色々物資もあったりするから、準備の拠点にするのも丁度良さそう」
「......貴方、いつの間に文通してたの」
「中々面白いポケモンだったから、遠征だけの縁にするのも惜しくてね。 ちょこちょこ手紙で近況報告とかしてたんだけど......まさか、こんなところで役に立つとはなぁ」
「へぇ......そんな凄いポケモンなんだ」
「ああ。 別におじいさんなわけでもないのに、とても物知りなポケモンなんだ。 山に出発する前にでも色々話を聞いてみると良いよ。
......問題は、山に行かせてくれるかってことだけど。 手紙だと絶対突き返されて終わるから書けなかったんだよね......」
彼の声のトーンが沈む。 確かに、前聞いたイリータ達の話では「止められた」という言葉を聞いたのだけれど。
耳をひくつかせながらキラリが唸る。
「......そうだよね。 お世話になるのに、黙って山まで行くのも......」
イリータ達が前行った時とは違い、今回はれっきとした事情がある。 とはいえ、果たして通してくれるかどうか。 もし断られたとして、どうやって説得するべきか。 ......魔狼のことだって、そんな軽率に話すべき内容ではないのだ。
まだ湿原にすら入れていないのに、心配ばかりがここに来て無限に積み重なっていく。
「──はい、ここでネガティブになってもいいことないよ」
しかしぐるぐる巡り続ける思考は、アカガネの手を叩く音で遮断される。
「アカガネさん......」
「それは追々でよくない? もし断られても図々しくいけばいいじゃない」
「ま、普通に一理あるな。 取り敢えず今日はそのポケモンのところまで行こう。 山は明日以降だな」
「よし、頑張ろうユズっ......」
キラリは気合満々でユズの方を見る。 だが......。
その表情は、一瞬で凍り付いた。
「......ユ、ユズ?」
キラリにたらりと一筋の汗が垂れる。 隣にいるチコリータの頬の色は、いつもの赤みがかった薄い黄緑色というよりは......どこか、青白かった。 それでいて、縮こまって小刻みに震えている。
「......ごめん、なんか凄い寒くて......」
ユズは笑顔を見せるが、そこには無理が滲むどころかぼたぼたと染み出している。 ──そういえば、タクシーを降りてからは彼女だけ一言も喋っていなかった。
「そうか? ちゃんと今日陽は出てるが......」
「......なんでだろう、悪寒っていったほうがいいかも......」
「僕の分の外套あげるよ? 別に寒いの好きだからいらないし」
「助かる......」
ゆっくりとユズはオロルから外套を受け取る。 前も身体が痺れる感覚を覚えていたり、ここでの彼女の体調の変化は割とめまぐるしく思える。 まるで、何かに振り回されているようだ。
キラリは何気なく遠くを見やる。 目線の先にある白峰は、何かこの現象のヒントをくれるわけではない。 ただ悠然とそびえ立っているだけ。 言葉を発さないまま、威圧感を放っているだけ。
......でも、ユズの体調と完全に無関係とは思えない。
「やっぱり、あそこに何かあるのかな......」
「......そうね。 ユズにはきついでしょうけど、これは更に行く価値がある山と見たわ」
「でもユズ平気か? きつかったらおんぶでも」
「平気」
顔色は依然悪いままだが、ユズはレオンの申し出を毅然と拒否した。 彼女はよろよろと進み、山の頂の方を見やる。 その目はとても真っ直ぐだった。
「......自分の足で行きたい」
その願いは、強いかつ切実なもの。 キラリとレオンは深く頷いた。
「──了解だ。 でも何か困ったら言えよ」
「はい......ごめんね、ペース落ちちゃうけど」
「大丈夫! ゆっくり行くなら景色ものんびり楽しめるからさ!」
「いざとなればあたしも炎とか出すからね~」
「......それならば、もう余計な無駄話は無用だろうな」
ジュリの言葉を皮切りにして、全員の足が湿原の方へと向く。 その通り、時間がかかるというのなら、その分余裕を持たせて進めば良いだけなのだ。
湿原の空気は澄んでいて、最初は遠くにそびえる山々もはっきり見えていた。 けれど、そちらの方に近づいていくにつれ辺りに霧がかかっていき、こちらの視界は徐々に閉ざされていく。
そして、あらかた遠くの景色が霧に覆われたところで......目の前に、長い草に囲まれた1本道が現れる。 これが、この先の湿原が不思議のダンジョンであることを示す確固たる証拠だ。
「それじゃ......行きますか」
先導するオロルの静かなかけ声と共に、7匹は湿原のダンジョンへと足を踏み入れた。
......さっき言われた通り、確かにそこまで難しいダンジョンというわけではなかった。 先導するのがイリータとオロルだからかポケモンの幻影は割と一瞬で散っていくし、1番後ろがジュリだったのもあり(どうやらポケモンに前後を囲まれるのが苦手らしい)、背後からの不意打ち対策もばっちりだった。 結果的に体調不良のユズやそのパートナーであるキラリを真ん中で守る形になったため、2匹にとっては山に行く前のレベル上げも何もなかったのだが......でも、だからといって暇なわけでもなく。
見たことのない植物が沢山あった──かつてのイリータのこの言葉は確かに正しく、珍しい形をした花が道端にいくつも咲いていた。 彼女らが持ち帰ってきたあのオーロラ色の花弁の花も何本か見られた。 お世話になったポケモンから聞いたという花の知識をオロルが披露する度に、ユズの頬の色味も少し暖かみを取り戻していった。
にしても、この辺りの植物をここまで詳しく知ってるだなんて、そのポケモンは一体何者なのか。 キラリがそう聞くと、オロルは苦笑いして首を傾げた。
「さあね。 沢山お世話になったわけではあるけど、僕らにとっても謎なことが多いポケモンなんだ。 元々ここに住んでたわけではないってことは教えて貰ったけど、彼の他のプライベートな事情は正直全然分からない」
「そうなんだ......」
「踏み込みすぎるのも失礼だもの。 彼もこちらのことはあまり詮索しなかったから、寧ろ程よい距離でやりやすかったのだけれど」
「うんうん。 ......なんだけど、1個どうしても聞いてみたいことがあって。 ここだけの話だけどね......特に気になるのは、僕らには行くなって言う癖に自分はたまに山に行くことなんだよね、早朝とかに」
「えっ......じゃあやっぱり、そのポケモンに聞けば」
「そうなるわね。 現地のポケモンではないっていうのもなんだか不自然だし、絶対に何かあるわ。 でも、話を本気で切り出すなら覚悟した方が良いかもしれない」
......覚悟。 まさか、いつも何に対しても物怖じしないイリータがそんな言葉を使うとは。 自分でも自覚しているようで、彼女は首を傾げた。
「なんでしょうね。 別に、そんなに厳しすぎる訳ではないでしょうけど......。 でも内容が内容だし、すんなり通るかどうかは分からないわ。 何かとっかかりをつかめない限りは、簡単には折れないと思う」
「......頑張るよ」
「......ま、それでこそ私達のライバルよね」
4匹はこくりと頷く。 それを眺める3匹の大人の──特にレオンの目には、どこかそんな素直な子供を見守る暖かさがあった。
何度目かの階段を上ったところで、完全に視界が開ける。 道を狭める長い草は最早どこにもない。 改めて前をしっかり見てみると、山は本当に間近まで迫っていた。
「えっと、確か針葉樹林に少し入ったところに家があるって......」
「林か。 アカガネと同じだな」
「ですね。 彼も静かな方が好きそうだったし」
「ふぅん......話合うかもなぁ」
「......と、噂をすれば!」
オロルが声をあげる。 彼が前足を振る方向を見てみると、確かにそちらには白色かつ大柄なポケモンが立っていた。 そのポケモンもすぐにこちらに気づいたようで、大きな手を振って迎えてくれる。
そして唐突に、ユズの頭の引き出しから、昔TVでやっていたイッシュ地方特集の記憶が引っ張り出された。
「──おお、来たか!」
白い毛皮、いかつい表情、髭のように蓄えられた氷柱──氷タイプの元ジムリーダーで、現在はポケウッドなるところで活躍する俳優が愛用していたポケモン。 ......確か名前は、ツンベアーといっただろうか。
ユズが思考にふける間に、イリータとオロルが彼に対して礼儀正しく一礼した。
「ツンベアーさん、お久しぶりです。 お元気でしたか?」
「ああ。 久しぶりだな、探険隊コメット。 夏の時から、また見違えたように見える」
ツンベアーは本当に嬉しそうにイリータ達に微笑みかけた。 やはり子供の成長というのは、どこか筆舌に尽くしがたい感慨があるのかもしれない。 ユズとキラリがぼんやりと抱いていた「少し怖そう」というイメージは、良い意味でひっくり返される。 その落ち着いた話しぶりは......どこか、あの長老の姿が被るような。
「で、ツンベアーさん。 こちらが手紙に書いた......」
「ああ......『ライバルの探険隊と、親身な大人達』か。 改めて自己紹介をさせて貰おう。 私はツンベアー。 里を離れ深い森の近くで静かに住まう、箸にも棒にも引っかからないようなポケモンだ。 寒い中、このような辺境までよく来てくれた」
「ど、どうも......」
「いやあすいません。 こんな大所帯になってしまって」
初対面なのもあってか、珍しくレオンが敬語を使う。 だが、ツンベアーは満更でもなさそうに首を振った。
「何、気にすることはない。 言葉遣いも好きにすればいい。 私は、世から見れば隠遁者。 はぐれ者のようなものだからな」
「はは、それはあたしも半分そうだからなんともなぁ......」
「ほう。 にしても、中々多様なポケモンが揃っているようだ......」
ツンベアーは順番に5匹の顔を眺める。 ポケ見知りな方であるキラリとジュリが少し後ずさりしたりもしたが、彼は別にそれを咎めることもなく、顔も実に穏やかだった。 そして、最後にユズの方を見て──。
「......ん?」
ツンベアーの目線の動きが、止まる。
そのまま彼は暫く動かなかった。 その滲み出た声も、どこか氷のように堅い。
(......?)
ユズは少し怯えた目で彼の表情を見る。 目は真剣そのものであったのだが、彼が一体「何を」見ているのかは察することは出来なかった。 じっと値踏みされているようで、少し恐怖すらも感じてしまう。 流石に耐えきれず、思わず小さく声をあげてしまった。
「あ、あの、何か......」
「えっ......ああいや。 ......君、暑くはないのか? 上着を2枚も着て」
「へ、平気です。 えっと私、草タイプだから寒さに弱くて」
「......そうだな、タイプによって寒さの感じ方も違うだろうな。 特に、氷と草なら尚更だ。 失礼した」
「いえ......」
なんとか、理由については誤魔化せただろうか。 ユズがほっと息をつくのと、ツンベアーが家の扉の方へ歩き出したのは同時だった。
「......こんなところで立ち話をしては、余計に身体に障るだろう。 取り敢えず、まずは入るといい」
「お部屋だー!」
「広いですね......1匹暮らしですよね?」
「これは本ポケから聞いたんだけど、元は食糧備蓄用の倉庫にするつもりだったらしいのに実際は全然使わなかったみたいで......」
「はは......心配性なのがバレてしまうな」
ツンベアーに案内された2部屋は、確かに物が何もないすっからかんなところだった。 子供と大人で2手に分かれた後、早速持参した毛布を布団代わりに床に設置しながら、キラリが彼に向けて話しかける。 ポケ見知り状態からは割と早めに脱却できたようだった。
「ツンベアーさんって、やっぱり結構前からここに住んでるんですか?」
「ん、どうしてそんな事を?」
「いや、木の香りにちょっと年季が入ってるなぁというか」
「中々に勘がいい。 確かに住みだしたのは大分前だよ」
「なるほど......辺りの植物とか凄い詳しいってイリータ達から聞いたんですけど、だからですか?」
「ああ。 食糧集めのために湿原に行く機会も多いからな......ん?」
「どうしました?」
「その石......」
ツンベアーの静かな注目に、ユズとキラリが反応する。 彼の目線の先にある石は、2匹の胸元に揺れるペンダントだ。
「ああ、これは......お揃いのペンダントなんです。 キラリのお兄さんが加工してくれて」
「そうか。 いやすまない。 中々見ない石だと思ってな。 自然に関する知識には自信があったのだが、こういったものは見たことがない。 だが、綺麗な物だな」
「ですよね! これ、太陽の光を浴びると虹色にきらきら光るってやつで......よかったら見てみます?」
「ほう......?」
キラリはペンダントを窓辺にかざし、周りのポケモンが自然とそれに群がる形になる。
確かにそれはキラリの言葉通り虹色に光ったが......。
(......あれ)
ユズの胸中に1つの違和感が生まれる。 ......キラリの石の虹色には、少し薄桃色も混ざっているような。
自分も少し窓の方に近づいてみると、こちらの方にも似たような現象が起こった。 少しではあるけれど、水色がかった虹色に見える。 前からこんな感じだっただろうか......いや違う。 キラリからペンダントを貰った時は、もう少し純粋な虹色だった。
一体どういうことなのか。 ただの空目? 単純にペンダントとスカーフの距離が近いせい? どれも違う気がする。
心当たりがあるとすれば、この前、竜巻を破った時の──。
「......太陽......虹色......」
「へ?」
ユズは一瞬、自分の思考の声が漏れたかと疑った。 だが、声の高さからして全く違う。 隣にいるその声の主の表情を見てみると、それはさっきユズを凝視したときのものと同じだった。
......これもまた、すぐにあの朗らかな顔に上書きされたけれど。
「いや、なんでもない。 面白い宝石だな」
「ですよねー、謎なことも実はいっp」
「あっ......キラリしーっ!!」
このままでは全部吐き出される──ユズは猛スピードでキラリの口を塞ぎ、ひそひそ声で釘を刺した。
「もごもご......(ユズなんで!?)」
「ひそひそ!(流石に言い過ぎ、せめてもう少し後!)」
「もご......(わかった......)」
素直すぎるのもたまには困りものだ。 ユズがほっと息をつくが、その間にオロル達は自然に話を繋げてくれていた。
「なんかよかった。 ツンベアーさんにも、知らないことちゃんとあるんですね」
「よかったって......君達は私を神様か何かとでも?」
「いや、今のはちょい誇張ですけど......でもツンベアーさん、基本聞いたことには全部答えてくれるから」
「別にこれは大したことではないさ。 さっきも言ったが、ここは故郷ではないとはいえ、住んでる時間は長い。 だから、ただ自然に触れる機会が多いだけだよ。 本を読む時間も沢山あるからな」
「そういえば夏は聞かなかったけれど......何かここに住むきっかけなどはあったんですか?」
イリータの素直な疑問に、ツンベアーの表情が一瞬また強張った。 色々なポケモンを見てきた4匹の目をもってすれば、それが「何かを突かれた」表情であると見抜くことは容易だった。
オロルの目だけが、その後どこか訝しげな感情を示す。
「......まあ、色々とここはいいところが多いからな。 意外と食糧も豊富だし、それでいて過ごしやすい。
そうだ、今日は何か料理でも作ろうか。 暖まりやすいように、少し辛めの木の実を使うのもありだろう。 折角旧友が訪ねてきたのだからな」
予想通りと言うべきだろうか、彼はぼかして話題をすり替え、「隣を見てくる」という口実をつけて部屋を去って行く。 後ろ姿が見えなくなったところで、ユズがぼそりと呟いた。
「......さっきもそうだったけど、オロルが謎だらけって言ったの、なんか分かった気がする」
「そうだね......でもなんだろう、前よりガードが柔らかい......気がする。 まるで、何か気にしてるみたいな......」
「そうなの?」
「うん。 夏はもっとさらっとやり過ごしてた」
オロルは険しい顔で首を傾げる。 今さっきツンベアーが出て行った、部屋の出入口を見つめながら。
「やっぱ、何かあるよなぁ」
あっという間に夕飯の時間はやって来る。 7匹がダイニングに移動してみると、机の上には美味しそうなご飯が沢山並べられていた。 具だくさんの木の実のスープはできたてほやほやで、パンの横には見た目からして辛そうなマトマのソースが添えられている。 隣にはいくつかの木の実がのせられた皿もあった。 各自でサンドイッチにして食べるらしい。 実はサンドイッチはオニユリタウンではあまりメジャーでない食べ物だから、少し目新しくも思える。
色々気になることはあるとはいえ、まずは腹ごしらえからだ。
「「「いただきます!」」」
小さな雑談も交えながら、それぞれのペースで食べ進めていく。 落ち着いた時間ではあれど、その空気は若干の緊張感も帯びていた。 特に、疑念を募らせている探険隊コメットの周りは。 色々問う機会があるとすれば、全員が一同に会する今ぐらいなのだろうけど。
──とはいえ、美味しいものは美味しかった。 スープは冷えた身体によく染みるし、特に自分で具材を挟むサンドイッチは格別の美味しさだった。 それぞれが作るわけだから、キラリが甘い物をどれだけ入れても誰も拒まない。 美味しそうに具材をまとめるポケモンの真似をしたって構わないし、別に完全にお揃いにしたっていいのだ。 イリータとオロルの入れた具材が偶然全く同じになるというミラクルも起こったりした。
身体の底からエネルギーが満ちあふれてくる。 ......そしてそれと同時に、心の準備も出来てくる。
「......して、さっきこれを聞けていなかったな」
あらかた食べ終わり軽くお茶を飲んだところで、ツンベアーが大真面目な顔で問う。 準備が出来たのは、きっと彼の方も同じなのだろう。
「なんでしょう?」
「オロル、君の手紙を見た時、私はおかしいと思ったんだよ。 もう湿原の調査も終わったというのに、わざわざこんな厳しい季節にここまで来るなんて」
「......でしょうね」
「それを分かっているというのなら、君達はどうしてまたこんなところまで来たのだ? それも、仲間をこんなに引き連れて」
......さて、ここからが勝負だろう。 オロルの青緑色の目が、思いもよらず少しつり上がる。
「ツンベアーさん。 単刀直入に言います。 僕達、徒花の白峰に行きたいんです」
「......夏に行ってはいけないと言ったはずだが。 あそこは外の世界の者が、探検をするなどという浅い目的で行く場所などではない。 聡明な君達ならば、理解してくれると思ったが」
「知っています。 だからこそ、手紙に目的を書きませんでした。 軽々しく行く気は毛頭ありません」
「ならば何故だ」
その問いにはイリータが続く。
「私達は、真実を知りたいんです」
「真実?」
「ええ。 ......ツンベアーさん、あの山に行ったことがあるのでしょう? 外の者が入るべきではないと、私達のことを強く止めた上で。 つまり貴方は、湿原だけではなくてあの山にも精通している。 つまり、立ち入ってはいけない理由の詳細を知っているはず。
真面目な貴方のことだわ。 絶対に、あそこには並のポケモンが知るべきではないだろう情報があるはず。 そして──私達が今欲しがっているのは、まさしくそれなんです」
ツンベアーの厳しい表情は、揺らがない。 流石にこの程度では有効打にはならないのかと、イリータの中に不安が走る。
そして彼は、膝の上で手を握りしめる。
「何故そうまでして求める? 真実を得て君達は何をする? ただ満足するか? それとも悪用するか? 私が何か隠しているというのは、君達から見ればそうだろう。 でも君達も同じ事をしているのでは? それなのに私にだけ何かを求めるのは不公平とは思わないか?」
「......なるほど。 私達が情報を言えば話してくれると?」
「内容によるがな。 もっとも、私は君達を信用している。 ......本当に、生半可な理由ではないのだろう?」
「ええ。 ......でもそれは、私の一存じゃ話せない」
イリータはユズの方を見やる。 それは無言の頼みであり、当然断る理由は無い。 彼の言葉も、ごもっともだ。
「......すいません、ここからは私が」
「ほう......君が話してくれると」
「はい。 でもその前に、質問したいことがあります。 ツンベアーさん。 どうして、さっきは私のことを注意深く見てたんですか」
「言っただろう。 厚着をしているのが意味深だったと」
「ペンダントについて触れた理由は」
「中々見ないから、珍しいなと思っただけだ」
「......分かりました。 では、本題なんですけど......」
このまま問答を続けていても、きっとらちが開かないだろう。 それに、彼のような真っ直ぐな相手には......搦め手なんて、寧ろ時間の無駄だ。
「──ツンベアーさん。 魔狼って、知っていますか」
ツンベアーの前に置かれたお茶の水面が、息で少し揺れる。
少し間を置いて、彼は1つこくりと頷いた。
「ああ、知っている。 ......本当に君なんだね、今の魔狼の宿主は」
「......はい」
「......やっぱりか。 なんだか怪しいとは思っていたが」
微かに笑い、机の上に手を置いた。 これ以上の重要な隠し事などない──そう示しているかのように。 その表情は、朗らかと厳格の中間といったところだろうか。
にしても不思議だ。 もう少し緊張すると思っていたのに、ユズの心はとても静かだった。 そしてきっと、ツンベアーもそれは同じ事。 安堵すらも、その目からは見て取れた。
......だが全員が、そんな穏やかな心持ちでは無い。 特に、感情がオーバーヒートしがちな灰色の毛玉は。
「えっ......ツンベアーさん......本当の本当に魔狼の事、知ってるの? あれだよ? あの怖い奴だよ?」
歯を剥き出しにしてがおーというジェスチャーを交えてキラリは聞くが、彼は顔色1つ変えない。
「ああ、存じている。 ついでに言うとだが......オニユリタウン近くで起こったらしい謎のダンジョン騒動、あれも魔狼絡みだろう?」
「うっ」
「......知ったかぶり、ではなさそうですね。 ツンベアーさんに限ってそんなことはなさそうだけど。 だからちょっと隠し方が大袈裟だったのかな......?」
「ははは。 隠し事は、本来あまり上手ではないのだよ。 ......にしても、君達は何故魔狼の名を? あれにまつわる情報は、虹色聖山にしか......」
「......何?」
ジュリが思わず眉間をしかめる。
「虹色聖山と言ったか? ......どうしてその名を?」
「は......? もしや、知っていると?」
「えっと、ジュリさんの故郷の近くにある山なんだけど、私達遠征で登ったことがあって......待ってツンベアーさん、もしかして虹色水晶のことも?」
改めてペンダントをツンベアーに見せる。 彼もまたまじまじとペンダントを見つめ、何度か頷いた。
「ああ、言葉だけだから、実物を見るのは初めてだったが......やはり、か。 虹色聖山の麓の集落も......やはり、『現実』なのだな。 歴史というのは」
しみじみとした声。 その言葉には、一体何が詰まっているというのだろう。 あまりの情報量の多さ故に、今言葉の中身を汲み取ることは叶わなかった。
不思議かつ奇妙。 遠い世界にいる存在。 目の前の白いポケモンは、無意識ながらもそんなオーラを纏わせている。
「......なんか妙だな」
そこで、レオンがツンベアーに追い打ちをかける。
「あんた、魔狼の宿主がここに来るって予想してたのか?」
「......というと?」
「突然だったら、いくら知ってても驚くはずだ。 俺から見て、今の反応はあまりに冷静すぎる。 ただの隠遁者で片付けられる奴じゃないと思うんだけどな。
この山には伝説ポケモンがいるって話もあるが......あんた、一体何者だ?」
場がまた静まりかえる。 待たれるのは相手の回答だ。 今まで浮上した謎を一網打尽にするのは今しかないと、ツンベアー以外の誰もが思った。
しかし、崖際に追い込まれた彼は窓から夜の暗闇を一瞬見やり、首を振る。
「......済まない。 話は、明日に持ち込ませてくれないか。 今話し出してしまうと夜も遅くなってしまう。 それに──」
目を瞑るツンベアーの頭に、1つの記憶が過ぎる。
純白の山に迷い込み。
右も左も分からない中で。
出会ったのは、あの「3つ」の影──。
「自然の中にいた方が、包み隠せず話せそうだ」
──さあ、自分の役目を、今こそ果たそう。