Film7-1 喧嘩するほどほにゃららら

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「わぁっ! ミノリちゃんのマーメイド衣装、すごく似合ってるよぉ!」
「な、何だか恥ずかしいな……」

 ポッ、とミノリの頬が赤くなる。彼女の身は、透明感あふれたレースをあしらったドレスが纏っていた。下半身は人魚姫らしく、マーメイドスカートが足をすっぽりと包んでいる。人魚姫を題材にした舞台で、動きやすくするにはどうしたらいいかという課題をクリアできたことで、アキヨは現代の流行りに感謝している。
 他の部員達も、衣装合わせのために海の世界の住人のような装いで部室に集っていた。中でも人魚姫と似たような系統の衣装を渡されているイブキは、その中学生離れしたスタイリッシュさをサヤカに羨ましがられていた。
 
「ミノリ先輩もイブキ部長も、スタイルよくって羨ましいですぅー」
「サヤカもいっぱい食べて大きくなりなよー」

 ポン、とサヤカの頭の上に置かれたイブキの手は、柔らかく温かかった。いつかはこんなお姉さんになりたい――サヤカの決意や意識が、またひとつ高まった。

「ポケモン達もさまになってるよな。みんな海の世界をモチーフにしたってすぐ分かる」

 感心の目を向けているのは、陸の世界の王子に扮することになったユタカだった。
 ポケモン達も大小の差こそあれど、チュチュやアクセサリーを身に着けている。主演ポケモンのビーナスや人型に近いソルダムなんかは、腰回りをバレリーナのようなチュチュで覆っているが、マドカ(ライム)のように脇役レベルとなると、腕にキラキラした腕輪をつける程度だ。

《みんなステキね。私は今回は人間の役がないから、ああいう衣装が着れないのが残念だわぁ》

 隣で部員達を見上げるチェリーに倣って、マドカも自分の姿をしたライムに目をやる。
 本来自分がやるハズだった役は、人魚姫の姉のひとり。スパンコールが散りばめられた、寒色系のグラデーションを中心とした衣装。アキヨが心を込めて作ってくれたあの衣装は、見れば見るほど着たかったという思いが募る。

 本当だったら、あたしがあの衣装着てたハズなんだけどな。
 アキヨが前に言っていた。マドカとライムが元の姿に戻る手がかりが何もつかめていないと。最初の頃に廃部騒動があってそれどころじゃなかったのもあるが、そのままズルズルと現状維持のままな気がする。
 いつになったら自分達は元の姿に戻れるのだろう。いつになったら、人間の女の子としての生活を取り戻せるのだろう。

《マドっち、どーしたの?》
《あ、ううん! なんでもないよ》

 オウリンの声で、マドカは我に返る。ちょっとでも気を抜くと、自分が“ライム”を演じていることを忘れてしまうから危ない。
 でも、こんな生活がいつまで続くのだろうという思いが全くないかというと、嘘になる。あたしがあたしでいられない。人間の家族や友達、部活の仲間達と話すことなど、できないことがあまりにも増えた。

「お前ら、ずいぶん準備進んでるようだな」

 ツカツカと部室に入ってきたケイジュの姿に、部員達はしゃんとする。ケイジュは比較的“ゆるい”先生ではあるが、それでも自分達より目上の大人が入ってくると、仲間同士だけでいる時とは少しばかり姿勢を変えなければという意識になるものだ。

「だが、忘れるなよー。今日から期末テストの返却期間だからな。赤点取ったヤツはもれなく追加課題あるから、そうならないように」

 うわっ、忘れてた。ヤバいかもしれない。部員達からバツの悪そうなセリフが飛び交う。
 期末テストといえば、マドカとライムが入れ替わる少し前に行われていたハズ。そのためライムは、マドカのテストの全貌や出来を知らない。ただ、普段のマドカの授業態度やこれまでの成績を鑑みるに、あまり期待はできないと思っておいた方がいい。

「なぁ、マドカ。お前大丈夫なのか?」
《ライム、いい? そういうのは配られてからじゃなきゃ分かんないものなんだよ!》
「いや、オレが聞いてるのは大丈夫かどうかなんだけど」
《たぶん大丈夫! ううん、きっと、いや絶対!》

 そう言うマドカは、いやに堂々としていた。その割には、言葉の端々からは焦りや自信のなさが現れているのがよく分かった。



★ ★ ★



「で、結局赤点かよ!」

 案の定、マドカのテストは全教科赤点という類を見ない結果を叩きだした。よくこの成績で、プレイヤ学園に入学できたと思うが、今回は事情が違う。

《だって今回は全教科テスト範囲広かったし、シアフェスもあったし、それどころじゃなかったんだよ!》
「お前去年のシアフェス前も同じ理由で補修になってただろ!」
「まぁまぁライムちゃん。今年は追加のプリントだけで済んだから、部活には支障出ないみたいだよぉ」
「そういう問題じゃねーよ! まったく……」

 アキヨに窘められ、ライムはぶつくさと言いながらも感情の矛を収める。
 マドカはマドカで、ただでさえセンチメンタルになっていたところを頭ごなしにされるのは、いい気持ちではない。何か一矢報いたいと思い、なけなしの売り言葉を口にした。

《だいいち、ライムは自分が仮にテスト受けてたらもっといい成績取れてたって言えるの?》
「それは分かんねーけど……」
《じゃあそんな怒ることないじゃん》

 少なくとも、マドカよりはいい成績を取れていた。その言葉を買い言葉にして返せるほど、ライムは自信家ではない。とはいえ、このマドカの成績は目に余る。マドカはテスト範囲の広さとかシアフェス関係のことを引き合いに出しているが、それが勉学をおろそかにする理由には全くならない。

《あれ、ライムっち。ちょっとほっぺ赤いよ》

 感情的になりすぎて火照ったのだろうか。ライムはそっと自分の頬を指の腹で撫でてみる。
 ところが驚いた。皮膚がカサカサしていたのだ。粉を吹いている、とまではいかないものの、ほろほろと頬の皮膚のコンディションが崩れているのがよく分かる。
 それは手鏡を見れば、もっと分かりやすかった。頬骨あたりが赤みを帯びており、意識すると痛みさえ覚える。

「うげっ、マジだ。夏だってのにカサついてる」
《ライムもしかして、スキンケアサボった?》
「お風呂上がりにやるやつだよな? すっかり忘れてた……」
《もう! あたし乾燥肌なんだから、毎日化粧水と乳液ちゃんとつけてって言ったじゃない!》
「わ、分かったって。次から気を付けるから」

 ようやく、少しだけライムに一矢報いた気がした。だが、マドカの気持ちがこの場を以て晴れるということはなかった。 



「ねぇねぇ、この後フラッペ飲み行かない? 新作出たから!」
「サヤカ行きたいですー!」
「私も今日は塾がないから、一緒に行こうかな。マドカちゃんもどう?」

 放課後の部活が終わり、帰宅するのみとなった頃。ポケモン演劇部の女子部員達が、輪になってキャッキャッとはしゃいでいる。
 少し前まで、自分も一緒になってあの輪の中ではしゃいでいたのに。今はそれも叶わない。マドカは途端に、疎外感のようなものを感じた。まるで、自分だけこの世界から切り離されてしまったかのように。

「ごめんっ! あたし追加課題があるから、今日はパスする!」
「そう? そしたら別の日にしようか。ミノリの塾がない日でさ」
「残念ですぅー。マドカ先輩も今度一緒に行きましょう!」
「ここんとこ部活も練習時間伸びてるし、根詰めすぎないようにね」
「ありがとう……」

 せっかくこの前、親交を深めたばかりのミノリが誘ってくれたのに、残念だ。だが、赤点組として追加課題を課せられた今のライムには、それを承諾できるほどの時間と余裕がなかった。
 部員達の温かい言葉が身に沁みる。根を詰めているのは誰のせいなんだろう。そう思ってしまう自分を、ライムは腹立たしく感じた。



 なんでオレがマドカの代わりに課題をやんなきゃいけないんだ。そもそもオレはポケモンだ。人間の課題とは無縁のハズなのに。本当だったら、部活で疲れた身体をフラッペで癒したいところだったのに。
 マドカへの苛立ちを糧に、ライムは次々と課せられた課題の問題を解いていく。幸いなのは、普段からマドカが授業中寝ていることが多かったものだから、ライムが代わりに授業を聞いていたことだ。お陰で、課題そのものはサクサクと進んでいる。
 でもちゃうやん。おかしくねーか? 赤点取ったのはマドカなのに、オレが頑張ってるのは違うんじゃないのか?
 苛立ちや怒りが限界にまで募ったライムだが、ここで爆発させるのもまた間違っているのは分かっている。こういう気持ちを抑え込むには、大好物の甘いものを食べるに限る。

(そういや、冷蔵庫にミノリと買いに行ったカップケーキ取っといてたな)

 いざという時のために取っておいた大好物の存在を思い出し、ライムは少し胸がすく思いをする。キリのいいところで課題の手を止め、1階の台所へと足を運んだ。
 さぁ、冷蔵庫の中ではカップケーキがオレを待っている。このぶつけどころのないイライラをほぐしてくれることだろう。
 るんるんした思いと共に、冷蔵庫の戸を開ける。ところが、カップケーキはその姿を消していた。

「……え?」

 絶望した。マドカの代わりに頑張ったオレを、カップケーキは見放したというのか。いや、ケーキを買ったのはつい最近だ。ちゃんとコウジにも、パパにも、ママさんにも、ナンならスダチにもお父さんに伝えて欲しいってお願いした。
 そういえば今年になってから、前にもこんなことがあった気がする。あの時はそうだ。マドカが勝手にオレのカップケーキを食べちまったんだ。
 まさか――ひとつの予感が、ライムの頭をよぎる。

「なぁ、マドカ。ちょーっと聞きたいことがあるんだけど、台所まで一緒に来てくれねーか?」
《え?》

 一度部屋に戻ってきたライムは、キョトンとした顔をしているのにも構わずマドカを台所の冷蔵庫前まで連行する。ご丁寧に戸も開けて、マドカにも冷蔵庫の中がはっきりと分かるように見せつけた。

「ここにあったカップケーキのことを知ってたら、正直に教えて欲しい」

 サーッとマドカの顔色が変わるのが分かった。この反応から、良くない意味でカップケーキの在りかを知っていることが伺えるのだが、ライムはあからさまな作り笑顔でマドカの返事を待つ。

《あ、あのね……。昨日の練習の後、お腹すきすぎて晩ご飯まで待ちきれなかったのね》
「ほう」
《で、パパもママもいないから、冷蔵庫の中開けて食べ物探してたの》
「して?」
《そしたらカップケーキがあったもんだから、ぺろっと……》
「ぺろっと?」
《……食べちゃった☆》

 プツンと、ライムの中で今まで我慢していたものが切れた瞬間だった。

「……ふっざけんじゃねぇええええええ!」



「なんで食べちゃうんだよ! あれ、オレが大事に取っといてたカップケーキなのに!」
《だって名前とか書いてなかったんだもん》
「だいたい、あれこないだミノリと買いに行ったやつだろ? お前だって一緒に行ったから分かるだろうが!」
《じゃあライムのだって分かるようにしてよ! いちいち誰のおやつとかって把握してないんだから!》

 コウジとスダチが帰ってきた頃には、マドカとライムの言い合いはピークに達していた。もちろんコウジには、ライムが一方的に何か言ってる声と、エモエモというエモンガの鳴き声が聞こえるのみ。
 
「お前ら何やってんだよ。外まで声聞こえてんぞ」
「聞いてくれよ、コウジ! マドカがオレのカップケーキ、勝手に食べちまったんだよ!」
「あー、それはマドカが悪いな」
「だろ!?」

 たったひとりのきょうだいであるコウジを味方に付けられたマドカは、とても不愉快に感じた。負けじとマドカは、自分側に取り込まんばかりにスダチに泣きつく。

《それを言うならスダチちゃんも聞いてよ! ライムってば、お肌の手入れの仕方も覚えてくれないの! お肌の手入れと比べたら、お菓子のひとつやふたつなんてちっちゃいじゃない!》
《それはライム様もお互い様だと思いますわ》
「全部聞こえてんぞ!」

 どうどう。
 コウジとスダチが、まくし立てる凸凹コンビを仲裁するように、間に割って入る。何だかよく分からないけど、ささいなことでケンカをしているというのだけは把握した。
 ここは年上として、この場を収めてやらなければ。コウジはポン、とライムの肩に手を置き、落ち着くようにと宥める。

「落ち着けって。マドカがウッカリ屋なのは、今に始まったことじゃないだろ?」
《お兄ちゃんはそうやって、ライムの肩持つんだ》

 ピキッ、とライムが顔を引きつらせる。実際コウジの言っていることは間違ってないのに、何で嫌なこと言うかな。

《ライム様。言葉が通じるのをいいことに、マドカ様の心が張り裂けそうなことを言うのはおやめになってですわ!》
「スダチはマドカ側かよ」

 そんなつもりじゃないのに。コウジとスダチは互いに目を合わせ、困ったように眉や目尻を下げる。このままでは埒が明かないのは、みんな分かっている。
 慣れない身体で、どうにか頑張って新しい生活に慣れようとしているのに。今までできたことができなくなっているのに。やらなければいけないことが増えているのに。なんで文句ばかり言われなきゃいけないんだ。
 マドカもライムも、お互いに同じことを考えていた。元の身体に戻る見込みがなく、時間だけが過ぎていく。知らず知らずのうちに、小さな不満やストレスがお互いに積もっているのだ。
 ライムは大きく、わざとらしく深い溜息を吐くと、流れるように続ける。

「そんなにあーだこーだ言うなら、マドカが代わりにやればいいじゃん」

 吐き出されたその言葉は、自分でも禁句だって分かっていた。
 ヤバイ。こんなこと、思ってもないのに、なんで。ライムは口を半開きにし、固まったままマドカを凝視する。自分よりも目下の位置にいるマドカは、案の定うつむいて何も言わない。幸い、見える限り泣いたりしてはいないようだが――いや、涙も出てこないだろう。
 トドメの言葉を刺されたマドカは、ばっ、とライムに向けて顔を上げる。本来の自分の姿は、何てひどいことを言うんだと言わんばかりにキッと今の自分をにらみつけた。

《言われなくても、あたしは人間に戻りたいよ! ずっとガマンしてきたのに! ライムのバカッ!》

 精一杯の捨てセリフをぶつけると、マドカはリビングの窓を開け、外へと飛び出して行った。空は飛べなくとも足は速いマドカは、一瞬もないうちに夜の闇へと消えていく。

《マドカ様!》
「今のはマズかったぞ、ライム」

 コウジから向けられた眼差しは、ライムにとって心地のいいものではなかった。

「……分かってる。あんなこと、言うつもりじゃなかったのに」



★ ★ ★



 住宅街を抜け、大通りからも外れた、町の中でも静かな場所。勢いで家を出て行ってしまったマドカは、とぼとぼとコンクリートでできた歩道の上を辿っていた。
 小さいときから何年も歩いていたタチワキの道は、同じ道のハズなのになぜかとても広い世界に見えた。エモンガの姿になり、人間の10倍近くは身体が小さくなっている。
 普段であれば、そろそろお風呂に入るこの時間。遠目から見える大通りは、仕事帰りのビジネスマンやOLで行き交っている。サンギタウン方面――いわゆるヒオウギシティに稼ぎに行っている者もいれば、船を渡ってヒウンやライモンを行き来する者もいる。真っすぐ家に帰るのだろうか、同僚や上司といわゆる“1杯やる”のだろうか。
 すれ違った人々の行先は、マドカには分からない。他の人やポケモンには帰る家があるのだろう。しかし、ライムとあんな大ゲンカをしてしまった今、家に変える気にはなれなかった

(何なの、もう、ライムのバカバカバカ! こっちがガマンしてるのも知らないで……!)

 しばらくのマドカは、ライムへの怒りや恨みつらみがあふれ出ていた。しかし、時間が経つにつれて、冷たい夜風に当たることで大噴火していた頭は徐々に冷えていく。

《……ライムも、あたしのフリしながらガマンしてたのかな》

 ようやく本当の気持ちに辿り着いた。マドカはストンと何かが腑に落ちたような、ぐちゃぐちゃになっていた心が整ったような、そんな気がした。
 元の姿に戻りたいのは、自分だけじゃない。ライムだって同じだ。だからあれこれと約束を取り決め、励まし合いながら何日か頑張ってきたのに。元に戻る見込みが今の今までゼロだっただけに、無意識にストレスやガマンを溜めていたのだろう。
 あんな形で爆発するなんて、情けない。自分のことでいっぱいいっぱいで、周りが見えなくなって、一番大切なライムを傷つけた。ナンなら、赤点取ったのだって、カップケーキを食べちゃったのだって、全部自業自得なのに。

《あたし、ライムのおやなのにね》

 マドカは1匹――いや、1人で自嘲気味に笑う。今の自分はエモンガ。野生のポケモンと見られてもおかしくない。
 入れ替わった時点で、自分とライムの周りだけ世界が変わってしまったのは分かっている。だが、今は心までひとりぼっちになった気がして。
 誰にも見られていないと分かっていながら、マドカは目を伏せる。今にも泣き出しそうなところを、誰にも見られたくなかった。



 それから、どれぐらいの時間が経ったのだろう。



「はぁ……。部長達と話し込んでたら、バスの時間遅れちゃったね」
「チック!」

 プレイヤ学園は私立校ということもあってか、生徒達の居住地や登校手段は様々だ。サンギタウンに住むミノリは、バスを使わないと家に帰ることができない。
 ただ、サンギタウン行きのバスはそんなに多いワケではない。30分置きにしか来ないというバスの環境は、ミノリにとっては少々不便だった。今日みたいな日は、次のバスが来るまで時間を潰すしかないのだ。

「なんかジュースでも買って帰ろうか。ビーナスは何がいい?」
「チック、チックチー!」
「やっぱり、いつものサイコソーダだね。分かったよ」
 
 ウォンウォンと静かながらも慢性的に音を立てる自動販売機に、コインを入れようとする。その時、ビーナスが珍しく驚いたように大声を上げた。

「トゲチック!」
「どうしたの? ビーナス」

 相棒が大きな声を上げるものだから、ミノリはびくっと肩を大きく揺らし、入れようとしたコインをアスファルトに落としてしまう。コインを拾う流れでビーナスの声に導かれるように視線を移すと、見慣れたポケモンの姿を捉えた。

「……あれって、ライムくん!?」

 道端の隅で倒れるように眠っていたのは、同じ部活で活動しているエモンガだった。 



 サンギタウン行きのバスは、タチワキからおおよそ30分はかかる。20番道路は対して長距離の道路というワケではないのだが、サンギ牧場を経由するためバスで過ごす時間は長いのだ。
 ミノリの腕の中で、マドカはゆらゆらと揺れている。でこぼこ道をガタガタ音を立てて通るため、よく揺れるのだ。よほど疲れているのか、マドカは目を覚まそうとはしない。すやすやと寝息を立てているのだが、その頬にはうっすらと涙の痕が残っていた。
 最寄りのバス停に到着するまでの間、ミノリはスマートフォンからメッセージアプリを起動させ、送信用の文面を入力している。
 送り主はもちろん、この保護したエモンガのパートナーだ。



★ ★ ★



 これは、昔の夢だろうか。
 小さな自分と目の前の黒ずくめの大人との間を、潮風が通り過ぎる。大人の1人はハブネークとモロバレルを従えていたのだが、図書館の図鑑で見るよりもずっと大きい。開かれた瞳孔は、自分を獲って食うんじゃないかと思わされる。
 そしてもう1人の大人の腕の中では、ライムが怯えるように縮こまっていた。身体を縛っているロープがぎっちりとライムを締め付けていて、見ていても痛そうだ。

「かえして、マドちゃんのライムかえして!」

 震える足を踏ん張らせるように、マドカは喉から声を張り上げる。手には木の枝と小石が握られており、マドカなりに戦おうとしているのが見て取れる。

「そうはいかないわ。この子はプラズマ団の戦力として、ゲーチス様に献上するんだもの」

 プラズマ団には気をつけろ――パパやママ、幼稚園の先生にもずっと言われてきた。そんなプラズマ団に、ライムが連れて行かれちゃう。もう会えなくなっちゃうかもしれない。
 知らない大人は怖かったが、マドカにとってはライムと二度と会えなくなるかもしれないことの方が、ずっと怖かった。

「ダメ! マドちゃんがライムをまもるんだもん! マドちゃんのライムだもん!」

 徐々にその光景は薄れていき、周りが真っ白になっていく。幼い頃の自分の声も、プラズマ団やライムの姿も、どんどんかすんでくる。
 ガタン、とフィルムが回転を止めたように、ひとつの思い出は動きを止めた。
 


★ ★ ★



《うぅ……うーん……》

 マドカが目を覚ますと、見慣れない景色がそこにあった。
 だんだんはっきりしてきた景色は、誰かの部屋のように見える。ポケモンのぬいぐるみが飾られた本棚、参考書が規則正しく積まれている勉強机、アロマボトルが中央に置かれているローテーブル。
 確か、ライムと大ゲンカして、家出して、夜のタチワキを歩いてたら……泣き疲れて寝ちゃったんだか。中学2年生にもなって、泣き疲れて寝ることなんてあるんだな。誰にも見られていないとは思うが、マドカは少しだけ恥ずかしさのようなものが込み上げてきたのを自覚した。

「あ、気が付いた?」

 聞き覚えのある声に、マドカは反応するようにスッと起き上がる。泣きすぎたのだろうか、起きた拍子に頭がガンガン痛んだ。
 枕元に立ち、お皿を片手に持っていたのは、同級生のミノリだった。もっと言うなら、傍らにはビーナスも引き連れられている。
 この時のミノリは、セーラー服姿でもなければ、部活中の練習着姿でもない。髪をサイドにまとめ、パステルカラーの部屋着姿というリラックススタイルだ。お皿の上には、真珠のようにキラキラしているおにぎりが2つ並んでいる。

「あんまり豪華なものじゃないし、即席で作ったんだけど……よかったら食べてね」

 ミノリは自信なさげに口ごもるが、今のマドカにとっては何でもごちそうだ。むしろ、行き倒れていた自分をこうして匿ってくれているのだから、感謝するしかない。
 ミノリが目の前に皿を差し出すと、マドカは手早くおにぎりを一つ手に取るとカブリと食らいつく。ミノリお手製のおにぎりは、米のほのかな甘みと塩の味がイイカンジに調和していて、とてもおいしかった。シンオウにある、ハッサクの実家で出されたご飯の味を思い出させられた。

「エモ、エモエモ!」

 感謝の意を伝えるマドカだったが、ミノリにはエモンガの鳴き声にしか聞こえない。しかし、ミノリは微笑んでいた。まるでマドカの思いを受け取るかのように。言葉は通じなくても、ミノリはマドカの言わんとしていることを、分かろうとしているのだ。



 あたし、こんな風にライムに接してたっけ。



 マドカは自分のことを顧みる。
 入れ替わる前も、その後も。パートナーのことを分かろうとしていたっけ。いつも“自分がそうしたいから”行動していただけで、ライムの気持ちを考えたことあったっけ。
 自問自答するが、マドカの中では、もう答えが出ていた。

(あたし、ミノリちゃんみたいに優しい子じゃない)

 何かにつけて、いつも自分のことばかりで、ライムの気持ちを無視して突っ走って。空回りして。パートナーのトレーナーなのに、何をやっているんだろう。
 ミノリの優しさに触れるほど、マドカはみじめな気持ちになっていく。身近にこんなにいい子がいるのに、お前ってヤツは――そう突き付けられた気がしていた。

(あれ? あの壁にかかってるのって……?)

 ふと、マドカの目にあるものが入り込んできた。壁に飾られている、何かの服のようだ。壁になっている目の前のミノリから顔をのぞかせるようにして、マドカはその服をさらによく見て見る。
 そして、その全貌が分かったとき。「ウソでしょ」という思いがマドカの思考をたたきつける。ドクン、と身体が跳ね上がるくらいに、心臓が大きく鼓動を打つのがよく分かった。
 何故ならば、それは白と水色を基調とした、フード付きの衣装。ボトムスはロングスカートのようにも見えるが、昔話の騎士のようともいえる。胸には大きく、アルファベットの『P』の文字がひとつ。

《プラズマ、団……?》

 プラズマ団の衣装そのものだった。
 しかし、小さい頃にライムを誘拐したプラズマ団の衣装ではない。それよりもっと前、ポケモンの解放を訴えていた頃のプラズマ団のものだ。
 いずれにしても、さっき見た夢の光景が、頭の中でリフレインする。もしかしたら、ミノリちゃんもあの黒いプラズマ団みたいに悪いことしてたのかな。ライムの誘拐のことも、知ってるのかな――一転して、マドカは目の前のミノリのことが怖く感じた。

「どうしたの、ライムくん? あっ――」

 ミノリもどうやら、マドカがプラズマ団の衣装を目にしたことに気付いたようだ。まるでウソをついたことがバレたときの子どものように、ミノリは目を伏せる。迂闊にも、人目に触れるところに飾っておいたのがマズかった。

《安心して下さい。もうプラズマ団は壊滅しているので、これはあくまで過去のオモイデです》

 まるでミノリをかばうかのように、ビーナスがスッとミノリとマドカの間に割って入る。

《どういうことなんだよ? なんで、ミノリちゃ――副部長がプラズマ団の衣装なんか……。それに、過去のオモイデって……》
《ライムさんに言うことではありません。深いところまで知ったところで、ミノリがさらに辛い思いをするだけです》

 あの時の目だ。
 マドカはビーナスの顔付きを見て、既視感を覚えた。ポケモン演劇部の廃部阻止をかけた、生徒会への不服申し立てバトル。あの時のビーナスも、こんな顔をしていた。ミノリに危害を加えたり、辛くさせるものは全て拒絶するのだろう。たとえそれが、同期のポケモンであっても。
 なんだかマズいところに拾われてしまったんじゃないか。打って変わって、マドカは本能的に危機感を抱く。このコンビ、相当ワケアリだ。

「ビーナス、いいよ」

 ミノリはビーナスを抱きかかえ、マドカから距離を取らせる。2匹の間に走る、ただならない空気を感じ取ったのだろう。続けて「顔怖いよ」だとか「ライムくんは悪くないよ」だとか、ビーナスを嗜めるような声掛けをしてくれたおかげで、ビーナスの表情は柔らかいものになっていった。ミノリがそう言うなら、という思いがあるのだろう。
 よかった、とミノリは安心すると、今度は申し訳なさそうな面持ちでマドカに向き直る。

「ごめんね、驚いたよね。自分を誘拐した集団のひとりが、まさか身内にいたんだもの」

 ライムの誘拐の件も知ってたんだ。マドカはごくりと息を呑むが、ミノリの顔つきに妙なモノを感じていた。
 マドカの中ではプラズマ団イコール、怖くて悪い宗教団体のイメージが定着していたのだが、今ここにいるミノリは、ミノリそのものだった。いつもおどおどしているけれど、ポケモンのことをよく考えている、縁の下の力持ち。

「覚えてるか分からないけど、あなたが誘拐された時、私見てたんだよ。プラズマ団のことから離れたくてサンギに来たけど、ゲーチス派……黒い服の人達に、一緒に来ないかって誘われて。そしたら、捕まったあなたを助けるためにマドカさんが来たんだよ。木の枝と小石を握って」

 途中で途切れた夢の記憶が、マドカの頭の中で再生される。そうだ、自分はライムのために身を挺して助けに行ったんだ。その後ジュンサーさんとか、偉い警察の人達がパトカーを乗り回してやって来て。

「あの時のあなた、すごく安心したように大泣きしてたの」

 その記憶は、正直マドカにとってはおぼろげな記憶だった。でも、ミノリがそう言うならそうなんだろう。キヨミが死ぬまでのライムは、甘えん坊で泣き虫だったのは事実だったから。今も怖がりなところは変わりないけれど。

「だから、あの時はごめんなさい」

 いいんだよ。ミノリちゃんがライムを捕まえたワケじゃないんだから。
 本当ならすんなりと声に出して言いたいマドカだったが、エモンガの姿であることがやるせなかった。きっと、自分やライムが許さなかったら、ミノリはずっと罪悪感を背負って生きていくだろう。
 だが、ライムはどう思っているんだろうか。当事者のライムからしたら、溜まったモノじゃないだろう。マドカはこれ以上考えると、板挟みになりそうだった。

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