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 少し迷ったが、休日は自然と公式戦の予定が入っているハナダジムの方に足が動いていた。ハナオカの存在が気にならないでもなかったが、しかし嫌味を素直に聞いてやる義理もない。プロトレーナーの試合を見る、そのことの方が大事であった。
 特に今日の試合はカスミのバトルなのである。普段はジムリーダーに専念しているせいで、なかなかその本気を見ることはできないが、今日は数少ない例外である。しかもその相手が四天王のカンナであるならば、いいバトルになることには間違いない。今回のバトルは、トレーナーの間ではかなり人気の高い一戦であるのだ。エキシビションマッチとはいえ、彼女らが本気を出して戦う数少ない機会である。サトルとてチケットを手に入れるのにかなり苦労したのだ。
 だが、ハナダジムに着いた時に人はほとんどいなかった。おかしい、とサトルは首を捻る。バトルまではまだ時間はあるものの、観客を楽しませる前座のショーは始まっていてもおかしくないはずだ。それなのに、観客を誘導するはずの警備員はどこかそわそわした様子でトランシーバーを片手に駆け回っている。
「なにがあったんですか?」
 サトルはジムを名残惜しそうに見ている男に声をかける。
「ああ、発電所に何か異常があったみたいでよ。カスミさんとカンナさんはそっちの調査に行ってしまったんだ」
 カンナに賭けていたのについてねーぜ、とぼやきながら男は立ち去っていく。サトルは賭けてはいなかったが、ついていないという男の意見には同意だった。だが、事件が起こったと言うことは記者が誰かしらやってくるということ。ここでブラブラしていて知り合いに会ってしまったら気まずい。サトルは名残惜しそうにハナダジムに視線をやると、ポケットに手を突っ込んで立ち去っていった。
 サトルはため息をつくと、臭い消しのために買ったガムの包み紙をぐしゃりと手の中で握りつぶした。記者ならばネタを求めて事件現場に行く──例え非番の日でもそれが当たり前であろう。しかし、どうもサトルはそんな気分になれなかった。発電所前ということは口喧しい活動家ゴロがうじゃうじゃいる。中には記者に罵声を浴びせる奴もいるし、取り囲んであの記事を書いた記者を出せと言ってくる奴もいる。おまけに彼らから得られる情報は記事にしたところで評価は得られないのだ。そもそもサトルは活動家が嫌いだった。喚きたいだけの連中だ──サトルは近くの自然公園に向かって歩きながら息を吐いた。
 



サトルはベンチでチビチビと買ったアイスクリームを舐めていた。定年退職したあと、暇を持て余した爺さんみたいだなと、サトルは思わず苦笑する。子供やポケモンが遊ぶのを眺めながらアイスを食べる生活は、いくらなんでも早すぎるだろう。
 サトルはモンスターボールの緊急噴出装置を軽く叩き、ラルトスを繰り出した。ラルトスは周囲を見渡すと、すぐにとたたとこちらに走り寄ってきて膝の上に座った。
「食べるか?」
 サトルがアイスを渡すと、ラルトスはぱあっと笑顔を浮かべてアイスをペロペロと舐め始めた。サトルはそんなラルトスの頭を撫でながら、虫歯になっていないかを口の中を覗き込んで確認する。今の所は大丈夫だ、サトルはそう結論づける。念の為、今度ポケモン健康検診に連れて行ったほうがいいかもしれない。
 ラルトス・メソッドという取材対象が嘘をついているかどうかを見分ける力を遺憾なく発揮するには、ラルトスの肉体と精神状態が安定していなければならない。だが、サトルの持っているラルトスはおくびょうな性格であり、情緒が安定しない。サトルには懐いているうえに、人の心を読み取る能力は同一個体の中でも頭一つ抜けて優れていたということが悩みの種でもあった。
 ラルトスはアイスを食べ終えたのか、サトルに遊んでほしいと言うかのように両腕を伸ばしてきた。サトルはラルトスを抱き上げると、ぐるぐると思いっきり振り回す。ラルトスはそれが楽しいのか、キャッキャと声を上げて喜んでいた。こうやって遊んでいる分には気楽なんだが、とサトルは内心でため息をつく。
 自分の相棒として長く君臨しているウインディはともかく、他のポケモンはまだ怖いのかサトルにしか懐かない。サトルも無理に他のポケモンと接するようにはしむけていない。ラルトスと他のポケモンでは役割がまるで違うのだ。
 それに、仕事用のポケモンとは言え、記者になってからずっと一緒にいるのだ。この仕事で唯一信頼できるのは相棒のラルトスくらいである。トレーナーとしてバリバリ戦っていたときの自分ならラルトスをもっと鍛え上げていただろう。少なくとも、何かにつけて甘やかすことはなかった。
 しかし、記者としてのポケモンとトレーナーとしてのポケモンの両方を連れていくのはあまりにアンバランスである。サトルもそれくらい分かっていた。まるで、今の自分の象徴のようであった。トレーナーと記者、そのどちらにもなりきれないところが。
 くだらないことを考えるのはやめよう──サトルは軽く頭を振った。答えの出ない物事にくよくよと悩むのは自分の悪い癖だ。
 とりあえず散歩でもしようか。サトルは立ち上がってラルトスの手を繋ごうとすると、ラルトスがぎゅっと強い力で手を握り締めてきた。痛っとサトルは顔をしかめる。何をするんだ、とラルトスに怒りかけて──すんでのところで踏みとどまった。視線の先にある喫煙所、そこにいるのは間違いない。サングラスをかけたパワハラ上司のハナオカがむっちりとした手でタバコの箱を握りしめていたのだ。幸い向こうからはこっちが見えていないのか、気がついたような素振りは見せていない。サトルは慌てて身を屈めた。
 ハナオカは苛立たしげにタバコの箱をソーセージのような太い指で弾いている。足元にはいくつも吸い終わったであろうタバコの吸殻が落ちているし、何度も腕時計を覗き込んでいる。贅肉がだるんと揺れるたびに、腰につけているモンスターボールも揺れていた。
 ちょっとは痩せろよな、とサトルは内心で毒づく。だが、どうしてもその場から離れられずにいた。ハナオカが休日にこんな公園の片隅で何をやっているのか気になるのだ。それも、事件が起こっているらしき発電所に向かわず、公園の淋しき喫煙所に。
 そして、ハナオカが中身が入っていないはずのタバコの箱から取り出すように指を突っ込んだ時
、女性が長い赤髪をなびかせながら喫煙所に入っていってハナオカに声をかけた。
 ひゅう、とサトルは聞こえないように小さな口笛を吹く。ああ見えて意外とやることはやっているようだ。
 やがて、ハナオカと赤髪の女性は喫煙所を出てこっちに向かってくる。やべ、とサトルは茂みのなかにざっと入り込んだ。結構盛大に音がしたが、ハナオカと赤髪の女性は伏し目がちにぼそぼそと話していたせいで気が付かれなかった。それでも、サトルは息を殺してじっとその場にしゃがみ込んでいた。彼らの姿が完全に消えてから、サトルは顎に手を当てて考え込む。
 どう考えても、あれは逢引の雰囲気ではなかった。かといって取材をしている様子でもなさそうだ。もし取材しているなら、喫煙所で待ち合わせるわけがない。それに、ハナオカが普段描けていないサングラスをかけていたというのも妙だ。まるで、誰にも見つかりたくないかのような……。
 痛い、と思わずサトルは叫んだ。ずっと強く手を握られていて痛かったのか、ラルトスががぶりと指を噛んできたのだ。普段は静かな気性のラルトスだから、よっぽど気に障ったのだろう。
「悪いな」
 サトルは素直に謝ってラルトスの頭をなでようとするが、つんとした表情のラルトスはなかなか硬い表情を崩そうとしない。
 ハナオカよりも、ひとまずはラルトスと仲直りするのが先だな──サトルはぷいっとむくれてしまったラルトスをなだめようとしながらそう考えた。

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