第2話:ニン

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 握手の影響力を示すものとして、こんな話がある。

 ある博士が被験者に3人の人物と対面させ、それぞれ異なる条件下でコミュニケーションを取らせた。
 1人目は、視覚と触覚が封じられた条件下。被験者に目隠しを付け、接触を禁じ、声によるコミュニケーションのみを行わせる。
 2人目は、聴覚と触覚が封じられた条件下。声を出さないよう指示し、接触を禁じ、目線によるコミュニケーションのみを行わせる。
 3人目は、視覚と聴覚が封じられた条件下。目隠しを付け、声を出さないよう指示し、握手によるコミュニケーションのみを行わせる。
 これらのコミュニケーションを行わせた後、博士は被験者に「それぞれの人物に対してどのような印象を抱いたか」と訊ねた。すると被験者は1人目と2人目には「冷たい人物だと感じた」「事務的な印象を受けた」という評価を下した一方で、3人目については「温かい人物だと感じた」「親しみやすい印象を受けた」と評した。一見すると会話が可能な1人目や表情を読み取ることができる2人目の方が好意的に評価されやすいように思えるが、実際に最も相手の印象に影響したのは、握手を通して感じる体温、接触への積極性、手の力の入れ方、そういった触覚的な情報だったのである。

 今自分がいる「ポケモンが喋って文化的な行為をしている場所」において握手がどれほどの影響力を持つかは定かでないが、相手のカモネギ側から羽を差し出してきたということは、少なくとも鳥ポケモンにまで握手の文化が根付いているということである。見た目は最悪、会話も若干噛み合わない、そんな自分の第一印象を僅かにでも和らげられるかもしれない挨拶が、ここに現れたのだ。だから自分は今しがたカモネギの握手に応じることを決め、握手をする前に「握手ってどれでするのが正解だと思う?」と聞いた。下手な握手でカモネギの心証をこれ以上悪化させるわけにはいかないから。体の下半分が「ペンドラーの頭部以外」になったせいで手と呼べるものが複数出現したから。
 しかしカモネギも「分かんない」と返した。当たり前である。上半分の手と下半分の手から握手用の手を探そうとする生物に遭遇した経験などないだろう。自分達は今ここで互いのマナー観を擦り合わせ、最も敬意を表せそうな手を決定しなければならない。

「……普段道具を使うときに動かす手はどれなの?」
「普段動かすというか、ペンドラー部分の手足はそもそも動かした経験がないから、『動かす手』といえば上半分の2つになると思う」
「え、え待って待って、何? ペンドラー部分? を今まで動かさずに生きてきたの? それでどうやってダンジョンなんかに入り込んだの」
「いや、入り込んでから人間の下半分がペンドラーになったと考えられる」
「今までどういう生き方してたらニンゲンの下半分がペンドラーになったと考えられるの!?」

 カモネギにそう言われたところで、そういえばまだ下半分の事情を教えていなかったことに気付く。彼にとって自分は“上半分が人間で下半分がペンドラーの生物”でしかない。でしかない、でまとめられる視覚情報ではないかもしれないが、とにかく彼は今の見た目しか知らないのだ。「自然界にこういう生物が存在する」と思わせてしまっては忍びない。“自然は恐ろしい”というのは決してそういう意味ではない。こんな生物は通常発生しないのだ、と明言しておいた方がいいだろう。
 
「前提を説明するけど、自分は元々上半分も下半分も人間であるタイプの人間だった」
「う、うん、タイプっていうかそれがニンゲンなんだと思うよ」
「人間はポケモンじゃないし、基本的に人間がポケモンになることはないし、ポケモンも原則上半分または下半分だけ別のポケモンになることはない」
「そ、そうなんだ。いや知ってるけど、そうなんだ」
「したがって、上半分が人間で下半分がペンドラーの生物が生まれることは通常あり得ない」
「ま、まぁそうだよねぇ……じゃあなんで君はそんな姿になっちゃったの?」
「そこが全く不明で、自分は目が覚めたらここにいて、下半分がペンドラーになっていた」
「ほんとに前提しか説明しないじゃん!」

 カモネギはクキの先で頭頂部の3本房を潰した。人間で言う頭を抱える行為のようなものだろうか。

「常識をおさらいして改めて見た目の異常さを浮き彫りにしただけじゃん! 結局わけ分かんないじゃん!」
「自分にもさっぱり分からないから、この謎は一旦置いておいて、握手の話に戻りたい。とりあえず人間部分の右手で行こうと思う」
「すんごい置き場所に困る謎を抱えた状態でとりあえず手を1本差し出す気になれるのすごいよぉ……」
「むしろ手足が余って困ってるから1本だけでも受け取ってほしい」
「あはは、急に増えちゃったもんねぇ…………いやなんで今するっと下半分ペンドラートークを出してきたの!? 他モンの僕がこんだけ衝撃受け続けてるのに君ずっと冷静すぎない!?」

 カモネギはそう言うが、本当に衝撃的かつ既に起こりきってしまったことについて考えるとき、人は冷静に「よし、考えるしかないか」と腹を決めるところから始めなければならないのだ。自分は驚いていないのではない、なかったことにしたい現象を渋々受け止めようとしているのである。
 そう話すと、「渋々受け止めようとしてるときに下半分ペンドラートークを出す余裕があるのが冷静すぎるって言ってるんだよ」と返された。それは確かにその通りだった。

「……いや、パニックになるよりはいいんだろうけど……僕も見習いたいくらいだけど…………それはそれとしてもう握手なんてどうでもいい域まで来てる気もするけど……一応しとこっかぁ……」

 カモネギは改めて右羽を差し出す。自分はそれを“元々ある右手”で握り、握って……握ろうとした。

 握れなかった。
 カモネギの体長は平均80cmほど。対してこちらはペンドラーの胴体の上に人間の胴体が付いている状態のため、自分が成人だと仮定すると地面と垂直になっている部分だけでも200cm以上ある可能性が高い。単純に手が届かないのだ。

「なるほど。こっちが屈むしかな、っお」

 屈めなかった。
 30度ほど前に傾いたところでペンドラー側の腹筋が悲鳴を上げ、人間側の腹の中から重い呻き声が漏れた。安全に上半分の位置を下げるにはペンドラー部分の腹筋と人間部分の腹筋に等しく力を入れなければならず、そして初めて動かす腹筋で人間の胴体を支えることなどできるわけがなかったのだ。

「だ、大丈夫? ……上の手は背の高いポケモンとの握手に使うべきカモしれないね……」
「らしい。……短い方の手にしよう」

 届かなかった。
 単純に、伸ばすほどの長さがなかった。4対の手がその場でむすんでひらいてして終わった。

「…………仕方ない。失礼かもしれないけど、地面に付いてる方の前足でさせてもら」

 転んだ。
 ペンドラーの胴体に人間の胴体が付いているこの身体は、重心がかなり前方に偏っていた。それを支える前足を片方取り払えば、ろくに動かない腹筋で直立しているだけの前方は崩れるに決まっていた。

「やっ……やめよう! もうやめよう! 握手は握手ができる生き物同士だけでする挨拶だよ! 君はできない生き物なんだよ! そういうことだよ!」
「自分は人間だ」
「圧倒的なんだよニンゲンじゃない要素の方が! もうよく分かったから! 君には敵意どころか敵対手段もないってことが!」

 下半分の4つ足を元の角度に戻し、上半分の位置も人間部分の腕でなんとか戻しながら、自分は打ちのめされていた。最早見た目だけではない、“できること”すら人間らしさを失っている。もしかすると半分以上。そして恐らくポケモンの中でも“できること”が少ない。手足を増やしてなぜ逆に無力になるのだ。「冷静すぎる」脳が現実の全てを正しく受け止めようとしてしまうが故に、余計に惨めな気分になっていた。

「…………事実だ。できないのは事実だ。一旦置いておこう。これも」
「う、うん……できなくても大丈夫だと思うから、そんな落ち込まないで……ポケモンは移動と攻撃ができればいいんだよぉ」
「移動と攻撃。……移動と、攻撃」
「えっ、えっ? もしかして移動と攻撃も不安……?」

 ダンジョンは基本的に危険な場所だから、少しは動けて戦えないと大変なんだけど……と、カモネギは足踏みをしながらクキを軽く上下に振る。

「さっき『ダンジョンに長くいすぎると記憶がおかしくなる』って言ったでしょ。それがずっとずっと悪化すると、精神自体が変になっちゃって……錯乱って言うんだっけ、出会ったポケモンに見境なく襲いかかるようになっちゃうんだ」
「だから最低限身を守れる程度の戦闘能力はあった方がいい、と」
「そぉ。このダンジョンは小さいから錯乱者が出たことはないけど、逆に時々お尋ね者が来ちゃって危ないんだよねぇ。……ニンゲンってよっぽど訓練しないと戦えないんだよね? 本だとニンゲンは獣に跨って剣を僕のクキみたいに振って戦うって書かれてたけど……あ、剣って分かる?」
「剣は分かる。でも多分自分は剣を振れない」

 剣と聞いてはじめに浮かんだ情報は、「剣は儀式や儀礼に使う道具でしかない」というものだった。つまり自分は人間が剣で戦わなくなって久しい時代を生きていた人間である。戦闘のために剣を持った経験がある可能性は低い。

「そっかぁ。……半分はポケモンだけど、何かしらの技は出せたりしないかなぁ」

 カモネギがこちらの4つ足や胴体の終端に付いているトゲを見て呟いた。つられて自分も下半分を見る。精々むすんでひらくことが関の山の手が見える。

「……できて胴体をぶつける程度なんじゃ?」
「た、“たいあたり”とか“とっしん”も立派な技だよぉ。体重なら結構あるだろうし、それだけでも十分身を守れると思う」

 これを相手だと思ってやってみなよ。カモネギはクキで近くにあった自身の大きさほどの岩を指して言った。

「……それを、胴体の重みで押し潰す?」
「そぉ」
「明らかに痛いけど」
「『技を出すぞ!』って心構えを持ってやると案外痛くないよ。やってみて!」
「いや、しかし別に今すぐやることじゃ……」
「今すぐでもできた方がいいんだって! 君も自信持ってできるって言えることがないの嫌でしょぉ」
「…………。分かった」

 そう言われてしまうと挑戦せざるを得なかった。ただでさえ“できること”が減っているのである。増やせるものは増やした方がいい。それが例え“ポケモンとしてできること”であってもだ。握手もできないのに人間性にしがみついている場合ではない。
 岩と向かい合い、その場で何歩か足踏みをする。足の上げ方を確認してから、少し前進してみる。右の後ろ足、右の前足、左の後ろ足、左の前足。脳内で順番を唱えながら周囲を3周回り、4足歩行の感覚を最低限掴む。仕上げに走ってみる。左右の後ろ足をほぼ同時に下ろし、土を蹴った直後に左右の前足を地面に付ける。少しでも速度を出すと垂直になっている部分の重心が四方八方へ向かいそうになるが、数秒間だけなら腹筋の力を保てそうだった。カモネギは生まれたてのシママが立ち上がろうとする動画に何らかの感情を刺激された者の如き表情をしていたが、構わない。岩から10メートルほど離れた位置に付き、走り出す構えを取る。

「やってみる」
「が……頑張って! 斜め上から潰すつもりで“とっしん”するといいと思う! 速さと重さがいい感じに乗るから!」

 飛びかかるように突撃しろ、ということだろう。つまり岩にぶつかる直前でジャンプをすればいいのだ。
 自分は地を蹴り、岩に向かって“とっしん”を繰り出した。

 そして岩の直前で気付いた。
 まだジャンプの練習をしていなかった。

 ジャンプのつもりで伸ばした4つ足は、そのまま身体を垂直に、そして数十センチメートルだけ前方へ進ませた。ペンドラーの腹部は岩に届かず、しかし速度は殺されていないため、着地してからさらにスライディングするように進む。
 結果的に、カモネギ程度の高さしかない岩に真正面から激突した身体は、「人間の上半分」を勢いよく岩の向こう側へ放り出した。

 例のさなぎの実験を行った博士は、実はもう1つ有名な実験を行っている。

 まず、4匹のさなぎポケモンを用意する。1匹目には何もせず、2匹目は「さなぎの上半分」と「さなぎの下半分」に分離する。3匹目は上下を分離してからその断面同士をプラスチック性の管で連結し、4匹目は3匹目と同じ処理を施した上でプラスチック管の中を球で塞ぐ。そうして、全てのさなぎにふしぎなアメの成分を注入する。するとどうなったか。
 1匹目は勿論正常に進化した。2匹目は前の実験と同じく「さなぎの上半分」のみ進化した。そして、3匹目は「さなぎの上半分」と「さなぎの下半分」の両方が進化し、「上下を管で繋いだ成虫」となった。変態ホルモンがプラスチック管の中を通り、下半分にも行き渡ったのだ。なお4匹目は変態ホルモンが体組織と無関係な管の中で停滞したことにより異常が生じたのか、上半分も進化せずに終わった。
 実験結果としてはそこで終了してもいいのだが、話題となった逸話はここから始まる。
 1匹目の成虫は進化してすぐに実験室内を飛び回り始めた。2匹目の上半分と4匹目の上半分はそれを見上げて身じろぎをしたが、当然ながら飛ぶことは叶わなかった。対して3匹目は正常に形成された羽を広げ、1匹目を追うように飛び立った。
 しかし、上下の間に挿しただけのプラスチック管は、下半分を空中で支えることができなかった。管は浮き上がった直後に3匹目の身体から外れ、下半分が地面へ落ちた。突然身体の半分を失った上半分も、そう間を置かずに墜落した。上半分のみで進化を完結させた2匹目と違い、進化してから上下が分断されてしまった3匹目は、痛みこそ感じている様子はなかったものの、そのまま徐々に衰弱していった。

 脈絡なく実験の話を思い出したわけではない。「人間の上半分」が岩の向こう側へ放り出されたので、必然的にこの話が脳裏に浮かんだのである。

 「人間の上半分・・・・・・岩の向こう側へ・・・・・・・放り出された・・・・・・ために。

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