第1話:ニンゲン(しょうげきのすがた)

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 さなぎポケモンを使った実験に、こんなものがある。
 
 ある博士がメスのさなぎを「さなぎの上半分」と「さなぎの下半分」に分離し、両方にふしぎなアメの成分を注入した。結果、「さなぎの上半分」は「成虫の上半分」に進化し、「さなぎの下半分」は進化しなかった。
 この「成虫の上半分」を調べた結果、アメの成分を入れる前にはほとんど無かったホルモンが頭部で大量に生成されており、そのホルモンが「成虫の上半分」全体に行き渡っていることが分かった。
 次に、「成虫の上半分」から発見されたホルモンを抽出し、残った「さなぎの下半分」に注入した。その状態で再びふしぎなアメの成分を入れると、「さなぎの下半分」は「成虫の下半分」に進化を遂げた。
 また、この「成虫の下半分」は生命維持のための器官から切り離されているにも関わらず、正常な繁殖機能を有していた。オスの成虫を同じ空間に置いたところ、なんと2匹の間にタマゴが生まれたのだ。

 この結果から、博士は「ポケモンの進化・メガシンカ・フォルムチェンジなどの“変態”は、経験値や道具の影響を受けた脳が“変態ホルモン”の分泌を促すことによって発生する」との説を唱えた。また、博士は「理論上は」という前置きを強調した上で、「生命維持が不可能な状態であっても変態を行うことは可能である」という仮説も立てた。
 これが完全に正しいかは未だ確定していないが、近年「化石の上半分と下半分を様々な組み合わせで結合した結果、全て正常に復活した」という発表が話題になったこともあり、今のところはかなり有力な説の1つに数えられている。

 そんな話がぼんやりと頭に浮かぶ。どこで聞いたものだったか。だが出典がどうであろうが、眼前の光景とは全く無関係だろう。だって自分は人間だ。

 人間が下半分だけポケモンになるのは、どちらかと言えば人間の異常だ。

 毒々しい赤紫の殻。それが何個も連なった、長い胴体。4対は短く、2対は長い足。薄紫色をした輪状の模様。胴体の終端に付いている、2本の尖った突起。
 これは虫タイプと毒タイプを持つポケモン、ペンドラーだ。人間である自分の腰から、「ペンドラーの頭部以外」が生えているのだ。

 見覚えのない森の中で目覚めたことなどどうでもよかった。見覚えのない足が付いていることの方が問題だった。
 ここまでの足取りが全く思い出せないことなどどうでもよかった。人間の足自体がないことの方が問題だった。
 1匹のポケモンが遠巻きにこちらを見つめていることなどどうでもよかった。自分の足自体がポケモンであることの方が問題だった。

 但し3つ目はすぐに気にせざるをえなくなった。ポケモンが“声”をかけてきたからである。

「お、お、おぉ、ぉおお困りですかぁ!」

 声の主は薄茶色の羽毛を持つ鳥ポケモンだった。黄色い嘴、頭頂部から生える3つの毛束、額にある黒いV字の模様。これらも特徴の1つではあるが、ほとんどの人間が第一に挙げるものはそれが翼に抱えている棒状のクキだろう。
 カモネギだ。カモがネギしょって人間に「お困りですか」と“話し”かけてきたのだ。

 思わず「え?」と聞き返すと、カモネギはクキを両羽できゅっと握りしめつつ、もう一度「お困りですかぁ!」と叫んだ。
 
 彼らのクキの持ち方には様々な流派があるらしい。「右羽で持っていれば攻撃態勢、左羽で持っていればリラックス状態」という個体もいれば、「片羽での持ち方に拘りがない代わりに、戦闘の際は必ず両羽で持つ」という個体もいる。
 またぼんやりとどこかで聞いた話を思い出しながら、目の前にいるカモネギの様子を覗う。“両羽流派”であるならば、このカモネギは少なくとも緊張状態にある。しかしその握り方は所謂上段、中段、下段のいずれにも当てはまらない。強引に例えれば、“初めてのコンテストで上がりきってしまっている出場者のマイクの握り方”だ。かけてきた言葉もあまり敵対的でないものだったから――言葉をかけてきたこと自体については一旦置いておくことにして――ただただおっかなびっくり「得体の知れない上半分」に接触しようとしているだけだろう、と推測した。あるいは「得体の知れない下半分」に。

「困ってるか否かで言ったら、困ってる方だとは思うけど」

 無闇に怖がらせないよう、控えめな声量で返してみるも、カモネギは「しししゃべったぁ!」とより一層クキを握りしめる。本当は全く同じことを“りんしょう”したい気分だったが、ここは抑えて、次のアプローチがあるまで静かにしておくことにした。
 やがてこちらにも敵意はないということが伝わったのか、カモネギは1つ深い息を吐き、数歩進んでこちらの真正面まで移動してくる。

「ぼ、ぼ、ぼぼ僕あのぉ! そこのあのぉノドカナ村に住んでるんだけどぉ! なんかあのそのぉあれかなぁ!? 道に迷ってダンジョン入っちゃったとかかなぁ!? 村までならとりあえずそのぉ案内とかあのぉ……あのなんかでもそのぉ…………ぶぶぶっちゃけどちらからいらっしゃったどなたですかぁ!」

 流暢ではないところが余計に“言語”だ、と感じつつ、頭の中で発言の内容を整理する。
 まず「ノドカナ村」とは、まぁ、村の名前なのだろう。彼(僕と言っていた)はノドカナ村なる場所に住んでいるらしい。
 村の名前も聞き馴染みがないが、さらに不明なのは「ダンジョン」という言葉だ。ダンジョン、それ自体はファンタジー小説やゲームで見る迷路じみた空間を示す単語だと知っているが、彼の言っているそれが同じ意味を示すのかは分からない。違っていればやはり不明だし、合っていればなお状況が不明である。自分は一体どこにいるというのか。
 しかしここがどこであるかはともかく、彼にはノドカナ村まで道案内をする意思があるようだ。その後に続いた「あのなんかでもそのぉ」に多大な躊躇いが見え隠れしてはいたが、その躊躇も直後の「どちらからいらっしゃったどなた」かに答えれば最低限は取り払ってもらえるような気がする。
 何にせよこんな状況である。藁だろうがクキだろうが掴めるものは掴みたい。自分は努めて穏やかに、誠実に口を開いた。

「どこから来たかについては正確に答えられる自信がない。目を覚ましたらこの森の中にいた。ノドカナ村なんて初めて聞いたし、ダンジョンというものもよく知らない。だから『分からない』としか言えない。ただ答える気がないわけじゃないことだけは信じてほしい」

 カモネギは僅かにV字の根を寄せたが、最後の部分にはひとまず小さな頷きを返してくれた。

「だ、ダンジョンで記憶がおかしくなるのはよくあることだから。ずっとダンジョン内で迷い続けてたなら、入るまでのこととダンジョンそのもののことを忘れちゃうのもあり得る……カモ」

 とのことである。どんな場所だ。入った拍子に記憶を失うなどウルトラホールの噂しか心当たりがない。またまたどこで聞いたか定かでない話をぼんやりと想起しながら、そうだとしてもウルトラホールの噂を覚えているならそんな恐ろしい場所の名前も覚えていなければおかしいだろう、と思った。

「それで、そのぉ……自分が誰かはちゃんと言える?」

 自分はその質問に答えようとした。だが、自分の口は開きかけた状態のまま止まってしまった。

 ――思い出せない。ウツギ、ナナカマド、プラターヌ、マグノリア……人名を思い浮かべようとすればいくらでも“どこかで聞いた”であろうものが出てくるが、それでは自分の名前は何かと自身に問うと、途端に脳の知識を掘り返す行為が止まってしまう。
 名前だけではない。博士、ブリーダー、トレーナー、コレクター……肩書きそのものは無尽蔵に挙げられる一方で、自分がどのような肩書きであったかは分からない。さなぎの実験といい、カモネギの流派といい、“どこかで聞いた”知識は沢山思い出せるのに、自分が実際に何を経験してきたかは分からない。年齢も分からない。衝撃的なことに性別すら分からない。確かめようとしても下半分はポケモンであるので、下半分のポケモンがオスであるかメスであるかを調べることしかできない。
 あまりにも自分のことが思い出せない。自信を持って言い当てられるのは最も自分的でない下半分の種族だけだ。知らないペンドラーのことしか知らない。唯一分かるものこそ一番わけが分からない。「自分が人間だというのは勘違いで、実はペンドラーだったのだ」という説すら浮上しかけたが、それなら下半分ではなく上半分に驚いているはずである。やはり自分は「自分以外に関する知識はあるけど自分に関する記憶はない、なぜか下半分がポケモンの人間」なのだ。一体どういうことなのだ。

 困惑と焦りが表面に出てしまっていたのか、カモネギはV字の根をさらに寄せて首を傾げ始めた。
 目の前の問題も十分に重要だが、目の前のカモネギも非常に重要である。ひとまず分かることだけ答えてしまおう。自分は改めて口を開き、これだけ返した。

「自分は人間だ、って確信だけがある」

 カモネギのクキが羽の間から滑り落ちた。

「えぇーっ!? ニンゲンだってぇ!?」

 得体の知れない相手が「自分が何者かは分からないがとりあえず人間だ」と言ってきたら大抵のポケモンはこうなるのだろうな、と根拠なく思った。それくらいシンプルで分かりやすい反応だった。

「で、で、でででも君…………見ようによってはポケモンだよぉ!?」

 どう見てもポケモンだったら「どう見てもポケモンだよ」と指摘できただろうが、見ようによってしかポケモンではないので「見ようによってはポケモンだよ」と指摘する他ないのだろうな、と思った。人間である可能性を否定する言葉としてはやや弱いと感じつつ、それでも「見ようによってはポケモンの人間」が人間である可能性もあまりないなと考えてしまったので、「それはそう」と返すことしかできない。

「う、うぅうーん……腕は2つで指は5つ、毛皮の代わりに布を巻き…………た、確かにニンゲンなんだけどぉ、そこまでは本で読んだニンゲンの通りなんだけどぉ……じゃあその……あのぉ……なんていうかそのぉ……ニンゲン以外? は何……?」
「ペンドラー」
「腕は2つで指は5つ、毛皮の代わりに布を巻き、ニンゲン以外はペンドラー!?」
「そういう本が?」
「あるわけないでしょぉ!? 腕は2つで指は5つ、毛皮の代わりに布を巻き、2つの足は獣を跨ぐ! それがニンゲン! 『足は獣』って書いてあったらそれは前後に重大な脱字があるよ!」

 わけ分かんないよぉ、と両羽で顔を覆う(クキはまだ地面に転がったままである)カモネギを見ながら、彼は喋るだけでなく本も読むのか、と関係のないことに驚きを覚える。しかも人間に関する本だ。人間がわざわざ人間の特徴に関して韻文的な文献を残すだろうか。それともポケモンが人間の特徴を韻文的に記した? このカモネギ以外にも、文字を理解し、本を作り、情報を他者と共有する文化を持つポケモンがいる?

 異世界。先程ウルトラホールのことを思い出したからか、そんな仮説が浮かぶ。
 何らかの要因によりポケモンが喋る世界に行き、自分のことを忘れ、下半分がポケモンになった。それが今の状況なのかもしれない。えぇ、何がどうしてだというのだ。泣きっ面にスピアーという言葉があるが、これは泣きっ面の急所にスピアーの“みだれづき”が5回当たったくらいの畳み掛けではないか。あんまりだ。

「…………あ。そ、そうだよね、君もわけ分かんなくて困ってるよね……」

 あんまりだ、という顔をしていると、カモネギに同情の言葉をかけられた。
 始めに言われた「お困りですか」からここまで、彼は実に協力的な態度で対話をしてくれている。怯えつつ、訝しみつつ、しかし逃げず、それはなかなかできないことであり、それだけで彼が現状唯一の救いに見える。

「あ、あのさ。何にせよ困ってるなら村まで案内してあげるよ。大人に『困ってます』って言ったら色々してくれると思うし、あとずっとダンジョンにいたら僕までおかしくなるかもしれないし……ど、どうかな。一緒に行く?」

 カモネギは落ちていたクキを左羽で拾い上げ、右羽をこちらに差し出してきた。

 藁でも、クキでも、クキじゃない方でも。掴めるものは掴みたい。自分のことは何もかも分からないが、少なくとも野垂れ死にはしたくない。
 自分はこう返した。

「……握手ってどれでするのが正解だと思う?」
「え? えぇ……分かんない……」

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