第四節 その名前を忘れるな

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ヌクレア大学生命先進理工学部第二研究室、それがこの僕オレアの在籍する学部となっています。ひとまず以前から続けていた遺伝子の分野を専攻しながら、まずは新天地に慣れるべく日々の生活をなんとかこなしています――っと。

「オレアくん、今どき手紙なんて珍しいね。誰に出すんだい?」
「家族にです。僕の趣味、ポストカード集めなので」

 ゴウゴウと研究室の無菌室が唸りを上げる中、不意に僕へ声をかけて来たのは研究室の准教授。
 時刻は午後6時過ぎ、窓のない実験室では外の様子はわからないけれど、だいぶ空も暗くなっている時間だろう。今日この時間まで帰る準備もしていないのは、この場の二人だけだった。

「真面目だねぇ。最近ずっと遅くまでここに居るみたいだし。まぁたまにバイトかなんかで早く帰ることはあるみたいで、世捨て人って訳じゃあなさそうだけど」
「バイト……まぁ、確かにそれに似た感じのものですね」
「それでも偶には遊びに言っても良いんじゃないかな? ほら、丁度リーグのお祭りやってるじゃん?」
「いやぁ、まぁそのうち嫌でも関わることになると思いますので……」

 まさかこの先生も、僕がそのリーグの四天王に雇われているなんて思いもしないだろう。僕だって今でも信じられないくらいだ。
 まぁ仕事と言っても沢山のポケモンフーズを特売の日に買い込んだり、キュウコンの尻尾を梳いたり、あとはフキさんのお金の収支を纏めたり、僕の進学のお金に対しては少なすぎる仕事の量である。
 とは言え彼女の1番の繁忙期となれば、流石に忙しくなるだろう。いや、忙しくあってほしい。

「関わる? 警備のバイトとかは身体に来るから翌日の予定は開けておいた方が良いよ。僕が昔やった時は朝起きられなかったからね」
「肝に銘じておきますね、はは……」
「まあ折角だし、偶には気晴らしに遊んでくるといいよ。もう帰るところだったんでしょ? 後片付けは僕の方でやっておくからさ。ほら若い衆は行った行った」
「あ、ありがとうございます! それではお言葉に甘えて……!」

 折角の好意を無碍にするのも気が引けるので、何度も頭を下げながら荷物をまとめて部屋の外へ。
 すると、すぐにリーグ開催で沸き立つ街の音楽の、重低音が微かに身体をドンと叩いてくる。蛍光灯が照らす無機質な壁も、どこか楽しげだった。
 
「最近あんまり構ってあげられなかったし、久々に目的もなお散歩でもしようか。出ておいでベイリーフっ!?」
「べいっ! べいべべい!」

 ボールから勢いよく飛び出てきたベイリーフは、喜び勇んで僕に飛びつき、その頭が深く鳩尾へ突き刺さった。
 さらに頭をぐりぐりと擦り付けてくるが、最近あまり構ってあげられなかったのでここは甘んじて受け入れる。最近大学が始まってからというもの忙しく、そればかりに時間が取られていたのだ。
 いつの間にやら『つるのむち』を僕の腕に絡めてピッタリと体を添わせており、少し歩きにくいのも受け止める他ないだろう。

「ベーいベーいべいっ、ベーいベーいべいっ!」

 実に喜色満面の笑みで頭を激しく上下に振っているその姿に、若干の首のダメージを心配してしまうがこの子はポケモン。多少の無茶も大丈夫だろう。

「ま、楽しいのは僕も一緒か。なんだかんだ今まで目まぐるしかったからなぁ」
「べりぃ!」

 今までの日々を思い出しながら、人が出払った学校の校門を抜けようとする。それがいけなかった。遠くばかりを眺めて居たからこそ、下で屈んでいた人影にドムッ、と足が突き刺さった。それは、確信できる人間の感触。

「もももももももも申し訳ありません! 大丈夫ですか!? お怪我はないですか!?」
「いえ、お構いな……げ、氷の腰巾着」
「だいじゃ……」

 結構な勢いで足が当たったというのに、ゆるゆると頭を上げた女の子……ではなく男の子は、一度見たら忘れられないんパクトを持つシナノくんだった。
 けれども不思議なことに、いつもの溌剌とした元気が見られない。彼の相棒のサダイジャも、力なくとぐろを巻いている。

「はは、腰巾着って……まああながち間違ってはいないの、かも?」
「否定しないんですか。ますます不思議ですね、あんな粗雑女について行っているの」
「半分は成り行きというか、進学を助けてもらっている感じですよ」

 建物越しに響く湿った喧騒を聴きながら、僕は彼の隣に腰掛ける。これでもエーデルワイス先生に教えられた応急手当ての心得くらいはあるのだ。サダイジャの少しの怪我程度なら手当も出来る。
 懐から取り出した『きずぐすり』で擦り剥けた箇所を消毒して、包帯で軽く圧迫すれば大丈夫なはずだ。

「大丈夫だよ、エーデルワイス……医者の先生にやり方は教わってるから問題ない、はず」
「そう、ですか」

 それ以降シナノくんは返事を返すこともなく、むんと口を閉す。カチコチと秒針を刻む腕時計の音がやけにハッキリと聞こえる中、ややあって女の子のような顔をこっちへ向けた。

「……聞いて来ないんですか、ボクがどうしてこんな所で丸くなってたのか」
「聞いてほしいなら聞くけど、どうする?」

 そう問い返せば、彼は再び口をつぐむ。ベイリーフもしばらく動くことはないだろうと思ったのか、香箱のように足を畳むと座り込んだ。

「なんだか手慣れてますね、こういうの」
「僕には妹がいるんだけど、君みたいな表情をしてる時に無遠慮に接した日には、それはもうヒードランが目覚めたみたいに怒り出すからね。少し慣れてるだけだよ」
「ヒードランですか。いいですね、それ」

 シナノくんはハハ、と弱々しく乾いた笑いを浮かべると、ややあってポツポツと何があったかを話し出す。街の活気に打ち消されてしまいそうな程弱々しいそれは、普段の姿とは違い年相応だった。

「僕、思いっきり負けたんですよ。あの猪突猛進バカ四天王に」
「猪突猛進バカ四天王……」
「でも、あんなに差があるなんて嫌になっちゃいますよ。コンテストで少しは勝負できるって自惚れたつもりは無かったのに」
「シナノくんはまだ14歳でしょ? まだまだ時間をかけて一歩ずつ強くなっていけば良いんじゃないの?」
「ダメなんです。少しでも早く、僕は上に認められなきゃなんです。そうでなきゃ、僕は自分の仇を追うことも出来ない」
「仇って前に言ってた亞人器官?」
「そうでもあるけど、それはあくまで一部です」

 彼は服の端っこをギュッと掴むと、血が流れんばかりに握りしめる。一体何がまだ子供の域を出ない少年を、こうまで駆り立てさせるのか。

「一部って……話して楽になるなら、聞くくらいならできるよ」
「あのバカには言わないで下さいよ。同情なんてまっぴらごめんですから」
「言わないよ。口が軽いのはせいぜいベイリーフくらいだからね」
「べいっ!?」

 うつらうつらしていたベイリーフは突然名前を呼ばれて、ビクッと体を起こす。けれども頭を撫でれば、すぐさま再び目を細めた。それを見ていたシナノくんが目を細めて笑うと、服装と相まって本当に女の子に見間違える。

「……僕のお父さんとお母さん、二人とも警察官だったんです。それも結構すごかったんですよ、二人ともすごい勲章なんかも貰っていたみたいですし」
「そうなんだ。二人共っていうのはすごいね」
「ふふん、そうでしょう? それも結構な腕利きのトレーナーだったので、大変な現場で指揮を取ることもあったみたいです」

 そう語る彼の表情は自慢げで、本当に親が好きなんだろうなと、そこまで深く知り合ってもいない僕でも容易に分かるほどだ。

「だけど、お父さんはある事件で抗争に巻き込まれ、命を落としました。その時にお母さんも、相手の何かを知ってしまったようなんです。帰ってきたお母さんは僕を守るためその土地から引っ越そうとしましたが、引っ越そうとしたその当日に、この僕の目の前で、刺し殺して行ったんです」

 そう淡々と告げるシナノくんは顔を伏せており、その表情は窺い知れない。それ以上心に踏み込ませまいと、その小さい体は告げているかのようだった。
 そのまま歯を食いしばるようなぎりりという音を響かせた後、彼はいつもより低い声でドロドロと言葉を繋ぐ。

「そのとき、僕は確かに見たんです。よく僕のことを『可愛い、可愛い』と褒めてくれた両親を殺した人間が、まるで熨斗のようなウルトラビーストを連れていたのを。それを話した僕は、もし実力が足り得るのなら、国際警察に入れるよう便宜を図ろうと言われたんです。だからこそ僕は、実力を示し続けなきゃいけない」
「シナノくん……」
「だから僕は亞人器官を、そしてお父さんの命を奪った組織を許しません。こんなことあなたに言うのも変ですけど、もし何か些細なことでも知ったら教えてほしいんです。もう一つの組織の名前を」

 彼は一拍おいて、肺腑の奥から絞り出すように、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「その組織の名前は――」


◆◇◆◇◆◇◆


「あっやべえ、財布忘れてきちまった」
「ちょっとフキちゃんしっかりしてよね。盗まれてもう無かったらどうするの」
「そんときゃ地獄の底まで追いかけてやるよ」

 場所は昼間と変わってリリーが住んでいるマンションの前。リリー指示の元様々な店に行き、大量に買い込んでいた服やら櫛やら大量の荷物を抱え今まさに家に帰ろうとしている。
 勿論時間まではストリートバトルをしながらだがその程度は歯牙にかけるまでもなく、リリーも途中からは慣れ始めていた。

「そんなこと言ってないで早く取りに行ってきなよ! 荷物とかはもうミミちゃんとかに任せればなんとかなるから、ほら早く!」
「だったら頭上のハミも預かっといてくれ。こいつ疲れて寝てるからどうにも落としそうで」
「はいはいハミちゃんね。ちゃんと預かっておくから行った行った!」

 うがーっ、と畳みかけるようにキャンキャン吠えるリリーに追い立てられ、背中を向けるとヘラヘラ手を振ってその場を後に。
 日が暮れてから本格的に人が蠢き始めた街は香水と酒の匂いが鼻をつき、欲望のテラテラと脂っこい匂いが立ち込める。
 そんな中担いだ刀をしっかり握ると財布を取り出し・・・・・・・、そこらでやってる出店で適当に串焼きを買った。
 あとはそれを適当に齧りつつ歩を南へ。雑居ビルを右へ左へ当てもなく曲がって進んでいくと、辿り着くのは汚ねえ街の裏通り。ラッタが普段とは違う闖入者に驚き走り去っていく中、アタシはようやく後ろを振り返った。

「おい、朝からずっとヒタヒタヒタヒタ付けてきやがって。気持ち悪ぃんだよクソが」

 睨めつけるように背後を振り返り、堂々と声を響かせてやる。すると案の定、建物の影からゆらりと人影が顕になる。
 不届き者は何者だと思ってそいつのツラを拝んでやろうと思っていたが、月明かりに照らされたその顔はアタシを絶句させるには余りある人物だった。

「昔の泣き虫は卒業したんですかい……フキのお嬢?」

 揶揄うような口調でそう言ってきたのは、堂々と笑顔を浮かべる老輩。髪が乾いたように白く色褪せており、そのくせ肌は対照的に浅黒く。日に焼けた姿は老いてなお独特の威圧感があった。
 それに何より目につくのは、腰に下げた打刀。それも、アタシの記憶が正しければ血を吸っているホンモノだ。

「……テメェ、なんでまだ生きてやがる。化けて出てきやがったのか」
「オイラも大将と一緒に地獄へ行くはずだったんですが、運悪く追い返されちまいましてね。その後はのらりくらりと生きていてはいやしたが、そしたら懐かしい顔が四天王になっているじゃねえですか」
「ハッ、アタシと違ってテメェみたいなやつがなんの問題も起こさずに生きてきただぁ? 笑わせんなよ。お前みたいなねっからのロクでなしが普通の社会に馴染めるかっての」
「はは、そいつは手厳しい指摘じゃねえですか。でも、そんなことお嬢が人様に言えた立場ですかい?」

 老人は今までのカラカラとした陽気を引っ込ませ、代わりに剣呑な光を目に灯す。

「なあ、フキ・レイゼン。ヤクザもん共の遺児がよ」


◆◇◆◇◆◇◆


 シナノくんは一拍おいて、肺腑の奥から絞り出すように、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「その組織の名はレイゼン一家。カントーで一番危険な、暴力組織です」

 彼が言葉を吐いたその瞬間、まるで街の音が一瞬止まったような気がした。
 勿論告げられたその名前は、勿論一般人なこの僕オレアが知る由もない。だが嫌な胸騒ぎをかき消せないのも、紛れもない事実だった。

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