幕間:あるエリートトレーナーが見たモノ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ポケモントレーナーには、ポケモンという力を持つが故に、無謀な行動に走る者がいる。
特に、事件が起きた際に自らのポケモンを持って独力で解決しようとする者は後を絶たない。それは立派な自力救済であり、正当防衛でない限り禁止されているにも関わらず。
ある者は手柄を立てて名を上げるため。またある者は純粋な正義感のため。
ポケモンリッパーが巷で噂されるようになってからも、その正体を突き止め捕えようとするトレーナーが数多くいた。
彼女もまた、そんなトレーナーの1人である。
2つに分けた螺旋状の青い髪が特徴的な彼女は、夜の街を歩いている最中、その少女を見つけた。
人ごみでもよく目立つ、振袖姿。
それは、巷で噂されているポケモンリッパーの特徴と見事なまでに一致する。
振袖少女が裏通へ向かうのを確かめるや否や、彼女はその後を追った。
そして、挑発するように声をかける。
「こんな所で獲物探しかしら、ポケモンリッパーさん?」
振袖少女が、驚いたように足を止めて振り返った。
まだ10代半ば程度にしか見えない色黒の少女の目は、驚きで見開かれている。
その反応は、まさしく肯定の答えそのものに見えた。
「……否定しないのね。なら、おとなしくお縄になってもらえるかしら?」
腰から堂々とモンスターボールを取り出し、宣戦布告する。
すると、少女は怯えたのか、一目散に路地裏へと駆け出した。
無論、せっかく見つけた通り魔殺人犯をみすみす逃がす気はない。
「逃がさないわ! キリキザンッ!」
ボールを振袖少女に向かって投げる。
すると、ちょうど少女の後を追う形で、1匹のポケモンが現れた。
真紅の鎧を纏った全身は、まさに刃物の塊。とうじんポケモン・キリキザンである。
「“おいうち”!」
与えた指示に、キリキザンは忠実に従う。
逃げようとする振袖少女に素早い一撃。
きゃっ、と儚い悲鳴を上げて、振袖少女は倒れた。
どこに傷を与えたのかは暗くてよく見えないが、足止めには成功した。
「いいわ! 続けて“つじぎり”!」
キリキザンは一撃を浴びせた勢いのまま、振袖少女に向かっていく。
体を起こしたばかりの振袖少女に、キリキザンの刃が振り下ろされる。
肉眼では捉えられないその一撃に、人間が対処するのは不可能だ。
だが。
その一撃は、かちん、と甲高い金属音と共に受け止められた。
「っ!?」
見れば、振袖少女の両手には銀色に輝く剣が握られ、キリキザンの刃を受け止めていた。
それは、少女がポケモンリッパーである事の何よりの証拠だった。
多くの人々やそのポケモンの命を奪った通り魔殺人犯が、今回の相手。
だが、恐怖はない。
エリートトレーナーと呼ばれるほど高いポケモンバトルの腕を持つ彼女は、幾多の野生ポケモンを倒し、各地の大会で多くのメダルを手にしてきた。
戦う相手に恐怖を感じた事はない。
それは、悪に対しても同じだ。例え未知の能力を持つ連続殺人犯が相手であろうと、怖くはない――
「ふふん、やっぱりアタリだったわね。抵抗するつもりなら、力ずくで捕まえてやるんだからっ! キリキザン、“つじぎり”!」
手応えを感じ、キリキザンに更なる指示を出す。
キリキザンは一旦離れて仕切り直すと、再び刃を振りかざして襲いかかる。
何度も鋭く振りかざされる闇の刃を、振袖少女は剣で受け止め続け、火花が僅かに路地裏を照らす。
防戦一方。
そんな振袖少女が刃に気を取られている隙に、次の一手を打つ。
「“アイアンヘッド”!」
キリキザンが、腕の刃で攻撃すると見せかけ、頭部の刃を使った強烈な頭突きを繰り出した。
振袖少女は受け止める事には成功したものの、衝撃までは受け止めきれず、吹き飛ばされた。
無防備にアスファルトへと背中から倒れ込む振袖少女。
余程強い衝撃だったのか、倒れ込んだまま苦しそうにもがいている。きっと、骨が数本ばかり折れたのだろう。
ポケモンリッパーとて所詮は人間、ポケモンの連続攻撃を凌ぎ切る事など不可能だ。
向こうが刃ならこっちも刃、という事でキリキザンを選んだ甲斐があったと、彼女は確信した。
「さて、そろそろフィニッシュと行こうかしら。キリキザン、“ハサミギロチン”!」
勝負は決まったと確信し、最後の指示を出す。
腕の刃を十字に構え、動けない振袖少女へと向かっていくキリキザン。
その刃は、相手を一撃で仕留める必殺の一撃。
当たってしまえば、余程の事がない限り耐える事は不可能。
仮に剣で受け止めたとしても、耐えられず粉々に砕け散るだろう。
そんな光景が脳裏に浮かぶ中、キリキザンの刃は動けない振袖少女を容赦なく切り裂いた――
「勝った!」
思わず声を上げた。
遂に自分の手でポケモンリッパーを倒した。これでもう、奇怪な連続通り魔事件はおしまいだ――
「――ん?」
と思った所で、奇妙な事に気付いた。
キリキザンは、刃を振り下ろした状態のまま動かないのだ。
何があったのか、と思ってよく見てみると。
「そ、そんな――!?」
キリキザンの刃は、2本の剣であっさりと受け止められていた。
信じられない。
ただの剣に、なぜ“ハサミギロチン”が通じないのか。
一撃必殺技たる“ハサミギロチン”が効かないのは、「がんじょう」なポケモンか、ゴーストタイプのポケモンだけのはず――
だが、理由を考える暇はなかった。
振袖少女は左の剣でキリキザンの刃を受け止めたまま、右手の刃をゆっくりと振り上げる。
その刃がまばゆい光を帯びた直後、袈裟にまばゆい軌跡が走る。
途端、キリキザンが強く吹き飛ばされた。
そして、先程の振袖少女と全く同じように、アスファルトに背中から倒れ込んだ。
「キリキザンッ!?」
袈裟にくっきりと傷が刻まれたキリキザンは、全く動かない。
まさか、一撃で戦闘不能? 物理攻撃で?
あり得ない。キリキザンを一撃で倒しうる物理攻撃は、かくとうタイプのわざ以外に他にない。
だが、刃で切り裂くかくとうタイプのわざなど聞いた事がない。
そこで、ようやく気付いた。
相手は、未知の能力を使う存在だという事に――
「キリキザン、戻――」
作戦を変更するべく、キリキザンをモンスターボールに戻そうと右腕を伸ばす。
だが。
ザシュッ、という鈍い音と共に、視界が一瞬漆黒に染まった。
直後、彼女の右腕からモンスターボールが消えていた。
「あ――」
おかしいな。
消えたのは、モンスターボールだけのはず。
なのにどうして、目の前でモンスターボールが握った右手と一緒に宙を舞っているんだろう。
いや、そもそも。
どうして、右腕の肘から先がきれいさっぱりなくなっているんだろう?
「あ、ああ――あああああああっ!!」
急に襲いかかってきた痛みで、思わず悲鳴を上げた。今まで出した事もないほど大声で。
膝が落ちる。
左腕で短くなった右腕の端を押さえる。
ぐちゃり、と生肉に触れたような柔らかい感触と共に、生暖かい何かが左手を染めていく。
そこで、ようやく理解できた。
振袖少女から伸びた黒い影が、ゆっくりと元に戻っている。
右腕は、どういう訳か振袖少女が使った“かげうち”で、野菜のようにみっともなく切られてしまったのだと。
見れば、振袖少女は先程叩きつけられたのがまるでウソのように平然と立っており、ゆっくりと歩み寄ってくる。
草履独特の足音は、処刑までのカウントダウンだ。
それがゼロになってしまえば――
「い、嫌、来ないで……!」
なぜか、長く言った事のない言葉が口から出て、後ずさりしていた。
早くいつものように次のポケモンの出して戦わないといけない事くらい、わかっている。
だが、体を支配している何かの感情が、たったそれだけの事も許さない。
その正体が何なのか、最初はわからなかった。
ふと、右腕を押さえていた左手を見てみる。
見るも無残なまでに赤く染まった左手は、小刻みに震えていた。
それで、ようやく気付いた。
これは恐怖だと。
自分は初めて、戦った相手に対して怯えているのだと。
思えば、どうして想像がつかなかったのだろう。
悪人に挑んで返り討ちにされたら、こんな目に遭う事くらい。
きっと、恐怖を忘れてしまったからだ。
何が怖いのかわからなかったから、悪人に挑むなんて無謀な事ができたのだ。
そう。
今更になって後悔する。
怖くないから悪人に挑むなんて、なんて浅はかだったのだろうと――
「どうしたの!」
ふと、背後から誰かの声がした。
振り返ると、そこには見知らぬ女性がいた。
顔に何か大きな傷跡のようなものがあったが、そんな事はどうでもよかった。
誰かが来てくれた。
なら、早く助けてもらわないと。
じゃないと、わたし本当に死んじゃう。
助けてもらうなんてみっともないけど、変なプライドかざして死にたくなんかない――!
彼女はエリートトレーナーとなって初めて、恐怖からの救いを求めるべく立ち上がった。
「た、たた、助けて、わたし、死にたくな――」
懸命に、血塗られた左手を女性に伸ばす。
だが、それが届く前に、胸に鈍い衝撃が走った。
ぐちゃり、と心臓がえぐられる音。
それが振袖少女の剣によるものと気付く前に、体から力が抜け、意識も二度と戻れぬ闇へと落ちていった――