12.約束

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 ルクス諸島内陸部。白いタイルの住居が立ち並ぶここは、フィルノワタウン。施設といえばポケモンセンターが一軒と、住民の為の食料品店があるくらいの小規模な町。競技面を押し出したバレイやサートとは違い、開発前のルクスの風景が残る。その中でも、石碑や神殿跡という古めかしいものが、この地には辛うじて残っている。歴史と新鋭が入り混じるこの場所こそ、彼は相応しいと考えたのだろうか。顔にかかった黒い髪を払い、姿を眩ませた男に思いを馳せる。
 女――ニア・ミストレイカは、そうしてこのフィルノワの地に訪れていた。

「元気そうで良かった。意外と会うのは久しぶりね。現役一線級の師匠はどうだった?」
「そりゃあ、もう! ためになるどころじゃないって!」
「それは何より。才羽君も喜んでた」

 向かいには濃紺の髪をした少年。海堂トーリは、フィルノワの地でミストレイカと合流していた。
 あの戦いからは半日ほど費やして、途中はリザードンライドのお世話にもなった。父親やバンギラスの件をつつかれるかと心配したが、杞憂に終わる。この地にいる全員が、博士の息子の顔までは知らないようで安心していた。
 会う約束をしていた少年は、一回り逞しくなったように見える。あの相棒に振り回されたからだろうか。それだけではない気がする。ともかく、この少年たちが無事であることをこの目で確認できて、女は安堵していた。

「ここ数日の間。君も激動だったでしょう。まずはお互い、状況を交換したいわね」

 ミストレイカは「ケーキでも食べながらね」と少年に、小さなカフェスペースのメニュー表を差し出す。「ドーナツってあるかな」と呑気に答えつつも、トーリの目は真剣。
 父親が生きていたという詳細が、ここから語られるのを期待してだった。


「……そう。ルカリオ使いの仮面の男と」
「確か、アルスって名乗ってたよ」
 
 真っ先に話題へ上ったのは、つい先日のルカリオ使いだった。トーリとミュウツーを狙う様子だが、少年から見て目的は釈然としないまま。
 記憶に残るのは、純然な強さ。多彩な技と組み合わせての『しんそく』の連撃は、バトルキルクスの公式選手にすら劣らないだろう。相当な使い手であるからこそ、トーリは敢えて名前を聞いた。ミストレイカへと少しでも繋ぐために。
 
「君の思っている通り、その男は<ファウスト>と私達が呼称する一人に間違いない。あのルカリオは公式ライセンスだった個体と見てる」

 空色のオレンジュースを啜る少年は、意外そうな声を出して聞いていた。コップのラッキー柄は、ポケモンセンターの証。
 
「てっきりゼラオラみたいに、かなり珍しいポケモンしかいないと思ってた。違法ライセンスって。あと何体かはいるんだよね」
「そうよ。私たちが見たのは二体分。うち一体がかなり珍しい種族だから、こっちも出自を探ってるところ」

 今後、少年は残っているメンバーにも狙われる可能性が高い。「あとの一人はね」とミストレイカが続けたので、黙って話を聞いていた。

「シャンデラ使いの少女。それも多分、トーリ君より若い」
「……もしかして、11歳以下?」
「可能性は高いと思う。その様子だと、心当たりでもありそうね」

 ルクス地方でポケモンが与えられるには、12歳以上と決まっている。他の地方よりも年齢制限は高い。理由としては、ポケモンとの関係やコミュニケーションに重点的な、このバトルシステムが起因する。加えて身体能力の下限などから、ライセンス貸与条件を、責任者である海堂ユーゴが取り決めていた。
 そのような理性的な理由も確かに存在したが、一番の理由は最近出会った彼女が、直ぐにでもチラついたから。

「その子金髪のツインテールでさ……結構その、無邪気そうっていうかー、悪戯好きそうな感じな訳はないよね……?」
「あらそうね。もし言葉で説明するなら、そんな感じかしら」

 ドーナツを齧っていた少年の瞳が、その時揺れ動いた。「うわぁ」とはゲンナリとした正直な一言。明後日を見て困惑するトーリに対し、「うつつを抜かすからだ」とはミュウツーからの厳しいお言葉。少年は頷こうかと迷ってもみた。
 短い吐息を吐いた彼女が、涼しい顔を捨てずに続ける。
 
「連中は揃って君たちの前に現れた。目的は不明だけれど、流石に因果関係があるでしょうね。その仮面の彼や女の子は何か言ってた?」
「う、うーん。仮面は、ミュウツーにはなんか聞いてたような。同族とか何とか」
「……同族って?」
「オレにも詳しくはわからないかな。ごめん」
 
 全てが謎めいていた仮面の男の言葉。思えばそれ以前のゼラオラすら、ミュウツーを特別視するように何か言っていた。彼らはミュウツーを中心に動いている。それは確からしい。
 さらにあの少女も加わるならば、因縁がありそうなのは、彼女が語った神話だろうか。

「そうだレイさんは、“ルーメン”について知ってる?」
「この地にいる唯一神ね。存在はもちろん。ただし具体的な伝承や実態までは、こちらの把握はできてない」
「もしかしたら関係あるのかも。そのさっきの……女の子が話してたのは、ルクスの神話だったからさ」

 ミストレイカが「調査に加えておく」と礼を告げてコーヒーカップの縁を触る。次にここで話し合うのは、あの件。

「それで……父さんには何があったの」
「いなくなったのは君に伝えた通り。彼は、自身の昏睡を偽装していた可能性がある」

 トーリは唾を飲み込んでいた。彼女の憶測が真実ならば、何を目的に。あらゆる言葉が浮かぶ。しかし何も掴めず、口にするには叶わない。
 彼女はそのまま、父親・海堂ユーゴに起きた事態の推測を語る。

「君たちが見つけた記憶デバイスの中身。片方は“ライセンス”だった。それも作りかけのね。恐らく本体の複製なんだと思う」
「……何の」

 海岸沿いの小屋で見つけた物だ。
 中身はあの短文が入ったテキストファイルと、もう一つ。ライセンスと言うからには、ポケモンが中には存在しているはず。
 
「同僚に解析してもらったら、ダークライという種族だった。知ってるかしら」
「名前程度なら……聞いたことはある」

 ダークライ。周囲に悪夢を見せるという珍しいポケモンである。
 トーリは名前こそ知っていたが、その伝承までは詳しくなかった。もちろんルクスで発見された、なんて報告も聞いていない。

「海堂ユーゴは、ダークライを使用しての昏睡状態に自らなった。そして何らかのタイミングで、接続しているダークライに解除させたのだと思う。他のケースとは違うなら特に。彼が事件に深く関わっているのは間違いない」
「ちょ、ちょっと待ってよ! それって」

 第一被害者となった父は失踪した。だが、他の被害者は目を覚ます様子がない。海堂ユーゴはこの地方きっての技術者であり、この怪奇事件のカギとなる人物であった。
 初めはそれこそ、技術者である父が過失を疑われていたというのに。これでは警察機関の出す答えなんて一つしかない。
 縋るような目をした少年。だが目の前の女性は毅然とした沈黙を保つ。徐に上げられた瞳には、苦心が滲んでいた。

「国際警察は、海堂ユーゴをこのサイコブレイク・ダウンを引き起こした容疑者として。新たに捜査方針を変えた」

 
 ☩

 
 協力関係にあるはずの少年とは別れ、ミストレイカはポケモンセンター内の自室に戻っていた。あの決定は彼女がしたものではない。告げる口だって、どうにも重かった。しかし。

「嫌な大人になったものだわ」

 博士の息子である彼を、利用する形にはなってしまっている。自嘲せずにはいられない。
 周りはもっと辛辣で、彼を囮にする作戦も上がったが、ミストレイカがミュウツーの凶暴性を引き合いに出すことで、どうにか収まった。ルクスの異常事態を取り巻く様子は、1年を近くにして急変している。

「こんなの、アズがいたらぶっ飛ばされるわね」

 彼女の独り言を、静かに隣で聞いていた者がいる。アマージョだ。「当然」と言いたげに、細い右手が髪のような|蔕《へた》を上げる。
 このふたりに共通するのは、“アズ”の存在だった。そしてミストレイカが、わざわざこの場所へと訪れた全ての契機でもある。


 ☩


 8年前、アローラ地方。
 新米国際警察官のニア・ミストレイカは、現地に訪れていた。これまでにも、複数確認されたウルトラホールと呼ばれる、異常現象。また、そこからやってきたと思われる異様な生物の調査。代替わりしたエーテル財団の協力を得て、調査に来ていた。
 湿気のない暑さと、乾いた陽差しをよく憶えている。その任務はニア一人ではなく、同期も一緒だった。

「財団って、いきなりクリーンイメージを始めたんだ。先代は酷かったんだな」
「あんまり滅多なことを口にするもんじゃないわ」
「でたな堅物」
 
 金髪の彼女は、似合わないスーツを既に脱ぎかけていた。「日焼けするわよ」とニアが告げるも、構う様子はない。隣にいた彼女のアマージョへ大雑把に衣服を投げつけていた。困惑するも、アマージョは受け取る。
 
「ま、おかげで高級ホテルつきは助かるけど」

 金髪のショートヘアをした女。名をアズーリン。アマージョを先頭に武闘派なポケモンを多数持つ、新米刑事だった。
 コンビとなることが多かったニアは、彼女の後始末だとか、細かい補填をやらされていた。捜査の部分はほとんどニアで、荒事を彼女が受け持つ。
 その時の調査はさほど規模が大きくないものだった。
 先日空いた、ウルトラホールの場所へ行き、線量測定と未保護の個体がいないかを確認。UBに関しては既に先人が危険を冒していたために、彼女たちの頃には「見た目は派手だが、ポケモンの一種ではある」という認識になっていた。
 このままなら、なんてことない出張任務だった。それを覆したのは、一体のポケモン。
 
 共にウラウラの南東にいたはずのアズは、その時地面に転がっていた。意識がなかった。隣には折り重なるようにして、彼女のアマージョ。女王と呼ばれた威厳ごと引き裂かれたように、だが主人を最後まで庇った様子が、すぐに連想される。
 彼女のボールは破片となって散らばっていたが、一つが硬質な音を立てて、踏み潰された。
 
 人型のポケモン。
 目の前にするだけで、怖気が止まらぬ胃液に変化しそうだった。足元から凍った血の気が昇る。底知れぬ重圧放つ存在。異様だった。
 それをミュウツーと、呼ぶことはニアも知っていた。見た目が確認された事例よりも、黒い姿とも気が付いた。
 だが、それ以上には進めなかった。相手は姿をそのままくらませる。
 
 その後幸いにも、救護された同僚は存命で、外傷も浅かった。されども、生きてもいなかった。植物人間。彼女は意識のないままに、今もなお眠り続けている。
 残されたアマージョは、親友のニアにその意思を託すことにする。外国ルクス諸島への渡航条件であった――精神体の電子化も厭わなかった。更なる危険を冒すことすら願った、親友のポケモンとの約束を、ニアはまだ果たせていない。

 その時の医師は、静かに横たわる彼女を診て、強力な『サイコブレイク』の後遺症だと結論付けた。

 ☩


 静かなる晴天。夜の帳は彼らに起きた激動など、素知らぬふりをしている。星を見ていると、この間のアンブラの話も思い出す。
 フィルノワタウンへ到着していた少年は、宿泊施設のコテージからは離れた湖で、ひとり考えていた。

「オレさ、何が正しいのかわかんなくなってきた」
『言っただろ。あの女は信用しないほうがいいと。貴様は利用されているのだ』

 涼やかな夜の風に吹かれ、少年はどうにか笑っていたが。
 辺りに誰もいないことを確認すると、話し相手となる相方を呼び出した。ホログラムの肉体として改めて現われた、ミュウツーの表情は渋い。

「……ミュウツーは怖くないのか?」
『当たり前だ。私に恐れるものはない』
「そっか」

 やはり圧倒的な貫禄は健在。
 ルクス地方の情勢に揺れる中で、彼が心配でもあったが杞憂だった。隣にいる孤高のミュウツーがトーリには安心したと同時に、少し羨ましくなる。
 
『言っておくがなトーリ、私はお前の言った通りだ。ユーゴをひっぱたいてやることしか、今は考えていない』
「大丈夫、それはオレもだからさ」
 
 ぐっと、ミュウツーの3本指の拳には力が入る。どうやら本気らしい。
 一方で、隣で見ていたトーリは考えてもいた。このミュウツーは父のことを、初めから「ユーゴ」と呼んでいた。クソカスだとも言っていたが。あれほどの凶悪さを持ちながら、トーリよりも信頼しているのだろう。さっきの一言にすら、それは滲み出ていたから。

「ミュウツーは、父さんとはどういう関係だったのかなって。この前は、何となく友達って言ったけど」

 トーリは未だにこのミュウツーのことを、ほとんど知らない。
 どうやって生まれて、このルクスの地に来て、そして父親と出会ったのか。「海が好き」であることは唯一知っている。相棒になりたいという、少年の素直な疑問だった。

『……実の所、私は記憶喪失というヤツらしい』
「え? そうなのか」
『そう。つまり貴様に訊かれても、答えられる中身を大して持っていない』

 随分と淡々とした告白であったが、トーリからすれば重大な事実だ。このミュウツーにはほとんどの記憶がなく、これまで関わった人間は父親くらいである。
 隣の少年が不安と困惑に眉をひそめたからか、「あの男とは」と珍しくミュウツーから話を切り出した。
 
『私は一つ。約束をした』

 湖を見つめるミュウツー。静謐な水面に映る。「約束って?」と少年が身を起こして尋ねると、また草木に揺れて波紋になった。

『いつの日か果たす契りだとな。貴様とは関係がない』
「えー、もったいぶるなよ」
『うるさい。誰にだって秘密はあるというものだ』

 くせっ毛の少年が、それらしく頬を膨らまし抗議する。「ふてぶてしい奴だな」とミュウツー。その約束とやらは語らなかったが、しかし。遠かった瞳はトーリに向き直る。

『奴は巻き込まれた。何者かが手を引いている』

 吐息が挟まる。トーリのものだった。
 
「オレもそう思う。自分の親父だ。誰よりもまず、オレが信じてやらないとな」

 少年の眩しい空色の瞳とかち合う。真っ直ぐと星が瞬く空に似ていた。
 不要な心配だったと、ミュウツーは口端を歪める。少年にささやかな同意をするようにして、ミュウツーは呟いた。

『この地には……確か神殿跡がある。変わっていなければな。そこに向かうといい。あそこは私が』

 絞り出すようにした空白。群青に煌めく湖が空を見上げるミュウツーを映していた。

『奴と初めて会った場所がある』

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