第70話:崩壊のはじまり――その2

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 助けて! 嫌だ、死にたくない!
 赤と白のボールと、円柱型の巨大なガラス容器。2つの障害に阻まれながらも、助けを呼ぶ声が確かにセナの耳に届いた。不思議なことではない。100を優に超える数のボールがガラス容器の中でひしめき合い、ポケモンたちが声を重ねているのだから。
 ヴァイス、ホノオ、シアンの目には、モニターの中のセナがうつ向いているのが見える。

「まずは謝らせて欲しい。ミュウツー、申し訳ない」

 ミュウツーの研究所に到着してから、先に口を開いたのはセナだった。

「お前が今まで苦しみながら生きてきたのは、みんなオイラのせいだ。お前がオイラを憎んで恨むのも当然だ。でも、何故自分が恨まれていたのか、オイラはついさっきまで忘れていたんだ。無責任だよな。オイラのことを消したくなる気持ちが、よく理解できたよ。オイラだって……大嫌いだ。こんな奴」

 その姿は、決死の覚悟で敵地に出向いた戦士のものとは思えなかった。声はかすれて抑揚はなく、目は虚ろ。彼があれだけ捨てられなかった希望も決意も、くすんだ色をしていた。ホノオにだけは、その変化に至る過程が理解できる。しかしヴァイスとシアンには、セナの変化の理由がどうしても理解できない。強烈な違和感が2人を支配し、しばし思考を停止させた。

「お前はどうしたい? どんな制裁を、オイラに与えたい?」
「どうしたい、ですか。私の憎悪を根本から消し去るためにどのような行動を取るべきか。初めから理解ができていれば、私は数々の破壊行動をとる必要などなかったのです。自分がどうしたいのか、理解ができないことが苦しいのです。想像力と配慮に欠けたあなたの質問で、私は更なる破壊が必要になりました」
「それは、その……ごめん」

 歩み寄ろうと投げかけた言葉を鋭く批判され、セナは萎縮してしまう。その様子に少しだけ口角を上げると、ミュウツーはさらに言葉を続けた。

「何をしたいか、どうしたいか。そのような希望が一貫していないのは、私を生んだ人間も同様ですがね。彼らは破壊兵器として私を生み出しておきながら、高すぎる性能を恐れて私を宇宙に廃棄しました。宇宙空間の中で時空の捻れに幾たびも揉まれ、ガイアに流れ着いた頃には私は正気を失っていました。混乱して“破壊光線”を乱れ打ち、この星の生命体を破壊してしまったことは、故意ではありませんでした。少しずつ混乱が解け、私は現実を理解した。この星には地球とは異なり、私の攻撃を受けても死なない生き物も住んでいることを認識しました。私はこの星のポケモンという生き物に興味を持ちました。彼らを理解したかった。そこで“ボール”でサンプルを捕獲して、ポケモンの研究を始めました。クローンを作り、戦闘能力を強化する。それはおそらく、兵器で戦闘する人間の価値観では喜ばしい発明だったことでしょう。しかし、この星では歓迎されなかった。私を敵視し討伐を企む伝説のポケモンや、マスターランクの救助隊。そして、私を倒すことが正義だと刷り込まれた人間、セナ。彼らの敵意を受けながら、私はこの世界で生きる方法を模索した。クローンポケモンを仲間とし、孤独に耐えうる環境を作り出しましたが、敵は増えるばかり。……この惑星でも、私が心地よく生きられる方法は見つからなかった」

 モニター越しに語るミュウツーを、ヴァイスはじっと睨みつけていた。しっぽの炎をごうごうと燃やし、ミュウツーの生存戦略の踏み台にされた両親を想う。

「どのような生き方を選んでも、私はこの世界の敵なのでしょう。それならばいっそ、世界が、貴様らが望むように、徹底的に悪である方が気が楽であることに気が付いたのですよ。それ故私は“これ”を発明したのです。全てを終わらせる装置を、ね」

 ミュウツーは、自分の背丈よりも大きい円柱型のガラス容器をコツンと叩く。怒りと怯えが数百も混じった声は、障害に阻まれながらも確かにセナとミュウツーの耳に届いている。ミュウツーは捕らわれのポケモンたちには目もくれず、セナをねっとりとした目つきで捉えた。ようやく、ポケモンたちを閉じ込めているボールや、そのボールを入れているガラス容器や、ガラス容器が繋がれた鉄製の椅子――この地下室の“装置”の正体を明かす気になったらしい。

「この装置は、ポケモンたちの“生命エネルギー”の全てを奪い取ることができるものです。椅子に座って手すりの赤いボタンを押すことで、ポケモンたちの命を奪い、絶対的な力を手に入れることができます。ポケモン数百匹分の力を、この身ひとつに……ね。もう、私の計画がどのようなものか、分かりましたか?」
「その絶対的な力で、ガイアを破壊するつもりなのか?」

 徐々に事の重大さを理解し始め、セナの顔がこわばっていった。最低でも目の前の数百のポケモンが絶命し、ガイア自体に影響が及んだら更におびただしい数の死者が出る。その計画の阻止を、ミュウツーは自分独りに背負わせようとしている。

「甘いですね。これほどまでに強力な力を、ガイアを破壊して使い果たすなど勿体無いことです。私はこの力でガイアを動かします。それを地球にぶつければ……この世界の憎いもの全てを破壊できる! 素晴らしい計画だ!!」

 狂気の笑いを声に乗せて、ミュウツーは高らかに言い放った。
 助けて! 再びセナの耳に、ポケモンたちの叫びが届いた。赤と白のボール。捕らえられたポケモンたち。その情報を胸に刻み込むと、セナの脳天にまばゆい衝撃が走った。恐ろしい仮説が、最悪のシナリオが、全身を凍りつかせた。震える身体で少しずつ息を吸い、とうとうセナは言葉を絞り出した。

「もしかして……。“グリーンビレッジ”でさらったポケモンたちも、この中にいるのか?」
「グリーンビレッジ。そうですね。私の優秀な“部下”が、そこに立ち寄りサンプルを捕獲した報告を確かに受けました。
 さて、どうしますか。あなたの大切なポケモンの両親を含む、数多のポケモンたちの命。ガイアや地球の住人たちの命。その全てが、今、あなたが私を止められるかどうかにかかっているのですよ。セナ」

 大虐殺を計画しているとは思えないほど、ミュウツーの声は穏やかだった。しかしその余裕が、彼の自信を嫌と言うほど強調している。力も、余裕も、自分が劣っていることは明らかで怯んでしまう。その事実はセナの“心の力”を弱めるには十分だった。負けない、勝ちたい。そのような希望を、いくら念じても手にすることができない。

「うっ……」

 弱気な声を漏らしながら、うつ向き後ずさりした直後。セナは目の色を変えてミュウツーに立ち向かった。

「うらあああああああ!!」

 その色が“決意”とは違うものであると示す、壊れそうな叫び。セナは思い通りにならない心を捨てて、理性を捨てて、獣のように戦うことを選択した。それが最善と判断した。右手に巨大な氷の刃を宿し、ミュウツーに突きつけようとした。しかし。
 世界の運命を定める決戦は、あまりにも呆気なかった。凄まじい威力の遠距離攻撃を絶え間なく打ち込むミュウツーに、セナは接近が許されない。攻撃の相殺すらままならず、瞬く間に全身が傷だらけになってしまった。
 モニターの前のヴァイス、ホノオ、シアンは、その現実味のない戦いを前に、目をそむけることも忘れていた。これがセナだと、信じられなかった。絶望的な戦況でも一矢報いるための希望を捨てない、いつものセナではなかった。身に降りかかる痛みを報いとして受け止めているような、無力感に打ちひしがれているような、戦う前から敗北を受け入れているような。そんなセナだった。
 とどめの一撃の前に、3人は奇跡の逆転や必死の反撃を期待してしまう。しかし、満身創痍のセナの身体は無抵抗にミュウツーの破壊光線に貫かれた。

「もう終わりなのですか。実に呆気ない。あなたが私に負けることで、世界の崩壊が始まるというのに。その大事な一戦が、この体たらくですか」

 ミュウツーはセナを見下ろしながら、鉄の椅子に腰掛けた。セナは四肢を集中的に傷つけられ、戦闘の続行は困難だ。しかし、致命傷に一歩届かずに加減をされているせいで、うつ伏せのままミュウツーを視線で追う力だけは残されている。自分の力が及ばずに、命が、世界が奪われてゆく様を、直視する力だけ残されてしまった。

「あなたを独りで呼んで良かった。仲間がいないというだけで、心の力がここまで弱まるとは嬉しい誤算でした。さて。あなたひとりだけの責任で、世界が崩壊に向かう第一歩。じっくりとお見せしましょう」

 ミュウツーは椅子の手すりについている赤いボタンを押した。なんのためらいもなく。
 赤色の閃光、装置の轟音、ポケモンたちの断末魔。全てが不吉に染まっていくのを、セナは途切れそうな意識で感じ取った。モニターの前の3人は、これも現実味を感じることができなかった。命が、数百ものポケモンの命が、ボタン一つで消えてゆく。消えてゆく。キエテユク。今自分たちが見ている状況を理解するために、何度も心で繰り返す。しかしその度に、記号のような無機質さが増すばかりだった。
 装置が放つ赤い光は、全てミュウツーが吸収した。先程までの命の抵抗が幻であったかのように、部屋はしんと静まりかえっていた。赤と白のボールからは、ポケモンたちの姿が消えていた。まるで初めから、彼らなど存在しなかったかのように。

 ミュウツーは静かに椅子から立ち上がると、セナのしっぽを掴んだ。そのままセナを引きずりながら階段を登った。暗闇に落とした赤い道しるべは、まだ生きていると叫ぶように――。
 ミュウツーは1階にたどり着くと、モニターの前でセナを放した。自分がつけた傷を一つ一つ思い出すように、セナの全身をまじまじと見回した。その右手に禍々しい光を宿し、セナにかざした。

「この世界で最も憎い存在に、死などという安息を与えるわけにはいきません」

 ミュウツーがその光をセナにぶつけると、セナの全身の傷が跡形もなく消えた。しかし、彼が起き上がることはなかった。

「決して出ることのできない“心の迷宮”で、永久の苦しみを味わっていただきましょう。フフ。フハハハハ……!」

 そう言い残すと、ミュウツーはさらに階段を登って行った。その直後。ガイアが地球に向かって動き出したことを示すように、モニターが揺れ、屋外の嵐や雷の音が聞こえた。現在ガイアを襲う災害の始まりを、ヴァイスたちは理解した。
 モニターの映像は――セナの敗北と動き出したミュウツーの計画を映したその映像は、そこで途絶えた。

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