第70話:崩壊のはじまり――その1

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 そのゼニガメを、セナだと信じて疑わなかった。導かれた果てにはもうひとりの、本物のセナが倒れていて。セナだと思っていたものは、目の前でホーリークリスタへと姿を変えた。必死に頭の中で現実を整理するが。

「ど、どういうことだよ。全然分からないぞ……」

  呟くような興奮しているような不安定な声が、ホノオの混乱を表している。一歩、また一歩と、ヴァイスとシアンと共に、倒れているセナに近づいた。苦悶の表情はない、しかし安らかとも言えない。どんな言葉も似合わない無表情。味気も色もない顔が、青白いモニターの光によって冷たく装飾されていた。水色の頬に触れようと手を伸ばす。緊張の一瞬。ひやり、という冷感はなく、命の温もりがホノオの指先を伝わる。ひとまずホッと胸をなで下ろす3人だが、この状況を飲み込むことができない。

「ねえ、君が、本物のセナなんだよね。なんで、こんなところでひとりで寝ているの? 風邪、ひいちゃうよ」

  お茶目な声色は震えが目立ち、演技では隠しきれない不安がにじみ出ていた。ヴァイスはセナに話しかけながら、逃げ出したい気持ちを抱えていた。考えられないし、考えたくもない。目の前に倒れているのが本物のセナだと言うならば、彼は独りぼっちでミュウツーの研究所に乗り込んだことになる。仲間に悟られないように、戦う意志を独りだけで抱えて。

「順を追って説明するべきでした。申し訳ありません」

 足元から聞こえる、スイクンとホウオウのそれを混ぜたような声。ホノオは声の主、ホーリークリスタを拾い上げた。クリスタを握り締め、睨みつけ、ホノオが切迫した声で話す。

「おい。どういうことか説明しろよ。オレたち全員が納得するように、丁寧に」
「もちろんそのつもりです。せっかくですので、この研究所を活用してしまいましょう」

 クリスタが言うと、青一色だったモニターが何らかの映像を写そうと試みて乱れる。ザザザという音に驚き、シアンは飛び上がった。

「このモニターを使って、あの夜のことをお見せします。セナさんがミュウツーに立ち向かった夜のことを」

 耳障りな砂嵐のような音が、徐々に規則的で穏やかな波の音に変わってゆく。モニターに映るのは、沈んだ雰囲気のサメハダ岩。月が海に映り、気候が穏やか。まぎれもなく、これは彼らが過ごした過去の映像だった。

「まずは前提として、この前日の夜にセナさんが見た夢をお話しします。夢は、映像にしてお見せできませんので」

  クリスタは解説を始めた。神秘の遺跡から帰ってきた夜、セナは夢を見たこと。夢の中で、ミュウツーに取り引きを持ちかけられたこと。――取り引きの内容。ミュウツーはセナの記憶を取り戻させ、それによってセナが得た力でミュウツーの野望を阻止する機会を与えること。ただし、セナは次の日の夜に一人で小さな森を訪れ、ミュウツーに会わなければならないということ。
 クリスタの説明が終わると、モニターはうつむき加減のセナを映す。

「そうか。夢をみたセナは、そのことをオレたちに話すかどうか迷って……結局、黙って行っちまったのか」
「いいえ。セナさんは皆さんに夢の話を隠すことを、迷わず決めていました。黙ってミュウツーの取り引きを受けることに、決めていたのです」
「……そうか」
「この時も、今も、ボクたちはセナの気持ちが全然分からなかったんだね。少なくともボクは、分かろうとしていなかった……」

 モニターに映るセナは顔がこわばっていて泣きそうで、どうみてもいつも通りの様子ではない。しかし、この日のヴァイスたちはそれぞれ自分の不安と向き合っていた。セナの気持ちを理解しようとしなかったし、できなかった。ヴァイスがそれに気づき、脱力してへたり込む。その背中を、シアンがそっと撫でた。
 やがて、モニターの中のシアンが寝る。ホノオが寝る。ヴァイスが寝る。しばらく後に、セナがスッと立ち上がった。そして、ぽつりぽつりとヴァイスたちに話しかけた。
 ――希望を捨てられず、ミュウツーに立ち向かうこと。自分自身とその希望を大切にして欲しいという願い。そして謝罪。当時ヴァイスたちに届かなかったそれらの言葉が、今になって3人の心を揺さぶる。
 ――ワガママなリーダーを、オイラを……許してくれよな。その言葉を置いて、セナはサメハダ岩を去った。
 そのままセナは振り向かず、約束の場所、小さな森へと向かった。モニターの中のセナがどんどん知らないところへ行ってしまうのを、ヴァイスは強く感じる。自分が失いたくないと強く願った存在が、遠くへ、遠くへ。
 ささやかにヴァイスの願いが届いたのか、セナが覚悟を固めるためか。セナは救助隊連盟本部に寄り道をして、時間をかけてミュウツーの元へ向かった。 しかし、終わりのない寄り道はない。とうとうセナはミュウツーに出会った。ミュウツーはいくつかセナに言葉をかけた後、不気味な丸い光を差し出した。セナの記憶。しかしセナは、それを求めて来たはずなのに、顔をこわばらせて震えていた。シアンにも分かった。セナが本当はとても心細かったということが。
 とうとうミュウツーがセナに記憶を与えた。セナは光に飲み込まれると、耳をつんざく叫び声を上げた。モニターの前のヴァイスは、思わず目をそらす。
 記憶を取り戻したことが、セナの瞳に反映された。罪悪感で塗りつぶされた生気のない瞳が、深い闇を吸い込んだ。どくん。動悸。彼の過去を思い出し、思わずホノオは胸を押さえる。苦しい。
 ホノオがモニターから目をそらしたそのとき、ほんの一瞬だけセナの目に輝きが戻った。シアンはわずかに安堵する。
 ここで、ひとつ真実が明らかになった。セナはホーリークリスタを握り締めると、きつく目を閉じて祈りを捧げた。 クリスタが光り輝くと、みるみるうちにゼニガメの姿になっていった。そして、セナに変身したクリスタが、サメハダ岩へと向かってゆく。セナはそれを、悲しげながらもすっきりとした表情で見送った。
 セナは身代わりを作って、誰にも気づかれないようにミュウツーのアジトへと向かったのだ。何でも抱え込んでしまうセナが、少しずつ仲間に頼れるようになってきていた。ヴァイスもホノオもシアンも、その変化を疑っていなかった。それなのに、なぜ……。
 さ・よ・う・な・ら。セナの口元が、確かにそう動いた。モニターの中のセナではなく、今隣にいる、“本物の”セナを見つめる。――なぜだかわからない。しかし、無性にそうしたくなった。ホノオはセナの右手を両手で握る。 暖かい。それを見たヴァイスは、セナの左手を。シアンは持つ場所を迷った後に、セナのしっぽを。

 移動はあっという間だった。ホノオたちがセナの手やしっぽを握っているうちに、ミュウツーはエスパーの力でセナもろともワープしていた。行き先は、今ホノオたちがいる建物。ミュウツーのアジト。
 モニターに映っている内装には、ホノオたちはまだ見覚えがない。今いるフロアとは違う。さらにおぞましい命の蠢き。
 部屋の中央にある鉄製の椅子は、無数の管で円柱型のガラス容器に繋がれている。椅子の手すりには仰々しく大きな赤いボタンが付いており、押すと良くないことが起きると一目で理解できた。円柱型のガラス容器の中には、無数の “ボール”が入れられていた。半分は透明な赤色で、もう半分は不透明の白。そんなボール越しに、無数のポケモンたちのくぐもった叫び声が聞こえる。――怖い。助けて。死にたくない。
 モニターの中のセナの顔が引き締まっている。必死にミュウツーの計画を推理しているようだった。

「ここは、この建物の地下一階です。これからモニターに映る映像は、全てこの真下で起こったことです」

 クリスタの説明が聞き手3人の不安を煽る。なぜセナが、今このアジトで気を失っているのか。その謎に迫る覚悟ができている自信は、まだなかった。

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