6.Plasma Fist
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読了時間目安:13分
「ミストレイカさん!」
トーリは叫ぶ。物に埋もれ、後方へ飛ばされた女は応答がない。手に持っていた、ライセンスリーダーが近くに落ちている。アマージョのライセンスが、虚しくも途中まで刺さっていた。
状況を飲み込む彼の代わりに、睨みを利かせるミュウツー。電光を纏う拳を見る。
『何用だ』
ゼラオラへ問いを向けた。
出で立ちから一般ポケモンでないことを、ミュウツーはとうに悟っている。
そっと、稲妻めいた青い髭のある口元を歪める。
『お前、速いんだろ?』
『……ああ』
答えは闘争。ゼラオラの瞳は縦に伸びた。狂気に映る無邪気だった。
怖気立つのはトーリだ。ミュウツーの自負に満ち溢れた即答には、相手はかなり信頼しきったように頷いた。つまりは、対等かそれ以上であるという自信。裏付ける実力の片鱗を先ほど見てしまった。
ゼラオラは満足そうにミュウツーを見るも、一旦彼から距離を取る。まるで何かを確認するように。
『へえ、こりゃあいい。あの野郎にそっくりだしな』
誰かに話しかけるようだと思った。
しかしトーリは、自分に向けてではないと知っている。それどころかあのゼラオラは、ミュウツー以外に何者も、視界に入れてすらいないだろう。
少年が考えると同時に、答えは向こうからやってきた。コツ、と硬質な靴音。男の履くロングブーツのものだった。
「オイ、またこっちの話も聞かずに行きやがって……生き急ぐんじゃあねーよ、ゼラオラ」
『人間がのんびりし過ぎなんだ』
背の高い男が、父の私物を踏みつけながら現れたのだ。
“ゼラオラ”と呼ばれたことで、相手の種族を少年はようやっと知る。それがライセンス登録等見た事ない、非常に稀な電気の種族であることも。
エナメルの黒ジャケットに、派手なピアス類。ロックバンドのメンバーかと見紛う姿。一方で、このギラギラとした顔つきを、どこかで見たことがあるような。ちぐはぐな既視感をトーリは覚えていた。
「……おじさん達は何しに来たの」
「あァ? ま、イイぜ。ガキだしな」
せめてもの挑発混じりだったが、しかし。少年が何と言おうと、男は話すつもりだったのだろう。そのような威圧を受けた。無関心すらあった。
ゼラオラと並び立つ男はミュウツーを見ると、高らかに指差す。
「俺様は……テメェを計りに来たんだゼ、ミュウツー!」
エンジンを切る戦闘意欲。この男と共鳴をしているだろう、ゼラオラは乗じた。
この宣言を皮切りした攻防は、まずはミュウツーを掠める始まりとなる。俊足なる電光。少年の目は追い付かない。息をする暇すら感じられなかった。ふと残ったのは、まだ明らかでない因果の拳だけ。
『だそうだ。話を聞かないクソカスめ』
徐に埃を払う仕草をした。今までとは違う、十分な警戒を覗かせた不敵。
トーリが困惑を見せたまま前を見据えると、やはり相手は自分には興味が微塵もない。その状況を憂いたり嘆く暇はない。今は眼前の脅威を砕くのみだ。
「いくぜェ! 孤高の人造ポケモンさんよォ!」
男がオーダーを口走る。荒々しくもしたたかに。
ミュウツーはゆるりと構え、相手の動向を探る気でいた。手の内を知っておくべきだと、彼の戦闘経験が鳴らしたのだ。だがすぐさま、その選択を後悔することになる。
『コイツは』
駆け抜ける一閃。うねるように拳は抜けた。音を置き去りにし、三度。ミュウツーを吹っ飛ばす。間に反撃のカウンターを仕込む暇が、存在しなかった。移動を兼ねた『ワイルドボルト』の連撃だ。ミストレイカを襲ったのもこれだろう。
したり顔の迅雷ポケモンに、不快そうな皺を刻むミュウツー。間合いを十二分に確保するも、傷を負う。
「攻撃が……全く見えない。どうしよう」
『ミソッカスめ』
あの亜人が辛うじてでしか視認できぬものを、人間の少年が捉えるなど不可能。
ミュウツーにはいつもの罵倒すら、あまり余裕がない。今までの戦ってきた者と同じ、“ポケモン”とは思えなかった。
「オイオイどうしたア? 具合でも悪りぃのかよ」
『このままお飾りなんて……言わないよな!』
調子づく二者は更なる猛襲を掛ける。足に蒼電を纏い、ミュウツーの懐を目指した。短いスパンでの『スパーク』、そして『ボルトチェンジ』の連続使用。閃光と共に翻弄されてしまう。
ゼラオラの爪先を『サイコキネシス』で吹っ飛ばす。その間にできた隙はもののコンマ数秒。
隙をカバーするようにゼラオラは後転した。後発の『ボルトチェンジ』の回帰性を利用したもの。追撃の余地はない。一気呵成に思えるも、的確な技運びだった。
「……ミュウツー」
唾を吐き捨てる亜人。自分の盾となるように戦う相方を、少年は眺めるしかなかった。
彼らに見える世界は、少年にはあまりに深層であったから。別言語の諍いを見たところで、怒りすら湧きあがらないというもの。
「バトルは速さだぜェ。電光石火こそ至高ってなァ。相棒!」
再び戦火を落とす閃電。
青い機雷と化し、ミュウツーを狙う。右の拳が腹を掠める。体制を低くしたミュウツーは長い尾で足を薙ぎ払いにかかった。外れた。
空へ回避をしたゼラオラ。空いた左手から『ほうでん』をまき散らす。突然の広範囲攻撃に、ミュウツーは対応しきれない。
被弾覚悟の大技を放ったが、装填不十分の『きあいだま』は命中しきらない。麻痺状態となったミュウツーが顔を上げた。
『おい、こんなもんかよ。あのバンギラスに風穴開けたヤツは使わねーの?』
『……その程度ということだ』
せせら笑うゼラオラ。流石に目の前の相手の虚勢を、見破れぬ手練れではない。
ミュウツーはというと、恨めしくも短時間の麻痺を背負った身体を修復していた。相手がこれ程でなければ、とっくにトレーナーごと叩きのめし罵声を浴びせ、愚かなりと見せしめに嘲っただろう。
あの派手な男は、欠伸交じりに戦況を見つめる。体裁は余裕綽々だろうと、ミュウツーの一挙手一投足を観察する。マメであり隙が無い。真に厄介なのはあの司令塔だ。ミュウツーの認識が更新される。
「『サイコブレイク』はどうしたのさ」
『使えぬ。貴様のせいだろ』
「……共鳴が足りないのか」
おずおずと負傷する相方に、問う少年だったが、パワーダウンの理由を知ると、彼は黙る他なかった。
トーリとミュウツーは息が合っていない。一方で、ゼラオラがあそこまで予断も無駄のない動きを発揮できるのは、ポケモン側の力量だけではない。あの男の〈精神体〉を借り、共鳴による能力上昇。そしてあの雷そのものでしかない動きに、完璧な伝達をしているのだと。改めて、目の前にいる敵の格の違いを知る。少年はあまりに無力だった。
白い体にも、傷跡が目立ってきた。ミュウツーは変わらず戦闘のみを見据えたが、トーリはそうでなかった。ぐっと前を向くと、つり目がちの瞳は鋭くなった。
『次で仕留めてやる』
「待ってよ」
横やりを入れた少年。ゼラオラは取り合わない。「待って」眼中にはミュウツーのみ。「ミュウツーは越えられないよ」追撃の挑発。煩わしそうな迅雷の化身はようやく目を向ける。
『うるせえぞ、人間のガキ』
「そうだね」
『水を差すんじゃねぇ』
ゼラオラが尻尾を差し向けた。目の前で電気と火花が散るも、トーリは気にする様子はない。
「キミのトレーナー、正直さ。滅茶苦茶強い。今じゃ絶対勝てないと思う」
『あ?』
堪らず怪訝な顔をする男は、ゼラオラにつられたよう。近くにいたミュウツーすら同調した。
敵への称賛に白旗上げたかと思うゼラオラだが、待ったをかけられた。後方のトレーナーが右手を上げる。制止の合図だ。
「なんだガキンチョ。俺様のファンになっちまったのかよ」
「……ムカつくけど近いかも。腹立てたところで、この戦局は良くならないしな」
生返事で男は応する。
だが目の前の少年は、ただのへっぴり腰ではないと気が付きつつあった。ミュウツーが隣にいようが、動じない胆力の主であると再確認する。退屈そうなゼラオラが喉を鳴らしていた。
「オレは今のアンタに勝てない。逆立ちしようとも、ミュウツーのお荷物だよ。それは間違いない。だから敗者にしかできないことをさせてもらう」
「敗者にしか、ねェ。何がだよ」
前のめりになり、こちらへ挑発的な笑み。それでもトーリの瞳は色褪せない。
「学ぶこと」
軽い失笑が上がった。ゼラオラだ。
だがエナメルジャケットの男は、そうでなかった。むしろゼラオラすら窘める剣幕があった。明らかに、トーリを見る目つきが変わっている。
「アンタから、アンタとソイツの連携から。オレは学ばなくちゃいけない。馬鹿にされて、泥水啜ってでも。でないと」
真っすぐと明るい空色の瞳に灯る。意志か、あるいは反抗心なのか。人間を毛嫌いするミュウツーには区別がつかなかった。
それでも、この少年はあまりに似ていたのだ。あの日自分を導いた瞳に。晴れやかな空に走る雷鳴の如き鋭さで、眩い光であった稲妻。息を呑む。記憶と重なる姿は、そのままに敵の男に向き合い。
「あの親父を覆った闇は払えないだろ」
初めて見せる顔をしていた。
喝采を帯びた高笑いは突き抜ける。さっきまで話を半分に聞いていた男のものだった。トーリの方を初めて見て一言。
「気に入ったぜクソガキ。俺様は馬鹿が好きだからなァ。おめーみたいな泥臭いやつは特に……であればだ。お前を」
目線を遣る男。受け取る必要もなく、駆け抜けるゼラオラ。
蒼電が辺りに炎かのように舞う。勢いある『スパーク』は攻撃開始の合図だ。構えるミュウツーに、トーリは「危ない!」と声を上げていた。
「ここでぶっ倒して……心へし折っちまうまでよ!」
ゼラオラは大きく跳び上がった。
自らの脚力を電気で活発化させ、底上げしたのだ。伝説や幻に値する、ゼラオラのスペックでなければ無理な芸当。
一発目の拳をミュウツーはガードする。相手の敏捷に動体視力が慣れ始めていた。だが一撃が重たい。無傷とはいかなかった。
『この、猪口才な……!』
迸る電気がこれまでとの規模の違いを語る。残りのかぎ爪を肩に引っ掛け、渾身の拳をぶつける。弾ける閃光に音は追い付かない。
『喰らえ、そしてくたばれ』
「――ミュウツー!」
一閃、轟く雷鳴。ゼラオラの本気の拳がミュウツーのみぞおちを捉えた。
尖鋭なる『プラズマフィスト』。初めてあのミュウツーが膝をつき、くずおれる様子を見せた。トーリからも、悲鳴にすらならない何かが漏れそうになる。
勝ちを確信したゼラオラが余裕にて振り向くと――そこには。
『くく……は、ははははは!』
ただ独り。くつくつと笑うミュウツーがいた。
狂気と憎悪を煮詰め、この世の冒涜を詰め込んだような笑みだった。悍ましき快哉だった。空気が凍るよりも逃げ出す。
背筋が縮み上がる。あれほどまでに大勝していたのに。理由はわからなかった。吞まれていたのは、ゼラオラだけにあらず。
『立派だクソカス。いや、貴様はカスにしてやる。光栄にな。私をここまで虚仮にした奴は――』
トーリは辺りの重力がおかしいことに気が付いた。父親の書類、ペン、木片。あらゆる事物が上へと流れ始める。内臓が裏返りそうな重圧。意志とは関係なしに、身体がトーリに跪かせる。地べたへ誘う。
無理な共鳴による過剰負荷だ――気が付き始めるも、彼には止める手段がない。
頭上にはエネルギー弾。白とも黒とも言えない、それでいて刃物めいた凶悪な見た目をしていた。
『二度目だ』
ゼラオラの逃走本能は真っ先にと足に作用したが、しかし。電気の伝達が正常にいかなかった。ミュウツーの底なしのプレッシャーが狂わせていたのだ。底なしの重圧がひた走る。
走り、跳ぼうとする。間に合わない。直撃を免れるのがやっとだ。
閃光ともつかない何かが視界に走った。数秒して、世界の秩序は戻り始める。風が晴れていく。凶行に付き合わされたトーリは棒立ちだった。胃液が今更上る。
「これが、サイコブレイク……かよ」
呆然とした男は呟く。あの疾風迅雷を誇るゼラオラが、しばらく立ち上がれなかった。少し遅れて、男にも共鳴の代償が訪れていた。ふらつきながらも、男は言う。
「……戻らねぇと。おいクソガキ! やっぱてめーは気に入らねえ!」
派手なパンクファッションの男は、ホログラムとなりゆく相棒をしまう。
ミュウツーを見る目には、先ほどの好奇心よりも嫌悪が勝っていた。這いつくばるトーリに向け、吐き捨てるように。
「てめーのケツは、てめーで拭きやがれ」
それだけを言い残していった。力強いブーツの踏音が遠のいていく。
嵐のようであった。ようやく疲労との均衡に顔を上げられたトーリ。だがその顔に滲むものは安心などではなく。
「オレが一番悔しいよ」
確かな敗北。鮮やかな無力の証明が、懇々と降るようであったから。
トーリは叫ぶ。物に埋もれ、後方へ飛ばされた女は応答がない。手に持っていた、ライセンスリーダーが近くに落ちている。アマージョのライセンスが、虚しくも途中まで刺さっていた。
状況を飲み込む彼の代わりに、睨みを利かせるミュウツー。電光を纏う拳を見る。
『何用だ』
ゼラオラへ問いを向けた。
出で立ちから一般ポケモンでないことを、ミュウツーはとうに悟っている。
そっと、稲妻めいた青い髭のある口元を歪める。
『お前、速いんだろ?』
『……ああ』
答えは闘争。ゼラオラの瞳は縦に伸びた。狂気に映る無邪気だった。
怖気立つのはトーリだ。ミュウツーの自負に満ち溢れた即答には、相手はかなり信頼しきったように頷いた。つまりは、対等かそれ以上であるという自信。裏付ける実力の片鱗を先ほど見てしまった。
ゼラオラは満足そうにミュウツーを見るも、一旦彼から距離を取る。まるで何かを確認するように。
『へえ、こりゃあいい。あの野郎にそっくりだしな』
誰かに話しかけるようだと思った。
しかしトーリは、自分に向けてではないと知っている。それどころかあのゼラオラは、ミュウツー以外に何者も、視界に入れてすらいないだろう。
少年が考えると同時に、答えは向こうからやってきた。コツ、と硬質な靴音。男の履くロングブーツのものだった。
「オイ、またこっちの話も聞かずに行きやがって……生き急ぐんじゃあねーよ、ゼラオラ」
『人間がのんびりし過ぎなんだ』
背の高い男が、父の私物を踏みつけながら現れたのだ。
“ゼラオラ”と呼ばれたことで、相手の種族を少年はようやっと知る。それがライセンス登録等見た事ない、非常に稀な電気の種族であることも。
エナメルの黒ジャケットに、派手なピアス類。ロックバンドのメンバーかと見紛う姿。一方で、このギラギラとした顔つきを、どこかで見たことがあるような。ちぐはぐな既視感をトーリは覚えていた。
「……おじさん達は何しに来たの」
「あァ? ま、イイぜ。ガキだしな」
せめてもの挑発混じりだったが、しかし。少年が何と言おうと、男は話すつもりだったのだろう。そのような威圧を受けた。無関心すらあった。
ゼラオラと並び立つ男はミュウツーを見ると、高らかに指差す。
「俺様は……テメェを計りに来たんだゼ、ミュウツー!」
エンジンを切る戦闘意欲。この男と共鳴をしているだろう、ゼラオラは乗じた。
この宣言を皮切りした攻防は、まずはミュウツーを掠める始まりとなる。俊足なる電光。少年の目は追い付かない。息をする暇すら感じられなかった。ふと残ったのは、まだ明らかでない因果の拳だけ。
『だそうだ。話を聞かないクソカスめ』
徐に埃を払う仕草をした。今までとは違う、十分な警戒を覗かせた不敵。
トーリが困惑を見せたまま前を見据えると、やはり相手は自分には興味が微塵もない。その状況を憂いたり嘆く暇はない。今は眼前の脅威を砕くのみだ。
「いくぜェ! 孤高の人造ポケモンさんよォ!」
男がオーダーを口走る。荒々しくもしたたかに。
ミュウツーはゆるりと構え、相手の動向を探る気でいた。手の内を知っておくべきだと、彼の戦闘経験が鳴らしたのだ。だがすぐさま、その選択を後悔することになる。
『コイツは』
駆け抜ける一閃。うねるように拳は抜けた。音を置き去りにし、三度。ミュウツーを吹っ飛ばす。間に反撃のカウンターを仕込む暇が、存在しなかった。移動を兼ねた『ワイルドボルト』の連撃だ。ミストレイカを襲ったのもこれだろう。
したり顔の迅雷ポケモンに、不快そうな皺を刻むミュウツー。間合いを十二分に確保するも、傷を負う。
「攻撃が……全く見えない。どうしよう」
『ミソッカスめ』
あの亜人が辛うじてでしか視認できぬものを、人間の少年が捉えるなど不可能。
ミュウツーにはいつもの罵倒すら、あまり余裕がない。今までの戦ってきた者と同じ、“ポケモン”とは思えなかった。
「オイオイどうしたア? 具合でも悪りぃのかよ」
『このままお飾りなんて……言わないよな!』
調子づく二者は更なる猛襲を掛ける。足に蒼電を纏い、ミュウツーの懐を目指した。短いスパンでの『スパーク』、そして『ボルトチェンジ』の連続使用。閃光と共に翻弄されてしまう。
ゼラオラの爪先を『サイコキネシス』で吹っ飛ばす。その間にできた隙はもののコンマ数秒。
隙をカバーするようにゼラオラは後転した。後発の『ボルトチェンジ』の回帰性を利用したもの。追撃の余地はない。一気呵成に思えるも、的確な技運びだった。
「……ミュウツー」
唾を吐き捨てる亜人。自分の盾となるように戦う相方を、少年は眺めるしかなかった。
彼らに見える世界は、少年にはあまりに深層であったから。別言語の諍いを見たところで、怒りすら湧きあがらないというもの。
「バトルは速さだぜェ。電光石火こそ至高ってなァ。相棒!」
再び戦火を落とす閃電。
青い機雷と化し、ミュウツーを狙う。右の拳が腹を掠める。体制を低くしたミュウツーは長い尾で足を薙ぎ払いにかかった。外れた。
空へ回避をしたゼラオラ。空いた左手から『ほうでん』をまき散らす。突然の広範囲攻撃に、ミュウツーは対応しきれない。
被弾覚悟の大技を放ったが、装填不十分の『きあいだま』は命中しきらない。麻痺状態となったミュウツーが顔を上げた。
『おい、こんなもんかよ。あのバンギラスに風穴開けたヤツは使わねーの?』
『……その程度ということだ』
せせら笑うゼラオラ。流石に目の前の相手の虚勢を、見破れぬ手練れではない。
ミュウツーはというと、恨めしくも短時間の麻痺を背負った身体を修復していた。相手がこれ程でなければ、とっくにトレーナーごと叩きのめし罵声を浴びせ、愚かなりと見せしめに嘲っただろう。
あの派手な男は、欠伸交じりに戦況を見つめる。体裁は余裕綽々だろうと、ミュウツーの一挙手一投足を観察する。マメであり隙が無い。真に厄介なのはあの司令塔だ。ミュウツーの認識が更新される。
「『サイコブレイク』はどうしたのさ」
『使えぬ。貴様のせいだろ』
「……共鳴が足りないのか」
おずおずと負傷する相方に、問う少年だったが、パワーダウンの理由を知ると、彼は黙る他なかった。
トーリとミュウツーは息が合っていない。一方で、ゼラオラがあそこまで予断も無駄のない動きを発揮できるのは、ポケモン側の力量だけではない。あの男の〈精神体〉を借り、共鳴による能力上昇。そしてあの雷そのものでしかない動きに、完璧な伝達をしているのだと。改めて、目の前にいる敵の格の違いを知る。少年はあまりに無力だった。
白い体にも、傷跡が目立ってきた。ミュウツーは変わらず戦闘のみを見据えたが、トーリはそうでなかった。ぐっと前を向くと、つり目がちの瞳は鋭くなった。
『次で仕留めてやる』
「待ってよ」
横やりを入れた少年。ゼラオラは取り合わない。「待って」眼中にはミュウツーのみ。「ミュウツーは越えられないよ」追撃の挑発。煩わしそうな迅雷の化身はようやく目を向ける。
『うるせえぞ、人間のガキ』
「そうだね」
『水を差すんじゃねぇ』
ゼラオラが尻尾を差し向けた。目の前で電気と火花が散るも、トーリは気にする様子はない。
「キミのトレーナー、正直さ。滅茶苦茶強い。今じゃ絶対勝てないと思う」
『あ?』
堪らず怪訝な顔をする男は、ゼラオラにつられたよう。近くにいたミュウツーすら同調した。
敵への称賛に白旗上げたかと思うゼラオラだが、待ったをかけられた。後方のトレーナーが右手を上げる。制止の合図だ。
「なんだガキンチョ。俺様のファンになっちまったのかよ」
「……ムカつくけど近いかも。腹立てたところで、この戦局は良くならないしな」
生返事で男は応する。
だが目の前の少年は、ただのへっぴり腰ではないと気が付きつつあった。ミュウツーが隣にいようが、動じない胆力の主であると再確認する。退屈そうなゼラオラが喉を鳴らしていた。
「オレは今のアンタに勝てない。逆立ちしようとも、ミュウツーのお荷物だよ。それは間違いない。だから敗者にしかできないことをさせてもらう」
「敗者にしか、ねェ。何がだよ」
前のめりになり、こちらへ挑発的な笑み。それでもトーリの瞳は色褪せない。
「学ぶこと」
軽い失笑が上がった。ゼラオラだ。
だがエナメルジャケットの男は、そうでなかった。むしろゼラオラすら窘める剣幕があった。明らかに、トーリを見る目つきが変わっている。
「アンタから、アンタとソイツの連携から。オレは学ばなくちゃいけない。馬鹿にされて、泥水啜ってでも。でないと」
真っすぐと明るい空色の瞳に灯る。意志か、あるいは反抗心なのか。人間を毛嫌いするミュウツーには区別がつかなかった。
それでも、この少年はあまりに似ていたのだ。あの日自分を導いた瞳に。晴れやかな空に走る雷鳴の如き鋭さで、眩い光であった稲妻。息を呑む。記憶と重なる姿は、そのままに敵の男に向き合い。
「あの親父を覆った闇は払えないだろ」
初めて見せる顔をしていた。
喝采を帯びた高笑いは突き抜ける。さっきまで話を半分に聞いていた男のものだった。トーリの方を初めて見て一言。
「気に入ったぜクソガキ。俺様は馬鹿が好きだからなァ。おめーみたいな泥臭いやつは特に……であればだ。お前を」
目線を遣る男。受け取る必要もなく、駆け抜けるゼラオラ。
蒼電が辺りに炎かのように舞う。勢いある『スパーク』は攻撃開始の合図だ。構えるミュウツーに、トーリは「危ない!」と声を上げていた。
「ここでぶっ倒して……心へし折っちまうまでよ!」
ゼラオラは大きく跳び上がった。
自らの脚力を電気で活発化させ、底上げしたのだ。伝説や幻に値する、ゼラオラのスペックでなければ無理な芸当。
一発目の拳をミュウツーはガードする。相手の敏捷に動体視力が慣れ始めていた。だが一撃が重たい。無傷とはいかなかった。
『この、猪口才な……!』
迸る電気がこれまでとの規模の違いを語る。残りのかぎ爪を肩に引っ掛け、渾身の拳をぶつける。弾ける閃光に音は追い付かない。
『喰らえ、そしてくたばれ』
「――ミュウツー!」
一閃、轟く雷鳴。ゼラオラの本気の拳がミュウツーのみぞおちを捉えた。
尖鋭なる『プラズマフィスト』。初めてあのミュウツーが膝をつき、くずおれる様子を見せた。トーリからも、悲鳴にすらならない何かが漏れそうになる。
勝ちを確信したゼラオラが余裕にて振り向くと――そこには。
『くく……は、ははははは!』
ただ独り。くつくつと笑うミュウツーがいた。
狂気と憎悪を煮詰め、この世の冒涜を詰め込んだような笑みだった。悍ましき快哉だった。空気が凍るよりも逃げ出す。
背筋が縮み上がる。あれほどまでに大勝していたのに。理由はわからなかった。吞まれていたのは、ゼラオラだけにあらず。
『立派だクソカス。いや、貴様はカスにしてやる。光栄にな。私をここまで虚仮にした奴は――』
トーリは辺りの重力がおかしいことに気が付いた。父親の書類、ペン、木片。あらゆる事物が上へと流れ始める。内臓が裏返りそうな重圧。意志とは関係なしに、身体がトーリに跪かせる。地べたへ誘う。
無理な共鳴による過剰負荷だ――気が付き始めるも、彼には止める手段がない。
頭上にはエネルギー弾。白とも黒とも言えない、それでいて刃物めいた凶悪な見た目をしていた。
『二度目だ』
ゼラオラの逃走本能は真っ先にと足に作用したが、しかし。電気の伝達が正常にいかなかった。ミュウツーの底なしのプレッシャーが狂わせていたのだ。底なしの重圧がひた走る。
走り、跳ぼうとする。間に合わない。直撃を免れるのがやっとだ。
閃光ともつかない何かが視界に走った。数秒して、世界の秩序は戻り始める。風が晴れていく。凶行に付き合わされたトーリは棒立ちだった。胃液が今更上る。
「これが、サイコブレイク……かよ」
呆然とした男は呟く。あの疾風迅雷を誇るゼラオラが、しばらく立ち上がれなかった。少し遅れて、男にも共鳴の代償が訪れていた。ふらつきながらも、男は言う。
「……戻らねぇと。おいクソガキ! やっぱてめーは気に入らねえ!」
派手なパンクファッションの男は、ホログラムとなりゆく相棒をしまう。
ミュウツーを見る目には、先ほどの好奇心よりも嫌悪が勝っていた。這いつくばるトーリに向け、吐き捨てるように。
「てめーのケツは、てめーで拭きやがれ」
それだけを言い残していった。力強いブーツの踏音が遠のいていく。
嵐のようであった。ようやく疲労との均衡に顔を上げられたトーリ。だがその顔に滲むものは安心などではなく。
「オレが一番悔しいよ」
確かな敗北。鮮やかな無力の証明が、懇々と降るようであったから。