Case.1 はじめての変身

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:18分
 とある地方のとある森。光るキノコのその森の、街から離れた未開の地。森の中にひっそりと、煤けた小屋があるという。
 触れるなかれ、見るなかれ。小屋には女性が住んでいる。しかし彼女は怪物だ。常軌を逸した魔女なのだ。
 乞えよ恐れよ平伏せよ。指先一つで人は死ぬ。あるいはそれも幸せだ。死ぬより辛いこともある。


☆☆


Case.1 はじめての変身


「んー……誰かが私の噂をしている気がするわぁ」
「あっそ。どーせ碌でもないことじゃない? 森には怪物がーとか」

 庭の椅子に腰掛けて、一人の女性が溜息をつく。見る人によれば見惚れるような未亡人然とした魅力があるんだろうか? 僕にとっちゃもう見慣れた姿だから別に何とも思わないし、この女にされた仕打ちを考えると僕がこんなにつんけんするのも当たり前なのだけど。
 その“怪物”はわざとらしくむっとした様子で立ち上がり、切り株に腰掛けてる僕に詰め寄ってきた。

「あら、失礼しちゃうわねぇ、もう」
「事実じゃん。僕をこんな姿にしといて」
「可愛らしいわよ? ツタージャのムスブくん」
「うっさい。早く元に戻せ」
「うふふ、だーめ。きっちり百年は付き合ってもらうわよ」
「……くそっ」

 思わず悪態をつくけど、その“魔女”は気にした様子もない。僕はため息をついて手のひらに視線を落とす。指とも言えないような三本に枝分かれした手は、一年経っても慣れるもんじゃない。
 そりゃそうだ。十五年もの間、僕は人間だったんだから。


☆☆


 ルミナスメイズの森。前からトレーナーになりたくて、でも家庭の事情でポケモンを飼えなかった僕にとって、地元のこの森は唯一ポケモンと触れ合える場所だった。
 ある秋のある日、いつものように森へやってきた僕は、どこか一つの方向からポケモンたちが挙って逃げてくるのを見た。森に入り浸って勝手にレンジャー気分にもなっていた僕は、一体何があったのかと興味本位でそっちを覗いてみることにしたんだ。……これが僕のその日一つ目の失敗。

 いくらか茂みを分け入って進むと、そこには見慣れない古ぼけた小屋と、見たこともない見た目のポケモンが佇んでいた。大きな耳に燃え盛るように赤い毛が飛び出し、狐のような黄色い顔、ドレスを纏ったような朱の身体。そしてあたかも魔法使いであるかのように木の棒を手に持っている。
 後でそれはマフォクシーというポケモンだと知るのだけど、当時の僕はそんなことも知らず、ただこんなポケモンがこの森にいたのかと興味津々に近寄ってしまった。これが二つ目の失敗。

 するとそのポケモンはくるりとこちらを振り返り、少し驚いた様子で目を見開いて、それからにっこり笑った。

「あらぁ、いらっしゃい」
「え――」

 その時の僕の驚嘆ぶりったらなかった。だって、ポケモンが人の言葉を話してるんだ。ポケモンというものに興味が尽きない僕にとって、それはそれは面白い出来事だった。いっそ自分はキノコの毒にやられて幻覚でも見てるんじゃないかと、このポケモンが喋ったのは幻聴なんじゃないかと、そう思いさえした。
 口をパクパクとさせて声にならない声を出している僕にそのマフォクシーは近寄ってきて、そして何とも愛おしげに僕の頬を撫でた。

「まったく気付かなかったわぁ……坊や、いつの間にここに来たの?」
「え、えっと、いや、今ポケモンたちが逃げて行ったから、何があったのかと……ああ、その、今来たばっかりなんだけど」
「あら、そう……せっかくだし、お茶でも飲んでいかないかしら? 久しぶりのお客様だもの」

 僕はその誘いに少し迷ったけれど、ポケモンと会話できるということがあまりにも魅力的で、つい頷いてしまった。さっき遭遇したポケモンたちはここから逃げ出したと思われるのに、そもそも前から“森のウワサ”のことは聞いていたのに、そんなことすっかり忘れてしまっていたんだ。これが三つ目の失敗かな。

 彼女はイライザと名乗り、ポケモンにしては器用にお茶を淹れ、そして振る舞ってくれた。それからこの森について色々なことを教えてくれた。この時期になると自生しているカボチャが実るだとか、金木犀がいい香りだとか、あのキノコは毒がある割に美味しく食べられるだとか。特に危険なキノコと安全なキノコの話が面白くて、よく見るキノコにポケモンの眠り粉みたいな睡眠作用があるなんて知りもしなかった。
 面白い語り口にすっかり楽しませられ、時間を忘れて彼女と話していると、いつの間にかもう日が傾いていた。そろそろ帰らないとな、と思って彼女を見た時に、ぐらりと視界が傾いた。

「ぁ……?」
「うーん……流石に即席じゃあ効きが悪いわねぇ。ま、いっか」

 自分が仰向けに倒れたのだと理解したのは少し後だった。何が、と思って彼女に訪ねようにも、声が出ない。それどころか、視線を動かすのも、瞬きするのも辛いくらい身体に力が入らない。
 そんな僕をマフォクシーが覗き込む。そして僕の目を見て、ちょっと意外そうな顔で、もしかして頭は起きてるのかしら、なんて呟いた。
 僕はここでやっとこのポケモンが明らかに僕を害そうとしていることに気が付いて、なんとか逃げ出そうとしたんだけれど、身体は言うことを聞いてくれない。どうやら出されたお茶に何か盛られたらしい。

 どうにか逃げられないかと視線をキョロキョロと動かす僕の前で、マフォクシーは一層怪しく笑って器用に指をパチンと鳴らした。すると驚いたことに、ゆらりとその輪郭がぼやけて、次の瞬間にはなんと全裸の女性へと変貌したのだ。僕は思わず固まった。

「ふふ……驚いた? 初めての魔法で不安だったのだけど……まあ、うまく騙せてたみたいね? 魔女って凄いでしょう」

 魔女。魔女だ。怪物だ。
 必死でもがこうとしては動かない身体。金縛りに合うとこんな感じなんだろうか、なんてもはや諦めもして現実逃避もしそうになる。だって、その時の僕の頭にはあの“ウワサ”が浮かんでいたから。
“森には異常の魔女が住んでいる。出会ったが最後、死ぬより酷いことをされる。”
 ウワサはウワサと高を括っていたんだ。まさか本当に魔女が居て、その上薬を盛られて捕まるなんて誰が思う?

「それにしても、あなたって凄いわぁ。物音立てずに気配も消して森を潜ってきたんだもの。いくら私が集中してたからって、中々できないわよ? まるでヘビねぇ」

 魔女が人差し指を立てると、その指先にふわりと光が集まる。そしてその光が、ふわふわと、焦らすように少しずつ僕の方へ漂ってくる。
 おおよそ理解の追いつかない現象を僕はただただ受け入れるしかなかった。

「そうね、ヘビ。それも森に住むような、草タイプのヘビね。純粋で不用心でお馬鹿なところまで蛇そっくりだわ」

 その光はとうとう僕まで辿り着いて、そして体内へ溶けていく。すると次の瞬間、胸が熱くなって、息が詰まる感覚に陥った。しかし呻き声は上げられない。ただ喉から引き攣った息の音が漏れるだけ。
 僕は死ぬんだろうか。それとも、ずっとこの苦しい状態が続いたりするんだろうか。確かに、これが続くぐらいならさっと死んだほうがマシかもしれない。
 いっそ一思いに殺してくれと願っていると、永遠にも思えた苦痛が少しずつ収まって、身体の自由が利くようになってきた。それと同時に、じわじわと身体の末端が痙攣するようにもなった。
 一体何が、と思って僕が自分の手を見ると……指が、少しずつ、縮んでいる。

「なっ……うぁっ……!?」

 いや、手だけじゃない。足が、腕が、首が、身体が。縮んで、変形している。僕は何がなんだか訳が分からなくて、ただその変形を見守るしかできなかった。

 肌はざらりとした革のような質感になって、緑やクリーム色になる。
 背中が引き攣るように縮んで、自然とお尻を突き出すような姿勢になるけれど、もう随分短くなった足では丁度いいくらいのバランスになった。
 手の指は手の指は五本から三本に減って、足の指に至っては無くなってしまった。
 身体の重心は後ろに下がって、いつの間にかお尻は長く伸びて、丸ごと尻尾と呼んでしまった方がいいような形になった。その先端にはポプラのような薄い葉っぱが伸びる。
 首から上まで侵食が進む頃にはもうすっかり背が縮んでしまって、周りのものすべてが僕より大きかった。
 襟元から黄色い蔦のようなものが生えて伸びる。
 鼻先が前に突き出して、顎は逆になくなっていく。
 最後にはらりと髪の毛が抜け落ちて、変形は終わった。

 着ていた服に埋もれていた僕の首筋ががっしりと掴まれる。そして持ち上げられた。魔女の大きな瞳が僕を面白そうに見つめている。

「まあ、完璧じゃない! 可愛くなっちゃったわねぇ」
「な、にを……」
「分かってるでしょう? それとも認めたくない?」

 何を言っているのか分からない。何が起こっているのか分からない。ただ、僕は死んでいないということ、そして恐らく死ぬよりよっぽど恐ろしいことになっていることだけは理解できた。
 魔女は僕を掴みあげたままゆっくりと逆に向けた。古ぼけた姿見に、至極楽しそうな魔女と、呆然とした表情の緑の小さなポケモンが映っていた。

「ヘビみたいなあなたにピッタリ! 草タイプの可愛らしいツタージャくん! くははっ! 似合ってるわよ?」
「嘘……でしょ……」

 これが自分だなんて信じられない。信じられるわけがない。
 だって、僕は、人間で、それで――。

「それで?」
「それ、で……」

 ――それで? それから?
 僕は確かに十五年間人間で、街で暮らしてて……ポケモンと一緒に暮らすのに憧れてて……それから……。

「ツタージャくんは人間だったのよね。じゃあ、人間だった頃のお名前は?」
「名前は……僕の、名前、は……」

 ……嘘でしょ。思い出せない。自分の名前が分からない。
 いや、名前だけじゃない。顔も、親も、住んでいた街の名前さえ――僕は忘れてしまっていた。この魔女の仕業だろうか? 人間だったことの証明が、自分ではできなくなっていく。
 名前も、姿も、自分のことを次々と忘れていって――それじゃあ、次は一体何を忘れるんだ?

 そこまで考えた僕はどうしようもなく恐ろしくなった。鏡に映るツタージャが絶望に満ちた顔をした。
 だって、唯一覚えている「人間だったということ」さえ忘れてしまったら、僕は何者になるんだ? 「人間だった僕」はどこへ行ってしまうんだ?
 ……僕はどうなってしまうんだ?

「う……あぁ……」
「あらあら、何をそんなに怯えているのかしら。忘れるっていいことよ? 全部忘れてやり直しちゃいましょう?」
「い、いや、だ……消えたくない……」
「消えるだなんておかしな話ね? あなたはここにいるじゃない」
「違う! 僕は人間だ! ……人間だったんだ!」
「ふふ、意地っ張りさんね。気に入ったわ」

 魔女はそう言って僕を掴んだまま棚を漁り、そして何かを取り出した。それの正体を理解した僕は、もはや本能の域で逃げ出そうとしたのだけど、魔女の正しく魔の手からは逃れられなかった。
 彼女が手にしているのは黒を基調にした球体。多少古ぼけてはいるものの、その豪華な装飾を見てそれが何か分からないはずもない。
 ゴージャスボール。何故それをこんな魔女が持っているのかは分からなかったけど、その意図はもちろん分かった。僕を捕まえる気なんだ。
 冗談じゃない! 人間の僕がボールに入れて使役されるなんて、ましてやゴージャスボールなんて。「ポケモンと仲良くなりやすくなる」だなんて、今の僕にとっては洗脳と変わらないじゃないか!

 じたばたと暴れる僕を少しも気にしないで、むしろ見せつけるように、魔女はゆっくりとそれを僕に近づけてきた。はたして抵抗も虚しくそのボタンが僕の頭に押し付けられる。
 直後、眩しい光と一緒に、強く吸い込まれるような、引っ張られるような感覚があって、僕はきゅっと目を瞑る。光が収まったと思って目を開けてみると、視界は一面真っ暗だった。そして、一刻も早くここを離れなければという焦燥感と、ここに居たいという根拠のない安堵感があって、僕は半ばパニック状態になった。何となくこれがボールの中なのだろうということは分かったし、このまま大人しくしていると拙いことになるというのは直感で分かったのだけど、妙な居心地の良さが僕の判断を妨げる。
 それに何より、さっきまでの動揺が未だに尾を引いていて、僕は正常な判断が出来なくなっていた。


「……よし、と。大人しくしてくれて助かるわぁ」

 どこからともなく魔女の声が聞こえてくる。それと同時に視界がいくらか晴れ、外の様子がそれとなく分かるようになった。魔女が満面の笑みでこちらを覗き込んでいるのが見える。
 ああ。捕まってしまった。今になって後悔が込み上げて来る。僕はいつもこうだ。昔っから、判断が甘くて、行動が遅くて――ああ。ふと、とても腹立たしい事実に気が付いた。気付いてしまった。

 魔女は、人間らしさを揺さぶることで僕を玩ぶ。揺さぶられることで僕はポケモンになってしまった事実を突き付けられる。逆に言えば、人間らしさを思い出す。
 今の僕はもはや、魔女に人間性を崩されることでしか、人間性を保てないのだ。僕が人間であることを知っているのは魔女だけだし、魔女が僕を『元人間』たらしめているのだ。
 ……この魔の手から逃れたら最後、僕を人間だと証明してくれる人は本当にいなくなってしまうのだ。


 ああ、くそ。本当に腹立たしい。僕が僕であるためには、僕を僕でなくしたこの魔女に大人しく従わなければいけないなんて。これが「死んだ方がマシ」というなら頷ける。確かに、これなら死んだほうがよっぽど幸せだ。

 そんなことを考えていると、また強い光と共に引き寄せられるような感覚がやってきて、もはや抵抗する気力もなくなすがままにされていると、いつの間にか僕はまた木の床に座り込んでいた。見渡すと木造のボロい室内。どうやら僕は外に出されたらしい。

「はぁい、気分はどう?」
「……最悪だよ、くそっ」
「まあまあ。魔法の実験台になってくれて私は大助かりなのよ? 誰かに掛けるなんて初めてだったんだからぁ」
「あっそ」
「んもぅ、連れないわねぇ……あんまりツンツンしてると戻してあげないわよぉ?」
「……ぇ」

 それを聞いて正直僕は驚いた。こんなに無茶苦茶したくせに、戻す気があったのか。
 僕が呆気にとられていると、魔女はまさに魔女らしくにやりと笑って、こう付け足した。

「ま、あと百年くらいしたらね」
「なっ――」
「すぐに戻れると思った? 期待しちゃった? あっはは! ごめんなさいね! 私、あなたみたいな可愛い“オモチャ”は長く楽しみたいの!」

 その笑い方はまさに悪魔的。高笑う声と表情は、確かに僕を絶望と失意に突き落とした。
 ……これが、僕と“魔女”の最悪の出会い。この日から僕は魔女の小間使いとしてこいつとの生活を余儀なくされてるって訳。
 人間の尊厳なんてあったもんじゃない。「だってポケモンじゃない」なんて言って笑顔でペット用食器に盛ったポケモンフーズを目の前に出される惨めな気持ち、分かる? リードなんか付けなくても僕が逃げようもないのを知った上で首輪を付けられる屈辱の気持ちが分かる? トイレを室内ペット用のシートでさせられる羞恥の気持ちが、他の誰に分かる?
 彼女は人の心を持ってない。僕のヒトとしての尊厳をぐっちゃぐちゃに踏み潰して楽しむ悪魔なんだ、こいつは。
 僕は、とんでもないものに出会ってしまったのだ。


☆☆


 ある日の朝。
 僕が未だに慣れない様子でポケモンフーズを食べていると、僕を悪趣味にもニヤニヤと笑いながら見ていた魔女が、ふと思い付いたように言った。

「久しぶりに街に行こうかしら」
「え……あんた、街に行ったことあんの?」
「あるわよ? 50年くらい前に」

 耳を疑って思わず聞いてみたら、魔女はさも当然かのようにそう言った。
 50年って。こいつはいちいちスケールが違う。何年生きてるんだ。

「……で、何しに行くの」
「そうねぇ……まぁまず、私の可愛いペットちゃんを見せびらかしに行くのが一つでしょお?」
「行きたくないよクソが」
「だーめ。ボールに閉じ込めてでも持っていくわ。それから、人間がどれだけ発展したかも見たいわね。あ、いい服があれば買いたいわぁ。案内してもらえる?」
「……僕も街には詳しくないんだけど。あと、服を買うって言うけど、お金はどうすんのさ」
「ま、ふらふら見て回るだけでもいいんだけどねぇ。お金は……あら、もしかしてこの硬貨ってもう使えない?」

 魔女が懐から取り出したのは、僕が見たこともないほど古い貨幣だった。いや、ホントは見たことあるんだけど、それって学校の歴史の授業で見たってぐらいだから……むしろ高い価値が付くかもしれない。ラテラルタウンとかならいい値段で買い取ってもらえるんじゃないかな……。
 そういったことを素っ気なく伝えると、魔女は満足気に頷いて、ウキウキと棚を開け始めた。

「いい機会だし、色々売っちゃいましょう。うふふ、古いものって勝手に価値が上がるから素敵よね」

 こっちは人前に連れ出されることが決まって憂鬱なのに、古い魔女は何だか楽しそうだ。そのまま化石にでもなってしまえばいいのに。
 とか思ってたら魔女が急に首だけ僕に向けた。人間の可動域から外れてて怖い。顔が笑顔だからなおさら怖い。というか気持ち悪い。

「失礼なこと考えてるわね?」
「別に?」
「あらそう。気が向いたからあなたの家族にもあなたを晒しに行きましょうね」
「……悪魔め」
「魔女よ」

 魔女の支度は続く。
 僕は次にどんな被害者が出るのかと、酷く憂鬱になって溜息をついた。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想