ポインセチアⅠ

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読了時間目安:17分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

京都市 伏弥区

夕陽が家々の屋根を照らし、サラリーマンや学生が帰宅の途についている。
どの道も車とポケモンで溢れ返り、人力車やタクシーが客を求めて駅のロータリーに並んで止まっていた。少し離れた所には、バスが行き先をアナウンスしながらお客を乗せている。

駅前のとある居酒屋の前に、大量の瓶ビールを乗せたオート三輪がゆっくりと停車した。運転席から緑の帽子を被ったワンリキーが降り、居酒屋のドアをガラガラと開ける。

「こんちは~、紀伊國屋きのくにやです~!」


その声の後に、中から店員のリザードンが出てきた。


「ああ、どうも紀伊國屋さん!すんまへんな無理言うて!」

「いやいや、ええですよ。それよりも急ぎなんでしょ?早速補充しますさかい」

「いやぁ、助かりますわぁ!あ、納品書は後でサインしますわ!」


リザードンは急いで奥に戻り、ワンリキーはトラックの荷台を開ける。
入り口付近がバタバタしてる一方で、奥の座敷は比較的静かだ。その一室に向かい合ってグラスを傾けているバシャーモとゴウカザルがいた。


「んで、最近はどうなんや桔梗?」


バシャーモは、御猪口の日本酒を一気に飲み干しながらゴウカザルに尋ねる。


「んなもん静かに過ごしてるに決まってるだろ。謹慎中なんだからよ」


桔梗と呼ばれた女声のゴウカザルは 、コーラの入ったグラスを片手に、分かってるだろと言わんばかりに答えた。
二匹は『神火会』の最高顧問、バシャーモの波多野と、ゴウカザルの桔梗。桔梗は、凛達との共闘の中で凛や玲音を負傷させてしまい、謹慎処分を受けていた。それから1ヶ月が経ち、波多野が桔梗を元気付けようと飲みに誘ったのだ。


「お前のことやから、町中のヤンキーしばいて、カツアゲしてると思っとったがなぁ」

「…オヤジは私を何だと思ってんだよ…」


桔梗は呆れてため息をつく。


「まあ、これを機に普段は使わない頭を鍛えるのもええんやないか?」

「おい、それは私が普段使ってねぇってことかよ」

「違ぅたか?」

「使ってるっつーの!」

「その割りには、手ぇばかり出しとるやないか、この一件然りなぁ、おぅ?」


意地悪い笑顔で波多野は言う。端から見れば、まるで子供をからかう父親のようだ。
桔梗は舌打ちしてそっぽを向き、コーラを一気に飲み干す。そこにタイミングよく料理が運ばれ、テーブルに並ぶ。店員が去ると、それはそうと…と言って彼女は話題を変える。


「それより会長はどうしていらっしゃるんだ?」


運ばれてきた食事を食べながら、桔梗は尋ねる。


「最近は『京都仁義会』の関係者と話すことが多いのぅ。
九州のヤクザどもにシマ滅茶苦茶にされて、あないな抗争に巻き込まれるくらいならぁ言ぅて、組を離れて『神火会』の傘下に入りたいっちゅう奴もおる。まあ殆ど断っとるようやがな」


日本中を巻き込んだ抗争事件から数ヶ月。桔梗本人からは見えないところで、影響はまだまだ残っているようだ。思い出したように波多野は続ける。


「それと最近は、比英山によく行っとるな。時期が時期ってのもある」


これに桔梗は、一つ疑問をぶつける。


「オヤジ、そういえば会長は比英山に何しに行ってるんだ?」


波多野はポカンとして答える。


「なんや、お前知らんかったんか?」

「ああ。前に、六角に聞いたら、白い花を持って行ってる……くらいしか教えてくれなかったぜ?急ぎのことでもないからって後回しにしていたら、今の今まで聞けてなった」


ほぉ~、と波多野は日本酒を御猪口に注ぎながら言う。


「まあ、確かに重い話と言えば、重い話やからな。お前を気遣って話したく無かったんやろ。ええ機会や、お前も何か手伝いをお願いされるかもしれへんから、この際知っときや」


桔梗は無意識に姿勢を正して、話を聞き始めた。




















時は2020年代……当時、まだ人類が繁栄を謳歌し、第三次世界大戦からの復興もそれなりに落ち着いていた頃である。その頃既にポケモンが誕生していたが、9割以上はまともな知識はなく、人間の言葉すら話すこともできない。
人間はポケモンを、専ら愛玩動物や労働力として見ており、自分達が滅亡することも、後にポケモン達が地球の支配者になるとは、夢にも思っていなかった。
加佐見が生まれたのはその頃だが、両親の顔を見た覚えはなく、物心ついた時には、央京区おうきょうく興極きょうごくで、商店街のゴミの残飯を漁ってなんとか生き延びていた。野生ポケモンが路地裏に平気でいた時代であり、加佐見と同様の境遇のポケモンが相当数いた。
しかし、彼を歓迎するポケモンはいなかった。というのも……


「コイツ、ロコンのくせに緑の目しとるで!」

「化け物や、妖怪や!」

「近づくなや!」


ロコンの瞳は本来赤色だが、加佐見は緑色。しかも相手の気持ちが読めてしまう。
当時の彼の視界には、紐のようにウネウネしたものがポケモンの前に現れ、それが感情によっていろんな色に変化していた。
その色で、相手の気持ちを勝手に読めてしまうのだが、当然これが不気味に思われた。ポケモン達は、加佐見を見る度に石を投げたり、技で威嚇する。


「やめろやっ……やめてくれや!」

「何が、やめてくれだ、気色悪ぃんだよ!!」


そう言ってコラッタやポッポの集団から『体当たり』や『つつき』を受ける。しかも、人間の目の届かないところでするため、誰かが割って入ることも無い。
というのも、ポケモンが強力な力を持っていることが既に周知されていたので、危険な個体は通報されて保健所で殺されることになっていた。
街で暮らす野良のポケモン達もそれは理解しており、目立つことは避けていた。


「(きいろ……きいろ……きいろ…ボクをいじめて………どうしてたのしいの……?)」


そのいじめの最中でも、相手の感情は読める。決まって快楽を示す黄色のウネウネが出ていた。何度もやり返そうとしたが、相手は常に多勢であり、こちらに勝ち目は無かった。










そんな悲惨な境遇だが、全く味方がいなかった訳でもない。


「(あ、今日来てはるな……)」


当時、京都御所の南側に日曜日だけ、リヤカーが店を出していた。木の板に黒い字で「靴みがき」と書かれている。加佐見は、定期的にそれを確認するのが楽しみだった。そして、そのリヤカーを確認すると、嬉しそうに踵を返して走り出す。
興極から少し東にある、賀茂川の川っぷちに、一軒のバラックがある。まるで終戦直後からタイムスリップしてきたかのように、トタンで覆われている。その入り口に、如何にも簡易的な銀色の扉が付いている。その扉の下の方を3回叩くと、扉がゆっくりと開く。


「おう、コンちゃん。さあさ、おあがり」


ぼろぼろのツナギに、長いあごひげの老人が中から出迎えてくれた。正確な年齢は知らないが、恐らく70は越えていると思われた。

コーン!ありがとう


加佐見は嬉しそうに答えて中に入る。バラックの中は狭くごちゃごちゃしている。外の音は入ってくるし、たまに隙間風もある。しかし、それでも今の彼にとって唯一かつ一番落ち着ける場所であり、一番楽しい場所であった。










「よーし、こんなもんでええやろ」


申し訳程度についた小さな豆電気が、天井から部屋を照らしている。老人は、加佐見が怪我をする度に、手当をしてくれていた。背中の傷には絆創膏を貼られている。
この老人との出会いも、加佐見の怪我が理由だった。ある時、いじめでかなり酷い怪我を負わされ、河川敷で行き倒れていたところを保護されたのが最初だった。
それ以来、老人には大変気に入られ、怪我したときはここで治療を受けていた。


「今日はあんまり大きな怪我が無くて良かった、やっぱりコンちゃんの元気な姿が一番やからな」

コーン!ありがとう!


老人が頭を撫でると、加佐見が笑顔で答える。


「せや、今日の晩飯は味噌のインスタントラーメン買ってきたんや。今から作るさかい、待っとってや」


そう言って老人は奥の小さな炊事場に向かい、やかんに水を入れ始めた。
老人に加佐見の言葉は分からないが、加佐見は老人の言っていることが理解出来る。
これは加佐見に限った話ではないが、ポケモンと人間は不思議な対話形式をしていて、今でもハッキリした理由は解明されていない。
加佐見の場合は加えて心が見える。老人の感情は、何時も歓迎を示す色だった。


「さーて、ちょっとお湯が沸き上がるまで待っときや」

「コン!」


老人はホームレスで、日雇いの仕事をしている。そのため普段は、バラックにいることは無い。一度行ったときにはもぬけの殻で誰もいなかった。その仕事が無い毎週日曜日はリヤカーで店を開き、靴磨きをしている。そして夕方にはバラックに戻ってくるのだ。そして、けがの治療とご飯、雨風をしのげて安心できる空間でゆっくりと休ませてもらっていた。
しかし今にして思えば、電気も水道もどこから引っ張っているのかは分からない。問題なく使えたところからすると、それなりに高い技術を持っていたのかもしれない。
また老人は、加佐見にこんなこともしていた。


「げ、つ、よ、う、び」


カレンダーの「月」の時を指差して加佐見に言う。すると


「げ、つ……ぃよ、おー……び?」


たどたどしくも、加佐見は言葉を繰り返そうとする。老人は、ロコンの加佐見に人間の言葉を教えようとしていたのだ。


「よ、う、び、やで」

「よ……う…び?」

「げ、つ、よ、う、び」

「げ…つ、よ、う…び?」

「そうや!ようできたな~!えらいぞ~!」


何度も繰り返す中で、無事言えるようになると、老人は満面の笑みで加佐見の頭をくしゃくしゃと撫でる。


「げつようび~!」


嬉しそうに加佐見は言葉を繰り返して、もっと撫でて欲しいとばかりに老人の膝元に転がってくる。老人もそれに応えるように抱き抱えて、ぎゅっ抱き締める。まるで孫を可愛がる祖父のようだ。
加佐見はさらに、老人のバラックでこんなこともやっていた。


「これコンちゃんが描いたのかい!?」

「コーン!」

「おー、よく出来とるやないか!」


絵だった。上手いとは言えないが、ポケモンが絵を描くこと自体があり得ないとされた時代、老人は驚きを感せなかった。最初に描いたのは老人の顔。持ちにくい鉛筆を口でしっかりと咥え、一生懸命に描いた。それから気まぐれで鉛筆と古紙を貸したのを機会に、加佐見は少しずつ絵を上達させていった。
最初は救急箱、ラーメン、ラジオなど、老人の家で見るものが主だったが、やがて信号機、鳥居、路面電車など、街で見かけた物も描くようになっていった。被写体の特徴を的確に捉え、人が描いたと言っても分からないくらいだ。


「言葉も話せて、絵も描けて、コンちゃんはすごいのぅ!」


老人は、度々こう言って加佐見を可愛がる。


コンコンおじいさん、ありが、とーう!」

「はっはっは、言葉を早速使いこなせとるなぁ!」

自由に絵が描けて、美味しい物を食べられて、安全に過ごせるだけではない。
こうして自分を待ってくれている存在がいる。加佐見はそれが嬉しかった。
…だが、それも長くは続かなかった。










とある日曜日の夕方

京都市内を猛スピードで消防車と救急車のペアが駆け抜けていく。


『はい交差点に進入します!!道を空けて下さい!ご協力お願いします!』

『救急車が通ります。道を空けて下さい』


サイレンと放送を鳴らしながら、交差点を右折。周囲の人や車は道を空け、その二台を先に行かせる。京都御所の南でリヤカーの出店を確認し、老人の家に向かう途中だった加佐見も、その様子を路地裏から見ていた。


「(あの赤い車の人も大変だなぁ…)」


今までもサイレンを鳴らしながら走っていく姿を遠巻きに見ていたので、消防車や救急車がどういう役割をしているのかは何となく知っていた。とはいえ、さほど気にすることなく、加佐見は老人の家に向けて歩き出す。
しかし、家の近くまで来て違和感を覚えた。


「(なんか……人通りが多いし、焦げ臭い……?)」


これまで何度も通ってきただけに、いつもと様子が違うことに気づく。まして、焦げ臭いだなんて今までなかった筈だ。


「(……そういえば、さっき赤い車が大きな音を立てて走ってたっけ……)」


脳裏の消防車の姿を思い出す。思えば、それと同じ方向に加佐見は向かっていた。さらに、たまたま近くを通った人の話し声を聞いた。


「すぐ音が止まったから近所やであれは」

「川の傍やないやろうか?」


この言葉で、加佐見は不安になる。時期は冬で外は乾燥しており、火が燃えやすくなっている。万が一にも、老人の家に火が移ったりしたら……


「(急ごう……考えても仕方がない……っ)」


バラックの傍に架かる橋の目の前に着くと、人だかりが出来ている。その奥からは黒煙が上がっていた。


「っ!!?」


その方向は老人のバラックがある方向だ。直ぐ横の道路に、さっき走って行ったであろう消防車と救急車、さらにパトカーまで止まっている。


どっくん……どっくん……


心臓の音が加佐見の脳内に木霊し、周りの音をかき消す。


「(そんな………違うよね…っ!?)」


加佐見は橋の欄干の飛び乗り、そこから、土手に飛び降りる。
心音と共に、スローモーションで視界が移り行く中でハッキリと見えた。


「っ!!!」


黒煙を上げていたのは、紛れもなく老人のバラック。火は完全に消し止められておらず、赤い炎が燃えている。


「(おじい……っ)」


老人の安否を確認しようと視界を左に向けた瞬間に、それはあった。



担架に乗せられ、ブルーシートを被せられた何か。その中から、見覚えのあるシワシワの手……


「!!!!?」


加佐見は、急いで担架に駆け寄る。


「コラ!悪戯するな!」


傍にいた年寄りの警察官が加佐見に怒鳴るが、お構い無しに、思わずブルーシートを捲ってしまう。


「っ………………!?」


その姿に彼は言葉を失った。高齢者独特の土気色だった顔は、煤を被ったような黒い顔。瞳は閉じられているが、酸素を求めて開いたであろう口が、苦しそうに悶え死んだことがありありと示している。


コンそんな……」


加佐見が言葉を漏らそうとしたとき、先程の警察官がぐいっと首根っこを掴む。


「仏さんに悪戯をするなと言っとるやないか!!」


さらに大声で怒鳴り付けた。当の加佐見は、死のショックと怒鳴られたことで放心状態。そこに、野次馬の中にいた一人が気の毒に思ったのか声をかける。


「そのロコン、そのホームレスがずっと可愛がってた奴ですわ」

「なに?」

「毎週日曜になると、必ず来てはった。えらい彼になついてましたで」

「……ああ…そうやったんか」


事情を察した警察官は加佐見をゆっくりと地面に下ろして、手を合わせて謝罪。


「すまんな、そういうのがあるとは知らなんだ。そうか、お前さんの飼い主やったんか……」


加佐見は再び老人に近寄る。
彼の脳裏に、出会ってからの様々な思い出が甦る。毎日のようにいじめられ、迫害される中で、初めて自分を迎えてくれた……認めてくれた存在だった。


「うっ……ううっ…………!
……コーーーーンおじいさーーーん!!!!」


彼の悲しみの叫びが河原に木霊する。その悲しみと老人の魂を天に運ぶかのように、黒煙はまだ空に昇り続けていた。

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