第79話 嵐の海を睨み付ける

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 嵐は突然やって来る。





 
 この寒い季節だ、ラケナの言う通り海岸にポケモンの姿は無かった。 ポケモンの騒ぎ声がない分、波の音が強く耳に打ち付けてくる。

 「......さて、ここらでいいかのう」

 3匹以外誰の目もないことを確認し、ラケナは早速話し出した。 前置きなど、最早不要だった。

 「......昔、ワシが探検隊をやってたってことは知ってるじゃろ? キラリちゃんもユズちゃんも」
 「うん」
 「家族でやってた、っていうのも知ってるじゃろ?」
 「だよね。 仲よさそうに色々話してて。 確か......2匹の......そうだ、チルタリスだよね?」

 曖昧だとユズにも告げていたあの日の記憶。 ラケナと直接話す機会を設けられたお陰だろうか、それは少しばかり鮮明になってきていた。 あの日、ラケナの背中に乗ってのしのし進んでいったと思ったら、その先には2匹のチルタリスがいた。 どちらもある程度歳を取っているように見えたが、一方はそんなことも感じさせないくらいくるくる飛び回って喜んでいた。 そしてもう一方は幼いキラリの頭をよしよしと撫でてくれた。 しわがれた声だったけれど、こちらも羽毛のふわふわさは老いを感じさせない程心地よかったのだ。

 「そうじゃよ。 1匹がワシの妻で、1匹が娘じゃった。 キラリちゃんなら分かると思うが、水色の若干薄い方が妻じゃよ。 娘は小さい頃からわんぱくで、大人になってからもワシらの探検隊業を手伝ってくれて......そんでもってそのまま定着してしまったんじゃ。 婿のもらい手が本当にいなくなるぞと心配したもんじゃった」

 ラケナは朗らかに笑う。 家族のそんな微笑ましいやりとりの記憶が、その顔からそのまま伝わってくるようだった。 そして彼はキラリへと向き直る。

 「だからワシには孫はおらんのじゃよ。 あの時出会ったキラリちゃんは、それはもうかわいくての。 孫がいたらこんな風にあやすものなのかって思ったもんじゃった。
 ──あんな形にはなっちったけど、前再会した時はやっぱ嬉しかったんじゃよ。 大きくなったのうって」
 「......おじいちゃん」
 
 何も知らないポケモンから見れば、本当に祖父と孫という関係と思われても仕方ない。 それぐらい、ラケナの目つきは暖かかった。 あの日見た彼が、そのまま時を越えてきてくれたかのようだ。
 ──なんだ、変わっていないところもあるじゃないか。 そうキラリが希望を覚えたところだった。

 「あの、少し良いですか」

 ユズが、緊迫した声で続ける。 ......キラリには悪いが、今は綺麗な思い出にだけ浸ることは出来ない。

 「ラケナさん。 今、あの2匹は?」

 その声はどこか震えていた。 まるで、何かを察しているかのように。

 「ユズちゃん。 いや、ノバラちゃんと呼ぶべきか? ケイジュから色々話を聞くに、お主は割と勘の良い方だと思っているんじゃが......その顔を見るに、分かっておるな。
 ああその通り。 あの2匹はもうおらぬよ。 ......川を、渡っていってしまった」
 「えっ!? そんな」

 キラリの感情はジェットコースターのように突き落とされる。 涙で顔をぐしょぐしょにした小さい頃の自分を撫でてくれたあの2匹は、もういないのだ。 その悲しい事実に、彼女は愕然とした。
 でも、今ここにラケナは立っているじゃないか。 もしや、と2匹は深刻そうな顔で互いの目を見合わせる。 まさか、彼女らに最悪の事態が......。

 「あわわ、そんな神妙な顔しなくてもいいんじゃよ! 安心しとくれ。 娘の方はまあ病気を患ったりもしたが、どちらも結構な歳じゃったから。 穏やかに旅立った。 別に何か事故があったわけじゃない」
 「......え? でも、それじゃあ」
 「ここで少し話を変えるぞ。 ジジーロンという種族の宿命......ってところじゃ。 ドラゴンタイプは全体的に他のタイプと比べて長く生きられる。 それはまあ想像すれば分かるじゃろ? 現に伝説として謳われるポケモンもドラゴンが多い。 ゼクロムレシラムキュレム、ディアルガパルキアギラティナ......その他にもよりどりみどりじゃ。 戦いの強さと長生きを兼ね備えた、つよつよバーゲンセールみたいなもんなんじゃよ」

 ユズの記憶から、ある日の学校の授業風景が蘇る。 ポケモンはタイプごとに生態も違えば生きられる長さも違う。 虫タイプは進化も早いかわりに短寿命な種族が多いし、一方でドラゴンなどは大器晩成型ではあるものの寿命も長いのだ。
 ──でも。 そう先生の言葉は続いた。

 「でも、種族間にも違いはあるじゃろ? 全部同じなんて事はあり得ない」

 その通り、あり得ない。 例えばトレーナーとして複数同じタイプのポケモンを所持していたとしても、彼らが一気にいなくなることなんてない。 必ず、見送る側と見送られる側が存在する。 寿命を自分に合わせることなんてできっこないから、残された者は粛々と生き続けていくしかない。
 それは、ポケモン世界においても変わらない。
 
 ......見送る相手が、長い時間迎えを孤独に待つことになっても。

 「ジジーロンの時間の流れは、老いるまでは他のドラゴンタイプのポケモンとなんら変わらない。 問題は、そこから死ぬまでの時間が長すぎることなんじゃ」 
 「えっ!?」

 ここで、ユズとキラリのさっきの疑問は晴れることになる。 ジジーロンという種族は、他のポケモンと比べて生きる時間にずれがあるのだ。 キュウコンなど長寿なポケモンもいるけれど、彼の場合似ているようで少し異なる。 老いたまま、死が隣にあるような状況で、生きていかねばならないのだ。
 ......にわかに信じられず、キラリはぶんぶんと首を振る。

 「......嘘でしょ、おじいちゃん、そんなこと......」
 「あるんじゃよ。 大体キラリちゃんと会って10年近くは経つんじゃないかと思うんじゃが......思い出してみろ。 ワシは10年前もこんななりだったぞ?」
 「──あ」

 はっとせざるを得なかった。 確かに違わない。 声の調子も、見た目も、動き方も。 10年近くという長い時間が経つのに、そういうところはなんら変わっていない。
 再会した時、ラケナに対して「変わってしまった」と感じたことは......内面の方ばかりだ。

 「......もしかして、おじいちゃんがケイジュさんについてったのって......それが、辛いから?」
 
 ラケナは、キラリに向けてかつてこう言った。 現実はこういうものだと。 それも、どこか諦観も籠もった声で。 「現実」、それは今語られた悲しい事実のことを指すのではないか。 そう彼女は確信する。
 しかし。

 「うーん......半分当たり、半分外れじゃの」
 「え?」

 割と確信度は高かったのに。 呆然とする2匹を前にして、ラケナは冷静に話の舵を切った。

 「......そうだ、少しこの話もしないとのう。 これは、ユズちゃんにも結構絡むと思うぞ」

 そう、話はまだ終わっていない。 寧ろここからが本題と言ってもいい。
 1匹だけ残された。 1匹だけ棺に拒まれた。 いつ終わるか分からない生を、1匹で歩まなければならなくなった。 そんな中で、彼は何故今ここに立っているのか。 どうして、お尋ね者になんてなってしまったのか。
 
 「ワシとケイジュの馴れ初めってやつかのう」

 ──あの嵐は、あまりにも突然にやってきた。












 ──黒と白が、視界を埋め尽くした日。 あれから、ラケナの思考の日々は始まった。
 何故自分が生きているのかをずっと考えていた。 何故妻を、その後に娘を看取らねばならなかったのか。 何故すぐに後を追えないのか。 何故自分がそのための行動を試みることが絶対悪と見做されるのか。 何故、何故何故?
 他のジジーロンならば、光溢れるポケモンならば、綺麗な答えがきっとスラスラ出てくるはずだった。 「長く生きることは素晴らしい」、「何か成し遂げるべき責務がある」。 でも、長い年月を生き、澱みを浄化してくれる存在を失った心には......加えて、元々ひねくれ者である自分の心には、そんな綺麗な言葉はあまりにも無力だった。 だから、そんな彼に出来ることといえば、元は家族と一緒に暮らしていた広い屋敷の中で暇を潰し続けるぐらいだった。
 虚無の世界で生きることを強いる、このどうしようもない世界の理不尽さ。 それを完璧に自覚してからは、もう絶望すらも感じなかった。 寧ろ心に宿ったのは諦観だ。 何も持たない老害は、死ぬことも出来ないまま静かに細々と生きていくしかないのだと。 大それた野望を抱いても意味なんか無いと。 そう彼は思っていた。


 あの日が来るまでは。











 葬式の日から1年ぐらい経った後。 ラケナが屋敷にこもって無味乾燥な日々を送っていた中での出来事だった。

 「雨か」

 ぼそりと呟く。 いつもより部屋が暗い気がして窓をちゃんと見てみれば、そこには大きな雨粒が打ちつけていた。 遠くには微かに海が見えるのだけれど、何度も白波が立っているのが見て取れた。 まだ昼なのに空も黒い。 雨を通り越してこれは嵐だ。

 「......ん?」

 ぼんやり海から眼下の地面に目を移した時、視界の端っこの方に丁度屋敷へと走り込んでくる何かの影が映った。 何だろうと思ったが、玄関辺りの屋根に隠れてしまってそれ以上姿を見ることは叶わない。 ......雨宿りだろうか?
 こんな嵐に巻き込まれるとは不運な。 このまま放っておく気にもなれず、ラケナは玄関までのそのそと向かった。 「誰かのう」とぼやきながら戸を開ける。
 すると、その影の正体は、割とすぐ目の前にあった。

 「......あ」

 ラケナの方に振り向くのは、ここら辺ではあまり見かけない背の高いポケモン。 色的に恐らく水タイプだろうか? でも、その類のポケモンが濡れるのを拒んで雨宿りするというのは......彼の目には、中々にシュールに映る。
 そのポケモンは目を見開いたまま動かない。 ラケナは反応に少し困ったが、ひゅうと吹く風は予想以上に冷たく、このままでは自分が風で凍え死にそうだと思った。 思い切って声をかけてみる。

 「......何やっとるんじゃい」
 「......失礼。 雨宿りです。 雨が強くなってきたので」
 「なるほど?」

 よかった。 どこまでも無口な奴ではなさそうだ。 安心したところで、ラケナは1つの提案を持ちかける。

 「ノックぐらいしてくれれば良かったのに。 ほれ、中入れ。 寒いじゃろ」
 「......えっ、でも流石に人様の家には。 雨が止んだら出て行きますよ」
 「ヒトサマ? 何を訳のわからんことを。 紅茶でも入れてやる。 ワシは料理はできんが、それくらいならもてなせるじゃろ」
 「......よいのですか」
 「構わんよ。 老ポケの言葉には従っとくもんじゃよ」
 「そう、ですか......ありがたいものだ」

 戸惑っていた彼はやっとのことで表情を変え、にこりと笑う。 お堅い奴めと思ったのと同時に、ラケナにはどこかその笑顔に引っかかるものがあった。
 まるで、笑顔の仮面を顔に貼り付けているようだった。

 「では、お言葉に甘えて」










 
 「良い香りだ。 ありがたく頂きます」

 そう言って紅茶を飲む来訪者。 彼が紅茶を味わっている間に、彼はラケナに自分のことについて教えてくれた。 彼の名前がケイジュということ。 種族はインテレオンというここら辺では珍しい種族であること。 元々旅をしている身であったが、今はとある村に居候していること。 今日は少し村から離れてダンジョンに行くのもありかと思っていたところに、嵐に見舞われたのだということ。
 あらかた話し終わった後、彼はラケナに嬉しそうな目線を送る。 さっきのお堅い石像のような姿が嘘のような饒舌ぶりだ。

 「いや助かりましたよ。 なんせこんな雨だから、木の下に隠れても全く防げなくて。 そこにこんな大きなお屋敷があったものですから......」

 ......また、さっきの仮面だ。 自分の一時の気の迷いかとも疑ったが、どうやらそうでもないらしい。
 何がこの仮面の裏に隠されているのだろうか。 ラケナは少し揺さぶりをかけてみることにした。

 「でもお主、水タイプじゃろ? 雨なんて寧ろ恵みじゃないのか。 ワシの昔の水タイプの友達は、雨だからこそって言って外に飛び出してたもんじゃよ」
 「......へぇ。 随分、個性的な友達をお持ちで」

 少し、ケイジュの声色が震えた。 何か自分は常識破りな行為をしたのだろうか。 そんな怯えが見て取れる。 それに、彼は少しだけ首を傾げた。 「そんなこと知るわけないのに」と、言葉には出さずともその動作を通して彼はラケナに愚痴をこぼしていた。
 まるで、破れそうな隠れ蓑を頑張って取り繕おうとしているような。

 ラケナは少しばかり悶々と考えていた。 なにせ一応探険隊なのだ。 知的好奇心に逆らうことは出来なかった。 もしかしたらという仮説を導き出した時には、ケイジュの目は少し泳いでいた。

 「......中々、面白い若者もおるもんじゃのう」
 「......? 面白い。とは?」

 仮面の笑顔を貼り付け、彼は首を傾げる。 ......仮面というのが分かってしまう時点で、まだまだだなという気持ちになる。 見た目は大人だが、心はまだ自立しきっていない子供のよう。 勢い任せに家出して、暗闇の中で迷ってでもいるのか。 ......安定していない、と言った方が妥当だろうか。
 揺さぶり第2弾。 勘ではあるが......今度は、一気に深いところまで踏み込んでみようか。
 ヒトサマ。 ヒトという言葉。 ──御伽噺に出てくる、あの生き物の別名。

 「姿が1つじゃない。 ポケモンであってポケモンでない──そんな生き物、だったりしての。 例えば......。 元人間、とか」
 「っ!?」

 ──図星。 そう理解するには、彼の反応はあまりにも素直で率直だった。
 がたりと立ち上がる音がした。 驚きで彩られたその顔には、既にあの仮面はどこにもなかった。 これは紛れもなく、素の彼の驚きだ。
 反射的だったのか、その後すぐ彼の表情に後悔が滲んだ。 手遅れだと悟ったのだろうか。 声も、これまた素直に震えてくれる。

 「どうして、そんなことを」
 「分かりやすいんじゃよ。 これでもワシ、元探険隊なんじゃ。 隙さえあればこっちのもん。 というか、今まで隠せてたのが不思議なくらいじゃ。 自分の感情のコントロールが出来とらん。 やるならもうちょいうまくやらんと。 若造が、ワシを出し抜くには100年早いぞ」
 「......なるほど、盲点だな」

 ラケナの中にある豊富な知識の引き出し。 その中には、ある存在に関する御伽噺も含まれていた。 ニンゲンと呼ばれる、ポケモンとは似ても似つかぬ生き物。 炎も吐けなければ鋭い爪も持たない生き物。
 ......まさか、とは思った。 だが、ラケナの中にはそんなに大きな驚きはなかった。 自分のような死ぬに死ねないポケモンもいるのだ。 こんな不思議な出来事が起こったとしても、特におかしさは無いだろう。
 にしても、これが人間。 ラケナは興味ありげにケイジュを見つめる。 見てくれは普通のポケモンなのに、なんとも不思議なものだ。 若き日の熱い感情が呼び起こされていくような感覚を覚えた。
 その圧に一瞬ケイジュは押されかけるが、剥がれた仮面は案外すぐに彼の顔に戻ってきた。

 「──いけないな。 初めてとはいえ、ここまで動揺するなんて。 でもまさかこんなにも簡単に看破されるとは思っていなかった。 隠すのも難しいものですね。 すいませんが、このことは誰かに口外しないで貰えますか?」
 「別にそれは構わんが......なんで隠すんじゃ? 別にいいと思うけどの。 人間は今まで何度も世界を救ってきた英雄と聞くぞ? 直近のもの......まあそれでも大分前だけど、石化事件を解決したりの。 自慢の種にもなるかもじゃぞ~」
 「......あれが」
 「おや?」

 ケイジュは押し黙る。 ラケナにとっては冗談のつもりで言った言葉だったが、少し怒らせてしまったようだ。 でも、そこで怒るなんて想像していない。 一体何が彼の心に引っかかったのだろうか。

 「......気を悪くしたらすまんの。 もしかして、自慢が苦手とかかの?」
 「元々得意ではないですけど、あれを自慢として使って良いとは思えなかっただけです」
 「ほう? どうしてじゃ?」
 「......聞いて良いんですか?」
 「質問に質問で返すでない。 いいから答えてちょ」

 聞いて良いのか、という質問の意味を、ラケナはある程度汲み取っていた。 そんなことを聞くということは、その口からきっと並々ならぬ内容が飛び出してくるに違いない。 でも、そこは悲しきかな探険隊の性。 心が赴くままに、ラケナは聞く道を選んだ。
 ケイジュもその心情を少し察したのか、1つこくりと頷いた。 その手を握りしめて。

 「──そうですね。 言うことで気を新たにするのもいいかもしれない」

 その言葉は、覚悟の意思表示のようにも思われた。 何の覚悟かを知る由は無かったのだけれど。

 「......考えたことはありませんか? 綺麗な御伽噺では無視される現実を。 無神経な者達が作り出した偽りのレールを。 それに乗せられるしかない、人間のことを」
 「ほう? ワシはあまりそういう話は聞かんがのう」
 「......そこですよ、問題は」

 ケイジュの声のトーンが、変わった。 ラケナは一瞬痺れを覚える。 物理的な方じゃない。 心の痺れ。 鳥ポケモンでもないのに鳥肌が立ちそうな感覚。 自分が、今まで受けたことのないような感情が目の前にある。
 でも、それが何なのかという確証が掴めない。 ラケナは静聴を貫いた。

 「軽く昔話でもしましょうか。 昔、とある世界に災厄が現れました。 それは、その世界で暴れ回り、多くの命を奪いました。 ですが、それを止めた存在がいました。 異世界から現れ、災厄を無力化させた英雄がいました。 それが貴方が英雄と呼ぶ人間です。
 そして、災厄は人間の世界において封印されました。 長い年月それは小さい祠に閉じ込められていましたが、現代になって、それは破れました。 その災厄は、まだ小さな子供に宿りました。 子供は、その災厄を背負って生きていくことを余儀なくされました。 ......というものです」
 「......終わりかの?」
 「ええ。 だってこれは、現在起こっていることですから」

 そう平然と言ってのけるケイジュに対して、これにはラケナも目を丸くする。

 「本題はここからです。 おかしいとは思いませんか? 他の世界の問題のはずなのに、解決の鍵となるのは人間だ。 護られる者達は、人間に委ねるだけでいい。 随分と不公平じゃないですか。 封印の場所が人間世界なのもそう。 知恵を持つにも関わらず、全部こちらに押しつけている。 それでいて、繰り返すんです。 同じ事を何度も何度も。
 その被害者に、貴方は目を向けたことがありますか?」

 彼は半ばラケナを見下すように言う。 まるで、「自分は見てきた」と豪語するように。
  
 「......お主は、その憑かれた子供を知っておるのか?」
 「......勘がいいですね。 そうですよ。 その子はまだ私より遙かに幼い。 それでいて、そんなものを気丈に背負おうとしているのですよ。
 まだ『奴』はその姿を隠しています。 でも時間の問題だ。 それが目覚めるのは何年後か、はたまた何日後か」

 ラケナは思考にふける。 子供。 自分に孫やひ孫がいたならば、今どのくらいの年齢なのだろうか。 あの、森で出会った小さなチラーミィの女の子が脳裏を掠める。
 そのぐらいの歳の子が理不尽を喰わされているのだと、ケイジュは強く主張しているのだ。

 「貴方は、私が揺らいでいると言いましたね。 でも、それは違う。 私は1つの確固たる目的を持って、この世界にやってきたんです。
 このままでは、身勝手な存在によって人間が殺されてしまう。 真実を知った者は戦うべきだ。 どんな犠牲を払おうとも。 私にはその義務がある」

 ケイジュはラケナに問うた。 その顔はどこか、歪んでいた。
 
 「......ねぇ、貴方は自分を愚かだとは思いませんか? ──長い時を生きたポケモンよ」

 












 ......やはりそうか。 「身勝手な存在」が指すものが何なのか、ラケナの中に1つの確信が芽生える。
 最早わかりきった質問と分かっていても、聞かずにはいられなかった。

 「......1つ、聞いて良いかの」
 「なんですか」
 「お主は......あんたは、このポケモンの世界をどう思う?」

 この答えに全てがある。 ラケナは真剣な表情でその答えを待った。 ケイジュは暫く黙りこくっていたが、観念したように、その真摯さに応えるように──もう一度強くその手を握りしめる。

 「無論」

 彼は何も無いところから冷気で氷の槍を作り出す。 そしてそれを、静かにラケナの首にあてがった。
 ラケナが目を丸くすると、突如雷が鳴る。 笑顔の仮面の下に隠されていた感情が、眩しすぎる光によって照らされた。 その感情の正体は。


 「──大嫌いです」


 今にもこちらを殺してきそうな、純粋かつ鮮烈な憎悪だった。
 












 この時、やっとのことでラケナはその笑顔の仮面の真相を理解した。 彼はその細い背中に、とてつもない悪意を背負っている。 拙い仮面でなんとか隠していたのは、その歪んだ心だったのだ。 周到な準備の末に、世界を殺そうとしているのでは。 そう結論づけるには十分だった。
 ......まさか。 こんな奴がいようとは。

 「本当に、聞いて良かったですか? ......ただの雨宿りのつもりだったのに、こんなことになるとは思いませんでしたよ」

 ケイジュが笑う。 いや、嗤うと言った方が適切だ。 嫌味たっぷりに目を細めて、ラケナの方を見下ろす。

 「勘が良いポケモンもいるものだ。 何も掘り下げようとしなければ、お礼だけは言って出て行くつもりでいましたけど。 こんな狂った人間がいると早々に周りに漏らされたら、流石に迷惑が過ぎるんですよ。 掴めてないことも多すぎるのに。
 さあ、どうします? 抵抗として技でも放ちますか。 それとも泣きわめいて許しでも請いますか」

 無言の時間が流れた後に、ケイジュは生意気な老ポケモンに反応を煽る。 ......どっちにしたって、意味など無いだろう。 斬られるだけだろう。

 「なるほどのう......」
 
 息が荒くなる。 こんな風に死と隣り合わせになるような感覚はいつぶりだろうか。 自分が心の底で待ち望んでいた死が、側にある。 強い憎悪で世界を殺そうとする人間による、死が。

 怯えろ。
 嘆け。
 絶望しろ。

 そんな言葉が、突きつけられた氷の槍からあまりに素直に伝わってくる。 目の前に迫る死の気配。 歪んだ表情。 それがあまりにも。 ......あまりにも。







 「......はっはは」




 ......楽しいと、思った。












 自然と笑みがこぼれる。 予想もしない反応に、ケイジュの声が怒り混じりのものに変わった。

 「......何故笑う?」
 「そりゃあ、笑う理由なんて1つしかないじゃろ。 考えてもみろ。 こんな辺鄙なところで孤独で暮らす老害が、まともな思考回路を持っているとでも思ったのか?」
 「なっ......」

 ケイジュは言葉を詰まらせる。 それと同時に握っていた槍もぶるぶると震えるが......。少しその震えには、迷いも見られた。
 
 「どうした? その感じだと、一線を越えたことはなさそうじゃな」
 「......」
 「殺したいなら殺してみればいいじゃろ。 こんな老体じゃぞ? それにワシは辞世の句を遺す相手もいないんじゃ。 ──その代わりとして、あんたは最強の手助けを失うがな」
 「は?」
 「もう一度考えてみろ。 なんでワシが笑ってると思う?」
 
 先ほどまでの紳士的な姿を捨てた、怒りと殺意に塗れた直情的な顔。 それを笑いながら真っ直ぐ見る様は、見るポケモンによってはこう称されるだろう。 恐怖という感情が無いと。 壊れていると。 確かにそれもそうだろう。

 ......指名や責務。 老害になせることなど何も無いと腐っていたけれど、久々に彼の気持ちは高まっていた。
 理不尽な世界なんて壊してしまおうと願うだけじゃ事足りず、実行に移そうと出来る程の行動力。

 ......こんな若人を、ずっと待っていたのかもしれない。

 「もしワシが力を貸したいと言ったら、あんたはどうするんじゃ? 人間」

 こんなスリリングな楽しさを、ずっと、ずっと。

 








 


 一瞬、ケイジュの思考が止まった。 そんなことを言われるなんて想像していない。
 何故? どうして? 何か罠でもあるのか? ケイジュの中の警戒心が強まる。 だが、隙を見せまいと無理矢理笑顔を作った。

 「......これはこれは。 ポケモン世界の老人は取り返しのつかないレベルで耄碌しているのか? 聞いたでしょう? 私の話。 それを聞いて止めないなんて、貴方はよっぽど気が狂っているようだ」
 「優しいのう。 お主は。 わざわざこんなか弱い老ポケモンを地獄に引き込みたくないと」
 「誰がそんなこと──」
 「舐めるなよ」
 「っ!?」

 ラケナは槍の柄をつかみ、わざと自分の首の近くまで引き寄せる。 これにはケイジュも驚きを隠せず、槍を握る力を弱めてしまう。
 それこそがラケナの言う「優しさ」なのだと、彼は自覚しているのかどうか。

 「お、前......」
 「さっき自分のことを狂った人間と言ったのう。 だが、ワシはあんたは普通の人間だと思うぞ。 本当に狂っている者は、こんなことで止まらない。 何より、狂っていることを自覚しない。
 それに演技も大分下手じゃぞ? 村に居候しているとか言ったな。 今は平気かもしれんが、そのままではきっとボロが出るぞ。 準備をする途中で悟られるかも」
 「黙れっ!」

 ケイジュは敬語すら忘れて叫ぶ。 だが、ラケナは止まらなかった。 ここまで拒否が積み重なると、流石に苛々する。
 ──本当に、強情な若者だ。 気づけば声を張り上げていた。

 「だーかーら、利用すればいいっつってるじゃろ!?」
 「それが理解出来ないんだ! 私は」
 「お前ら殺すぞって言うんか!? そんな妙な拘りを持つから勝てる戦いも勝てなくなる! そうやって倒れる探険隊を、ワシはいくつも見てきたんじゃ!」

 そう、見てきたのだ。 数々の賭けに敗れ、探険隊を続けられなくなったポケモン達を。 自分もきっとその1匹。 種族差という覆せない壁によって、潰された。 そして恐らく目の前の若者は、無知さ故に突っ走って潰されようとしている......そんなこと、あってはならない。 折角見つけた、面白い余生への道標なのに。 ......家族を失ってから、ずっと、ずっと──こういう奴に、会ってみたかったのだ。

 「使え、ワシを、ポケモンを。 演技だってアドバイスしてやるし、なんなら厳しい境遇のポケモンでも勧誘して味方に引き入れればいいじゃろ! 世界はあんたが思うよりでかい! 自分の身一つで勝てるほど楽じゃないんじゃぞ!!」

 見てみたいと思った。 こういう奴が、若者が、本気でこの理不尽な世界に歯向ったらどうなるのか。
 若き日の野心の火が、再び燃えさかる。


 「戦うなら巻き込め、周りの嘆きを自分の力に変えろ! ワシも、他のポケモンも......骨の髄まで、利用しろ!!」
 「......!!」


 壊すか、こちらが壊されるか。 死ぬのならその行く末を見た後がいい。 それが、ラケナが望んだ、世界へのささやかな復讐だった。






 


 




 「......狂ってる」

 ──沈黙の後、ケイジュが発したのはその一言だけだった。 斬る気も失せたのか、槍がラケナの首から離れる。 これは決まりだと、ラケナは半ば確信した。 身体が自由になった喜びから軽く伸びをし、和やかに笑う。
 
 「ほほほ、それは褒め言葉じゃのう。 仲間になるっていうんだから、そのくらいの器はもっときたいしの」
 「......仲間とか、そんな大それた呼称使う気ないんですけど。 あと勘違いしないでください。 始末するのをやめたに過ぎない」
 「まあまあ慣れとけ。 いつか新参者引き込む時困るぞ?」

 図星なのか、ケイジュは押し黙る。 それを横目にラケナはるんたるんたと紅茶を新しく注いだ。

 「ほい。 もうちょい嵐止むまで時間かかるじゃろうし、のんびり待っとくといい」

 紅茶が机に置かれた後、ぐいぐいとケイジュは半ば強引に着席させられる。 怒るのも体力を使うのか、少しその顔は萎れているようにも見えた。 今にも消え入りそうな声で、彼はラケナに問うた。

 「......あの」
 「なんじゃ?」
 「1つ、聞きたいことがある。 ......貴方は、何者なんですか」
 「なあに。 別に何者でもないさ」

 自然の脅威も、世界の理も、大昔からの因縁も関係ない。 「ただの」神に唾吐く人間と、本気で世界を破滅させようとしたらどうなるのだろうか?
 
 これは賭けだ。 様々な理不尽を生み出す世界は、このまま狂った人間によって壊されるのか。 それとも、そんな野望も打ち砕いて世界を本当にひっくり返すようなポケモンが現れるのか。
 それを眺める老後も、また魅力的だろう。

 どうせ死ぬのだ。 いずれは死ぬのだ。 だったら乗っかってみようじゃないか。 あの若者が抱く破滅的な願望に。 ......死んだように生きるより、激しくあろう。 嵐の海のように。 あの白波のように。
 
 「そういや名前も言ってなかったのう。 ワシの名前はラケナ。 ──ただのちっぽけな、老ポケモンじゃよ」

 








 それから、ラケナは魔狼についての詳細な話をケイジュから聞いた。 あの時は彼も警戒していたのか、「子供」のことについては深くは語られなかったが......でも、聞けば聞くほど、彼の私怨の強さを深く感じられることになった。
 でも、その方が丁度いい。 大義名分だけで戦おうとすれば、論破された時どうしようもなくなる。 自分勝手な理由があるくらいが良い。
 狂えよ人間、思うがままに。 見せてくれ、醜い姿を。 世界の終わりを。 自分は、それを側で見つめる傍観者となろう。 共に救いようのないところまで堕ちる、同伴者となろう。


 さて。 未来で自分達を止めにくるポケモンがもしいるとしたら、一体どんな顔をしているのだろう?
 どんな信念を持って、戦いに来るのだろう?

 ......もしかしたら。

















 「まさか、あの時の予想が当たるとは思わなかったぞ......キラリちゃん」


 

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想