第4話 交渉

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読了時間目安:16分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

前回までのお話は…

調査団を離れて久しいバシャーモは、森の奥で黒い眼のストライクに命を狙われるツタージャと出会う。彼女を守るため、また黒眼のポケモンの正体を探るため、山奥に独り籠もって陰謀論を唱える奇妙なムウマージを訪ねた。
一方、バシャーモの元相棒にして調査団長のルカリオは、たったひとりで黒眼のポケモンに反旗を翻すのだが、逃亡に失敗して包囲されてしまう。そこへ謎のアブソルとネイティオが現れ、窮地を脱したルカリオは、ワイワイタウンを後にするのであった……。
 2年と4ヶ月前……。

 雲ひとつない夜空にしては、いやに湿った風が吹いていた。昼間に降った雨のせいだ。予定では夕方までに副団長であるエーフィが、調査依頼から戻る予定だったが、どうやら雨のせいで帰路が遅れているのだろう。調査団本部の明かりは消さずに、彼女が戻るまで仕事を続けることにした。
 デンリュウ団長から調査団を引き継いで半年以上も経っていたのに、まだ実感が湧いてこない。この部屋も何十年と彼の物だった。本棚から年季の入った古書を取って開くと、彼の走り書きが目に留まる。間借りしているようで居心地が悪くなり、すぐに閉じた。手早く済ませてしまおう。ルカリオは本を開いて、引き継ぐべき膨大な調査の記録を洗い始めた。
 調査には目標が必要だ。世界中に散らばる謎は、未だに深い神秘の霧に覆われている。デンリュウ団長の時代に解き明かした謎も、ほんの一部に過ぎないのだと、彼自身そう語っていた。それも楽しそうに語るのだ。バトンを渡した次世代の調査団が、自分たちを超える偉大な発見を成し遂げることを期待していた。
 今はまだその期待に十分応えられているとは思っていない。ルカリオはまず、ここまで大きく膨らんだ調査団の管理体制を敷くことに苦心したが、やはり本分は未知の探索だ。
 デンリュウ団長は引き継ぎに際して多くを語らず、ただ「任せた!」と言い投げて調査団を去った。調査団の体制作りが落ち着いた今、彼が最後に追い求めていた謎について、ルカリオは調べを進めていた。

 ひときわ嫌な風が吹いた。まるでゴーストの湿った舌がべろりと頬を舐めるようであった。
 せっかく集中していたところだったのに、あまりの不快さに負けた。ルカリオは立ち上がって、窓を閉めた。
 エーフィが戻ってきたのは、ちょうどその時だった。
「真夜中まで熱心ですね」
「あぁ、そっちこそ」
 執務室のドアをくぐって優雅に現れた副団長に、ルカリオは微笑みかけた。さぞ長旅の帰りで疲れたことだろう。あらかじめ用意してあったリンゴのバスケットを取って、彼女の前まで持っていった。
「俺からの報酬だ」
「じょうかの洞窟の調査報酬が、山盛りのリンゴですか?」
「ただのリンゴじゃない、草の大陸で採れた『セカイイチ』だ。先日カクレオン商会から譲り受けたものでね、普段お世話になっている調査団への感謝の証だそうだ」
「彼らがタダで贈り物を?」
「かわりに今後もよろしくと、依頼を幾つか置いていってくれた」
「では前報酬ということで」
 ふわりと浮かぶセカイイチ。エーフィはその小さな口を開けて、しゃくり、ひとくち囓った。気に入ってくれたようで、感嘆の声が漏れていた。

 そして唐突に、本当に、彼女は信じられないことを口にし始めた。
「なるほど、これが味覚ですか。ポケモンたちが食べることに夢中になる理由がよく分かりました」
「……なんだって?」
 ルカリオは何かの冗談かと思い笑っていたが。
「しかし肉体はあまりに脆い。ここまで戻る途中、何度も壊れそうになりました。頭数ばかり多いとはいえ、よくもまあ『ダークマター』を倒せたものですね」
「おい、笑えないぞ。ずいぶんと趣味の悪い遊びじゃないか?」
 ルカリオは言いながら、目を凝らしてエーフィを見た。その体に流れる波導を。なにかに操られたり、混乱しているのであれば、波導が大きく乱れるはずだ。ところが、その予想は一瞬で覆された。エーフィの波導は乱れているどころか、とても落ち着いていた。ただ色が生命の放つそれではなく、今まで見たことのない漆黒に染まっている。

 ゾッとした。違う。『これ』はもうエーフィじゃない。
「私はエーフィです。あなたのよく知る副団長のエーフィです。ただし一度死んで、魂は別物ですが、どうです? 体は見事に復元されているでしょう? なにしろ観察眼に優れたあなたでさえ、私の波導を覗き見るまで気づかなかったのですから。そして頭が良く回る団長のこと、既に最悪の事態まで考えが及んでいるのでは?」
 彼女の言うとおりだった。
 エーフィと共に調査に向かった調査隊のメンバーが見当たらない。波導の探知範囲を広げると、本部の中にいることは確かだが、その色はエーフィのように真っ黒だ。しかもルカリオの他に本部に残っていたポケモンたちの波導に、ゆっくりと迫っていくではないか。廊下や資料室、食堂を照らす蝋燭が、フッと一斉に消えた。
 これは紛れもない侵略だ。本部だけでなく、ワイワイタウンに住む大勢のポケモンたちの命が危ない!
「心配しないでください、団長。街にはまだ手を出していません。少なくとも、今のところは」
「……なにが狙いだ」
 ルカリオは今にも爆発しそうな怒りと衝動を懸命に抑えながら、絞り出すような声で言った。エーフィは余裕の笑みを浮かべて、彼の周りを歩きながら答えた。
「新たなる共存です。かつてこの星を襲った厄災『ダークマター』は、己を生み出した憎悪の赴くまま、すべての生命を破滅へと導こうとして失敗しました。しかし我々は違う。かの英雄ミュウが心の闇を受け入れたように、闇の存在である我々とあなた方には、共存の道があると信じています」
「なにが共存だ、我々の仲間を殺しておいて!」
「不用意に我々の『領域』へ足を踏み入れるからですよ。これはその代償です。本来ならダークマターのように、この世界を堂々と侵略しても良かった。しかしそれでは互いに守りたいものが破壊されてしまう、あまりに悲劇的で愚かなことです」
 波導の揺らぎに嘘は見えない。だがルカリオはエーフィの顔に張りついた笑みを信頼できなかった。
 しかし、だからと言って何ができる?
 今ここでエーフィを押さえつけたとして、元に戻る保障は? こいつには他にどれだけの仲間がいる? その間、街のポケモンたちを守り切れるか?
 そもそも「身体を殺して、記憶と肉体を乗っ取る敵が現れた」なんて世間に知れたら、大混乱は避けられない。互いに「ひょっとしたらこいつが敵かも」と疑心暗鬼に陥り、その先に待っているのは市民同士の悲惨な殺し合いだ。
 奴の笑顔はそういう意味を含んでいやがる。知っているのだ。俺がこの場で戦いを選べないことを。腹が立つ。それ以上に、今すぐにも動こうとしない自分が悔やまれる!
「……見事です。自らを律するにあたり、あなたほど優れた指導者は他にいないでしょう。だからこそ、あなたとなら話し合う余地があると信じていました」
「いたさ。だが交渉相手に俺を選んだ理由はそれだけじゃないだろう」
 厄介な波導使いを一番に封じておきたかったから。ルカリオの鋭い視線を軽くいなして、エーフィは続けた。
「あなたには我々の存在を黙認していただきたい。周りが気づくよう暗に示唆することも含めて。そのかわりに、我々も襲うポケモンは必要最小限に留めると誓いましょう」
「俺に仲間を売れと言っているのか!? 論外にも程がある!」
 わざわざ大事な仲間たちを飢えた獣の群れに差し出すことと同じで、重大な裏切り行為に他ならない!
 しかしエーフィは執務のテーブルに乗り、目を真っ黒に染めて笑った。
「では仕方ない、ここより全面的に侵略戦争を始めましょう。一般のポケモンも、調査団のポケモンも、すべて殺して同化するのに一週間もかからないでしょう。かなりの痛手は負いますが、あなたの恐れた未来は間もなく現実のものとなる。勝つのは我々だ」
 エーフィが背中を向けて闊歩する。おぞましいほど膨大な闇をまといながら。同時に、その背中になら刺せると思った。デスクに乗せた両手に重心が傾く。
 さあ殺せ! 奴が皆を殺す前に!

 まったく、考える前に手が出るのはお前の悪い癖だなぁ。

 それはお前の役目だろ。俺はただ前に出て戦うだけだ、大局は任せる。

 ただ面倒なだけじゃないか。

 まさかお前も考えなしか?

 一緒にするんじゃない。もちろん作戦はあるが、成功する可能性は低い。無謀な戦いを挑む前に逃げるべきかもな。

 余計な心配はするな、お前の描いた理想を現実にするのが俺の役目だ。

「……待て!」
 エーフィの足が止まった。
 振り向いた先。ルカリオは鬼のような形相で歯を食いしばりながら、ゆっくりと腰を下ろしていた。
「交渉だ、始めるぞ」


 *


 曇天の暗夜。山をしばらく登り続けて、ふと足を止めて振り向くと、遠く麓に点々と灯が輝いている。もうワイワイタウンからこんなに離れたのかと驚く自分に、また驚いた。どうやらデスクワークが長すぎたようだ。
 ルカリオが立ち止まったので、しんがりを歩いていたアブソルは素っ気なく言った。
「邪魔、さっさと歩いて」
「構わないよ、アブソル。彼には必要なことだ」
 先頭のネイティオが穏やかに返した。
「なんでもお見通しということですか」ルカリオはため息交じりに言った。「その千里眼は代替わりしても顕在ですね。とはいえ、不出の一族であるあなたが、まさか『砂の大陸』からわざわざ足を運んでくるとは」
「我らネイティオの一族は常に歴史の傍観者だ。あいにく異端なのは僕だけだよ」
 ネイティオは申し訳なさそうに視線を逸らした。それで分かった。この事態を把握した上で動いているのは彼だけで、彼の同族たちは不干渉を決め込んでいるのだ。ルカリオは最初から支援を期待していた訳ではなかったが、なにか背中にのしかかる物が重くなった気がした。
 やはり誰にも頼れない。やるしかないのだ、俺が、この手で。静かに拳を握り締めた。
 再び山越えに歩き出した一行。ルカリオはネイティオの背中に尋ねた。
「一族の掟に反して、あなたは何故ここに来たんです?」
「ああ、気になるよね。気持ちは分かるが、あまり答えられることは多くない。なにせ僕は未来を知っている。あまり干渉して流れを変えたくはないんだ」
「にしては、既にかなり干渉しているように見えますがね。現に今もそうだ、まるで導くように先頭を歩いている。どこへ向かうつもりなんですか?」
「君が行きたい方へ向かっているだけさ、僕はほんの少し未来を歩いているに過ぎない。だが、これだけは信じて欲しい。僕とアブソルは、この先に待ち受けている滅びの未来を変えるために必要な、ある大きなパズルのピースなんだ」
 謎めいた言葉で惑わそうとしているのか。ルカリオは目を細めながら、ある言葉を頭の中で繰り返す。滅びの未来。
「……あのとき俺が下した決断は、間違っていたのか?」
 エーフィ副団長の顔が、今でも目に焼きついていた。あんな薄ら笑みではない、彼女がまだ彼女だった頃の顔だ。強気な笑顔が凜々しくて、どんな窮地でも決して膝を折らない、誰よりも逞しいポケモンだった。
 ストライクも、ゼブライカも、ヒトツキも、ゴーリキーも、ヤヤコマも、チルタリスも、他にも大勢の仲間たちの顔も、俺は覚えている。俺を信じてついてきてくれた仲間たちがああなってしまったのは……。
「もしも君と同じ状況に立たされたら、僕にはできない判断だった」
 ネイティオは毅然と言い放って、さらに続けた。
「だが、おかげで未来が拓けた。それを見ていたから、僕も一族の掟を破る勇気が湧いたんだ。胸を張りなさい、ルカリオ団長。あなたにはまだやるべき事があって、行くべき場所があるんだろう?」
 お前が考えて決めたことなら、後から迷うんじゃねえ、最後までやり遂げろ。
 昔、誰かさんもそんなことを言っていた。奴なら今の俺を見て、どう思うだろうか。
同じことを言いながら、また隣りで肩を並べられるだろうか。
「……ネイティオ」
「なんだい?」
「もう前を歩かなくていい、この先は俺が行く。そう言うって分かっていたんでしょう?」
「もちろん、知ってたよ。だから僕たちはここまでだ」
 道を譲られ、ルカリオは前に出た。一寸先も見通せない暗闇の森を、ただ独り、躓くことなく歩いていく。
 ありがとう、ネイティオ。おかげでわずかな迷いも吹っ切れた。愛する調査団に背を向けて、俺は最後まで歩いてみせよう。
 黒い影の者共よ……今に見ていろ。


 *


 三日後……。

 バシャーモは穏やかな木漏れ日を浴びて、自らの胸元をさすっていた。ゼブライカにやられた傷も癒えた。戦いの構えを取り、強烈なハイキック。骨の軋みも治まった。
 陰気に満ちた小屋に戻ると、これはお家芸か何かなのか、またしてもムウマージの暑苦しい顔が迫ってきた。
「とうとう行くの!?」
「行くよ、邪魔だからどいてくれ」
「あああ待ってました、待ってました! ずーっとこの日を待ちわびていたんだ! 嘘と欺瞞に満ち溢れた世界の真実がいよいよ明らかになるとは! 闇の軍勢による侵略を私たちが止める、これは星が謳う最終戦争なのだ!」
 一向にどく気配がないムウマージを押しのけて、バシャーモは小屋に入った。
 当初、ムウマージには礼だけ言って早々に立ち去るつもりだった。それを強引に留められ、あげく『催眠術』で眠らされる始末である。目覚めた後で問い詰めると、彼女曰く、「これから共に世界を救う旅に出るのに、万全でなければ闇の勢力と戦えないぞ!」とのことだ。
 断っても勝手についてくる気なのは目に見えていた。それに力ずくで追い払おうにも、ムウマージの能力は厄介だ。それならいっそつれていった方がいいか。
「……にしても、お前まで来るのか?」
 あからさまに嫌そうな視線の先で、ツタージャは麻布のポーチにリンゴと木の実を詰め込んでいた。
「あたしだけ置いてく気? こんなところにいたら、背中からキノコが生えてパラスになっちゃうよ」
「ガキは駄目だ。お前には戦う力もろくにないだろうが」
「た、戦えるよ! 学校で一番強いのあたしだもん!」
「そういうのをお山の大将って言うんだ。命を狙われているのを忘れたか? この隠れ家にいれば安全だ」
「安全なんか欲しくない!」
 今にも食って掛かるような勢いに、バシャーモは目を細めた。強烈な既視感。ツタージャの姿に、在りし日のリオルが重なって見える。彼は知的で戦略家だ。その冷静な判断力で、数多の危機を潜り抜けてきた。それゆえ大勢のポケモンたちに頼られることが多かったのだが、重責を感じていたのだろうか、希に爆発することがあった。
 友達を失い、命を狙われ、明日をも知れぬ、このツタージャのように。
「お前もか……放っておくと勝手に死にそうだな」
 バシャーモは観念してため息を吐いた。

 苔の生したテーブルにカビ臭い地図を広げて、バシャーモたちが覗き込む。調査団の発行する最新地図には精度が劣るものの、方向感を確かめるには十分だ。
「今いる場所がここで」バシャーモは指で示しながら続けた。「目的地は北の方角、『じょうかの洞窟』だ。おそらく黒い目の連中に繋がる手掛かりがある。ムウマージの言うことを信じるならな」
「証拠を山ほど見せたでしょ」と、ムウマージ。
「状況証拠だろ、まだお前の言う『闇の勢力』の本拠地がそこにあると決まった訳じゃない。真相は各々その目で確かめよう」
 互いに顔を合わせて頷いた。
 ……ものの、不安の種は尽きない。傭兵に子供に陰謀論者、この奇妙な調査隊で本当に黒目の真実を暴けるのだろうか。
 先行きの不穏さを匂わせるように、空は暗い雲がもくもくと流れつつあった。

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