5.イッシュにて

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:16分
再投稿です
〇月△日

 本当ならホウエンに行きたかったのだが、本日はフキヨセの搭乗口から降り、イッシュの歪んだ経済の中心部であるヒウンシティに来た。「実世界のポケモンの誕生について」というテーマで学際的なシンポジウムが開催されることになり、そこに招かれた。司会か発表か、いずれにせよ億劫だなあと思っていたが、事前の連絡によると儂は最悪ただ居るだけでよいそうだ。それもなんだかなあとは思ったが、結局引き受けることにした。
 プラズマ団の野望は砕かれたが、チャンピオンが名も知れぬ少年に敗れて未だ先の見えない状況でも、経済は滞りなく流れているように見える。港に響く汽笛の間抜けさは轟音によって打ち消され、大波を立てて客船がどこかへ旅立っていく。地下水道に屯するスキンヘッドたちは煙草をふかし、足をぶらつかせながら船と一緒になって流れる煙をぼんやりと見ている。すべてを威圧するように聳え立つガラス張り、堅固なコンクリートの高層ビル群と、早足にすれ違うスーツを着たサラリーマン、OL達の人波に多少気圧され、物理的に流されながらも、どうにかかのヒウン大学、その一室まで辿り着いた。
 階段教室のいやでも目に付く位置にどかりと腰かけて、かなり度が入った銀縁眼鏡越しに薄暗い会議室全体を見渡す。新進気鋭の若手研究者、精力的に研究を続ける教授、名の知れたリーグトレーナーなどなかなか見ない顔ぶれが揃っており、その隣にはそれぞれの(比較的小柄な)ポケモンも控えていた。こういったテーマで討議を行うのに、ポケモン自体が居ないというのも確かにおかしな話である。この状況もなかなかおかしいと言われればそれまでなので、皆さんはぜひそんなこと言わないでくださいね。しかし、流石はイッシュに名高いヒウン大学である。これも多様性というやつかしらん、と思う。
 討議が始まった。時折は納得し、時折は間違っていると思い、時折はつまらないと思いながら、相も変わらず銀縁眼鏡の内側からこの時空を睥睨する。とある若手研究者の発表。職に困っているから、この発表を見たどこかからお声がかかればいいな、などとユーモアを交えながら言う。あまり気に入らなかった。
 彼は図鑑にたびたび登場する「インドぞう」「ナパーム弾」といった言葉に触れながら推論していき、結論はというと、新たに確認されるポケモンと我々が持つ概念一般の関係、その傾向には何らかの法則性があり、未対応のそれを分析すればこの世界の新たな"何か"に到達できるのではないか、というものであった。大変結構な発表なのかもしれないが、二、三腑に落ちない点があり、何より儂の考えと全く食い違う点がある。のそりと手を挙げて質問したのだが、老化現象のためか、思いの外声が大きくなってしまった。若手の子はすっかり怯えてしまい、後で謝りに行ったところ許してはくれたのだが、曰く、怒声にも似ていたとのこと。
 反省しなければとも思うが、何よりこうやって諸事情を公衆の面前で語ることによって責任を希釈しようという自分の老人的狡猾さが厭になってくる。シンポジウムが終わった。気分を変えようと思い、先程の研究者を誘ってヒウンアイスを食べることにした。年甲斐もなく頭をぺこぺこと下げながら、行列に並ぶ。彼は儂をどのような目で見ていたのだろうか。別に、どのような目でも構わないのだけれど……
 並んでいる間、先ほどの発表についてゆっくりと言い聞かせた。さぞ鬱陶しかったことだろう。しかし、このような分野で事実の問題と意味の問題を混同することは非常に危険なのだが、誰もそれに気付かなかったのであろうか。そちらのほうが儂にとっては重大なことだった。
 端的に反論すれば、こういうことだ。概念とは言語で捉えられたものであり、概念的把握とは言語で捉える把握の仕方である。その場合、概念を問題にするということは即ち、意味を問題にするということだ。そして先の研究で仮定されていた我々の知らない概念/ポケモンは、定義の時点で我々の認識を意味として超越する。どのようにすればそれを知ったことになるかが分かり、それを実行しうるなら話は別である。しかし"我々の認識に先立つ概念"の概念を、我々がどうすれば認識しうるようになるのか、我々が知ることはあるだろうか?
 概念とポケモンが関係しているというのはあくまで科学上の仮説であった。あくまでも偶然的で仮説的な関係であるはずのそれに、さらに高次の性質を持つものを引きずりおろして推論の対象とすることに、何の価値があるというのだろうか。だからこそ科学的知識を扱う際には、それがどのような前提と資料と推論過程を経て成立したものなのかまで辿った上で、今問題になっていることに適用できるかを執拗に問わねばならない。概念≒ポケモンという対応関係の問題において、同一性の概念を前提にしたうえで、経験的事実の探求をやっているようでは、いけない。同一性の概念そのものもまた概念であり、その時点で我々は既に頂の見えない壁にぶつかっている。
 この試みは、例えば嘘とは何かと問う際に嘘発見器を使うようなものだ。嘘発見器が反応するという事実をもって嘘だと見做すのか、それとも嘘だとわかっていることに嘘発見器が反応したために嘘発見器に異常がないと見做すのか――それは一般的には、後者のような見方が支持されるように、儂には思われてならない。もし前者をとるとすれば、宇宙が我々の嘘を規定しているなどと、誰が信じるだろうか。宇宙の嘘が我々の嘘と一致したとしても、それは偶然以外の何物でもない。あるいは、神の御業か……とすれば、個々の事象をよく検討もせずに、あたかもある時パラダイムシフトが起きたかのような口はきくなということである。
 別に現代の携帯獣科学を信用するなということではない。このような分野において携帯獣科学にできることは少なく、この子にできるかはますます怪しい、ただそれだけのことだ。
 考えている内に声が時間はびゅんびゅん過ぎていき、彼に対する明確な怒りが込み上げてくる。この発表に至るまでに、なぜこれほどのことも考えなかったのであろう。しばらく目頭を押さえこむような姿勢だったからか、彼が「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。儂は曖昧に頷き、アイスを一口食べた。冷たい甘みが広がり、それによってどうにか激情を抑え込む。もう日が傾いている。期待している、と言って別れた。連絡先を交換した。ヒウンアイスは溶けても非常に美味しかったが、それでも知覚過敏のためベンチに腰掛けゆっくりと食べる。傾けたコーン(元サンヨウジムリーダーではない!)の端からだばだばと真っ白い雫が汚れたアスファルトに零れ落ちる。
 足元を見れば一匹のヤブクロンが寄って来ていた。白い雫を懸命に舐めている。後ろで広い海に夕日が反射し、不規則に揺らめいた。振り返ればガラス張りのビルは真っすぐに聳え立ち、夕日を睨み返している。サラリーマン、OL達がミツハニー達のようにぞろぞろと出ていき、元居た場所へ帰っていく。儂はその光景を、なんだかとても美しいと思った。なんだかボケてきているなあ、と思う。コーンを一口に噛み砕いて、ヒウンを出た。マコモ女史の研究室にお邪魔するのを忘れたが、それもよかろう。明後日はトレーナーズスクールで出張講義をすることになっている。今日はライモンのホテルに泊り、夜景を見ながら眠ろう。そうだ、それがいい……



〇月□日

 サンヨウシティに来た。広場の噴水は日の光を弾きながらざあざあと音を立て、水面には忙しなく泳ぐバスラオの影が見える。爽やかなそよ風が階段を駆け上り、街全体を吹き抜ける。のどかな光景ではあるが、サンヨウジムは閉鎖され、どうやら改装中のようだ。プラズマ団の落とした影は未だにイッシュ全体にのしかかっているらしい。トレーナーズスクールのドアを開けると、柔らかい生の香りが広がり、右奥の窓から子供たちが見え、ああ、いいなあ、と思いながら応接室へ向かった。
 それなりに付き合いの長い温厚そうで丸々とした顔の中年の教師の横には、清楚で、どことなく品格がある、見たことのない青年が控えている。名を尋ねるとぶっきらぼうに、チェレンです、と答えた。なんと「英雄の再来」の幼馴染だそうだ。噂には聞いている、そいつはすごい、などと言ったところ、彼は露骨に顔を顰めて、幼馴染はそのような呼び方は嫌だと言っていたし、彼自身もいい気分ではない、と抗議してきた。それを聞いて、友達思いの子じゃないか、と嬉しい気分になった。少し焦ったようなそぶりを見せた中年の先生に、この子は良い教師になるね、と言って、チェレン君に謝罪する。一昨日とんでもないことをしてしまったばかりであるし、気をつけねば、と思った。
 出張講義は特に滞りなく終わった。大したことはしないが、簡単に言えば未来への投資である。それなりに楽しい思い出を作ってやれば、ここから優秀なトレーナーが出た際に、その人間には神話研究という分野へ一定の理解を示してもらえる。チャリテイという名目でやってはいるが、そういう思惑が隠れているのである。実際子供たちからの評判も悪くはないのだから、構わないだろう。オーキドには劣るものの、儂も子供人気は中々のものなのだ。ただ、チェレン君からは終始冷ややかな目で見られていた気がする。
 再び応接室へ引っ込む。中年の彼は授業へ戻り、チェレン君と二人でテーブルを挟み、向かい合って座り込む。飲み物は何か、と聞かれたため、お言葉に甘えてミックスオレを出してもらった。机に飲み物が二人分置かれる。ことり、という音がやけに虚しく響いた。ミックスオレを一口飲んだが、あまり香りを感じなかった。気まずい沈黙を打ち壊すため、儂に何か相談したいことはないか、などと言ってみる。チェレン君は少し俯いて、大人って何なんでしょう、などと言ってきた。儂は、大人なあ、と言いながらミックスオレをまた一口飲む。先ほどとは違い、芳醇な香りの一端が垣間見えた。
 曰く、駆け出しトレーナーから様々な旅をして自分なりの結論は出たと思っていた。でも、トレーナーズスクールの教師を目指すことになり、ジムリーダーの打診を受けた(最初聞いたときは焦ったが、別に極秘ではないらしい。よかった)時から、自分はいつまで経っても子供のままなんじゃないかという思いと、そもそも大人って何なんだ、という思いがせめぎ合っているらしい。儂はそれを聞きながら、よい思春期だなあ、とぼんやり思った。サンヨウで思春期を過ごせるだなんて、なんて幸せなのだろう。ここでは時間がゆったりと過ぎる。急激な転換期もなく、その代わりゆっくりと醸成された穏やかな空気にいつの間にか新緑の香りが混じる。老年の沈黙と青春の歓喜が混じり合う、風のように流れるジャズ・ピアノを聞きながら、少年少女は段々と大人の何たるかを知っていくのだ。
 少し考えてから、徐に、大人と子供の違いとは何だろう、と呟く。テーブルを挟んで、そんなことも考えていなかったのか、とでも言いたげなため息が聞こえた。良くも悪くも実直な子だなあ、と思った。焦らずに聞きなさい、とだけ言って、ミックスオレを一気に飲み干した。甘い香りが体の中から立ち上るような気がした。
 ――空のコップに目を落としつつ、また、ゆっくりと話し出した。
 それが分からないと、世の中は大人が回していて、子供であるという理由だけで、しかも不明瞭な線引きで、あらゆるやりたいことを遠ざけられているような、世界がほとんど自分の敵であるような、大人がとてもずるいものであるかのような(これは本当かもしれないけど)そんな錯覚に陥ることがあるだろう、と言うと、視界の端のシルエットが揺れた。
 ちらと見れば、応接室にも黒板がある。教育熱心なことだなあと思いながら席を立ち、腰をさすりながら前に立った。
 「……例えば、ポケモンバトルで天気を変えるパーティーが流行っていたとしようね。ある人はこう言った。『ノーてんきのポケモンを使えばいい。えーと、ゴルダックかな。しかし、それだけだとパワーで負けてしまうから、そこを補うパーティーを組もう』と。これは、大人だ。ホントならもっと考えなきゃいけないんだけどね。またある人はこう言った。『とりあえずゴルダックを使おう。かっこいいから』と。これは、子供だ。一体、どういうことだろう。ポケモンバトルの問題だ、分かるだろう」

「傾向を掴んで対策を練っているか、そうでないか、ですか」

 訝しげな眼をしてチェレン君が答える。しめしめ、と思いながら話を続けた。

「そうだねえ。では、大人と子供の違いは分かったかな?」

「……傾向と、対策?」

 真面目な子らしい回答だ、と眼鏡越しに目を細めながら小さく言った。幸い、彼には聞こえていなかったらしい。咳払いをして話を続けた。

「うん、うん。儂が考えているのは、それに近い。傾向と対策というのは実は曖昧な概念だから、もう少し正確に言い換えても構わないかな?つまり、今までの特徴やルールを十分に理解したうえで、あえてそれに反して新しいことを提案する大人と、今までの規則を理解していないから、それに反して新しいことを提案する子供とは、はっきりと区別されなくてはいけないということだ。新しいことを提案する大人は、これまで受け入れられてきた規則の中で、自分の主張の理由をみんなに認められうる形で説明することができるけど、子供にはそれができない。大人というのは、社会的な考え方を十分理解した人のことを言うんだ。あ、そこから先は自己判断だから、その責任能力も持っていなきゃだめだなあ」

 カツカツとチョークの音が響く。白い粉がパラパラと飛び、大人のぼやけた輪郭が黒板に写し取られていく。

「でも、社会的な考え方って何ですか?それが分からないんじゃ、やっぱり僕は納得できません。それに、子供がたまたま正しいことを言う場合だってあるじゃないですか」

「子供はたまたま正しいことを言う、というよりは、たまたま言ったことが正しいこととされうるだけで、決して正しいことを認識していたから言ったわけではないんだ。これは分かってくれると思うんだけど、根拠のない子供の主張を大人がいちいち検証すると、夥しい数のリソースが消費されてしまうんだよ。こういうのを儂は学知的な連続性と呼んでいるんだけど、だから社会は間違っているという信念を子供が抱くのと大人が抱くのとでは、ずいぶん意味が違ってくるんだ。それに、少なくとも君、部分的には大人になりえたはずじゃないか?」

「……どういう意味ですか」

「モンスターボールを出して。持っていないのかね?一番の相棒と一緒に、広場の噴水に腰掛けてゆっくり考えてみなさい。社会的な考え方については、その子がきっと教えてくれる。少なくとも、独り善がりというのは社会的な考え方ではないんだよ。バトルだけでなくて、常にその行為が妥当であるようにしなさい。おっと、儂はもうすぐ次の場所に行かなければならないんで、幸運を祈るよ。この期間が終われば、君は必ずいい教師になるだろう」

 そう言った後、静かに黒板から離れた。最後に、横目でちらりと彼の顔を確認した。悩みが晴れた気配はなかったが、少しだけ未来への靄が薄まっているように感じた。それが錯覚でないことを祈りながら、トレーナーズスクールを去る。そのうちまた来ます、と中年の教師に伝えておいた。

 ――あれから話をする機会がなかったので、この紙面で続きでもと思ったのだが、残念ながら電車が来てしまった。電車に揺られながら文字を書くと気分が悪くなるのだ。それにしても、今読み返すと随分と説教臭くなっている。老いをひしひしと感じるため、次こそは意志の話をしたい。儂が完全にボケてしまう前に、である。



読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想