-9- こういう奴

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ミナトに逃げられた。
 というより、ハイフェンは満足感をおぼえて深追いする気が起きなかった。
 ベッドにどさっと寝転がる。指をパチンと鳴らす。大破壊を強いられた寝室が、藤色のスライム状に形態を崩し、ぐにゃぐにゃと勝手に修復していく。城全域が『変身』能力を持つ配下の集合体だ。荒らすだけ荒らしてアルストロメリアに帰った警察小僧どもは気づいていないだろう。

 透過を解いたメロエッタの顔が逆さまに、覗き込んできた。

「久しぶりだな、そのフォルム。綺麗だよ。だがしばらく“加護”は没収な」
 踊り子の額の宝石を、ぴんとハイフェンの指がはじく。
 霊力で埋め込んでいた“白金玉”の欠片がはずれた。赤髪がぱらりとほどけて、色も黄緑に戻った。歌姫のフォルムの妖精は前のように『なりきり』を使いながら鏡をつんつん突いてみたが、反応しない。ハイフェンを守護する霊竜の、鏡面を出入りする能力を模倣できなくなっていた。このペナルティは仕方ない。遠くへ移動したいときに便利だったのに、と歌の妖精は少し名残惜しかった。


◆◇


 岸の方角に、アルストロメリアの港が見えていた。地元の湾内だ。
 ずぶ濡れの一行は、頭を出したプルリルのように波でゆらついている。
 城から逃げた全員が、無事に生きて帰ってこられた。



 病院で、キズミは傷を負った右頬に治癒を早める医療用フィルムを縫いつけてもらった。その上から雑菌を防ぐ湿布状のパッドを貼ってもらった。医師の診断によれば命に別条がないので、日帰りできる。さほど嬉しくはなかった。受付前のソファで会計を待ちながら、キズミは憂鬱な視線を足元に落としていた。

 メロエッタの手引きを信じて、軽卒にレストロイ城に乗り込んだ理由は、至ってシンプルだった。幼馴染の親友がもし窮地に立たされているなら、助けたい。しかし、己以外の犠牲者は出したくなかった。アシスタントのウルスラも連れていくことにも渋々であった。誰も巻き込みたくないという考えの度が過ぎて、上司である女性に相談しなかった。実力を見くびっていたのとは少し違う。影で彼女も努力しているのだろうと、刑事の現場で垣間見える成長に、本音を言うと気がついていた。

 それでも、彼女を危険から遠ざけておきたかった。
 私情だ。
  
 そのせいで、判断を誤った。 
 ミナトと月白=ルギアとラルトス=ウルスラは一泊の検査入院。重傷のフライゴン=ライキとハーデリア=オハンは、長期入院が決まった。ライキの両翼は凍傷で使い物にならなくなっており、脳に電撃のダメージが入ったオハンは認知機能が低下しているらしい。
 自分のせいだ。
 事前に皆で知恵を出し合い、ミナトを取り戻す計画を立てていれば。
 結果は変わっていたはずだ。
 エルレイド=クラウの怪我の程度は出血の割に軽かったが、テレパシーが使えなくなった。進化して特性『シンクロ』が失われた代償だ。あらかじめ覚悟していたとはいえ、大げさなボディーランゲージを使い陽気で無言なピエロのように振る舞う姿は、見ていて寂しさが付きまとう。
 想定外なことに、アイラからは特になにも責められなかった。今頃、アルストロメリア警察のデスクにかじりついて、事後処理に追われているだろう。身を賭してでも守りたかった彼女に、敵地でも職場で、守られている。今回ばかりは、憎まれ役は休業だ。これだけ累を及ぼしておきながら、独りよがりにクズを演じ通せるほど、自分は自分の心を殺しきれない。

 即日発行の診断書と領収書を受け取り、処方薬も回収した。キズミはその足で警察庁舎に向かう前に、アイラの番号に連絡を入れた。始末書ならあなたの分も国際警察本部の上役に提出するつもりであるし、今日はもう直帰していい、と、通話を切られそうになる。「待ってください」と、キズミは端末の内臓マイクに神妙な声を吹き込んだ。
「はっきりさせておきたい事があります。どこかでお時間、頂けませんか」

 ゆとりを持った空白の後の、「今夜はダメ」に続いて。
「残業、何時に終わるか分からないもの。明日の朝、出勤しながら話しましょう」
 と、承諾があった。



 キズミの寝つきはよくなかった。食欲もなかった。朝食をつくるウルスラの姿がない空のキッチンは、久しぶりだった。今朝の出勤は、平時より一時間ほど早い。右頬の傷用の鎮痛薬を水で流し込み、キズミは約束の時刻ちょうどに、アイラを迎えに行った。といっても、隣部屋のチャイムを鳴らすだけだ。ミナトであるまいし、自分から進んでプライベートなテリトリーにちょっかいをかけるのは初めてだ。なんとなく緊張した。
 ドアを開けたエルレイドはにっこり笑顔を浮かべた。肩越しの奥に佇む濃灰のパンツスーツ姿は寝ぐせの一片なく、灰色の瞳はぱっちり冴えていて準備万端だった。

 車通りの少ない、住宅街の見通しのよい生活道路。ジョギングあるいは散歩中の、爽やかな市民とたまにすれ違う。通勤で愛用している自転車をゆったり押しながら、先頭のキズミは失敗したと思った。道幅を塞がないように二台が縦一列になって歩くと、会話のタイミングが掴めない。
 最後尾で見かねたクラウが、珍妙なパントマイムで意図をアイラに伝えようとする。不正解を連発した後に、アイラはやっと理解した。正解を嬉しがるクラウに自転車のハンドルをバトンタッチすると、先頭の手押し自転車の正面に小走りで回りこむ。かごに両手を引っかけるようにして掴まり、後ろ歩きしながら、癖で上司風を吹かせないように落ち着いて話しかけた。

「レスカ君。はっきりさせたい事って、何?」
「いやその歩き方は、前方不注意です」
「まさか、あれは似合わないから二度と着るな、とかじゃないわよね?」

「たしかに、あれは変な恰好でしたが……違います」
 勝ち気で挑発的な女性バイカーが着ていそうな、あの、ワインレッドのツナギ。
 公衆の面前でボディラインを強調する格好を自重してほしいのも、事実だが。

 キズミはブレーキを握り、止めた車輪に合わせて直立した。

「あなたとは、馴れ合うべきではないと思っていました。身勝手だったと認めます」

 背筋を伸ばし、まっすぐ灰色の瞳を見つめたまま。
「でも俺はこれからも、こういう奴だと思います」

 その一言がなければ、わだかまりの八割が一瞬で解けたのに。
 アイラはかごから手を離し、一歩下がって、後ろ手に組む。
「今回の件で、よく分かったわ。私達、いがみ合うより助け合うべきよ」
 キズミの知るよしがない、知らせるつもりもない体験をアイラは内心思う。
 ゲンガーに襲われながら、キズミはうわごとを呟いていた。夢のなかで、誰かに許しを乞うている雰囲気だった。彼があんな風に弱っているところを、アイラは見たことがなかった。それまでの片鱗が、一筆書きの線でつながった気がした。
 彼は心も体も当たり前に傷つく、鍛えていても自分と同じ、十代の少年なのだ。
 その後の共同戦線もあって、ようやく、彼への先入観を捨てられたのだ。目の敵にしてきた男のことを、憎めなくなった。人格に問題を抱えていたのは、自分のほうだったのかもしれない。反省感が芽生えると、あんなに心の一部だった私怨が、ほとんど湧いてこなくなった。
「だからって、今まで感じ悪かったあなたを、急には見直さないけど」
 ちょん、と外傷パッドを人差し指でつっついてやった。

 キズミは表情を悶絶させて、右頬を押さえながら怒鳴った。 
「話は以上です!」
 サドルにまたがり、肩を怒らせた立ち漕ぎで自転車を走らせていく。

 そんなに痛かったんだ。と、アイラは指先を立てたままぽかんと見送った。
 追いかけますか!? の意で、エルレイドが自転車のベルをうるさく鳴らした。

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