第73話 チグリジア
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
チグリジアの花言葉
「誇らしく思う」
「私を助けて」
「誇らしく思う」
「私を助けて」
「アカガネ!! いるのか!?」
──その時。 アカガネの中の時間は、一瞬止まったようにも思われた。
唐突な叫び声に、彼女の意識は引き寄せられる。
「......お、やっぱいたな!」
「......レオンちゃん」
「見つけたのか......って」
案の定、茂みをかき分けそこにやってきたのはレオンだった。 子供の方に目線を移して嬉しそうな顔を見せるが、それも束の間、彼の表情はすぐに曇る。
......この場所だけ、淀んだ空気が溜まっているかのようだったから。
風の音だけが聞こえる。 毛が冷たい風になびくのと一緒に、オーバーヒートしていたアカガネの頭も冷めていく。 そして、彼女もやっとのことで子供達の方に目が向いた。 子供達がびくりと震える。 その顔を彩る恐怖は、フシギバナと相対した時よりも克明なものだった。
「......ごめん」
手を強く握りしめる。 今までの経緯は関係なく、今言える言葉はこれしかなかった。 1つ息の音がする。 その後彼女は自分の鞄を取り、レオンに笑顔で話しかけた。 といっても、いつもの屈託のないものとはやはりどこか違った。 声も、明るさを保とうとしたものの......どこか、何かを押し隠しているよう。
「レオンちゃん、あなぬけのたまある?」
「え? お前のは」
「粘って使えないの。 この子達も持ってたんだけど、それも粘ついてて」
「まあ予備はもう2個あるし、なんならせんたくだまも」
「ありがとう。 それ、この子達に使ってあげて。 ......あたしは、フシギバナの方に行く」
「フシギバナ?」
「この2匹を襲ってたやつ。 草タイプだから、あたしが行った方が早いの」
それだけ言って、アカガネは足早に去っていった。 まるで、その場から離れたいかのように。 レオンはその場で何も言えないまま見送るしかなかった。
ドンと、地響きの音がした。 音は幹を伝って木々の葉っぱをも揺らす。 音の発生元に向かうと、そこには丁度レオンの言っていた光景が。
(......これが)
さっきのフシギバナの側で、カバルドンが倒れ伏していた。 側には木々の残骸らしきもの。 さっきの地響きの音の招待は、きっとこれなのだろう。
その時。 紫色の光が辺りを包み込む。 その光はあっという間に殻となりフシギバナを覆った。 殻からあふれ出すエネルギーのせいで、その間も近づくことは叶わない。 寧ろ、そのまばゆさに目眩がするくらいだ。 そして。
「......まさかの?」
卵の殻は、甲高い音を立てて割れた。 紫の炎のようなオーラと共に、一瞬虹色の文様も浮かぶ。 それが意味するものは、命への祝福なんて生やさしいものではない。 他者の力を吸い取ることで生まれた、力の権化。 覚醒状態。
またの名を、メガシンカ。
「グルアアアアアアアッッッ!!!」
木々を揺らす程の雄叫びが、ダンジョン内にこだました。 ひとしきり叫んだ後、フシギバナの目線は近くにいるアカガネの方に向く。 丁度子供2匹を逃がしてしまったばかり。 しかもその原因が目の前に立つ相手となると、自らの鬱憤を晴らすまでは、きっと逃がしてはくれないだろう。 更にメガシンカで理性も飛んでいる。 戦闘狂とでもいったところだろうか。
ここまで考えると、幻影であるとみて差し支えなさそうだ。 アカガネは思い切り相手を睨み付けてやる。
「......嫌な幻影だね」
尻尾から木の棒を手に取り、炎を灯す。 それは臓腑をも焼き尽くせそうな、鋭い赤色をしていた。 これは幸か不幸か。 さっき怒ったのもあり、炎の勢いはいつもより強めだった。 まあいい。 今は、存分に利用するしかない。
「さあて......焼かれるのが好みか、念力で潰されるのが好みか......」
その目は完全に笑っていない。 相手を捉えて離さぬ眼光は、まさに妖狐のようだった。
ダンジョン内の勝負に明確な始まりの合図はない。 フシギバナが花弁の舞を繰り出すと同時に、アカガネも炎を放出する。
「[マジカルフレイム]!!」
周りの木の緑が、一瞬赤へと変わる。 燃えさかる炎がフシギバナの身体を包み込んだ。
「グルアアアアアアアッ!!」
流石に熱いのか、フシギバナは身をよじらせ炎を振り払おうとする。 普通ならそれも叶わず焼かれてしまいそうなものだけれど。 このまま終わってしまえ。 そうアカガネは強く願った。
だが、そのフシギバナ──メガフシギバナの挙動は、普通の勝負を知るポケモンなら誰もが引いてしまうようなものだった。
大量の炎を被ろうとも止まることはなく、寧ろそれを上回る勢いで花吹雪や毒の波を放ってくる。 予想外の動きに、アカガネは驚きを隠せない。
「なっ!?」
彼女は本日2回目の火炎放射を放つ。 技の加減を間違えたということはなさそうなのだが、やはりどこかおかしい。 炎は届きはするものの、弱点なんてものともしていない。 メガシンカポケモンとは何度も戦ったことはあるけれど、レベル的にもここまで面倒臭いことはなかった。 昔のようには出来ないと考えても、これは流石に想定できていない。
家族すらも見返した炎が、今ある敵に届かない。 さっきの出来事も相まって、ただただ苛立ちが募っていく。
(......聞いてないんですけど!!)
アカガネは思い切り棒を振り上げる。 そこはフシギバナにとってそれは明確な隙でしかない。 苛立ちで動きも単調だから尚更だ。 そしてあちらもまた、攻撃が当たらず痺れを切らしていたのだ。 容赦の欠片もない[じだんだ]がアカガネを襲う。
「あぶっ!? ......[ねがいごと]!!」
地面技を防ぎ切るというのは、炎タイプにとっては難しい。 急所だけは当たらないようにして、地団駄を踏まれるたびに飛び上がるのを繰り返す。 踏まれたら飛び上がる。 踏まれたら飛び上がる......当然、足に疲労が溜まらない訳がない。
「......なっがいなぁ!!」
もう一度炎技。 地団駄はなんとか止められたが、それで安心できる状況になったわけではない。 自我も持たない幻影、痛みを自分の力として還元させてくる幻影。 きっと身体のリミッターなど簡単に外せるのだろう。 最後にぶつりと糸が切れる瞬間まで油断はできない。 してはいけない。
さもなければ、すぐに流れを持っていかれる。
「ガアアアア!!」
今度はヘドロ爆弾を縦横無尽に放つ。 アカガネは光の壁で応戦するが、それにしても量が多すぎる。
「キリないっ......」
本体は全てかわすが、その顔には疲れがにじむ。 足も重いし、どこか息も苦しい。
......息が苦しい?
「うぐっ......!」
その時、アカガネの視界が一瞬歪む。 立ちくらみが襲いかかり、近くの幹にもたれかかった。
「......こ、れ」
丁度、昔毒を喰らった時と似たような感覚。 全部避けてきたのにと周りを見渡すが、答えは割とすぐそこにあった。
地面や木にへばりつくヘドロと、そこから発せられる毒ガス。 屋外とはいえ、ガスはすぐに森の中に充満していく。フシギバナが放てば放つほど、当然ヘドロの量が増えるからその濃度も高まる。 要するに当たればよしだし、当たらなくても保険はあるのだ。 毒タイプ技の狡猾さが見え隠れする。
流石に何か手は打たないとどうしようもない。 頭痛と気持ち悪さの中で、アカガネはなんとか杖を掲げた。
「......[ねっぷう]!!!」
熱で消毒するとはよく言ったもので、熱風は毒を残さず焼き尽くす。 フシギバナにも少なからずダメージは与えられるから一石二鳥だ。 なんとか、この隙を生かさなければ。 立て直さなければ。
毒は時間が経つ程しんどくなるのだから。
(きもちわるっ......)
確かモモンは持ってきていた。マフォクシーに似つかわぬ真っ青な顔で、彼女はぼーっと鞄を漁る。 するとだ。モモンを頬張ろうとした時、炎を払ったフシギバナがゆらりと右前足を持ち上げる。 先ほどの地団駄と同じ動作。 アカガネの目にも、それが映らないわけではない。 だが、今さっきのように飛び上がって避けるなんて芸当ができるのか? モモンは毒を早期に治せるとはいえ、今からだと間に合う訳がない。 だからといって、このまま反撃してもこの歪んだ視界では絶対に上手くいかない。
「......ちょっと待ってよ、これ」
やばいのでは。 その言葉を言う暇もなかった。 アカガネは覚悟を決めて目を閉じる。
「[かげぬい]!!」
その時。 丁度遠くの茂みから、一本の矢がフシギバナの大きな影に突き刺さる。 紫の炎のようなものが立ち昇り、地鳴らしとはまた違う轟音が響く。 アカガネが恐る恐る目を開けると。
その大きな耳に届いたのは、レオンよりもひとまわり低い声。
「炎が見えたと思ったら、貴様か」
「......ジュリちゃん!! うあああありがとう!! 助かった!!」
「は、はぁ......」
呆れた表情で言うジュリに対して、アカガネは思わぬ助っ人に歓喜の声。 ただの一矢だけで泣くほど喜ばれるとは思わず、彼はその熱量に押されてしまう。 いつもの悪態すらも底をついてしまった。 ──でも。 今必要なのは、そんなことより。
ジュリはフシギバナの方に向き直る。
「戦っていたようだが......あれが敵か」
「うん。 2匹の子供を追い回してた。 確実にダンジョンの幻影だけど、正直すっごい手強い。 メガシンカもしちゃったし」
「子供を?」
ジュリはツタージャの言葉を思い出した。 大きな影。 背中に生えた大きな花。 草結びを放ってくる。 特徴としては、完全にこのフシギバナと一致する。 倒す対象が明らかとなり、彼の顔が一層厳しくなった。
それとは裏腹に、フシギバナの表情は困惑そのものだった。 動けないと技の溜めも満足にできないからか、それとも単に不快なのか。 辛うじて動く蔓を使って、矢を地面から引っこ抜こうとする。 時間帯的に影が丁度後ろにあるため、それにも苦労しているようだけれど。
ただただ凶暴だったフシギバナのこの変貌を見て、アカガネは感嘆の声を漏らす。
「さっすが。 というか結構遠かったのにやるねぇ」
「......別に、的が大き過ぎるだけだ。 ところで貴様は見つけたんだな、子供」
「あ、うん、見つけて......取り敢えずは、レオンちゃんに預けた。 ジュリちゃんは?」
「馴れ馴れしく呼ぶな......一応1匹は見つけた。 既に逃してある」
「......てことは、3匹全員逃がせたね......よかった」
アカガネはよいしょと立ち上がる。 毒はもう引いたようだった。 戦いの最中であるせいか、先ほどの怒りも一時的だろうが収まっていた。
「......じゃあもう、何も心配ないか」
「......そうなるな」
そう、うっかり子供を巻き込んでしまう可能性は消え失せたのだ。 2匹はそれぞれ改めて構える。 そして。
「アカガネ、ジュリ!!」
それと同時に、レオンも2匹の元に駆けつけた。 こんなにすぐ揃うとは思っておらず、アカガネは素直に驚く。
「レオンちゃん! あの2匹は」
「あの後すぐ逃がした。 色々聞くのは野暮だと思ったし」
「そっか......」
......普通の話のテンポで状況確認をしてしまったけれど、気まずい状況であったことをやっと思い出す。 アカガネの顔が暗くなった。
「あの、その」
「アカガネ」
レオンが、ぼそりとアカガネに向けて呟く。
「今は駄目だ。 今はあいつを倒すんだろ? そのかわり。 何があったか、後でちゃんと説明しろよ」
......やっぱり、隠すことはできない。 ぎくりとした後、彼女は1つ深呼吸をする。 そうだ、まずは......勝たなければ。
「アカガネ」としてのこの感情は、今は足枷でしかない。
「......分かってる」
フシギバナの[はなびらのまい]が炸裂する。 巨体である分技の範囲も広く、3匹は一度飛び退くしか選択肢がない。
だが、レオンが少し怪訝そうな表情を見せた。 まるで、何かに違和感を感じているかのように。
「......アカガネ、お前炎は? 攻撃かき消すのにもめちゃくちゃ使ってたのに。 花びらなんてうってつけだろ」
「効かないから封印してるの!」
「は!? 草タイプだぞこいつ!」
「だったら証拠見せようか!?」
力を溜めて、火炎放射。 しかし、確かにその炎の一撃はどこか歯切れの悪いものだった。 さっきと同じ。見かけの威力と照らし合わせるとどうも一貫性が無い。 まるで何かに弾かれているように。
(......弾かれている?)
レオンがピンと閃く。 花弁と共にもう一度叫ぶフシギバナを見て、アカガネは困惑を口にした。
「......さっきも思ったけどこれなんで? 炎フルスロットルでやったよ?」
「多分、厚い脂肪だ。 見た目からして、あいつの特性がそれでもおかしくはない。 炎で攻めるのは大分きつい!」
「嘘!?」
「......なら、炎と氷以外で攻めればいい!」
そう言いながら突っ込んでいったのはジュリだった。 いくら厚い脂肪で守られているとはいえ、[ブレイブバード]によるもう突進にはフシギバナもうめき声を上げる。
その後[はねやすめ]で失った体力を取り戻しながら、彼は続けた。
「図体が大きいだけ、動き自体は遅い鈍間だ。 どうということもない。 それに」
「......そっか、あいつも所詮ダンジョンの幻影。 ダメージを重ねれば、必ず倒れる!」
アカガネの杖の先が、怪しい紫色の光を放つ。 [サイコキネシス]が、立て直しを図ろうとしたフシギバナを襲った。 強い頭痛でもあるのか、ぶんぶんと頭を振り回している。 アカガネは「でしょ?」とジュリの方を振り向いた。 頬の色に、茶目っ気が戻ってきているような。
「......街の時も思ったが、心の覗き見か。 悪趣味なものだな」
ジュリが心底嫌そうな顔で言う。
「うっ......嫌だったら謝るよ、ごめん」
「ていうかアカガネ、弱点技持ってる......」
「それもごめん、やっと少し脳みそ冷えたの」
「ガアアア!!!」
フシギバナの声が、3匹の会話の中を貫通してくる。 よほど怒りに燃えているのか、その目は血走っているようにも思われた。
でもその方が好都合。 体力も余裕は無いはずだから、今から力任せにしようとしたところで限界がある。
「まあ、ここまで来ればいけるでしょ......いこう!」
アカガネの力強い言葉と同時に、また3匹は攻勢を強める。
3対1の数の暴力は強く、フシギバナもこれはダメージを抑えることは出来ないようだった。 後数発当てれば勝てる。 そう信じ、3匹は攻撃は続ける。 攻撃一辺倒な彼らだが、ここは「力こそ防御」というワードがとても似合った。
フシギバナの攻撃を受け流しながら。
「[ねがいごと]!」
たまには技で受け止めながら。
「[リーフブレード]!」
そして、たまには仕掛けていきながら。
「[サイコショック]!」
緊張する状況なはずなのに、レオンの気持ちはどこか高揚していた。 探検隊の時の記憶が、頭の中に過ぎる。
背後を完全に相手任せにしてもいい。
相手を信じて、こちらの相手だけに向き合うことが出来る。
背中を預け合いながら戦うことが出来る。
ああ、楽しい。
──こんなに戦いやすいのは、いつぶりだろうか。
「グア......」
そして、フシギバナが一瞬ぐらついたのをその目は見逃さなかった。
「勝てる! 攻め込むぞ、[サイコキネシス]!!」
「[サイコショック]!!」
「[サイコカッター]!」
エスパー技3連発。 ずっとつり上がっていたフシギバナの目は、やっとのことで弱々しく垂れ下がった。
轟音が去った後。 ぶつりと、フシギバナを限界まで動かした糸が千切れる。
「グルアアアアアアアアアアッッッ......!!!」
フシギバナがその場に崩れ落ちる。 光が抜け落ち、元の姿に戻ると同時にその幻影は消えてしまった。 森は一気に静寂を取り戻す。
森の名の通りの優しいそよ風。 先ほどまでの緊迫感が嘘のように、かさかさと葉っぱが揺らいでいる。
「......うっし。 いけたな」
レオンの安堵の声が、その静寂を破った。 この3匹の組み合わせは、どうにもやはりぎこちない。 だから、ユズとキラリのように跳ね回って喜び合うようなことはできないし、イリータやオロルのように一緒に静かにかみしめることも出来ない。 何も気の利いたことを言えないのはもどかしい。
「......何黙っている。 戻らないのか」
そのジュリの言葉に、2匹は正気に戻る。
「そ、そうだね」
「ああ。 待ってろ今鞄探る」
わたわたと、レオンがあなぬけのたまを取り出そうとする。 現実に引き戻されたようで、少しだけ、アカガネの気は重かった。
帰りは日が落ちそうな時間には間に合った。 ポケモンが多く行き交う役所の入口前では、ちらほら嗚咽の音が響く。
「本当に、ありがとうございました......! そして、ごめんなさい!」
泣き腫らした顔をしたジャローダが、3匹に向かって一礼する。 横の子供達もその後を追い頭を深く下げた。 彼らのへこんでいる顔を見て、レオンは軽く笑って言葉を返す。
「いえいえ。 ......正直、規制については役所の不手際でもあります。 歪みのことを恐れて柵も置けなかったらしいし、言葉や紙だけで言ってほぼ手放しだったらしいんですよ。 こちらこそ本当に申し訳なかった。 規制を強化するようにこちらから提案しておきます。
大きな怪我も無かったようだし、何より反省もちゃんとしている。 自然が説教してくれたとでも思って、今日は早く寝かせてあげてください。 それじゃ俺らは......」
「あっ......待って!!」
レオンが踵を返そうとした時。 子供達が呼び止めるように叫び、おどおどと前に踏み出した。
「お兄ちゃん、あのポケモンは?」
最初に口を開いたのはツタージャだった。 ジュリがしゃがんでそれに答える。
「......倒してきた。 幻影だから、同じものがまた現れてもおかしくはないが」
「そう......お兄ちゃんに怪我は?」
「......俺のことなどいいだろう。 お前は」
「手当してもらったから平気だよ。 安静にしてれば大丈夫だって!」
「そうか。 くれぐれもこれからは──」
「うん、危ないまねはしないよ。 そうなりそうな雰囲気だったら、頑張って止めてみせるもん」
「......そうか」
──良かった。 口には出さないが、ジュリは素直にほっとした表情を浮かべる。 ツタージャもその柔らかさに釣られて笑みを漏らすが、そこにウールーとエリキテルが近づいてきた。 かすれた声で名前を呼ばれる。
「......ツター、ジャ」
「ん?」
2匹は勇気を出し、また声を捻り出そうとする。 息を吸って、今度は大事な部分をちゃんと張り上げようとしていた。
「......ご、ごめんね!! 無理にダンジョン行こうって、言っちゃって......」
「怪我までさせて、本当ごめん」
2匹は深く頭を下げる。 そこには、素直な謝罪の意が強く表れていた。 そこまでは気にしていなかったのか、ツタージャは対照的にはわわと慌てて言葉を返す。
「いやいいよ! 私も断りきれなかったし......でも、もうやめようね。 危ないの怖いし。 それに」
そこで、ツタージャの表情が暗くなる。 だけどそれは、2匹への恨み辛みが籠もったものでは決して無かった。 寂しさ、心細さ、不安、絶望感。 あの時、心の底から痛感したのだ。
......ああやって孤独になるのは、悲しい。
「3匹で、ずっと楽しく、遊んでたいから。 ......だから、これからも」
「──うん、わかった」
「遊ぶ場所、考えないとね」
3匹はにこりと笑い合う。 一件落着というべきか、暖かな空気が流れかける。
でも、ウールーとエリキテルには、あと1つやり残したことがあった。
「......あと」
「うん」
2匹はもう一度頷き合い、今度はアカガネの方を見やる。
『おねえちゃんも、ごめんなさい』
声を合わせてぺこりと謝った。 声を荒らげられたためにツタージャの時よりも声は震えていたが、芯のあるものだった。
アカガネは目を丸くして、少し俯く。 でも、意を決して顔を上げた。 ここで何も言えなければ、今度こそ大人失格だろう。 子供が失敗を受け止めたならば、その事実を肯定しなければ。
......そして、こっちも。
「......まあ、ツタージャちゃんに先に謝ってくれたわけだし、いいよ。 それに、あたしこそごめん。 あのやり方はちょっと、後味悪かった」
その言葉に、少し2匹の表情が柔らかくなる。 アカガネも少しほっとしたような感情を覚えていた。 背中の重りが1つ取れたような。
「......うん、もういいんだな?」
レオンが確認をとる。 アカガネは微笑んで頷いた。
「それでは、ありがとうございました......!」
それを確認した子供達と親は、もう一度一礼。 その後、振り返って街明かりの方へと歩いて行く。 彼らは、あっという間に日常の風景の中へと溶け込んでいった。
彼らの姿が見えなくなったのと同時に、レオンはぐいっと伸びをする。 緊張から完全に解放された瞬間の達成感は、やはり格別だ。
「いやあ......ありがとうな、2匹とも。 巻き込むことになっちまったけど」
「本当だよもう! お礼半分こっちに寄越してよ!」
「まあ正直今回はそうするしかねぇよな......」
「......冗談だよ」
「本気で受け取っちゃ駄目だよ、今日は」と言い、アカガネは俯く。 ──あの時、自分はちゃんと落ち着いた顔をしていただろうか。 子供達がほっとしていたのを見るに、きっと大丈夫だと思うのだけれど──そんなことを思いながら。
「レオンちゃん」
「ん?」
「凄いね、レオンちゃんは。 ユズちゃん達との絡み見てて思うけど、子供の気持ちがよく分かってる。 ......関わりから逃げてきた奴が、よく言うよって話だけどさ」
「......で? 何があったんだ?」
今こそ約束を果たす時。 アカガネは、手を強く握りしめて答える。
「......あの2匹にブチ切れた。 地雷思い切り踏まれちゃった。 でも、あの子達はまだ子供なんだよ。 その場だけの我儘なんだよ。 うちの家族みたいに長期的なものじゃなくて......だから、ちょっと感情がぐちゃぐちゃになっちゃって」
言葉は言の葉と呼ばれる。 でもその実情は少し、炎に似ている。
炎は元々誰かを殺すこともできるもの。 だから、それを用いる者はそれ相応の理性が求められるのだ。 でも、無理だった。 迫り上がるものを止められなかった。 相手の炎が飛び火して、そしてこちらで強く燃え上がった。 炎で、相手を打ちのめそうとした。
──自分の中に、化物がいる。 まるでそんな感覚だった。
「怖かった。 正直自分が。 あの子達も怯えてたし。 自分がもしかしたらあの親みたいになってたのかなと思っちゃうと、すごく怖くって」
あの親の背後からも、暗い炎が見えていた。 比喩ではあるけど、実際そんな風にしか見えなかった。 消す手段などなくて、思うようにならない怒りが募って。
あの子達も、ずっと怯え続けていた。 今思えば、窒息してしまいかねない空気だった。 ......だから、申し訳ない。 そう思ってやまなかった。
「ごめんね湿っぽい感じになって。 でもさ、なんというか......あたし、そんな優しくできなかったから......だから」
今にも泣き出しそうな顔。 でもここで泣いてはいけないと、アカガネは必死で耐えていた。 レオンはどこかやるせなさそうな表情で、その言葉に答える。
「ん。 まあしゃーねぇよ。 ......雰囲気見るに、今回は怒って正解だったんだろ? やり過ぎたとはいっても、怒らねぇと懲りない時だってあるさ」
彼はアカガネの肩をぽふぽふと叩く。 水タイプの手は冷たいはずなのに、どこか暖かみを感じるのは何故だろう。
「よしよし。 お前、こうやって肩叩くと落ち着くんだろ? メブキジカから聞いた。 ......大丈夫。 俺もいるさ」
「ごめんね」
「わざわざ謝るな」
「......ありがと」
「どうしてそんなに優しいの?」 なんて言っても、どうせ気のない答えが返ってくるだけ。 だから一言だけ感謝を告げた。 いつもの明るさはなりを潜めているが、心の奥から搾り出すような声だった。
──ああ、優しすぎるあたしの救い。 何か力になれればいいのに。 今までの恩を返せればいいのに。
あたしの手は、細い枝を握ることしか出来ない。 それぐらい、ちっぽけだ。
少し沈黙が流れた後。 レオンは少し離れたところに立っていたジュリに声をかけた。 勿論感謝を伝えたいというのもあるのだけれど。
でも、もう1つ。
「ジュリもありがとな。 色々助かった......なんだが、1個だけ」
「何だ」
「役所の受付に報告行った時に、ソヨカゼの森の警備のザルさについて話したんだが......ちょうどユズとキラリに会ったんだよ。 当然どうしたって聞かれるわけで......そこで事の顛末話したら驚かれたし、なんならキラリがこう言ったんだ。 ジュリさん森行くって言ってたじゃんって」
「......」
ジュリは軽く目を逸らす。 思い出されるのは、長老に手紙を出そうとしてユズとキラリに久々に会った後のこと。
......あらかた用事を終わらせて、ダンジョンに潜ったときのこと。
隠す気はなさそうな姿を見て、レオンは深いため息をついた。
「調査終わった直後みたいだったから規制緩んでもいただろうし、近づくなって布告は主に探検隊向けだから、お前の場合気づいてなかった可能性高いんだが......正直に言ってくれ。 危なさに気づいてたのか、そうでないのか」
「難易度の話は聞いていた。 規制については、あの時は何も。 破ったというなら、それは謝る」
「お、おう。 ......すげえ失礼なの承知だけど、謝るんだな、お前も」
「......俺にだって血くらい通っている」
割とあっさり謝罪が来るとは思っていなかったらしい。 でも、考えてみれば納得は出来る。 確かに彼は用心深いというだけで、決して傍若無人というわけではないのだ。
だがそれはそれ。 これはこれだ。
「......まあ、そこはこれからは確認してくれ。 この街にいるからにはっていうのは少し違うんだが......。
やっぱり、そういう危ないものには寄りつきたくないものだろ? 探検隊が物好きってだけで。 ......まあ、なんとも無いならなによりなんだ」
「......」
レオンは怒っているわけでもなく、ただ心配そうな笑みを見せていた。ジュリは黙りこくるが、それは落ち込んでいるからとかそういうわけでもなかった。
ただ1つ、疑問だったのだ。
「......1つ訊きたい」
「ん?」
レオンの性格は大分理解してきてはいる。 完全に信用できないポケモンではないこともわかっている。 だから、訊いてみてもいいかもしれない。 その思いが彼を突き動かした。
なんともなかったかのような顔で、レオンは「何だ?」と振り向く。
「......寄り付きたくないという願望は、関係あるのか?」
レオンが目を丸くする。 ジュリの顔は、柄にも無く少し困っているような。 いつもの堅さが、少し影を潜めているような。
そして次の言葉は、レオンにとっては不自然に思えるくらいすらりと発せられた。 その声は、どこか無機質だった。
「俺は、何もせずのうのうと生き続けることを望んでいるわけではない」
「あっ3匹ともいる! おーい!!」
レオンが答える前に、底抜けに明るい声がこだましてきた。 役所の入口から走ってくるのは、見覚えがありすぎる灰色の毛玉。
「キラリ!? ユズは?」
「道具の買い出し行ってる! 私はちょっと年末のあれこれの書類貰いに行ってて」
「あーー毎年恒例の探検隊年末レポート。 懐かしい」
「うええ!? あたしそれ死ぬほど嫌いだったんだけど!? 今もあるの!? しんど!」
「全部俺に丸投げしてた奴が言うな。 まあでも今貰うの偉いな。 やっぱ早くやるのに越したことないしな」
「といっても、イリータ達にのっかっただけだけど」
「あいつらやべぇな......几帳面だもんな」
「私が几帳面じゃないみたいに聞こえる」
「それは確実に被害妄想だからよせ」
まるで親子みたいな3匹の笑顔。 街明かりの中に響く笑い声。 それを眺めるポケモンの胸中に浮かんだのは、鬱陶しさではなかった。
「えーみんなでメブキジカさんのとこにご飯行かない? ユズもご飯作らなくてよくなるし」
「お前みんなで食べたいだけだろ? 悪いが今回は折半だからな」
「わーい!」
ぴょんぴょんと跳ねる純粋な姿には、一種の羨望すらも覚える。
「という訳なんだけど。 ねぇ、ジュリさんも行かない?」
明るい声に、心が惹き寄せられていく。
「俺は......」
......ズキリ。
「っ......!?」
ジュリは一瞬、顔を苦しそうに歪める。 思わず手で胸を押さえた。
今、胸の辺りが。 急に強く、痛んだような。 一瞬、思い出したくない光景が見えたような。 この布団のような雰囲気とは、真逆の。
まるで、何かが自分を引き留めるように。 目の前にある陽だまりを拒絶するように。
「......?」
首を傾げるキラリは、そんな事情など知るわけがない。 ジュリを覆っていた暖かさが、夕風で一気に冷めていく。
「......俺は帰る」
ジュリは振り向いて、その場から離れていく。 沈んでいく夕日に背を向けて。 きょとんとした顔をするキラリ達も捨て置いて。
拒絶しろ。 そう叫ぶ何かに黙々と従った。
少し彼女らから離れたところで、もう一度軽く胸を押さえる。
(何だったんだ、今の)
鼓動が少しだけ速まっていた。 1つ深呼吸をする。 落ち着けと、自らに語りかける。
なんで、今この痛みが来るのか。
(......落ち着け。 負けないと言ったのは自分だろう。 心を強く持てばいいだけなのに、そんなことも出来ないのか?)
自分の心を自分で締め付けることも、躊躇うつもりはなかった。 自分は、闘わなければならないのだから。 大事な存在を、信じている存在を守るために。 だけど。 何かが揺らいでいる気がするのだ。 何かが剥がれかけているのだ。 その「何か」の詳細も分からないまま。
季節を経るごとに、風もどんどん冷たくなるばかりなのに。
「......冷えるな......」
でも、これぐらいが寧ろいいのかもしれない。 そう彼は考え歩を進める。
暖かいものに浸るときは、いつも胸に痛みを感じるのだ。
──特に、最近は。
そこから、残った面子でメブキジカの店にご飯を食べに行った。
ユズはいつものごとくシチューを美味しそうに食べて、キラリは更に甘みを増したモモンのタルトに舌鼓を打ち。 アカガネは、そのスイーツを一口だけ分けてもらった結果かつてのユズと同じ洗礼を受けた。 キラリの舌に合う甘いもののレベルはどんどん上がっていっているのだから、多分春よりもその甘さは強くなっているだろう。 ご愁傷様である。
笑いだったり、笑いすぎた故に涙も混じったり、面白い時間だった。 外に雪が一瞬ちらついたのも、目に入らないくらいには。
「ひゅーお腹いっぱい! そんじゃねおじさーん!」
「今日はありがとうございました!」
「おーまたな!」
「おやすみね~!」
それぞれが手を振り、自分の家へと帰っていく。 レオンとアカガネがぽつりと残ったところで、暫しの沈黙が流れた。
レオンが少し辛そうな顔をしたのがアカガネの目に飛び込んできたけれど、それもまた一瞬だった。
「......そんじゃ、俺らも帰るか。 何かあったらまた助けてくれや」
「そうだねぇ。 頼らなくていいようにしてよ役所の手先」
「何が手先だこのやろう」
取り留めのない会話の後、アカガネの表情が一瞬曇った。
「──ねぇ、レオンちゃん」
「ん?」
「世界って、難しいね。 分からないことが多すぎる。 1つ理解するだけでも、きっと沢山時間がかかるのに」
「そうだな」
「......割と即答したね」
「は?」
「レオンちゃんのことだし、何かためになる事でも言い出すかと」
アカガネの目は、確かにおばあちゃんの知恵袋を求めているかのようだった。 俺は知恵袋なわけじゃないと、彼はくすりと笑う。 もし本当に知恵袋だったら、こんな疑問すぐに解決できるのだろうか。
「俺だって万能じゃねぇよ。 分からなすぎて眠れなくなることだってある」
「そんな!? ......よかったら教えてよ。 何か力になれないかな?」
「......優しいなお前。 普段はおちゃらけてるけど......そういうの見ると、安心するよ。 だからなんだろうな。お前が絡む悩みでもあるのが謎だったんだけど」
「そうかな。 薄情な方だと思うけど......ってかあたし絡むの」
「不満とかじゃないから安心して欲しい。 それに薄情なんてそんな事ないさ、優しいよ。 お前こういう時は心読まねぇもん」
「今日はレオンちゃんに負い目もあるし......大事な悩みは、直接聞きたいじゃん」
レオンは星々の浮かぶ空を見上げる。 1つ息を吐いた時、白い煙も一緒に這い出てきていた。
「アカガネ、本当にありがとう。 でも......すまん。
今は、ちょっと言わないでおく」